前回の記事が今年5月25日の「ジョン‧デューイの探究概念を⼿がかりにした⽣涯学習と図書館の交差点」だったので,半年ぶりの書き込みになります。この間にブログが書けなかったのはプライベートな事由があったからですが,それだけでなく,いくつかの口頭発表や原稿執筆が重なったことがありました。それらは今後発表するものもあるので追々報告していきたいと思います。
このあとこの半年の空白を埋めるべくこの間の活動について書いておきます。
雑誌LRG 55号(2026年春)に川嶋斉さんと「往復書簡 DXの先駆者・野田市立興風図書館が見据える先」を書きました。これは,このブログで触れた興風図書館で独自の情報発信をしている川嶋さんに,彼が実践していることの意義を確認したものです。(参照:https://oda-senin.blogspot.com/2023/01/blog-post_5.html#anker03)川嶋さんがやられていることは独創性にあふれていてすばらしいのですが,遠慮がちにご自分がやられていることを解説してくれました。まあ,公務員の世界で自分がやっていることを自慢もしにくいわけであのような感じになるのも無理もないと感じます。
今回これを書き,その後に,LRG特集「図書館DX2.0:図書館DXをやりなおす」の編集担当者の人たちともオンラインでやりとりする機会もあって感じたのは,私が必要性を感じているDXと一般的な「図書館DX」のあいだにギャップがあることでした。この特集を読むと強調されているのは,図書館員が日常業務のなかで使用できるアプリケーションソフトやオンラインツール,外部リソースなどをうまく使って,仕事の効率化や協同化,さらには新しいサービスの展開を行うべきだということのように見えます。そこでいう業務や仕事は多様な部門にわたりますが,zoomを使った他業種や多館種との協働とか,発信するデータのオープンデータ化とか,デジタルアーカイブの工夫とかといったものです。これは,まず図書館システムによる定型的業務を前提にして,その先でできる工夫が中心です。しかし,興風図書館のHPの仕掛けをみていると,要するにその定型的業務を超えるための工夫がいろいろとあると感じています。HPのトップページにその図書館がWebで提供できるメニューをすべて見せるとか,マップと組み合わせた地域資料検索システムを提供するとか,地域についての自己研修を兼ねて新聞記事索引を日課のようにつくるとかです。だから,ここのやり方を特別に取り上げて論じてみたのですが,どうも,あれは川嶋さんだからできることで公共図書館界では例外的とみられているように受け止められました。もっとあそこのやり方を導入した図書館がたくさん出てきてもよいのにそれは無理だと考えている人が多いとしたら,それは残念なことです。
私は,LRG記事中の第三書簡でやや挑発的に「約30年前に普及しはじめたインターネットは,未知の情報を利用者に提示するという図書館員の能力を伸ばすよい機会になったはずなのに,多くの図書館はMARCと図書館システムの世界に閉じこもってしまったのです。」(p.77)と書きました。図書館システムは必須であることは確かですが,いくつかのベンダーによるシステムの機能はどれも類似していて,いったん採用されれば長期間にわたり同じ業務で運用することを余儀ないものにする力として働きます。システムは道具であるはずなのに,逆に業務が道具にしばられています。MARCがそれに輪をかけて,図書館が商業出版物の配布システムであることを強いています。本来図書館はどこで発生するどんな資料でも収集し,組織化し,提供できるはずなのに,MARCが全国レベルで流通する商業出版物についてつくられるから,それに合わせた蔵書になり,図書館は一般に読みたい本を入手する場という理解がひろまる原因になったものと思われます。
図書館に限らず,システム化は業務の定形化をもたらし,それは新自由主義的な経済原理とつながって,同じ土壌のもとでの取引きや顧客戦略が繰り返されるのは仕方ないことかもしれません。しかし,公的なサービスにおいて,繰り返しのサービスをするだけなら特別の人的配置は必要はないわけです。図書館の世界なら,資料と利用者をつなぐというもっとも基本的な枠組みに立ち返ればやれることはいくらでもあるはずで,その一つの現れとして興風図書館の例を取り上げたのです。
教育職員は学校教育法で規定されている教員等の職員を言いいますが,戦後法制化された司書や社会教育主事,公民館主事,学芸員などの社会教育関係の資格職員の専門性は軽視されがちでした。公民館は戦前から重視された農村的な社会啓発装置でしたが,戦後の急速な都市化,産業化の進展で行き場がはっきりしなくなり,集会室機能を中心とするものに変貌しました。また西洋から導入された図書館や博物館について,日本社会は本当の意味での活かし方がよく分からなかったのでしょう。これらのことについては今後考察を深めていきたいと思いますが,今,探究学習が学習指導要領の議論のなかでかなり重要な位置を占めるようになって,こうした社会教育施設の在り方の位置づけを変えることが必要になっています。
学校や教育職員だけで地域の教育や学習活動が完結しなくなっているときに,司書には何ができるのかが問われています。それは地域の情報資源,学習資源の掘り起こしとその組織化,そして発信です。博物館は一部を除けば,もともと地域の文化資源の蓄積と保存,展示をするプロセスの一環としてこうした地域学習に関わります。ところが,図書館は全国的に流通する商業的な出版物を地域の利用者と結びつける場であると考える図書館員が圧倒的に多いことをどう考えたらよいのでしょう。地域発信のものが多様にあるのにそれらを見ずにすませる態度では次の時代の図書館サービスを見通すことは難しくなります。私は地域資料の重要性をたびたび説くのですが,それはデジタルアーカイブをつくることでは決して完結しません。それを含んだ,地域情報把握と発信のプランが必要だと考えています。
【追記】沖縄の地域アーカイブ活動
読み返してみて「図書館システム+MARC」と「地域図書館DX」を対比的に扱いすぎたようなので,本意として言いたいことは決してそこにあるのではなく,両者のほどよい調和を考えるのが現実的な解決かと思っていることを付け加えておきます。関連して,すでに何度か示唆したように,現在,地域アーカイブ研究というのをやっています。
11月14日(土)に慶應大学で三田図書館・情報学会研究大会があるのですが,そこで,「沖縄現代史をめぐる図書館の地域アーカイブ/ドキュメントの考察」という発表をします。https://mslis.jp/annual/2026/ オンラインでも参加できますが,非会員はゲスト登録をする必要があります。
<発表要旨>発表者は著書『アーカイブの思想』(2021)および『知の図書館情報学』(2024)において,図書館情報学におけるアーカイブとドキュメントの関係を論じ,続いて現在はナショナル/リージョナルの対立項をアーカイブ/ドキュメントの議論に当てはめることの意義とその議論において図書館がどのように位置づけられるかに取り組んでいる。本研究ではナショナル/リージョナルの両面の性格をもつ沖縄において,アーカイブ/ドキュメントがどのように扱われてきたのかについて述べ,とくに沖縄戦で一旦失われかけた沖縄史再構築のためのアーカイブ活動を取り上げる。沖縄県立図書館,沖縄県公文書館,沖縄県史編さん事業,浦添市立図書館,各地域で取り組まれてきた字誌編さん事業を中心にして,戦後沖縄の地域アーカイブ/ドキュメントにかかわる諸活動を記述するケーススタディ的な検討を行った。(JSPS 科研「 マージナルな歴史的記憶を負荷された地域アーカイブ研究」22K12717)
これは5年間続いた科研の最後の口頭発表になります。5年もかけてこの程度かというお叱りもあろうかと思いますが,今後論文として締めくくりとしたい内容のとっかかりです。この冬に沖縄で2度目の現地調査をして,この発表で提示した仮説を証明する手がかりをえたいと考えています。沖縄の図書館員の皆さん,頼りにしていますので,よろしく。


