tag:blogger.com,1999:blog-83670134277874168692024-03-18T12:04:41.212+09:00オダメモリー<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/01/blog-post_5.html">テーマ別目次</a>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.comBlogger134125tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-77384292487875387902024-02-21T08:59:00.010+09:002024-02-25T12:48:49.631+09:00 市川沙央『ハンチバック』と読書のバリアフリー<p>ふだん小説はほとんど読まない。そんな私が 最近,市川沙央<a href="https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917122">『ハンチバック』</a>という本を読んだ。芥川賞受賞作を受賞後1年以内に購入して読むことなど初めての体験だ。それというのも,この本が身体障害者の読書バリアフリーを一つのテーマにしているという声がさまざまなところから聞こえてきたからだが,もう一つ,かねてより『文藝年鑑』という定期刊行物にこの1年間の「図書館」についての短い報告を書くことになっており,そこにこのことがもつ意味について書いてみたいと考えたからだ。なので,これから書くのは,『文藝年鑑』(6月末刊行予定)で書き足りなかったことを補足するものである。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://b-bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/480/img_8eae81001c74b26a2516f02fd91ca2d3221572.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="744" data-original-width="480" height="320" src="https://b-bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/480/img_8eae81001c74b26a2516f02fd91ca2d3221572.jpg" width="207" /></a></div>この物語の主人公は,首や背中に重い障害をもっていて,常に人工呼吸器をつけ痰吸引が必要であることによって車椅子生活を余儀なくされている。その彼女はウェブにポルノ記事を書くことを趣味(生活費の足し?:といっても主人公は親からのかなりの財産を遺贈されており生活に困っていないという設定)とし,他方では,大学通信課程で卒業論文を書いている。この短い小説では,彼女のリアルな生活空間の描写のなかに,彼女が執筆しているハプバ(ハプニングバー)記事や女性向け官能ライトノベルの妄想空間の描写が散りばめられ,最後の部分では両者が同一空間に集約されることになる。そして,市川氏自身がこの主人公と類似の障害をもっていることが同書の奥付にある著者紹介に明記されているし,それはメディアを通じて表出されている。ということは,この小説を手に取った読者は,リアルな著者の人となり,そして著者が描く主人公の言動,さらに,主人公が執筆する記事と少なくとも三重構造を読み解く必要がある。<p></p><p>小説としては,重度の障害をもつ女性の性の(ということは生の)欲望が一つのテーマである。そのことが障害者が生きることにどのような負荷を与え,そのためにどのような過程が語られているのかについてはここでは触れない。だが,著者がそして著者が描く主人公が読んで書く行為を中心に生活が廻っていることは明らかであり,それが性(生)の描写と密接な関係をもつ。読み書くことそのものが生きることに組み込まれるとき,読書のバリアフリーがもう一つの大きなテーマとなる。彼女自身が<a href="https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1be2c0d0188e28e95f45cbc0be7bb601783db58c#:~:text=https%3A//www.youtube.com/watch%3Fv%3DnJok9vUR5go">授賞式の記者会見</a>においてそれを強く訴え掛けた。そしてその重要性は文学関係者にも波紋を呼び起こした。日本ペンクラブでは<a href="https://japanpen.or.jp/post-3377/">「読書バリアフリーとは何か―読書を取り巻く「壁」を壊すために」</a>というシンポジウムを開催した。マスメディアでも,たとえば<a href="https://digital.asahi.com/articles/DA3S15708277.html">朝日新聞の社説(2023年8月4日付)</a>は,「市川さんの訴えは、本を自由に読めない人々の苦境を厳しく世に問うものだ。多数派は現状で十分でも、一部の人が切実な困難を抱えている場面は読書に限らないだろう。特にデジタル化がバリアフリーの実現に果たす役割は大きい。少数派の人々が置かれた状況に広く考えを巡らせる機会としたい。」とまとめている。そのことに異存はない。</p><p>だが,著者が次のように書くとき,バリアフリーというよく使われる表現で済ますことができない,厳しい指摘がそこにあることを感じることができる。</p><blockquote style="border: none; margin: 0px 0px 0px 40px; padding: 0px; text-align: left;"><p>私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、―5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない『本好き』たちの無知な傲慢さを憎んでいた。(市川沙央『ハンチバック』2023, 文藝春秋, p.27)</p><p>こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに,紙の匂いが好き,とかページをめくる感触が好き,などと宣(のたま)い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい...出版界は健常者優位主義(マチズモ)ですよ,と私はフォーラムに書き込んだ。(同書, p.34-35)</p></blockquote><p>著者は,授賞式や前後のマスメディアの取材に対して,小説の主人公と類似の障害を自ら晒すことで読書という行為を支えてきた「健常性」が無意識の差別となっていることを訴えた。それは,2019年6月成立の「視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律」(通称「読書バリアフリー法」)が,障害の有無に関わらず、すべての人が読書による文字・活字文化の恩恵を受けられるようにするとしたことへのアンチテーゼでもあった。新法で目標とされる「読書のバリアフリー」は特定のタイプの障害への対応とはなっても,読書行為において生じる多様な障害を救うものとは必ずしもならないからである。</p><p>図書館(公立図書館,点字図書館)もかねてより「障害者サービス」を実施することによって自覚的に読書のバリアフリーに取り組んできた。とくに視覚障害者のための点字資料や録音資料,大活字本,拡大読書機の提供や,対面朗読サービス,DAISYやサピエ図書館などの電子的な仕組みを提供してきたが,これらで「健常性」との格差を埋めることはできない。5つの健常性のどれもが当たり前としてきたものの一つか二つに対して手を差し延べるくらいしかできていない。それどころか,著者は主人公に次のように語らせている。</p><blockquote style="border: none; margin: 0px 0px 0px 40px; padding: 0px;"><p style="text-align: left;">5000円以上する専門書だろうが,新品が流通していれば私は新品の本を買う。図書館の本は汚くて触れないし,そもそも図書館に行く体力もない。(同書, p.43)</p></blockquote><p>図書館の本を利用することはそこに行って手に取って借りてくるという行為を前提としているのに,どちらもできないという。行くことについては何らかの対策はあるだろうが,汚くて触れないということについてはどうしようもないが,これは電子書籍の可能性を訴える伏線でもある。</p><blockquote style="border: none; margin: 0px 0px 0px 40px; padding: 0px;"><p style="text-align: left;">博物館や図書館や,保存された歴史的建造物が,私は嫌いだ。完成された姿でそこにある古いものが嫌いだ。壊れずに残って古びていくことに価値のあるものたちが嫌いなのだ。生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる,生き抜いた時間の証しとして破壊されていく。そこが健常者のかかる重い死病とは決定的に違うし,多少の時間差があるだけで皆で一様に同じ壊れ方をしていく健常者の老化とも違う。(同書, p.46)</p></blockquote><p>ここに至って,主人公(著者?)が憎んでいるのが,古いものが時間を超える特性をもっており自らの身体が常に壊れやすいことにこれを対置していることが分かる。図書館の本が汚いというのも,古さのマイナス面を象徴的に示そうというものだろう。著者は,その意味で電子書籍は福音であり,だが,文芸でも学術でも多くの著作が電子的に流通していないことを問題だと発言している。(<a href="https://www.nhk.jp/p/baribara/ts/8Q416M6Q79/blog/bl/pLX3Q03nzZ/bp/pJPGGN84z7/">NHK「バリバラ」2023年7月28日 愛と憎しみの読書バリアフリー</a>)その主張は,自身が他方で特定の文芸作品をテーマに学術論文を書いていたことに関わる。彼女にとって,論文を書くに当たり参照すべき資料がすべて電子的に提供されることが必要なのだが,必ずしもそうなっていない。</p><p>彼女の訴えの正当性を認めた上で,ここで敢えてこれを拡張する議論をしてみよう。それは,デジタル化が唯一の解決策であるという誤解を避けたいからである。先の5つの読書の健常性である「目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること。」これらを前提とした社会は確かにある種の身体障害をもつ人にとって超えにくいバリアになっている。しかしながら,読書のバリアフリーは電子書籍を整備することで解決するのだろうか。電子書籍化が進まない理由としていくつも挙げることができる。まずは,著作(権)者や出版者が積極的にデジタル化を推進しなければ進まない。また,これを図書館などの公的費用で提供するためには,従来の紙資料が定価販売を前提としていたのに対して,紙資料の2〜3倍の価格設定で提供しなくてはならないが,その財源をどうするのかの議論が不足している。</p><p>そうした流通や経済面の問題を解決しなくてはならない。点字図書館も含め図書館が行う障害者サービスは公的仕組みで可能な範囲で実施されている。近年,学術論文のオープン化が進み,国会図書館デジタルコレクションが充実している。これはあらゆる人にとって朗報であり,そうした仕組み外にある比較的新しい本の電子図書館的仕組みや地域資料や郷土資料のデジタル化は図書館の大きな課題になりつつある。</p><p>だが読書のバリアフリー問題は,そのような制度や仕組みの問題を超えて,文芸とか学術とかを支える前提に本質的な問いを突きつけ,解決することが要請されているととらえるべきではないか。つまり,バリアーはもっと多様に存在し,その解決法ももっと多様なのではないか。たとえば,ディスクレクシアの人はどうなのか,日本に住んでいる日本語を母語としない人はどうなのか,生まれてまもなくスマホとかタブレットの動画やゲームがお守り役となって育てられた子どもはどうなのか。</p><p>要するに現代社会においてリテレートであるために必要な条件は何なのかという問いが浮かび上がってくる。あるいはリテレートであることが本当に必要なのかも含められる。ネットリテラシー,メディアリテラシー,科学リテラシー,医学リテラシー,経済リテラシー等々の重要性が説かれる。しかしそれ以前に,読み書き能力と呼ばれるもともとの意味のリテラシーそのもののとらえ方すら,一様ではなくなっている。</p><p>最近,今井むつみ, 秋田喜美著<a href="https://www.chuko.co.jp/shinsho/2023/05/102756.html">『言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか』</a> (中公新書)が話題になった。乳児が生まれてまもない時期に発するオノマトペに対して,母親や周囲の人がどのように応えるかが言葉の獲得に大きな影響を与えるという話しである。かつて「文学国語」と「論理国語」を対立的にとらえる議論があった。市川氏の問いかけはすでに一定のリテラシーを獲得した人のものであって,現実にはリテラシー自体の獲得が危うくなっている可能性があるし,その存立基盤である家族や社会,近隣コミュニティがきわめて多様化している。SNSで新しい言語環境がつくられると言われるが,電子書籍を読む行為と紙の本を読む行為は別物であり,その言語環境に本を読むという行為は位置付けられていないのかもしれない。読書のバリアフリーあるいはリテラシーという概念そのものが危うくなっているのではないか。</p><p>市川氏の問いかけから発して話しが拡がってしまった。彼女のように作家活動を中心にSNSも自らの発信手段として重視している人が,文学出版における新人の登竜門とされる芥川賞を受賞したことの意味は大きい。これは身体障害者が自らの障害に対するバリアフリーを訴える機会になるだけでなく,著作そのもの表出の仕方を通じて読み書きという行為そのものの現代的意義を考える機会になるのではないかと考える次第である。</p><p><br /></p><div><br /></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-74939283566773913242024-01-16T19:44:00.007+09:002024-01-18T11:34:46.934+09:002023年の業績一覧(付:これまでの業績一覧)<div>2023年(暦年)に、次の文章を公表しました。</div><div><br /></div><div>[図書]</div><div>『図書館情報学事典』(日本図書館情報学会編、編集委員長)丸善,2023.07. </div><div>執筆項目 ①「データ・情報・知識」、②「アーカイブ」、③「レファレンス」、④「図書館情報学」、⑤「J. H. シェラ」、⑥「ポール・オトレ」、⑦「メディアとしての紙」、⑧「文芸共和国」、⑨「普遍図書館の夢」</div><div><br /></div><div>[図書の一部]</div><div>「知は蓄積可能か:アーカイブを考える」『2022年度極東証券講座 文献学の世界 書物と社会の記憶』慶應義塾大学, 2023.05, p.99-115.</div><div><br /></div><div>「図書館」日本文藝家協会編『文藝年鑑 2023』新潮社, 2023.06, p.61-63.</div><div><br /></div><div>[学会発表]</div><div>「ナショナルアーカイブと地域アーカイブの間:図書館情報学における方法的検討」『日本図書館情報学会研究大会発表論文集』第71回 2023年10月07日 p.17-20.</div><div><br /></div><div>[論文]</div><div><a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/toshokankai/74/5/74_252/_pdf">「文部省実験学校における図書館教育」</a>『図書館界』vol.74, no.5, 2023.01,p.252-264.</div><div><br /></div><div><a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/yeiwa/21/0/21_37/_article/-char/ja">「戦後新教育おける図書館教育の実態:甲府市立南中学校の事例」</a>『山梨英和大学紀要』No.20, 2023,03,p.37-52.</div><div><br /></div><div>「地域アーカイブの実践を福島に見る:集合的記憶をさぐるための方法的検討」『日本の科学者』vol.58, no.5, 2023年5月, p.4-10.</div><div><br /></div><div>「文部省初代学校図書館担当深川恒喜の図書館認識」『図書館文化史研究』第40号, 2023,p.103-146.</div><div><br /></div><div>「知のメディアとしての書物:アナログ vs.デジタル」『情報の科学と技術』73巻, 10号, 2023年, p.416-422.</div><div><br /></div><div>[口述]</div><div>「日本図書館情報学会オンラインチュートリアル「学校図書館研究への新しい入り方」」日本図書館情報学会, オンライン, 2023年3月18日</div><div><br /></div><div>SLIL講演会「学校図書館改革を戦略的に考える:探究学習、教育DX、情報リテラシー、読解力...」 2023年3月26日(日)</div><div><a href="https://drive.google.com/file/d/1-cfU6Z7-9VH_arR0e028chJBBG-poU8/view">https://drive.google.com/file/d/1-cfU6Z7-9VH_arR0e028chJBBG-poU8/view</a></div><div><br /></div><div>「アーカイブズ特集を終えて:補足とコメント」(平野泉、富樫幸一と)『日本の科学者』vol.58, no.5, 2023年5月, p.41-49</div><div><br /></div><div>「図書館が地域アーカイブ機関であること」2023関東地区公共図書館協議会研究発表大会 山梨県立図書館, 2023年6月28日-29日</div><div><br /></div><div>「北海道のアイデンティティを確認するための地域アーカイブという考え方」第63回(令和5年度)北海道図書館大会 2023年9月7日</div><div><a href="https://www.library.pref.hokkaido.jp/web/relation/qji1ds0000000ey5-att/objnje0000001d1k.pdf">https://www.library.pref.hokkaido.jp/web/relation/qji1ds0000000ey5-att/objnje0000001d1k.pdf</a></div><div><br /></div><div>「公共図書館の地域資料サービス:日野市立図書館の実践から考える」Jissen Librarianhipの会 特別シンポジウム 2023年9月30日 </div><div><br /></div><div>[その他]</div><div>「2022年読書アンケート」『みすず』65巻1号, 2023年1/2月号, p.31-32.</div><div><br /></div><div>「伝統への真の理解とは」『図書館学教育研究グループ50周年記念誌』日本図書館研究会図書館学教育研究グループ, 2023, p.77.</div><div><br /></div><div>「書評:W. A. ウィーガンド著 アメリカ公立学校図書館史」『図書館界』vol.75, no.4, 2023, p.269-270.</div><div><br /></div><div>「日野市立図書館市政図書室とは何か:現代公共図書館論を考えるための一里塚」<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/10/blog-post.html">https://oda-senin.blogspot.com/2023/10/blog-post.html</a></div><div><br /></div><div>「資料保存をめぐって今思うこと」『追悼 安江明夫』編集発行 安江いずみ 2023, p.236-238.</div><div><br /></div><div><br /></div><div><a href="https://drive.google.com/file/d/15WnBGAo-Og9wJftgNfO9ZUFz04FKBHeA/view?usp=drive_link"><span style="color: red;">これまでの業績一覧(2024年1月16日現在)</span></a></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-48808594096490011752023-11-18T22:04:00.027+09:002023-11-27T01:29:04.021+09:00『市民活動資料』収集・整理・活用の現場から(追記11月25日)<p> 本日、<a href="https://www.rikkyo.ac.jp/research/institute/rcccs/news/2023/mknpps000002bz7j.html">「『市民活動資料』収集・整理・活用の現場から—法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズ、立教大学共生社会研究センター、市民アーカイブ多摩」</a>に行った。一番印象深かったのは、なぜこれらの活動が2000年代に始まったのかという話しである。その後に<a href="https://www.shiminkagaku.org/">NPO法人市民科学研究室</a>の人たちとも話したのだが,次のような要因が複合的にからんでいるのではないかということになった。</p><p>1)1960年代の高度経済成長期以降の矛盾やそれへの対応を要求する運動が一段落し、当事者が亡くなったり世代交代したりしたこと</p><p>2)20世紀のうちは公的セクターがある程度対応したりもしてきた部分がNPMにより成果主義に陥り対応できなくなったこと</p><p>3)阪神淡路などの大災害に対するアーカイブ活動が注目されたこと</p><p>要するに,これらの資料は20世紀中盤から後半にかけての激動の時代に直接市民が経験したことを発信する行為が記録されたものだったが,作成されてからしばらくはそれぞれの発信元にあったりしたものがまとまってコレクションとなって寄託されたというものだろう。</p><p>ここで、2)について書いてみると、1972年に東京都立多摩社会教育会館で開始された市民活動サービスコーナーは2002年に廃止になり、収集されていた資料をどうするかということになった。しばらくの議論のあと,2011〜2012年に法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズに移された。一方,資料収集は市民グループの手で継続されており,それが現在「市民アーカイブ多摩」となっている。</p><p>この経緯について今日の議論では、「美濃部から石原へ」という言葉で表現されていた。都政のトップの考え方によって開始されたり廃止されたりした背景はそうである。しかし、そもそもミニコミやチラシ、パンフレットなどの市民活動資料は図書館においても重要な地域資料であるはずなのに、なぜ社会教育という枠内で扱い、図書館が対応できないのかという問題を感じた。本日の議論でも再三、図書館の役割を問う意見があった。</p><p>ただ、この場のやりとりを聞いていて、図書館がなぜこの種の資料に積極的でないのかの理由が分かってきた。それは、政治的イシューが背後にあったり、個人情報や人権問題などのセンシティブな情報を含んでいたりして扱いにくいと感じられるからだろう。もちろん、放っておいてひとりでに集まる資料でもないので何らかの働き掛けをしなければならない。その際に,当事者とどのような関係をとりつけるかでも難しい判断を迫られる可能性もある。今回の3つの団体の活動はいずれも過去にどこかで集められた資料を譲り受けたかたちで始まり、新規の資料受入れをしているのは市民アーカイブ多摩だけだった。つまり、ライブラリーよりアーカイブズの性格を強くしているように思われる。これだと、資料収集時の問題は比較的軽減される。収集と公開のあいだの時間的な調整を機関がコントロールできるからだ。</p><p>さらに考察を進めると、これらの活動が私立大学だったり、民間の団体だったりによって行われていることをどう考えるかである。都立多摩社会教育会館が「市民活動サービスコーナー」をつくっていた理由は,社会教育法に基づき地方教育委員会が社会教育団体の活動を支援する役割をもっていたことに関わる。そうした団体が発行する資料を集め,それを整理提供することでその団体間の相互交流をはかり,市民の自治意識を高めるというのが目的であった。ところがそこには都政に対する批判的なグループも含まれており,「石原都政」はそうしたところを支援することを避けたというのが言われている理由である。このことは,愛知県であった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由」展で展示物をめぐって,政治的な介入があり,中止に追い込まれたことと密接な関連がある。「アーカイブズ」は原資料であるからそれ自体の政治性がもともと高いのである。(このことについては別に論じたい。)</p><p>図書館だと資料収集の中立性というような概念があり,そのあたりのバランスをとろうとする。だから一方的な主張のものは入れないという判断が起こりがちである。しかし,社会教育だとそういうものもそれ自体が学習資料であり,社会教育を推進するものという考え方をしていた。その意味で,社会教育会館の閉館は政治的な決定であった。そして,それを引き受けるのが民間機関になるのは避けがたかった。逆に言うと,図書館はそうした政治的なところに踏み込まれることを避けて,最初から中立の立場を決め込みがちである。それはある種の保守主義であるが,(それこそ「図書館戦争」のような)状況をどこまで想定しているかが問われる。</p><p>ただそうした民間の機関は,必ずしも組織的財政的に安定的な基盤にはないことが見て取れた。実際、やりとりのなかからも十年後に存続しているかどうか分からないという声も聞こえてきた。これに対しては、違う論理を対峙させておくべきだろう。欧米のアーカイブズの作り方をみていておもしろいと思ったのは、資料コレクションの一部が市場に出て高く買い取られたり、途中で行方不明になったりしても、数十年後にどこかの図書館,博物館,美術館とか大学のコレクションにきちんと入っていて、だれでもがアクセスできるようになる方向付けがあることだ。このことは「知のアーカイブ、歴史のアーカイブ:ニュートン資料を通してみる」(『アーカイブズ学研究』No. 37, 2022.12. p.4-18.)に書いた。(もう少しでエンバーゴが解除になる。)</p><p>以上のことについて日本の安倍=菅=岸田政権の状況下で、今後の見通しを語ることが難しいとは思う。都政も大阪府政も保守派の牙城として運営されている。しかしながら、ことアーカイブ関連については長期的にものごとを考える必要がある。ひとまず,江戸後期以降(あるいは中世以来)の「文明の進歩」については蛇行しながらも続いているという「啓蒙主義」の立場をとりたいと思う。(以上,11月25日に文体を変えた。ご容赦下さい。)</p><p>ーーーーーーーー以下,2023年11月25日追記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー</p><p>この会が終わって会場を出たところで手渡されたチラシが,新曜社から<a href="https://socialmovementhistories.jimdofree.com/">『社会運動史研究』</a>というシリーズ本が出ていることを知らせるものだった。それがすでに5号出ていて,各号に「社会運動アーカイブズ インタビュー」が掲載されている。そこにはこのときに登壇した平野泉氏(立教大学共生社会研究センター)のものも掲載されている。前に,公害資料館ネットワークの存在が気になったこともあり,社会運動資料が話題になる背景に何があるのかとも思い,この本を見て,社会運動史アーカイブの議論が活況を呈していることを知った。</p><p>各号は次のようになっている。いずれも大野光昭,小杉亮子,松井隆志編,新曜社刊で,</p><div style="text-align: left;">1『運動史とは何か』2019<br />2『「1968」を編みなおす』2020<br />3『メディアがひらく運動史』2021<br />4『越境と連帯』2022<br />5『直接行動の想像力』2023</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">編者3人は歴史社会学や社会運動論を専門とする社会学者で,最初の号の編集の意図などを読むと20世紀の1950年代から1970年代くらいまでに世界中を襲った市民運動,労働運動,学生運動などを取り上げて再評価しようとしていると受け取れた。そのなかの各号では次のアーカイブズが紹介され担当者がインタビューに応じている。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">1 <a href="https://shaunkyo.jp/">エル・ライブラリー</a>(大阪産業労働資料館)谷合佳代子氏</div><div style="text-align: left;">2 <a href="https://www.rikkyo.ac.jp/research/institute/rcccs/">立教大学共生社会研究センター</a> 平野泉氏</div><div style="text-align: left;">3 <a href="http://www.c-archive.jp/">ネットワーク・市民アーカイブ</a> 杉山弘氏</div><div style="text-align: left;">4 <a href="https://cira-japana.net/pr/">アナキズム文献センター</a> 古屋 淳二氏</div><div style="text-align: left;">5 <a href="http://www.aozora.or.jp/ecomuse/">西淀川・公害と環境資料館 </a> 鎗山善理子氏</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">とくに2号に「1968」が取り挙げられているように,学生運動さらに絞れば日本の全共闘運動が重要な契機として取り上げられるとしている。2号に全共闘の議長を務めた山本義隆氏が寄稿していて,小熊英二氏の『1968』(2009, 新曜社)に対して,事実誤認が多いこと,そしてその誤認が「現場」に踏み込んでいないことから生じていることなどを指摘している(山本義隆「闘争を記憶し記録するということ」)。これは同書の書評でも書かれていたことである。同書および彼の他の著書も含めて,社会背景や歴史的な文脈を精密にとらえようとしても資料的な限界をいかに超えるかが問われる。あわせて,「運動」にコミットした人が生存中に,アカデミックな総括がどのようにすれば可能なのかが問われているように思われた。その際に,そしてそのために,ここにはその資料を集め保存し提供体制をつくっていくかが重要であるということについて,一貫した視点がある。つまりアーカイブ的な方法である。ここでアーカイブというのは,原資料や当事者の発言も含めてそれをどのように保存し,また,次の世代のリサーチや思想に活かすかということである。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">山本氏らは当時の学生運動に関わった人たちから直接,ポスター,ビラやチラシ,機関紙・誌,写真,手紙,日誌,新聞や雑誌の報道記事などを集めた。また,それとは別に1968年10月8日の「羽田闘争」と呼ばれる運動の同様の関係資料を収集した。これは当時の佐藤栄作首相が南ベトナム政府訪問するのを阻止しようと羽田に集まった学生と機動隊が揉みあって,死者が出たという事件である。政府側が学生同士の暴力事件として処理したのに対して,実際には機動隊が警棒で殴ったのが致命傷となったというのが学生側の言い分だった。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">こうして集められた資料(多くは手書きかガリ版刷りのもの)から電子コピーをとって整理して製本し資料集とした。東大闘争関係のものは</div><p style="text-align: left;"><i><a href="https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002337700-00">『東大闘争資料集』全24巻別巻5巻 マイクロフィルム5本, 1994</a></i></p><div style="text-align: left;">である。これは国立国会図書館に納本された。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">また,マイクロフィルム3本と総目録が東京大学文書館と法政大学大原社会問題研究所,国立歴史民俗博物館に寄贈された。さらに,これらを再度スキャンし,新たな資料(そこには東京大学文学部図書室職員作成の「68年東大問題に関する新聞記事索引」234p.も含まれる)を加えて,2019年に</div><div style="text-align: left;"><p style="text-align: left;"><i><a href="https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/dfd94331-9f5e-408e-9bbb-941f04a95c8c">六八・六九を記録する会編『東大闘争資料集. DVD増補改訂版』</a></i></p><div>がつくられて配布されている。この資料集には収録件数5400点,総ページ数13000ページの資料が含まれている。</div><div><br /></div><div>また,羽田闘争については同様に資料を集めさらには当事者からの手記を集めて次の資料集を作成し印刷刊行した。</div><p style="text-align: left;"><i><a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%A610%E3%83%BB8%E7%BE%BD%E7%94%B0%E9%97%98%E4%BA%89%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F-%E5%B1%B1%EF%A8%91%E5%8D%9A%E6%98%AD%E8%BF%BD%E6%82%BC50%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%80%94%E8%A8%98%E9%8C%B2%E8%B3%87%E6%96%99%E7%AF%87%E3%80%95-108%E5%B1%B1%E3%80%93%E5%8D%9A%E6%98%AD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88/dp/4772661247/ref=pd_lpo_sccl_1/355-0745557-1580605?pd_rd_w=jzets&content-id=amzn1.sym.d769922e-188a-40cc-a180-3315f856e8d6&pf_rd_p=d769922e-188a-40cc-a180-3315f856e8d6&pf_rd_r=VJ10BJTYDRCDJEZ0F99K&pd_rd_wg=52QK0&pd_rd_r=aa35267e-6819-4621-9b2a-8da7276c706f&pd_rd_i=4772661247&psc=1">10・8山﨑博昭プロジェクト編『かつて10・8羽田闘争があった: 山﨑博昭追悼50周年記念』〔記録資料篇〕合同フォレスト, 2018</a><br /></i><i><a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%A610%E3%83%BB8%E7%BE%BD%E7%94%B0%E9%97%98%E4%BA%89%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F-%E5%B1%B1%EF%A8%91%E5%8D%9A%E6%98%AD%E8%BF%BD%E6%82%BC50%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%80%94%E5%AF%84%E7%A8%BF%E7%AF%87%E3%80%95-108%E5%B1%B1%E3%80%93%E5%8D%9A%E6%98%AD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88/dp/4772660976">10・8山﨑博昭プロジェクト編『かつて10・8羽田闘争があった: 山﨑博昭追悼50周年記念』〔寄稿篇〕合同フォレスト, 2017</a></i></p><div>山本氏の論考によると,こちらの収集資料は国立歴史民俗博物館に寄贈されている。というわけで,このように東大闘争と羽田闘争に関するものについては,アーカイブズとその編集物が配布されて利用可能になっていることが分かる。ただし,東大闘争関係資料で配付されたアーカイブズはあくまでもコピーであって,原資料のコレクションがどうなっているのかについてはこの論考には書かれていなかった。</div><div><br /></div><div>今,全共闘運動を中心とした1960年代後半の学生運動に関する運動史アーカイブの状況について見てきたが,これらが成立した条件はいくつもありうるだろう。一つは,当時の運動の当事者が積極的に発言し現在でも歴史的社会的意味を問い続けていること,また日本の高等教育の牙城である東京大学での運動であり注目されつづけてきたこと,さらには,先ほどの小熊氏が文献を中心に書いた『1968』に対して,編集委員の一人小杉亮子氏がインタビューによって『東大闘争の語り: 社会運動の予示と戦略 』(新曜社 2018)を書いてさらに方法的に新しいものを提示するということがあった。小杉さんが社会学の雑誌の書評に一連の資料の扱いとインタビューなどの方法についてまとめている<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/shakaigakukenkyu/104/0/104_233/_pdf/-char/ja">論考「書評に応えて : 生活史聞き取りと予示的政治をめぐって」</a>(社会学研究 104, 2020)があるのでリンクしておく。</div><div><br /></div><div>筆者にとっても,原資料,その編集と資料集の出版,原資料のアーカイブズ,そして,資料集や原資料のメタデータのデータベース化などを考えるためにもさまざまな手がかりを与えてくれるものだった。この文章の前半との関係で言うと,図書館が政治的なものを避けようとすること,そして,政治的なアーカイブズでも資料集なりまとまったコレクションとして整理されることで,公的な機関としても受け入れやすくなることを示唆しているように思われる。</div><div><br /></div><div><br /></div></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div><br /></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-82251656139959093952023-11-15T09:01:00.002+09:002023-11-17T16:15:34.615+09:00国の学校図書館図書整備費はなぜ公立小中学校のみが対象なのか<p>Facebook上でSさんからのご質問があったのでお答えしました。 </p><h4 style="text-align: left;">Question:</h4><p>うちの学生からのシンプルな質問です。</p><p>文部省(当時)が平成5年に示した「学校図書館図書標準」は公立義務教育諸学校に対してのものだったのだということですが、本来「学校図書館」とは小中高までの図書館を指します。義務教育ではないにせよ、なぜ高校には「学校図書館図書標準」のようなものがないのでしょうか?今後示される予定もないのでしょうか?</p><p>シンプルですが、確かになぜ?と言われると答えられません。どなたかわかる方、教えてください!</p><h4 style="text-align: left;">Answer:</h4><p>これは,1993年に文部省が「学校図書館図書標準」を定めて「学校図書館の図書整備新5か年計画」を開始したときから,対象は公立の小中学校でした。なぜ高校が入らなかったのかについては,さらに遡って戦後の教育財政制度全体をみる必要があります。もともと,図書費は,義務教育費国庫負担法第3条に規定する教材費の規定と,学校図書館法13条の設備および図書が基準に達していないときに国が経費の2分の1補助するという規定に基づいて国が経費負担をすることになっていました。これがまもなく学校図書館法の規定の適用からはずれ,図書費は1958年から義務教育費国庫負担法のみの規定に基づいて国が補助することになりました。義務教育とあるように小中学校の経費を市町村ではなく国と都道府県が負担することを定めたものです。これに加えて,1985年から,義務教育費国庫負担制度から図書費を含む教材費が外され一般財源化しました。ここから地方交付税交付金のなかに含められ,図書費が交付税措置額どおりに使われていないという問題が生じています。1993年以降は学校図書館図書整備5か年計画によってさらに上乗せした額(現在第6次で単年度480億円)が地方交付税措置となっていますが,市町村のみが対象です。つまり国から市町村への財政措置に図書整備のためのものが含められているということです。</p><p>学校図書館法制定後最初の5年間は高校も対象だったはずですが,なにぶん予算が少額ですぐに打ち切られたのでほとんど効果はなかったと思われます。その後は,義務教育費国庫負担法に基づき市町村だけが対象の状態が,今に至るまで続いています。背景には,市町村の財政基盤が弱いので教育の均等化をはかるために,義務教育費を都道府県と国で負担することがありました。戦後のこういう問題を整理した<a href="https://doi.org/10.20651/jslis.68.2_112">論文(「戦後学校図書館政策のマクロ分析」)</a>を書いたことがあるのでよろしかったどうぞ。また,このあたりは,松本直樹さんの「学校図書館費の負担変更にともなう影響に関する研究」(日本教育情報学会27回年会論文集 106 - 109, 2011)にまとめて書いてあります。</p><p>これに限らず,図書館政策について,実践報告を運動論的な観点でまとめるだけでは歯が立たないことは明らかで,このような財政や政策決定についての研究が欠かせません。教育学には,教育哲学や教育史,教育心理学,教育社会学などに加えて,教育行政学や教育法という分野があり,専門の研究者がいます。</p>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-30042302417169534102023-11-02T21:40:00.016+09:002023-11-03T20:58:36.920+09:00板橋区立中央図書館と区政会議資料の公開<p></p><h3 style="text-align: left;">公園と図書館</h3><p>去る10月24日に横浜のパシフィコ横浜で開かれた図書館総合展でのARGのイベント<a href="https://www.libraryfair.jp/forum/2023/905?fbclid=IwAR3Y69SkHE06cjNcOQ0i2T-Lg1_AFHJrqnPA1axI4SlAxVQi1b3dhg21vac">「図書館×公園」でもっと考えたいこと</a>に出るために横浜に向かう途中に,池袋から東武東上線に乗って上板橋駅近くの板橋区立中央図書館に立ち寄った。ここが,最近できた,公園に面した図書館と聞いたからである。</p><p>駅から数分で公園に近づくとわあわあというたくさんの子どもたちの声が聞こえるのが新鮮だった。田舎暮らしの身では久しく体験できなかったものである。天気も上々で広い公園で遠足にでも来たのだろう,小学校中学年くらいの子どもたちが百人以上も元気に遊んでいた。近くの幼稚園か保育所の子どもたちも遊んでいる。(子どもを「元気に遊んでいる」と記述するのはステレオタイプかとも思うが,そのように表現せざるをえないような情景だった。)</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="text-align: left;">講演の一角に図書館が建っていた。これも今風の建築でなかなかスマートで気持ちがいい。公園から図書館にすぐ入れて,中に入ると1階は公園側に張り出していて,ガラス越しにすぐ前から芝生が見え自然に公園につながる。</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div></span></div><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both;">公園と図書館との組み合わせは確かにこういう部分で相性がいい。誰も拒まず何をやっていてもいい空間が連続的につながる。午後に対談したぎふメディアコスモスの吉成信夫氏が言う「図書館は屋根のある公園」という表現も自然に納得させられる。</div><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div></div><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjMte9n4TkuGFK2OYaiGcnfxkX_3X7Xe-kQRyfhadcRf3Mv2XDTagAQC8BCxh0ON22jZJq1yHFIa3Wmzpkc_nJaq73NjLMzVfeOdJqxNWcqWxsXppw8R8d02eExDzYg-MOa0vuuVuzdi5w4qKfrQ4X8Nppbrgkpck1T0XUsZ5JfT5fZnk9JeaE8k6LVw1M/s4032/IMG_1866.HEIC" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="3024" data-original-width="4032" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjMte9n4TkuGFK2OYaiGcnfxkX_3X7Xe-kQRyfhadcRf3Mv2XDTagAQC8BCxh0ON22jZJq1yHFIa3Wmzpkc_nJaq73NjLMzVfeOdJqxNWcqWxsXppw8R8d02eExDzYg-MOa0vuuVuzdi5w4qKfrQ4X8Nppbrgkpck1T0XUsZ5JfT5fZnk9JeaE8k6LVw1M/s320/IMG_1866.HEIC" width="320" /></a><p></p><p><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2BmEd-jIS1qNI52W7Vdc936LKqdBMDtyEFSDtPyZJQdNju8jn04uSaYQAOicinXQY-zNPC5Jx3XMlgv9RBHXiERdp22a2ysk4J8SG5aLp1_WWnpS1q8wB8HR7x1QEvGwR4hpgVIRu71YqGNOqlcy8lmGsiXcD_NaIaKXZAt5SBYSW8PiLykitguE34dg/s4032/IMG_1869.HEIC" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="3024" data-original-width="4032" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2BmEd-jIS1qNI52W7Vdc936LKqdBMDtyEFSDtPyZJQdNju8jn04uSaYQAOicinXQY-zNPC5Jx3XMlgv9RBHXiERdp22a2ysk4J8SG5aLp1_WWnpS1q8wB8HR7x1QEvGwR4hpgVIRu71YqGNOqlcy8lmGsiXcD_NaIaKXZAt5SBYSW8PiLykitguE34dg/s320/IMG_1869.HEIC" width="320" /></a></div><p style="text-align: left;">2階も同じような展望のよいガラス窓が続いていて,そこではけっこう仕事をしている人もいた。窓の外側にはテラス席もあり,こういう晴天の日は気持ちがいい。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj8L9R8q8yBlW8SNTAkjsySFknmc2KPRMLi5GQA4RdIlg6AMkZnWB5NikP_x1WHJhV_-A8XVCZnMUJX5xFWhVLH0X11bpnzXXuqB6sbtJY7KxC7FFWy-FIzuH3WwQkdvIHvXpc1Tb40V8kSkZ_LhcPzU1H1TEvUWe2e-Lqfsw4OYE5an3oP0JrGm-qU4Fw/s4032/IMG_1873.HEIC" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="3024" data-original-width="4032" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj8L9R8q8yBlW8SNTAkjsySFknmc2KPRMLi5GQA4RdIlg6AMkZnWB5NikP_x1WHJhV_-A8XVCZnMUJX5xFWhVLH0X11bpnzXXuqB6sbtJY7KxC7FFWy-FIzuH3WwQkdvIHvXpc1Tb40V8kSkZ_LhcPzU1H1TEvUWe2e-Lqfsw4OYE5an3oP0JrGm-qU4Fw/s320/IMG_1873.HEIC" width="320" /></a></div></div><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /><p>ただ,この図書館はメディアコスモスのようなワンフロアで広い空間が拡がるようなつくりではなくて,上に積み上がっている。1階には児童コーナーやおはなしの部屋以外に外国の絵本が揃っている「いたばしボローニャ絵本館」がある。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://www.city.itabashi.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/044/380/borounya.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="200" data-original-width="300" height="200" src="https://www.city.itabashi.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/044/380/borounya.jpg" width="300" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">ボローニャは子どもの本の見本市が開かれるところで,そこから寄贈されたということである。また,1階の公園に面するところにはカフェがあるのはお定まりの構えとも言えるが,妙に嵌まっている。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">2階と3階は大人向けの図書館スペースである。ここで目を引いたのは「インデックスコーナー」と天井からの吊りボードに書いてあるところである。図書館でインデックスと言えば「索引」のことだがと思って行ってもそれらしきものはない。そこのスタッフに聞いてみると,資料展示をしているところだと言う。どうもよく理解できないままに行ってみると,秋の食シーズンにちなんだ展示をしているということで,野菜や食品の見本品の展示があり,関連した本が置かれてあった。それにしても「インデックス」という言葉は何に由来するのだろうか。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgj5rm37kKA82ReC8GDL2jZMSdwT_Cmjhzr27kbepK3w805KdwL3G4jP4DmZlTmIvOC8Y0P87QIOMl3_t_IJnZcTN-yx32FFXeSV-uvFR1cufl7D7FQjKGOwywx5Vi2L-edpF6Wa9RZil13x0nuYz_0VrzV20dxVCblsZl5_7DW53KDiOcCZlqTaownxvU/s4032/IMG_1880.HEIC" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="4032" data-original-width="3024" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgj5rm37kKA82ReC8GDL2jZMSdwT_Cmjhzr27kbepK3w805KdwL3G4jP4DmZlTmIvOC8Y0P87QIOMl3_t_IJnZcTN-yx32FFXeSV-uvFR1cufl7D7FQjKGOwywx5Vi2L-edpF6Wa9RZil13x0nuYz_0VrzV20dxVCblsZl5_7DW53KDiOcCZlqTaownxvU/s320/IMG_1880.HEIC" width="240" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><h3 style="clear: both; text-align: left;">区政資料コーナー</h3>さて,3階だが,ここには地域行政資料のコーナーがあった。そこで,あまり見たことのない資料を見つけたのでここで報告しておきたい。それは,区政資料のところにあったもので,区役所の会議資料のリストと,会議資料の現物がファイルされたフォルダが並んでいる一画である。次の写真がそれである。<div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjYdCsWhfEUKzUUmsJJ0PlH7MYh5qy9g1FNSw9lth7SKKjf2yKG2P0V2dB8mrmSLYUh_CQe7V6bB9MKapZvSh44o0Htslo4J44CcTvbxOKhteb5UONX86X85jclTqYras4CxmCvr35GkZJXUIincR7m5ZDq9-oOWHwMwqP7CjOi523U1BVSCf8y1cLfoN8/s4032/IMG_1874.HEIC" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="4032" data-original-width="3024" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjYdCsWhfEUKzUUmsJJ0PlH7MYh5qy9g1FNSw9lth7SKKjf2yKG2P0V2dB8mrmSLYUh_CQe7V6bB9MKapZvSh44o0Htslo4J44CcTvbxOKhteb5UONX86X85jclTqYras4CxmCvr35GkZJXUIincR7m5ZDq9-oOWHwMwqP7CjOi523U1BVSCf8y1cLfoN8/s320/IMG_1874.HEIC" width="240" /></a></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgQnVDULywQZHyxXg7M6E84akPidV7OcBvZ0_bYt1d8Xd_8-M_z1BSfX2zoQTMHhO6eXP4TK3qyYGcQFqXM9IPP5vK5i3TFqLWDrJPEG80JQ-yJEahPL6zB-AfP9TfTN9Ix4TV1lGNwGB7Ubt30Ag3eHGn7Vit3DJxJlLySa7V3mJ9LTMRUhG8jk_5M53g/s4032/IMG_1875.HEIC" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="3024" data-original-width="4032" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgQnVDULywQZHyxXg7M6E84akPidV7OcBvZ0_bYt1d8Xd_8-M_z1BSfX2zoQTMHhO6eXP4TK3qyYGcQFqXM9IPP5vK5i3TFqLWDrJPEG80JQ-yJEahPL6zB-AfP9TfTN9Ix4TV1lGNwGB7Ubt30Ag3eHGn7Vit3DJxJlLySa7V3mJ9LTMRUhG8jk_5M53g/s320/IMG_1875.HEIC" width="320" /></a></div>写真の上の段の左側にあるフォルダには次のような会議リストがあった。これは一部で,全部で106の会議がリスト化されている。番号は会議リストの番号と対応している。そして,会議名,設置の法的根拠,主管課,問い合わせ先,年間開催予定回数(開催時期)の情報が書かれている。</div><div><br /></div><div>さらに下の段からずっと番号がついたファイルフォルダが並んでいる。フォルダには会議資料が綴じられているが,何もないものもあり,これは今年度の会議がまだ開催されていないものを指すらしい。フォルダのトップには,先ほどの会議毎に,資料名称,公表開始日,そして閲覧場所(区政資料室,図書館,主管課)というリストがある。閲覧場所は○がついているところで閲覧できるという意味らしい。</div><div><div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjJjmqNx4QiLxMTIDNRo9PN74YkMyiCNefxmaKE04EvNHz6ry7HScmOVChghiisQ0dy-6LLQyl3Wf3_yhYY6f0CvTipA2H_zfLAcPv5mv1v9fNwTkzOZAY7UoZq6djn-F8xICEj_gRWzl4s522Hqh7tKMnbIJzAUE9h6GS3E7w24BLfwuHMD3RrqS26OaU/s368/%E4%BB%A4%E5%92%8C4%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%9D%BF%E6%A9%8B%E5%8C%BA.jpg" style="clear: left; display: inline; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="262" data-original-width="368" height="228" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjJjmqNx4QiLxMTIDNRo9PN74YkMyiCNefxmaKE04EvNHz6ry7HScmOVChghiisQ0dy-6LLQyl3Wf3_yhYY6f0CvTipA2H_zfLAcPv5mv1v9fNwTkzOZAY7UoZq6djn-F8xICEj_gRWzl4s522Hqh7tKMnbIJzAUE9h6GS3E7w24BLfwuHMD3RrqS26OaU/s320/%E4%BB%A4%E5%92%8C4%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%9D%BF%E6%A9%8B%E5%8C%BA.jpg" width="320" /></a><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjbJpOSOdU9S66q5Zwhqe3BEarzj2y-jt1kJvC3RglmnR6yMvvht2IT0rxRBhohxNO1eJetgRIGx0xWXWUK4We1S0iKINyAvO7rSOTzW1ff8ldGki3IdQ9nkI9exG1DkZaosM66PEmCuDKxwiOlREnpT0yFkYLva1taBcLG6VqhplKYuDuqsS-yvnZ7GVg/s481/%E4%BB%A4%E5%92%8C4%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%9D%BF%E6%A9%8B%E5%8C%BA.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="481" data-original-width="381" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjbJpOSOdU9S66q5Zwhqe3BEarzj2y-jt1kJvC3RglmnR6yMvvht2IT0rxRBhohxNO1eJetgRIGx0xWXWUK4We1S0iKINyAvO7rSOTzW1ff8ldGki3IdQ9nkI9exG1DkZaosM66PEmCuDKxwiOlREnpT0yFkYLva1taBcLG6VqhplKYuDuqsS-yvnZ7GVg/s320/%E4%BB%A4%E5%92%8C4%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%9D%BF%E6%A9%8B%E5%8C%BA.jpg" width="253" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">公立図書館で,区役所の会議全体を把握し,その資料を収集しているという例を聞いたことがなかったので,さっそく,そこのレファレンスでどういう性格のものなのか尋ねてみた。いろいろと館内職員のあいだで確認していたが,結局のところは分からないということだった。要するにここは指定管理で運営しているのだが,(分担は不明だが)区の職員も運営に参加しており,この資料についてはその職員に聞かないと分からないということだった。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">後日,その職員から連絡があって話して分かったことは,この資料はかなり前からこのようなかたちで図書館で収集し,リストも図書館で作成しているということである。ただし,1年過ぎたら廃棄することになっており,保存資料にはなっていないらしい。こうした活動がどのような経緯で始まったのか,資料収集にあたってどのような連絡や広報をしているのか,作成部局は協力的なのか,保存は原部門でするのだろうが,なぜ図書館でしていないのか,公文書公開制度との関係などの疑問をぶつけたかったが,電話でのやりとりだったので,後日,調査することにした。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">ということで,横浜に行く前の回り道だったが,大いなる収穫があった。最近,関西を中心に行政資料や行政情報に対する関心が高まっているように見える。前のブログでも触れたカレントアウェアネス(No.357)の竹田芳則「<a href="https://current.ndl.go.jp/ca2049">自治体発行オンライン資料の収集:近年の公立図書館の取り組みを中心に</a>」の記事などである。オープンガバメントに向けての動きとして,図書館としてこういう実践もあるのだということをここに記録しておきたい。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><br /></div><p></p></div></div></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-58955617918011275422023-10-02T21:38:00.070+09:002024-02-23T22:15:43.566+09:00日野市立図書館市政図書室とは何か―現代公共図書館論を考えるための一里塚<p> 9月30日(土)に、東京渋谷の実践女子大学でJissen Librarianshipの会 <a href="https://www.jissen.ac.jp/.../year2023/20230807_01.html">特別シンポジウム 「公共図書館の地域資料サービス:日野市立図書館の実践から考える」</a>が開かれた。これに、元小平市立図書館長蛭田廣一氏、前日野市立図書館長清水ゆかり氏とともに登壇して、私は「日野市立図書館市政図書室の21世紀的意義」と題するお話しをさせていただいた。お二人とも、三多摩地域資料研究会を通じて四半世紀になるお付き合いで、さまざまな刺激を受けて私はこの分野の重要性を問い続けてきた。2018年3月には「図書館はオープンガバメントに貢献できるか」の公開シンポジウムを開き、<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2018/04/1.html">その報告</a>をブログ上で行っている。</p><p>蛭田さんは地域資料関係の本の執筆や講演を続けているこの分野のエクスパートで、地域資料サービスの全体像と小平市立図書館がいろいろと革新的な地域資料サービスを実施してきたことについてのお話しがあった。その本については、ブログの<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2021/12/blog-post_23.html">次のところ</a>を参照していただきたい。清水さんはこれから話題にする市政図書室で20年間勤務した方だが、お話しは日野市立図書館の歴史と中央図書館や市政図書室他の図書館の地域資料サービス全般だった。そういう展開になることは予想できたので、私は市政図書室に絞った話しをすることに決めていた。ここでも、お二人のお話しから示唆を受けたことも含めて、市政図書室の意義について書いてみたい。</p><h3 style="text-align: left;">設置の経緯と理念</h3><p>まず、市政図書室は日野市役所が1977年に移転し建設されたときに、市役所の一角に位置づけられたものである。清水さんのお話しだと、最初は普通の分館をつくりたかったが、スペースとして140平米しか割り当てられなかったので、機能を限定した図書室としたということである。場所は下の写真で黄色の円で示しているところで、市役所の建物の1階の端にあって、市役所と入り口は別である。利用者は地域資料や行政資料を利用しに来る市民、職員、議員以外に予約した資料を取りに来る人や新聞や雑誌を見に来る人も多いということである。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhi_H1G0K8769PSSiuQkzbjI7qhTszBvyYwmILLremHhWc-FRzKF5kIMAy_AYnjk38KS1UfIobFL4iFpe1aw393xyrnAEINuf32NpS0wuxaqLgU8GzRr3L-nUuJqJg-0L7bW8t9u_5-AiIFiuNYFPMsYKERQAeKeX2L8R0RVsYE5g1gnHFd5dYjfFWsS5I" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="508" data-original-width="810" height="201" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhi_H1G0K8769PSSiuQkzbjI7qhTszBvyYwmILLremHhWc-FRzKF5kIMAy_AYnjk38KS1UfIobFL4iFpe1aw393xyrnAEINuf32NpS0wuxaqLgU8GzRr3L-nUuJqJg-0L7bW8t9u_5-AiIFiuNYFPMsYKERQAeKeX2L8R0RVsYE5g1gnHFd5dYjfFWsS5I" width="320" /></a></div><br />この図書館の写真は<a href="https://www.lib.city.hino.lg.jp/sisetu/sisei.html">同館のHP</a>にある。次はSDGsの案内コーナーである。<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://www.lib.city.hino.lg.jp/news/img/2021sdgs.JPG" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="480" height="320" src="https://www.lib.city.hino.lg.jp/news/img/2021sdgs.JPG" width="240" /></a></div><br /><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p>この図書室の開設の理念として、これまで、市民、行政、議員三者の情報共有体制をつくることによって、「資料提供」の論理の自治体行政への貫徹ということが言われてきた。後に述べる、第二代目館長の砂川雄一はそのことを明確に述べている。そのことの妥当性とそれがなぜ他の図書館に波及しなかったのかという問題を取り上げることにしたい。この図書館は市役所の一角に拠点を構え、資料として日野市、近隣自治体、東京都、国の資料を階層的に集約することと、とくに市政にかかわる専門資料をしっかり集めることによって、それら三者のための「専門図書館」足り得ることができた。専門図書館はサービス対象を明確に設定することで成立する。ここは、とくに市政に関する専門雑誌のコンテンツシートサービス(「市政調査月報」、これは2018年に終了)、新聞切り抜き速報を市役所内の各課に配布、そしてそのための専門職員体制(正規職員司書3名配置 )を確保した。それは現在でも続いているということである。現在は正規職員3名+嘱託職員1名分(週20時間雇用*2名)の体制で運用している。</p><h3 style="text-align: left;">地域資料についてのおさらい</h3><p>さて、地域資料提供の考え方としては、1950年の図書館法3条に、「図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い」「郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード及びフィルムの収集にも十分留意して、図書、記録、視聴覚教育の資料その他必要な資料を収集し、一般公衆の利用に供すること。」が挙げられているのが根拠になる。ここに「郷土資料」という用語が使われているが今なら「地域資料」と呼ぶべきだろう。レコードとかフィルムというような旧メディアしか書かれておらず、図書館法はずっと放っておかれていることがわかる。</p><p>また、「地方行政資料」や「記録」が挙げられている。つまり、図書館は地域性を重視して地域の資料を集めて提供するのだが、そこには行政資料や記録(文書)も含まれるということである。文書記録について言えば、今でこそ、公文書管理や情報公開、公文書館設置の条例などもつくられているが、もともと地域に関わる情報を扱う公的機関は図書館しかなかったから、図書館にそうした資料が集められている場合が少なくない。山口県立図書館には、戦前から山口県庁の行政文書や県庁県史編纂所が収集した古文書などが所蔵されていた。1952年に旧長州藩主毛利家から約5万点の藩政文書(毛利家文書)が山口県へ寄託されることとなり、県立図書館で保管されることとなったことをきっかけとして、1959年に図書館にあった文書記録類を分離して山口県文書館とした。これが日本で最初の近代的文書館である。だから、文書や記録類は本来、公文書館を設置してそこで管理すべきなのだが、一般的に基礎自治体で公文書館があるところは限られているから、図書館は周年史で集めた資料の受け皿になっているところがある。蛭田さんに小平の図書館のなかで公文書館的機能を含めて条例制定がなされたという話しを聞いたので最後に触れたい。</p><p>さて市政図書室だが、まさに郷土資料・地方行政資料のための図書室としてつくられたものである。それが1970年代後半の現代公共図書館サービスが形成される黎明期につくられたこと、それも、そのサービス体制の原点にある日野市立図書館につくられたことの意義はきわめて重い。公共図書館関係者はそのことについて見てみぬふりをしてきたと思われる。それは、図書館サービスは『市民の図書館』<span style="font-size: x-small;">(1970)</span>が設定した貸出サービスによる資料提供というテーゼに縛られて現在に至っているからである。以下、この論考はそのことについて、検討したい。</p><h3 style="text-align: left;">日野市立図書館の歴史的位置づけ</h3><div>1963年に、日本図書館協会は『中小都市における公共図書館の運営』<span style="font-size: x-small;">(通称「中小レポート」)</span>を刊行する。これが現代的な「資料提供論」の始まりである。これを仕掛けたのは当時の有山崧事務局長であり、その前年に石川県七尾市の図書館員だった前川恒雄を日図協事務局に引き抜き中小レポートのための研究会の事務局を任せた。有山は日野市の旧家の生まれで、戦時中は文部省の嘱託職員で中央図書館制度のお膳立てをした人であるが、戦後は文部省から離れて、逆に地方自治を支える地方図書館の重要性を説く。前川は旧制第四高等学校を卒業し金沢大学工学部を卒業した後に市の職員となった人である。調査対象は地方の「中小都市」で、人口5万人くらいの市立図書館の調査から始まった。中小レポート策定の事実経過については<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B0%8F%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%85%AC%E5%85%B1%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E3%81%AE%E9%81%8B%E5%96%B6">Wikipediaに概要</a>が示されている。そこに示された中小レポートから市民の図書館への流れはオーソドックスな史観によるものである。中小レポートに示された「資料提供」という考え方はそれ以前の資料保存や勉強部屋、あるいは「文化機関」というような捉え方を批判することで成立した。</div><div><br /></div><div>中小レポートが発表された翌々年に有山は日野市の市長選挙に自民党推薦の候補として立ち当選した。もともと地元の素封家の生まれであり保守系の地盤から市長になったわけだが、すぐに図書館の設置条例をつくり前川を初代図書館長に据える。つまり、日野市を中小レポートで示された図書館振興策のモデルケースとするという考え方がここにあった。日野市の図書館がBMのひまわり号で団地や学校、幼稚園、公民館などを周り利用者に直接本を届けることからサービスを始め、そうしたサービス拠点ができたところに分館をつくっていったことは伝説的に語られている。ここで重視されたのが資料貸出であり、また子どもに読み聞かせや紙芝居、ストーリーテリングをするような児童サービスである。</div><div><br /></div><div>そして中小レポートで抽象的に定義された資料提供は、貸出と児童サービスを中心に展開されるという見解が示されたのが、1970年に日図協から刊行された『市民の図書館』という小さな本である。これは前川が大部分を書いたことが分かっている。つまり、これは日野市の初期の図書館サービス実践を基にしたものであった。日野市の図書館サービスは資料貸出の全域サービス網をつくることを目標にしていたが、1973年に中央図書館が開館する。そこでは1階が資料貸出に対応した開架スペースと児童のスペースがあり、2階はレファレンスサービスと地域資料対応の市民資料室が置かれた。ここまでは前川が館長を務めていたわけだから、2階の部分も含めることで資料提供の理念が実現できることだったはずである。</div><div><br /></div><div>だが、「市民の図書館」で示された貸出、児童サービス、そして全域サービスの考え方が、その後の全国的な図書館サービス展開のなかで基本的な方針とされることになった。なぜそうだったのかについてはいろいろと検討しなければならなかったことがある。1970年代から90年代にかけて地方財政にゆとりがあり、自治体は競って文化会館、ホール、スポーツ施設、図書館、博物館などをつくった。これらは一括してハコモノ行政の対象と考えられた。地方自治法で規定された「公の施設」で、21世紀になると指定管理制度の導入対象となる。これらのなかでも、確かにハコだけのものと図書館や博物館のようにコンテンツをもちそれを管理しなければならないものとの違いがあることは明らかだが、そのあたりの区別は余り明確ではなかった。学校教育法で教員配置等が厳密に規定されている学校と、基本的に任意行政である社会教育施設との違いもあった。ともかく図書館がどんどんつくられる過程で、「市民の図書館」の考え方でいく限りはハコの管理扱いでもよいという考え方が一般的になっていった。</div><div><br /></div><div>日野では司書系の正規職員が多数働いていて「市民の図書館」が成立するという考え方だったが、それが普及するときに職員問題は曖昧にされた。ただし、児童サービスに関しては日図協、東京子ども図書館、児童図書館研究会などの全国的な組織があって研修が行われていたから、その専門性は一定程度は担保されていたと言える。もうひとつ職員問題を考えるときには1980年代から90年代の普及期が同時に図書館システムの導入期であったことを指摘しておかなければならない。それ以前に図書館員の専門性の柱は目録や分類のスキルということになっていた。印刷カードはあったといっても、個々に資料登録と資料整理をする事を前提に図書館業務は成り立っていたが、図書館システムとMARCの導入以降はそれは徐々に軽減され、現在は全国的に流通している資料を端末で発注すれば、自館システムに登録されてOPACも含めて資料管理ができるようになっている。これは、これから述べる地域資料が疎んじられる理由ともなる。つまり、独自に資料収集をして目録や分類をしなければならない地域資料は、そうした全国的に流通したものをシステム化するタイプの資料管理になじまず、面倒だと感じられるわけである。これは地域資料を考える際の重要なポイントである。</div><div><br /></div><div>以上のことから分かるように、『市民の図書館』が打ち出した貸出を中心とする図書館サービスは住民からの支持も強く、利用も多い。できるだけ人件費を削って効率的な施設管理を目指す公共経営論的な方針にも合っていたから、どんどん拡がっていった。それは窓口業務も図書館専門職の仕事という『市民の図書館』の考え方とは相容れないものだったが、状況に押し流されていく。地域資料のようなサービスは軽視されていった。</div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">地域資料とは何を指すのか</h3><div style="text-align: left;">市役所の一角にある市民と職員と議員のための専門図書館的な図書室が市政図書室である。ここは日野市および周辺自治体、東京都、国の資料と市政に関する専門図書、雑誌を集め公開している。ここで行政資料と一般的に呼ばれているものが何なのかについて考えてみよう。参考になるのが<a href="https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/zenkoutou/report/2016/index.html">2016年に全国公共図書館協議会が行った地域資料に関する調査</a>である。これは私が主査になって行った全国調査でかなり細かい調査票を用意して回答していただき分析をおこなった。ちょうどオープンデータが話題になった時期だったので、事務局の都立中央図書館の方には無理をいって集めたデータを再度使えるようにオープン化もしていただいた。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">そのなかで収集する資料の範囲については、<a href="https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/pdf/zenkouto/pdf/2016chap02.pdf">第2章</a>でまとめている。地域資料は把握が困難でグレイなものが多いと言われるが、一般的な図書館資料(図書、雑誌、視聴覚資料)のカテゴリーに入らない形態のもの(ポスター、絵葉書、マイクロ資料、電子資料)については市町村立図書館では収集対象としていないというところが多い(図2.2, 図2.4)。それはご確認いただくことにして、とくに次のグラフに注目しているので抜き出しておく。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhLwLwpn9YehIDdWKEZt-Mo1wXTblmNhYqa2hKZ5VAtSbZ9PI01MF8q8y_dPgfX3EP7lwGmbgCous0xFpt97dEXihWp5EQAeQGz2yW2_1Qqj6PMYUn9yvCLXa_ka6c_abrmnagd3XO5Bw8Upf7Qtxn5j0VGGmovqN6sTBnndKwjFICgbBrUkn5yJiIVUmk" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="924" data-original-width="1308" height="283" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhLwLwpn9YehIDdWKEZt-Mo1wXTblmNhYqa2hKZ5VAtSbZ9PI01MF8q8y_dPgfX3EP7lwGmbgCous0xFpt97dEXihWp5EQAeQGz2yW2_1Qqj6PMYUn9yvCLXa_ka6c_abrmnagd3XO5Bw8Upf7Qtxn5j0VGGmovqN6sTBnndKwjFICgbBrUkn5yJiIVUmk=w400-h283" width="400" /></a></div><br /><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">これは「現物資料」とされるもので、古文書・古記録から始まってどちらかというと文書館・公文書館や博物館・美術館が扱うような資料群である。「収集対象としていない」というところやせいぜい「寄贈による収集を中心としている」ところが多いが、このタイプのものでも積極的に収集しているとか、基本的なものを収集しているという回答も少なくない。最後に「行政文書」というカテゴリーがあって、これは他のものよりも収集対象としている図書館が多いことが分かる。ただし、これが何を意味するものとして理解されたかはわからないところもある。つまり、公文書扱いのものなのか、印刷されて配布される行政資料扱いのものなのかという点である。おそらくは両方が含められているのだろうが、少なくとも公文書扱いのものについて「積極的な収集対象としている」ところがこんなにあるはずはないと思われる。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgSh0wGKdz1vvXUj8YjWurxpUQrnAa_LVdndvd_tmliSjE5xpCachVynBp1JAg8uL-Ypv-ilpvUHrC91eR2UkfUulGho9jvv8YnkewrpIIkuXHlMJvJcJH8Czu4VRxuJAUEoVp_6Uuw8uXwU_zRFBC72Ehc_iQGyeaU03GFwcUI09HdXcITvs3q3uq4Llg" style="clear: left; display: inline; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img alt="" data-original-height="964" data-original-width="1310" height="294" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgSh0wGKdz1vvXUj8YjWurxpUQrnAa_LVdndvd_tmliSjE5xpCachVynBp1JAg8uL-Ypv-ilpvUHrC91eR2UkfUulGho9jvv8YnkewrpIIkuXHlMJvJcJH8Czu4VRxuJAUEoVp_6Uuw8uXwU_zRFBC72Ehc_iQGyeaU03GFwcUI09HdXcITvs3q3uq4Llg=w400-h294" width="400" /></a></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div>これは具体的に自らの自治体発行資料の収集状況を示したものである。これをみると、自治体史や広報紙・誌、例規集、行政の事務概要、年報、統計書、計画書、議会議事録、調査報告書などは収集されている。それに対して、公報(国の官報に対応するもの)、議案書、予算書・決算書、監査資料などの資料は収集対象としていないとするところも多い。こうしたものは逐次刊行物として発行されるものなので、一回収集対象にすれば毎年(あるいは毎回)収集し、蓄積されることで経年的な市政の状況が把握できることになる。</div><div><br /></div><div>市政図書室は日野市のものについてはこれらを基本的にすべて集めているだけでなく、周辺自治体、都、国のものもその必要性に応じて収集している。聴衆からの質問のなかに学校資料をどのように集めるかというものがあったのだが、清水さんに伺ったところによると、学校資料について、毎年、春の最初の校長会の場で市政図書室から職員が行って基本的な学校要覧、PTA会報、周年史などを集めるための協力要請を行い、年度末に入ってこないものについては依頼をしているとのことで、こうして市立学校の資料を集めている。*そのようにすることで、網羅的な資料収集が可能になるということだ。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;">*近年学校の統廃合が増えて学校資料の収集保存が歴史家のあいだで話題になることが多くなっている。地方史研究協議会『学校資料の未来』(岩田書院, 2019)を読むと、歴史家が問題にする学校資料は、教育計画、児童名簿、学習指導案、時間割、学校日誌といったものであって、図書館が集めるものはそうした文書や記録とは異なった印刷配布レベルのものである。</span></div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">専門図書館としての市政図書室</h3><div>前にも紹介したことがあるのだが、2017年に日野市の職員を対象にした質問紙調査を行った。これは今回実施された実践女子大学が日野市にもキャンパスがあって日野市役所と密接な連携があるということから、そのルートで特別に調査をさせていただいたものである。繋いで下さった方には御礼申し上げたい。</div><div><br /></div><div>興味深い結果が選られているので一部を披露する。まず、質問紙は総務部企画経営課を通じて配布し,市のすべての部門の係を単位として原則的に課長、課長補佐、係長、係員1名に対して行った。配布数381通で回収数282通で回収率は74.0%だった。</div><div><br /></div><div>まず職員が他の自治体や国の行政情報を入手したいときに最初にどうするのかという質問である。次のグラフで明らかなように「インターネットでの利用」が圧倒的に多く、次いで「直接問い合わせる」が多い。このあたりはだいたい予想どおりということになる。あとは「庁内LAN」が続く。部署に備え付けられてものや、市政図書室の利用や私的なものの利用は限られることがわかる。やはりアクセスしやすいものに頼ることになるが、市政図書室の利用も全体としてみれば半数の職員は利用していることが分かる。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEiillpQ3D3_aUMoE13gMEz7yPFT1WSZKvVqyvM6RrTJ92muQXhuRpTkWVThzmoPV2nt5DlrOBpD1HcT7-gWpBWNH8_1kSr-xpbo8BTYDU88jDIvH84aG-yw-x_zaG9ACEag2Gxidx4kKyHgx9XDNdYNQW5umwboYL39uGdDcJ4qG90RHheGU4Wr2clSn48" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="666" data-original-width="1054" height="253" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEiillpQ3D3_aUMoE13gMEz7yPFT1WSZKvVqyvM6RrTJ92muQXhuRpTkWVThzmoPV2nt5DlrOBpD1HcT7-gWpBWNH8_1kSr-xpbo8BTYDU88jDIvH84aG-yw-x_zaG9ACEag2Gxidx4kKyHgx9XDNdYNQW5umwboYL39uGdDcJ4qG90RHheGU4Wr2clSn48=w400-h253" width="400" /></a></div><br /><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div>次に市政図書室の利用状況を職位別に見たものである。係員だと「行かない」人が半数近くになるのに対して、係長、課長と職位が上がるとそれが減って利用者が増えていくことが分かる。これは二通りの解釈が可能だろう。一つは年齢が上の課長より若い人ほどネット情報を使うのに慣れていてそちらを使うというという事である。もう一つは、わざわざ市政図書室を利用するのはそれなりに判断を要する場面の多い多い職位が上の人だからというものである。おそらくは両方の要因が絡んでこのような結果になっているものと思われる。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEiF6trbnIA0gk4eM5J3xTMLhG4yNlsaj5kROL0PVgSM4gG1D-XNQFolZncAf7Zoz_NQ-xcrHXMeef2j5obrkOylr78mk4jLy6UfTEPpArpeDq100WeuyL5RiUXyg7lPbfjQmJf3SmTIUvlXElcbxSUlBkhV4MIjGBEY95-sb7Vi9aR1FWxCE3OTitkghJo" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="654" data-original-width="1086" height="241" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEiF6trbnIA0gk4eM5J3xTMLhG4yNlsaj5kROL0PVgSM4gG1D-XNQFolZncAf7Zoz_NQ-xcrHXMeef2j5obrkOylr78mk4jLy6UfTEPpArpeDq100WeuyL5RiUXyg7lPbfjQmJf3SmTIUvlXElcbxSUlBkhV4MIjGBEY95-sb7Vi9aR1FWxCE3OTitkghJo=w400-h241" width="400" /></a></div><br /><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div>市政図書室が作成している新聞記事のクリッピングサービスである「新聞記事速報」の利用状況を職位別に見たものである。これだと係員も含めて大多数の人が利用していることが、職位が上がるほど利用する割合が上がることも分かる。やはり各課へのデリバリーをしているから読まれるのだろう。</div><div><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgUnByrGWAdCXwi6Fvjq35Uia-Sm5WhXbWEiN2hGASPF9nqgkL6LnXVUQ2nI-iOq87ZE1qmLZF-moRhPOGYLFTZl5xI1Z8RraLdSMAbN7b_p3zS3cPJCAFrcQfBICDClqCle26_GtEwJK4YWHwgxk44qkZR1y1VYEuJmzN5ojXkf03Qvwm4Cltk3T0iKVQ" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="588" data-original-width="1272" height="185" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgUnByrGWAdCXwi6Fvjq35Uia-Sm5WhXbWEiN2hGASPF9nqgkL6LnXVUQ2nI-iOq87ZE1qmLZF-moRhPOGYLFTZl5xI1Z8RraLdSMAbN7b_p3zS3cPJCAFrcQfBICDClqCle26_GtEwJK4YWHwgxk44qkZR1y1VYEuJmzN5ojXkf03Qvwm4Cltk3T0iKVQ=w400-h185" width="400" /></a></div><br /><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div>以上のことから、市政図書室は市の職員によってよく利用されていることが分かる。ここが専門図書館的なサービスを提供する特別なところだということは以上のことから言えるだろう。図書館の側から市政にかかわる情報を各課に積極的に提供することによって、各課もまた図書室に資料を提供するという相互関係が生まれるわけである。一般の図書館の地域資料や行政資料サービスはその辺りの相互関係が必ずしもないから、図書館法に基づく任意行政の範囲だと職員が直接利用することはあまりない。そのために,行政資料も集まってこないということになる。</div><div><br /></div><div>しばらく前に課題解決サービスの一環で<span style="background-color: white;">行政</span>支援サービスが話題になったことがあるが、一部の自治体を除いてうまくいっていないのはそのことと関わる。図書館サービスの恩恵はこのように踏み込んで行くことによって可能になる。だが、踏み込むサービスということで言えば、日野市がもともと始めたBMによるサービスも、固定した施設に来てもらうのではなく、図書館の側が住民の生活の場に出ていってサービスを行うものだった。その意味では市政図書室もまた、同じ資料提供の論理を追求したものだと言えるだろう。</div><h3 style="text-align: left;"><br /></h3><h3 style="text-align: left;">市政図書室のできるまでの図書館界の議論</h3><div>前後するが、このような図書室がどのような経緯でできたのかについて図書館関係者がどのように考えていたのかを検討する。ある種の偶然に生じたようでもあるが、中小レポート以来の発展過程で生まれた必然であったという見方も可能かもしれない。しかしながら、図書館政策においてその意味を見通した人は少なかった。後でその数少ない一人、日野市立図書館二代目館長砂川雄一に語ってもらう。</div><div><br /></div><div>しかしながら、それを述べる前に中小レポート以来の発展過程についてもう少し補足する必要がある。それは、中小レポートが出た歳と同じ1963年から、郷土の資料委員会が日図協の臨時委員会としてつくられ研究活動を行ったことの意義である。これが、地方都市の公立図書館が置かれた状況を基に新しい方向を探るという意味では中小レポートとルーツを共有しながら、向かう方向は一見して逆方向を向いているものと受け止められたことは不幸だったかもしれない。一般に、郷土資料は古文書や古い刊本など歴史的な資料を扱うことを中心にしていると考えられており、中小レポートには、そうした資料の保存や資料解読のようなことをしているから発展はないので、資料は住民のニーズに基づき提供されるべきだという明確なメッセージがあった。別に郷土資料の扱いを否定しているわけではないが、新しい運営方針を意識した図書館員は郷土資料の扱いには批判的だった。*</div><div><span style="font-size: xx-small;">*そのことを示すのは野田の興風図書館館長佐藤真がその批判に応えて書いた「舌なめずりする図書館員」という文章である。<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/07/blog-post.html">2023年7月14日のブログ</a>を参照。</span></div><div><br /></div><div>ところが実はこの委員会があえて「郷土の資料」としたのは郷土資料に対して新しい考え方を打ち出したからである。そもそも最初の提案者長野県立図書館長叶沢清介は「郷土の資料」にはいわゆる「郷土史料」に加えて「地方行政史料、農工水産関係等今日的な資料収集を重視する」と述べていた。そして、実際に1965年の研究集会は富山市で地方行政資料をテーマに議論された。この集会をどう評価するかはきわめて重要なポイントとなる。これについて私は若い頃に「戦後公共図書館と地域資料:その歴史的素描」という文章を書いたので図書館で参照されたい。今回書いているものはその意味ではこの文章の続篇という性格もある。<span style="font-size: xx-small;">(日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会編『情報公開制度と図書館の自由』日本図書館協会刊, 1987, p.62-93)</span></div><div><br /></div><div>詳細は省略するが、その前の集会は近世文書の扱いを中心にしていたのに対して、富山では叶沢が挙げた地方行政資料や農工水産関係資料を含めた現代的な資料を図書館がどのように扱うかがテーマだった。そして、議論は行政資料の扱いや行政文書をどうするか、さらには当時富山では神通川流域のイタイイタイ病の患者の存在が大きな社会問題になっていたが、こうしたものも産業資料として扱うべきかということも含めて議論は大きな拡がりをもっていた。そしてそこに集まった図書館員は熱い議論を取り交わした。</div><div><br /></div><div>しかしながら、郷土の資料委員会は1967年に終了してしまう。それがどのような理由によるのかについては今後の解明に待ちたいが、察するところ、1960年代後半の政治的な主張が声高にされる時代にあって、図書館界のリーダーたちは、政治的な問題に直面しかねない「郷土の資料」を検討し続けるよりも、もっと現実的で効果的な「資料提供論」を選択したのであろう。その際に、彼らの目に日野市立図書館のBMから始めた活動が好ましく映り、これを1970年代以降の基本的な方針に据えたと考えることができる。</div><h3 style="text-align: left;"><br /></h3><h3 style="text-align: left;">砂川雄一メモについて</h3><div style="text-align: left;"><span style="font-weight: 400;"><span style="font-weight: normal;">砂川雄一は「図書館に関する覚え書き」</span><span>(『図書館研究三多摩』第6号 2012, p.65-81</span></span><span style="font-weight: normal;"><span>)</span>という文章のなかで、市政図書室ができた経緯とこのサービスが広がらない理由について述べている。できた経緯については、清水さんの報告どおり図書館側から希望を出したものということである。彼はこのメモの最初に自ら「市民の図書館」=派であると言っている。つまり自らの活動は「市民の図書館」の延長上にあると宣言している。</span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;"><br /></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-weight: normal;">市役所の引っ越しにあたり資料の廃棄が予想されるので、新庁舎に移さない文書類はすべて図書館が廃棄のためのチェックを行うことと、部課に分散してあった例規類等は図書室に集中することを交渉して可能にした。また</span>砂川が国立大学図書館にいた人であることが重要で、それまでの公共図書館で行われていたものと異なったものをいくつか仕掛けている。もともと大学図書館で科学技術系の雑誌のコンテンツシートサービスをやっていたがこれを「市政調査月報」として市政図書館ができる前から実施していた。また、新聞記事のクリッピングを編集した「新聞記事速報」は市政図書室になって実施した。網羅的でしっかりしたコレクションをつくり、それを利用者に提供する際のツールを工夫するというところには、貸出を通じての資料提供に加えて次の段階の資料提供の考え方が最初から含まれていたということである。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">砂川メモで重要なのは、市政図書室のサービスが他の図書館で拡がらない理由について、5点挙げているところである。第一に、こうした住民と職員と議員が同じ資料をもとに議論するための基盤をつくるという市政図書室の考え方に対して、<span style="font-weight: normal;">図書館側が確固とした信念をもてるかという点である。第二に、このサービスは</span>図書館専門職員が図書館サービスとして行うことの重要性を述べている。類似の総務課や広報課にある行政資料室ではだめだということである。第三に、このサービスは為政者や権力者に都合の悪い資料も提供するからその意味での「政治的中立性」が保てるのかという点である。第四に、サービスは議員にも行うわけだが党派を問わずサービスすることが重要だということである。これも政治的中立性の一つであるだろう。第五に、利用者の秘密を守ることを挙げている。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">1979年に「図書館の自由の宣言」の改訂があって、図書館にさまざまな政治的行政的な圧力がありうるときに、それにどのように対処するのかを議論した。そしてその延長で「図書館員の倫理綱領」(1980)も出されている。そうした過程を経てきた今から見ると当然のようにも思えるが、先の富山での議論にも現れていたように政治の季節を過ぎたばかりのときにここに挙げたような問題に明確に対応できる考え方がないとこうしたサービスは実施できないというのである。彼は「いろいろな条件と図書館側に確固とした信念、覚悟がないと出来ないのは間違いの無いことである。」<span style="font-size: x-small;">(p74)</span>と結んでいる。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">これはそんなことは不可能だという反語であるが、ではなぜ日野では可能だったのだろうか。地元の素封家の出で文部省から日本図書館協会事務局長を務め、市長選に出て市長になった有山と、地方の図書館から出発したが類い稀な構想力とリーダーシップで新しい図書館のビジョンを開拓した前川のコンビが(市役所のトップに)いたからこそ、砂川は自らの実務能力を発揮することができたのだろうか。メモではその点については言及を避けている。今後、有山と前川の著作集を読み込み関係者に聞き取りをすることで戦後日本の図書館思想の中核部分に迫ってみたい。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><h3 style="text-align: left;">日野市立図書館の発展をどのように評価するか</h3><div>このシンポジウムでは、「『市民の図書館』の改訂版がなぜ1970年代後半に書かれなかったのか」という問いを掲げておいた。私は『市民の図書館』の考え方が日本の図書館の繁栄をもたらした反面、貸出を中心とするサービスの画一化をもたらしたと考える。とくに公共経営論に切り替わった1990年代以降は、貸出数を経営指標とする状況をもたらし、それは、一方で作家や出版社による図書館の貸出への批判をもたらし、他方では窓口業務は誰でもできるということで非正規職員への切り替えが進んだと考える。何事にも功罪があるから、図書館の数が増え広場としての図書館や交流の場としての図書館として使われていればそれはそれでいいのではないかという見方もありうる。しかし、モデルになった日野市立図書館の現状を考えると、『市民の図書館』も状況に合わせて進化すべきではなかったとも思うのである。</div><div><br /></div><div>日野市立図書館の発展をみれば、1960年代までのBM・分館時代と1970年代以降のプラス中央館・市政図書室時代に分けられる。『市民の図書館』は1970年に刊行され、基本的にBM・分館時代をモデル化したものだ。1976年に増補版がでているが、貸出を中心としたサービスが発展しており、地域文庫や住民参加の図書館づくりの動きも活発であり、あとは「障害者等へのサービス」という展開があることを述べている。すでにできていた中央図書館のことを入れた記述に改訂できたはずなのに、触れられておらず貸出を中心としたサービスをどのように展開するのかについて述べている。清水さんのお話しの最初に、分館であっても積極的な郷土資料サービスを行っていることが出てくる。なぜこの本は、中央図書館の役割や、レファレンスサービス、郷土資料や行政資料サービスなど日野が1970年代に展開したサービスのことを含めた改訂をしなかったのか。</div><div><br /></div><div>これについては増補版の「はじめに」に明確に次のように述べている。「「市民の図書館」はこのままでまだ果たさなければならない使命があり」「公共図書館振興の新しいプロジェクトに取り組まなければならない。」これは、日野から始まった貸出と児童サービスを中心としたサービス方針は十分に手応えがあるので、このままこれを全国展開することが重要だとしたことを意味する。この部分を書いているのはこの当時の日図協事務局長叶沢清介である。あの郷土の資料の委員会を立ち上げた人が10年以上ののちにかなりの方針転換を示しているところは興味深い。この委員会が1960年代に終焉を遂げた理由とも関わっているのだろう。</div><div><br /></div><div>ここまで砂川を中心に描き、初代館長前川恒雄についてはあまり触れなかった。市民の図書館の問題を解く鍵として、前川が地方出身者であったのに、日野の貸出モデルを推進できた理由としてイギリスへの視察があったことが言われる。中小レポートや郷土の資料委員会は基本的に地方の図書館を中心に振興策を検討していたが、前川は当時の図書館先進国イギリスの公立図書館が日常的にどのようなサービスをしているのかを見て、貸出サービスの重要性に気づいた。そのことは彼の『われらの図書館』<span>(筑摩書房, 1987)</span>の最初に出てくる。だが、彼はイギリスの図書館でもレファレンスサービスも郷土資料もサービス体制にしっかりと組み込まれていたことについてすぐには言及しなかった。しばらく貸出でいくことにして、それが現代公共図書館論の基本的テーゼとなった。先ほどの『われらの図書館』にはレファレンスも市政図書室もでてくるのだが、彼の本で一番読まれたのは同じ出版社から出た『移動図書館ひまわり号』<span>(1988)</span>である。一度敷かれたレールが頑健で容易に変更が効かないことを示している。</div><h3 style="text-align: left;"><br /></h3><h3 style="text-align: left;">終わりに</h3><div>あと4点のことを指摘しておきたい。一つは、日野に図書館が設置された1960年代中頃は日野は東京西部の中小都市(1963年市制施行)にすぎなかったから、中小レポートの考え方を実践するのには適切な場だと考えられても無理はない。しかしながら、1960年に人口4万人だった日野市は1960年代に団地ができはじめ、急激に人口が増え、1970年には9万8千人、1980年に14万5千人となって東京都心への通勤圏になり、完全に都市型の街に変貌した。実際にBMも団地を廻ることがスタートしているが、これは要するに貸出サービスを展開するのに好適の都市環境であった。しかしながら、地方都市や農村地域の町村で同じモデルが適用するのかどうか。日図協は2000年代になって町村図書館には別の考え方が必要とのことからその振興策を進めたが、地方都市では市民の図書館モデルの図書館づくりが進められた。そこで郷土資料は片隅に置かれ、あまり利用もないままに置かれた。レファレンスは貸出サービスの定着を前提とするとされた。しかしながら、それらを振興するための戦略は用意されなかった。</div><div><br /></div><div>第二に、経済や生活レベルの段階と公共サービスの関係を考えておく必要がある。1960年代以降の高度経済成長、バブル経済、そしてバブル崩壊という経済史的な流れのなかで、先ほどのハコモノ行政も税収増によって可能になった。図書館は市民の要求に応える場であるというときに、学習権とか知る自由というような高邁な理念を持ち出すことが多い。確かに国が貧しかったときには公的費用をそこに充てることに意味があった。しかし、全体に豊かになったときに娯楽的な読み物を無料で大量に貸すことがあるとすれば、それは大衆の欲望に寄り添った無料貸本屋サービスと批判されることも覚悟しなければならない。著作権法38条で著作物(映画以外)の非営利で無料の貸与を認めているが、それは大きくは著作権法の目的である「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与すること」に叶うことが前提である。</div><div><br /></div><div>第三に、長期的視点に立った職員の育成である。市政図書室タイプの地域行政資料の提供は日野のような特別なところでしか成り立たないのかもしれないが、<a href="https://www.pref.tottori.lg.jp/toshositu/">鳥取県立図書館の県庁内図書室</a>(現在は県議会図書室と併合)や<a href="https://www.library.tama.tokyo.jp/contents;jsessionid=46893CD8B6118EBCD7B00760AF6DB360?0&pid=343">多摩市立図書館行政資料室</a>が市の庁舎内につくられている例がある。都道府県、政令市、中核市などの規模の図書館はそれなりにしっかりとした地域資料(郷土資料)コレクションをつくっている。そのなかで日野の優位は職員を育成するところに現れている。清水さんが議論のなかで、最初に日野に(司書採用で)入ったときに図書館ではなく、総務部門に配属になり数年いたという話しをしていた。その後市政図書室に移って20年そこで働いたということである。これは長期的なビジョンがあって専門的な職員を育てているということである。本来『市民の図書館』改訂版にはそういうことも含めて書くべきではなかったか。増補版の最後に職員の専門性のことが出てくるが、その主張は、司書としての職制をつくることと、特に館長を図書館専門家にすることが中心である。現在、司書採用であってもさまざまな部門を3年くらいで異動することが一般的だという。更なる専門性をもった専門職の育成はどうすれば可能なのだろうか。日図協は地域資料の本を出してくれたが、それ以上、地域資料にコミットするつもりはないようである。今、貸出サービスについて政治的な議論があるわけだが、図書館サービスの意義をどこの場で議論することが可能なのだろうか。もしかしたら、学芸員とかアーキビストの養成や研修プログラムといっしょに考えた方がいいのかもしれない。</div><div><br /></div><div>第四に、図書館と公文書管理の関係についてである。最初に仄めかしておいたが、図書館と公文書館の関係は難しい。山口県のように図書館から分離したものがあり、図書館と同じ施設に文書館が入っているところがあるが、その連携は必ずしもうまくいっていない。都道府県や政令市を除いた基礎自治体で公文書館をもつところは少ない。先にも見たように、公文書(行政文書)と行政資料の境界は実は曖昧であるし、図書館員の認識も怪しいところがある。境界があいまいだとは言え、原文書と印刷物(あるいは複製物)の違いと言えばかつては理解しやすかった。しかし、今はボーンデジタルの資料がどちらになるのか、そもそもそうした資料はどうなっているのか。かつては紙で入っていたものがデジタルになったら、プリントして紙資料として提供するという話しを聞いていたが、これも移行の対応であるだろう。公文書の管理とボーンデジタルの行政資料のアーカイブは別の概念であり、どの部門がどうするのかという問題は避けられない<span style="font-size: xx-small;">。<span>(最近のカレントアウェアネス(No.357)に竹田芳則「自治体発行オンライン資料の収集:近年の公立図書館の取り組みを中心に」<a href="https://current.ndl.go.jp/ca2049">https://current.ndl.go.jp/ca2049</a>があった。参考になる)</span></span></div><div><br /></div><div>先日のシンポジウムの際の講師間の雑談で、蛭田さんから小平市では公文書等の管理に関する条例の規定により、令和4年10月から保存期間を満了した公文書のうち、歴史公文書に該当する公文書の中央図書館への移管及び特定歴史公文書の利用が開始されたということを聞いた。つまり、図書館が公文書館のような役割を果たすという事例である。これについては次のところに情報がある。</div><div><a href="https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/100/100717.html">https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/100/100717.html</a></div><div>小平市立図書館は長年、古文書資料を保存管理してきた実績がある。これが公文書館的な役割と結びついたわけである。*</div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;">*ただしこれを近代的公文書館と呼ぶことはできない。公文書館は保存公文書をアーキビストが選定するところからコミットする施設である。小平市も公文書館条例は制定していない。利用は情報公開条例によるとしているので、制度的には公文書管理と情報公開の枠組みで公文書担当部門が歴史公文書を選別し、それを開示する窓口を図書館に置いたことになる。</span></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-34594318378540295672023-09-29T09:49:00.020+09:002023-11-23T08:31:19.574+09:00計量経済学的手法による図書館貸出の影響分析(大場博幸論文について)9月28日夕方に専修大学で日本出版学会出版産業研究部会主催の大場博幸氏(日本大学文理学部)の<a href="https://www.shuppan.jp/event/2023/09/04/2776/">「公共図書館の所蔵および貸出は新刊書籍の売上にどの程度影響するか:解説と補足」</a>と題するセミナーが開かれて出席した。これは、『日本図書館情報学会誌』掲載の同氏の論文を元にするもので、すでにそれについては<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2022/10/blog-post_25.html">このブログで触れた</a>が論文自体についてはコメントしていなかった。論文はまだエンバーゴ期間中であって、会員であるか、図書館に行かないと読めない。<div><br /></div><div><div><a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jslis/69/2/69_67/_article/-char/ja">大場博幸「公共図書館の所蔵および貸出は新刊書籍の売上にどの程度影響するか:パネルデータによる分析」日本図書館情報学会誌/69 巻 (2023) 2 号</a></div><div><br /></div><div>大場氏の論文は、ある程度こうした計量的な分析に慣れていないとなかなか読みこなすのは難しいものだが、私も含めて一般の人にも分かりやすい解説がされていてありがたかった。約1時間の解説はいずれ動画として公開されるそうなので、そうなったらリンクしておく。(追記:オープン動画ではなく登録者だけだそうだ。登録は29日20時現在可能)</div><div><br /></div><div>この論文は、2019年の春に刊行されたノンフィクションとビジネス分野の一般書籍600タイトルについて、2020年3月までの10ヶ月間の売上部数に対して図書館の所蔵、貸出、古書の供給数と価格、書店の委託期間になっているか、電子書籍になっているかといった要因がどのように影響しているのかをパネルデータをとって分析してみようというものである。パネルデータというのは、それぞれの変数が月ごとに変動するのでその動きのデータも含めて分析対象とするものである。とくに図書館の所蔵、貸出の動きをみるためには他の変数を統制する必要があるが、そのあたりを厳密にやろうとしている。最終的には売上部数を目的変数、それ以外の要因を説明変数として、固定効果モデルによる回帰分析を行った。大場氏は先行研究に対してそのあたりをきちんとやったことにより、いままで以上に精緻な分析ができたと考えている。</div><div><br /></div><div>その結果であるが、抄録によれば、「平均値を基準としたとき、前月の所蔵1冊の増加につき月平均で0.06冊の新刊売上部数の減少、前月の貸出1冊の増加につき月平均で0.08冊の減少という推計値が得られた」としている。また、需要の減少(需要はAmazonの「売れ筋ランキング」の数値を処理して使用している)、古書供給の増加(これもAmazonの「中古品」の出品データを使用している)も新刊売上にマイナスの影響をしているとしている。そして、抄録では「需要の高いタイトルに対する図書館による特別な影響は観察されなかった」という結論を出している。</div><div><br /></div><div>今回の氏自身の発表では論文の結論について若干の「補足」があった。これについては、会場ではPPTだけで資料配付がなかったので、詳細についてはこのビデオが公開されるのを待つほかないが、聞き取って理解したところを書いておく。それは、売上部数を基準にして分類して分析してみると、売上上位(ベストセラーや準ベストセラー)については売上下位のものに比べて上記の減少値が大きく、それなりに影響があるというものである。出版売上全体と図書館所蔵や貸出全体とを対応させれば影響は小さくとも、ある特別な出版物についてはそうではないということになる。</div><div><br /></div><div>今、出版ー図書館問題については政治的な動きもあるなかで、なかなかインパクトがある結果が出ていると思われる。ここでは次のように考えてみたい。</div><div><br /></div><div>1) 大場氏が、売上データ、図書館貸出、古書や電子書籍について得られるだけのデータを集め、パネルデータとして統制を加えながら厳密に分析しようとしたことはたいへん大きな意義があると考える。この分析手法が公開されたことで、今まで曖昧にされていたことについて実証的に分析がしやすくなった。今後は、この方法についてさらにデータを増やすなり、変数を増やすなりのことをすることが可能になった。</div><div><br /></div><div>2) そのことを認めた上で、この論文の分析をもって出版の売上と図書館の所蔵や貸出との関係がわかったということにはならないのではないかと考える。あえて言えば、図書館に入りそうな本について「全体として影響は小さい(売上減の原因とは言えない)」ということである。そもそも、売上の影響について、新たに1単位の蔵書なり貸出数が増えるとどれだけの売上の変化(増減)があるかという数値が用いられているが、影響があるなしの判断をするための閾値については不明である。売上上位の書籍の影響の数値も示されていたが、それがどのくらいだと大きいと言えるのかについては、今後、実証値とそれに対する議論が積み重ねられて判断すべきことである。</div><div><br /></div><div>3) また、ここで用いた600点の出版物はノンフィクションとビジネス書ということだが、それ自体出版物全体の典型的なサンプルと言えるかどうか分からないからである。最初から、図書館に入りそうもないものは除かれているのは、欠落値を減らすというテクニカルな理由によるという説明があった。学習参考書とかコミックとかは街の書店にとっては重要な販売物だが、これらはほとんど図書館に入っていないから、これを対象に入れると影響はもっと小さい方向に振れるはずである。</div><div><br /></div><div>4) ところが、今回補足されたベストセラー的なものだと図書館の所蔵や貸出の影響は大きくなるという。つまり、出版物はきわめて多様であり、その性格を細かくみて別々に検討しないといけないのではないかと思われる。大場氏もそのことに気づいているから、今回の補足となったのだろう。とくに,ここにはとくに議論があるフィクション(小説類)が除かれている。小説を取り出して同じように入れたら別の結果が示される可能性がある。</div><div><br /></div><div>5) やっかいなのは、ずっとある作家や一部の文芸書出版社からの主張は、プロの作家の生計やそうした出版社の経営への影響に対する関心から来ているのだが、それが一人歩きして出版と図書館の関係を一般化して議論される傾向をもたらしている点である。書店関係者から図書館が売上減の原因だという指摘はあまり聞いたことがないのだが、今回の政治的な動きにはそれも含められている。議論は適切な手法で得られたデータをもとに行うべきで、出版物を特性によってセグメント化して分析した実証データを示すことが必要である。</div><div><br /></div><div>6) 昨日の質疑(これは動画に入らない予定)の際に、某出版社の方から自社の出版物の売上げのかなりの割合を図書館が購入しているので経営が成り立っているとの発言があった。このことの重要性について、会場での発言でもあり私も以前から重要視している。つまり、出版と図書館の関係について、図書館が出版市場で果たしている役割を考えるなら、買い手としての図書館の位置付けも含めて議論する必要があるのではということである。</div><div><br /></div><div>ということで、昨夜参加してみての感想としては、大場氏の研究はこれからの出版ー図書館関係研究の一里塚となることが予想されること、と同時に、今回、出版学会と図書館情報学会の双方の会員が集まったことをきっかけとして、両方の当事者も含めた議論を進めるよい機会となったのではないかというところである。また、出版社や取次、小売店、図書館が相互にデータを出し合って共同研究を進めることも重要ではないかと考える次第である。</div><div><br /></div><div><br /></div></div><div><br /></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-69113208243103833042023-09-02T19:37:00.028+09:002023-11-12T16:59:07.999+09:00北海道の図書館アーカイブ探究の旅(9月8日追加)<p> 研究者は研究費がないと研究できないかといえばそんなことはないのだが、研究費がつけばそれが何らかの研究意欲を加速することになる。2022年度から日本学術振興会科学研究費に基づく5年計画の研究<a href="https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-22K12717/">「マージナルな歴史的記憶を負荷された地域アーカイブ研究」</a>(<span style="white-space: normal;">22K12717</span>)を始めている。昨年度は福島をフィールドにして最初の研究調査を始めた。また、研究方法についてはまったく新しいものを提案することもあり、次の3つの論文発表や講演を行ったり、これから行う予定である。</p><blockquote style="border: none; margin: 0px 0px 0px 40px; padding: 0px; text-align: left;"><p style="text-align: left;">「地域アーカイブの実践を福島に見る: 集合的記憶をさぐるための方法的検討」『日本の科学者』vol.58, no.5, 2023年5月, p.4-10.</p><p style="text-align: left;">「図書館が地域アーカイブ機関であること」2023関東地区公共図書館協議会研究発表大会, 2023年6月28日.</p><div style="text-align: left;">「ナショナルアーカイブと地域アーカイブの間:図書館情報学概念の整理」日本図書館情報学会 2023年研究大会(愛知淑徳大学) 2023年10月7日−8日.</div></blockquote><p>この研究では、福島、北海道、沖縄という日本という国家においてまったく異なる地域性をもったところを扱う。そのなかで2年目に北海道を扱うのはたまたま北海道図書館大会の基調講演を依頼されたことが一つの理由である。</p><blockquote style="border: none; margin: 0px 0px 0px 40px; padding: 0px;"><p style="text-align: left;"><a href="https://www.library.pref.hokkaido.jp/doc/taikai2023/index.html">「北海道のアイデンティティを確認するための地域アーカイブという考え方」第 63 回(令和 5 年度)北海道図書館大会, 2023 年9月7日</a></p></blockquote><p>すでに、今年の5月に函館を訪ねて北海道が幕末から開拓地として発展を遂げていたことやそのなかで私立(市立)函館図書館をつくった岡田健蔵の思想や行動について着目し、もう一度評価しようとしている。そのことはこのブログの次のところで部分的に触れた。</p><p>2023-07-14 三つの私設図書館と「舌なめずりする図書館員」<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/07/blog-post.html">https://oda-senin.blogspot.com/2023/07/blog-post.html</a></p><p>今回、北海道図書館大会での講演の3日前から北海道に行ってまず町立図書館の位置づけについてそのパイオニアや現在の運営者にお話を伺う予定にしている。なぜ、町立図書館かといえば、3年前に道東を巡る旅をしたときに小規模の図書館でも図書館として実現すべき体制が整えられていることを感じ取ったからである。それはなにかといえば、自治の核となる資料の収集である。通常図書館資料とされる一般的な文芸書や教養書、児童書といったものに加えて、行政資料や地域資料、当該自治体が抱える問題に関わる課題的な資料である。要するに、地方自治体としての自治とアイデンティティを実現しようとするときの情報源を提示するのが図書館であるという思想が共有されていると感じ取った。これは単なる仮説に過ぎず今後証明していく必要があると考えている。だが、実際に見聞きしたもの以外に、かつて1980年代に図書館問題研究会が置戸町立図書館を調査したときに明らかにした、図書館行政と社会教育行政が一体となって住民意識を反映しつつ逆に住民意識に働きかけるような図書館サービスが現在どうなっているのかという問題意識がある。</p><p>今回は、日高地方のいくつかの町立図書館に行ってそのあたりの意識がどうなっているのかを探ろうと考えている。北海道における開拓者意識というのは21世紀になった現在すでに幻想でしかないのかもしれない。だが、今回の研究テーマは21世紀になったからこそ、20世紀までの国家的アイデンティティと異なる新しい何者がかが発生していることも期待してものである。北海道については、何よりも「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(2019、アイヌ民族支援法)が重要である。北海道が内地と違うマージナリティをもつ意義の一つはアイヌという多民族と対峙してきたことがある。そして、20世紀中庸以降の世界的な多民族共生の動きがこのような形をとり、白老町にはウポポイ(民族共生象徴空間)という国の施設ができた。前回行ったときに内地ではほとんど感じたことのない複数民族性の言説が至る所で見聞きできた。これが、今回の図書館サービス研究と深層で結びつくものがあるという期待がある。</p><p>今回、町立図書館以外に北海道立図書館と同立文書館、そして北海道大学附属図書館北方資料を訪問する予定にしている。これは、北海道アーカイブという意味では本流であり、これらもまたどのような表現となっているのかを見るのが楽しみである。</p><p>ここではこれからの予定を書き込んだが、今後実際に体験したものも報告する予定である。</p><p>==========<以下、9月8日追加>==========</p><p>先の予告を書いてから1週間ほどになる。その間、北海道の日高地域の町立図書館4館を訪問した。また、後半は札幌(近郊)にある北海道アーカイブの根幹にかかわる4コレクションを訪ねた。ここではそれらについて報告しておこう。</p><h3 style="text-align: left;">日高地域の町立図書館について</h3><p>まず日高とは苫小牧から南に伸びる地域で最先端は襟裳岬である。先端部分は日勝半島というのは今回初めて聞いた。日高山脈の西側が日高、東側が十勝で両方が交わる地点ということだろう。えりも町まではとても遠く車で一日がかりになる。今回訪れたのは浦河町立図書館、新ひだか町立静内図書館、新冠町のレ・コード館図書プラザ(ここだけは図書館法上の図書館になっていない)、そして日高町立門別図書館であった。初日に浦河町まで行って戻ってくるというコースである。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEh-I0LCHBioIndbWtJKQSfBNrtbBtM5wEz-Vue7nNDlY5wA5q1UXv5HaABMolxcPm3ZOu28ee06HpERkn-aV_E8ire3lfaYban9lhe3R1EoROz5zTO_-TqM9edGo_zIr_xxn1P00GASkQZT42dwcNzulAFu-FSqYxR417J6ps-AcbpDFRX67c37IyH6bTM" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="740" data-original-width="862" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEh-I0LCHBioIndbWtJKQSfBNrtbBtM5wEz-Vue7nNDlY5wA5q1UXv5HaABMolxcPm3ZOu28ee06HpERkn-aV_E8ire3lfaYban9lhe3R1EoROz5zTO_-TqM9edGo_zIr_xxn1P00GASkQZT42dwcNzulAFu-FSqYxR417J6ps-AcbpDFRX67c37IyH6bTM" width="280" /></a></div><br /><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p>今回、北海道の町立図書館を積極的に訪問しようとしたのは、以前から町立図書館にこそ図書館の真髄が盛り込まれているようにも思えていたからである。どんな組織でも規模が大きくなればなるほど、仕事を分担してローテーションをつくり、合法性と効率性を追求することになる。図書館も自治体の組織であるからこうした性格を免れない。そこでの管理責任者は全体を見て合法的効率的に運営できる人である。図書館現場で他から廻ってきた行政職館長が図書館の仕事を知らないのに責任者が務まるはずはないとも言われるが、そんなことはない。マックスウェーバーのいう官僚制に近い組織では、別に個々の仕事を知らなくとも全体を管理できればよいということになる。図書館職が専門職というのは戦後改革で最初から失敗しているので、アメリカなどをみてALAが専門職の大元になるような幻想はもう見ない方がよい。ただ、規模が大きくなるほど、分業制やローテンションによる形骸化が生じる方が問題だろう。小規模図書館はそれを免れる可能性があるというのが私自身の以前からの考えだ。</p><p>北海道日高の図書館の特徴はどこも人口が数千人から1万人ちょっとの小さな町だが、司書系の正規職員が1〜3名ほど配置されている。町の図書館が少ない職員でどれだけのことができるのかと言えば、もちろん個々に違うが、今回訪問した図書館は基本的なサービスはすべて実施している。貸出用の資料や児童書については言うまでもなく、この地域が日高馬の産地であり、とくに中央で活躍するサラブレッドを輩出する地域であるので、それが前面に出たコレクションがある。また、地域資料にはかなりの力を入れている。ここを見ていると、図書館のサービスの原型がそのまま保持されているような気がする。</p><p>人口1万2千人の日高町は行政職の館長のほかに司書の正規が職員が3人がいて他にも会計年度任用職員が配置されている。人口12万人の自治体に正規司書が30人配置されることがないことを考えてみるとよい。なぜこれが可能になっているのかと考えてみると、日高には中心的な都市がないことが重要なのではないか。都市図書館が貸出業務を中心に拡大していくと効率化原理が働き、貸出業務は指定管理や委託でよいということになる。そもそも中心都市があると合併によって統合される可能性が強いし、周辺の自治体も図書館業務とはそのようなものだと考えがちである。ところが、ここは同じような規模の町立が並んでいて、それぞれが基本的業務を進めている。それがこの地域の図書館水準を形成する。個々の町の市民や為政者も図書館とはこのようなものだと了解している。</p><p>地方交付税のことも含めて考えると自治体行政を進めるための適正規模があるのだろう。もしかしたら図書館行政のためにはこの程度の自治体の規模がよいのかもしれない。その意味で『中小レポート』(1964)以前の図書館の原型を保った希有な例なのかもしれない。今回、最初は置戸町立図書館のことが念頭にあった。『まちの図書館』(1981)で知られたところであるが、人口がどんどん減っているという。そういうところでどのような図書館サービスができているのか。それを明らかにするのは次の課題ということにする。</p><p>*今回の日高をめぐるツアーには元函館市立図書館長、石狩市立図書館長の丹羽秀人さんの全面的な支援をいただいた。丹羽さんが過去つくってきた人的ネットワークがうまく作動していろんな話しを聞くことができた。心より感謝申し上げる。</p><h3 style="text-align: left;">北海道のアーカイブ資料について</h3><p>道立図書館北方資料室、道立文書館、北海道大学附属図書館北方資料、北大法学部附属スラブ・ユーラシア研究所を訪ねた。旧称で略称であるスラブ研は日本におけるエリアスタディーズの拠点の一つである。エリアスタディーズは外国地域研究と訳せるだろうが、軍事、外交、国際関係などの視点から主に刊行物資料を集めてそれらを分析する。日本ではJETROアジア経済研究所の図書館がよく知られている。アジ研はアジアといいながら世界の開発途上地域の資料を扱っている。他方、スラブ研は1953年に(旧)ソ連と東欧地域の研究拠点として発足したが、ソ連崩壊後、東欧諸国をスラブ圏という名称でくくるのは難しくなり、現在の名称になっているという。これ一つをとっても、対象をどのように表現するのかが重要であることがわかる。旧知の兎内勇津流氏に久しぶりにお会いしていろんな資料を見せていただいた。</p><p>スラブ研以外の機関はそれぞれの経緯で北海道やその周辺地域について貴重な一次資料的資料をもっている。以前に函館市立中央図書館を訪問したが、ここは岡田健蔵による北方資料のコレクションが有名である。今回、まず道立の2機関を訪ねた。道立図書館の北方資料室がまずあって、その後、文書館が移ってきて同じ所でサービスを行っている。閲覧室は一つの空間を二つに分けており、カウンターも書庫も半分ずつ使うという形をとっている。来館者は事前にそれぞれのHP等で何があるのかを把握して閲覧申請することになる。というのは、多くの資料は書庫にしまわれてあるからだ。貴重な一次資料だとこのような扱いをすることは当然なのではあるが、こうした資料には地図、写真、系図等の巻物、写本等々の資料もあってこれらも扱いは慎重である。さらには、刊行物の多くもしまわれている。これは北大の北方資料も同様である。</p><p>図書館サイドから見ると、こういう資料の扱いは保存と利用の間のジレンマに悩むものである。これを利用者サイドからすれば、よほどの研究経験がないとどういう資料があるのかをOPACや資料DBなどを見ても判断できないことが多い。だから利用者が少ないのだ。少ないのは仕方ないとしていることが多いがそれはおかしいのではないか。学習指導要領で探究学習が言及され、探究は学習課題になっている。今後、子どもたちが「探究者」として成長して常に専門資料を使うことが(理念的には)想定されている。</p><p>図書館がその状況に対応するための解決策の一つはデジタル化なのだろうが、これらの機関ではそれほど進んでいない。また、図書館と文書館の間の関係も微妙であって、双方にあってもいいと思われる資料が他方の機関に置かれたりしている。これらの調整の話し合いもあったようだが、文書館といっても仕事をするための図書資料は必要だし、図書館が歴史的経緯からさまざまな文書資料をもっていることも事実でそれらは動かしにくいとされている。とりあえずできそうなことは、書庫内のツアーを頻繁に催すことや展示によって補うこと、OPACとは別にパスファインダー等でテーマ別の関連資料を報知すること、資料利用の講習会を開催することなどだろうか。また、かつては長期間担当する専門の職員がいたが、今はローテーションで異動することが一般的である。しかしながら、こうした専門コレクションは専門知識がなければいいサービスができないのは当然であるだろう。サービスの相手は専門家なのである。できるだけ長く担当できるような人事的な配慮が必要だ。さらには、これらの機関の横の関係もまた重要である。場合によっては博物館も含めていいだろうが、MLAの横の連携はあまりないように見受けられた。</p><p>というわけで、大きな組織でのアーカイブ資料の扱いはあいかわらず如何にしまい込むかにあるように見受けられた。デジタルアーカイブの掛け声はどこに言ったのか。また、デジタルアーカイブ以前にやるべきことがいろいろとあるようにも思われた。最後に、申し上げたいのは「図書館員は専門家たるべし」ということである。「専門職」ではない。「自ら何の専門があるのかを主張できない専門職はありえない」ということである。なお、業務としてそれを行っている個々の方の責任ではないのでここは一般論として申し上げていることをお断りしておきたい。</p><p>このことは今回の講演のテーマとも響き合う。アーカイブとしての図書館利用は創造性につながる。図書館員はその手伝いをすることになっているのだが、なかなかそうできない状況がある。それは、専門性や資料囲い込みなどのことで創造性への過程がうまくつながっていないからだ。このことについては講演の報告ということでいずれ公開したい。</p><p>ちなみに、最初に述べた日高地域の町立図書館の職員の専門性は明らかに当該地域にある。地域をアーカイブする仕事をしているのである。逆に言えば、多くの図書館は地域を越えた日本の出版文化に奉仕しているのかもしれないが、地域性があまり感じられない。地域資料を集めれば地域の図書館というわけではない。</p>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-85220367686295048662023-07-18T13:30:00.013+09:002023-07-18T19:36:35.714+09:00オダメモリー アクセス数ベスト20(2023年7月18日現在)<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both;">オダメモリー アクセス数ベスト20(2023年7月18日現在)<span style="white-space: pre;"> </span></div></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><google-sheets-html-origin style="text-align: start;"><table border="1" cellpadding="0" cellspacing="0" dir="ltr" style="border-collapse: collapse; border: none; font-family: Arial; font-size: 10pt; table-layout: fixed; width: 0px;" xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"><colgroup><col width="49"></col><col width="100"></col><col width="258"></col><col width="100"></col></colgroup><tbody><tr style="height: 21px;"><td style="border: 1px solid rgb(204, 204, 204); overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;"><br /></td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"オダメモリー アクセス数ベスト20(2023年7月18日現在)"}" style="border: 1px solid rgb(204, 204, 204); overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;"></td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"オダメモリー アクセス数ベスト20(2023年7月18日現在)"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) transparent rgb(204, 204, 204) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: visible; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;"></td><td style="border: 1px solid rgb(204, 204, 204); overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;"></td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"1 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">1 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":44858}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2022/10/24</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』批判"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』批判</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":4926}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">4,926</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"2 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">2 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":44145}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2020/11/10</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"『公共図書館が消滅する日』への疑問"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">『公共図書館が消滅する日』への疑問</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":2788}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2,788</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"3 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">3 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43030}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2017/10/22</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"「図書館での文庫本の貸出」について"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">「図書館での文庫本の貸出」について</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":2466}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2,466</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"4 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">4 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43535}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2019/3/11</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"故金森修氏の蔵書の行方"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">故金森修氏の蔵書の行方</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":2227}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2,227</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"5 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">5 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43064}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2017/11/25</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"『情報リテラシーのための図書館ー日本の教育制度と図書館の改革』(続報)"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">『情報リテラシーのための図書館ー日本の教育制度と図書館の改革』(続報)</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":2185}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2,185</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"6 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">6 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":44970}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2023/2/13</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"ChatGPTは図書館の敵か?"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">ChatGPTは図書館の敵か?</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":2143}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2,143</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"7 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">7 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43708}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2019/8/31</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"公開シンポジウム 「教育改革のための学校図書館」参加者募集中"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">公開シンポジウム 「教育改革のための学校図書館」参加者募集中</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":2037}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2,037</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"8 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">8 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43137}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2018/2/6</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"ネット時代の国会図書館の納本制度"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">ネット時代の国会図書館の納本制度</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":2019}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2,019</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"9 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">9 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43274}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2018/6/23</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"つくば市北部10校の廃校とその跡地利用"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">つくば市北部10校の廃校とその跡地利用</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":2002}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2,002</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"10 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">10 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43114}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2018/1/14</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"新土浦市立図書館に行ってみる"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">新土浦市立図書館に行ってみる</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1849}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,849</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"11 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">11 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":44556}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2021/12/26</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"国立国会図書館デジタルコレクションの凄さ"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">国立国会図書館デジタルコレクションの凄さ</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1788}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,788</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"12 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">12 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":44350}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2021/6/3</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"「アーカイブ」と「アーカイブズ」は違う"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">「アーカイブ」と「アーカイブズ」は違う</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1598}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,598</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"13 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">13 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":44462}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2021/9/23</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"「国際バカロレアと学校図書館」公開シンポジウム(追加:翻訳書割引購入のお知らせ)"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">「国際バカロレアと学校図書館」公開シンポジウム(追加:翻訳書割引購入のお知らせ)</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1267}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,267</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"14 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">14 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43857}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2020/1/27</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"三田図書館・情報学会月例会「教育と図書館との関係を考える」(改訂版)"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">三田図書館・情報学会月例会「教育と図書館との関係を考える」(改訂版)</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1260}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,260</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"15 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">15 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43647}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2019/7/1</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"『教育改革のための学校図書館』のスニペット表示"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">『教育改革のための学校図書館』のスニペット表示</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1249}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,249</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"16 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">16 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43631}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2019/6/15</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"映画「ニューヨーク公共図書館エクス・リブリス」を観る"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">映画「ニューヨーク公共図書館エクス・リブリス」を観る</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1243}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,243</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"17 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">17 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43864}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2020/2/3</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"延期になりましたーシンポジウム「近代日本の知識資源システムー図書館、出版、アーカイブの観点から」"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">延期になりましたーシンポジウム「近代日本の知識資源システムー図書館、出版、アーカイブの観点から」</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1192}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,192</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"18 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">18 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43158}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2018/2/27</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"入試問題出題ミスについて考える(2)"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">入試問題出題ミスについて考える(2)</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1141}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,141</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"19 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">19 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":43127}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2018/1/27</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"公開ワークショップ「 図書館はオープンガバメントに貢献できるか?」開催予定"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">公開ワークショップ「 図書館はオープンガバメントに貢献できるか?」開催予定</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1122}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,122</td></tr><tr style="height: 21px;"><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"20 "}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">20 </td><td data-sheets-numberformat="{"1":5,"2":"yyyy/m/d","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":44987}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">2023/3/2</td><td data-sheets-value="{"1":2,"2":"NDLデジタルコレクションについてのあれこれ"}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; vertical-align: bottom;">NDLデジタルコレクションについてのあれこれ</td><td data-sheets-numberformat="{"1":2,"2":"#,##0","3":1}" data-sheets-value="{"1":3,"3":1112}" style="border-color: rgb(204, 204, 204) rgb(0, 0, 0) rgb(0, 0, 0) rgb(204, 204, 204); border-image: initial; border-style: solid; border-width: 1px; overflow: hidden; padding: 2px 3px; text-align: right; vertical-align: bottom;">1,112</td></tr></tbody></table></google-sheets-html-origin></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><br /></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-22697047497854340592023-07-17T11:28:00.012+09:002024-03-16T13:15:42.192+09:00WebOPACと新聞記事検索ツール:野田市立興風図書館のサービス<div style="text-align: left;">前回、三つの私設図書館の歴史を辿り、かつての図書館員が資料収集にかけた情熱とそれを支えるための資料についての専門知識、扱うためのスキルについて書いた。また、現在の公立図書館の運営環境では実現しにくいことについても言及した。しかしながら、これはデジタル環境を使いこなすことで展開しうることでもある。そのことについても書いておこう。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><h4 style="text-align: left;">公共財/プッシュの情報,プルの情報</h4><p>6月28日と29日の二日間にわたり、山梨県立図書館で「2023年関東地区公共図書館協議会研究発表大会」が開催されて、そこで「図書館が地域アーカイブ機関であること」という題目で講演した。そのなかで、図書館が提供する資料やサービスの性格が公共経済学での財の分類では、公共財とコモンプール財、準公共財(クラブ財)の3つの特性を合わせもつものではないかと述べた。詳しい説明は省略するが、このなかで地域資料の提供のようなものは、民間機関では提供できない公共財的な性格を強くもつものである。本来、税金で賄うことが正当化しやすいはずのものである。</p><div style="text-align: left;">さらに、プッシュの情報とプルの情報の違いということをお話しした。ネット検索やSNSで表示のアルゴリズムの問題点が指摘されることが多いが、これらは情報提供者からプッシュされる情報であり、受け手は自分で検索語を選んでいるつもりでも、どうしても受け身になる。それに対して、プルの情報とは人が情報の特性と利用の仕方を理解した上で自分の考えで引き出すことができる仕組みのことである。たくさんの商品が並んでいるスーパーで自分がほしいものをカゴに入れるとき、商品知識をもち商品の鮮度や価格などを比較して選択するような態度である。実際には、プルの情報といっても選択できる情報範囲に最初から限界があり、一定程度に販売者からプッシュされていることは常に起こっていることではあるが、そのことも含めて賢い情報利用者、消費者になることが求められる。情報リテラシー教育とはそういうもののはずである。</div><p>さて、地域資料であるが、公共財に近い性質をもつものであるとしても、あまり利用がない理由としては、図書館の二階とか隅にあって目立たない、古くさいように見える、その存在が見えにくいなどが考えられる。郷土史に対して一定の関心が継続しているし、学校での自由研究や探究学習で資料提供が求められることも増えている。図書館の他の資料が商業出版物として広告や書店でもプッシュされているのに対して、地域資料は利用者が意識的にプルしなければ使われないことは明らかである。だから、図書館が利用者のプルを支援することを積極的にしなければならないのである。</p><h4 style="text-align: left;">WebOPACによる地域資料検索</h4><p>そこでお話ししたのは開架や展示活動の重要性と検索ツールの重要性である。とくに検索ツールについて、WebOPACと新聞記事検索ツールの重要性について強調してみた。これらは比較的簡単にプルの情報を使いやすくするものである。</p><p>WebOPACであるが、まず、「簡単検索」がデフォルトでさらに「詳細検索」が用意されているのが普通だろう。特定資料検索の場合には「簡単検索」にキーワード入れるのが簡便だからこれでいいのだが、これはあくまでもプッシュされたものが当該館にあるかどうかを探すための方法である。閉架書庫にあるものも含めて自分がほしいものを探るプル情報検索ツールは「詳細検索」を使わざるをえない。これが使えるものになっているのかどうかは問題である。とくに、当該地域特有のものを検索したいときにどのように使うか。</p><p>そこで、WebOPACで地域資料・郷土資料のみを検索できるようになっているのかどうかが重要であるとお話しした。たとえば、<a href="https://www.lib.pref.yamanashi.jp/licsxp-opac/WOpacMnuTopInitAction.do">山梨県立図書館の詳細検索画面</a>は次のようになっている。</p><p><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiLMIw3E8Wbxl8AuduYuKYusZlEgyhLPcUYfwzkfPhmpSjx9ydlHUyq8hdmQTsoINxAq_VWP4laCIBsZZc_xvDq8iGfq_5IzVoBV9k0bdwjSysNk1qcU3ZAk5tlAGenG27UQi8v_tE-C58-z2N_7shbkepXWLpgrCtFZs9I99-BHFqvwUvQhyP7WZ2gQ38/s1934/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1294" data-original-width="1934" height="268" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiLMIw3E8Wbxl8AuduYuKYusZlEgyhLPcUYfwzkfPhmpSjx9ydlHUyq8hdmQTsoINxAq_VWP4laCIBsZZc_xvDq8iGfq_5IzVoBV9k0bdwjSysNk1qcU3ZAk5tlAGenG27UQi8v_tE-C58-z2N_7shbkepXWLpgrCtFZs9I99-BHFqvwUvQhyP7WZ2gQ38/w400-h268/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">この「資料種別」のチェック欄に「地域資料」があることが分かる。これで何ができるのかというと、チェックがついていてキーワード1で書名に「学校図書館」と入れると、この図書館で地域資料のカテゴリーに入る学校図書館が書名に入った資料が検索できる。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgTITyLVRK5orro4X-Y9sJ6f3lg0VGsfRWiKd5Nzxu43IMNaAEclvKiyvwQuZuWWaCgF_E2YqGYWD7sfeEIoRqPjHG1sjtmq3aq46furpLTzY9-NitV6_BgATSD7HeraLHqu84Hivit3sGnapjVt-OukxxB5PMFfymqy1fi6uSJBssOWWq8qmVaW3hGQvQ/s1880/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A2.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1880" data-original-width="1856" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgTITyLVRK5orro4X-Y9sJ6f3lg0VGsfRWiKd5Nzxu43IMNaAEclvKiyvwQuZuWWaCgF_E2YqGYWD7sfeEIoRqPjHG1sjtmq3aq46furpLTzY9-NitV6_BgATSD7HeraLHqu84Hivit3sGnapjVt-OukxxB5PMFfymqy1fi6uSJBssOWWq8qmVaW3hGQvQ/w395-h400/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A2.jpg" width="395" /></a></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">こういう具合である。書名や著者名に地域名がなくとも、地域限定資料を検索するのに使えるわけである。地域は県名、市町村名、旧市町村名、地区名、字名などの地域が重層的に存在するから特定地域名でも検索漏れが出てくる。どんな図書館でも地域資料は自館入力で分類記号等で区別をしているはずである。それを使えば、こういう検索ができる。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">図書館システムの導入や入れ替えの時期に要望すれば可能になるはずである。このことはだいぶ前からお話ししているのだが、なかなか採用する図書館がない。と、思っていたら、千葉県立野田興風図書館が次の画面を提供していることに気づいた。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjRv8RwrhdkR5oKvtSFI1SBcAJh_EHAI2L7LpRcTrjgDzZiVKcrBUA2ykNcVhKtvCmK_khsF1lZIRZDOxX9OgmKeqoOBXMY7mcgzwZEObfOkZEWG7h95audcF2MhGiCOJzz5NAKIt8Wl8P2u_T9T7vyEnU5v1yRxMR8_TD7-McgTQ17Cc2qecATD75j0Fw/s2422/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A3.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1672" data-original-width="2422" height="276" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjRv8RwrhdkR5oKvtSFI1SBcAJh_EHAI2L7LpRcTrjgDzZiVKcrBUA2ykNcVhKtvCmK_khsF1lZIRZDOxX9OgmKeqoOBXMY7mcgzwZEObfOkZEWG7h95audcF2MhGiCOJzz5NAKIt8Wl8P2u_T9T7vyEnU5v1yRxMR8_TD7-McgTQ17Cc2qecATD75j0Fw/w400-h276/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A3.jpg" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">「<a href="https://www.library-noda.jp/homepage/info/NDC_tree/localopac.html">地域資料カテゴリー検索</a>」と名付けられたこの検索方法はなかなか秀逸で、まず地図で地域を限定する。その際に、野田市を中心にして、千葉県の他市町村を指定できるだけでなく、千葉県全体とか東葛地方などのブロックや旧郡というように階層化した地域指定が可能になっている。周辺の茨城県、埼玉県、東京都も指定できる。左側のNDCの指定も階層化されている。このように地域と主題をクロスさせて検索できるアイディアはなかなかいいと感じた。担当者に聞いてみると、これは蔵書データのなかで地域資料にはNで始まる分類記号がついているので、それに対して検索をかけるもので、図書館で開発して提供しているとのことだった。このような手作りによる工夫はうれしいものである。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><h4 style="clear: both; text-align: left;">新聞記事見出し検索</h4><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">全国紙の地域欄や県域や地域で出ているローカル紙を保存している図書館は少なくない。かつてはクリッピングサービスも行われていた。ここではさらにローカル新聞の検索サービスが気になっていたので、どの程度おこなれているのか調べてみようと思い、講演でその一部を報告した。まず、情報源は国立国会図書館のリサーチナビにある<a href="https://rnavi.ndl.go.jp/jp/newspapers/post_1079.html">「地方紙の記事索引・検索サービス」</a>である。同館の新聞資料室調べによる。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both;">北海道、東北、関東甲信越まで17都道県の図書館の集計である。このなかで、地方紙の索引・検索サービスは全部62件存在した。うちわけは次の通りである。</div><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both;">新聞社作成 有料 17、無料3</div><div class="separator" style="clear: both;">図書館作成 41</div><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both;">無料で使えるものが44件あるということになる。全公図の<a href="https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/zenkoutou/report/2016/index.html">地域資料調査(2016年実施)</a>では、全国でWebに新聞記事DBを提供しているところが、都道府県で16、市町村で41だったのでそれよりはだいぶ増えている。なお、新聞社作成データベースについては、Gサーチデータベースサービスが全国36の<a href="全国36都道府県の地方紙記事などを提供">地方紙データベースの情報</a>を提供している。ほとんどが有料DBである。</div><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both;">さて、先の図書館提供のデータベース41件のうち、すべてが見出し語のデータベースで記事本体は提供されていない。このうち、更新中(最新版あり) のものは30件であった。残りは中断している、あるいは、特定時期だけを対象としているものである。見出し語の提供の仕方としては、</div><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both;">データベース形式 24</div><div class="separator" style="clear: both;">エクセルファイル形式 17</div><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both;">であった。見出し語の利用については著作権法上は権利侵害にならないとの判決があり、一般的に図書館での記事見出し検索は許容されている。(<a href="http://www.rilg.or.jp/htdocs/main/houmu_qa/2012/31_winter02.html">ヨミウリオンライン(YOL)事件(東京地判平成16年3 月24日判時1857号108頁、知財高判平成17年10月6日)</a>新聞社の許諾をとっていることを明示しているところもあった。以上のもの以外に、館内のみの利用として記事本体を閲覧に供している図書館もあるが実態については不明である。</div><div class="separator" style="clear: both;"><br /></div><h4 style="text-align: left;">野田市立興風図書館の新聞記事見出し検索</h4><div>新聞記事見出し検索のうち、エクセルファイル方式でのサービスを提供している野田市立興風図書館のものを紹介しよう。このようになっている。</div><div><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://www.library-noda.jp/homepage/digilib/catalog/index.html" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1598" data-original-width="1072" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi7VWzsuOo2KMqm-iMxgLthY2ygV3fmTwtRZaYL9aiuzSaVUyInQuRSs_y8CSo8fgkDQgTX-Ec7Zjz2-V1KCe_YSC_K2Vj1z4VKruoc6F2QWa4WgRNCg9MEEGBawzDurJDjq4LSkVFrHPXREMBP4Zruhms48NW440VoezMfemMhJKH4P8fC7K3Irsq77s4/w269-h400/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A4.jpg" width="269" /></a></div><br /><div><br /></div></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">1997年以降の全国紙の地方版を対象にした記事の一覧を見ることができる。次は2023年6月分。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi1gVQVcR7kGirOalQoMw0ibcIcXxk90-RIlDNsN1EOEg4BNecS3oeEpMbAtk8eF19sJ-N8hgi8-ELSGTm2mjYR_C-vZAqXjXrjOzmiNSgLVhgQAEoMRr2mtqWcr_-Ck0cdb5zpFJXF0K2iYqAakw5knz530hGqi9OQ_tvbT3mHqeNzrwQtR1Ae2CV0gLU/s2318/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A5.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1792" data-original-width="2318" height="309" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi1gVQVcR7kGirOalQoMw0ibcIcXxk90-RIlDNsN1EOEg4BNecS3oeEpMbAtk8eF19sJ-N8hgi8-ELSGTm2mjYR_C-vZAqXjXrjOzmiNSgLVhgQAEoMRr2mtqWcr_-Ck0cdb5zpFJXF0K2iYqAakw5knz530hGqi9OQ_tvbT3mHqeNzrwQtR1Ae2CV0gLU/w400-h309/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A5.jpg" width="400" /></a></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">担当者に伺うと、これは地域資料担当になったときの学習用にプログラミングの知識を応用してつくったものという。今でも、地方版を1ヶ月単位でまとめて見出し語を入力する作業を継続しているということである。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">また、ここにあるファイル全体に対して、検索をかけることができる。以下は「図書館」で検索したもの。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgWvE2rC_nGn4lQGOMXQFpFNo834votbJKHPTVsCkqDoW8_SYsXEdicRzebqrDC5JXH8vUXshbwdeqikKj8vLRaP87Ti1d3DJBuUY_Uwry1bCavjHVmT9GCikrhHWBZEMNc5aYWlzGOJITe2qn57l0m-xecGTo6e9gN5n7l6BRCLfwXqdNopVtskHOvNEg/s2492/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A6.jpg" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1736" data-original-width="2492" height="279" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgWvE2rC_nGn4lQGOMXQFpFNo834votbJKHPTVsCkqDoW8_SYsXEdicRzebqrDC5JXH8vUXshbwdeqikKj8vLRaP87Ti1d3DJBuUY_Uwry1bCavjHVmT9GCikrhHWBZEMNc5aYWlzGOJITe2qn57l0m-xecGTo6e9gN5n7l6BRCLfwXqdNopVtskHOvNEg/w400-h279/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A6.jpg" width="400" /></a></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">数百件の検索結果が返される。自然言語処理や検索結果表示などに工夫の余地はあるように思われたが、ちょっとした工夫と手間を掛けることによってこうしたサービスを図書館で実施することがわかった。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/07/blog-post.html">ブログの前号</a>で図書館員の専門知識と気概ということを書いたが、この図書館が仙田正雄、佐藤真という先達がいたところであることを思うと、その精神が受け継がれていることを感じた。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><h4 style="text-align: left;">謝辞</h4><div>山梨県立図書館での講演およびその後のフォローアップ調査にあたってお世話になった方々に御礼申し上げます。とくに山梨県立図書館丸山直也さん、千葉県立西部図書館赤沼知里さん、野田市立興風図書館川嶋斉さん、ありがとうございました。</div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-14610395336461047222023-07-14T21:17:00.028+09:002023-10-16T11:29:45.399+09:00三つの私設図書館と「舌なめずりする図書館員」<p>以下、最近、いくつかの図書館を訪ねて、それらに通底する戦後図書館の論理と限界、そして可能性を感じたので書いておきたい。このブログでは公共図書館の運営と今後の在り方について、あまり前面に出して論じてこなかったことではあるが、いい機会なので備忘録としておく。</p><h4 style="text-align: left;">函館・天理・野田興風</h4><p>5月下旬に函館市立中央図書館と旧市立函館図書館を訪ねた。ここの初代館長岡田健蔵は、明治末期にできた私立函館図書館の設立者で市立図書館となってから長らく館長を務め、市会議員もしていた地元の有名人である。彼が北方資料にこだわり、その方面で有数のコレクションをつくったことは図書館史家の間では知られていたが、全国的に有名というわけではない。同図書館は現在はTRCと地元企業との共同で指定管理になっている。やはり民間になじみやすいところなのかもしれない。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhlCuO6eQDfA0Og3y0tSnouy5Cq9A8jPUeS3scoe0xEXRvI8mqQeu10hoTOAnB8QBcmWc-A-CclmPuZj8y0UZcVRCB2Q5hhph6fJ1lDHlYf2PNCAvwoDPnJ2BRdYDMZXbv_InxkkTnbxs_ik7YPjP3wxLtFjjzbpzrz_h_bh6RafrwwqsW1vUGEMHGUu6E/s4032/IMG_1438.HEIC" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="3024" data-original-width="4032" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhlCuO6eQDfA0Og3y0tSnouy5Cq9A8jPUeS3scoe0xEXRvI8mqQeu10hoTOAnB8QBcmWc-A-CclmPuZj8y0UZcVRCB2Q5hhph6fJ1lDHlYf2PNCAvwoDPnJ2BRdYDMZXbv_InxkkTnbxs_ik7YPjP3wxLtFjjzbpzrz_h_bh6RafrwwqsW1vUGEMHGUu6E/s320/IMG_1438.HEIC" width="320" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> 旧市立函館図書館(現中央図書館とは別)</div><p>6月に関西旅行をしたときに、天理図書館を訪ねた。天理教2代目真柱で同教発展の立役者中山正善の事績に関心があったためである。正善は、東京大学文学部宗教学科の卒業で国際的な宗教学者姉崎正治の下で研究を行い、宗教活動を行うのに文献的根拠が必要と考え世界中の宗教の教典や宗教書を集めることから始め、貴重な文献資料を集め始めた。そうして集められた蔵書が発展して天理図書館となった。彼は文献のみならず歴史、民俗、考古学関係の稀代のコレクターとして知られ、天理教が国際的な布教活動をしていた時期に各国支部から送られてきたコレクションは現在天理参考館と呼ばれる博物館で展示されている。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhpfaMcAMhIifiw0UP7NjoawtZ_c6BuzZZ-NLV3t8Q4Z6XgXx1JViBMQDSKKlOkOxCBNCjSea7ho4i8jq6hsV5KITosQmCqTjXyUQXYdlk5pz5JSYwWkQx427Cb6hDuqmxI0nbMth4ualckUsQWwrJFVtc6_DLz6jueMd9jy6cQV-WWssNf3slNr1bano0/s4032/IMG_1589.HEIC" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="3024" data-original-width="4032" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhpfaMcAMhIifiw0UP7NjoawtZ_c6BuzZZ-NLV3t8Q4Z6XgXx1JViBMQDSKKlOkOxCBNCjSea7ho4i8jq6hsV5KITosQmCqTjXyUQXYdlk5pz5JSYwWkQx427Cb6hDuqmxI0nbMth4ualckUsQWwrJFVtc6_DLz6jueMd9jy6cQV-WWssNf3slNr1bano0/s320/IMG_1589.HEIC" width="320" /></a></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> 現在の天理図書館</div><p>函館図書館と天理図書館は古書店から古文献の出物があると競争するように購入し続けた図書館として、古書店業界では有名な存在だった。最近、この両図書館と関係がある第三の図書館があったことを知った。それが千葉県野田市の興風会図書館である。もともと野田醤油(現キッコーマン)系列の社会事業組織興風会が運営する私設図書館であった。これも現在は野田市立興風図書館となっているのだが、昨日、ここを訪問した。先の両館との関係というのは、かつてここの主任として活動した図書館員として仙田正雄(在職1941ー1943)と佐藤真(在職1943-1967)がいたことである。</p><p>この二人はがちがちの主張のある図書館員だった。仙田はもともと奈良の出身で天理図書館にもいたことがあった人だが、戦後に再度、天理図書館に入ってその後天理大学教授も務めた。仙田の後を継いだ佐藤はそれ以前に函館図書館の職員で(在職1930-1943)、こちらに呼ばれてその後この地で長らく図書館長、郷土史家として活動した。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://www.chiba-muse.or.jp/SCIENCE/kenzo/images/23-1.JPG" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="228" data-original-width="352" height="228" src="https://www.chiba-muse.or.jp/SCIENCE/kenzo/images/23-1.JPG" width="352" /></a></div> 旧興風会図書館<p>筆者にとって仙田正雄は、戦前は関西の青年図書館員聯盟(一旦解散して、戦後は日本図書館研究会として再結成)の活動家で、アメリカ議会図書館東洋部でライブラリアンを務めたあと、戦争開始とともに帰国して関西で活動した人というイメージであったから、短いとは言え興風会図書館で働いたことがあったとは意外だった。仙田は資料組織論を中心に、図書館に関することについてさまざまなことに関心をもち発言をした人である。それは、彼の『楢の落葉』というエッセイ集によく現れている。また、記憶に残るのは、戦後の学校図書館導入期にいち早く文部省の『学校図書館の手引』の伝達講習会(1949)に手をあげ、率先して学校図書館制度を推進しようとしたことである。彼は分類や目録、件名目録が利用者あるいは学習者と資料とをつなぐ重要なツールであるという本質的なことを見抜いていた人だった。</p><h4 style="text-align: left;">「舌なめずりする図書館員」</h4><p>佐藤については、「舌なめずりする図書館員」という言葉で記憶されている。これは「中小レポート」の関係者が『図書館雑誌』上の座談会で、郷土資料を扱う郷土史家的な図書館員が古文書を読む態度について、この皮肉な表現で批判していたのに対して、逆手にとって郷土資料こそが地域住民とのつながりを保持するための重要な契機になることを強調した意見であった。(太字は原文では上点がついている表記)</p><blockquote style="border: none; margin: 0px 0px 0px 40px; padding: 0px;"><p style="text-align: left;">奉仕といっても、今日、明日生きている人々、または、生きるであろう人々に図書館資料を利用して頂くことと、将来(五〇年或は一〇〇年後も考えて)生まれてくるであろう人たちのことも考慮に入れながら、現在の図書館員が奉仕するということは、二通りの意味があると思う。そしてこの考え方は何時の時代の図書館員でも必ず<b>堅持していなくてはならないもの</b>と私は考えている。特に、常に末端の民衆と深いつながりを持たなくてはならない中小図書館こそ、郷土資料を以上のような考えに立って集め、その職にある図書館員が、能力に応じて(勉強して)解読し、解説し、いい古された言葉であるが、”温故知新”の為に奉仕してあげるのだろうと考える。従って、その経過にあって、たまたま<b>よろいびつの中の虫くい本</b>(文書)があって、それを解き明かすことによって、地域住民の郷土に対する認識を改めさせ、今日の産業や生活姿勢を正すに役立つことがあるならば、<b>舌なめずりしながら悦ぶ</b>のは当然すぎるほど当然なことではないだろうか。</p></blockquote><p>筆者はかつて2度この文章の一部を参照したことがあるが、今回改めて長めに引用してみて前とは異なった感想をもった。岡田や仙田と同じ系譜の図書館員としての確固とした信念と、さらにそれを支える知識やスキルがあったことへの自負を感じる。</p><h4 style="text-align: left;">戦後図書館の隘路</h4><p>人によっては、彼の考えは独りよがりのように聞こえるかもしれない。少なくとも、「中小レポート」(1963)、「市民の図書館」(1970)が「資料提供」の方針を打ち出したときに、図書館員は「市民」「住民」の要求という絶対的な存在に寄り添ってサービスをするべきであり、「奉仕してあげる」というような尊大な精神は捨てるべきだとした。公務員という枠のなかで仕事をしようとすれば、このような民衆を導くというような考えは成立せず、民衆の読書欲に賭けようと考えたのだ。これが有山崧と前川恒雄が先導した戦後公立図書館の論理である。それは的中し1970年代以降の大躍進があった。だが、それは高度成長とバブル経済という時代の好調な財政に依存して成立したものである。これが1990年代以降の公共経営論においては評価指標として突きつけられ、「来館者数」や「貸出数」にがんじがらめになって、四苦八苦する原因にもなった。自縄自縛に陥ったのである。</p><p>今挙げた三つの図書館はいずれも私設図書館としてスタートした。とくに興風会図書館長の佐藤は、東北帝国大学図書館から函館図書館に移った人で、戦後図書館の論理とは別の考えを保持していた人である。私設図書館、私立図書館は、日本の官の論理を強く意識するところから出発した「資料提供」とは別の図書館の論理を保持することができていた。私立函館図書館は1907年(明治40年)に設立され1928年(昭和3年)に市立図書館となり、2015年に指定管理制を導入した。天理図書館は一貫して天理教の聖地天理にあり、現在は天理大学付属図書館という位置付けであるが、一般への開放も行っている。興風図書館はずっと興風会図書館という図書館法上の私立図書館であったが、1979年に市に無償譲渡され、現在の市立興風図書館となった。</p><p>私設図書館が公立図書館と異なる論理があるとすれば、創設者の創設の理念が強力に働いていることである。図書館は営利事業にはなりにくいから、ある種の民衆奉仕の精神が働くし、その裏側には何かの訴えたい理念がある。函館図書館の場合は岡田の北方資料に対する強い関心があり、天理図書館の場合は布教活動に伴う真柱正善自らがもつ主知主義があり、興風会図書館の場合は醤油醸造業創業者のもつ社会奉仕精神と社会改良主義があった。目的が明確だからそれにふさわしいコレクションとそれにふさわしい手法があった。手法の重要な柱に目録や分類、書誌、などの資料組織活動があった。だからこれら三館には、資料のことがわかりそれを自在に操ることができる個性豊かな図書館員がいたのである。</p><p>公立図書館は「全体への奉仕者」としての図書館員が「図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設」(図書館法第2条)というような曖昧な目的を掲げざるをえないから、それを「資料提供」と言い換えることで無難な範囲でのサービスにとどまらざるをえなかった。そこでは、図書館員が本来もつ資料収集、組織化、排架、展示、レファレンスといったコレクション自体の価値を見極めて提供することができくくなった。1970年代以降、地方の時代が叫ばれ、一方で郷土資料、地域資料の重要性が言われていたにもかかわらず、コミットメントが浅くなったのはそれを意味する。せいぜいが、子ども読書とか障害者サービスのような国の政策に寄り添う部分でしか踏み込んだことができない状況となった。</p><h4 style="text-align: left;">おわりに</h4><p>「舌なめずりする図書館員」は不要とされたのであるが、それで失ったものは資料についての専門知識と扱うためのスキル、そして図書館員としての気概ではなかっただろうか。少なくとも以上に挙げた三人にはそれらがあった。図書館員が全体としての奉仕者たらんとするためにも、それを裏打ちするものが必要である。とくに、MARCと図書館システムが導入されたことで、図書館員の専門性を発揮する局面が見えにくくなった。地域における図書館員の活動の源泉が地域におけるオリジナルな資料収集とその提供にあることは言うまでもないが、それをどのように提供するかが問題なのである。入ってきたものを分類し目録をとって書架に並べれば済むわけではない。市販資料なら、書店や広告や他の手段で存在が目につきやすいが、ローカルな資料はそうは行かないから、どのように見せるかが大事である。</p><p>函館と興風が公立図書館になってどのように変わったのか、あるいは変わらないのか。これが次の検討課題である。次に、興風図書館は現在でも興風会図書館時代の伝統が継承されていることを見ることにしたい。(<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/07/blog-post_17.html">続く</a>)</p><h4 style="text-align: left;"><参考文献></h4><p>大石豊「興風会図書館の創設・発展と千秋社・興風会」『大倉山論集』第55輯, 2009, p.155-177.</p><p>川嶋斉「「興風会図書館」と「野田市立興風図書館」」『LRG』第28号, 2019, p.32-37.</p><p>坂本龍三『岡田健蔵伝ー北日本生んだ稀有の図書館人』講談社出版サービスセンター, 1998.</p><p>佐藤真「舌なめずりする図書館員」『図書館雑誌』 58巻7号, 1964年6月, p.304-305.</p><p>丹羽秀人「岡田健蔵と市立函館図書館」『LRG』第28号, 2019, p.60-65.</p><p>根本彰「戦後公共図書館と地域資料—その歴史的素描」日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会編『情報公開制度と図書館の自由』日本図書館協会, 1987, p.62-93.</p><p>根本彰「地域資料・情報論―図書館でどう扱うか」『図書館雑誌』 95巻12号, 2001年12月, p.922-924.</p><p>浜田泰三 (編)『やまとのふみくら―天理図書館』中央公論社, 1994, (中公文庫). </p><p>*昨日、千葉県立図書館の大石豊さんにお会いし、上記の論文をいただいた。この論文に目を通したとき、三つの図書館が私のなかでつながった。ヒントを与えてくださった大石さんに感謝したい。</p><p><br /></p><div><br /></div><p><br /></p><p><br /></p>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-59114446128983091782023-06-22T12:13:00.016+09:002023-07-05T17:10:44.236+09:00新刊『図書館情報学事典』の構想と執筆項目<p>来る7月に日本図書館情報学会編『<a href="https://www.maruzen-publishing.co.jp/fixed/files/pdf/304955/catalog_pdf_304955.pdf">図書館情報学事典</a>』(丸善)が刊行される。<span>(タイトルをクリックすると丸善のHPからこの事典の詳細な目次入りの<a href="https://www.maruzen-publishing.co.jp/fixed/files/pdf/304955/catalog_pdf_304955.pdf">リーフレット</a>を見ることができる。)</span>この事典の編集責任者を務めたので、自分自身で書いた項目についての若干の解説をしてみることで、この事典のコンセプトと売りの部分を書いてみたい。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://www.maruzen-publishing.co.jp/fixed//images/book/304955/304955.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="282" data-original-width="200" height="282" src="https://www.maruzen-publishing.co.jp/fixed//images/book/304955/304955.jpg" width="200" /></a></div><br /><p></p><h3 style="text-align: left;">本書の特徴</h3><p>丸善は以前からさまざまな学術分野の事典を刊行してきた。ここ20年ほどそれは同じような体裁の『○○学事典』というタイトルで出ている。同時期に日本霊長類学会編『霊長類学の百科事典』、小松久男編者代表『中央ユーラシア文化事典』、日本平和学会編『平和学事典』が出るようだ。いずれも、見開き2ページ(一部は4ページないし1ページのものもある)でまとめられ、そうした項目が300前後で構成され、それに引用参照文献、事項索引、人名索引がつけられて、700ページから800ページ程度の中事典である。見開き2ページというのは、だいたい、2000字ちょっとであり、少しまとめて論じるにはちょうどいい量である。</p><p>丸善は学術書の輸入販売だけでなく学術書出版も積極的に行ってきた。販路として図書館は重要であることもあり、以前から図書館情報学会とは密接な関係があった。『図書館情報学用語辞典』(第5版, 2020)をずっと出してきたし、かつて『図書館情報学ハンドブック』(初版, 1988、 第2版, 1999)があった。今回の事典はこのハンドブックの改訂版とも考えられるが、編集方針はだいぶ異なっている。</p><p>ハンドブックは図書館情報学の実務家を意識して体系的・網羅的な構成になっていた。20世紀までの図書館情報学の範囲はどの国でもそれほど大きな違いはなくそれをカバーしていたと言える。しかしながら、ちょうど第2版が出た頃からネット社会への移行が明確になり、それに伴いこの分野の範囲ははっきりしなくなり、そのアイデンティティは危うくなりつつある。「図書館」にこだわれば、現実的なネット社会との懸隔は拡がり、逆にネットワークテクノロジーを前提とすると限りなく他の情報メディア分野に拡散する。</p><p>本書はその意味でハンドブックがもっていた体系主義、網羅主義、実務志向を捨て、図書館情報学のコンセプトを自ら問い直しながら新しい像を提示する方向を模索する出版物とした。だから、試行的・冒険的なエッセイとなっている項目も少なくないし、読者としてもこの分野の関係者はもとより周辺領域の人々にも読んでもらうことを意識している。情報の制度を扱った部門で、知る権利、アクセス権、情報公開、情報と データの自由な流通と規制、ユニバーサルな情報利用、パブリックフォーラム論、ガバメントスピーチといった相互に関連する法的、政治的概念について述べているが、これらは図書館がそもそももつ公共的な基盤において情報を流通させるときにもつ個々の課題と密接にからみあっている。また、図書館を論じたところで、図書館を扱った小説や映画を取り上げて項目毎に論じたところがあるが、そうした表現のなかにそれぞれのカルチャーや表現者が図書館をどのように見ているのかが如実に示される。</p><p>とは言え、本書を構成する10の部門のうち、「情報・知識の組織化」「情報検索」「情報行動」「学術コミュニケーション」あたりは図書館情報学の核にあたり、オーソドックスな記述となっている。ある意味では変わり映えしないように見えながらも、時代の流れを承けて今までにない新しい動向を記述することも行っている。それを確認しながら読むのもこうした事典の読み方になるだろう。</p><h3 style="text-align: left;">筆者の執筆項目を例にとって</h3><div>まあ、実際には執筆者によるので、項目によって冒険したり概説的な書き方にこだわったりといろいろではある。ここでは筆者が書いたいくつかの項目を紹介することで、この事典の特性のひとつをご理解いただきたい。筆者が書いたのは、①「データ・情報・知識」、②「アーカイブ」、③「レファレンス」、④「図書館情報学」、⑤「J. H. シェラ」、⑥「ポール・オトレ」、⑦「メディアとしての紙」、⑧「文芸共和国」、⑨「普遍図書館の夢」である。実はもう一つ「メタファーとしての図書館」を勇み足で書いてしまったのだが、すでに他の方に依頼していたことを忘れていたので、それはこのブログの<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2021/09/blog-post_16.html">2021-09-16「メタファーとしての図書館」</a>として公開することにした。これから書くことの一つのサンプルとして読んでいただけると有り難い。9項目のなかで従来の意味で図書館情報学の範疇に入るものは④〜⑥の3項目だけだろう。筆者が率先して図書館情報学の枠を拡げるのを買って出ているところもある。</div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">図書館情報学基礎論</h3><div>たとえば、①〜③については、図書館情報学の基礎論として、筆者がここ10年くらいで取り組んだテーマをまとめて示している。①「データ・情報・知識」については『図書館情報学基礎』(2013)、②「アーカイブ」は『アーカイブの思想』(2021)、③「レファレンス」は『レファレンスサービスの射程と展開』(2020)で書いたもので、要するに情報や知識と呼ばれている概念をこの領域特有の切り口から示している。それは外化された知の扱いということであり、それは、歴史的にも⑤「J. H. シェラ」と⑥「ポール・オトレ」といった先駆者達が論じていたことである。シェラについては、別のところの項目「ピアース・バトラー」と一緒に扱うべきだとも思ったが編集上の都合で離れてしまった。</div><div><br /></div><div>事典の他の項目「言語と記号」「テキスト」「ドキュメント」「ドキュメンテーション」などと合わせて見れば、これらは、哲学、言語学、歴史学、社会学、教育学などとの境界領域にあって、今後十分に拡張可能と考えられる。④「図書館情報学」のなかでは紹介しきれなかったが、アメリカやヨーロッパの情報学(information science)の基礎論的な議論においてはこの分野で実績を挙げている研究者(Birger HjørlandやNiels W. Lundなどの北欧系の人とRonald Day, John M, Buddなど英米系の人)がいる。UC BerkleyにいたMichael Bucklandは日本でも翻訳書も数冊あって知られているが、取り上げられているもの(と取り上げる人)に偏りがある。彼はもともとは英国出身で率先してヨーロッパのドキュメンテーションや情報学をアメリカに紹介する役割を果たしてきた。ヨーロッパと英米の情報学をつないだのはフランスのSuzanne Brietの<i>Qu'est-ce que la documentation? </i>(Paris: EDIT, 1951)の英訳である<i>What is Documentation?</i>(Scarecrow Press, 2006)である。これは、ドキュメンテーションの創始者Paul Otletの紹介者として活躍したW. Boyd Raywardからその重要性を知らされたBucklandが率先して行った翻訳プロジェクトで、彼自身はBrietの書誌と人物紹介をしている。また、Dayが翻訳者の一人となっている。その後、英米圏とヨーロッパの情報学の溝は明らかに小さくなった。Ref. <a href="https://doi.org/10.20651/jslis.66.3_95">[書評]『新・情報学入門』(根本 彰) </a></div><div><br /></div><div>残念ながら日本ではこうした基礎論的な問題を取り上げる図書館情報学者はこれまでほとんどいなかった。本書の第一部門で積極的に取り上げたので今後続いてくれることを期待したい。欧米の情報学基礎論はICT環境下では有効だし、図書館情報学のルーツはそちらにあるので今後ともそれは見ていきたいが、他方、筆者自身は制度としての図書館や図書館情報学思想を日本で考えるためにはそれだけでは十分でないと考えてきた。このブログでも何度も取り上げてきたように、言語と思考の関係が欧米と日本でかなり違っていることをもっと追求するつもりである。</div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">図書館概念の拡張</h3><div>残りの⑦「メディアとしての紙」、⑧「文芸共和国」、⑨「普遍図書館の夢」もまた従来のオーソドックスな図書館情報学の本では扱われなかったものを積極的に取り上げた項目である。⑦は、紙から電子へという議論を逆手にとって、なぜ紙が二千年の間メディアとしての重要性を保持し続けてきたのかを述べるだけでなく、実は製紙業は日本の産業として重要であること(運搬(段ボール)、建材や包装)や、紙幣や契約書、有価証券など経済や法を支えるものとしまだまだ使われ続けていることを述べている。⑧は、近代ヨーロッパの学術史のなかで知識人がラテン語で書いたもの(書簡、書物)によって交流していたことが、近代図書館の出発点として重要であることを指摘した。この項目では最後に日本でも江戸の後期に似たような現象があったことについても触れた。</div><div><br /></div><div>⑨は不掲載の「メタファーとしての図書館」とともに、筆者自身の図書館像を示したものである。ここに取り上げた、パッケージ化した知を網羅的に集めて一望できるようにしたり検索可能にしたりする仕組みは、現在ならGoogle BooksとかNDLデジタルコレクションで一部は実現しているようにも見える。しかしながら、それが先のメディアとしての紙の書物の集積と等価なものなのかが問われなければならない。さらには、メタファーとしての図書館はそうしたコレクションや検索装置とどこまでいっしょなのかという問題がつきまとう。急に現れた生成系AIの可能性も含めて考えなければならないが、議論する際のヒントになればよいと思う。</div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">索引について</h3><div>図書館情報学において、索引が重要な役割を果たすことは言うまでもない。本事典はきわめて多方面の執筆者がいて、用語の表記や理解だけでなく文体や論じ方、表現の仕方もまちまちであるが、それを無理に統一しなかった。また、当該分野の専門家向けとは必ずしもしないことを目標にしたので、初心者にも分かりやすい用語を使い、あまり原語表記やカタカナ語を入れることを避けた。だからNCRは日本目録規則だし、Googleはグーグルになっている。</div><div><br /></div><div>これは以前の『図書館情報学ハンドブック』の用語法や文章表現において専門家向けに統制がとれていたのと比べると大きな違いである。が、だからこそそれらを何らかの意味で使いやすいものにする必要があった。たとえば、Americanで始まる機関名をアメリカとするか米国とするか、さらには原語からも略称からもアクセス可能にできるかといったことが問われる。実際に項目によって用語法に不統一がある場合について「索引で吸収する」という言い方をして、索引がうまく機能できるようにした。そして、そのために編集委員会内に索引チームをつくり、協同で索引作成を手掛けた。やってみて、索引作成が言語表現と知をつなぐ重要なポイントであることを身にしみて感じた。なお、項目間の関係は索引よりも目次と項目内のタイトル横にある「をもみよ参照」で分かるようにしたが、その作業も担当した。</div><div><br /></div><div>ただ、その点で問題が一つ残された。本書の企画段階で丸善事務局と話したときに気づいたことだが、この事典シリーズには電子書籍版があるが、それがPDFで提供されていることの問題点である。電子書籍版においても索引はテキストでしかなくて、本文と直接リンクされていない。今、他の事典の電子書籍版を見ても同様だから、たぶんこの事典についてもそうなるのだろう。これは、基本的なシステム上の問題であり、この事典だけでは解決できないが、こういうことの専門学会がつくる事典がこれでいいのかについては今後とも議論していきたいと考えている。</div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><p><br /></p>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-87534173332723366142023-05-18T21:19:00.012+09:002023-05-19T14:48:15.525+09:00知は蓄積可能か<p> 2021年に『アーカイブの思想』を出したのをきっかけに、アーカイブをテーマにした講演の依頼がいくつかあった。それについては、前に<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2022/09/blog-post.html">一覧</a>を公表したが、ここでは講演を元にしてもう一度考えをまとめ直したものとして次の3本の論文を挙げておきたい。</p><p>1. 根本彰「知のアーカイブ装置としての図書館を考える:ニュートン関係資料について」『短期大学図書館研究』(私立短期大学図書館協議会)40/41合併号 2022.3 p.103-110.(オープン化されていない)</p><p>2. 根本彰「知のアーカイブ、歴史のアーカイブ:ニュートン資料を通してみる」『アーカイブズ学研究』(日本アーカイブズ学会)No. 37, 2022.12. p.4-18.(エンバーゴ期間。2024年4月公開予定)</p><p>3. <a href="https://drive.google.com/file/d/1Gqie2yKGkyLSjgDgJGKvkGaVx0eyM8BS/view?usp=sharing">根本彰「知は蓄積可能か:アーカイブを考える」『2022年度極東証券寄付講座 文献学の世界 書物と社会の記憶』慶應義塾大学文学部, 2023.05, p.99-115.</a>(発行元の許諾の下に公開)</p><p>最近、発行された冊子に論文3を公開したので、ここに紹介する。これは、慶應義塾大学文学部が極東証券株式会社よりの寄付金によって運営している「文献学の世界」という学部授業でお話ししたものを元に再構成したものである。概要を説明すると、二宮尊徳関係で新しい近世史上の発見があったという新聞報道について出典の扱いの困難性の問題から始まって、知のアーカイブがどのようにしてつくられるのかを西洋の書物と人文学の関係、レファレンスツールのつくられ方、デジタルヒューマニティーズと新文献学といった素材によって論じることで、『アーカイブの思想』の論旨を具体的な素材を元にして整理して示した。デジタルヒューマニティーズによって文献学(philology)の系譜に新しい展開があることについても言及している。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgareU-G1z35oi1MxVvH3g8q0AB-D6IFZw5KjEreLxteprnxusZq3_KKbSKL8OoowE_mnOmZZAclCJWgXTf4Bitg0mkyU9VXlGMqMScv1uLV6Or9NiA0StHUiGrgy5jAQiIZ2p-VQx7z0_bRm5CwKVjHNEz8vQUh0SEiXs8mi6n_hr4yS5MhzVdQMcb" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="2987" data-original-width="2085" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgareU-G1z35oi1MxVvH3g8q0AB-D6IFZw5KjEreLxteprnxusZq3_KKbSKL8OoowE_mnOmZZAclCJWgXTf4Bitg0mkyU9VXlGMqMScv1uLV6Or9NiA0StHUiGrgy5jAQiIZ2p-VQx7z0_bRm5CwKVjHNEz8vQUh0SEiXs8mi6n_hr4yS5MhzVdQMcb" width="168" /></a></div><br /><p>なお、この「文献学の世界」という冊子のシリーズは、カラー印刷でなかなか豪華な装幀のほんづくりをしているのだが、関係機関に配布するだけの限定本で外部にはほとんど知られていない。ここ6年で次のようなテーマがある。</p><p>2022年度 書物と社会の記憶 / 安形麻理編(2023.05)</p><p>2021年度 テクストと/の空間性 / 徳永聡子編(2022.05)</p><p>2020年度 書物に描き出された時/時の中の書物 / 安形麻理編(2021.05)</p><p>2019年度 書物と知の組織化 / 安形麻理編(2020.05)</p><p>2018年度 書物の境界 / 安形麻理編(2019.05)</p><p>2017年度 書物から見る知のネットワーク / 安形麻理編(2018.05)</p><p>興味深いテーマが並んでいて、外に出ていないのはもったいないので、担当の安形教授に話していくつかの図書館に寄贈していただくことにした。</p><p><br /></p>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-55213085121677362942023-05-16T23:08:00.012+09:002023-09-28T10:21:01.857+09:00『アーカイブの思想』のその後 ②<p> 拙著『アーカイブの思想』に新しい書評が加わった。以前のものについては、<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2022/09/blog-post.html">ここ</a>を参照のこと。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/282006 " style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1664" data-original-width="1156" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjtsxhU5OFViWD0MNhR6OhMopyf5yVlmjpJNSS0fs4Ne0_60m0vHBJzYVsiJESapmQkUpFQIWDWHRmsSlsMLFHsYEZfG9oGlFTj8WVcYMx7L5mIWT_9X7jLJ4uMd5CXLbuEUETY-OuiJfysJJ7SHgMd-S-mClLPdKO8Yn8GZJMSeD5CXnZ3VHykCnkj/w139-h200/1.jpg" width="139" /></a></div><p><a href="https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/282006">渡辺恭彦「<書評>根本彰『アーカイブの思想 --言葉を知に変える仕組み』」京都大学大学文書館研究紀要 21 93-99, 2023-03-20</a></p><p>これを取り上げてみる。これまで出た書評のなかではもっとも本書著者(以下、著者)の執筆意図に寄り添い、そこから汲み取れるものを書評者(以下、評者)の言葉で記述しようとしてくれているものと思えた。書評は「本書は、図書館情報学が専門の著者によるアーカイブ論である。著者の問題意識は、西洋社会でアーカイブが果たしてきた機能を捉えなおし、日本におけるアーカイブ思想をつくることにある。著者は、書くことや記録すること、知のあり方といった抽象的な次元について古代ギリシアにまで遡ったうえで、読書行為の変容や図書館の位置づけを歴史的に辿り直している。」(p.93)で始まる。書評全体は著書の内容を第1講から最後の「エピローグ」までていねいに紹介してくれている。これまで出た書評はページ数の制限もあり、ここまで詳細に著者の記述を要約して示してくれたものはなかった。その意味でもこういう書評が出たことはありがたいと思う。</p><h3 style="text-align: left;">書評の概要</h3><p>第1講の最後にまとめて、評者は「著者は、語り手が物語ることによって現実や情報/知識が作られるという言語論的転回の議論を積極的に採り入れる。その一方で、書物や図書館が知の利用法として1000年以上の歴史を持つことに意義を認め、AIテクノロジーやネットワーク技術等については慎重な立場に立つ。このように古典的な知の形態を尊重していることが、本書全体の特徴ともなっている。」とする。このレベルでの読解をしてもらったことはなかったので、否が応でも期待は高まる。そしてその期待は裏切られない。たとえば、第2講では、古代ギリシア哲学の重要概念であるロゴスとパイデイアが本書の前半の西洋思想における書き言葉の重要性の指摘を貫くものであることを見抜くと同時に、第3講では東洋や日本の書き言葉の呪術的性格やその身体性、そして西洋のアルファベットを基準にしたときの表記の多重性を指摘する。著者が、西洋的なアーカイブの思想がなぜ東洋や日本でそのまま適用できないのかを後半で述べるための伏線としたものを的確に読み解いている。</p><p>このあとの本論の記述についてもこうしたレベルでの読解が続くので、著者としてもそういえばこういうことを書いたのだと、改めて自分の思考を跡付けることができた。そして「本書は対象とする時代や地域が広く設定されているだけでなく、最新の理論も参照されており、類を見ない書である。評者にとって、史料や書物のあり方を考えるにあたって学ぶところの多い著作であった。さまざまな補助線が入れられ、各講が緊密に連結して構成されていることを考えると、直接論じていないところにも著者が目を配っていることは論を俟たない。」と述べ、また、最後に「図書館や書物がつくられてきた歴史をダイナミックに辿った本書は、アーカイブについて学ぶところが多いだけでなく、教養主義や読書論、ひいては日本における学問の発展史としても読むことが可能である。著者は、天下り的に与えられた知を受容するのではなく、人々のあいだで自由自在に知を探求する能力が涵養されることを願っている。本書に織り込まれた該博な知識を吸収することにとどまらず、そこからさらに、さまざまな方向へと関心を展開していくことが読者に求められているように思う。」で終えている。</p><p>これは著者にとって最大限の賛辞と受け取れるものであった。というのは、これまでも幾人もの論者から書評して頂いているが、それぞれが評者自身が立脚している立場から見た拙著についての評価であった。だから、ここまで拙著が表現したいことをていねいに抽出しながら、著者の論の文脈に沿って全体像を読み解いた上でこのような評価をしていただいたことは望外の喜びである。書評の途中で、石川九楊の「筆蝕の構造」や東洋の文字表記について論じたところが「梅棹忠夫の情報文明論に近接しているように思われる」との評については当たっていないこともない。梅棹の文明の生態史観や知的生産の技術は若い頃に読んでどこかで自分の一部になっている。白川静の漢字論も含めて、拙著で取り上げた文字論の多くは京都に本拠を置く人たちの所論であることは偶然ではないかもしれない。以前から自分が志向するものが東京大学のアカデミズムよりも京都大学のそれに近いとも感じていたからである。</p><h3 style="text-align: left;">評者の質問に答えて:日本の学術図書館</h3><p>書評の最後に「著者の考えを伺うというスタンスでいくつかの論点を提出してみたい。」とあるので、これらにお答えしてみたい。最初の論点は近代日本の学術図書館をどのように評価するのかという点である。評者は京都大学図書館の在り方が西田幾多郎をはじめとした学者の一次資料を含めたコレクションを研究者に限定的に提供してきたと述べ、その在り方をどう考えるか、また、評者が務める京都大学文書館も含めてそうした特別コレクションを受け入れるスペースも不足しているし、何より専門分化して個々の専門を見極められる人が限定されていると述べている。(この点について評者が別に『京都大学文書館』だよりに<a href="https://researchmap.jp/yasuhiko/misc/40371727/attachment_file.pdf">「京大教員と図書館」</a>を書いている。)</p><p>まず、拙著における日本の近代図書館史の記述は、国家および大学教員が西洋図書館的な視点からすると図書館を軽視してきたという論調で一貫している。これは東京帝国大学を典型とする大学が西洋の学問モデルを模倣し、図書館はその成果を翻訳移入するためのツールとしたので、知を国民一般に配布するためには彼らが書いた書物を出版すればよいという態度であったことに由来する。だから、図書館は閉鎖的で研究者が自分たちが使いやすいようにするだけで、部外者に広く開放するような考え方は弱かった。京都大学も例外ではないが、東京大学と少し役割が異なるのは、京都という日本の伝統文化の中心に位置付けられたことと、2番目にできたことで東京大学のアカデミズムとの差別化のダイナミズムが働いたことにより、独自の学問を展開させやすかったことがある。先のコレクションもそういう考え方から自らのアーカイブを重視したものと思われる。つまりオリジナルな成果を受け入れることで図書館は新しい段階に入るわけである。</p><p>そのことと、図書館やアーカイブズを大学組織のなかでどのように政策的に位置付けるかは別問題である。とにかく、法人化以降の国立大学はこうした基盤的経費を削りながら競争的に重要施策に経費費配分するという方針のもとにあるので、政策的に優先順位が高いと認められなければ経費は削減されていく一方である。大学図書館はさらに、オンラインジャーナル経費の高騰という難題を抱えて他のことに手が廻らない。大学文書館がここ20年のあいだにずいぶん増えたのは、情報公開法への対応という事情があったからで、法人のなかで政策的な位置付けが高かったと言えるのだろう。図書館とは異なり文書館には教員が配置されている。だが、研究者であるからよいアーキビストになれるとは限らない。また、確かに専門分化が進むほど個々の研究者が対応しにくい状況がある。</p><p>たぶんこの論点は、拙著の目指す方向が分野を超えて学術知の共通基盤をどのように確保するのかにあるように見えるので、図書館情報学にそのような議論があるのか、またライブラリアンにそうしたものへの対応があるのかを問うているのだろう。その答えは、西洋には間違いなく存在しているが日本ではかなり弱いということになる。西洋ではもちろん国や置かれた状況で千差万別だが、理念的には知の蓄積を扱う機関が図書館であり、大学には当然のことながらリベラルアーツに対応できる総合的な図書館が置かれ、さらに個別の学問分野毎に専門的な図書館も置かれている。そこには一定のトレーニングを受けたライブラリアンがいて、専門コレクションの価値を見定めることも可能である。また、大学自体のファンドが大きくそのなかで図書館の位置付けも高い。拙著はそれがなぜ生じたのか、また、日本ではなぜそうならなかったのかを明らかにしようとしたものである。</p><h3 style="text-align: left;">評者の質問に答えて:戦後教養主義の考え方</h3><p>もう一つの論点は、日本の教養主義について一方では人格主義的な大正教養主義の系譜があり、他方で、『日本資本主義発達史講座』(1932-1933)に端を発するマルクス主義の系譜があったと書いたことについて、後者が新しい知見であるというものである。この指摘を受けて、改めて竹内洋、筒井清忠、苅部直などの教養主義論を見てみたが、確かにマルクス主義の系譜を教養主義と呼んでいるものは見当たらなかった。しかしながら、この考え方は著者の独創ではもちろんなくて、いろんな人が言っていたことである。というよりもこれは著者の世代からせいぜい10年くらい下までの人にとっては実感していたものである。竹内洋に『革新幻想の戦後史』(中央公論新社, 2011)があるが、これに描かれている「革新」の思想がそれである。要するに冷戦体制において資本主義vs.共産主義という対立軸があるときに、日本共産党やその下部組織の民青に所属しなくとも、レフトの思想に共感をもつことは当たり前であり、この世代にとって丸山眞男あたりが中心軸になってそこからやや左に振れる、マルクス主義系の思想書や社会科学書を読むことが常識だったということである。学生運動、労働運動、公害運動、平和運動などの時代であり、運動への直接的コミットができなくとも「体制」に異論を突きつける思想に関心をもつことが当たり前だった。</p><p>時代を特徴付ける思想の軸がどこにあるのかを考えることは、アーカイブの思想においても重要である。拙著でも、古典とかカノンという概念について述べたが、次の時代にどのような思想が残されるのか、それがどのような過程やメカニズムで決定されるのかということである。たとえば、ネット社会がポストトゥルースという現象をもたらし、その意味での軸が見えずにいる社会の出現は上記のような経験をもつ著者にとっては意外なことであり、また、理解しにくいことではある。</p><h3 style="text-align: left;">最後に</h3><p>著者はこれまで図書館情報学という狭い世界で仕事をしてきた。あとがきでは、それで飽き足りなくなり、本書は自分が読みたいものを表現することを目的としたと書いた。大学を辞めた後であり、自由に論を展開したいこともあって、ある意味で無謀な知の冒険に出た。評者はうまく繋いで全体を示してくれたが、自分では個々の議論の素材についてはそれぞれの専門家からみるとより踏み込んで論じるべきだと感じられるところが少なくないとも感じていた。だから、このような全体的なレビューにはたいへん勇気づけられたが、同時に、廣松渉を博士論文のテーマとした後でアーキビストの仕事に就いた評者のような研究者が引き継いでくれることを期待したい。ぜひ、アーカイブ領域でも著者の乱暴な議論をより精緻化して日本の状況を説明できる研究もしていただきたいと思う。</p><p><br /></p><p><br /></p>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-88298618357309191042023-04-14T11:47:00.026+09:002023-10-22T20:19:38.029+09:00学校図書館支援のためのエビデンス——SLILの学校図書館政策に関する講演③<p>SLILの学校図書館政策に関する講演シリーズ</p><p><a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/04/slil.html">① アメリカのスクールライブラリアンは何をしているのか?(4月9日)</a></p><p><a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/04/slil_13.html">② 図解「地域学習リソース拠点の必要性」(4月13日)</a></p><p>③ 学校図書館支援のためのエビデンス(4月14日、この項目)</p><p><br /></p><p> SLIL講演を振り返って、学校図書館を国の教育政策として位置付けるための具体的方策についてもっと考察すべきと考えた。それは、参加者の事後アンケートでも望む声が少なくなかった。そこで、今後どのような実践とそれに関わる研究が必要なのかについてメモしておきたい。大きくは理論的研究と実践研究、それらを基にした政策提言という順序で進める必要がある。</p><h3 style="text-align: left;">1)理論的研究</h3><p>学校図書館が教育課程に寄与するという場合に、そこにある資料や情報を収集・管理・提供するという機能を示すだけでは十分ではない。それでは何が可能か。以下は半ば思いつきではあるが重要な理論的研究のテーマである。</p><p>・<b>ジョン・デューイの教育学と学校図書館との関係:</b>デューイの探究(inquiry)概念が探究学習の原点にあることについて講演で触れたがまだきちんと解明されていない。ウィーガンドの『アメリカ公立学校図書館史』にもほんの少ししか触れられていない。ここは、デューイの教育学⇒[アメリカ進歩主義教育協会⇒ニューディール期の学校図書館ハンドブック⇒]『学校図書館の手引』⇒図書館教育研究会、という影響関係が考えられる。[ ]の部分がブラックボックスになっている。アメリカでもこうした理論研究は行われていない。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgJWwY7nIYGq1hnuA37vPUMD2RFYLS3C2al7sgJjGEIkyQXMe-grv3qmpc9nbIB7BLmDu8yBNMoCJouJovoJ-8pwyR7lg7C8bFnWF49VA0yaOUFG6_mb5Pa4mcZ7sKumqB2E2aEHKxv8t9nawHtok9UyHIvJJsdvLr0GypSfVLf7RN8Fy9DQ1Kq8Uj0" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="922" data-original-width="956" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgJWwY7nIYGq1hnuA37vPUMD2RFYLS3C2al7sgJjGEIkyQXMe-grv3qmpc9nbIB7BLmDu8yBNMoCJouJovoJ-8pwyR7lg7C8bFnWF49VA0yaOUFG6_mb5Pa4mcZ7sKumqB2E2aEHKxv8t9nawHtok9UyHIvJJsdvLr0GypSfVLf7RN8Fy9DQ1Kq8Uj0" width="249" /></a></div><div style="text-align: center;"><span style="font-size: x-small;">デューイ『学校と社会』より</span></div><p>・<b>デューイの探究概念の哲学的研究</b>:これはすでにアメリカでも日本でもある程度は進められている。日本だと、早川操『デューイの探究教育哲学:相互成長をめざす人間形成論再考』(名古屋大学出版会, 1994)、藤井千春『ジョン・デューイの経験主義哲学における思考論:知性的な思考の構造的解明』(早稲田大学出版部, 2010)、谷川嘉浩『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房, 2021)などがある。これらで不足している外部知、間接知についての考察を加えることが重要なポイントとなる。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://www.keisoshobo.co.jp/book/b557036.html" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="288" data-original-width="200" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjEa5LpABqMaVMomXYvEAjPXdqN1JPraWbstJdaPudjtpTBB5_XPBMAjOmUB_uPG_oxJ1LJ2UFVMKtfh97G2b7ZBAxNCc7yn7RiflWGLZcpfCxQBdj_JxQTUG7quxrxcrHjzKAAx3u6pYFxhzabb2QeMLWBU7wczEt9QqNHfPoYiNQNa5WL1aacofW2" width="167" /></a></div><div style="text-align: center;">この本の目次終章を参照(画像をクリックのこと)</div><br /><p>・<b>国際バカロレア(とくにIBDP)のカリキュラムの検討</b>:国際バカロレアが知の獲得の方法として、知の理論(TOK)、課題論文(EE)を課している。これらが学校図書館を前提としていることについて、<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2021/09/blog-post.html">アンソニー・ティルク『国際バカロレア教育と学校図書館:探究学習を支援する』(学文社, 2021</a>)で詳しく述べられている。また、とくにTOKが一般的科目と探究学習をつなぐ重要な役割を果たしているとの観点から<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2020/10/blog-post.html">学会発表</a>をしたことがある。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://ibconsortium.mext.go.jp/about-ib/dp/" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="400" data-original-width="400" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjCExHpGPsvHRSzD3Dt715pe4lG8TjvvAnypr_93yRplQ16mPdzahhx50d6yCyLyG9qFchEGqNYqxnfE5hFlRq2sUMDVzvNuhLkoGEkSNMbyVabnmCYRFplc3N0Fjpb4fNcBLxb_g-V2CNRKY-uxY9jVE32zWVb9OSBQlPGCvpiRMXCSYP9GK4n7wRQ" width="240" /></a></div><br /><h3 style="text-align: left;">2)実践的研究</h3><p>・<b>学校図書館の実践</b>:講演記録のなかで、山形県鶴岡市と岡山県岡山市の学校司書配置について触れた(記録 p.19-20)。これらは歴史ある実践事例であるが、現在の学校図書館政策にうまくつながっているのかどうかを検証する必要がある。また、沖縄の学校図書館が本土とは制度的な経緯が異なっていることがどのように関わるのかについて別に検討が必要である。他にも、学校図書館政策に力を入れている自治体あるいは学校は少なくないのだが、それが個人の努力だけでなく組織として成果を挙げるに至っているかどうかが問われる。</p><p>・地域学習リソース拠点の実践:その意味で、古くから<a href="https://www.city.ichikawa.lg.jp/edu17/1111000057.html">学校図書館支援センター</a>が置かれている<b>千葉県市川市</b>の事例を見ておきたい。市川市教育委員会に教育センターがあり、その事業のなかの「教育課程や教育内容・方法の調査研究に関すること」として、「公共図書館と学校を結ぶネットワーク」があり、次に「教育におけるデジタル化の推進に関すること」に「学校情報化研究事業」「市川GIGAスクール構想 (ご家庭でのご使用)」がある。市内の学校で共通する資料や教材、教育情報が扱われていることが重要だろう。学校図書館には会計年度任用職員が配置されている。次の図のようにデータと物流のネットワークが形成されており、これがGIGAスクールと結びつくと、教材コンテンツの契約と配信・利用が可能になる可能性がある。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://www.city.ichikawa.lg.jp/common/000342444.gif" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="541" data-original-width="652" height="266" src="https://www.city.ichikawa.lg.jp/common/000342444.gif" width="320" /></a></div><p></p><p>講演参加者から<a href="https://opac.niigatacitylib.jp/gakushi/gaiyo.html">新潟市の学校図書館支援センター</a>の事例について教えていただいた。確かにここの報告書をみると、市立中央図書館に支援センターを置いて、正規職5人を含めて市内全校に職員を配置して学校図書館が読書センターのみならず、学習センター、情報センターの役割を果たそうとしている様子がうかがえる。毎年報告書を出しており、充実した活動のように見えるが、今後必要なのはこれを教育評価のサイクルのなかで位置付けることだろう。つまりこの活動がどのような教育効果を挙げたのかを評価することである。また、他のところの参考にするためには、これがどのような経緯でできたのか、そのための準備などについても明らかにされるとよい。また、他に類似の事例があるのかどうかについても情報が交換されるとよい。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://opac.niigatacitylib.jp/gakushi/publish/shien_menu.pdf" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1394" data-original-width="1022" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjpTenJT-ilsE0jFdcD8IIUoCgyM8W92HRe1jXgU5prbrQq1oLXNiVMIPPKcAH8XNR_I8T210-NiVNF8LAOvB1i4NuPalvYpGq0FTN_a35YD8TPjSEEKLYw3r6MbQFJIRIiEh8P-dHx0JdP5UNRON2HFgyI-jlptsp1jgJYJhvhcgOMZNcAHzUWx90b" width="176" /></a></div><p>・<b>県単位の学校図書館支援センター</b>:鳥取県では、県立図書館に<a href="https://www.library.pref.tottori.jp/support-center/post-3.html">学校図書館支援センター</a>が置かれていることは知られている。県の規模が大きくなければ、県立図書館が県域の教育委員会や学校に対してこうした支援機能を積極的に果たすことが有効な場合がある。これについても、どのような教育効果に結びついたのかについての評価が行われるべきだろう。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://www.library.pref.tottori.jp/support-center/post-40.html" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1594" data-original-width="2254" height="226" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEi0vyUw-LIzVPmsybzZxVfyZFWa4-M6LEsPoyyKgaCFVtAlEhwrXAG27rJdAvqSRJig6pdFC9yuJgSSIRkF0Bnlpf697MqMG4IZq8-1WZ3frsJKzHzFVIDX0aGw9SKQGvVV12vsP3Ca4g8WtPuPnUZD7IaIigOPf2i9AdDIS-8s5ggFrqU94F84lR0T" width="320" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">とっとり学校図書館活用教育推進ビジョン</span></div><div style="text-align: center;"><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: x-small; font-weight: normal;">・</span><span><b>学校図書館支援センターの可能性</b></span><span style="font-weight: normal;">:</span><span style="font-weight: normal;">もともと文部科学省の事業として始まったものである。その経緯について書かれたものはたくさんあるが、次の文献が現状がどうなっているのかを検討している。紹介されているのは、福岡県小郡市、大阪府豊中市、福岡県福岡市、鳥取県である。</span></div><div style="text-align: left;"><span><div><a href="https://cloud.iliswave.jp.fujitsu.com/iwjs0001opc/bdyview.do?bodyid=TC10061040&elmid=Body&fname=01_87-nagatoshi.pdf&loginflg=on&block_id=_296&once=true">永利和則「公立図書館での学校図書館支援の変遷とあり方についての一考察</a><a href="https://cloud.iliswave.jp.fujitsu.com/iwjs0001opc/bdyview.do?bodyid=TC10061040&elmid=Body&fname=01_87-nagatoshi.pdf&loginflg=on&block_id=_296&once=true">~学校図書館支援センターの事例を中心に~」『福岡女子短大紀要』No.87, 2022. p.1 ~ 16.</a></div><div><br /></div><div> また、<b>国会図書館の国際こども図書館</b>の次のページでは全国の学校図書館支援のための仕組みが列挙されていて、そのなかで基礎自治体で「学校図書館支援センター」をもつものがいくつかある。</div><div><br /></div><div><a href="https://www.kodomo.go.jp/study/link/school.html">学校図書館関係団体・学校図書館支援センター等</a></div><div>・<a href="https://www.fureai-cloud.jp/sodegaura-center/home/index/sclib/top">袖ヶ浦市学校図書館支援センター</a></div><div><div>・<a href="http://www.saitama-city.ed.jp/08sien/04tosyoc.html">学校図書館支援センター(さいたま市)</a></div></div><div><div>・<a href="https://opac.niigatacitylib.jp/gakushi/gaiyo.html">新潟市学校図書館支援センター</a></div></div><div>・<a href="https://www.city.hakusan.lg.jp/bunka/gakko/1004574/index.html">白山市学校図書館支援センター</a></div><div>・<a href="https://www.city.sabae.fukui.jp/kosodate_kyoiku/bunkanoyakata/gakkotoshokanshien.html">鯖江市学校図書館支援センター</a></div><div>・<a href="http://www.tosho-shien.toyohashi.ed.jp/">豊橋市授業・学習支援センター</a></div><div>・<a href="http://www.edu-konan.jp/kenkyujo/support-center/support-center.html">湖南市教育研究所 学校図書館支援センター</a></div><div><br /></div><div>こうした支援センターの今後の可能性を探るのも実践的研究で是非進めたい。以下は、やや踏み込んだ議論となるが参考までに示しておく。</div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;"><b><地域学習リソース拠点を考えるために></b></h3><div> 先の新潟市や講演記録で触れた岡山市を含めてここに挙がっている基礎自治体は、学校図書館政策の先進自治体と言うことになるのだろう。公立図書館に支援センターをおき、学校図書館に対する支援業務を行う職員を配置するのが中心的な業務である。その職員は多くの場合、指導主事という身分で学校の管理職を経験した人が担当する。支援としては、研修や相談業務を行う。こうしたセンターを置いている基礎自治体は学校司書を専任配置(複数校兼務ではなく一校一人という意味)していることが多く、資料やデータベースについては追加的な予算をもっていることも多い。</div><div> こうした現状が、講演で提案した「地域学習リソース拠点」とどのような関係になるのかが問われるだろう。この構想の具体的な像は講演では示していないが、少なくともこれは「支援の場」よりは発展的な「リソース拠点」であるので、資料や教材などの教育リソースを管理し個々の学校図書館に対してネットワークを通じて提供できるような態勢がとられていることが必要である。つまり、支援というのは個々の学校図書館が発展途上であるものを支援するという建前だが、リソース拠点はそれぞれが独自の活動を行うがそこで不足するものを提供するというイメージになる。いわば、個々の学校図書館は市町村立図書館であり、このリソース拠点は県立図書館にあたるものと考えてよい。</div><div> 支援センターをリソース拠点に展開するためには、やはり、学校図書館を支援した結果何が可能になったのかの評価が必要となる。支援センターを置かない他の同規模の自治体と比べて、学校図書館の利用に違いがあるのか、読書や探究学習に何らかの変化があるのか、さらにはその教育効果が示せるのか、そうしたエビデンスが求められる。</div><div style="font-size: small;"> </div></span></div><p></p>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com3tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-13009075787526976242023-04-13T10:57:00.015+09:002023-04-21T17:31:19.179+09:00図解「地域学習リソース拠点の必要性」:SLILの学校図書館政策に関する講演②<p>三回のシリーズの2回目である。</p><p><a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/04/slil.html">① アメリカのスクールライブラリアンは何をしているのか?ーSLILの学校図書館政策に関する講演</a></p><p>② 図解「地域学習リソース拠点の必要性」:SLILの学校図書館政策に関する講演(この項目)</p><p><a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/04/slil_14.html">③ 学校図書館支援のためのエビデンス——SLILの学校図書館政策に関する講演</a></p><p>講演会「学校図書館改革を戦略的に考える:探究学習、教育DX、情報リテラシー、読解力...」の記録と事後アンケートのまとめがSLILのHPにアップされた。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjmz-o6TPISHEMNjW8x_UeAMB8TLrjuiYlQ5c8dpJgi4VDS_s-X6IcodDDMYPSr_61AgTmOER60GBmxx_5YM20AG7Wg0SW28b6HzUkh2SM_MQGvImNqubjIbBpUTeRz1H97yLii5LdKDEXKac5Wl_Tt5N_2B2i1Hxpcf21FTTueZN0ifZgbBzr8d7mq" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1278" data-original-width="2270" height="225" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjmz-o6TPISHEMNjW8x_UeAMB8TLrjuiYlQ5c8dpJgi4VDS_s-X6IcodDDMYPSr_61AgTmOER60GBmxx_5YM20AG7Wg0SW28b6HzUkh2SM_MQGvImNqubjIbBpUTeRz1H97yLii5LdKDEXKac5Wl_Tt5N_2B2i1Hxpcf21FTTueZN0ifZgbBzr8d7mq=w400-h225" width="400" /></a></div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="text-align: left;">講演サイト:</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="text-align: left;"><a href="https://sites.google.com/view/slil-inquiry/home">https://sites.google.com/view/slil-inquiry/home</a></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="text-align: left;">記録:</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://drive.google.com/file/d/1b18cL_D6FWdkTdUfCpax1k60kfRzlhC6/view">https://drive.google.com/file/d/1b18cL_D6FWdkTdUfCpax1k60kfRzlhC6/view</a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><span style="text-align: left;">事後アンケート:</span><span style="text-align: left;"><a href="https://drive.google.com/file/d/1Wb3ysRJ_IQRAJKrNEAxG8mWYFQ7q0JIX/view">https://drive.google.com/file/d/1Wb3ysRJ_IQRAJKrNEAxG8mWYFQ7q0JIX/view</a></span></div><p>ここを見れば、当日私が使用したパワーポイント資料およびコメンテータの新居池津子さんの資料、講演の筆記録(修正済み)および質疑の概要が掲載されている。ただ、なにぶん2時間のやりとりが40ページ以上にわたって詰め込まれている。また欲張って歴史的課題から現代的な課題に至るまで述べている。質疑は十分な時間がとれなかったので、記録では少し展開して回答している。追加の注で参考文献も掲載しておいた。さらには、別ファイルになっている、参加者の事後アンケートでは参加者からの疑問、意見などが寄せられていて、それについてはお答えできていない。</p><p>ということなので、ここでは思い切って講演でお話ししたかったことの要点のみをまとめて図を用いて示すことにしたい。また、その講演やその後のやりとりで不十分だった部分を補って首尾一貫した政策提言まで述べておく。それにどのようにアプローチするかという今後のリサーチの課題については「SLILの学校図書館政策に関する講演③」として次に廻すことにした。</p><p><br /></p><h3 style="text-align: left;">
戦後学校図書館政策の振り返り</h3><div> 次の図で示しているように、戦後学校図書館政策史を教育政策史と関わらせて三期に分けている。それぞれに「問題の流れ」「政策の流れ」「政治の流れ」がある。使用した政治学の「<span style="color: red;">政策の窓モデル</span>」だと、これらの流れが何らかの要因で同期するときに政策が実現するという。確かに学校図書館でもそれは当てはまっている。</div><div> 第一期には占領軍の政策で文部省よりもさらに上から学校図書館の検討課題が政策として課され、それによって、学校図書館運動が生まれて(問題の流れ)、最終的には1953年学校図書館法として立法化された(政治の流れ)。ただし、このときの中心的な論点は、戦後間もない復興期に子どもたちのための学習資料や設備を充実させたいということだったので学校内に図書室を設置することにあった。</div><div> 第二期、学校図書館関係者にとってこれを教育施設とするためには職員が必要だが、それが学校図書館法で実現されなかったので、司書教諭ないし学校司書の配置要求が問題の流れだった。しかし公立学校教職員の定数問題のため国費による教職員の配分はできなかった。だが、文部省は財政にゆとりが出るに従い図書費を教材費に含めたり高校の事務職員枠を確保するなど一定の配慮をしていた。</div><div> その流れで第三期に子どもの国語力、読書力を向上させるという課題が表面化し、これが学校図書館の読書センター要求という問題の流れをつくりだした。それが政治の流れにつながって、二度の学校図書館法改正となった。だから、可能になったのは読書センターとしての学校図書館でしかない。また、多くの教育行政関係者の理解ではその運営は非正規職員でもやむを得ない(優先順位が低い)ということになる。</div><div><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhZfI7fPNcdsIl4-Wsk0pehbJr2XbmFrRXT76Qt1Ddh3lzkxNv-kMUQ9YflEGoGgqiZpSTJI2vNAIKQYbTNAMgKEiCf4wOkMDW8sqym-lUc19hNjckkIif6E8vzhEaen3N8obtFFC79D8DhgZFon3xJFzw8yRFIz6FmpEY5P8Z6yKvfkQFY6-l1v-26" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="668" data-original-width="1110" height="241" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhZfI7fPNcdsIl4-Wsk0pehbJr2XbmFrRXT76Qt1Ddh3lzkxNv-kMUQ9YflEGoGgqiZpSTJI2vNAIKQYbTNAMgKEiCf4wOkMDW8sqym-lUc19hNjckkIif6E8vzhEaen3N8obtFFC79D8DhgZFon3xJFzw8yRFIz6FmpEY5P8Z6yKvfkQFY6-l1v-26=w400-h241" width="400" /></a></div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">次期の三つの流れを考える際の課題</h3><div> 第三期の読書力や国語力を前提とした流れは、児童書出版社や児童文学者、マスメディアなどの関連業界が超党派の国会議員に働き掛けにつながり、それが大きな力をもった。要するにこれらの業界の利益に結びつき、それは30年以上継続して続いている。だが、それだけだと読書センターの枠組みを変えることはない。</div><div> 21世紀も20年代に入った現在の教育の課題はさまざまであるが、そのなかで学校図書館に密接に関わるのが、学習指導要領における<span style="color: red;">探究学習</span>の導入と子どもたちにデジタル端末を配布することから始まった<span style="color: red;">教育DX</span>である。確かに問題の流れとして、グローバライゼーションからくる教育課程の変革や、メディア環境の大きな変化が教育政策の問題の流れを引き起こし、同時に文部科学省が省を挙げてそれらを取り上げている。教育DXについては国全体の政策として取り上げられており、関連業界が積極的に後押ししている。文科省は教育DXに全組織が対応することを表明している。</div><div> 学校図書館を学習センター化、情報センター化するためには、それが「問題の流れ」「政策の流れ」「政治の流れ」のアジェンダとして掲げられ、さらには同期させなければならない。とくに問題の流れが単に学校図書館関係者や図書館関係者のみならず教育関係者全般にとっての問題とならなければ、政策や政治の流れには乗れない。言い換えれば、教育学者、教育行政や学校管理者、一般の教員が学校図書館を整備することが教育を向上することにつながるという確信をもてなければ、政策や政治にはつながらない。とくに重要なのは、その確信につなげるために学校図書館が有効であることを示す<span style="color: red;">学術的なエビデンス</span>である。それがあれば文科省の有識者会議や審議会を通じて政策に取り込まれうる。さらには、ビジネスにつながったり政治家の政治的な信条と結びつけば、政治的な課題になりうる。</div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">エビデンスを考えるための理論的枠組み</h3><div> とは言え学校図書館はこれまで読書、学習、情報の三センターといった枠組みの議論しかなかったから、そうした内輪の議論は外部に説得力をもたない。しかしながら読書、学習や情報というキーワードは、図書館情報学の枠組みでも議論が可能であることを示しておこう。まず、手がかりになるのは20世紀前半のプラグマティズム哲学者<span style="color: red;">ジョン・デューイ</span>の議論である。デューイは20世紀後半以降に再評価されて現在も教育学において強い影響力を保持している。デューイは若くしてシカゴ大学に赴任したときに哲学だけでなく教育学も担当して附属の実験学校の設置運営を指導した。そのときの講演録をもとにしたものが『学校と社会』(1899)である。そのなかで描かれたのが学校と社会の関係のモデル図である。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEh_8mhr47KFuZhy1xOte4gXgBhv8q3NH0usCtbfjNcJmkOjZCOC4Wgp7rnyqzAkJliwMo16FxxTvU6Bi9wByGma5CbKZk8VfW2q-sqeGD0J4JVKi_fibUYk9KrfKNagZ1fTY5fnT9VEgsj-fk9vsJ_ppv9uoYriRnb1C-tQ-r3mNJED9E3OWDGHMFsy" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1048" data-original-width="632" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEh_8mhr47KFuZhy1xOte4gXgBhv8q3NH0usCtbfjNcJmkOjZCOC4Wgp7rnyqzAkJliwMo16FxxTvU6Bi9wByGma5CbKZk8VfW2q-sqeGD0J4JVKi_fibUYk9KrfKNagZ1fTY5fnT9VEgsj-fk9vsJ_ppv9uoYriRnb1C-tQ-r3mNJED9E3OWDGHMFsy=w242-h400" width="242" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> それぞれの階の中心に図書室と博物室が置かれているのは偶然ではない。図書室は知の教材を管理する場であり、博物室は実物教材を管理する場である。これらはそれぞれ教科の中心にあって教材を提供すると同時に外部の大学や研究機関、図書館、博物館と連携する場となることが想定されている。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> デューイにとって重要な教育的概念は<span style="color: red;">探究(inquiry)</span>であった。この概念はプラグマティズムの用語としても必ずしも十分に検討されていないが、21世紀日本において探究学習という言葉が多用され定着しようとしている。私は図書館情報学的な観点から探究を次のように4つの知が総合した概念としてとらえている。それは、①教科的知、②読解力、③探索的知、④批判的思考であり、いずれもが学校図書館と密接に関わる。とくに、③<span style="color: red;">探索的知</span>とは(家庭や学校ではない)外部世界へのアプローチのための知(外部知、間接知)であり、学校図書館が媒介する資料や情報である。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjpEsfSEymEWr0i9AwWx4UlqYPsE7I6zT9XD5QqkLlqsU4kq0dXZDOKEPB-1ecSOCTglbBXn-HNezB2ACpQtE3Gplo0Y6XfWVGmBF1XvRlLj_kgneLVnxweR-ukFKOiflFxyFWX_qwxsPjPWWJ-peRebzS-nYoyM0HUO-uNuSG-Qgk7zHNBXHLytBgp" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="560" data-original-width="966" height="233" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjpEsfSEymEWr0i9AwWx4UlqYPsE7I6zT9XD5QqkLlqsU4kq0dXZDOKEPB-1ecSOCTglbBXn-HNezB2ACpQtE3Gplo0Y6XfWVGmBF1XvRlLj_kgneLVnxweR-ukFKOiflFxyFWX_qwxsPjPWWJ-peRebzS-nYoyM0HUO-uNuSG-Qgk7zHNBXHLytBgp=w400-h233" width="400" /></a></div><div><br /></div> デューイは個人の知は社会状況と密接に関わることを強調した。先ほどの教育のグローバリゼーションがOECDのPISAからきているとしたときに、そこで使われているコンピテンシーとリテラシーの二つの概念はデューイの思想の影響があって重要である。PISA(正確にはその母体となったプロジェクトDeSeCo)では、能力を測るための基準として<span style="color: red;">コンピテンシー</span>を「特定の状況の中で、心理的・社会的な資源(技能や態度を含む)を引き出し、活用することにより複雑なニーズに応じる能力」とした。要するに、外的な行動とつながる能力のことでそのなかの一部を取り出したのが、PISAで測定する「社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力」すなわち<span style="color: red;">リテラシー</span>である。そしてこれをさらに、読解力(reading literacy)、数学リテラシー、科学リテラシーに分けて3年に1度15歳の学習者に対してテストされて結果が公表される。つまり、コンピテンシーの部分集合である3つのリテラシーを測定するのがPISAということになる。<div><div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEiBFfKKJnzaI9cnEf5H81NIegE1OU7PCkQ3f-iousAQXDhU3Rb-6CXAsTuVt9C_m5HtlUV1uGDZlAEUZ0q2ccNKo0V0rX0-s0SwHwrw8PDpjYhBnWE-zQLYJnpe4gNAibMGomzf3X3ib7KKk4TTrhgIBlEBlfYs2FIW_H64ghDLa9Ssrwmjh-WS3VBD" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="552" data-original-width="974" height="226" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEiBFfKKJnzaI9cnEf5H81NIegE1OU7PCkQ3f-iousAQXDhU3Rb-6CXAsTuVt9C_m5HtlUV1uGDZlAEUZ0q2ccNKo0V0rX0-s0SwHwrw8PDpjYhBnWE-zQLYJnpe4gNAibMGomzf3X3ib7KKk4TTrhgIBlEBlfYs2FIW_H64ghDLa9Ssrwmjh-WS3VBD=w400-h226" width="400" /></a></div> <br /> このコンピテンシーとリテラシーの関係の整理を基にして、子どもの発達を意識した学校図書館戦略図が上記の図である。乳幼児期のプレリテラシーから始まって、小中学校でリテラシー(読み書き能力)を獲得しながらさらに読解力(リーディングリテラシー)を獲得する。さらにメディア情報リテラシーも併せて獲得することになる。ただしこの図では科学リテラシーと数学リテラシーを省略してあるが、本来読解力と並列すべきものである。これらを支えるのが学校図書館であるが、ここでは読書センター、学習センター、情報センターの機能がバラバラではなくて重層的に働くことが重要である。系統的カリキュラム(教科)においても、探究学習のプログラムにおいても資料・情報を含めた外部知(教材:デューイの用語でsubject matter)が求められる。この図によって学習者のコンピテンシーを支援する学校図書館戦略の概要が見えるようになる。</div><div><br /></div><div><h3 style="text-align: left;">図書館教育とは何であったか</h3><div> 1947年、1951年の学習指導要領は「試案」とされた。カリキュラムを実施するのは地方教育委員会で、さまざまなカリキュラム実践が試行された。そのなかではコア・カリキュラムが知られているが図書館教育もその一つである。アメリカの学校図書館運営マニュアルを参考にして文部省内で検討された『学校図書館の手引』(1948)が1949年からいくつかの実験校の実践を導いて、それが公表され、概ね1968年の学習指導要領改訂まで全国の地方教育委員会や学校の教育課程に影響を与えた。そのときに影響が強かったのが読書指導論の研究者阪本一郎が率いる図書館教育研究会の図書館教育と読書指導を組み合わせた次の課程表である。この表をよく見ると、小中学校の9年間にリテラシー(<span style="color: red;">「基本的なスキル」</span>)にとどまらずに読解リテラシー(<span style="color: red;">「理解」</span>)とメディア情報リテラシーの一部(<span style="color: red;">「図書利用の技術」</span>)まで学ぶ内容になっている。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhT03n8EYRBapAmzG2X7O0gl31bbB3Q5iDKak5CQBLq881W20akWEpJtpANFDeCEFjpl3Z8_Wf6eXFqgITHmftOzE8V54KkXvEOrePAkj9i0wiEZZkYwWRWspeIHDum1ynWaGGbrvN73jQdRkUmEh1Dyc9Q9t8foZcDaUjmCIewOu2c_oSNoYO7b7PA" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1390" data-original-width="1670" height="333" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhT03n8EYRBapAmzG2X7O0gl31bbB3Q5iDKak5CQBLq881W20akWEpJtpANFDeCEFjpl3Z8_Wf6eXFqgITHmftOzE8V54KkXvEOrePAkj9i0wiEZZkYwWRWspeIHDum1ynWaGGbrvN73jQdRkUmEh1Dyc9Q9t8foZcDaUjmCIewOu2c_oSNoYO7b7PA=w400-h333" width="400" /></a></div><br /> しかしながら、1953年学校図書館法はこれを担うはずの司書教諭を当分の間置かないことができるとした。また1958年学習指導要領により、系統主義カリキュラムに切り替える動きが急になることにより、カリキュラム運動としての図書館教育は読書指導と図書及び図書館利用法に分離され、後者のみを図書館教育とする見方が中心になり読書指導と分離された図書館教育は徐々に退潮していった。</div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">地域学習リソース拠点の提言</h3><div> それから半世紀以上の月日が流れ、学校教育の現場は、戦後間もない時期の混乱とその本質は全く違うが次の時代の課題が山積しているという意味で似た状況がある。グローバリゼーションという外圧を無視できなくなったこと、内部的には、教育困難校の増加、不登校などの学習意欲の減退、それに伴う教員の疲弊と教育格差の拡大などで、教育制度に対する不信はこれまでになく強まっている。2018年に文科省の学校図書館担当がそれまでの初等中等教育局から総合教育政策局地域学習振興課に移ったことは、学校図書館が学校に所属するというだけでなく地域全体の教育資源と結びつくことで本領を発揮できるという文科省自体の宣言と見なすべきである。それは先ほどのデューイの『学校と社会』の学校モデル図の現代的実現でもある。それが次の図で示したものである。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjVvu2Kho8M5Lp__NqcvhJC9n-LB9D1RaeVNB89Y_2_fndLtwGWJuFYS8HMqc4SaQa5CLhlpkZ5VE4jsKIgqPvPn-up8p-XCyXTPSHTozfm22AQ4QoyAVSaYRPhRsoTaUDAsN7X2cNP8Nw23jSrnkIdGTHHxR5skwvfO73V_Vv6wmFRmeu3uDBp4s7p" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="970" data-original-width="1808" height="215" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjVvu2Kho8M5Lp__NqcvhJC9n-LB9D1RaeVNB89Y_2_fndLtwGWJuFYS8HMqc4SaQa5CLhlpkZ5VE4jsKIgqPvPn-up8p-XCyXTPSHTozfm22AQ4QoyAVSaYRPhRsoTaUDAsN7X2cNP8Nw23jSrnkIdGTHHxR5skwvfO73V_Vv6wmFRmeu3uDBp4s7p=w400-h215" width="400" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div> 左側は学校図書館の部分で三センターが重層的にかかわっていくことを示す。右側は地域における大学や研究機関、公立図書館、地域博物館、公民館・生涯学習組織と連携する。とくに公立図書館との関係が重要であろう。ネット、クラウドとの結びつきは言うまでもないし、地域全体がデジタルコンテンツやデジタル教材、データベースの契約を行うことも想定している。こうした機能の中心にあるのが<span style="color: red;">地域学習リソース拠点</span>である。学校図書館を支える組織はとりあえずの現状のものを置いているが、将来的にはリソース拠点を支える組織を一本化する方向に進むものと考えられる。<div> 最後に、この構想を進めるための第四期の戦略ビジョンを図示しておいた。2020年代前半から20年をかけてリソース拠点の構想を練り、それを可能にするエビデンスを明らかにしていく。これによりリソース拠点を国の整備計画に転換するような政策が準備される。それは最終的には法的な整備となると同時に、これを可能にするための専門職の在り方にまで議論が進むことが期待される。赤の矢印が前のものと違って下降するものとして描くのは、学校図書館関係者自ら問題の流れをつくることから始まるからである。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEh9ENe4KuobzaMeB8S4g_vNtqYLPDqmOZi7A3_OVZFuFKyqVKt2RbOxfFPY8dEcqBOUhh-viUIW7StnX9ivwi36BA3K8ELGPkIVJUXBeJPbnnNWO-NRRpew1O86yIHtUaowcAG932itFf7j28E6yGGPBGhCi1NrgG-PCPj_LEMsrMkimyFzf2G7LHO4" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1046" data-original-width="1808" height="231" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEh9ENe4KuobzaMeB8S4g_vNtqYLPDqmOZi7A3_OVZFuFKyqVKt2RbOxfFPY8dEcqBOUhh-viUIW7StnX9ivwi36BA3K8ELGPkIVJUXBeJPbnnNWO-NRRpew1O86yIHtUaowcAG932itFf7j28E6yGGPBGhCi1NrgG-PCPj_LEMsrMkimyFzf2G7LHO4=w400-h231" width="400" /></a></div><br /><div><br /><div><div><br /></div><div><br /><div><div> </div><p>
<br /></p><div class="page" title="Page 4">
<div class="section" style="background-color: white;">
</div>
</div></div></div></div></div></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-73348295591569386322023-04-09T22:13:00.021+09:002023-07-10T21:47:28.729+09:00アメリカのスクールライブラリアンは何をしているのか?ーSLILの学校図書館政策に関する講演①<p>去る3月26日に<a href="https://sites.google.com/view/slil-inquiry/home?authuser=0">SLIL</a>の場で学校図書館政策に関する講演の機会をもった。このあとお話しした内容とその場でのやりとりを補う目的で、十分にお答えできなかったことについて三回にわたって追加情報を提供したい。</p><p>① アメリカのスクールライブラリアンは何をしているのか?ーSLILの学校図書館政策に関する講演(この項目)</p><p>② <a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/04/slil_13.html">図解「地域学習リソース拠点の必要性」:SLILの学校図書館政策に関する講演</a></p><p>③ <a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/04/slil_14.html">学校図書館支援のためのエビデンス——SLILの学校図書館政策に関する講演</a></p><p>ここでは、アメリカの経験主義の授業で学校図書館がどのように使われるのかという質問をいただいたので、Youtubeの動画から関連のものを探してリンクを貼った。けっこう面白いのでご覧いただきたい。</p><p>英語の動画も、英語の字幕をつけるだけでなく日本語に翻訳した字幕(変なところもあるがそれはご愛敬ということで)を付けることができるようになっていた。 これはこれで発見であり技術の進歩に驚かされた次第。このブログの最後にその方法についてのリンクを貼ってある。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><p>Q.アメリカで現在も経験主義的な授業を行い、学校図書館を有機的に活用している事例があったら教えて欲しい。</p><p>A. 基本的にアメリカの学校の授業は日本よりはずっと経験主義的に展開されています。それは教師が児童生徒に問いかけを行い、疑問や課題を引き出し、それをベースにディスカッションや作業、調べ物などを行わせるからです。たとえば次の歴史の授業の動画を見てください。独立宣言を読ませながら、どういうものかについて書かせ、グループで議論をさせます。教師は常に質問を発しますが、理解させようとするのはこれがどういう性格の文書なのかです。それは暗記できるような事実として提示されているのではなくて、常に考えさせることを要求します。ただし、まったく自由に考えさせるのではなくて大枠での理解の水準の確保を求めます。それについては板書したり言葉で強調したりします。こういう授業における評価は記述式の試験で行われることになります。</p><p>①Teaching American History: Declaration of Independence Classroom 1</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhKgNzIeNZC_Cv8UIj3q7n6JSJMzmvik4NtLClDQ239cDPaX6wTKQ7ZPA6BdAi1Gfe3M--FYusx3dxQ4bdwwx6yQy0IgEUaOddRng-PiqzXIObdRNtkSI_CJ2Y6KsNgCQYnM8pHWwyUiEfMj0VWOD7Oh1mx1-dr3_XHy65_Xec85RqSiAN5zz2xqBF5" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1408" data-original-width="2020" height="223" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhKgNzIeNZC_Cv8UIj3q7n6JSJMzmvik4NtLClDQ239cDPaX6wTKQ7ZPA6BdAi1Gfe3M--FYusx3dxQ4bdwwx6yQy0IgEUaOddRng-PiqzXIObdRNtkSI_CJ2Y6KsNgCQYnM8pHWwyUiEfMj0VWOD7Oh1mx1-dr3_XHy65_Xec85RqSiAN5zz2xqBF5" width="320" /></a></div><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=p07cEjN8W0U">https://www.youtube.com/watch?v=p07cEjN8W0U</a></p><p>こういうところで学校図書館がどのように利用されるのかは学校の方針や個々の教師の方針によります。社会科の授業の前後に図書館での資料調査などを入れることはよくあると思いますが、この教師が学校図書館を使った授業をしているのかどうかは分かりません。アメリカ図書館協会(ALA)の傘下にあるアメリカ・スクールライブラリアン協会(AASL)は授業展開全体で学校図書館が重要であることを常に訴え、それは多くの学校、教員に受け入れられていると思います。それを示す動画を二つ見てください。②はAASLのプロモーションビデオの一つであり、③はスクールライブラリアンの一人が自分がしていることを説明した動画です。これらを見れば、スクールライブラリアン(この資格は日本で言えば学校司書の資格に近いですが、州によっては教職免許の取得を前提にしています)が経験主義の学習に貢献していることが分かります。</p><p>②The Power of School Librarians</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjO8oKBblNjpY-VHuWs_wNx93jIbYBBDqKNtuk1KOnA8f2wd2WS9a__tmVS11Xicw14u8q0c1FIn8fJpGAGHgDbIlWmxnYRWY1xyV9TWmPTuLld8r89ACI4YJXkopzKgeLHUz5MV031x5GX2N8XhrAmOOA0OHVxEEOIIGa6j6LYSy4j1T9R56XD4Gpu" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1480" data-original-width="2708" height="175" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjO8oKBblNjpY-VHuWs_wNx93jIbYBBDqKNtuk1KOnA8f2wd2WS9a__tmVS11Xicw14u8q0c1FIn8fJpGAGHgDbIlWmxnYRWY1xyV9TWmPTuLld8r89ACI4YJXkopzKgeLHUz5MV031x5GX2N8XhrAmOOA0OHVxEEOIIGa6j6LYSy4j1T9R56XD4Gpu" width="320" /></a></div><br /><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=6eilZJp3_h8">https://www.youtube.com/watch?v=6eilZJp3_h8</a></p><p>③What do librarians actually do?</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjaTGgoQT_W_OT858wn8eEThXrVGSAMp8NZsNX0dqzhNJEzan3v0eztE5Mqs1YjA4RGhCLaDxLvyXoA-kKxL2O2NqP9e9MTQ-H832VfEJfoHR3Vj16m26LKNzC8peVg688JDS71A-5CXniu7NuPwIBrwcsqnqd54dgy77KfbFwoog6ILEvB8umFQx7b" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="898" data-original-width="1600" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEjaTGgoQT_W_OT858wn8eEThXrVGSAMp8NZsNX0dqzhNJEzan3v0eztE5Mqs1YjA4RGhCLaDxLvyXoA-kKxL2O2NqP9e9MTQ-H832VfEJfoHR3Vj16m26LKNzC8peVg688JDS71A-5CXniu7NuPwIBrwcsqnqd54dgy77KfbFwoog6ILEvB8umFQx7b" width="320" /></a></div><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=DHaKyjZBWtA&list=RDLV6eilZJp3_h8&index=2">https://www.youtube.com/watch?v=DHaKyjZBWtA&list=RDLV6eilZJp3_h8&index=2</a></p><p>AASLは2018年に新しい学校図書館基準を発表しました。③の動画にちらっと映ってた写真は2007年の「21世紀の学習者のための基準」で、2018年基準はこれらを取り込んだ総合的なものとして公表されています(<a href="https://current.ndl.go.jp/e718">https://current.ndl.go.jp/e718</a>)。</p><p>American Association of School Librarians. <i>National School Library Standards for Learners, School Librarians and School Libraries.</i> ALA Editions, an imprint of the American Library Association, 2018, xiv, 314p.</p><p>として公表されています。それについて次の解説があります。</p><p>中村百合子「E2006 – 米国学校図書館員協会による新学校図書館基準<文献紹介>」カレントアウェアネス-E No.343 2018.03.08 <a href="https://current.ndl.go.jp/e2006">https://current.ndl.go.jp/e2006</a></p><p>また、中村さんを中心にこの基準の学習者のフレームワークを取り出したパンフレット「学習者基準フレームワーク」の翻訳プロジェクトがあり、翻訳版が公表されています。</p><p><a href="https://www.rikkyo.ac.jp/campuslife/support/certification/librarian/project2020.html">https://www.rikkyo.ac.jp/campuslife/support/certification/librarian/project2020.html</a>(翻訳プロジェクト)</p><p><a href="https://standards.aasl.org/wp-content/uploads/2017/11/AASL-Standards-Framework-for-Learners-pamphlet.pdf">https://standards.aasl.org/wp-content/uploads/2017/11/AASL-Standards-Framework-for-Learners-pamphlet.pdf</a>(英語版)</p><p><a href="https://www.rikkyo.ac.jp/campuslife/support/certification/librarian/mknpps000001hc7o-att/mknpps000001hcak.pdf">https://www.rikkyo.ac.jp/campuslife/support/certification/librarian/mknpps000001hc7o-att/mknpps000001hcak.pdf</a>(日本語翻訳)</p><div><br /></div><div><div>次は教員とスクールライブラリアンが連携して行う授業の動画の例です。</div><div>④Teacher/Librarian Collaboration</div></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEiLyUCml1CMLukcwik1cEWbGQZtlVaQ4XamFN4wVahIm8xPtJYCUWON7l1vnjvWo9QTfk7rM8nLgx8CCugSAZIohy771DKhZM-KJ-0BdFb5hRq9qHrV8PXpaN597ZvlHfygO66J5bPKhxqBKys2jZg1CcT5J4iK204nW3RXqZuFWCauflTPseewJjww" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1148" data-original-width="2706" height="136" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEiLyUCml1CMLukcwik1cEWbGQZtlVaQ4XamFN4wVahIm8xPtJYCUWON7l1vnjvWo9QTfk7rM8nLgx8CCugSAZIohy771DKhZM-KJ-0BdFb5hRq9qHrV8PXpaN597ZvlHfygO66J5bPKhxqBKys2jZg1CcT5J4iK204nW3RXqZuFWCauflTPseewJjww" width="320" /></a></div><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=eXp8X4o0gUY">https://www.youtube.com/watch?v=eXp8X4o0gUY</a></p><p><br /></p><h4 style="text-align: left;">なお、英語のYoutube映像に英語ないし日本語の字幕をつける方法については、次のサイトを参照してください。<a href="https://www.notta.ai/blog/youtube-translate">https://www.notta.ai/blog/youtube-translate</a></h4><div><br /></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-36559637201925080172023-03-20T21:19:00.004+09:002023-03-21T03:02:08.647+09:00日本図書館情報学会オンラインチュートリアル「学校図書館研究への新しい入り方」<p> 2023年3月18日(土)午後に表記のイベントのチューターを務めた。オンラインチュートリアルというのは初めてで、何をするのがよいのかよく分からないところがあった。要するに学術的な新しい課題やツールなどについて当該コミュニティにおいて啓発する役割を担うものと理解した。学校図書館というテーマは別に新しくもないものだが、最近、戦後学校図書館史のマクロ分析とか戦後教育改革期の図書館教育といった今までやられていない方法やテーマを取り上げたので、お鉢が廻ってきたということなのだろう。</p><p>学会員限定の40人弱の参加者を相手にお話しし討論を進めるという方法を選択した。<a href="https://drive.google.com/file/d/1VN6FffVWSqVsZHcTg4Pec12z7mOoyqPw/view?usp=share_link">パワーポイントのファイル</a>を公開するので参照されたい。話しのなかで強調したことは次のことである。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEizoeiQyQPQzrbGjOItJmgPN-Cj4Q4YniVQoeXthr1iX8IzttXi36NS9ZNmRjr62-5mPNbBNnrKaOcZ4aT0XnO3sgRnmkT7HREmO4DmO_WsoqLfO97E1arjijt4jxLo9tzFSdEok3ecn1nxoIgSupETDly9Ps6Tkohez1Feb9Zv1yMrHIsXIxs-jv2T" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1082" data-original-width="1918" height="181" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEizoeiQyQPQzrbGjOItJmgPN-Cj4Q4YniVQoeXthr1iX8IzttXi36NS9ZNmRjr62-5mPNbBNnrKaOcZ4aT0XnO3sgRnmkT7HREmO4DmO_WsoqLfO97E1arjijt4jxLo9tzFSdEok3ecn1nxoIgSupETDly9Ps6Tkohez1Feb9Zv1yMrHIsXIxs-jv2T" width="320" /></a></div><h3 style="text-align: left;">話しの概要</h3><p>1)日本は行政国家であり、行政が仕掛けてそこに政治的な力が働いて新しい政策が生まれる。このときに新しい政策課題がどのように生まれるかといえば、学術的な研究によって明確なエビデンスが提示されることが重要である。そのエビデンスの一部が学識経験者によって行政的課題として伝わる。</p><p>2) 学校図書館はGHQ/CIEによって指示されたことによって始まる、占領政策の落とし子であり、文部(科学)省の主流の教育政策のなかでは周辺的なところに置かれた。また系統主義に転換した1958年以降、教育学の課題としても傍系のものとなった。だから教育関係者を通じての学校図書館の位置づけは弱いものにとどまった。</p><p>3)学校図書館政策は大きく言うと戦後に2回の大きな動きを経験している。1回目は占領期にGHQ/CIEによる指示で文部省が担当官を置いて政策の検討をした時期で、これが学校図書館設置運動として展開して、議員立法による学校図書館法制定に繋がった事である。このときの論点は学校施設(設備)としての学校図書館を設置することであった。学校への義務設置となるほかいくつかの法的な根拠ゆえに文部(科学)省も無視できなかった部分もあり、それが次の期の改革にもつながった。</p><p>4) 2度目の動きは20世紀末に読書力=読解力低下という現象に反応した児童書出版社、作家、そして文教族の政治家によって、読書センターとしての学校図書館の制度的な根拠を明確にすることで、大きくは文字活字文化振興の流れのなかで、学校図書館図書整備の地方財政措置が始まりすでに30年の実績がある。また、これに伴い、司書教諭配置、学校司書配置が制度化された。</p><p>5) こうして、読書センターとしての学校図書館の位置づけは制度化されたといえるが、次の課題としては、教育課程や教育方法の変革期であることにどのように対応するかということがある。そのために読書センターだけでなく、学習センター、情報センターがらみの実績とエビデンスを示すことが必要である。</p><p>6) 学校図書館の役割は1958年学習指導要領以前に取り組まれていた教育課程、教育方法と対応する。たとえばコア・カリキュラムや図書館教育、視聴覚教育といったものである。そして、これらの課題の背後にジョン・デューイ以来の経験主義がある。教育学は20世紀後半のデューイ・ルネサンスにより再度、経験主義的な教育課程の見直しが進められているところである。</p><p>7) 学校図書館を通じた探究学習については実践、研究いずれについても教育学では十分に知られていないが、これらは再度評価される可能性がある。それは、国際バカロレアにおける学校図書館の位置付けや日本の探究学習の実践において京都の堀川高校他で学校図書館が明確に位置付けられていたことに現れている。だから、学校図書館研究についてはこうした探究学習で学校図書館を用いることの意義がエビデンスとともに示されることが課題となる。</p><h3 style="text-align: left;">質疑応答</h3><p>以上の話しをして、質疑応答を行った。質問者のお名前を省略して概要について記述する。</p><p>1)学校図書館もデジタル化の波が避けられないとき、電子教材や電子教科書のような領域をどう考えればよいか。</p><p>(回答)これまで図書館サービスは資料をいかに利用者に提供するのかについて工夫をこらしてきたが、資料そのものやコンテンツについては手を付けないという考え方が強かった。しかしこれまでも、専門図書館などでは利用者を特定化したコンテンツの作成も併せて行ってきたことがある。デジタル時代にはこれをもっと柔軟に行ってもよいと考える。学校図書館も教員や研究者、著作者などと連携して教材や資料づくりが可能になる。</p><p>2)最近、文科省の専門家会議でギフテッドな子どもたちへの対策のひとつとして、学校図書館をラーニングコモンズとするという考え方が示されたことをどう考えるか。</p><p>(回答)学校図書館が総合教育政策局の地域教育推進課に移されたことの意味はそのあたりにもあるのだろう。つまり教育を学校や教室の閉じた場で推進するのではなく、地域や社会のなかで推進する。その際に、学校図書館をコモンズとする位置づけを得ることは望ましいと思われる。</p><p>(ただし、その後「審議のまとめ」をみた限りでは、「特異な才能のある児童生徒は、普段過ごす教室には居づらい場合があり、一時的に空き教室や学校図書館などで、安心して過ごせるようにすることが考えられる。」程度のことしか書かれていなかった。引き合いに出されたことは以前よりの進歩と見なされるのかもしれない。)</p><p>3)配布資料において、「学校図書館学」という言葉が2回出てきているが、これがどのような内容をもったものなのか。とくに教育学と併記させているスライド10のあたり。</p><p>(回答)「学校図書館学?」というようにクエスチョンマーク付きで使ったのはやや否定的なニュアンスを含んでいる。それは、司書教諭養成のための領域で研究が十分に深まっているように見えないからだ。他方、教育学はこの資料にあるように、教育の哲学から始まって領域が細かく分かれていて○○教育学がたくさんある。また、とくに教育課程との関係では、教科教育に関わる学会がたくさんある。これらは、戦後の教育改革で最終的に獲得された教育学の領域であり、ある意味ではきわめてポリティカルにそれぞれの領域を拡げようとしている。だから、教職課程の科目や教科はなくならない。教育学から見ると学校図書館に関わる領域はその一つにすぎない。もちろん、研究の厚みや研究者の数を比較しても大きな格差があることは確かである。私が今日の話しで強調したかったのは、長期的な議論をするときに、その領域の理論的な重要性を主張できなければならず、とくに教育学との関係を明確にすることは必須と考える。</p><h3 style="text-align: left;">感想</h3><div>テーマとして目新しくないものに新しい研究的意義を付加したものだが、そのあたりがどの程度理解されたのかについては不安も残る。質問者はいずれもベテランの研究者の方で、本来ターゲットにしていた学校図書館研究にこれから着手しようとしている若手研究者にどれだけ伝わったのかとも思う。終わってから何人かの参加者から連絡をいただいた。ある方は次の点に共感を覚えたという。</div><div><br /></div><blockquote style="border: none; margin: 0px 0px 0px 40px; padding: 0px; text-align: left;"><div><p style="text-align: left;">a)11枚目「日本で必要なのはなぜアメリカの学校で図書館員を受け入れたのかについての研究。教育課程、教育方法との関係」</p></div><div><p style="text-align: left;">b)14枚目「義務教育(初等学校、前期中等教育)と高等学校は異なる」</p></div><div><p style="text-align: left;">c)16枚目「アングロサクソン系の専門職団体(ALA、AASL、CILIPなど)はカルチャーが異なると考えるべきであり、これを目指すのは現実的ではない」</p></div><div><p style="text-align: left;">d)27枚目「② 教育情報メディア・コンテンツを地域で共有する基盤づくり(レファレンスツールのサブスクリプション)」</p></div></blockquote><p>これまで、学校図書館という一枚岩の現場について校種も職員構成も役割も腑分けせずに、アメリカの学校図書館制度などをモデルとして専門職の確立を目指すような研究態度に対するアンチテーゼとしては意味があったのかと考える。もう一度、戦後の初心に還って学校図書館の本質を見極める時期にきている。3月25日の<a href="https://peatix.com/event/3488810/view">SLILの講演会</a>ではそのあたりについてお話ししてみたい。</p><p><br /></p>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-22664225762891965612023-03-10T20:47:00.014+09:002023-03-11T05:45:19.004+09:00みすず「2022年読書アンケート」<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://www.msz.co.jp/fileadmin/res/magazine/722.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="572" data-original-width="400" height="200" src="https://www.msz.co.jp/fileadmin/res/magazine/722.jpg" width="140" /></a></div>以下、雑誌『みすず』2023年1月/2月合併号に寄稿したものです。最近読んだ関連の本の紹介は<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/01/20231.html">ブログの1月4日</a>にアップしています。<div><br /></div><div>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−</div><div><h2 style="text-align: left;"><a href="https://www.chikumashobo.co.jp/photo/book/large/9784480074744.jpg" style="clear: left; display: inline; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: right;"><img border="0" data-original-height="258" data-original-width="158" height="258" src="https://www.chikumashobo.co.jp/photo/book/large/9784480074744.jpg" width="162" /></a></h2><div>相変わらず言葉と知のギャップを埋めるための仕組みという人文学のもっとも基盤的な部分でつまずいたまま起き上がれず,手当たり次第に手がかりになりそうなものに目を通している。歴史,思想,言語,文学,教育,情報といった概念の交差する地点を探るべきことは確かで,ここしばらく見てきた範囲で,西洋のルネサンスから古典期のインテレクチュアルヒストリーにいろんなヒントがあることが分かってきた。今年も<a href="https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074744/">『ルネサンス情報革命の時代』(ちくま新書, 2022)</a>の桑木野幸司の旺盛な仕事ぶりに感嘆し,ここで取り上げられるルネサンスの記憶術や編集術が私たちが追究している仕組みの原型を形成してきたことに確信を深める。<p></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://pup-assets.imgix.net/onix/images/9780691179544.jpg?w=600&auto=format" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="800" data-original-width="560" height="200" src="https://pup-assets.imgix.net/onix/images/9780691179544.jpg?w=600&auto=format" width="140" /></a>この方面では,一昨年だったか紹介した『情報爆発』(中央公論社, 2020)の著者アン・ブレアが筆頭編者になっている<a href="https://press.princeton.edu/books/hardcover/9780691179544/information">Information: A Historical Companion(Ann Blair, Paul Duguid, Anja-Silvia Goeing, Anthony Grafton eds, Princeton University Press, 2021)</a>が出色の便利さでKindle版の本文をしょっちゅう眺めている。このCompanionという形式の出版物は実用主義的なHandbookとも少し異なる「研究手引書」あるいは「研究入門者の友」である。日本で最近はやりの「○○大全」もあのような自己啓発書風のものよりもっと領域知を俯瞰するためのツールとなってほしいと思う。人文主義においては研究と教育は一体のものなのだから。その意味で読書猿『独学大全』(ダイヤモンド社, 2020)は初学者向けの人文主義的コンパニオンとして優れている。ちょっと話がそれたが,この本は情報史という分野において,時代ごとの12のトピックをそれぞれ俯瞰するレビュー論文が書かれた上で,ACCOUNTING(会計)で始まりXYLOGRAPHY(木版術)で終わるアルファベット順の101の中項目の事典を構成している。トピックと中項目が有機的に結びつき,全体としてデジタルネットワーク時代の情報コンセプトへの導入がなされているところに編集のセンスよさを感じる。</div><p></p><p></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://bensei.jp/bmz_cache/b/books-32507jpg.image.387x550.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="550" data-original-width="387" height="200" src="https://bensei.jp/bmz_cache/b/books-32507jpg.image.387x550.jpg" width="141" /></a></div>西洋の人文主義を追いかけると文献学(philology)を無視することはできない。この系譜は19世紀ドイツの文献学が生み出したフリードリッヒ・ニーチェを経由して20世紀のさまざまな思潮に流れ込み,21世紀にはデジタルヒューマニティーズとも繋がっていくことが知られている。そのことは一旦措いて,日本の新文献学とも呼べるような試みが河野貴美子らを中心に進められていることにも注目している。河野編<a href="https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101251">『古典は遺産か?日本文学におけるテクスト遺産の利用と再創造』(勉誠出版, 2021)</a>は,書物に対して,その所有性,作者性,真正性というような従来の文献学あるいは書誌学特有のアプローチからはじまり,テクストの読まれ方,テクスト間に埋め込まれた関係,上演や翻訳といった間テクスト的な拡がりを含めて「テクスト遺産」とする試みである。<p></p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://bungaku-report.com/image/9784909658845.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="800" data-original-width="567" height="200" src="https://bungaku-report.com/image/9784909658845.jpg" width="142" /></a></div>2022年5月に国立国会図書館デジタルコレクションが図書館の枠を超えてネット空間で利用可能になった。テクスト遺産としてのデジタル・テクストを処理しながら人文学研究を進めるのに多大な貢献をするはずだ。<a href="https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-84-5.html">一般財団法人人文情報学研究所他編『人文学のためのテキストデータ構築入門:TEIガイドラインに準拠した取り組みにむけて』(文学通信, 2022)</a>はそのための有効なハンドブックとなる。<p></p><br /><div><br /></div></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-19127332768938045912023-03-02T22:39:00.019+09:002023-03-31T14:54:17.018+09:00NDLデジタルコレクションについてのあれこれ<div style="text-align: left;"><a href="https://dl.ndl.go.jp/">国立国会図書館のデジタルコレクション</a>が、昨年暮れから今年の初めにかけてさらにヴァージョンアップされました。それは全文テキスト検索とそれによるスニペット表示が可能になったこと、そして、50コマまでの複写が可能になったことです。全文テキストというのは、資料の版面からスキャンして得た画像からOCR技術を通じて文字を抽出して作成するものです。これによってテキストに含まれる文字列での検索が可能になります。従来、書誌事項(タイトルや著者名など)や目次(これが検索対象になったことも重要だが)からの文字列が対象だったのが、本文が検索対象になったことは革命的なものをもたらします。今まで見えなかったものが見えるようになったということです。ただし、検索結果の表示は1行程度の部分的なものです。これは、著作権法(47条の5)に基づく措置です。また、50コマまでの複写が可能になったことも特筆すべきことです。だいたい1コマは見開き2ページ単位なので、実質的に100ページまで複写(あるいはpdfによるダウンロード)が可能になります。前に比べてもさらに使い勝手がよくなったと感じます。</div><p>このデジタルコレクションについてすでにブログでも取り上げていますが、それは昨年5月に個人向け送信が利用可能になる前の記事でした。そこで、その後の利用経験とこのシステムのヴァージョンアップを踏まえて、少し考察してみたいと思います。</p><p><a href="https://oda-senin.blogspot.com/2021/12/blog-post_26.html">国立国会図書館デジタルコレクションの凄さ(2021-12-26</a>)</p><p>この記事ではわざわざ図書館に行ってまで使う価値があるとしたのでしたが、実際に個人向け送信を使ってみて、ネットを通じてどこからでもアクセスできる便利さは何者にも代えがたいと感じています。大げさに言えば、今後の日本人の知識行動を大きく変える可能性をもつものだということです。そのことは図書館員向けの研修などでもお話ししています。</p><p>日本人(とくに知識人とされる人たち)には、本を所有することが知を獲得するための要件であるとする傾向があったために、図書館は最後の砦であり、できればお世話になりたくないと考えていた節があります。それは図書館が十分に整備されていなかった時代の記憶が作用しているからかもしれません。しかしながら、NDLがもつ蔵書の古い方(基本的には1968年以前)が一挙にデジタル化され、それらにいつでも安定的にアクセスできるようになったことは、多くの人に驚きを与えました。今のところ、そのあたりを評価する言説は限られていますが、読書猿『独学大全』(2020)、小林昌樹『調べる技術』(2022)といった本が売れていることは、文献資料を使った調査や研究の方法が一般的になり西洋的なものに近づいてきたことを示します。学習指導要領における探究学習の導入も後押ししているかもしれません。「論文の書き方」の類いの本も新書版でけっこうたくさん出版されています。ネットでの安易な情報アクセスに対する批判も背景にあります。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://www.libro-koseisha.co.jp/wp-content/uploads/1a7352a19a298e948474976f953dfb7b.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="800" data-original-width="564" height="200" src="https://www.libro-koseisha.co.jp/wp-content/uploads/1a7352a19a298e948474976f953dfb7b.jpg" width="141" /></a><img border="0" data-original-height="2010" data-original-width="2896" height="139" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgTdfoy49AIVgkpm_HcamEaK3H5jwE-wPc3fFEIf3z-SDzIqMoJbeniKTVE1D1rK8iVPrPcx8nsZ9y261TgcSLaSGXbU8aI9a_e2BKUhyu3y_Qhv4ES6m3q4exsna-80zHta9GuUoF0NhbrjvRpughJxeGzLsHAkp9ClRbdKdebzAtZWyj5ljkZApf8/w200-h139/IMG_1268.jpg" width="200" /><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi4STRhT3JfmqXOzLXqskdi9DQsUFuOEceoTFwFInZxiiA9HazYA1wnD2LnUQuZZa10xPP3edeD3iMZnI79P309N1pUuG0ojv3XVrIfT-AovmLsTmHaAYQwwmFCCqs8hV3tIuZ82a8s2lvAGe0QreEYE0U7sNYTkFKX5Y2ddwqqXHR1Ij-WHNFrWlp4/s3024/IMG_1267.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="3024" data-original-width="3024" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi4STRhT3JfmqXOzLXqskdi9DQsUFuOEceoTFwFInZxiiA9HazYA1wnD2LnUQuZZa10xPP3edeD3iMZnI79P309N1pUuG0ojv3XVrIfT-AovmLsTmHaAYQwwmFCCqs8hV3tIuZ82a8s2lvAGe0QreEYE0U7sNYTkFKX5Y2ddwqqXHR1Ij-WHNFrWlp4/w200-h200/IMG_1267.jpg" width="200" /></a></div></div></div><br /><p></p><h3 style="text-align: left;">デジタルコレクションの使用例</h3><p>数年前から学校図書館史の研究を手掛けています。『教育改革のための学校図書館』(2019)の第3章を書き、その後最近になって戦後新教育における学校図書館の振興にかかわる教育課程の展開をテーマにした論文を何本か書きました。そのうちの3本をブログで紹介しています(「<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/01/blog-post_20.html">学校図書館関係論文の公表」2023-01-20</a>)。これらを書くにあたっては、以前から所属大学の図書館にあった資料を中心に都内のいくつかの図書館で資料を探して分析してきました。現物資料に当たることは重要ですが、戦後間もない時期の出版物で紙や製本の質が悪くすでにかなり劣化していることも気になりました。</p><p>同じものは国会図書館にも所蔵されていたのですが、行かなくてはならないし、書庫から出してもらうのに時間がかかるし、と思いおっくうがっていました。しかしあるとき、国会図書館にしかないものなので、行って並んでいる端末で検索するとその場でデジタルコレクションがすぐに利用できることに驚かされました。それが確か2年前くらいのことで、利用するには国会図書館に行くか、最寄りの図書館への送信資料を利用するしかなかったのですが、その大きな可能性に気づきました。先の「凄さ」というブログ記事を書いたのはその頃です。「近代資料デジタルライブラリー」がNDL館内で利用できるようになったのが2010年で、図書館送信が始まったのが2014年ですから、だいぶ遅い気づきでした。図書館関係者としてもちろん知ってはいたのですが、使えるかどうかの判断はやってみないと分からなかったということです。</p><p>ブログでも書いたように、このシステムは</p><div style="text-align: left;"> ① 20世紀中頃までの国内出版物のかなりの部分をカヴァーしていること<br /> ② 検索したコンテンツがすぐに読めること<br /> ③ 検索が著作物の書誌事項(著者名、タイトル、出版社など)に加えて、目次レベル(章のタイトルや著者名)で可能になったこと</div><p>の3点が重要です。とくに③に助けられました。それは従来、ある人の著作が図書や雑誌記事なら検索可能だったのですが、多数の人が寄稿する概説書や論文集、全集などの集合的著作について、個々の章や記事、論文の検索ができなかったからです。デジタルコレクション(NDLオンラインも同様)によってかなりの発見がありました。とくに、上記のテーマでは文部省の初代の学校図書館担当官深川恒喜という人が重要であり、次のようにこの人についての著作目録をつくったのですが、その際に役に立ちました。</p><p>「深川恒喜研究のための予備的考察(付 深川恒喜著作目録暫定版)」『図書館文化史研究』第39号, 2022,p.173-200.</p><p>そのシステムが昨年から、個人送信で利用可能になり、さらに、全文検索が可能になったということで、さっそく使ってみました。この深川さんについて検索してみると、このシステムで1755件のヒットがあります。旧制大阪高校文科乙類そして東京帝国大学文学部宗教学科の卒業生であることが官報や卒業者名簿によって確認できたり、文部省職員になってからさまざまなところに名前が出てきて足跡を辿りやすくなっています。先の著作目録も改訂が必要になってくるものと思われます。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhb4f7SBE83WDj-PdceYNnquvoLA_nBT-F1WzGW9au5eMjtSOHcLeANbDAqX8QkYVVmlZ_kVyJL-v2xjTZ4JyuXnfT7icRLCLVBmQr8W6QHzr3LhT6WNhnb2N1Wwpa8GPn9SLSwxDWqDaoUKOR3fxckx-Jbtl1tOKbDzK0gra74DgXS5-KjZzwgWLP0" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1386" data-original-width="1466" height="302" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhb4f7SBE83WDj-PdceYNnquvoLA_nBT-F1WzGW9au5eMjtSOHcLeANbDAqX8QkYVVmlZ_kVyJL-v2xjTZ4JyuXnfT7icRLCLVBmQr8W6QHzr3LhT6WNhnb2N1Wwpa8GPn9SLSwxDWqDaoUKOR3fxckx-Jbtl1tOKbDzK0gra74DgXS5-KjZzwgWLP0=w320-h302" width="320" /></a></div><br /><h3 style="text-align: left;">JEPAセミナー「国立国会図書館デジタルコレクションのリニューアル」</h3><p>ということで、ヴァージョンアップされたシステムの全容を把握したいと思い、2月28日夕方の<a href="https://www.jepa.or.jp/sem/20230228/">JEPAセミナー「国立国会図書館デジタルコレクションのリニューアル」</a>(岡本常将氏 国立国会図書館関西館電子図書館課)に参加しました。その後、映像が公表されています。</p><p><a href="https://www.youtube.com/live/7nxUgoRgNgI?feature=share">https://www.youtube.com/live/7nxUgoRgNgI?feature=share</a></p><p>このセミナーでは、NDL関西館の担当者である岡本氏が要領よく今回のヴァージョンアップの特徴について説明してくれました。</p><div style="text-align: left;">まずリニューアルされた国立国会図書館デジタルコレクションについて、<br />(1)国立国会図書館におけるデジタル化及びテキスト化の状況<br />(2)国立国会図書館デジタルコレクションの主な機能<br />(3)図書館及び個人向けデジタル化資料送信サービス<br />を説明し、とくに図書館及び個人向けデジタル化資料送信サービスの対象となる資料がどのようなものなのかについて解説しています。そこで重要なのは「入手困難」という概念でそのあたりについてです。<br />(1)「入手困難」の定義<br />(2)国立国会図書館で行う入手可能性調査<br />(3)事前及び事後の除外手続<br />(4)今後の課題</div><p>マニュアル等に書いてあっても理解しにくいことが開発者の視点から説明されたので全体的な理解が進みました。私的なメモとして、</p><div style="text-align: left;"> ・全文検索、2020年までの247万件テキスト化<br /> ・検索結果の表示の適合度計算について、検索キーワードが書誌データか目次か全文テキストかによって重みづけが異なっている。<br /> ・個人送信利用登録者数、10万人<br /> ・俳句、短歌、名簿等のスニペット表示がそれだけで著作物とされるので館内送信のみのものがある(著作権法47条の5)<br /> ・住所等についてはスニペット表示は個別の要求に応じてマスキング等をする(「忘れられる権利」対応?)<br /> ・デジタル化の対象資料はNDL蔵書の古い順から資料の価値は考慮に入れず順番に行っている。</div><p>といった点が新しい情報でした。10万人という登録者数が多いのか少ないのか俄には判断がつきません。ただ今後、ますます利用者が増えていくのではないかと思われます。</p><h3 style="text-align: left;">適合度についてなぜ問うか</h3><p>検索結果の適合度順表示について、「適合度計算のアルゴリズムは公開されていないのか。もしされていないなら図書館という機関の検索は透明であるべきでは?」という質問と意見を送ってみたら、「重み付け等について公開されていない。要望は担当者に伝えておく」というお答えでした。以前から、「適合度」という言葉の恣意的な使い方に違和感を覚えていたのでこのような質問をした次第です。</p><p>適合度(適合性とか関連性とも言う)relevanceは図書館情報学で検索システムの評価に用いる重要な概念です。要するに、検索者が求めるものがどれだけ得られるのかという尺度なのですが、そもそも「求めるもの」とは何なのか、「得られたもの」は検索結果なのでしょうが、「求めたものが得られた」となるのはどのような場合なのか、というような難しい問題があります。</p><p>Googleが開発当初、検索結果の表示順(適合度順)に、PageRankと呼ばれる手法を使ったことが知られています。これは、検索におけるウェブサイトの適合度を判断するにあたって、そのサイトへのリンクを貼っているウェブページの数に加えて、そのウェブページの重要度を被リンク数の数に応じた重み付けをしたことが知られています。これはリンク数という量的なものをベースにした適合度判断ですが、これはやればやるほど特定のサイトに集中するという問題があります。他者が求めるものはいいものだからそれを求めるというマーケティングの一つの原理に依存していますが、逆に多数者が求めるものを避けて質的な評価をするのには不適切です。</p><p>NDLデジタルコレクションを検索する際に初期画面では「簡易検索」になっており、キーワードを入れると何かが検索されます。その表示はデフォルトでは「適合度順」です。利用者はそれぞれ多様な目的のために検索するわけですが、どのようなキーワードをいれるとどのような結果が得られるのかを理解していれば、適切な検索をしやすくなります。この表示の順序は、タイトル、著者、出版日、請求記号の昇順、降順にも切り替えられます。これらの順序は五十音順だったり、数字や記号の順序ですから分かりやすいのですが、この適合度順というのだけはよく分からないわけです。システムが勝手に適合度を判断しているように見えます。そこで上記のような質問になったわけです。</p><p>適合度はシステム開発者の判断でアルゴリズムを決めることが可能ということは、開発者間では共有されているのかもしれないのですが、図書館利用者にとってはそうでないわけです。Googleの検索アルゴリズムが公開されていないことが問題になったことがありますが、図書館ではこの部分は一定程度公開されるべきでないかと考えます。</p><p><br /></p>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-1175989540011272932023-02-18T20:32:00.016+09:002023-08-23T12:30:34.230+09:00軽井沢風越学園の図書館教育コンセプト<p> ようやくここを訪ねることができた。話しに聞いていた「図書館を大事にした学校」。ここ何年か学校図書館が戦後教育改革において重要な位置付けにあった痕跡について研究しているが、そこで、「<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/01/blog-post_20.html">図書館教育</a>」という試みがあって、カリキュラムの展開に大胆に図書館のことを入れようとしたが、結局のところうまくいかなかった。それがなにゆえなのかがずっと気になっていた。そういうなかで、GIGAスクールでもなければ、国際バカロレアでもない試み。いったいそこで何をやっているのか。それはたった数時間の滞在で本当のところを理解できるわけではないだろう。しかしながら大きな期待を抱かせるものであった。その一端を伝えようと思う。</p><h3 style="text-align: left;">風越学園とはどんなところか</h3><p>すでにメディアやネットでこの学園の試みは伝えられているので、最初はそこからイメージをつくり出してみよう。基本的な情報は<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%BD%E4%BA%95%E6%B2%A2%E9%A2%A8%E8%B6%8A%E5%AD%A6%E5%9C%92">Wikipedia</a>にある。軽井沢といっても、駅からバスで30分くらい走った郊外で廻りは森林や原野といった感じのところに3年前に開設された学校である。真北に浅間山が大きくそびえている。その立地の自然環境と景観を活かそうとしている学校のコンセプト自体が日本の教育が都会志向であることと正反対のベクトルをもつことに気づく。この学校に子ども入れるために軽井沢に移住した家族が居るという話しも伝わっている。「<a href="https://cocreco.kodansha.co.jp/cocreco/general/study/06Aw0">東京の家族が「軽井沢風越学園」へ“教育移住”を決断したこれだけのワケ</a>」という記事だ。受験を勝ち抜くために低学年から競争的環境に子どもを入れる選択と異なったものに惹かれる人たちもいるということだ。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://kazakoshi.ed.jp/cmskazakoshi/wp-content/uploads/2018/11/asamajiku.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="566" data-original-width="800" height="283" src="https://kazakoshi.ed.jp/cmskazakoshi/wp-content/uploads/2018/11/asamajiku.jpg" width="400" /></a></div><br /><p><br /></p><p>こうしたものがどのようにしてつくられたのかについてだが、Wikipediaの記事にあるように楽天の創業時から会社作りにかかわった現理事長本城慎之介氏の個人的資産で始められたということを理解すべきである。これは<a href="https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD28BDE0Y1A420C2000000/">日経新聞のインタビュー記事</a>に詳しく出てくる。要するに本城氏が創業者利益を自分の夢の実現に充てたということだ。北海道の田舎で育った自らの生い立ちから、日本の教育問題に一石を投じようとアンチテーゼとしての学校をつくろうとしている。国際バカロレアもそうだけど、こういう新しいことをやるためにはかなり大胆な発想と資金そして経営能力が必要であろう。新聞記事には、岩瀬直樹校長(教員から教育実践学研究者になった人)が実践、苫野一徳氏(教育哲学者、教育学のトリックスター)が理念、そして本城氏が資金提供と経営の分担をしているとある。最初は公設民営の経営形態を狙っていたというが、ここで意図している義務教育学校がそのかたちではつくれないし、現時点では公立学校でこういう学校は実現できないだろう。</p><p><br /></p><h3 style="text-align: left;">学校の教育課程</h3><div><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://kazakoshi.ed.jp/cmskazakoshi/wp-content/uploads/2021/05/20210515-1024x683.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="風越学園の学びの様子" border="0" data-original-height="534" data-original-width="800" height="267" src="https://kazakoshi.ed.jp/cmskazakoshi/wp-content/uploads/2021/05/20210515-1024x683.jpg" width="400" /></a></div><br /><div><br /></div><div>学校の特徴は岩瀬校長が語っている<a href=" https://kyoiku.sho.jp/105471/">インタビュー記事</a>によく現れている。子どもの自然な動きを大事にした学びの場をつくるために、教室の壁はできるだけ取っ払うし、また、個人、グループ、そして学年を超えたグループでの学びを校舎内、校庭、外の森林や自然環境の場を自在に使う。そのときに、カリキュラムに沿うが教科書を使うことは稀れで課題や問題設定に基づいて子どもが自由に学びを展開することを重視する。そこに二年生の時間割があるが午前中は教科融合の「くらし、あそび、えがく」、午後に土台の学びとして「読書家、算数、ことば」がある。いたってシンプルだ。行った日の午後は上の方の学年は「わたしをつくる」(略称わたつく)という自分で課題を解決する学習をしていた子が多いから、なんとなくずっと子どもたちは動いていて自分で勝手なことをやっているようにも見えた。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://kyoiku.sho.jp/wp-content/uploads/2021/09/e8c44b209de8ef64cbc067bafc395110-1.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="585" data-original-width="800" height="293" src="https://kyoiku.sho.jp/wp-content/uploads/2021/09/e8c44b209de8ef64cbc067bafc395110-1.jpg" width="400" /></a></div><br /><div><br /></div><div>こういうタイプの学習では教員は最初の指示をした後は子どもたちを見守り必要なときに声がけをするということになる。ふつうの学校だと声がけが指示的になることが多いが、ここではかなりの程度子どもの自由な行動に委ねられている。毎日最後に「帰りのつどい」という場が設けられて一人一人がみずから何をやったのかを記述する。</div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">学校に埋め込まれた図書館、あるいは図書館に埋め込まれた学校</h3><div><br /></div><div>この学校を紹介するときに、学校建築として図書館が中心にあることが強調されることが多い。私もいくつもの学校を見学したなかで、図書館に力を入れている学校を見学したことがあり、そのなかに校舎を入ると正面に図書館がある学校もあったし、図書館を使用した授業に力を入れている学校もあった。しかしながら、ここまで図書館中心の学校は初めてである。学校に図書館が埋め込まれているというよりも図書館に学校が埋め込まれていると言った方がよいかもしれない。上の写真でも書架の間に机があって子どもたちが作業をしている様子が見られるが、それだけではない。<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://public1.potaufeu.asahi.com/1222-p/picture/26320564/147973670fce6acf6656e3cfed69c3ab.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="480" data-original-width="640" height="300" src="https://public1.potaufeu.asahi.com/1222-p/picture/26320564/147973670fce6acf6656e3cfed69c3ab.jpg" width="400" /></a></div></div><br /><div><br /></div>この学校の建築上の特徴は全体は2フロアであるが、体育館とか音楽室や理科実験室等のラボと呼ばれる部屋を除くと一つのオープンスペースを構成しているところにある。北側の浅間山と森がよく見える大きなガラス窓から放射状に書架が伸びた「ライブラリー」があり、グループ学習用のテーブルがおかれて自由に作業をしたり本を読んだりできる。「ホームベース」は区切られた部屋でここもさまざまな作業に使える。机が整然とならんだふつうの学校の教室のような部屋は一つしかなかった。<div><div><br /></div><div>でライブラリーだが、この図のライブラリーのところだけに本があるのではなくて、ホームベースの外側の壁も書架になっている。二階にも本がある。基本的にNDCで分類された本が分類されて並んでいるというイメージだが、幼稚園児から中学生までいるし、教員用の図書もいっしょに置いてあるのでかなりバラエティに富んでいる。図書館に学校が埋め込まれているといったのは、教科の枠はゆるくて自分で課題を見つけて作業を行う過程で図書館の本への自然なつながりができるようなコンセプトがあるからである。<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://kazakoshi.ed.jp/cmskazakoshi/wp-content/uploads/2018/11/ground_level.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="風越学園の1F" border="0" data-original-height="555" data-original-width="800" height="278" src="https://kazakoshi.ed.jp/cmskazakoshi/wp-content/uploads/2018/11/ground_level.jpg" width="400" /></a></div></div><div><br /></div><div>それを可能にしている要因として、すでに述べたように課題解決を中心とした学習ということにある。子どもたちはChromebookをもっているしネット接続環境もあるが、このように書架が主題別になっていて、教科と書架が関係づけられているので課題解決がGoogle検索よりも書架に行くというのが自然な行動になっているという。「土台の学び」が「国語」ではなくて「読書家」となっているところが重要である。ここで「読書」というのは要するに書き言葉を使うためのリテラシーのことを指している。つまり、「読む」「書く」が義務教育のもっとも重要な土台であり、それを一貫して追求しているということだろう。上の学年の「1万ページ読書ノート」というのが置いてあったのを手に取ったところ、著者、書名、ページ数が書いてあってこれを累積して1万ページを目指すということのようだ。先に書いたように、ここでの「読み」は国語ないし文学的な読みに限られず、教科との関連付けがされているのが特徴だ。</div><div><br /></div><div>学校図書館関係者には周知のことだが、ここには専任の司書教諭が配置されるだけでなく、専任学校司書、豊富な専任司書教諭経験のある国語科教員と計3名の学校図書館関係者がいる。教科カリキュラムが図書館資料と結びつくための仕掛け(選書、資料の分類、目録、排架、レファレンス)があるのはもちろんのこと、カリキュラムをつくるところにそれらの人たちが関わっていることが重要である。開校前から教職員がかなりの時間をかけてそうした話し合いを行いカリキュラムをつくったし、開校後も定期的にそうした研修の機会をもっていると聞いた。</div><div><br /></div><div>日本の学校教育で探究的な学びというときに、協同的学習やグループ発表が強調される。これはアクティブラーニングとも呼ばれるが、本や資料による外部知に対する配慮が十分にないことが問題だと思う。これは歴史的に教師が学びの内容をコントロールすることが教育だという戦前から染み付いた考え方がいまだもって残っていることを示しているのだろう。ここでは最初からそれが払拭されている。岩瀬校長はここはジョン・デューイの『学校と社会』にあるシカゴ実験学校のイメージ図を意識していると明言されていた。つまりこれである(根本『教育改革のための学校図書館』p.10)。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2yNMqVkzatnrP3ULUS0ppT6x_eFQrJ8kK_vbxA3C15v2wKgkWcf4DmZ-F1YmWL1G-fTotU9JP5hSWIsCxKWO-udZVCTgs2nPb6Mk8qxl4yBHMtF80SJWW0BrHnoY5RbsEQwrNSZAlCK_vZOv1nd8IppYwqdSia-2jtf-WSvOp9VLXNcfcJD5crQPv/s810/%E3%83%86%E3%82%99%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%A8%E7%A4%BE%E4%BC%9A.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="810" data-original-width="489" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2yNMqVkzatnrP3ULUS0ppT6x_eFQrJ8kK_vbxA3C15v2wKgkWcf4DmZ-F1YmWL1G-fTotU9JP5hSWIsCxKWO-udZVCTgs2nPb6Mk8qxl4yBHMtF80SJWW0BrHnoY5RbsEQwrNSZAlCK_vZOv1nd8IppYwqdSia-2jtf-WSvOp9VLXNcfcJD5crQPv/w193-h320/%E3%83%86%E3%82%99%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%A8%E7%A4%BE%E4%BC%9A.jpg" width="193" /></a></div>この学校のモデル図はしばしば参照されるが、これが実現できている学校は少ない。この図で重要なのは、経験主義と呼ばれる子どもたちの経験を中心とした学びを実現するのが、学校内のさまざまな教科的枠組みのなかの経験の場(実験室とか調理室とか)や学校外の社会や自然環境のような直接的な体験の場だけではなくて、図書室や博物室、そして外部の大学や図書館、博物館のような知を提示する場における間接的経験も含んでいるということだ。日本の教育学における経験主義はこの部分が無視されている。とくになぜ図書館や図書室かといえば、そこがメタ的な知を提示する場であるからだ。メタ的の意味は学び手が自分で知を展開するための手がかりを提示することを意味する。日本の学校教育は教育行政や教師がメタ的知を支配している。新しい学びはそれを蹴飛ばすところから出発する。その方法的場として図書館を選ぶのである。あるいは図書館に埋め込まれている学校という意味ではこれをさらに展開しているとも言える。デューイの原点に戻り超えようとする発想である。</div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">コーダ</h3><div><br /></div><div><div>いささか先に行きすぎたかもしれない。がそうなったのは、戦後間もないときに少数の教師が可能性を探った「図書館教育」の実現形がここにあるのかもしれないと感じたからである。一クラスは20数名程度、軽井沢地区に住むことが要件の通学区、私立学校だからかかるそれなりの授業料、義務教育後への接続というような条件や課題があるにもかかわらず、これが可能になったことを祝福したい。そしてここがどのような教育効果を挙げるのかを見守りたい。<br /><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div></div></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-43272845378233322222023-02-13T23:42:00.023+09:002023-02-16T18:30:45.819+09:00ChatGPTは図書館の敵か?<p><a href="https://chat.openai.com/chat">ChatGPT</a>という質問応答型のAIサイトが話題になっている。たとえば、朝日新聞Web版には次のような記事が出ている。(<a href="https://digital.asahi.com/articles/ASR2B52W9R28UHBI024.html">https://digital.asahi.com/articles/ASR2B52W9R28UHBI024.html</a>)</p><p>>ChatGPTが変える検索 グーグルは守る闘い、日本「蚊帳の外」(松尾豊・東京大学教授 聞き手・真田嶺, 2023年2月13日 17時00分)</p><p>> 米新興企業「オープンAI」が開発した対話型の人工知能(AI)「ChatGPT(チャットGPT)」が世界で大きな話題となっています。ロイター通信は、金融大手UBSの分析として、昨年11月末に公開されてからわずか2カ月で、月間アクティブユーザーが1億人に達したと報じました。このユーザー数は、人気の動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」でも9カ月かかったとされています。そもそもチャットGPTのどのような点が優れているのでしょうか。また、私たちの生活をどう変えうるのでしょうか。日本におけるAI研究の第一人者、松尾豊・東京大学教授に聞きました。</p><p>有料記事なので一部を引用するにとどめる。</p><p>> 「チャットGPTは大規模言語モデルといわれる、従来よりも非常に巨大なモデルを用いて学習しているため、従来のAIよりも多くのことを覚え、その覚えた知識を使って答える。そのため、特に自然言語の対話で従来とレベルの違う会話ができるようになっています。これまではほとんど対話になっていませんでしたし、長く対話を続けることが難しかったと思います。SiriやAmazonエコーと日常的に長い対話をしているという人はほとんどいなかったと思いますが、チャットGPTはあっという間に1億ユーザーを超え、調べ物など日常的に使って手放せない人がたくさんいる。何か疑問があるときに質問すると、とても便利ですよ」</p><p>> ――GPT―3は研究者の間でも、話題になりました。</p><p>> 「パラメーターの数が1750億と超巨大で、性能が非常に良かった。研究者かいわいでは公開された2020年から『すごい』と話題になっていましたね。今後、GPT―4も出ると思われ、またパラメーターが相当大きくなるとみられています。スケール則という法則が知られており、パラメーター数が大きくなると賢くなります。したがってGPT-4は、いまのGPT-3よりさらに賢いことが確実です」</p><p>また、弁護士ドットコムという法律サイトでは次のような興味深い実験が行われている。(<a href="https://www.bengo4.com/c_18/n_15648/?fbclid=IwAR2rbW0vwn9cj_9PHXKwlKZH9SfuBScSE5kTMcqJam8nxOveTj60W7mpJjA">https://www.bengo4.com/c_18/n_15648/?fbclid=IwAR2rbW0vwn9cj_9PHXKwlKZH9SfuBScSE5kTMcqJam8nxOveTj60W7mpJjA</a>)</p><p>>ChatGPTは日本の司法試験に合格できるか 弁護士ドットコムが実験2023年02月13日 10時53分</p><p>>米国のベンチャー企業OpenAIが開発した対話型人工知能「ChatGPT」に注目が集まっています。共同通信の報道によると、米医療企業の研究チームが、ChatGPTに米国の医師国家試験を解かせてみたところ、正解率は52~75%で、合格ラインとされる60%前後に達しました。また、司法試験を解かせる米国の実験では、7科目全体の平均こそ人間に負けたものの、2科目では平均を上回る結果をみせています。では、ChatGPTに日本の司法試験を受けさせてみたらどうなるのか。弁護士ドットコムで実験をおこないました。</p><p>この実験では、令和4年司法試験の民法の択一試験の全37問についてChatGPTを使って回答させて、約3割の正答率という結果を導いたという。択一式の足切りが4割ということから合格ラインからかなり遠いが、択一式の回答を導くことができることがこのシステムがかなり「実用的」であることを示している。これがアメリカの司法試験だともっと正答率が高いらしいが、それはアメリカの場合には判例が公開されているのに対して、日本の判例で公開されているものの割合が低いことが理由のようである。それは当然で、このタイプのAIは用意されている文字列(知識ベース)の検索を高度に組み合わせて行うものであり、文字列に限界があれば、正解からは遠ざかることになる。</p><p>ここで、図書館のレファレンスサービスがChatGPTによってどのような影響を受けるのかについて考察してみよう。図書館員がオープンになっている知識ベースを使っていることは確かであり、もしそうしたネット情報だけで回答するならChatGPTで済んでしまうことになるからである。そこで次のような質問をしてみた。</p><p>>Q: 「日本の出版市場におけるアマゾンのシェアを知りたい」</p><p>この質問に対するChatGPTの回答は次のようなものだった。</p><p>>A:アマゾンは、日本の出版市場においても非常に大きなプレイヤーとなっています。しかし、具体的なシェア数に関しては正確なデータが公開されていないことが多いです。</p><p>>近年、日本でもデジタル書籍が人気となっており、アマゾンはこのセグメントでも強い地位を占めています。また、アマゾンのKindleストアを活用することで、多くの読者がデジタル書籍を手軽に購入・閲覧することができるというメリットもあります。</p><p>>一方で、出版業界ではアマゾンの大きな圧力に対して批判的な意見もあります。出版社や書店がアマゾンとの競争にあっているという声もあります。</p><p>>このような背景から、アマゾンが日本の出版市場で占めるシェアについては明確な数字はありませんが、非常に大きな影響力を持っていることは間違いありません。</p><p>以上は入力データも出力データもそのままである。質問に対する回答が自然な日本語であり、まったく違和感がないことに驚かされる。しかしながら回答については満足のいくものではなかった。これはアマゾンのシェアは業界レベルで共有されていても基本的には公開されていないからである。たとえば『出版物販売額の実態 2022』(日本出版販売, 2021.11)には、販売ルート別のシェアが掲載されているが、そこではインターネット販売のシェアは19.4%となっていて、それ以上のことは分からない。(<a href="https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20221209-00327379">https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20221209-00327379</a>)可能なのは、そのなかのかなりの部分がアマゾンが占めるのではないかと推測できる程度である。日販はより詳細なデータをもっていて、それ自体がビジネスデータとして個別に提供されるなり販売されるなりしているのかもしれない。</p><blockquote style="border: none; margin: 0px 0px 0px 40px; padding: 0px;"><blockquote style="border: none; margin: 0px 0px 0px 40px; padding: 0px;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEj-p782PRWxWykwuYkcANF-_yarN_NStCfeJHkdfaCPIRNecIw7l0wvbPL59v12pXdUtpHEMbsIpnStn3WsfjNbJ4GML6k-qqZyYcKjvbX8qgiMqw63dYTkm7pUYk3fzj63O7Cib1MVlHl6ulW6umRsftM8GChxxZciJJb7W6R5IzxUlLX1BZwFfKvc" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="796" data-original-width="812" height="392" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEj-p782PRWxWykwuYkcANF-_yarN_NStCfeJHkdfaCPIRNecIw7l0wvbPL59v12pXdUtpHEMbsIpnStn3WsfjNbJ4GML6k-qqZyYcKjvbX8qgiMqw63dYTkm7pUYk3fzj63O7Cib1MVlHl6ulW6umRsftM8GChxxZciJJb7W6R5IzxUlLX1BZwFfKvc=w400-h392" width="400" /></a></div></blockquote></blockquote><p>「日本の出版流通におけるインターネット販売のシェアを知りたい」とすれば簡単に回答が得られるはずと思ったが、やってみると「申し訳ございませんが、具体的な数字については私が持っていません。このような情報は常に変化しており、最新の情報は市場調査会社や業界専門家に問い合わせることが最善の方法かもしれません。」という回答だった。上記のデータがオープンになっていないからなのだろう。正直なものである。英語で同様の質問をしてみたが、結果は日本語の場合と同じだったし、アメリカのアマゾンのシェアについて聞いても同様だった。以上のことから、AI怖るに足らずということは言える。</p><p>公開された情報やデータを基にしているという意味では図書館員もAIも同じものに依存しているわけであって、それだけなら回答のスピードを考えれば勝負にならない。しかしながら、実はオープンになっていないデータは大量にある。図書館はそれらを収集提供することでそうしたデータへのアクセス手段をもちうるから、AIよりも有利な位置づけにある。また、視点を変えればChatGPTはGoogleとかWikipediaと同様のレファレンスツールの一つと考えることができる。これらはメタ・レファレンスツールと呼ぶべきもので、図書館(員)はこれらの信頼性を検証しながら、独自の評価とサービスの付加価値をつけることが可能である。</p><p>図書館員の強みは、AI的ツールを使って次の段階に進めるというところにある。逆に言えば、そうした評価や工夫ができなければChatGPTとは勝負にならないということにもなる。『朝日新聞』の記事に「<a href="https://digital.asahi.com/articles/ASR2F5RHLR2FULFA00V.html">「チャットGPT」で法律相談 弁護士ドットコム、今春開始へ</a>」というのがあった。先ほどの実験をやった弁護士ドットコム(株)はこれまで蓄積した100万件以上の法律相談のやり取りをChatGPTに学ばせて、新たな<a href="https://www.bengo4.com/bbs/">無料法律相談サービス</a>を今春に始める方針を明らかにしたというものである。ここは無料の法律相談DBの蓄積があり、これを活かそうということのようだが、これはこのビジネスが法律の問題で何らかの問題を抱えている人に対して最終的には専門の弁護士の紹介を目的としているから成立するものだろう。</p><p>同じ発想で<a href="https://crd.ndl.go.jp/reference/">レファレンス協同データベース</a>に適用することができるように思われる。ここにはすでに15万件のレファレンス質問の蓄積がある。これをAIを挟んで以前より踏み込んだ質問と回答につなげ、それで足りない部分を図書館員がサポートするということになる。AIはここまで来ているのだから図書館は次の段階に進むことが必須なのである。</p><h4 style="text-align: left;">追記1(2023年2月14日)</h4><p>その翌日、朝日新聞のWebにAIに強いプログラマー<a href="https://digital.asahi.com/articles/ASR2B65D4R29UHBI03H.html?iref=comtop_7_01">清水亮氏へのインタビュー</a>が追加された。ここで最後に次のようなことが語られた。</p><p>>――私たちはチャットGPTと、どう向き合っていくのが良いでしょうか。</p><p>>「残念ながら完璧とはほど遠いものですから、それを触って『こんなものか』と思ってほしくない。研究途上のものであるということは意識して向き合ってほしいです。まだまだAI研究の可能性はとても広い。チャットGPTが注目されたことで、これまで無関心だった人の中でもAIに急に興味を持った人が増えました。プレーヤーの絶対数が増えれば、新しいイノベーションは確実に生まれてくると思います。一番大事なのは、(人とAIをつなぐ)インターフェースがどうあるべきかを考えることだと思います」(聞き手・真田嶺)</p><p>AIについては過度な期待をもつべきではないことはいろんな人が言っていることである。Chat GHPはそれを如実に示す教材として我々の目の前に現れた。清水氏が発信している<a href="https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2302/10/news060.html">「なぜ人々は、ChatGPTという“トリック"に振り回されるのか? Google「Bard」参戦、チャットAI戦争の行方」</a>も参照されたい。</p><h4 style="text-align: left;">追記2(2023年2月16日)</h4><p>このブログはインターネットでオープンになっているから、ここで以上のように書いたことから、ChatGPTが日本におけるアマゾンのシェアのデータについての推測を行う可能性があるのかもしれない。しばらくその質問をやってみて、回答に反映されるのかどうかを見てみたい。(このページのアクセス数はもう少しで1000件になろうとしている。そのことも影響するのかもしれない。あるいは誰かがそれを見て同じ質問したり、別の回答を書き込んだりしているかもしれない。)</p><p>と、ここまで書いてから同じ質問をしたところ、</p><p>>Q: 日本の出版市場におけるアマゾンのシェアを知りたい</p><p>>A: 日本の出版市場におけるアマゾンのシェアは、年度やカテゴリーによって異なりますが、一般的には高いとされています。</p><p>>日本出版販売株式会社の調査によると、2019年の日本の書籍販売市場におけるアマゾンのシェアは約31%で、トップシェアの書店チェーンである紀伊國屋書店の約26%を上回っています。また、アマゾンは電子書籍市場でも強い地位を持っており、2019年には国内電子書籍市場におけるシェアは約60%でした。</p><p>>ただし、2020年には新型コロナウイルスの影響により、オンライン書店の需要が急増したことから、アマゾン以外のオンライン書店も成長しています。今後も市場の変化により、アマゾンのシェアがどのように変化するか注目されています。</p><p>と返してきた。3日前には何度やっても数値を返すことはなかったから、この間に何かの変化がある。この31%という数値だが、前の推測値よりかなり高い。理由は前のが「出版市場」であるのに対して「書籍販売市場」であるからだろう。日販の調査データとしているので同じものだろうが、ネット上にはアマゾンのシェアについての数字はなかったはずだ。誰かが教えたのかもしれないし、これが正しいかどうかわからない。しかしながら、何らかの「学習」をしているらしいことは確かである。</p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-70005082848194658072023-02-07T19:33:00.038+09:002023-02-09T11:07:23.696+09:00情報活用能力の歴史と未来を語る会に参加してみて<div><div>今、教育DXとかGIGAスクール構想が教育行政の場で語られ,実施され始めている。デジタル庁の誕生とともに国の産業政策の一環として導入されたものであるが、そこでは、子どもたちの情報環境や学校が位置するメディア装置の大きな変化に関わって情報教育をどのように展開するかという教育の問題だけで動いているのでないのは明らかである。教育市場をめぐるさまざまな業界の思惑やICT産業育成の今後に関わる省庁間の人材育成の場をめぐる駆け引きなどの側面は無視できない。</div><div><br /></div><div>私は、GIGAスクール構想が学校図書館とどのような関係にあるのかについてウォッチしてきたのだが、そのときの主たる関心はハードや通信などのインフラが整いつつある学校において、教育コンテンツがどのように提示されるのかということである。電子教科書、デジタル教材、電子新聞、電子書籍などと呼ばれるもの教育課程のなかでどのように提示されるべきなのか、それらの管理をするのは誰なのか、また教員はそれらを用いて教育課程をどのように展開するのかといったことである。誤解されやすいが、そうしたコンテンツ自体は今回のGIGAスクール構想の直接の対象にはなっていない。</div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">情報活用能力の歴史と未来を語る会</h3><div>今回、オンラインで開催された「<a href="https://jaet.jp/event/event-22070/">情報活用能力の歴史と未来を語る会</a>」に参加してみた。情報教育や教育工学の分野でコンテンツの問題に対してどのような関心をもたれているのかを見ておきたかったからである。<b>(なお、2月8日に<a href="https://minogashi-jouhou.peatix.com/event/3496424/view?utm_campaign=follow-organizer&utm_medium=email&utm_source=event%3A3496424&kme=reco-clk&km_reco-str=PodMember&dlvid=3be39039-15ed-4752-875d-4b2f21c0a1c8&sltid=0"><span style="color: red;">「見逃し配信」</span></a>がアップされた。)</b></div></div><div><div><br /></div><div>■日時:2023年2月5日(日)13:45〜17:00</div><div>■場所:オンライン</div><div>■プログラム</div><div> 1.開会挨拶: 大久保昇氏(内田洋行教育総合研究所・顧問)</div><div> 2.講演: 清水康敬氏(東京工業大学名誉教授)</div><div> 永野和男氏(聖心女子大学名誉教授、法人本部参与)</div><div> 堀田龍也氏(東北大学大学院、東京学芸大学大学院・教授)</div><div> 3.講演者によるパネルディスカッション</div><div> コーディネーター:高橋純氏(東京学芸大学・教授)</div><div> 4.閉会挨拶:山西潤一氏(日本教育情報化振興会・会長)</div><div>■主催:New Education Expo実行委員会、内田洋行教育総合研究所</div><div>■共催:日本教育工学協会(JAET)</div><div>■後援:(一社)日本教育工学会(JSET)、(一社)日本教育情報化振興会(JAPET&CEC)、(公財)パナソニック教育財団</div><div>■協力;文部科学省</div><div><br /></div><div><div>講演のなかで清水康敬氏は、上記協力者会議が出発点であったことに言及している。情報教育の目標を、</div><div>①情報活用の実践力、</div><div>②情報の科学的な理解、</div><div>③情報社会に参画する態度</div><div>としたことについて触れて、それ自体は今見直す必要はあるかもしれないと述べた。だが、協力者会議の後、英米の関係者と協議することがあったときに、日本の情報活用能力(情報リテラシーの言い換え)の考え方はよくできているとの評価があり、自信を深めたとの発言があった。周知のように英米のinformation literacyの定義は図書館関係者が主導している部分があったが、それに不満をもつ教育関係者がいたとのことだろう。図書館関係者は目標の①情報活用の実践力を中心に情報活用能力を考えがちだが、教育工学やメディア教育の専門家が考える情報活用能力は、②情報の科学的な理解、③情報社会に参画する態度も含めたものを考える。米国では21世紀型スキルの議論のなかで、日本の情報活用能力の考え方を取り入れたような政策が展開された。</div><div><br /></div><div>また、永野和男氏は協力者会議報告の成果は次の学習指導要領に反映されたと述べた。総合的な学習の時間や中学校「情報とコンピュータ」の時間などである。また、情報活用能力の育成法として、具体的な問題解決場面における情報収集、分析・処理、編集・加工。伝達・発信といった探究学習のプロセスや教科における演習について触れ、実践的場面での方法知と内容知の組み合わせが重要という話しをした。</div><div><br /></div><div>堀田龍也氏がその後の情報教育の展開を引き受けた話しをした上で、パネルディスカッションに移った。次のような指摘が記憶に残ったものである。</div><div>・従来の教科を中心とした教育課程の制度が堅くてなかなか情報教育のような越境するような方法知の分野が入り込むことが難しい、</div><div>・学習指導要領では総則のところでは確かに情報活用能力という言葉は入っているが、各教科のところではそれぞれの教科に委ねられている、</div><div>・情報活用能力と教科との関係を整理していくべきである、</div><div>・そのためにはカリキュラムの整理と評価の実証データを整理することが必要である、</div><div>・教育委員会あるいは学校の教育マネジメントに反映できるようにする、</div><div>・研究者、先進的な指導主事、実践的カリキュラムを実施している教員、参加関係企業の人たちの相互の関係をつくっていく、</div><div>・文科省を動かすためには有識者会議で議論することが必要だが、そのためにはまず外部的な指針として明示することや実証的研究データの蓄積があって初めて可能になる。</div></div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">LIPER学校図書館班の学校内情報メディア専門職提言</h3><div>なぜこのイベントに関心をもったのかというと、かつて<a href="http://old.jslis.jp/liper/report06/report.htm">LIPERプロジェクトの学校図書館班の研究</a>のなかで、講演者のなかのお二人清水康敬氏と永野和男氏にインタビューを行ったことがあるからである。そのあたりの経緯についてはここで説明しきれないので、拙著『教育改革のための学校図書館』(東京大学出版会, 2017)の第9章「学校内情報メディア専門職の可能性」を参照されたい。そのときは、文部省の情報教育政策と学校図書館政策をうまくつなげることができないかと考えていた。</div></div><div><br /></div><div>そのインタビューは、2003年から2004年にかけて、教育工学やメディア教育の専門家5人に対して行ったものである。というのは、これらの人たちが参加した文部省「<a href="https://draft.blogger.com/blog/post/edit/8367013427787416869/7000508284819465807#">情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進などに関する調査研究協力者会議」最終報告</a>(1998)にて、学校内に配置すべき「メディア専門職」として司書教諭の職を充てることを想定した提言があったからである。この報告書は現在でも見ることができる。とくにそのなかで、学校図書館を学習情報センター、司書教諭を「メディア専門職」と見立てる図があってインパクトがあった。</div><div><div><br /></div><div><a href="https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/002/toushin/980801b.htm" style="font-family: "Hiragino Sans";">学校内の情報化と教育ネットワーク(図)</a></div></div><div><br /></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px; text-align: left;"><span><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><div class="separator" style="clear: both; font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgriONBKJEXkAl0xHJvzRVbQd1OenskSoODFQQFs6J1uX0PMzW41sUsvDcnVGA4apn9IcZtdxiFXOTKEi_0MEgrhxdnB8BIDrKmGpH2ZaE64r-gCBbCsLkrAUC108hktITmUHiFnsdZ2427RNrrrcYio7s6wLnaBAVRquZkeZfqBtQ4Qv11UlfATQne" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" data-original-height="1054" data-original-width="761" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgriONBKJEXkAl0xHJvzRVbQd1OenskSoODFQQFs6J1uX0PMzW41sUsvDcnVGA4apn9IcZtdxiFXOTKEi_0MEgrhxdnB8BIDrKmGpH2ZaE64r-gCBbCsLkrAUC108hktITmUHiFnsdZ2427RNrrrcYio7s6wLnaBAVRquZkeZfqBtQ4Qv11UlfATQne=w289-h400" width="289" /></a></div><br /><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: Hiragino Sans;"><a href="https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/002/toushin/980801c.htm">学校内の体制と外部からの支援体制(図)</a></span></div><div style="font-size: medium; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: Hiragino Sans;"><br /></span></div></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-size: medium;"></div></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhT9zoAFE349qU4fy9B-ELTVrSVvBlWKeX2EUA1VVY3uRAbSiPLzit3f2kT9TrvHnTtbauZCZZiJRH2byagfaK6MSYlJwRdyDLWrzYLV_QNVEgyXqtW4MZ3QePnzaCdNo8R4_Yt5KUV21lB5WEz-sKSpxaM7ExgyumgZNE7DzqaFt1S_d5cO7aMe2k6" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="学校内の体制と外部からの支援体制(図)" data-original-height="998" data-original-width="735" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEhT9zoAFE349qU4fy9B-ELTVrSVvBlWKeX2EUA1VVY3uRAbSiPLzit3f2kT9TrvHnTtbauZCZZiJRH2byagfaK6MSYlJwRdyDLWrzYLV_QNVEgyXqtW4MZ3QePnzaCdNo8R4_Yt5KUV21lB5WEz-sKSpxaM7ExgyumgZNE7DzqaFt1S_d5cO7aMe2k6=w295-h400" title="学校内の体制と外部からの支援体制(図)" width="295" /></a></div><div style="text-align: left;"><span style="font-family: "Hiragino Sans";"><br /></span></div><div style="text-align: left;"><div><span style="font-family: inherit;"><span>この協力者会議の中心的なメンバーだった研究者に対してインタビューを行った結果得られたことは次のようにまとめられる。 (<a href="http://old.jslis.jp/liper/report06/sl_2004_1.doc">河西由美子,中村百合子「</a></span><span><a href="http://old.jslis.jp/liper/report06/sl_2004_1.doc">学校図書館専門職の養成に関する調査研究-情報専門職の養成に向けた図書館:情報学教育体制の再構築に関する総合的研究LIPER(Library and Information Professions and Education Renewal)」</a></span><span><a href="http://old.jslis.jp/liper/report06/sl_2004_1.doc">第20回日本教育工学会全国大会,東京工業大学,2004-09-25</a>.</span><span>)</span></span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div></div><div style="text-align: left;"><span style="font-family: inherit;">・現在(ないし近い将来)の学校にはメディアに関する専門的知識を持った人が不可欠である. </span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px; text-align: left;"><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;">・それは単なる技術者ではなく、メディアおよび情報の利用に関して指導のできる人物. </span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;">・しかし財政緊縮の折、時代と学校現場の要請とはいえ学校内に新たな職種を設けることの困難さを痛感する.</span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span><span style="font-family: inherit;">・よって、すでに学校図書館法に規定されている司書教諭が、時代の要請に合わせて発展し、十全に機能することとなれば、望ましい.そうした動きが図書館情報学分野から出てくるようであれば、教育工学分野からも応援・協力が可能であろう.</span><span style="font-family: Hiragino Sans;"> </span></span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: Hiragino Sans;"><br /></span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;">しかしながら、インタビューのときに聞いた話しでは、協力者会議報告書であのように学校図書館や司書教諭の可能性について新しい提言をしたのに、学校図書館関係者から積極的な応答がなかったので「司書教諭=メディア専門職」の部分はとくに展開されることはなかったとのことである。また、このインタビューが行われたのは提言が出てからすでに4年以上が経過していて、この方向での検討を始めてもすでに手遅れの感があった。さらに、LIPER学校図書館班はこのことを意識して、提言として司書教諭を「学校内メディア情報専門職」とするための方策について検討しLIPER報告書に含めた。しかしながら、LIPER自体がその後、こうした新しい専門職の在り方を議論するよりも、司書課程と図書館情報学専門課程の新しい関係構築を検討するものに方針変更をしたこともあって、このプランがその後具体的に展開されることはなかった。(以上の学校図書館関係者の行動やLIPERの顛末についてはきちんと論じておく必要があるが、それはまたの機会にする)</span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;">ちょうど1997年の学校図書館法改正後で、学校図書館関係者の関心は司書教諭の実質的な制度化をどうするかという方向の議論と、そのあとに来るべき学校司書の制度化の議論に集中していた。その意味で、関係者の議論の方向は読書センターとしての学校図書館の在り方を中心とするものであり、情報センターや学習センターの部分は後回しとされたともいうことができる。</span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><h3 style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px; text-align: left;">学校図書館と情報教育の接点と乖離</h3><div><span style="font-family: inherit;">講演とその後パネルディスカッションの議論は学校図書館にはまったく触れていないが、学校図書館政策を論じるときにもたいへん参考になる。というのは、情報教育も学校図書館を用いた教育(図書館教育)も、日本の学校教育における学習観、知識観と異なった伝統に置かれているからである。それは知が教師を超えた外部から直接学習者に届けられるという考え方である。学校図書館は読書センターという道を選ぶことによってそれを可能にし、情報教育は20世紀末から21世紀初頭のネット社会の到来という期において情報活用能力という仕掛けによって困難さを乗り越えようとしたのである。ただ、両者の道はまったく異なるものであり、協力者会議で示された両者の関係は実現されないことになる。</span></div></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;"><span>情報活用能力という用語が世界的に見ても先進的だったというのは、確かにそうだったのかもしれない。PISAがコンピテンシーやリテラシーという概念で何かができるようになるための基礎能力の議論をするのは20世紀末であって、ちょうど協力者会議報告が出る頃である。情報活用能力もそうした基礎能力の概念に近いものがある。今回の会議で方法知と内容知という言葉が使われていたが、実際には両者は簡単に分離できないものだろう。この会ではそこまで踏み込んだ議論はされていないが、情報活用能力という概念は方法知と内容知の両方を含んでいたことが困難さをもたらしたと思われる。なぜならそれを育成するために教科と組み合わせるときの難しさがあるからである。日本の教科教育では教科毎に内容知と方法知を結びつけてカリキュラムを構築するという議論をしているから、そこから切り離して情報活用能力だけを取り出すことは避けられていた。ただし、</span><span>総合的学習の時間や総合的探究の時間がこの能力を育成するのに適切な枠組みであることは議論されていた。</span></span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;">次に、すでにある教科や教育課程の制度の壁を壊すことは難しいことが何度も語られた。永野氏が最後に「遺言」として、評価の問題とつなげて「情報活用能力は、実際に情報を活用させる場面でなければ、測れない。だから、一番いいのは情報端末とネットワークの活用を前提とした試験を制度化することだ」という発言をしていた。これはまったく同感であるが、日本の試験制度の趣旨からすると理想論にすぎない。それは結局のところ、正解があることが前提になる内容知の評価法から、学習者がどのように知にアプローチしたかを問う方法知の評価法への移行を意味する。</span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;">しかしながら、学校図書館とここで論じられた情報活用能力との関係についてはかなり難しいとも感じた。司書教諭をメディア専門職として学校に配置するというLIPER学校図書館班のプランは決して今でも無効ではないが、すでに大きく舵を切った後なのでかなり厳しくなっている。そもそも、協力者会議のまとめに「メディア専門職」は「単なる技術者ではなく、メディアおよび情報の利用に関して指導のできる人物」と言っているが、それは当時の情報教育の関係者には情報技術に関わる人が多く、①のなかのコンピュータの使い方と②の情報の科学的な理解を中心とする考え方が強かったのに対して、協力者会議報告では、コンピュータの使い方にとどまらない情報やメディアの利用の重要性を指摘したことと、新しい専門職をつくることは困難であったから一番近い司書教諭を仮に充てようとしたことの二つの理由があったからである。</span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><span style="font-family: inherit;">だがその後本格的なネット社会の出現で、コンピュータや通信環境は容易に接続して情報を取り出すせるものになった。だから、①のみならず②や③が重要だと言うことになった。②や③は方法知よりも内容知に近いものだが、これも含めて主張するのは教育課程行政のなかでの戦略であろう。これに対して、学校図書館や司書教諭(あるいは学校司書)の任務は学習者の学びにおける方法知が中心になる。方法知についての見直しが先ほどの「壁」のために難しいとなると、司書教諭を発展的にメディア専門職とするという論理は通しにくくなっている。何よりも、学校図書館関係者のあいだでも、学習情報センターとしての学校図書館とそこにかかわる専門職員の役割が何なのかについて共有された考え方がないとすればそれ自体が問題なのだろう。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><h3 style="text-align: left;">おわりに</h3><div><span style="font-family: inherit;">方法知を前提とした情報教育は学校図書館の問題と近いところがあることも確かである。どちらも学習者の外部世界との関係や問題解決行動、課題解決、メタ認知といった学習科学や認知心理学の課題と関わる。その意味で学校図書館が読書と学習と情報の三センターに分けてとらえるようになって久しいが、それらの三つは別々のものではなくてそうした学習行動のいくつかの側面であるという視点をもつことが重要であるだろう。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">もう一つ参加して得られた教訓として、政策を論じるためには過去を参照しつつそこから次の方向を見定めることである。その意味で学校図書館については、20世紀末にひとまず読書センターとしての道を選んだわけだが、これを今の状況に合わないとして否定するのではなくてこれを活かしながら次の道を選択することである。情報教育の人たちがなぜ司書教諭に言及したかといえば、それは曲がりなりにもすでに法制度の裏付けをもつ教育職だったからに他ならない。司書教諭は教員の兼職にすぎず機能していないと批判するのではなくて、どうすれば機能するのかを考えるべきだろう。読書と学習と情報が分離しがたいものだとすれば、そこからスタートすることも一つのやり方である。</span></div><div><span style="font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="font-family: inherit;">(2023年2月7日公表、同2月8日修正)</span></div></div><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px; text-align: left;"><span style="font-size: x-small;"><div style="font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><div><br /></div><div><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px;"><br /></div><div style="font-family: "Hiragino Sans";"><br /></div></div><div style="font-family: "Hiragino Sans";"><br /></div></span></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px; text-align: left;"><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div style="font-family: "Hiragino Sans"; font-stretch: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-numeric: normal; line-height: normal; margin: 0px; text-align: left;"><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-50968478861663805422023-02-01T08:39:00.015+09:002023-03-22T06:32:00.531+09:00学校図書館についてのイベント2件<p>3月に学校図書館研究についてのイベントを2件予定しています。</p><p>二つは自分自身の最近の学校図書館研究を踏まえてお話しするもので、相互に関連しています。学会のものは会員限定です。</p><div><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhBApY_B8sTsUntKL3gELU8_XuOfDtGN_Lq466ZoujcJ5yOPrajSDG-2b2shY0WqZoqj5O6lnvyyJKQSV9q6a4Kg1EmvcCqyUeWyVmM1XP-T2bNhhBUrjuehgEavnmvAmjLvxmhBHykuWtEgSBNG3QoGsWdrw-8_D6T5_fPj-NHZBvy-iQPnv7aoiCn/s4032/IMG_1210%203.HEIC" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="水戸二高図書館1" border="0" data-original-height="3024" data-original-width="4032" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhBApY_B8sTsUntKL3gELU8_XuOfDtGN_Lq466ZoujcJ5yOPrajSDG-2b2shY0WqZoqj5O6lnvyyJKQSV9q6a4Kg1EmvcCqyUeWyVmM1XP-T2bNhhBUrjuehgEavnmvAmjLvxmhBHykuWtEgSBNG3QoGsWdrw-8_D6T5_fPj-NHZBvy-iQPnv7aoiCn/w320-h240/IMG_1210%203.HEIC" title="水戸二高図書館1" width="320" /></a></div></div><h3 style="text-align: left;"><br /></h3><h3 style="text-align: left;">日本図書館情報学会 </h3><h3 style="text-align: left;">第2回オンラインチュートリアルセミナーの開催について(2023年3月18日)</h3><p>以下のとおり、セミナーをオンラインで開催します。<u>正会員・学生会員のみ参加可能です(無料)。</u></p><h4 style="text-align: left;">タイトル:学校図書館研究への新しい入り方</h4><p>日時:2023年3月18日(土)14:00開始で、1~2時間程度</p><p>場所:Zoomでの開催</p><p>講師:根本 彰(東京大学名誉教授)</p><p>内容:誰もが使ったことがある学校図書館は、実は新しい学びを推進する機関になりうるものです。改革を志向する研究について、その歴史、方法、今ホットなテーマなどについてお話しし、参加者とやりとりします。</p><p>参加申込フォーム:<a href="https://forms.gle/1NBFeLRBcTpQ4p9t6">https://forms.gle/1NBFeLRBcTpQ4p9t6</a></p><p>申込締切:3月11日(土)</p><p><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjvgH8fUAysKlhHrDoi9JhIHRRKC5W_c7KeJtESqz1l4k-VzBrQoQxQ1yOkLn-tT3a3c9QhBE54GosytKQHZbUaog7sNF1amZCNWPyAfHSMpx_b7sfqsdNeSQ4ayngONVDQBx6J-OiH5qOqHkxKamtMZl8O-mjx3ENtvObp3Jl1c5mH19kzyBTOnQMT/s4032/IMG_1209.HEIC" style="clear: left; display: inline; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="水戸二高図書館2" border="0" data-original-height="3024" data-original-width="4032" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjvgH8fUAysKlhHrDoi9JhIHRRKC5W_c7KeJtESqz1l4k-VzBrQoQxQ1yOkLn-tT3a3c9QhBE54GosytKQHZbUaog7sNF1amZCNWPyAfHSMpx_b7sfqsdNeSQ4ayngONVDQBx6J-OiH5qOqHkxKamtMZl8O-mjx3ENtvObp3Jl1c5mH19kzyBTOnQMT/w320-h240/IMG_1209.HEIC" title="水戸二高図書館2" width="320" /></a></p><p></p><p>終了しました。</p><p>結果報告は<a href="https://oda-senin.blogspot.com/2023/03/blog-post.html">こちら</a>を</p><p><br /></p><p></p><span></span><h3 style="text-align: left;">SLIL講演会</h3><h3 style="text-align: left;">「学校図書館改革を戦略的に考える:探究学習、教育DX、情報リテラシー、読解力...」</h3><p>日時:2023年3月26日(日)14:00-16:00(約80分ほどの講演の後、40分ほどの質疑応答)</p><p>講師:根本 彰</p><p>開催方法:Zoomによるオンライン会議方式、事前登録制 有料500円</p><p>ここにきて,学校図書館を「探究学習」とか「教育DX(デジタルトランスフォーメーション)」と関わらせて論じる動きが急になっている。だが,学校図書館を学習センターとか情報センターであると主張しても説得力をもたないのは,教育関係者の学校図書館に対する見方が「子ども読書推進」の場に固定されていることが大きい。</p><p>戦後間もない時期の学校図書館は「図書館教育」の場,あるいは「教材センター(資料センター)」であるという考え方と実践があり,文部省そして各県の教育委員会で推進されたがまもなく主流の教育政策のなかで消えていった。学校図書館が資料や情報という外部的・間接的な知を媒介する教育の場ととらえる視点を教育関係者と共有するために、こうした戦後の歴史に学びその反省に立った主張をする必要がある。ここでは政策論的な観点から学校図書館改革の課題についてお話しする。</p><p>申込締め切り:2023年3月24日(金)午後12時(24時)まで</p><p>SLILのHP:<a href="https://sites.google.com/view/slil-inquiry/home">https://sites.google.com/view/slil-inquiry/home</a></p><p>(SLILは学校における探究学習と学校図書館との関係を研究しているグループです。)</p><p>申し込み: <a href="https://peatix.com/event/3488810/view">https://peatix.com/event/3488810/view</a></p><p><br /></p><blockquote style="border: none; margin: 0px 0px 0px 40px; padding: 0px; text-align: left;"><p style="text-align: left;"><br /></p></blockquote><span><a name='more'></a></span>oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8367013427787416869.post-58850519345299527742023-01-20T15:06:00.049+09:002023-07-04T13:14:47.779+09:00学校図書館関係論文の公表(7月4日追記)<p>ここ数年で学校図書館の研究を進めた。基本的には歴史研究であるが、それはある意味で前からやっている「アーカイブの思想」のケーススタディという性格をもっている。学校のなかで一定の人的配置と予算措置が行われない、つまり、日本の教育において学校図書館に対する期待はそれほど強くはないのはなぜなのかというのは多くの関係者がもっている基本的な疑問である。その疑問に正面から答えてみたいというのがこの研究の最終目標である。やってみて今のところ全体の7割くらいのところまで来ているという感触だ。『教育改革のための学校図書館』(東京大学出版会, 2019)以降に書いた学校図書館関係論文を紹介しながら、どの地点に立っているのかを示してみたい。</p><p>① <a href="https://doi.org/10.20651/jslis.68.2_112">根本彰「戦後学校図書館政策のマクロ分析」『日本図書館情報学会誌』VOL.68, NO.2, June 2022, p.112-128.</a></p><p>② <a href="https://drive.google.com/file/d/1x4Lm0e7BT9h6MmK-t4ZNCxj7TnV6Sb5B/view?usp=sharing">根本彰「戦後新教育における初期図書館教育モデル」Library and Information Science, No.88, 2022.12, p.25-47.</a></p><p>③ <a href="https://drive.google.com/file/d/1_j2_WC9avxPKKWr3BzYDLzhwBkTsU-0o/view?usp=share_link">根本彰「文部省実験学校における図書館教育」『図書館界』vol.74, no.5, 2023.01,p.252-264.</a></p><p>④<a href="https://www.yamanashi-eiwa.ac.jp/wp_eiwa/wp-content/uploads/2023/03/kiyou21.pdf#page=42"> 根本彰「戦後新教育おける図書館教育の実態:甲府市立南中学校の事例)」『山梨英和大学紀要』No.20, 2023,03,p.37-52.</a></p><div>これらの論文のうち、①は1年のエンバーゴ期間があったが、2023年7月から公開されている。②は完全オンラインジャーナルでオープン化されていない。学会から著者最終版の公開が許諾されたのでそれを提示する。③は日図研から同誌の公開版ファイルが提供されている。図書館情報学の代表的な査読誌のオープンデータ化の対応が三者三様なのはおもしろいが、まだまだ過渡期であることを示しているのだろう。</div><p>2023年3月30日に④を示した。こちらも一応「査読付き論文」とされている。完全オンラインでJ-Stageにも掲載されている。</p><h4 style="text-align: left;">①<a href="https://doi.org/10.20651/jslis.68.2_112">「戦後学校図書館政策のマクロ分析」『日本図書館情報学会誌』vol.68, no.2, June 2022, p.112-128.</a></h4><p></p><h4 style="text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhoD3d2Jbr60a2ex_bgw5WRjwpy9OP9gJI74FwUy8dCSI-bf2MDBMIEr-P5VHuS79Xk_pwC9kykneCB6rLCFSiqikDW20_6gxjeCawCcR5lwiBlIzrwLyCdwXB5VoOa3Eokk8p0z8JsDevxIQvRdS2eS7a4D7SRBJd4hUyVjhtpMmibBPlP-_pjhdLa/s1169/IMG_1199%202.HEIC.jpg" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="826" data-original-width="1169" height="226" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhoD3d2Jbr60a2ex_bgw5WRjwpy9OP9gJI74FwUy8dCSI-bf2MDBMIEr-P5VHuS79Xk_pwC9kykneCB6rLCFSiqikDW20_6gxjeCawCcR5lwiBlIzrwLyCdwXB5VoOa3Eokk8p0z8JsDevxIQvRdS2eS7a4D7SRBJd4hUyVjhtpMmibBPlP-_pjhdLa/w320-h226/IMG_1199%202.HEIC.jpg" width="320" /></a></h4>【抄録】戦後の学校図書館政策に関する議論の変遷と展開を公共政策論的なマクロ分析によって明らかにした。方法としてジョン・キングダンの「政策の窓」モデルを用いて,1. 戦後教育改革期(1947-1958),2. 日本型教育システム期(1958-1987),3 . 21 世紀型教育改革期(1987- 現在)の 3 つの時期について,学校図書館政策の議論の流れ,政策の流れ,政治の流れを検討した。その結果,各期で政策の流れが中心にあることが認められ,政策で不十分なところが議論の対象とされそれが政治的なアジェンダと一致したときに立法化の動きに結びついたことを確認した。第一期には学校施設整備,第三期には言語力・読書力の向上が政治的アジェンダになり立法化まで進んだが,第二期においては政治的な議論の対立があって立法化できなかった。最後に,次のアジェンダ設定のためには,地域社会における探究カリキュラムと方法に関わる理論的研究が必要なことを述べた。<p></p><p>【解説】全国SLAの『学校図書館五〇年史』や多くの人によって個別に行われている研究を再度見直したメタアナリシス的な歴史研究である。キングダンの「政策の窓」モデルというのは、要するに政策が法や制度として確立されるまでには、議論や政策実行、政治的働きかけがあり、それらがうまく噛み合ったときに制度化が可能になるというものである。学校図書館政策においてこれが可能になったのは1953年の学校図書館法成立と1997年、2014年の学校図書館法改正の3回しかないが、1997年、2014年は一連の流れとみることができるので実質的に2回しかない。</p><p>1953年の法成立は、占領軍からの指示で文部省が(しぶしぶ)動き始め、担当官深川恒喜や全国SLAの中心になった松尾彌太郎の尽力で学校図書館が新教育の重要な要素になるとの議論の盛り上がりがあり、それが100万人の署名活動を経て超党派の議員の支持で立法化が可能になった。ただ、このときの議論は戦後間もない時期に学校の校舎も施設も教材教具も不足していたときに、それを国が支援してくれるという点にあった。読書のための「設備」としての学校図書館は現在も変わらないがこの時点で確定している。</p><p>1997年、2014年の改正は、子ども読書推進の旗印の下に児童書出版社、児童作家を中心に出版関係者が政治家を動かして成立したものである。このときの論点は言語力や読書力の向上ということであり、背景にはPISAにおける読解力低下があった。これによって読書センターとしての学校図書館の位置づけは確定したと言えるが、それ以上のものではない。むしろ司書教諭は後景に退き、非正規を中心とする学校司書が前景化した。</p><p>現在、学校図書館関係者には、探究学習を実行する拠点としての学習センターとしての学校図書館やGIGAスクールを支援する情報センターとしての学校図書館の位置づけを望む声が強いが、これらを可能にするためには別のプロセスとして、議論、政策、政治の流れをつくっていく必要があるということになる。</p><h4 style="text-align: left;">②<a href="https://drive.google.com/file/d/1x4Lm0e7BT9h6MmK-t4ZNCxj7TnV6Sb5B/view?usp=sharing">「戦後新教育における初期図書館教育モデル」<i>Library and Information Science,</i> no.88, 2022.12, p.25-47.(</a>著者最終版)</h4><div><div>【抄録】[目的]学校図書館が読書や図書館利用指導の場であることを超えて,教育課程に全面的に関わる可 能性を追究することが求められている。本研究は,戦後初期の教育改革において,学校図書館を教育 課程に位置付けるために「図書館教育」が提唱され実施されようとした事例を分析して,学校図書館 に関わるカリキュラムモデルが形成されようとしていたことを検討する。</div><div>[方法]文部省『学校図書館の手引』(1948)刊行から『学校図書館運営の手びき』(1959)が刊行さ れるまでの期間において,文部省,実験学校,雑誌『図書教育』,図書館教育研究会などの議論や実 践報告において図書館教育がどのようにとらえられたのかについて,文献研究を行う。</div><div>[結果]『学校図書館の手引』に「図書および図書館利用法の指導」として示されたものは東京学芸大学第一師範学校男子部附属小学校での実践的検討により『小学校の図書館教育』(1949)として具体化された。これは図書館教育研究会による『図書館教育』(1952)に引き継がれ,読書指導と図書および図書館利用指導をつなぐ図書館教育モデルとして提示された。同時に各地の学校で『学校図書館の手引』を元にした実践が行われ,雑誌『図書教育』上での議論でこれが検証されようとしていた。 主唱者東京学芸大学教授阪本一郎は,アメリカから来た図書及び図書館利用法の考え方に心理学的な 発達理論を加えて図書館教育を構築したが,1951 年の講和条約締結後にはそれらを分離して読書指導が教育課程に適するものとした。国の教育課程が系統主義に転換するなかで,1953 年学校図書館法で成立した司書教諭が教員の充て職となり,学校図書館は読書の場とされた。最終的に『学校図書館運営の手びき』に示された図書館教育モデルは学校現場の状況に合わないものだった。</div></div><div><br /></div><div>【解説】探究学習を支える学習センターとしての学校図書館の可能性をどのように考えるかについて、戦後新教育で「図書館教育」というカリキュラムモデルが検討され実施されたことを取り上げ、現在の問題にどのように引き継げるかを検討する手がかりにしようとした。</div><div><br /></div><div>戦後新教育の最初の文部省の学習指導要領は(試行)とされて、実質的には各教育委員会や学校に委ねられた形をとった。それで文部省はアメリカの教育関係者の支援を得ながら、アメリカの学校で行われているカリキュラムや教育方法を日本に移そうとした。そのときに、コア・カリキュラムや単元という考え方が導入された。コア・カリキュラムは教員の教育運動としてさまざまなプランが提案されて実施され大きな影響力をもった。図書館教育はこの時期に導入されたものの一つであり、東京学芸大学附属小学校(世田谷校)が実験学校となって、阪本一郎を中心に検討が行われ、彼によって読書指導や子どもの心理的発達過程を含めた図書館教育として提案された。</div><div><br /></div><div>その後、図書館教育は教員の研究グループで継続して検討されたし、いくつかの雑誌の誌上で議論の対象になった。県によっては教育委員会が積極的に図書館教育を振興するための実験学校を設けて推進しようとしもした。しかしながら、1953年学校図書館法は司書教諭を当分の間置かないことができるとし、図書館教育は占領終了後の文部省の教育課程や教員養成制度に組み込まれることはなかった。その頃から系統主義カリキュラムに切り替える動きが急になることにより、カリキュラム運動としての図書館教育は読書指導と図書及び図書館利用法に分離され、後者のみを図書館教育とする見方が中心になった。</div><div><br /></div><h4 style="text-align: left;">③<a href="https://drive.google.com/file/d/1_j2_WC9avxPKKWr3BzYDLzhwBkTsU-0o/view?usp=share_link">「文部省実験学校における図書館教育」『図書館界』vol.74, no.5, 2023.01,p.252-264.</a>(日図研提供版)</h4><div>【抄録】戦後教育改革において,文部省は学校図書館を教育課程に組み込む実験学校の指定を行った。東京学芸大学附属小学校(世田谷校)が最初の図書館教育モデルを提示したことを確認した上で,東京都港区立氷川小学校,川崎市立富士見中学校,栃木県立栃木女子高等学校の3校の実験内容を検討した。その結果,図書館教育自体の困難さに引き換え短期間で成果を挙げることが要請されたこと,校種によって教育課程において生じている事情があったことや学校図書館専属の教職員が置けなかったことなどの理由で,図書館教育を継続させることは困難であったことを明らかにした。</div><div><br /></div><div>【解説】1950年前後の文部省内部での検討では、学校図書館を教育課程に組み込むことの是非を見極めようとしていて、そのなかには司書教諭を専任化して教科教員とともに養成するプランも含まれていた(これはフランスで行われている司書教諭養成と同じ)。それは、「幻の学校図書館法案」と言われる1953年3月国会提出法案に残されている(拙著『教育改革のための学校図書館』第2章)同じ頃に、文部省が3つの公立学校を対象にして、学校図書館に関する研究を行う実験学校を指定した。この論文ではこれらの学校が発表した資料を基にして図書館教育を各校ともどのように実施していたか解明しようとした。</div><div><br /></div><div>このなかで、氷川小学校では専任の司書教諭を配置するなど条件が整っていたが、校長の異動やカリキュラム変更などでうまくいかなかったし、富士見中学校ではカリキュラムの検討を行い教科教育と組み合わせた図書館教育を積極的に位置付けようとの検討は行われたが、その実験期間のみの試行に終わった。学校図書館法成立前までは各校とも真剣に図書館教育をカリキュラムに組み込むための検討を行っていたが、その後は専任の担当者を置けなかったりして、図書館教育はうまくいっていない実態が明らかになった。やはり短期的な準備で導入するには、図書館教育は日本の学校教育カリキュラムとの隔たりは大きかったことが分かる。</div><div><br /></div><div>④<a href="https://www.yamanashi-eiwa.ac.jp/wp_eiwa/wp-content/uploads/2023/03/kiyou21.pdf#page=42">「<b>戦後新教育における図書館教育の実態:甲府市立南中学校の事例」『山梨英和大学紀要』21号, 2023年3月, p.37-52.</b></a></div><div><div>同じもの<a href="https://doi.org/10.24628/yeiwa.21.0_37">https://doi.org/10.24628/yeiwa.21.0_37</a></div><div><br /></div><div>【要旨】戦後占領期に,連合国軍総司令部の指示により,教育改革の一環として学校図書館を設置して教育課程を支援する取り組み(図書館教育)が試行された。本稿では全国の教育委員会に先駆けて 山梨県教育委員会が 1949 年から実施した実験学校プログラム参加校のうちで,甲府市立南中学校 が4年間実施した事例を同校報告書に基づいて検討する。初年度に文部省資料と先行事例を参考 にしながら図書館指導を織り込む計画を立て,これを2年目にはリーディングガイダンスと名付 けて実施しようとした。しかし3年目には生徒指導を中心とするガイダンスと名称を変え,4年 目には事実上図書館教育の実施はうまくいかなかったと報告した。うまくいかなかった理由として,発足したばかりの新制中学校における生徒指導など,より困難な問題への対応を優先したこと,教員全体が合意して取り組んだものではなくまた実施するための専任職員が配置されたわけではなかったことがあった。</div></div><div><br /></div><div>【解説】ここ3年ばかり山梨英和大学で夏の集中講義を行っている。一昨年度、昨年度はちょうどコロナ禍でオンライン授業だったが、今年度初めて現地甲府市での授業となった。前から図書館教育の実験学校のなかに山梨県の学校が多いことに気づいていたので、この際に現地調査をしてみようと当該学校や教育センターに問い合わせてみたが手応えがない。そこで何か手がかりがないかと、山梨県立図書館にレファレンスをお願いした。そうしたら、甲府市立南中学校が1949年から4年間続けた図書館教育の実験学校プロジェクトの経過を示す地域資料がここに入っているとの答えだった。授業の合間に図書館に通って集めた資料で書いたのがこの論文である。せっかくの機会なのでこの大学の紀要に投稿してみた。ちょうど、創立20周年記念号ということだ。</div><div><br /></div><div>甲府南中学校は県教育委員会の実験学校として学校図書館のプロジェクトに手を挙げた。新制中学校はできたばかりで、施設・設備は不足しており、文部省が力を入れようとしている学校図書館に関わることで展望が開けるとの期待があったと思われる。しかしながら、資料を読むと、カリキュラムを進める4年間に教員が対処しなければならない現実的な問題が大きくなり、図書館教育を進めることができなくっていった事情が生々しく語られていることが分かる。前の論文で扱った川崎市立富士見中学校のケースも同様であるのだろうが、新制中学校が教科カリキュラムや生徒指導への対応で精一杯であり、図書館教育のような異質の教育方法を十分に検討する余裕がなかったものと思われる。戦後の学校図書館運動がうまくいかなかった理由の一端を明らかにできた。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br />oda_senin(根本 彰)http://www.blogger.com/profile/13022755263130139108noreply@blogger.com0