2026-11-02

IEKOの記事翻訳について——中断中に考えたこと②

 一昨年から知識組織論研究会(KO研)をやっていることについてはなんどか触れました。https://oda-senin.blogspot.com/2024/07/korgj.html

これは国際知識組織論学会(ISKO)がオープンアクセスで公表している知識組織論事典(IEKO)の項目を定期的に読んで議論するものです。現在のところ参加者名簿には57人が登録してくれています。このなかにはベテランの研究者から図書館現場のひとたち,さらには大学院生や学部学生まで多様な人が含まれています。すでに9回目まで実施し,次回は12月12日にSocial Epistemology(社会認識論)を読む予定です。

せっかく研究会をやっているのでその成果を少しずつ公開していけないかということで,一回ごとのレジュメとコメント,そして議論の要約を研究会HPに掲載してきました。が,今回,記事(といっても実質的にはレビュー論文でかなりの長さになります。また,匿名評者による査読が行われている)の翻訳版を公開することにしました。公開先はオンラインジャーナル『メタデータ批評』です。すでに,第二回のKO研で報告した次の2本の記事を翻訳して掲載してもらっています。







ビアウア・ヤアラン著 根本彰訳 知識組織論(KO)http://techser.info/wp-content/uploads/2026/10/523afc7b83167420e2f122136ed667d9.pdf

【抄録】本稿では、知識組織論 (KO) の分野とその中核的な視点である知識組織化プロセス(KOPs) と知識組織化システム (KOS) を示す。本稿では、この分野の研究の伝統、アプローチ、基本的な理論的問題 (実用主義的アプローチと直観主義的アプローチ、コンセンサスに基づくアプローチ、ファセット分析アプローチ、ユーザーに基づくアプローチと認知的アプローチ、ドメイン分析/認識論的アプローチ、計量書誌学的アプローチ、IR アプローチなど) について簡単に説明する。また、本稿では、さまざまな技術プラットフォーム (物理的な図書館、アーカイブズ、博物館、古典的な書誌データベース、インターネット) における KO についても簡単に紹介する。本稿では、図書館情報学に含まれる KO は狭義のものと見なし、狭義のものに必要な知識を提供するには、広義の KO の検討が必要であると主張する。

フルヴィオ・マツォーキ著 根本彰訳 知識組織化システム(KOS)http://techser.info/wp-content/uploads/2026/10/523afc7b83167420e2f122136ed667d9.pdf

【抄録】この論文では、知識組織化システム(KOS) の概念について論じ、その広義と狭義の両方の意味を紹介する。これまでに提案された多数の KOS類型を批判的に分析することにより、意味ツールとしての KOS の深い部分にさらに焦点を当てる。理論的および実践的な問題を検討し、KOS 開発における認識論と概念理論の重要性に焦点を当てる。さらに、情報組織化の新しい傾向 (形式化の推進やデータ駆動型手段の採用など) が将来の KOS の設計にどのように影響するかについて言及し、そのような取り組みにおいて「解釈」とコンテキストベースの評価が依然として役割を果たしているかどうかを検討する。最後に、理論的な結論が提供され、「分類論的パースペクティヴィズム」の概念と、KO 研究における多元主義が (プラグマディズムに基づいて) 統合的な形をとることができるかどうかを精査する。

今回,『メタデータ批評』にお世話になることにしたのは,第一には,ISSNが付与された学術雑誌であることです。単にWeb上に置かれているだけではその管理やアクセス状況にどのような問題が生じるかわからないし,永久保存は望めないかもしれません。しかし,これによって本誌はJ-STAGEに登載され,検索・閲読できるほか、国立国会図書館サーチなどで書誌情報を検索できますし、CiNii ResearchやGoogle Scholarなどでは本文を閲読することも可能になります。

第二に,雑誌発刊の趣旨として次のようにあります。

著者と読者を仲立ちする目録・分類・索引・メタデータをめぐる議論と情報交換の場」と銘打って、図書館分野に限らず、類縁機関(文書館・博物館・美術館等)、出版社、書店、デジタルアーカイブなどの情報も含めた広範囲の情報資源組織化(目録・分類・索引・メタデータ)を対象範囲とする「総合雑誌」です。

本誌は、図書館情報学を核としますが、情報学(ドキュメンテーション)のみならず、書誌学、歴史学、哲学、教育学、言語学、文学、社会学、法学、経済学などの観点からの投稿も大歓迎します。

 これはISKOの知識組織論の範囲設定と密接に関わりますし,とくに学際的なスタンスを標榜していることも好ましいと考えました。

現在の予定では,5号に合計10本の記事の翻訳を掲載してもらう予定です。各翻訳の冒頭には訳者解題を付し,必要に応じて訳注等も掲載します。また,訳文については研究会内部での相互チェックも行う予定です。

さて,二つの記事について簡単に紹介しておきます。

ビアウア・ヤアラン著の「知識組織論(KO)」ですが,知識組織論全体を概観するレビューとなっているものです。ヤアランについては,『知識組織論とはなにか』(勁草書房)の概説書があり,このレビューはそれも含めてその後20年の全体をまとめたと考えられます。ただし,知識組織論という分野そのものが必ずしも確定していないものであり,その意味では著者自身がこの事典の編集責任者としてこの領域を背負っていくという意図が明確になっている論文ということもできます。逆に言えば,『知識組織論とはなにか』に見られる緻密な論理の積み重ねではなく,骨格をつなぎ合わせた知識組織論の標本のようなものと考えた方がいいと思われます。彼自身のこの20年の考察はむしろ,本事典のほかの30あまりの項目で展開されていて,それらを読むためのイントロダクションといった方がいいかもしれません。

フルヴィオ・マツォーキ著 「知識組織化システム(KOS)」はKOを構成する要素がKOのプロセスとKOのシステムの二つがあるとされるうちのKOシステムを扱った記事です。KOシステムは,実際に知識組織化のためにつくられたシステムのことなので,われわれになじみ深い索引法や分類法,情報検索などのシステムについて論じられますが,扱われるのはそれらを貫く組織原理の理論的根拠です。つまり個々のシステムだけでなく知識組織化のための手法がどのような理論から導かれているのかを議論しようとします。その際に,ヤアランのKOの議論と親和的にプラグマティズム的立場を選択しますが,それをドキュメントと利用者の相互作用による意味空間の深層構造を探る科学哲学的議論を行います,

ヤアランはKOの対象としての資料(KOにおいてはこれをドキュメントとするのが一般的ですが,「文書」とか「文献」と訳さないでKO研では「ドキュメント」のままとします。これについては,別項目のマイケル・バックランド「ドキュメント」で詳しく述べられます。)とそれを利用する人とをどのようにつなぐかがKOの基本的枠組みだとして,枠組みを把握するための認識論としていくつか挙げた上で,どれも否定し,自らはプラグマティズムを選択しました。マツォーキはそれをさらに深掘りする議論を行ったということができます。

これら二つの記事は,いささか抽象的な議論なのでKOが何なのかはまだあまり明確になってはいません。しかしながら,今後,研究会で読んだ項目(ドキュメント,主題,索引,分類,メタデータなど)の翻訳が出る予定で,これらが出そろったところで全体像の一部が見えやすくなると思います。


地域図書館DX論——中断中に考えたこと①

 前回の記事が今年5月25日の「ジョン‧デューイの探究概念を⼿がかりにした⽣涯学習と図書館の交差点」だったので,半年ぶりの書き込みになります。この間にブログが書けなかったのはプライベートな問題があったからですが,それだけでなく,いくつかの口頭発表や原稿執筆が重なったことがありました。それらは今後発表するものもあるので追々報告していきたいと思います。

このあとこの半年の空白を埋めるべくこの間の活動について書いておきます。

雑誌LRG 55号(2026年春)に川嶋斉さんと「往復書簡 DXの先駆者・野田市立興風図書館が見据える先」を書きました。これは,このブログで触れた興風図書館で独自の情報発信をしている川嶋さんに,彼が実践していることの意義を確認したものです。(参照:https://oda-senin.blogspot.com/2023/01/blog-post_5.html#anker03)川嶋さんがやられていることは独創性にあふれていてすばらしいのですが,遠慮がちにご自分がやられていることを解説してくれました。まあ,公務員の世界で自分がやっていることを自慢もしにくいわけであのような感じになるのも無理もないと感じます。

今回これを書き,その後に,LRG特集「図書館DX2.0:図書館DXをやりなおす」の編集担当者の人たちともオンラインでやりとりする機会もあって感じたのは,私が必要性を感じているDXと一般的な「図書館DX」のあいだにギャップがあることでした。この特集を読むと強調されているのは,図書館員が日常業務のなかで使用できるアプリケーションソフトやオンラインツール,外部リソースなどをうまく使って,仕事の効率化や協同化,さらには新しいサービスの展開を行うべきだということのように見えます。そこでいう業務や仕事は多様な部門にわたりますが,zoomを使った他業種や多館種との協働とか,発信するデータのオープンデータ化とか,デジタルアーカイブの工夫とかといったものです。これは,まず図書館システムによる定型的業務を前提にして,その先でできる工夫が中心です。

しかし,興風図書館のHPの仕掛けをみていると,要するにその定型的業務を超えるための工夫がいろいろとあると感じています。HPのトップページにその図書館がWebで提供できるメニューをすべて見せるとか,マップと組み合わせた地域資料検索システムを提供するとか,地域についての自己研修を兼ねて新聞記事索引を日課のようにつくるとかです。だから,ここのやり方を特別に取り上げて論じてみたのですが,どうも,あれは川嶋さんだからできることで公共図書館界では例外的とみられているように受け止められました。もっとあそこのやり方を導入した図書館がたくさん出てきてもよいのにそれは無理だと考えている人が多いとしたら,それは残念なことです。

私は,LRG記事中の第三書簡でやや挑発的に「約30年前に普及しはじめたインターネットは,未知の情報を利用者に提示するという図書館員の能力を伸ばすよい機会になったはずなのに,多くの図書館はMARCと図書館システムの世界に閉じこもってしまったのです。」(p.77)と書きました。図書館システムは必須であることは確かですが,いくつかのベンダーによるシステムの機能はどれも類似していて,いったん採用されれば長期間にわたり同じ業務で運用することを余儀ないものにする力として働きます。システムは道具であるはずなのに,逆に業務が道具にしばられています。MARCがそれに輪をかけて,図書館が商業出版物の配布システムであることを強いています。本来図書館はどこで発生するどんな資料でも収集し,組織化し,提供できるはずなのに,MARCが全国レベルで流通する商業出版物についてつくられるから,それに合わせた蔵書になり,図書館は一般に読みたい本を入手する場という理解がひろまる原因になったものと思われます。

図書館に限らず,システム化は業務の定形化をもたらし,それは新自由主義的な経済原理とつながって,同じ土壌のもとでの取引きや顧客戦略が繰り返されるのは仕方ないことかもしれません。しかし,公的なサービスにおいて,繰り返しのサービスをするだけなら特別の人的配置は必要はないわけです。図書館の世界なら,資料と利用者をつなぐというもっとも基本的な枠組みに立ち返ればやれることはいくらでもあるはずで,その一つの現れとして興風図書館の例を取り上げたのです。

教育職員は学校教育法で規定されている教員等の職員を言いいますが,戦後法制化された司書や社会教育主事,公民館主事,学芸員などの社会教育関係の資格職員の専門性は軽視されがちでした。公民館は戦前から重視された農村的な社会啓発装置でしたが,戦後の急速な都市化,産業化の進展で行き場がはっきりしなくなり,集会室機能を中心とするものに変貌しました。また西洋から導入された図書館や博物館について,日本社会は本当の意味での活かし方がよく分からなかったのでしょう。これらのことについては今後考察を深めていきたいと思いますが,今,探究学習が学習指導要領の議論のなかでかなり重要な位置を占めるようになって,こうした社会教育施設の在り方の位置づけを変えることが必要になっています。

学校や教育職員だけで地域の教育や学習活動が完結しなくなっているときに,司書には何ができるのかが問われています。それは地域の情報資源,学習資源の掘り起こしとその組織化,そして発信です。博物館は一部を除けば,もともと地域の文化資源の蓄積と保存,展示をするプロセスの一環としてこうした地域学習に関わります。ところが,図書館は全国的に流通する商業的な出版物を地域の利用者と結びつける場であると考える図書館員が圧倒的に多いことをどう考えたらよいのでしょう。地域発信のものが多様にあるのにそれらを見ずにすませる態度では次の時代の図書館サービスを見通すことは難しくなります。私は地域資料の重要性をたびたび説くのですが,それはデジタルアーカイブをつくることでは決して完結しません。それを含んだ,地域情報把握と発信のプランが必要だと考えています。





IEKOの記事翻訳について——中断中に考えたこと②

 一昨年から知識組織論研究会(KO研)をやっていることについてはなんどか触れました。 https://oda-senin.blogspot.com/2024/07/korgj.html これは国際知識組織論学会(ISKO)がオープンアクセスで公表している知識組織論事典(IEKO)...