2026-11-02

IEKOの記事翻訳について——中断中に考えたこと②

 一昨年から知識組織論研究会(KO研)をやっていることについてはなんどか触れました。https://oda-senin.blogspot.com/2024/07/korgj.html

これは国際知識組織論学会(ISKO)がオープンアクセスで公表している知識組織論事典(IEKO)の項目を定期的に読んで議論するものです。現在のところ参加者名簿には57人が登録してくれています。このなかにはベテランの研究者から図書館現場のひとたち,さらには大学院生や学部学生まで多様な人が含まれています。すでに9回目まで実施し,次回は12月12日にSocial Epistemology(社会認識論)を読む予定です。

せっかく研究会をやっているのでその成果を少しずつ公開していけないかということで,一回ごとのレジュメとコメント,そして議論の要約を研究会HPに掲載してきました。が,今回,記事(といっても実質的にはレビュー論文でかなりの長さになります。また,匿名評者による査読が行われている)の翻訳版を公開することにしました。公開先はオンラインジャーナル『メタデータ批評』です。すでに,第二回のKO研で報告した次の2本の記事を翻訳して掲載してもらっています。







ビアウア・ヤアラン著 根本彰訳 知識組織論(KO)http://techser.info/wp-content/uploads/2026/10/523afc7b83167420e2f122136ed667d9.pdf

【抄録】本稿では、知識組織論 (KO) の分野とその中核的な視点である知識組織化プロセス(KOPs) と知識組織化システム (KOS) を示す。本稿では、この分野の研究の伝統、アプローチ、基本的な理論的問題 (実用主義的アプローチと直観主義的アプローチ、コンセンサスに基づくアプローチ、ファセット分析アプローチ、ユーザーに基づくアプローチと認知的アプローチ、ドメイン分析/認識論的アプローチ、計量書誌学的アプローチ、IR アプローチなど) について簡単に説明する。また、本稿では、さまざまな技術プラットフォーム (物理的な図書館、アーカイブズ、博物館、古典的な書誌データベース、インターネット) における KO についても簡単に紹介する。本稿では、図書館情報学に含まれる KO は狭義のものと見なし、狭義のものに必要な知識を提供するには、広義の KO の検討が必要であると主張する。

フルヴィオ・マツォーキ著 根本彰訳 知識組織化システム(KOS)http://techser.info/wp-content/uploads/2026/10/523afc7b83167420e2f122136ed667d9.pdf

【抄録】この論文では、知識組織化システム(KOS) の概念について論じ、その広義と狭義の両方の意味を紹介する。これまでに提案された多数の KOS類型を批判的に分析することにより、意味ツールとしての KOS の深い部分にさらに焦点を当てる。理論的および実践的な問題を検討し、KOS 開発における認識論と概念理論の重要性に焦点を当てる。さらに、情報組織化の新しい傾向 (形式化の推進やデータ駆動型手段の採用など) が将来の KOS の設計にどのように影響するかについて言及し、そのような取り組みにおいて「解釈」とコンテキストベースの評価が依然として役割を果たしているかどうかを検討する。最後に、理論的な結論が提供され、「分類論的パースペクティヴィズム」の概念と、KO 研究における多元主義が (プラグマディズムに基づいて) 統合的な形をとることができるかどうかを精査する。

今回,『メタデータ批評』にお世話になることにしたのは,第一には,ISSNが付与された学術雑誌であることです。単にWeb上に置かれているだけではその管理やアクセス状況にどのような問題が生じるかわからないし,永久保存は望めないかもしれません。しかし,これによって本誌はJ-STAGEに登載され,検索・閲読できるほか、国立国会図書館サーチなどで書誌情報を検索できますし、CiNii ResearchやGoogle Scholarなどでは本文を閲読することも可能になります。

第二に,雑誌発刊の趣旨として次のようにあります。

著者と読者を仲立ちする目録・分類・索引・メタデータをめぐる議論と情報交換の場」と銘打って、図書館分野に限らず、類縁機関(文書館・博物館・美術館等)、出版社、書店、デジタルアーカイブなどの情報も含めた広範囲の情報資源組織化(目録・分類・索引・メタデータ)を対象範囲とする「総合雑誌」です。

本誌は、図書館情報学を核としますが、情報学(ドキュメンテーション)のみならず、書誌学、歴史学、哲学、教育学、言語学、文学、社会学、法学、経済学などの観点からの投稿も大歓迎します。

 これはISKOの知識組織論の範囲設定と密接に関わりますし,とくに学際的なスタンスを標榜していることも好ましいと考えました。

現在の予定では,5号に合計10本の記事の翻訳を掲載してもらう予定です。各翻訳の冒頭には訳者解題を付し,必要に応じて訳注等も掲載します。また,訳文については研究会内部での相互チェックも行う予定です。

さて,二つの記事について簡単に紹介しておきます。

ビアウア・ヤアラン著の「知識組織論(KO)」ですが,知識組織論全体を概観するレビューとなっているものです。ヤアランについては,『知識組織論とはなにか』(勁草書房)の概説書があり,このレビューはそれも含めてその後20年の全体をまとめたと考えられます。ただし,知識組織論という分野そのものが必ずしも確定していないものであり,その意味では著者自身がこの事典の編集責任者としてこの領域を背負っていくという意図が明確になっている論文ということもできます。逆に言えば,『知識組織論とはなにか』に見られる緻密な論理の積み重ねではなく,骨格をつなぎ合わせた知識組織論の標本のようなものと考えた方がいいと思われます。彼自身のこの20年の考察はむしろ,本事典のほかの30あまりの項目で展開されていて,それらを読むためのイントロダクションといった方がいいかもしれません。

フルヴィオ・マツォーキ著 「知識組織化システム(KOS)」はKOを構成する要素がKOのプロセスとKOのシステムの二つがあるとされるうちのKOシステムを扱った記事です。KOシステムは,実際に知識組織化のためにつくられたシステムのことなので,われわれになじみ深い索引法や分類法,情報検索などのシステムについて論じられますが,扱われるのはそれらを貫く組織原理の理論的根拠です。つまり個々のシステムだけでなく知識組織化のための手法がどのような理論から導かれているのかを議論しようとします。その際に,ヤアランのKOの議論と親和的にプラグマティズム的立場を選択しますが,それをドキュメントと利用者の相互作用による意味空間の深層構造を探る科学哲学的議論を行います,

ヤアランはKOの対象としての資料(KOにおいてはこれをドキュメントとするのが一般的ですが,「文書」とか「文献」と訳さないでKO研では「ドキュメント」のままとします。これについては,別項目のマイケル・バックランド「ドキュメント」で詳しく述べられます。)とそれを利用する人とをどのようにつなぐかがKOの基本的枠組みだとして,枠組みを把握するための認識論としていくつか挙げた上で,どれも否定し,自らはプラグマティズムを選択しました。マツォーキはそれをさらに深掘りする議論を行ったということができます。

これら二つの記事は,いささか抽象的な議論なのでKOが何なのかはまだあまり明確になってはいません。しかしながら,今後,研究会で読んだ項目(ドキュメント,主題,索引,分類,メタデータなど)の翻訳が出る予定で,これらが出そろったところで全体像の一部が見えやすくなると思います。


地域図書館DX論——中断中に考えたこと①

 前回の記事が今年5月25日の「ジョン‧デューイの探究概念を⼿がかりにした⽣涯学習と図書館の交差点」だったので,半年ぶりの書き込みになります。この間にブログが書けなかったのはプライベートな問題があったからですが,それだけでなく,いくつかの口頭発表や原稿執筆が重なったことがありました。それらは今後発表するものもあるので追々報告していきたいと思います。

このあとこの半年の空白を埋めるべくこの間の活動について書いておきます。

雑誌LRG 55号(2026年春)に川嶋斉さんと「往復書簡 DXの先駆者・野田市立興風図書館が見据える先」を書きました。これは,このブログで触れた興風図書館で独自の情報発信をしている川嶋さんに,彼が実践していることの意義を確認したものです。(参照:https://oda-senin.blogspot.com/2023/01/blog-post_5.html#anker03)川嶋さんがやられていることは独創性にあふれていてすばらしいのですが,遠慮がちにご自分がやられていることを解説してくれました。まあ,公務員の世界で自分がやっていることを自慢もしにくいわけであのような感じになるのも無理もないと感じます。

今回これを書き,その後に,LRG特集「図書館DX2.0:図書館DXをやりなおす」の編集担当者の人たちともオンラインでやりとりする機会もあって感じたのは,私が必要性を感じているDXと一般的な「図書館DX」のあいだにギャップがあることでした。この特集を読むと強調されているのは,図書館員が日常業務のなかで使用できるアプリケーションソフトやオンラインツール,外部リソースなどをうまく使って,仕事の効率化や協同化,さらには新しいサービスの展開を行うべきだということのように見えます。そこでいう業務や仕事は多様な部門にわたりますが,zoomを使った他業種や多館種との協働とか,発信するデータのオープンデータ化とか,デジタルアーカイブの工夫とかといったものです。これは,まず図書館システムによる定型的業務を前提にして,その先でできる工夫が中心です。

しかし,興風図書館のHPの仕掛けをみていると,要するにその定型的業務を超えるための工夫がいろいろとあると感じています。HPのトップページにその図書館がWebで提供できるメニューをすべて見せるとか,マップと組み合わせた地域資料検索システムを提供するとか,地域についての自己研修を兼ねて新聞記事索引を日課のようにつくるとかです。だから,ここのやり方を特別に取り上げて論じてみたのですが,どうも,あれは川嶋さんだからできることで公共図書館界では例外的とみられているように受け止められました。もっとあそこのやり方を導入した図書館がたくさん出てきてもよいのにそれは無理だと考えている人が多いとしたら,それは残念なことです。

私は,LRG記事中の第三書簡でやや挑発的に「約30年前に普及しはじめたインターネットは,未知の情報を利用者に提示するという図書館員の能力を伸ばすよい機会になったはずなのに,多くの図書館はMARCと図書館システムの世界に閉じこもってしまったのです。」(p.77)と書きました。図書館システムは必須であることは確かですが,いくつかのベンダーによるシステムの機能はどれも類似していて,いったん採用されれば長期間にわたり同じ業務で運用することを余儀ないものにする力として働きます。システムは道具であるはずなのに,逆に業務が道具にしばられています。MARCがそれに輪をかけて,図書館が商業出版物の配布システムであることを強いています。本来図書館はどこで発生するどんな資料でも収集し,組織化し,提供できるはずなのに,MARCが全国レベルで流通する商業出版物についてつくられるから,それに合わせた蔵書になり,図書館は一般に読みたい本を入手する場という理解がひろまる原因になったものと思われます。

図書館に限らず,システム化は業務の定形化をもたらし,それは新自由主義的な経済原理とつながって,同じ土壌のもとでの取引きや顧客戦略が繰り返されるのは仕方ないことかもしれません。しかし,公的なサービスにおいて,繰り返しのサービスをするだけなら特別の人的配置は必要はないわけです。図書館の世界なら,資料と利用者をつなぐというもっとも基本的な枠組みに立ち返ればやれることはいくらでもあるはずで,その一つの現れとして興風図書館の例を取り上げたのです。

教育職員は学校教育法で規定されている教員等の職員を言いいますが,戦後法制化された司書や社会教育主事,公民館主事,学芸員などの社会教育関係の資格職員の専門性は軽視されがちでした。公民館は戦前から重視された農村的な社会啓発装置でしたが,戦後の急速な都市化,産業化の進展で行き場がはっきりしなくなり,集会室機能を中心とするものに変貌しました。また西洋から導入された図書館や博物館について,日本社会は本当の意味での活かし方がよく分からなかったのでしょう。これらのことについては今後考察を深めていきたいと思いますが,今,探究学習が学習指導要領の議論のなかでかなり重要な位置を占めるようになって,こうした社会教育施設の在り方の位置づけを変えることが必要になっています。

学校や教育職員だけで地域の教育や学習活動が完結しなくなっているときに,司書には何ができるのかが問われています。それは地域の情報資源,学習資源の掘り起こしとその組織化,そして発信です。博物館は一部を除けば,もともと地域の文化資源の蓄積と保存,展示をするプロセスの一環としてこうした地域学習に関わります。ところが,図書館は全国的に流通する商業的な出版物を地域の利用者と結びつける場であると考える図書館員が圧倒的に多いことをどう考えたらよいのでしょう。地域発信のものが多様にあるのにそれらを見ずにすませる態度では次の時代の図書館サービスを見通すことは難しくなります。私は地域資料の重要性をたびたび説くのですが,それはデジタルアーカイブをつくることでは決して完結しません。それを含んだ,地域情報把握と発信のプランが必要だと考えています。





2026-05-25

ジョン‧デューイの探究概念を⼿がかりにした⽣涯学習と図書館の交差点

2025年度の研究論文として「ジョン‧デューイの探究概念を⼿がかりにした⽣涯学習と図書館の交差点」を公表した。オンラインジャーナルでの提供になる。

この論文は,古巣である東京大学大学院教育学研究科の「生涯学習基盤研究コース」を立ち上げたときの概念を理論的に説明しようとしたものである。戦後教育改革の一環で図書館学研究室は教育行政学という大枠のなかに置かれた。それ自体,あまり落ち着きのよいものではなかったが,その後,21世紀初頭の大学院重点化政策のなかで,生涯学習論という枠のなかで,社会教育研究室と図書館情報学研究室は相互の関係をつくることになった。さしあたって,関係をつくるための容れ物の名称を「生涯学習基盤経営論」という名称にした。

この論文は,当時のコンセプトを現在の地点から理論的に説明するとこうなるのではないかと考察するものである。そこでは,戦後新教育の理論的バックボーンであるジョン・デューイの『学校と社会』(1899,1952年宮原誠一訳)に学校のモデル図があって,学校の中心に図書室(library)と博物室(museum)がある施設として描かれることが出発点になっている。学習をこうした施設がもたらす外部的な知との関係で論じることをデューイ自身はあまりしていなかった。図書館学や博物館学では利用されてきたが,教育学ではデューイの教材論として扱われることが多く,その制度的な展開について教育学者が関心をもつことは少なかったからである。また,哲学の立場からは,デューイはプラグマティズム哲学者として認識されていて,西洋の思想史の系譜においては新しい流派を打ち立てた人とされている。

しかしながら,デューイの学位論文はジョンズ・ホプキンス大学に提出した「カントの心理学」であった。ジョンズ・ホプキンス大学こそ,ドイツの諸大学に導入されていたゼミナールの方法をアメリカに持ち込んだ拠点であった。つまり,実はデューイは大陸哲学の伝統の下で修業時代を送った。彼はヘーゲルの研究もしている。そして,大陸哲学に脈々と流れる人文主義(humanitas)の伝統,そしてそれを支える文献学や考証学の方法はデューイが意識的,無意識的に影響を受けてきたものである。

デューイ『学校と社会』のなかに「書物は経験の代⽤物としては有害なものであるが, 経験を解釈したり拡充したりするうえでは,このうえなく貴重なものである」とある。すべてはここから出発する。本稿では,先にこのブログで翻訳を示したヘンリー・ブリスの『知識組織論と学問体系』にデューイが序文を書いていることや,デューイの強い影響のもとでデンマークの情報学者ビアウア・ヤアランが展開している知識組織論を引き合いに出して,デューイが生涯学習と図書館をつなぐ重要な架け橋になっていることを論じた。







au: 根本彰
en; Akira Nemoto
ti: ジョン‧デューイの探究概念を⼿がかりにした⽣涯学習と図書館の交差点
en:The intersection of lifelong learning and libraries: Based on John Dewey’s concept of inquiry
ja : 生涯学習基盤経営研究
en : Studies in Lifelong Learning Infrastructure Management
vol. 50, p. 2-13, date 2026-03-31
 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/2014753
[抄録] ⽣涯学習と図書館を関係付ける根拠を探るために,ジョン・デューイの探究論と図書館情報学の知識論を検討する。ジョン・デューイは独⾃のプラグマティズム哲学を確⽴し,探究共同体においては,参加者が⽣涯を通じて探究⽅法を習得し,それを継続的に洗練させることが,相互成⻑を促し⾃由で知的な活動を⽣み出されることを強調した。その経験と探究の哲学の前提条件として,古典的な⼈⽂学の考え⽅である「⼈⽂主義(humanitas)」があり,これはドキュメントの存在を前提とした⽂献学的側⾯をもつ。ここから,ビアウア・ヤアランのドキュメントを介在させた知識組織論とデューイの探究論との関係性を考察した。

キーワード:ジョン・デューイ,探究,⽣涯学習,ビアウア・ヤアラン,ドキュメント,図書館

2026-04-21

公立図書館を考える(刊行版)のオープンデータ化

当ブログの 2024-12-09「公立図書館を考えるー 新公共経営論を超えるためにー」で下記の冊子が出版されたことを報知しました。

図書館研究三多摩特別号 2024
根本彰著『公立図書館を考えるー 新公共経営論を超えるためにー』
三多摩図書館研究所 2024年12月1日
















本日,これをオープンデータ化したことをお知らせします。

誰れでも自由に閲覧,ダウンロードすることができます。これをきっかけに公立図書館論が活発になることを願っています。
https://drive.google.com/file/d/1ObwEJiMb2pP7xiDiI1rvDZbrgK_lMOX4/view?usp=drive_link

刊行およびこのオープン化にあたっては,三多摩図書館研究所の松尾昇治さん,戸室幸治さんにたいへんお世話になりました。改めて御礼申し上げます。

本冊子は同研究所から紙媒体でも入手できます。次のサイトを参照ください。
https://santoken.org/2024/12/09/tokensan_tokubetu_kankou/

また,小論に対して『図書館界』誌に嶋田学さんの書評が掲載されています。

《書評》嶋田学「根本彰著 公立図書館を考える―新公共経営論を超えるために」『図書館界』77巻 2号, 2025年,  p. 142-143

DOI https://doi.org/10.20628/toshokankai.77.2_142




2026-04-08

2025年の研究発表一覧(付:累積一覧)

2025年(暦年)に、次の文章を公表しました。

[図書]

ビアウア・ヤアラン(根本彰訳)『知識組織論とはなにか—図書館情報学の展開』勁草書房, 2025年8月, xii, 250p.(訳者解説が読めます)



ニルス・ヴィンフェルト・ロン著,塩崎亮,大沼太兵衛訳, 根本彰解説『ドキュメンテーションスタディーズ入門—記録される知の理論のために』丸善出版,2025年10月. p181-184(解説執筆).

[図書の一部]

「2024年に読んだ本」みすず書房編『読書アンケート 2024:識者が選んだ,この一年の本』みすず書房, 2025年2月, p.48-49.

[論文]

「ビアウア・ヤアラン(Birger Hjørland)の認識論と図書館情報学方法論 ~知識組織論の可能性~」『日本図書館情報学会春季研究集会論文集』2025年5月31日, p.41-44. 

「『図書館教育論』で主張したかったこと」『学校図書館』900号, 2025年10月. p.52-54.

[口述]

国立国会図書館月報オープンサイエンスを社会につなぐために—国立国会図書館の取組を踏まえて」『国立国会図書館月報』767号, 2025年3月, p.5-12.

「2023年度 JLS の会 特別シンポジウム 公共図書館の地域資料サービス~日野市立図書館の実践から考える~」JLS ニュースレター(実践女子大学図書館学課程・実践女子大学短期大学部図書館学課程) No.16, 2025.03. p1-6.

「ビアウア・ヤアランと知識組織論,ドメイン分析」2025年度 公開シンポジウム 生成AI時代の図書館情報学 —知識組織論とドキュメンテーションスタディーズ— 2025年10月25日

[その他]

2025年度学校図書館賞(論文の部)受賞(全国学校図書館協議会)

2025年度日本図書館情報学会賞受賞 


(付き 累積一覧(2026年1月1日現在)

下記のカテゴリーごとにこれまで発表した業績を年月順に掲載しています。



2026-03-27

日本の児童図書館と図書館建築:その概念,歴史,デザイン

2026年3月17日 9:00-11:00 (日本時間) に次のイベントに参加しました。


日時:2026年3月17日 9:00-11:00 (日本時間) 
場所:オンライン(Zoomウェビナー)
共催:清水建設技術研究所,武庫川女子大学

そこで"Children’s Libraries and Library Architecture in Japan: Evolution of Concepts, History, and Design”としてお話ししたときのスライドとスクリプトの日本語訳をここに示します。また,末尾に他の発表に対するコメントを付け加えておきます。

元のスライドはここにあります。
動画はここにあります。

このプレゼンにあたりお世話になった清水建設技術研究所主任研究員松本隆史さんに御礼申し上げます。

This is the Japanese translation of the presentation, “Children’s Libraries and Library Architecture in Japan: Evolution of Concepts, History, and Design”
Akira Nemoto (Professor Emeritus, The University of Tokyo)
Online Forum "Recontextualizing the Design of the Hiroshima Children's Library 1953,"
17 March 2026 9:00-11:00 (JST) / 16 March 2026 20:00-22:00 (EDT)





他の論者に対するコメント:


建築アーカイブズ

今回,清水建設という大手の建築業の研究所からの依頼で建築アーカイブズの存在について知ることができてたいへんよい経験をした。建築会社は建築物の設計の図面やその模型といった建築に関わる基本的なアーカイブズをもっている。メタデータを公開したり,デジタル化したりすれば非常に有効な文化資源になるものだろう。それがJapan Searchという文化資源のメタデータベースに登録されることによって,共有されることは望ましい。

私自身は図書館の研究をしてきたが,図書館とアーカイブズとの関係やその境界がどこにあるのかについて関心をもっている。日本のこうした文化的機関は西洋の理念だけを移したものが多く,国や地方自治体の図書館やアーカイブズは最低限の機能しかもっていないところが多い。(児童図書館はその最低限の機能に含められていたことは言うまでもない。)欧米では図書館はアーカイブズよりも歴史が長いところが多いから,図書館がアーカイブズの機能を果たしているところも少なくない。今後,図書館とアーカイブズはもっとウィングを拡げて,間にあるそうした資料類を積極的にカヴァーすべきである。そのときに,民間企業が担うべき文化資源についての考え方も決まってくるのではないか。

大学図書館と大学アーカイブ

丹下健三氏のアーカイブコレクションがハーヴァード大学に置かれていることは今回,初めて知った。これについて,東京大学の副学長も務めた社会学者の吉見俊哉氏が,ハーバードのFRANCES LOEB LIBRARYを訪問して,丹下コレクションがハーバードに行ったことは残念であるが,このようなアーカイブズを運営することが東京大学で可能であったかといえばそれは不可能であり,このような形で利用できるようになったことは望ましいと述べている。それはまったくそのとおりだと思う。それは,大学行政における図書館の位置づけと財政規模の違いである。東京大学とハーバード大学の図書館は似ているところがあり,大きな中央図書館とたくさんの部局図書館によって構成されている。しかしながら,東京大学では一部の部局を除いて,個々の図書館が専門職のフルタイムスタッフをもってこうした専門的なコレクションを運用するようなことは不可能である。

第二次トランプ政権になって,連邦政府や州政府から教育文化機関への締め付けが厳しくなっていると聞いている。しかしながら,こうしたアーカイブ的な資料を大事にすることは長い歴史のなかでつくられてきたものである。ハーバード大学が自前の大きなファンドをこういう地味な部分に宛てていることを評価すべきと考える。


県立図書館と市立図書館

最後に,広島の二つの児童図書館について触れておきたい。

日本の公共図書館の発展の中で県立図書館の位置づけは常に揺れていた。アメリカの州立図書館は州の図書館行政の中心としての機能を果たし,児童サービスのような直接的な住民サービスには力を入れていない。

日本では,学校教育だと初等教育・前期中等教育は基礎自治体が担当し,後期中等教育は県が担当するという分担があった。しかし,公共図書館の整備が遅れたために,県立図書館が直接,児童サービスを含めて住民への直接的サービスを行う例も多かった。現在でもそうである。戦後間もない時期に,広島に県と市が児童図書館をつくったのも,広島の復興のために子どもの読書に力を入れるべきだという考え方から来ているものと考えられる。













2026-03-23

地域アーカイブ,ナラティブとしての「国史」,公害資料館と公立図書館

毎年,寄稿している『読書アンケート:識者が選んだ,この一年の本』の2025年版(みすず書房, 2026)に今年も次の文章を書いた。













 このところ,地域アーカイブ論という領域を探るため,各地の博物館や資料館,図書館を訪ねて,当該地域の歴史意識がどのような制度的条件によって支えられているのかを見ようとしている。その際に参考にするのは,天野真志・後藤真『地域歴史文化継承ガイドブック』(文学通信,2022)(注)であったり,『<記憶の継承>ミュージアムガイド—災禍の歴史と民族の文化にふれる』(皓星社,2022)であったりする。こうした本が刊行されるのは,歴史が記録された資料の蓄積のみならず,当事者や関係者の記憶や語り,そしてそれらが形成した集合的な記憶形成の作用が重視されつつあるからである。

 夏に沖縄を訪ねた。改めて,沖縄戦で資料の多くを失った沖縄の復帰後の最初の事業に県史編纂があって,それは現在に至るまで継続されていることを知った。県史編纂事業には資料を再収集し,図書館や公文書館で管理することだけでなく,編集し,歴史として表現し,体験した人たちの記憶をそのまま記録としてとどめることも含まれている。そうした肉声による証言や語りを含めて編纂される歴史形成の営為は県史のみならず,市町村史,区史のレベルでも行われている。故屋嘉比収(やかびおさむ)の『沖縄戦,米軍占領史を学びなおす—記憶をいかに継承するか』(世織書房, 2009)は,歴史編纂の担い手が当事者に近ければ近いほど,肉声のインパクトが大きく働くが,逆に距離をとることによって得られる遠近法が歴史認識を磨くことを説くものであった。

   歴史認識と担い手の問題は,中央と地方との関係を探る歴史学でも自覚的に取り組まれている。宮間純一『明治維新という物語—政府が創る「国史」と地域の「記憶」』(中公新書,2025)は,学校教科書にも描かれる幕末から戊辰戦争を経て新政府の確立までの歴史が、明治政府によってつくりあげられた物語であることを検証する。周防大島,飯能,大館,佐倉で書かれた歴史は,土地の人々の記録や記憶が明治政府の歴史の語りに照らして修正されたり,改変されたりして何度も書き替わってきたものであった。資料の解釈や記憶は,その後の語り(ナラティブ)の作用によって容易に変容してきたことを示している。

 現代史においてもこのことは当てはまる。産業化の負の遺産であった公害についての歴史が,歴史家や産業社会,産業経済の研究者によって書かれてきた。被害者・患者,その家族や支援者,加害企業関係者,そして反対運動に関わった研究者のいずれもが世代交代を余儀なくされるような時間の経過を前にして,蓄積されてきた,数々の証言,手記,記録,そしてポスター,ビラやチラシ,機関紙・誌,写真,手紙,新聞や雑誌の報道記事などのアーカイブズ類をどのように継承するかという問題が生じている。それらの資料の一部は水俣市や四日市市のように当該地域で公設の資料館が扱う場合もあるが,公設機関がつくられる経緯からくる制約を抱える場合も少なくない。社会運動あるいは社会問題として取り組み,そうした資料の重要性を知る研究者らが,清水万由子,林美帆,除本理史編『公害の経験を未来につなぐ—教育・フォ—ラム・アーカイブズを通した公害資料館の挑戦』(ナカニシヤ出版, 2023)や清水善仁『公害の記憶をどう伝えるか—「公害アーカイブズ」の視点』(吉川弘文館, 2025)を著して,こうした問題の重要性を訴えている。

 そのなかで図書館は,本来,地域で発生するいわゆる郷土資料を扱ってきたはずなのに,こうした資料に対して及び腰であるのは,背後に,資料取扱いの公平性,公正性や個人情報保護などのコンプライアンスと言われる問題が控えていることが見てとれる。だが,それ以前に図書館は,著者,出版社,編集者,および書評メディアにより事前評価された全国レベルで流通する出版物を扱うものと自らを規定してきたことで,可能な価値創造の力を封じ込めてきたのかもしれない。最近,大場博幸が『日本の公立図書館の所蔵—価値・中立性・書籍市場との関係』『図書館の公的供給—使命・利用者・利用料』(樹村房, 2024, 2025)の2冊の著書で図書館の本質と限界を剔抉する知見を私たちの前に示してくれた。中央レベルと地域レベル双方で,知の蓄積と参照を支援するという図書館が果たす機能を再評価する時期にきている。

注

天野真志・後藤真『地域歴史文化継承ガイドブック』(文学通信,2022)は版元が全文のPDFダウンロードを提供してくれている。

https://bungaku-report.com/pres-network.html



IEKOの記事翻訳について——中断中に考えたこと②

 一昨年から知識組織論研究会(KO研)をやっていることについてはなんどか触れました。 https://oda-senin.blogspot.com/2024/07/korgj.html これは国際知識組織論学会(ISKO)がオープンアクセスで公表している知識組織論事典(IEKO)...