下記の冊子が出版されました。
根本彰著『公立図書館を考えるー 新公共経営論を超えるためにー』
三多摩図書館研究所 2024年12月1日発行
公立図書館は20世紀後半以降に,折からの地方の時代の掛け声や住民福祉,生涯学習の観点からの政策づくり,そのときどきの地方財政の余裕などを背景に多数つくられました。重要な社会施設であることを誰も否定はしないし,行けば個々の市民のニーズにあったものが得られるために社会的に定着していきます。確かに子ども読書の推進や書店もないような地域における活字文化の拠点としての役割はあります。しかし多くの住民が求めるものが,出たばかりの新刊書であったり勉強や自学の場であったりといった個人的なニーズに基づくものが中心であり,多額の税金をかけて維持する公共施設としてどのような価値を実現する場なのかが曖昧になっていたように思います。図書館とはこういう場所だという明確なメッセージが出しにくい状況にあるのがなぜなのかが以前より気にかかっていました。
戦後の図書館法制定の際(1950年)に単なる社会教育施設であることを意識的に拒否することから始まった図書館は,それでも地域との関係を1960年代,1970年代には「資料提供」の概念を通じて定着させることに成功したように見えました。しかし,本書では,実はそれは高度成長期の大都市郊外の繁栄に基づくとらえ方であり,そのモデルを全国的に拡張させたときに目的の曖昧さが始まったとしています。つまり,個人的ニーズを満たす場としての公共施設は20世紀末以降,「ハコモノ」ないし「公の施設」として指定管理者が管理するという政策の対象になりやすかったとするわけです。副題にある「新公共政策論」は施設管理はどの自治体でも共通しているから,民間による工夫(実際にはコスト削減)が可能になるとするのですが,図書館サービスがそうした経営論で扱いにくいのは「無料原則」があって,いくら工夫しても収入につながらないからコスト削減にならないところにあります。
こうしたことを分析的に述べた上で,本書では住民のニーズを満たす「資料提供」ではない図書館が本来もつ「キュレーション」機能を前面に出すことでしか,この危機を乗り切ることはできないと主張します。このために,本文36ページに対して13ページ分40個の注がついています。論拠を明示する学術論文の手法がこのような領域でも有効と考えているからです。なお,本冊子の個々の事例はこのブログで具体的に示しています。たとえば,日野市の市政図書室のことや置戸町での調査について,また,私設図書館がむしろキュレーション活動をしやすい状況にあることや地域資料に住民運動資料が入りにくい事情などです。
根本彰著『公立図書館を考えるー 新公共経営論を超えるためにー』
三多摩図書館研究所 2024年12月1日発行
目次
2コモンズとしての図書館
3 行政的な「公」のあり方
4 図書館をめぐるパブリックフォーラム論
5 公立図書館が媒介する価値とは何か(1)
要求に応えるとはどういうことか
資料提供パラダイムの陥穽
日野市と置戸町の共通点と違い
市民と図書館をつなぐ方法
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