2024-06-18

ポール・オトレとは何ものか? 新刊書『世界目録をつくろうとした男:奇才ポール・オトレと情報化時代の誕生』について

まず,ポール・オトレの肖像写真が載せられている表紙カバーを見ていただきたい。アメリカのジャーナリストであるアレックス・ライトが2014年にオックスフォード大学出版局から出したCataloging the World: the Birth of the Infomation Ageの翻訳書である。翻訳はプロの翻訳者を得て読みやすい本になった。私はこのなかで解説を担当した。昔,オトレについて少し書いたことがあるからだが,本書が日本でも紹介されることには大きな意義があると考えている。


実は,本文の「はじめに」「第1章 バベルの図書館」の一部,「おわりに」「解説」「索引」「文献一覧」がアマゾン(PCウェブ版のみ)の「サンプル」ページで読めるようになっている。出版社の大盤振る舞いなのだが,逆に言うとこのくらい情報を出さないと,これまで,日本の国際関係論とか情報社会論,メディア論などの領域でほとんど扱われていなかった人物であり,また20世紀前半のヨーロッパ大陸中央部というなじみのない舞台なので,理解されにくいと考えられたのかと思う。ぜひ,現在読める部分にお目通しいただきたい。

本文サンプル(ただし,PCブラウザでアクセスしてください)

私が書いた解説も全部が読めるので,ここでは解説をさらに補う形で本書のエッセンス部分を紹介しておきたい。

「奇才オトレ」は何をした人か

この本の冒頭では,第2次大戦が始まってナチスがベルギーを占領したときに,ブリュッセルの世界宮殿(パレ・モンディアル)と呼ばれる建物にくたびれた格好の老人がいて,ここの資料だけは世界の宝だから,保護させてくれと頼んだが,まもなくそこにあった資料類(図書,雑誌,カード目録,博物館資料,マイクロフィルムなど)の多くは撤去され,多くは廃棄されたという逸話が語られる。つまり,壮大なビジョンの下にさまざまな活動をしたオトレだが,その夢は実現しなかったことが最初に描かれている。

そこにあったモノこそ,ドキュメンテーション運動の原資にあたるもので,もともとは書籍や雑誌記事の目録カードを分類順に排列したものから始まる。つまりそれらはメタデータの集まりであったが,オトレと盟友ラ・フォンテーヌは,これをUDC(国際十進分類法)によって分類記号を付けたことが重要である。これによって,近い主題のものが近いところに並べられることで主題検索が可能になる。ただしこれだけなら,前身にあたるデューイ十進分類法(DDC)と同じであるわけだが,アメリカの公共図書館向けの分類法と違い,UDCは国際性と学術性を重視したことと,記号の組み合わせを柔軟にすることによって複雑な概念を一つのメタデータで表現できるようにした。

下記のカードボックスは「世界書誌目録(RBU)」の歴史の部分で,カードがUDCの9類で(補記:各国の歴史は94で始まる)ここはフランス44(補記:UDCでは94(44)),イタリア45(同:94(45))のカテゴリーの下で時系列に排列されていることを示す。その下の写真の中央の男性はオトレの秘書で,実際の作業は多数の女性が担っていたことが分かる。右手に見えるカードケースには最大で1600万枚の目録カードがUDC排列で並んでいたと言われる。

https://www.spiegel.de/international/world/internet-visionary-paul-otlet-networked-knowledge-decades-before-google-a-775951.html#fotostrecke-0dcb0a14-0001-0002-0000-000000070716


https://www.inverse.com/article/7549-the-first-internet-hero-was-paul-otlet-and-his-steampunk-wikipedia

これにより,UDCは学術的,専門的分野で世界的に使われることになり,現在ドキュメンテーションというと専門領域のものとされる考え方は最初から備わっていた。だが,オトレらの卓見は,専門領域が個別に存在するだけではなく,それらをつなぐ原理としてUDCを設計し,ドキュメンテーションはそうした領域を超えた知を実現することを目指したところにこそある。また,オトレらは目録カードの集合体では結局のところは知への手がかりしか与えられないことから,知そのものを提供できるようにするということでマイクロ資料に着目し,メタデータとマイクロ資料をつなげることで効率的な情報検索と情報提供ができると考えた。さらには,当時現れ始めた視聴覚資料や通信技術との関係にも目を向ける。写真,映画,ラジオ,電話,そしてテレビもまたドキュメンテーションの対象となる。これらのメディアが相互に結びつくことや,それらを用いて遠隔で会議をすることも想定していた。そうした構想が分かる図が次のものである。


ここまでは図書館情報学の教科書にも出てくる話しであるが,彼らは第一次大戦までのベルエポックから第2次大戦までの時期に,世界平和をこうした知的交流によって実現することを提唱し,各国の類似の関心をもつ人たちと交流することでこの運動を拡げていこうとする。博物館展示の改革者パトリック・ゲデス,美術家ヘンドリック・アンデルセン,,パトロンとしてのベルギー国王レオポルド2世,建築家ル・コルビュジエ,視覚言語による展示の工夫を提案したオットー・ノイラート,「橋」による学術協力活動を提唱したヴィルヘルム・オストヴァルド,機械式検索システムを工夫したエマヌエル・ゴルトベルク,「世界の頭脳」を提唱した作家H・G・ウェルズらである。これらの人たちが,束の間の戦間期に19世紀的なアイディアを極限まで繋いで拡張しようとするオトレと出会い,互いに刺戟を与え合いながら活動したことが語られる。これは,ドキュメンテーション活動が知的,学術的な拡がりだけでなく,さらにそれが社会的国際的な志向性を強めていったことを示している。

オトレのドキュメンテーションの構想は,目録カードおよびマイクロ資料,マルチメディア資料による世界知へのアクセス状況がつくられ,次の段階には,それが媒介となって世界の知識人や研究者らが互いに知を共有してより高い知を生み出し,さらにそれが世界平和へとつながっていくというものであった。これは,このブログでもかつて触れた,彼の主著『ドキュメンテーション概論』に描かれた図で示されている。再度掲げると次のものである。本書のカバーを外すと表紙に当たるところに,この図の右側の部分が描かれている。

オトレのドキュメンテーションのアイディア

しかしながら,最初に示したようにこの構想はうまくいかなかった。その理由は明らかである。時代がすでにヨーロッパの知識人が交流することで物事が解決するようなものでなくなっていた。実際に,オトレらもアプローチを試みた国際連盟は国家を単位に国家を超えた政治組織をつくることを目標としていたが,まもなく第2次大戦が起こることを防げなかったように,事態はヨーロッパという枠で解決できなくなっていた。また,著者が実証主義(positivism)と呼んでオトレの思想の根幹にあるとするオーギュスト・コントの思想は,人類が形而上学や神学的なものから合理的で科学的なものを基にした社会の形成に移行するという啓蒙主義的なものであった。しかしながら,20世紀にはその啓蒙主義が破綻して,合理主義・科学主義が大量破壊と殺戮につながったわけであり,その意味でもオトレらの理想は時代遅れのものであった。

「情報化時代の誕生」

だが,著者はそのことを主張したあとでも,本書の副題に「情報化時代の誕生」とあるように,実証主義における技術論,それも情報技術論に多大な貢献をしたことを主張する。このことを考えるためには,西洋社会におけるデジタル技術がコンピュータ以前からあったことを指摘しておかなくてはならない。もっとも分かりやすい例だとタイプライターがある。今のノートPCの原形になったのはワープロ専用機と考える人が多いだろうが,さらに遡るとタイプライターという機械があった。西洋ではタイプライター技術は18世紀に遡るが,一般的に用いられるようになったのは19世紀末になってからで,アルファベットが26に数字が10,あといくつかの記号が40くらいのキーで表現できるキーボード(シフト切り替えで大文字,小文字他を切り替える)は現在のデジタル入力でも使われている(QWERTY排列)。つまり,キーによる情報入力はデジタル技術のはるか前から使われていたのである。

米国、レミントン社(E. Remington and Sons)のタイプライター(1907年)

もう一つ別の例を挙げれば,折りたたみの楽譜を用いた手回しオルガンがある。次の写真は,ヨーロッパ近代において用いられていた手回しオルガンとその楽譜である。国立民族学博物館に展示されている。これは大きなものだがもっとポータブルなタイプのものもある。シート楽譜には穴が空いていて,これを機械に装着して裏のハンドルを手回しすると右から左にシートが送られ,基本的に穴が空いているところで音を鳴らす仕組みである。ストリートオルガンの演奏(国立民族学博物館)がyouTubeにあるのでごらんいただきたい。シート楽譜を変えることで違った曲の演奏が可能であるし,自作もできる。だから,これは楽譜が演奏のプログラムとコンテンツを兼ねているということができる。こういうものを自作する人もいるようで仕組みを知りたい人はこちらをみてほしい。

大型手回しオルガン アムステルダム オランダ

手回しオルガンのシート楽譜

以上の二種類の機械は情報の入力・出力を容易にし,さらには蓄積することを容易にするものである。また,筆と紙での筆写とか,弦楽器での演奏といったものが徹底的にアナログなものであるのに対して,限定された数のキーボードや,鍵盤楽器や管楽器が有限の範囲での音を出す原理がデジタル的であることにも気づく。そして,タイプライターが電動化され,後にはワードプロセッサ,パーソナルコンピュータにつながるように,これらはデジタル情報機器の前身とも言えるものである。

オトレはそうした文化的伝統のなかに生まれ,先ほどの図にあったように知をカタログ化することが集合的な知をもたらし,それが何らかの社会的作用につながると考えたわけだが,カタログ化された知をどのように活かすかについてもさまざまな試みをした。そして,それは20世紀後半になって実際にコンピュータの出現によって徐々に実現化していくことになる。本書の11章と12章では,パーソナルコンピュータの原型となったMemexを提唱したヴァネヴァー・ブッシュ,国防総省のDARPAで情報システム開発に関わり未来の図書館を構想したJ.C.R.リックライダー,現在のユーザーインタフェースの基礎技術を開発したダグラス・エンゲルバート,インターネット上の分散的な接続原理をワールド・ワイド・ウェブとして開発したティム・バーナーズ=リー,ドキュメント間のつながりをハイパーテキストとして開発したテッド・ネルソンなどの業績を検討している。これらはインターネットを実現するための要素技術であるが,いずれもオトレの影が宿していることを検証している。

とくに,第2次大戦直後に発表されたヴァンネヴァー・ブッシュが「考えるままに」という題名の記事で示したMemexは,パーソナルコンピュータを先取りしたものとして知られているが,そこで描かれた図(本書p292)がオトレがモンドテクと呼んで未来の個人ベースの図書館だとした図(本書p271)とよく似ていることを示している。


https://filiph.net/text/memex-is-already-here,-it%27s-just-not-evenly-distributed.html



https://www.mondotheque.be/wiki/index.php?title=Introduction

確かに机をベースにしてそこで個人の情報処理をする機械という意味では似ているが,よく見るとだいぶ違う。Memexは電気信号を用いた回路とマイクロフィルムを組み合わせたものであることが分かるし,得られた情報は机上のタブレットのようなものに光学的に表示されるが,モンドテクの場合は,机の下の書籍,雑誌,地図,ファイル資料,模型,ラジオ,テレビ,電話などの資料・メディアが置かれ,右側に見えるカード目録で検索する。検索されたものをこの机の上に出して使う。これらは,知の蓄積,検索,表示といったことをコンパクトなサイズで行うことを意図している点で共通するが,仕組みは違っている。Memexの図の机の中にはマイクロフィルムを検索する装置であるラピッド・セレクターが置かれている。これは,マイクロフィルムの側面に先ほどのオルガンのシート楽譜のようなパンチを空けて,それを手がかりに検索できるようにしたものである。つまり,オトレのカード目録はブッシュでは電気式のものに代わっている。

ハイパーリンクの予見

戦時期をはさんで情報技術に大きな展開があったと考えられるだろう。もう一つの古くからあるデジタル技術のモールス信号をめぐって軍事情報の暗号化とその解読技術の発展によって情報の扱いがアナログからデジタルへという展開がはっきりと現れた。また,パンチ穴を利用した検索の工夫も古くからあるが,20世紀初頭にハーマン・ホレリスによる移民の統計データを検索するのに用いたことが知られている。しかしながら,その後軍事技術としてノイマン型コンピュータENIACが開発されて,2進法によるデジタル情報処理が可能になった。これは,高速の計算を可能にするだけでなく,1バイト(=8bit)が1文字を表す基本単位として,文字データ処理を可能にし,それはその後の情報処理,知識処理までも可能にするものとなった。そのときに,パンチカードはプログラムやデータ入力のためのツールとして用いられる。ブッシュのラピッドセレクターは,当時,国立農学図書館の職員だったR. R. ショーが検索装置としての実用性を高めようとしたことにつながり,その後はデジタルコンピュータに移行する。

これら二つの図の間にはデジタル技術の発達があったことはいうまでもない.が,著者はオトレがそうしたデジタルコンピュータ技術の発展をあたかも予想していたようなさまざまなアイディアがあったことを強調している。オトレはムンダネウムをさまざまな機会に提案し,また図示して見せてくれた。たとえば1937年に作成された「ムンダネウムを構成するもの Species mundaneum」と名付けられた図では,さまざまな要素が上段の真ん中に置かれたムンダネウムとリンクされている様子が描かれている。たとえば,左上は世界都市,右上はインターナショナリズム,降りてきて人々の日常生活や精神生活,メディアとの関係など,さまざまな要素が描かれている。これらを繋ぐための仕掛け全体がムンダネウムだという。,

https://monoskop.org/Paul_Otlet#/media/File:Otlet_Paul_1937_Species_Mundaneum.jpg
著者は,この図は引き合いに出していないが,彼の思想としては,「人間は原子や電子といった部品の集合体でしかなく,それらが組み合わさることで,独立し自律した自分という幻想が生まれる。」「社会も「知識の集合体」であり,知恵の集まりという善なるものに貢献するために,独立して機能する自律的な知識基礎となる,これを実現するためにオトレが望んだのが,だれでも使用でき,社会全体で情報を収集,作成,配信できる「知識機械」だ。」(本書, p278)と述べる。

著者は,20世紀後半に現れた情報化時代のイメージのなかで,オトレの思想に一番近いのがテッド・ネルソンが1981年に発表したザナドゥXanaduという構想だという言う。これはその後,ハイパーリンクシステムの基になったとも言われている。ザナドゥは世界規模のネットワークで膨大な数のユーザーが同時に接続でき,世界に蓄積された文字,画像,データを集積するためのものと述べられている。(本書, p.302)それを図示したものが下の図だ。著者は,オトレとネルソンはきわめて理想主義的なアイディアをどんどん出すユートピア的熱意をもつところが似ているだけでなく,熱しやすく自らの道に障害となるものに対して異常なまでの執念で打開しようとするところにも共通点があると述べている。ネルソンの案は現実的にはティム・バーナーズ=リーのハイパーリンクシステムによって実現されたと言われる。

https://museumofmediahistory.com/xanadu

まとめ

以上のように,本書は,ポール・オトレが20世紀前半に知のネットワーク構想をカード目録の作成から始めて,それが現在のハイパーリンクによるネットワークの出現にまで結びついていることを物語ってくれている。これまでも,Memex以降の情報技術の展開をまとめ,情報化時代の出現の歴史を語ったものはあったが,この本はそれがさらに半世紀遡った構想の実現にあったということを明確に主張している。今日,図書館情報学で使われるドキュメンテーションという用語には,文献資料の処理という意味に限定されずに,そこから情報や知識を取り出してさらに何らかの知的活動なり社会的な活動なりに結びつけるところまでも含むというメッセージが込められている。

私は解説の最後で,日本語が2バイト文字でしか表現できないことの困難性について触れた。コンピュータの仕組みそのものがアルファアベットを使うところに最適化して現れたことは言うまでもない。しかしそれだけでなく,西洋近代では機械による情報処理がすでに行われていたことが,コンピュータを単なるデータ処理の機械にとどめず,情報処理,そして本書が扱っているような知識処理への発展につながっている。この部分は図書館情報学の役割と密接に関わるものであり,本書がオトレの業績やそれが情報化時代を切り開く役割をしたしたことを紹介する動機ともなったものである。

2024-04-22

探究を世界知につなげる:教育学と図書館情報学のあいだ(2024年6月18日一部修正・注付与)

表題の論文が5月中旬に出版されることになっている。それに参加した感想をここに残しておこう。それは今までにない学術コミュニケーションの経験であったからである。

大学を退職したあとのここ数年間で,かつてならできないような発想で新しいものをやってみようと思った。といってもまったく新しいというのは難しいが,少し角度を変えるとか切り口を変えることならできそうだ。その前にやっていた学校図書館研究とアーカイブ思想研究を発展させるとどこかでつながるのではないか。

出版の経緯

ということで,京大にいた川崎良孝氏にお誘いを受けて,「相関図書館学方法論研究会」のシリーズ本《図書館・文化・社会》の第9巻『図書館思想の進展と図書館情報学の射程』(2024年4月刊行,松籟社)に論文「探究を世界知につなげる:教育学と図書館情報学のあいだ」の執筆をした。これはおもしろい経験だった。というのは,以前からこのシリーズが気になっていたからである。何人かの研究会メンバーがオリジナルな論文を発表するものだが,関心があったのはなぜこの形式をとるかということである。

それは2点ある。一つは学術論文の発信の仕方に関してである。通常なら,査読誌に書くべきものなのだろうが,それが単行書の論集本として刊行されている。なぜこの形式をとるのか。やってみて思ったのは,すでに査読誌には何本も書いており,今更そういうものに書く動機付けがそれほどない中堅・ベテランの研究者にとってはこの形式は悪くないということである。シリーズの趣旨の枠内で好きなテーマで書くことができる。それもページ数の制限はゆるやかである。人文社会系の場合には査読誌が要求する制限は少しく厳しく感じ,思ったことが表現できないもどかしさがある。

しかしながら,そうしたある意味で人文系研究者のわがままのままに書いた論文を複数掲載した論集を商業出版社から出版することが可能なのかというのが第二の関心である。これについては,川崎氏の創意と工夫,そしてご好意に感謝せざるを得ない。【以下は筆者の個人的見解によるのであり,本当のところは不明のところもある。】これが松籟社という商業出版社から比較的安価で出版できている理由は,編集プロセスを執筆者の自己編集と当該研究会メンバープラスボランティアのサポートによると考えられる。安価というのは,今回の巻は,A5判233ページの上製本で税抜きで2800円という定価になっている。税込みでも3000円ちょっとというのは,今の学術書のマーケティングを考えると3〜4割程度安いと思われる。

一定のフォーマットが指示されて,それに合わせてMSWordで原稿を書いた。提出にあたっては出版された版面と形式的に同等のものが要求された。もちろんWordなので,編集過程のどこかで印刷のための変換が行われているわけだが,通常,編集者が行うフォントや文字・数字などの形式面の修正をできるだけしないようにという事前の配慮が徹底していた。このことは今後の出版を考えるのに重要である。というのは,従来,人文社会系においては,原稿はかなり乱暴に書いて,校正時に直すというような(悪しき)習慣があった。たぶん手書きのときの慣習がそのまま残されていたものと思われるが,これは編集者にとってかなりの負担になっていたことは確かである。逆に言えば,完成稿に近いものを提出すればそうした余分な作業が省けるわけである。もちろん,最初から完璧な原稿を出すことは難しく,校正の過程でこちらも幾分かの修正を行ったし,川崎氏を通じて抄録や索引の作成や著者紹介執筆の依頼があった。だが筆者の過去の経験から言っても,相対的に編集の手間は少なくて済んでいたものと思われる。つまり,この出版物には編集費の部分が極力抑えられていることが出版できている要因であるし,価格が低く抑えられている理由でもある。

ということで図書出版が難しくなっていると言われるなかで,こういう手法で学術出版が可能なのだということを知った次第である。ただし,これは要するに同人雑誌を商業図書として出版するということであるから,可能にするための条件はそれなりに厳しいだろう。まずは,論文の質ということである。これが学術的にも商業的にも一定レベルを超える質的条件を備えている必要がある。質的条件についてそれが何なのかは書いた当事者であるし,今のところはコメントできない。商業的条件で編集費用の低減については上に書いたとおりだが,たぶん,これが図書館関係書であることから一定数の図書館で購入してもらえそうということも大きいようにも思われる。質にも関わるが,先に述べた執筆の要件を満たすことができる書き手が揃うことも重要な要件だろう。要するに,編集の手間を減らすためには最初から編集のある部分を執筆者が担うことが必要となる。

論文について

学校図書館研究とアーカイブ思想研究をつなぐという構想は自然に出てきたものである。もともとルーツは一緒であり,表現の局面が違っていただけである。今回は,戦後新教育における学校図書館の位置付けをジョン・デューイの探究思想に求め,それが,政治思想史や教育思想においては,西洋のアーカイブ思想におけるクリティックや文献学という形をとると説明されていたものに対して,図書館情報学的な研究の蓄積を対置させて論じた。抄録と目次を示しておく。

【抄録】
学校図書館を理論的制度的に位置付ける作業の一環として、学校図書館が知を媒介する作用をもつことを示す(図書館)情報学的な理論装置を検討した。その際に、ジョン・デューイの道具主義的教育論の基底にある探究(inquiry)概念が世界知(accumulated wisdom of the world)への志向性をもっていることに着目し、それを,レリヴァンス(relevance),データ・情報・知識・知恵のヒエラルキー(DIKWピラミッド)、ドキュメントと書物の関係、読者反応理論とメタファーとしての知、客観的知識論とドメイン分析、社会認識論(social epistemology)の6種類の理論装置から検討する方法をとった。最終的には、ドメインとしての学校における知識組織のあり方を分析することにより、世界知への方向付けをもったカリキュラム構築の一助になることを述べた。(本書 p222-223.)
 
【目次】
はじめに
1. デューイから始める学校図書館
1.1『学校と社会』の学校図書館
1.2 図書室が学習の場とされる理由
2.学習者と世界知をつなぐ
2.1 探究と世界知
2.2 系統主義の教育学
2.3 21世紀の教育課程の課題
3 図書館情報学のアプローチ
3.1 方法的概念としてのレリヴァンス
3.2 データ,情報,知識,知恵
3.3 ドキュメント
3.4 読者反応理論と知のメタファー
3.5 客観的知識とドメイン分析
3.6 社会認識論の可能性
4.探究を解明するための知識組織論
おわりに 

これ以上は,読んでいただくほかないが,「探究」と「世界知」をつなぐ道具立てについて,20世紀後半から21世紀にかけて欧米で議論されてきた6種類の理論装置を用いて説明している。これらは,日本では散発的に紹介されたにすぎず,それも関心をもった研究者が一時的に論じただけである。全体像および現在の理論水準についてはまったく議論されたことはなかった。本稿では,そうしたものについて,筆者の目から見て使えそうなものを整理して提示することにした。

筆者がアカデミアに入ってすぐに惹かれた書誌コントロールの理論家にジェシー・シェラやパトリック・ウィルソンがいたが,今回関連してドン・スワンソンの業績もまたその系列でとらえ,全体像を把握しただけでなく,そうした議論が現在の社会認識論につながることについても見通しを得た。また,米国の情報学とヨーロッパのドキュメンテーションをつなぐ理論家として知られるマイケル・バックランド,生涯を通じてレリヴァンス論を柱に情報学を追求してきたテフコ・サラセヴィック,論理学的思考を導入することで図書館情報学の可能性を拡張しようとしているマーティン・フリッケ,そして,デンマークで多様な情報学ツールを一つのステージで整理しようとするビアウア・ヤアラン(注)らが学術的基盤をしっかりとつくってきたことが現在の情報学進展のバネになっていることを理解できた。さらには,図書館情報学が,スティーヴ・フラーらの社会認識論やルチアーノ・フロリディの情報哲学,ルイーズ・ローゼンブラットの読者反応理論などと関連していることや,より基盤的な分野として,カール・ポパーの客観的知識論,ジョン・デューイの教育哲学やアルフレッド・シュッツの現象学的社会学とのつながりがあることを確認できた。

ここで紹介した理論装置は(図書館)情報学という領域がもつ可能性を示すものであるが,実は多くが筆者よりもさらに年長の研究者によって展開されたものだ。特に,20世紀後半から21世紀早々の時期に活躍したバックランド,サラセヴィック,フリッケ,ヤアラン(注)らの知見に啓発されて,知識資源システムという大枠を設定し,ドキュメントやアーカイブ,レファレンス,レリヴァンスといった概念を再検討して,図書館情報学を進展させるための分析ツールとした。そうしたものを日本に紹介することは,本来,筆者を含めた同世代の研究者に要求されたことだったはずだが,ほとんどできていなかった。これはまったく恥ずべきことだったとは思うが,領域が広大で多様な議論が多様な方法をもって論じられていたことに気づくのが遅れ,対応できていなかった。

現在,この論文をさらに展開した形での著書を準備中であり,近い将来刊行される予定である。もとより筆者個人の能力の限界故にできることに限りがある。その意味で,今やっていることは今後の研究者に引き継ぐときに道しるべとなればいいという程度のものとして展開しているのである。

デンマークの情報学者Birger Hjørlandのカナ表記をこれまでの「ビルギャー・ヨーランド」から「ビアウア・ヤアラン」に変更する。これは,デンマーク語に詳しい方複数名に確認して決めたものである。近々,デビッド・ボーデン,リン・ロビンソン『図書館情報学概論』の第二版の翻訳書(勁草書房)がでることになっていて,そこでもこの表記を使うことを訳者塩崎亮さんとも確認し合っている。(2024年6月18日に変更追加)


謝辞

本論文の執筆にあたっては,機会をくださった川崎良孝氏および相関図書館学方法論研究会の皆さんに御礼申し上げたい。



2024-04-13

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2024-04-05

クイズ:NHK総合の「時論公論」の背景図書館はどこか?

以前から話題にはなっていたのですが,NHK総合でやっている「時論公論」という解説番組で,タイトルバックの写真が印象的な図書館になっています。NHKの同番組のHPにもその写真が使われています。(画像は解像度を落として掲載しています)これがどこの図書館なのかというのがクイズです。







最初に見たときにストックホルム市の中央図書館と思ったのですが,少し雰囲気が違う感じです。「時論公論 背景 図書館」でググると(という表現を初めて使った国際教養大学中嶋記念図書館という説もありました。そういえば,円形のスペースに木材を組み合わせた感じが最近できた石川県立図書館とか,軽井沢風越学園も似ていてようやくそれらの共通点に気づきました。これらは,「仙田満(+株式会社環境デザイン研究所)」が設計に関わった建築物なのですね。しかし,違います。


さて,正解は。。。。

Google検索でネット上にある情報を手がかりにするとどこまで迫れるかを見てみます。

最初にまとめて出てきた<Yahoo! 知恵袋>には,ストックホルム市立図書館,国際教養大学付属図書館以外に,武雄市立図書館マリア・ラーハ修道院(ドイツ)という情報がありました。ストックホルム市立図書館を挙げるものはにもありました。でもこれは,Yahoo!知恵袋を見てのように思えます。

ネットコミュニティBeachに次のような情報もありました。

「iconすっかり騙されてたかも時論公論の背景の図書館をAIチャットくんに 聞いてみました

(時論公論の背景に使用される図書館は、NHK放送センターの中にある仮設のセットです。実際の図書館ではありません。)」

近いけど違います。

実は正解はインターネットでは得られません。もしかしたら2020年から2021年にかけてのSNSに情報があったかもしれませんが,今は見れませんし,遡っての検索もできません。ここまで挙げられた図書館は似てはいるがよく見ると違うことは明らかです。「違う」とは言えても「同じ」ということはなかなか難しいです。なぜなら,似たような建物の写真はあるし,最近はフェイク写真が横行しています。ネットなどから間接的に「正解」を「得る」ことは思った以上に難しいのです。

さて,正解(らしきもの)を示しましょう。それは,バーチャル映像だということです。

朝日新聞2020年10月27日朝刊に「はてなTV」という欄があり,そこにテレビ好きの間でこの背景画像が話題だけどどこの図書館かを知りたいというクエスチョンがありました。回答として,担当のチーフプロデューサーの発言として,2020年4月から「バーチャル映像」に一新したとあります。また,「背景の図書館は番組オリジナル」だが,「ストックホルム市立図書館,ブラジルの『幻想図書館』,東京の東洋文庫.....」を参考にしたとしています。

正解(らしきもの)としていますが,それは,朝日新聞記事としてあることが理由です。担当者の人名を出しているので取材をしているのだろうと検討をつけることができます。ただ全国紙の記事だから本当に信用できるのかどうかについては留保が必要だということで「(らしきもの)」としました。これについてはメディアリテラシーでさんざん議論されていることですが,間接的な情報に従うより,直接的な取材と新聞社の信用によって裏付けられる例です。

担当者が挙げていたブラジルの『幻想図書館』とは,植民地時代のブラジル・リオデジャネイロにポルトガル移民たちが設立したポルトガル王室閲覧室をかたどった図書館で,その書架の圧倒するような部分をコピーしているのかもしれません。東洋文庫も書架については同じような印象があります。

さて,ネットでは正解にたどりつけないと書きましたが,ではなぜ私は正解らしきものにたどりつけたのか。まず,手がかりはやはりGoogle検索です。先ほどの検索でひっかかったのが,

2020年10月27日朝刊 朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com › shimen
2020/10/27 — (はてなTV)「時論公論」の図書館は? 有料会員記事. Q 本、テレビ好きの間でNHKのニュース解説番組「時論公論」の背景画像が話題です。とても ...

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となって,それ以上は読めません。つまりすでに削除されているということです。これを読むためには,朝日新聞の有料データベースを使う必要があります。これは,図書館で契約しているところがけっこうあるので,読むことができるというわけです。

以上で分かることは,ネットにある情報は間違いがかなりあるということ,AIも怪しい。また,ネットと図書館とを組み合わせれば,正解(らしきもの)に到達できることです。

なお,Chat GPTを試してみたところ,次のような回答でした。

Q:NHK総合の「時論公論」の背景図書館はどこか?

A: 2022年1月時点での情報に基づいてお答えしますが、NHK総合の番組「時論公論」の背景となる図書館の具体的な場所や名称は、一般的な公式情報として提供されていない可能性があります。番組の制作スタッフや舞台セットのデザイナーが、背景となる図書館のイメージをデザインし、実際の場所をモデルにしたり、架空の設定に基づいて作成したりすることが一般的です。

番組の公式ウェブサイトや公式発表、番組制作に関わるインタビューや舞台裏の情報などが、このような背景設定に関する詳細を提供する可能性があります。しかし、具体的な図書館の場所や名称が番組の中で明示されていない場合もあります。

番組の制作側が背景として使用する図書館についての情報を入手したい場合は、NHKや番組制作会社に直接問い合わせることが適切な方法となります。

こちらは「AIチャットくん」よりは分からないことを分からないと言っている点で誠実で親切ですし,「架空の設定に基づいて作成したりするのが一般的」だとして正解にぎりぎり近づいています。しかし,ネットにない情報を提供することはできないということでしょう。

以上,ネットリテラシー,メディアリテラシーのおさらいを兼ねた図書館建築論でした。先の,プロデューサーの言に「14年間続いている番組なので,その積み重ねを表す『知の集積』として,図書館というモチーフを選択しました」とあります。しかしながら,これには疑問をもたざるを得ません。テレビ番組のどこに「積み重ね」があるのだろうかという疑問です。14年続いても今見れないのなら,積み重ねとは言えないでしょうに。

もしかしたら,番組作りが知の集積をベースにしているという意味なのかもしれません。数年前に,朝日新聞社の資料室担当の方に話しを聞きに本社ビルに行ったことがあります。そこでは,政治部とか社会部,経済部といった現場取材の記者のフロアと別のフロアに,資料室と解説員室がありました。つまり,生の情報を処理する部門とそれらをもとにして解説的な情報発信は分けられていて,資料室は解説報道といっしょにされています。NHKの場合も実際に資料室等が置かれているのかは知りませんが,少なくともこの写真は,解説報道のシンボルとしての図書館を表象しているのかもしれません。






2024-03-29

読書アンケート2023:識者が選んだ,この一年の本

昨年まで,月刊『みすず』の1/2月合併号というかたちで出ていた「読書アンケート」が今年から,単行書『読書アンケート2023:識者が選んだ,この一年の本』というかたちでまとめられるようになった。今回は139人が寄稿しているそうだ。私が選んだ本を他の人が選ぶことはこれまでなかったと記憶するが,今回は1の日野さんの情報公開の本を選んでいる人がいた。丘沢静也さんというドイツ文学の方だ。それが読み方が私のと似ていて,この本は何よりも著者が情報公開請求を厭わずに繰り返している様子が描かれ,多くの人が情報公開請求をすればお自ずといろんなものが変わってくるという点を強調している。口先の批判は誰でもできるが,それを汗をかいてするのかどうかが大事だという点は肝に銘じたい。

3月も終わろうとしているので,私が書いたものをここに公開する。


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根本彰(図書館情報学,教育学)


1. 日野行介『情報公開が社会を変える:調査報道記者の公文書道』筑摩書房,  2023 (ちくま新書)

 情報公開制度は20世紀末に地方自治体から始まり,2001年に公文書公開法ができ,2011年に公文書管理法ができて国の制度が整った。この制度により,公的機関が自らの意思決定過程を明らかにして行政手続きの透明度を増すことが期待されたが,実際にはその通りになっていない。長年,新聞社でこの制度を活用して調査報道を行ってきた著者は,これを利用するコツを懇切丁寧に語ってくれる。敷居が高いように見える制度も基本的には使いようであり,多くの人が使って調査や研究を行うことで開かれた政府の実現という当初の目的が実現されるはずだと言う。

 それにしても,著者が苛立ちをもって語る行政の「知らしむべからず」の体質は,個々の担当官の判断を超えて組織に染み付いているもののように思われる。

2. 八鍬友広『読み書きの日本史』岩波書店, 2023 (岩波新書)

 幕末に日本を訪れた西洋人が,江戸市中でふつうの庶民が本を読んでいるのを見て驚いたという手記がたくさん残され,日本人のリテラシーが高いことが言われてきた。しかし,本書は書物にはかな文字による往来物と呼ばれる読み本と,漢字読み下し文(漢文訓読体)のものとがあって両者を区別すべきであるという。つまりリテラシーと社会階層は関連しており,高いリテラシーは前者についてあてはまるが,後者は必ずしもそうではない。これは上記の体質と密接に関わる。

 再編集版として刊行された岡田英弘『漢字とは何か:日本とモンゴルから見る』(藤原書店, 2021)によると,中国の歴代王朝は漢字をもって全土統一を果たしただけで,地方の話し言葉はばらばらだった。東アジアにおいて書き言葉が統治のツールだったことは確かだが,明治の言文一致ナショナリズムはむしろそれを強めたのではないか。書き言葉を操るエリートが国家を運営し,庶民は教科書で与えられた範囲の知の下に日常を生きるという枠組みは,時代を超えて現在に及んでいる。

3. 渡邉雅子『「論理的思考」の文化的基盤:4つの思考表現スタイル』岩波書店, 2023

 21世紀になってから,文部科学省は教育課程に総合的学習の時間や探究学習を取り入れた。「主体的対話的で深い学び」は現行学習指導要領の合い言葉になっている。だが,そこではどのような人間像が想定されているのだろうか。本書は,「論理的に書く」行為が日本,アメリカ,フランス,イランの4カ国でどのように違うのかに焦点を当てた,これまでにない国際比較研究の成果を示してくれている。日本の子どもたちの行為の特徴を挙げれば,感想文や小論文の執筆指導を通じて,社会のなかで間主観的な「共感」を表現することが強調される。これは大正自由教育以来の綴り方や戦後の作文教育から何も変わっていない。日本の国語教育は漢字の読み書きができるところで止まっていて,その先にそれをどのように使うか,使ってどうするのかの議論がないように思える。

4. デニス・ダンカン(小野木明恵訳)『索引 〜の歴史:書物史を変えた大発明』光文社, 2023

 読む行為に解釈の揺れや幅があるのは当たり前である。主体的に学ぶには批判的な読みは避けられないが,学校で「批判」は避けられやすい。本書はイギリスで出た「索引」をテーマにした本であるが,この本から読み取れるのは,索引をつける行為は批評の第一歩だということである。索引は,書物の内容に分け入って言葉を分析し情報を取り出しやすくするためのツールである。索引が必要になるということは,書き言葉の言説空間に参与するのに共感だけではなく,批評・批判の精神を合わせもつべきことを示唆している。

索引作成は索引家(indexer)と呼ばれる専門家が請け負うことが多い。実はかつてイギリスに倣って日本にも日本索引家協会という団体ができていた。1977年に設立され1996年に解散してしまったのだが,少々早まったのではないか。というのは,こういう本の翻訳が出るのは,サーチエンジンや生成AI全盛の時代のアンチテーゼでもあり,今,索引家のような言葉の達人が求められていることを示すのだ。(「TBS系列テレビ番組「プレバト」を見ていて,俳人と索引家の共通点と違いに思いを致した。)


新著『知の図書館情報学―ドキュメント・アーカイブ・レファレンスの本質』(11月1 日追加修正)

10月30日付けで表記の本が丸善出版から刊行されました。11月1日には店頭に並べられたようです。また, 丸善出版のページ や Amazon では一部のページの見本を見ることができます。Amazonではさらに,「はじめに」「目次」「第一章の途中まで」を読むことができます。 本書の目...