2017年10月22日日曜日

「図書館での文庫本の貸出」について

10月13日の全国図書館大会第21分科会「出版と図書館」については、当事者でもあるので発言しておきたい。

このとき、みすず書房持谷寿夫氏、文藝春秋松井清人氏、岩波書店岡本厚氏とともに登壇した。資料としては、http://jla-conf.info/103th_tokyo/index.php/subcommittee/section21のページに原稿があるのでご覧いただきたい。この資料は、大会の前にここにアップされており、前日12日の朝日新聞東京版の朝刊社会面(日経が夕刊)にこれを紹介する記事が出た。朝日の記事は「文庫本「図書館貸し出し中止を」 文芸春秋社長が要請へ」というものである。これをきっかけにして、マスメディアでの取材の事前申込みがあったといい、行ってみるとNHKとTBSのカメラが入り、他に数社の新聞社から記者が来ているのが分かった。

当日のNHK総合の午後7時と11時のニュースで放映され、TBSニュースでも放映された。新聞も、東京新聞、読売新聞、毎日新聞で記事になっているのを確認している。このなかでは、NHKが、この分科会の紹介だけでなくて、図書館での取材も行った上でニュースとして報道したのが目に付いた。いずれの報道も松井氏の発言を中心に、出版不況で本の売れ行きが落ちているなかで、文芸書出版社が文庫本の提供制限を図書館員に説いたという論調だった。

このとき私は基本的に出版界と図書館界とをつなげ両立を模索する方向の発言が求められていると考えそのように述べた。このときは、「遅延的文化作用」という言葉を使って、図書館は出版社の市場を奪うような書籍の提供の仕方はしていないはずだと強調した。

ただ、そのことからすると松井氏の発言は意外な側面をもっていたことも事実だ。文芸書を出す出版社にとって、文庫本は初期の単行書を十分に売り切った後に出す廉価版であり、あまり採算は問題にしていないと考えていたのに、それが重要な収益源だというからだ。図書館の遅延的作用が出版社の販売戦略とぶつかっているように見えるわけで、従来とは構図が変化してきている。それだけ、出版は追い詰められているのだろう。また、それに寄り掛かって文庫本をたくさん提供している図書館があるとすれば、それはそれで危機を共有していることになる。

松井氏の発言のなかで印象的だったのは、「本を借りるのではなく買う習慣をもってほしい」と繰り返していた点である。私はこれで、彼の真意が理解できた。もともと日本人にとっては本は買うものであったから、買うのではなく借りる人が増えているとすれば、図書館が借りる習慣をつくりだしたからだ。だから、私が出版界と図書館界の協調をと発言した部分について、彼は出版流通における公と私の境を少し前のものに戻して、借りると買うとの境界の見直しに協力してほしいと具体的にコメントしたのだ。これは、出版社の経済行為としての出版活動なしで図書館の資料提供は成り立たないから、まず出版社の経営の安定に協力してほしいということだ。これはこれでそこにいた人たちに訴える力はあったと思う。その場でアンケート調査が行われたがそこでは、松井氏に反発する発言はあまりなかったようだ。

けれども、ちょっと意地の悪い見方をすると、今回の件はニュースがどのように構築されるのかを知るのによい体験だった。そもそも、分科会の前日に朝日と日経がリーク的な報道をしている。そして、多くのメディアが入り、報道をした。松井氏は開口一番、前日あった新聞報道は自分の本意とすることを伝えていないと発言した。しかしながら、実際の話はやはり文庫本を図書館では積極的に提供するのを控えてほしいという内容だった。ただし、朝日の報道では「貸出中止」とあったが、そのときの発言はそこまで踏み込んだ強い要請ではなかったと思う。

マスメディア(ここには当然出版社も新聞社も含まれる)によって「出版社 vs. 図書館」という構図がつくられて耳目を集めた。私には、2年前の新潮社社長佐藤隆信氏の「貸出猶予」の発言と同様に、松井氏が集まった図書館員を相手にあえて悪ぶってみせることによって、多数のメディアを呼び寄せ、文芸書出版の危機とそれを救うための手立てを世間に訴えたように見えた。図書館大会の場はその出汁に使われているのだ。

SNSでは松井氏の発言に対する批判が強いようだが、それは物事の表面だけをみた判断だ。それだけ出版界は追い込まれていてなりふり構っていられない部分があるのだ。真の問題は、特定ジャンルの出版社の危機というより書籍文化全体の危機がある点だろう。読み手が減っているのは、少子高齢化が大きな原因である。活字世代がそのまま歳をとっていて、文庫本の買い手もその図書館での借り手も中高年層が中心である。彼らの一部が借りることをやめて買うことにしたところで、それほど大きな影響はないだろう。だが問題なのは、次の世代の読み手が十分に育つことを妨げている状況がある点である。読書推進を唱えても読むのはせいぜい小学生までで、それ以上の世代に読む習慣が必ずしもできていないことが最大の問題ではないのか。今の中高年の後の世代が買い手であると同時に借り手でもある読者に育つのかどうかが問われている。

分科会では、児童書出版と図書館の関係が一つのよきモデルだと発言しておいた。図書館では児童書を複本で提供するのは当たり前のように行われているが、そのことを出版社や児童作家が批判したりすることはない。図書館が読者を育成し本の買い手を生み出し、それが次の世代の読者に引き継がれている。だが、児童書が売れ借りられ、読まれても、それがそのまま継続して大人の書籍の読み手になるまで導くものになっているのかといえばなってはいないことが問題なのである。

ともかく今回の分科会への参加は私にとって、出版と図書館の関係を考えるだけでなく、メディアの在り方を考えるのにもよい機会になった。だが、図書館という領域がこのように注目され取り上げられる存在になったのだということも事実であった。そのことについてもまた考えてみたい。



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