ようやくここを訪ねることができた。話しに聞いていた「図書館を大事にした学校」。ここ何年か学校図書館が戦後教育改革において重要な位置付けにあった痕跡について研究しているが、そこで、「図書館教育」という試みがあって、カリキュラムの展開に大胆に図書館のことを入れようとしたが、結局のところうまくいかなかった。それがなにゆえなのかがずっと気になっていた。そういうなかで、GIGAスクールでもなければ、国際バカロレアでもない試み。いったいそこで何をやっているのか。それはたった数時間の滞在で本当のところを理解できるわけではないだろう。しかしながら大きな期待を抱かせるものであった。その一端を伝えようと思う。
風越学園とはどんなところか
すでにメディアやネットでこの学園の試みは伝えられているので、最初はそこからイメージをつくり出してみよう。基本的な情報はWikipediaにある。軽井沢といっても、駅からバスで30分くらい走った郊外で廻りは森林や原野といった感じのところに3年前に開設された学校である。真北に浅間山が大きくそびえている。その立地の自然環境と景観を活かそうとしている学校のコンセプト自体が日本の教育が都会志向であることと正反対のベクトルをもつことに気づく。この学校に子ども入れるために軽井沢に移住した家族が居るという話しも伝わっている。「東京の家族が「軽井沢風越学園」へ“教育移住”を決断したこれだけのワケ」という記事だ。受験を勝ち抜くために低学年から競争的環境に子どもを入れる選択と異なったものに惹かれる人たちもいるということだ。
こうしたものがどのようにしてつくられたのかについてだが、Wikipediaの記事にあるように楽天の創業時から会社作りにかかわった現理事長本城慎之介氏の個人的資産で始められたということを理解すべきである。これは日経新聞のインタビュー記事に詳しく出てくる。要するに本城氏が創業者利益を自分の夢の実現に充てたということだ。北海道の田舎で育った自らの生い立ちから、日本の教育問題に一石を投じようとアンチテーゼとしての学校をつくろうとしている。国際バカロレアもそうだけど、こういう新しいことをやるためにはかなり大胆な発想と資金そして経営能力が必要であろう。新聞記事には、岩瀬直樹校長(教員から教育実践学研究者になった人)が実践、苫野一徳氏(教育哲学者、教育学のトリックスター)が理念、そして本城氏が資金提供と経営の分担をしているとある。最初は公設民営の経営形態を狙っていたというが、ここで意図している義務教育学校がそのかたちではつくれないし、現時点では公立学校でこういう学校は実現できないだろう。
学校の教育課程
学校の特徴は岩瀬校長が語っている
インタビュー記事によく現れている。子どもの自然な動きを大事にした学びの場をつくるために、教室の壁はできるだけ取っ払うし、また、個人、グループ、そして学年を超えたグループでの学びを校舎内、校庭、外の森林や自然環境の場を自在に使う。そのときに、カリキュラムに沿うが教科書を使うことは稀れで課題や問題設定に基づいて子どもが自由に学びを展開することを重視する。そこに二年生の時間割があるが午前中は教科融合の「くらし、あそび、えがく」、午後に土台の学びとして「読書家、算数、ことば」がある。いたってシンプルだ。行った日の午後は上の方の学年は「わたしをつくる」(略称わたつく)という自分で課題を解決する学習をしていた子が多いから、なんとなくずっと子どもたちは動いていて自分で勝手なことをやっているようにも見えた。
こういうタイプの学習では教員は最初の指示をした後は子どもたちを見守り必要なときに声がけをするということになる。ふつうの学校だと声がけが指示的になることが多いが、ここではかなりの程度子どもの自由な行動に委ねられている。毎日最後に「帰りのつどい」という場が設けられて一人一人がみずから何をやったのかを記述する。
学校に埋め込まれた図書館、あるいは図書館に埋め込まれた学校
この学校を紹介するときに、学校建築として図書館が中心にあることが強調されることが多い。私もいくつもの学校を見学したなかで、図書館に力を入れている学校を見学したことがあり、そのなかに校舎を入ると正面に図書館がある学校もあったし、図書館を使用した授業に力を入れている学校もあった。しかしながら、ここまで図書館中心の学校は初めてである。学校に図書館が埋め込まれているというよりも図書館に学校が埋め込まれていると言った方がよいかもしれない。上の写真でも書架の間に机があって子どもたちが作業をしている様子が見られるが、それだけではない。
この学校の建築上の特徴は全体は2フロアであるが、体育館とか音楽室や理科実験室等のラボと呼ばれる部屋を除くと一つのオープンスペースを構成しているところにある。北側の浅間山と森がよく見える大きなガラス窓から放射状に書架が伸びた「ライブラリー」があり、グループ学習用のテーブルがおかれて自由に作業をしたり本を読んだりできる。「ホームベース」は区切られた部屋でここもさまざまな作業に使える。机が整然とならんだふつうの学校の教室のような部屋は一つしかなかった。
でライブラリーだが、この図のライブラリーのところだけに本があるのではなくて、ホームベースの外側の壁も書架になっている。二階にも本がある。基本的にNDCで分類された本が分類されて並んでいるというイメージだが、幼稚園児から中学生までいるし、教員用の図書もいっしょに置いてあるのでかなりバラエティに富んでいる。図書館に学校が埋め込まれているといったのは、教科の枠はゆるくて自分で課題を見つけて作業を行う過程で図書館の本への自然なつながりができるようなコンセプトがあるからである。
それを可能にしている要因として、すでに述べたように課題解決を中心とした学習ということにある。子どもたちはChromebookをもっているしネット接続環境もあるが、このように書架が主題別になっていて、教科と書架が関係づけられているので課題解決がGoogle検索よりも書架に行くというのが自然な行動になっているという。「土台の学び」が「国語」ではなくて「読書家」となっているところが重要である。ここで「読書」というのは要するに書き言葉を使うためのリテラシーのことを指している。つまり、「読む」「書く」が義務教育のもっとも重要な土台であり、それを一貫して追求しているということだろう。上の学年の「1万ページ読書ノート」というのが置いてあったのを手に取ったところ、著者、書名、ページ数が書いてあってこれを累積して1万ページを目指すということのようだ。先に書いたように、ここでの「読み」は国語ないし文学的な読みに限られず、教科との関連付けがされているのが特徴だ。
学校図書館関係者には周知のことだが、ここには専任の司書教諭が配置されるだけでなく、専任学校司書、豊富な専任司書教諭経験のある国語科教員と計3名の学校図書館関係者がいる。教科カリキュラムが図書館資料と結びつくための仕掛け(選書、資料の分類、目録、排架、レファレンス)があるのはもちろんのこと、カリキュラムをつくるところにそれらの人たちが関わっていることが重要である。開校前から教職員がかなりの時間をかけてそうした話し合いを行いカリキュラムをつくったし、開校後も定期的にそうした研修の機会をもっていると聞いた。
日本の学校教育で探究的な学びというときに、協同的学習やグループ発表が強調される。これはアクティブラーニングとも呼ばれるが、本や資料による外部知に対する配慮が十分にないことが問題だと思う。これは歴史的に教師が学びの内容をコントロールすることが教育だという戦前から染み付いた考え方がいまだもって残っていることを示しているのだろう。ここでは最初からそれが払拭されている。岩瀬校長はここはジョン・デューイの『学校と社会』にあるシカゴ実験学校のイメージ図を意識していると明言されていた。つまりこれである(根本『教育改革のための学校図書館』p.10)。
この学校のモデル図はしばしば参照されるが、これが実現できている学校は少ない。この図で重要なのは、経験主義と呼ばれる子どもたちの経験を中心とした学びを実現するのが、学校内のさまざまな教科的枠組みのなかの経験の場(実験室とか調理室とか)や学校外の社会や自然環境のような直接的な体験の場だけではなくて、図書室や博物室、そして外部の大学や図書館、博物館のような知を提示する場における間接的経験も含んでいるということだ。日本の教育学における経験主義はこの部分が無視されている。とくになぜ図書館や図書室かといえば、そこがメタ的な知を提示する場であるからだ。メタ的の意味は学び手が自分で知を展開するための手がかりを提示することを意味する。日本の学校教育は教育行政や教師がメタ的知を支配している。新しい学びはそれを蹴飛ばすところから出発する。その方法的場として図書館を選ぶのである。あるいは図書館に埋め込まれている学校という意味ではこれをさらに展開しているとも言える。デューイの原点に戻り超えようとする発想である。
コーダ
いささか先に行きすぎたかもしれない。がそうなったのは、戦後間もないときに少数の教師が可能性を探った「図書館教育」の実現形がここにあるのかもしれないと感じたからである。一クラスは20数名程度、軽井沢地区に住むことが要件の通学区、私立学校だからかかるそれなりの授業料、義務教育後への接続というような条件や課題があるにもかかわらず、これが可能になったことを祝福したい。そしてここがどのような教育効果を挙げるのかを見守りたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿