2024-04-22

探究を世界知につなげる:教育学と図書館情報学のあいだ

表題の論文が5月中旬に出版されることになっている。それに参加した感想をここに残しておこう。それは今までにない学術コミュニケーションの経験であったからである。

大学を退職したあとのここ数年間で,かつてならできないような発想で新しいものをやってみようと思った。といってもまったく新しいというのは難しいが,少し角度を変えるとか切り口を変えることならできそうだ。その前にやっていた学校図書館研究とアーカイブ思想研究を発展させるとどこかでつながるのではないか。

出版の経緯

ということで,京大にいた川崎良孝氏にお誘いを受けて,「相関図書館学方法論研究会」のシリーズ本《図書館・文化・社会》の第9巻『図書館思想の進展と図書館情報学の射程』(2024年4月刊行,松籟社)に論文「探究を世界知につなげる:教育学と図書館情報学のあいだ」の執筆をした。これはおもしろい経験だった。というのは,以前からこのシリーズが気になっていたからである。何人かの研究会メンバーがオリジナルな論文を発表するものだが,関心があったのはなぜこの形式をとるかということである。

それは2点ある。一つは学術論文の発信の仕方に関してである。通常なら,査読誌に書くべきものなのだろうが,それが単行書の論集本として刊行されている。なぜこの形式をとるのか。やってみて思ったのは,すでに査読誌には何本も書いており,今更そういうものに書く動機付けがそれほどない中堅・ベテランの研究者にとってはこの形式は悪くないということである。シリーズの趣旨の枠内で好きなテーマで書くことができる。それもページ数の制限はゆるやかである。人文社会系の場合には査読誌が要求する制限は少しく厳しく感じ,思ったことが表現できないもどかしさがある。

しかしながら,そうしたある意味で人文系研究者のわがままのままに書いた論文を複数掲載した論集を商業出版社から出版することが可能なのかというのが第二の関心である。これについては,川崎氏の創意と工夫,そしてご好意に感謝せざるを得ない。【以下は筆者の個人的見解によるのであり,本当のところは不明のところもある。】これが松籟社という商業出版社から比較的安価で出版できている理由は,編集プロセスを執筆者の自己編集と当該研究会メンバープラスボランティアのサポートによると考えられる。安価というのは,今回の巻は,A5判233ページの上製本で税抜きで2800円という定価になっている。税込みでも3000円ちょっとというのは,今の学術書のマーケティングを考えると3〜4割程度安いと思われる。

一定のフォーマットが指示されて,それに合わせてMSWordで原稿を書いた。提出にあたっては出版された版面と形式的に同等のものが要求された。もちろんWordなので,編集過程のどこかで印刷のための変換が行われているわけだが,通常,編集者が行うフォントや文字・数字などの形式面の修正をできるだけしないようにという事前の配慮が徹底していた。このことは今後の出版を考えるのに重要である。というのは,従来,人文社会系においては,原稿はかなり乱暴に書いて,校正時に直すというような(悪しき)習慣があった。たぶん手書きのときの慣習がそのまま残されていたものと思われるが,これは編集者にとってかなりの負担になっていたことは確かである。逆に言えば,完成稿に近いものを提出すればそうした余分な作業が省けるわけである。もちろん,最初から完璧な原稿を出すことは難しく,校正の過程でこちらも幾分かの修正を行ったし,川崎氏を通じて抄録や索引の作成や著者紹介執筆の依頼があった。だが筆者の過去の経験から言っても,相対的に編集の手間は少なくて済んでいたものと思われる。つまり,この出版物には編集費の部分が極力抑えられていることが出版できている要因であるし,価格が低く抑えられている理由でもある。

ということで図書出版が難しくなっていると言われるなかで,こういう手法で学術出版が可能なのだということを知った次第である。ただし,これは要するに同人雑誌を商業図書として出版するということであるから,可能にするための条件はそれなりに厳しいだろう。まずは,論文の質ということである。これが学術的にも商業的にも一定レベルを超える質的条件を備えている必要がある。質的条件についてそれが何なのかは書いた当事者であるし,今のところはコメントできない。商業的条件で編集費用の低減については上に書いたとおりだが,たぶん,これが図書館関係書であることから一定数の図書館で購入してもらえそうということも大きいようにも思われる。質にも関わるが,先に述べた執筆の要件を満たすことができる書き手が揃うことも重要な要件だろう。要するに,編集の手間を減らすためには最初から編集のある部分を執筆者が担うことが必要となる。

論文について

学校図書館研究とアーカイブ思想研究をつなぐという構想は自然に出てきたものである。もともとルーツは一緒であり,表現の局面が違っていただけである。今回は,戦後新教育における学校図書館の位置付けをジョン・デューイの探究思想に求め,それが,政治思想史や教育思想においては,西洋のアーカイブ思想におけるクリティックや文献学という形をとると説明されていたものに対して,図書館情報学的な研究の蓄積を対置させて論じた。抄録と目次を示しておく。

【抄録】
学校図書館を理論的制度的に位置付ける作業の一環として、学校図書館が知を媒介する作用をもつことを示す(図書館)情報学的な理論装置を検討した。その際に、ジョン・デューイの道具主義的教育論の基底にある探究(inquiry)概念が世界知(accumulated wisdom of the world)への志向性をもっていることに着目し、それを,レリヴァンス(relevance),データ・情報・知識・知恵のヒエラルキー(DIKWピラミッド)、ドキュメントと書物の関係、読者反応理論とメタファーとしての知、客観的知識論とドメイン分析、社会認識論(social epistemology)の6種類の理論装置から検討する方法をとった。最終的には、ドメインとしての学校における知識組織のあり方を分析することにより、世界知への方向付けをもったカリキュラム構築の一助になることを述べた。(本書 p222-223.)
 
【目次】
はじめに
1. デューイから始める学校図書館
1.1『学校と社会』の学校図書館
1.2 図書室が学習の場とされる理由
2.学習者と世界知をつなぐ
2.1 探究と世界知
2.2 系統主義の教育学
2.3 21世紀の教育課程の課題
3 図書館情報学のアプローチ
3.1 方法的概念としてのレリヴァンス
3.2 データ,情報,知識,知恵
3.3 ドキュメント
3.4 読者反応理論と知のメタファー
3.5 客観的知識とドメイン分析
3.6 社会認識論の可能性
4.探究を解明するための知識組織論
おわりに 

これ以上は,読んでいただくほかないが,「探究」と「世界知」をつなぐ道具立てについて,20世紀後半から21世紀にかけて欧米で議論されてきた6種類の理論装置を用いて説明している。これらは,日本では散発的に紹介されたにすぎず,それも関心をもった研究者が一時的に論じただけである。全体像および現在の理論水準についてはまったく議論されたことはなかった。本稿では,そうしたものについて,筆者の目から見て使えそうなものを整理して提示することにした。

筆者がアカデミアに入ってすぐに惹かれた書誌コントロールの理論家にジェシー・シェラやパトリック・ウィルソンがいたが,今回関連してドン・スワンソンの業績もまたその系列でとらえ,全体像を把握しただけでなく,そうした議論が現在の社会認識論につながることについても見通しを得た。また,米国の情報学とヨーロッパのドキュメンテーションをつなぐ理論家として知られるマイケル・バックランド,生涯を通じてレリヴァンス論を柱に情報学を追求してきたテフコ・サラセヴィック,論理学的思考を導入することで図書館情報学の可能性を拡張しようとしているマーティン・フリッケ,そして,デンマークで多様な情報学ツールを一つのステージで整理しようとするビルギャー・ヨーランドらが学術的基盤をしっかりとつくってきたことが現在の情報学進展のバネになっていることを理解できた。さらには,図書館情報学が,スティーヴ・フラーらの社会認識論やルチアーノ・フロリディの情報哲学,ルイーズ・ローゼンブラットの読者反応理論などと関連していることや,より基盤的な分野として,カール・ポパーの客観的知識論,ジョン・デューイの教育哲学やアルフレッド・シュッツの現象学的社会学とのつながりがあることを確認できた。

ここで紹介した理論装置は(図書館)情報学という領域がもつ可能性を示すものであるが,実は多くが筆者よりもさらに年長の研究者によって展開されたものだ。特に,20世紀後半から21世紀早々の時期に活躍したバックランド,サラセヴィック,フリッケ,ヨーランドらの知見に啓発されて,知識資源システムという大枠を設定し,ドキュメントやアーカイブ,レファレンス,レリヴァンスといった概念を再検討して,図書館情報学を進展させるための分析ツールとした。そうしたものを日本に紹介することは,本来,筆者を含めた同世代の研究者に要求されたことだったはずだが,ほとんどできていなかった。これはまったく恥ずべきことだったとは思うが,領域が広大で多様な議論が多様な方法をもって論じられていたことに気づくのが遅れ,対応できていなかった。

現在,この論文をさらに展開した形での著書を準備中であり,近い将来刊行される予定である。もとより筆者個人の能力の限界故にできることに限りがある。その意味で,今やっていることは今後の研究者に引き継ぐときに道しるべとなればいいという程度のものとして展開しているのである。

謝辞

本論文の執筆にあたっては,機会をくださった川崎良孝氏および相関図書館学方法論研究会の皆さんに御礼申し上げたい。



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