2024-03-29

読書アンケート2023:識者が選んだ,この一年の本

昨年まで,月刊『みすず』の1/2月合併号というかたちで出ていた「読書アンケート」が今年から,単行書『読書アンケート2023:識者が選んだ,この一年の本』というかたちでまとめられるようになった。今回は139人が寄稿しているそうだ。私が選んだ本を他の人が選ぶことはこれまでなかったと記憶するが,今回は1の日野さんの情報公開の本を選んでいる人がいた。丘沢静也さんというドイツ文学の方だ。それが読み方が私のと似ていて,この本は何よりも著者が情報公開請求を厭わずに繰り返している様子が描かれ,多くの人が情報公開請求をすればお自ずといろんなものが変わってくるという点を強調している。口先の批判は誰でもできるが,それを汗をかいてするのかどうかが大事だという点は肝に銘じたい。

3月も終わろうとしているので,私が書いたものをここに公開する。


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根本彰(図書館情報学,教育学)


1. 日野行介『情報公開が社会を変える:調査報道記者の公文書道』筑摩書房,  2023 (ちくま新書)

 情報公開制度は20世紀末に地方自治体から始まり,2001年に公文書公開法ができ,2011年に公文書管理法ができて国の制度が整った。この制度により,公的機関が自らの意思決定過程を明らかにして行政手続きの透明度を増すことが期待されたが,実際にはその通りになっていない。長年,新聞社でこの制度を活用して調査報道を行ってきた著者は,これを利用するコツを懇切丁寧に語ってくれる。敷居が高いように見える制度も基本的には使いようであり,多くの人が使って調査や研究を行うことで開かれた政府の実現という当初の目的が実現されるはずだと言う。

 それにしても,著者が苛立ちをもって語る行政の「知らしむべからず」の体質は,個々の担当官の判断を超えて組織に染み付いているもののように思われる。

2. 八鍬友広『読み書きの日本史』岩波書店, 2023 (岩波新書)

 幕末に日本を訪れた西洋人が,江戸市中でふつうの庶民が本を読んでいるのを見て驚いたという手記がたくさん残され,日本人のリテラシーが高いことが言われてきた。しかし,本書は書物にはかな文字による往来物と呼ばれる読み本と,漢字読み下し文(漢文訓読体)のものとがあって両者を区別すべきであるという。つまりリテラシーと社会階層は関連しており,高いリテラシーは前者についてあてはまるが,後者は必ずしもそうではない。これは上記の体質と密接に関わる。

 再編集版として刊行された岡田英弘『漢字とは何か:日本とモンゴルから見る』(藤原書店, 2021)によると,中国の歴代王朝は漢字をもって全土統一を果たしただけで,地方の話し言葉はばらばらだった。東アジアにおいて書き言葉が統治のツールだったことは確かだが,明治の言文一致ナショナリズムはむしろそれを強めたのではないか。書き言葉を操るエリートが国家を運営し,庶民は教科書で与えられた範囲の知の下に日常を生きるという枠組みは,時代を超えて現在に及んでいる。

3. 渡邉雅子『「論理的思考」の文化的基盤:4つの思考表現スタイル』岩波書店, 2023

 21世紀になってから,文部科学省は教育課程に総合的学習の時間や探究学習を取り入れた。「主体的対話的で深い学び」は現行学習指導要領の合い言葉になっている。だが,そこではどのような人間像が想定されているのだろうか。本書は,「論理的に書く」行為が日本,アメリカ,フランス,イランの4カ国でどのように違うのかに焦点を当てた,これまでにない国際比較研究の成果を示してくれている。日本の子どもたちの行為の特徴を挙げれば,感想文や小論文の執筆指導を通じて,社会のなかで間主観的な「共感」を表現することが強調される。これは大正自由教育以来の綴り方や戦後の作文教育から何も変わっていない。日本の国語教育は漢字の読み書きができるところで止まっていて,その先にそれをどのように使うか,使ってどうするのかの議論がないように思える。

4. デニス・ダンカン(小野木明恵訳)『索引 〜の歴史:書物史を変えた大発明』光文社, 2023

 読む行為に解釈の揺れや幅があるのは当たり前である。主体的に学ぶには批判的な読みは避けられないが,学校で「批判」は避けられやすい。本書はイギリスで出た「索引」をテーマにした本であるが,この本から読み取れるのは,索引をつける行為は批評の第一歩だということである。索引は,書物の内容に分け入って言葉を分析し情報を取り出しやすくするためのツールである。索引が必要になるということは,書き言葉の言説空間に参与するのに共感だけではなく,批評・批判の精神を合わせもつべきことを示唆している。

索引作成は索引家(indexer)と呼ばれる専門家が請け負うことが多い。実はかつてイギリスに倣って日本にも日本索引家協会という団体ができていた。1977年に設立され1996年に解散してしまったのだが,少々早まったのではないか。というのは,こういう本の翻訳が出るのは,サーチエンジンや生成AI全盛の時代のアンチテーゼでもあり,今,索引家のような言葉の達人が求められていることを示すのだ。(「TBS系列テレビ番組「プレバト」を見ていて,俳人と索引家の共通点と違いに思いを致した。)


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