2022-05-24

図書館市場についてのケーススタディ

本日、郵便物で「岩田書院新刊ニュース 集成版 2021.6-22.04」という冊子が送られてきた。歴史書の出版社岩田書院の新刊の案内DMなのだが、これに「裏だより」というのがついていていつもつい読まされてしまう。この出版社は社主岩田博氏が『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏 』(無明舎)という本を書いているように、一人で経営していること、そしてその舞台裏を明かしながら経営していることが特徴だ。『地方史研究』とか『アーカイブズ学研究』といったときどき見ている雑誌はこちらが版元だったとは今日この冊子をまじまじと読むまで気づかなかった。

今回の「裏だより」に「品切れ続出」という記事がある。出したばかりで品切れになってしまった図書が4点挙げられている。もっと売れたはずなのに売り損ねた本という扱いだが、そこで注目したのはそれぞれに刷り部数が書いてあることだ。以前から出版の経済学の必要性を唱えていたが、部数と価格の関係とそれが図書館でどのくらい購入しているのかが気になっていた。そこで、試しにということで2021年8月に出て3ヶ月で品切れになったという、倉石あつ子『蚕を養う女たち―養蚕習俗と起源説話』という本を取り上げて図書館蔵書を調べてみた。A5判上製本253ページで、価格は税別で5600円の本である。

内容的には最近多い女性民俗学の学術書で、類書に沢辺満智子『養蚕と蚕神:近代産業に息づく民俗的想像力』(慶應義塾大学出版会,2020.2)がある。著者倉石あつ子氏は跡見学園女子大学文学部教授を経て、安曇野市豊科郷土博物館、新市立博物館準備室という経歴がおありで、同じ民俗学の倉石忠彦氏が夫君だそうだ。

3ヶ月で品切れになったというこの本の刊行部数は、「裏だより」によると300部である。そのなかで図書館がどの程度購入しているのかを調べるというのが今回の課題である。ツールはカーリルを用い、CiNii Researchで補う。実際やってみて、カーリルは大学図書館についてもほぼ網羅していてCiNii Researchでしか検索できなかったのは2館のみだった。たぶん、今日たまたまWebOPACのシステムかAPIインタフェースが不調だったのだろう。

結果であるが、蔵書にしていた図書館は計173館で、内訳は県立31館、政令市5館、市町村立78館、大学図書館59館であった。300部に対する図書館での購入割合は57.6%であった。全体的な傾向は東日本の県が所蔵しやすく、西日本だと県立のみ所蔵かまったく所蔵していないという感じだった。養蚕というテーマからそうなるのだろうか。

興味深かったのはカーリルを都道府県別に検索していって、目立って所蔵する図書館が多かったのが群馬県と長野県だったことだ。隣接県でも県立図書館が所蔵し他は1〜2館しか所蔵してなところが多いのに、群馬県は8市町、長野県は県立プラス19市町で所蔵していた。その理由は明らかで、著者が長野県安曇野市の博物館にかかわっておられること、また、本書に長野県だけでなく群馬県の養蚕についての記述があることからくるのだろう。これらの県の図書館にとっては地域資料にもなる。

この数字をどう評価すればいいだろうか。こうした本だと公共図書館でもあと数十館購入しそうな気がする。また、大学図書館が59館しかないのは少なすぎると思う。おそらく大学図書館は公共図書館に比べて対応が遅く予算執行の関係で年度末になることもあり、購入したくとも買えない状況になっているところが多いのではないか。図書館市場で少なくともあと100部は売れたものと思われるが、それでも増刷まではいかないのだろうか。

出版市場の刷り部数データは一部のベストセラーを除いて公開されないものが多いが、岩田氏がデータを公開してくれたおかげでこういう考察が可能になる。他の本についてもやってみたい。また、異なったタイプの出版物についても同じようにやってみるといいだろう。そのためには出版社の協力が必要だ。

また、過半数が図書館で購入されていることが改めて分かった。しかしそれは刷り部数が300部という少部数だからだが、逆に言えば図書館が重要な市場でありこうした少部数出版を支えていることを示唆している。カーリルは書誌を検索すると貸出中かどうかも分かるのだが、これだけ所蔵されていても借りられていたものは10点もなかった(うろ覚えだが、そんなに違ってはいない)。つまり、これらは図書館が購入するから売れないという類いの図書ではないだろう。同社の出版物はすべて注文制で書店の店頭に並ばないという。とすれば現物を見るためには図書館に行く他ない。個人的経験からも、図書館の資料を借りて中身を確認してから購入した本は少なくない。その意味で、前に書いたように土浦市立図書館の蔵書には助けられている。少部数の学術出版物は図書館市場によって成り立つ出版物と言ってよいのではないかと思う。





2022-05-23

科研「「知の理論(TOK)」に基づく学校図書館モデル構築の研究」の成果報告

3年間にわたる科研による研究成果の報告をしておきたい。

SLILのHPのこれまでの活動のなかにも同じものが掲載されている。また、そちらには、この科研で3人の研究協力者に国際バカロレアの学校図書館向けワークショップに参加していただいたときの記録が掲載されている。それは他にない貴重な記録なのでぜひご覧いただきたい。



研究課題:「知の理論(TOK)」に基づく学校図書館モデル構築の研究

研究課題/領域番号:19K12721

研究種目:基盤研究(C)

審査区分 小区分90020:図書館情報学および人文社会情報学関連

研究代表者:根本 彰

研究期間 (年度) 2019-04-01 – 2022-03-31

https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-19K12721/


<概要>

国際バカロレア・ディプロマプログラム(IBDP)が学習者自身による探究学習を重視し、そこに学校図書館の支援を位置付けていることが日本の探究学習の実施にどのような示唆を与えることができるのかについて基礎的な研究を行った。IBDPの思想的背景、そのカリキュラム構造、日本の学校図書館の教育行政上の位置付け、戦後教育における図書館教育の類似性などについて検討し、また、IBDPと学校図書館の関係についての翻訳書を出版し公開シンポジウムを実施したことで今後の発展的研究につなげる基盤をつくることができた。

<本文>

1.研究開始当初の背景

 学校図書館法が1997年、2014年に改正されて、学校図書館の整備は進んでいるが教育課程との関係は曖昧にされたままである。一方、国際バカロレアの中心には探究学習(inquiry_based learning)があり、探究学習を実施する際には学校図書館の利用と図書館員の教育支援を重視している。2013年5月の教育再生実行会議第3次提言に、国際バカロレア導入校の大幅な増加(200校)を目指すことが記載され、同年に文部科学省と国際バカロレア機構 (IBO) との合意により、「日本語と英語によるデュアルランゲージ・ディプロマ・プログラム」(日本語DP)が導入された。国際バカロレアは2010年代後半に本格的にとりいれられ始め、現在、学校教育法第一条で定義された学校(一条校)でIBプログラムを導入している日本の学校は50校ほどある。また、2021年から実施の新しい学習指導要領には高校の総合的探究の時間をはじめとして「探究」を大幅に取り入れることになっている。このように、探究学習についての動向の変化があり、そこで学校図書館の支援をどうすすめるかの検討可能な状況がつくられつつある。

2.研究の目的

 国際バカロレア・ディプロマコース(IBDP)は高校の2年、3年レベルの教育カリキュラムを提示するもので、そこには教科にあたるものとは別にコアと呼ばれる3つの科目がある。そのうち、TOK(知の理論)とEE(課題論文)の在り方を分析し、日本に適用可能な学校図書館を用いた学習カリキュラムを明らかにすることを目的にする。TOKは、知識を獲得する方法について学ぶコースであり、複数の知識領域を題材にして、認識論、学問史、科学方法論、科学社会学などによる知の究明の方法を学ぶが、その際に、エッセイ執筆およびプレゼンテーションが義務付けられているので図書館が支援を行うことが多い。EEはテーマを自分で設定して研究を行いそれを小論文にまとめ、プレゼンテーションを行うものである。こちらは教員だけでなく図書館員が指導することも多い。この研究では、IBDPがなぜこのようなコア科目を導入するのかを明らかにするために、背景にある西洋思想史を明らかにし、実際にどのようなカリキュラムが組まれ、どのようなシラバスの展開があるのかを調査する。また、IBDPが学校図書館をどのように位置付けているのかを明らかにし、日本のIBDP校および一条校での運用の可能性について検討する。さらには、IB校に限らず一般の学校で導入されつつある探究学習に対して、IBDPのTOKやEEが示唆するものを考察する。

3.研究の方法

 文献調査、英語文献翻訳、IBDP関係者との協働作業、連携研究者による国内のIBDP校の調査、公開シンポジウムの開催など複合的な方法を組み合わせて行う。当初、IB本部(ジュネーブ)での聞き取りやヨーロッパのIBDP校の見学とインタビューを予定していたが、ちょうどコロナ禍と重なって海外調査ができなかったので国内で可能なことに切り替えた。

4.研究成果

1)背景の思想研究 国際バカロレアは1968年にジュネーブで始まった。最初のディレクターであったオックスフォード大学の教育学者A. D. C. Petersonの著書Schools Across Frontiers, 2nd ed(2003)によれば、IBDPのカリキュラムは西洋の伝統的な人文主義(humanitas)の要素を色濃くしている。そこで、西洋の人文主義の系譜を整理しそれが日本の教育思想、図書館思想とどのような関係にあるのかについて『アーカイブの思想』(文献3)にまとめた。また、人文主義と図書館の思想および技術がどのような関係にあるのかを明らかにするためにさらに文献2、5、6、8、14、16の研究を行い発表した。

2)学校図書館史研究 日本では戦後占領期に学校図書館は経験主義教育を支援することで注目されたが、まもなく教育課程自体が系統主義教育に切り替えられた。このため十分な人の手当も行われないままに長く読書施設とされたことに対する理論的な批判をするために行っている。以前から行ってきた学校図書館史研究をまとめて文献1として東京大学出版会から刊行し、併せて文献7、9、12の検討を行った。12は論文として学会誌に投稿中である。それ以外に、学校図書館史の論文(「戦後学校図書館のマクロ分析」「深川恒喜研究のための予備的考察」)を投稿中であり、さらに1本(「戦後新教育における初期図書館教育モデル」)を準備中である。

3)IBDPカリキュラムと学校図書館の関係 国際バカロレアのカリキュラムがどのように学校図書館に関わるのかを明らかにするために、カリキュラム構造の分析ととくにTOKがどのように実施されているのかをIB公式文書を用いて明らかにした(文献10、13)。

4)アンソニー・ティルク『国際バカロレア教育と学校図書館』の刊行と公開シンポジウムの開催 国際的に学校図書館をIBDPに位置付けるための理論的実践的活動を行っているティルク氏の著書の日本語版の翻訳の監訳を行い、2021年9月に学文社から刊行した(文献4)。また、2021年11月23日にティルク氏の講演を含めて、IBDPと学校図書館をテーマにした公開シンポジウムをオンラインで開催し、150人以上の参加者を集めた。シンポジウム記録はネットで公開している(https://sites.google.com/view/slil-inquiry/past)。

5)連携研究者によるワークショップ参加報告と国内IBDP校の図書館調査 IBアジア太平洋地域支部が開催するワークショップに連携研究者3名が参加し、その結果を報告した(SLILのHP)。また、連携研究者が国際バカロレア認定校学校図書館の調査を行い、その結果の一部を学会で報告した(文献11)。これは学会誌で発表予定である。

6)今後の研究継続のための研究会発足 上記の翻訳と公開シンポジウムチームによってSLIL(School Library for Inquiry Learning)という研究会を立ち上げ、探究学習と学校図書館との関係を中心にして国際バカロレアも含めた研究を継続することにした(https://sites.google.com/view/slil-inquiry/home)。


5.主な発表論文等

[図書]

1.根本彰『教育改革のための学校図書館』東京大学出版会, 2019.7

2.根本彰、齋藤泰則編『レファレンスサービスの射程と展開』日本図書館協会, 2020.2

3.根本彰『アーカイブの思想ー言葉を知に変える仕組み』みすず書房, 2021.1

4.アンソニー・ティルク著(中田彩・松田ユリ子訳、根本彰監訳)『国際バカロレア教育と学校図書館:探究学習を支援する』学文社, 2021.9

[図書の一部]

5.根本彰「4章 レファレンス理論でネット情報源を読み解く」根本彰、齋藤泰則編『レファレンスサービスの射程と展開』日本図書館協会, 2020.2

6.根本彰「6章 知識資源のナショナルな組織化」根本彰、齋藤泰則編『レファレンスサービスの射程と展開』日本図書館協会, 2020.2

[雑誌論文]

7.根本彰「教育改革と学校図書館の関係について考える」『図書館雑誌』vol.113, no.12, Dec. 2019, p.792-795.

8.根本彰「知識資源システムとは何か(図書館と知識資源の新たな動向)」『三色旗』No.836, 2021.6, p.31-38.

[口頭発表]

9.根本彰「日・米・仏のカリキュラム改革史における学校図書館政策」『2019年度日本図書館情報学会春季研究集会発表論文集』日本図書館情報学会, 2019. p.71-74.

10.根本彰「国際バカロレアと学校図書館との関係」日本図書館情報学会研究大会 2020年10月4日

11.高松美紀「日本における国際バカロレア認定校の図書館の実態」『2021年度日本図書館情報学会春季研究集会発表論文集』日本図書館情報学会, 2021. p.39-42.

12.根本彰「戦後学校図書館のマクロ分析」日本図書館情報学会研究大会、熊本学園大学 2021年10月16日

13.根本彰「IBDPの「知の理論(TOK)」「課題論文(EE)」が図書館情報学に示唆するもの」三田図書館・情報学会 2021年11月13日

14.根本彰「図書館のアーカイブ機能とは何か」『大阪公共図書館大会記録集第68回 テーマ「「コロナ時代」の図書館運営』大阪公共図書館協会, 2021. p.50-51.

[その他]

15.新聞インタビュー 『朝日新聞』2021年4月4日(土)朝刊11面「(耕論)「国語を学ぶ」とは 渡邊峻さん、根本彰さん、ロバート・キャンベルさん」

16.「アーカイブと図書館を知り、よりよく活かす 対談=根本彰・田村俊作『アーカイブの思想』(みすず書房)刊行を機に」『週刊読書人』2021年4月9日


2022-05-16

「学校教育情報化推進計画(案)に関する意見募集の実施について」への意見

 「学校教育情報化推進計画(案)に関する意見募集の実施について」(https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000235000)の締切が5月20日ということなので遅ればせながら、ぎりぎりで意見を送ろうと思い作文しました。(5月16日)

第1改訂 第3段落目の「理由」を加え、部分的に修正しました。(5月17日)

第2改訂 理由の7)の挿入を初めとした部分的修正をしました。(5月19日)

最終 文章を整えて提出しました。(5月20日)

ーーーー<最終案>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

図書館の研究者です。『情報リテラシーのための図書館』(みすず書房, 2017)『教育改革のための学校図書館』(東京大学出版会, 2019)などの著書があります。

【提案の骨子】

「学校教育情報化推進計画(案)」について、公立図書館と学校図書館とを統一的に学習情報資源提供の場と捉えて、すでに存在する情報資源、資料や人的資源とを統合的に活用する条項を含めることを提言します。

【推進計画の問題点】

現在、学習者自ら情報を探索しながら問題解決を行う探究学習が、さまざまな教科や学習の場で必要とされています。そのため、学校教育の情報化においては、ICTのネットワークや端末機器の整備に加えて、そこで提供するコンテンツの整備、収集・選択、提示が必要になります。しかし、推進計画では、「③デジタル教材等の開発及び普及の推進、教科書に係る制度の見直し」で触れられている程度で、インターネット上のコンテンツや図書館資料を学習情報資源として活用することが想定されていません。これはデジタル学習教材を開発すればすむことではなくて、重大な見落としだと考えます。

【本提案の背景】

戦後、文部省においてそうした学習情報資源の扱いを視聴覚教育やメディア教育と位置づけましたが、これをどこで扱うかで初等中等教育局と社会教育局のあいだで取り合いをしていたように見えます。結局、社会教育局に視聴覚教育課ができたことで一旦は市町村単位に視聴覚教育センター・視聴覚ライブラリーがつくられます。自治体単位にセンターを設け、そこから機材やメディアを学校に貸し出す方法をとったということです。しかし、視聴覚メディアは各学校でも放送教育とか学校図書館でも扱っており、中途半端なままにICT時代を迎えました。2018年の文科省の組織改革の際に生涯学習政策局(社会教育局の後身)情報教育課(視聴覚教育課の後身)は初中局に情報教育・外国語教育課として移り、さらに2021年にそれは修学支援・教材課と名前を変えました。情報メディア教育は全省一丸となって実施するというのが理由と聞いています。

他方、戦後まもない時期から視聴覚資料を学校図書館で扱い、そこにメディアスペシャリストとしての図書館員を配置する構想がありました。文部省の初代の学校図書館担当官深川恒喜氏(その後東京学芸大学教授)はこの構想を晩年に至るまでずっと主張し続けています。それは、アメリカでスプートニクショック(1957)以降、学校図書館は読書のセンターではなくメディアセンターとして位置付けられたからです。アメリカでは創造的な科学教育は、教員による課題解決型の学習法の提示とメディアスペシャリストたるライブラリアンによる教材資料の収集提供の組み合わせによって可能になるという考え方がありました。

ここで提案する情報教育の拠点としての学校図書館という構想は私の独断ではなくて、かつて初等中等教育局「情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進などに関する調査研究協力者会議」の最終報告「情報化の進展に対応した教育環境の実現に向けて」(1998)およびそこにある二つの図「学校内の情報化と教育ネットワーク「学校内の体制と外部からの支援体制」で示されました。今回の提案はそれに、公立図書館との統一的運用のアイディアを加えたものです。最終報告では司書教諭がメディア専門職とされていましたが、担当部門が総合教育政策局に移り、学校図書館法が改正された現在では学校司書がその役割を果たし、司書教諭は教育課程との橋渡しをするとした方が現実的です。2000年代には「学校図書館情報化・活性化モデル地域推進事業」が実施されてこの方面の可能性を検討しているはずです。

【提案の理由】

今、日本でも従来の系統主義から探究学習の導入へと舵を切ろうとしているときに、同様に教育課程を支援するライブラリアンの存在が不可欠になります。そしてその支援方法にデジタル教材の提供も含みます。日本でも本格的にICT教育を実施することが必要になったときに、それを自治体を単位として統合的に管理できるように図書館をベースにした地域教育情報センターを設置し、学校図書館とネットワークで結んで自治体単位の情報メディア業務を推進すべきです。その理由は次のとおりです。

1)文部科学省においては、公立図書館、学校図書館行政が総合教育政策局地域学習推進課の下にあって統一的に扱いやすい。

2)探究学習で必要となる学習資源は公立図書館の蔵書として豊富に蓄積されている。電子書籍の導入も進んでいる。公立図書館と学校図書館はもっと密接に関わり、併設ないしは統一的に運営することも視野に入れやすい。

3)公立図書館は従来の印刷メディアあるいはパッケージメディアからデジタルメディアとのデュアルモードによるサービス体制を志向している。どちらかだけでなく両方の学習資源を提供するためのノウハウがある。

4)公立図書館は当該地域の地域資料のデジタルアーカイブ化を進めていて、これが探究学習のための学習資源として有効なケースが少なくない。

5)図書館司書は単なる資料の管理者ではなく、レファレンスサービスを行う資料やメディアの専門家として、学習者が探究学習を行ったり教員が学習資源を利用した授業を行うときの助言者、支援者になることができる。

6)学校図書館にも学校司書(ないし司書)が配置されるべきであるが、人件費他の関係ですべての学校にフルタイムの専任スタッフが配置できないとしても、自治体を単位にして公立図書館と学校図書館のスタッフを計画的に配置することができる。

7)新聞記事データベースやジャパンナレッジのような学習用のオンラインデータベース、電子図書館システムなどのデジタル情報資源は、すでに自治体単位で契約しているところも少なくないが、公立図書館と全学校図書館をまとめて契約をしたほうがシステムの保守管理等も含めて運用しやすくまた経済的である。

8) 著作権法31条1項では図書館資料の私的利用のための複製を可としているがその場合の図書館に学校図書館は含まれていない。また、昨年改正されて加えられた同法31条2項により、雑誌記事等の資料を公立図書館からメールの添付ファイル等で取り寄せることも可能になった。これらの点から、学習者が自ら利用するのに学習資源を外部に求めようとすれば、公立図書館に頼ることが増えることは間違いない。

元にした最終報告はすでに四半世紀前のものですが、基本的構図は何ら変わっておらず、デジタル化が進展した現在ではむしろ実現しやすくなっていると言えるでしょう。今回、強調したいのは、国会図書館がジャパンサーチやデジタルコレクションの公開などでデジタル化で先行しているように、図書館はICT活用のノウハウをもっているということです。これまで学校図書館はそこから取り残されていた感がありますが、公立図書館と一体的に運用することで大いに可能性が広がるものと考えます。





2022-05-15

早坂信子『司書になった本の虫』を読む


早坂信子『司書になった本の虫』(郵研, 2021)を昨年のうちに著者からいただいていたので、遅くなったがここに感想を書いておこう。感想というよりも本書を読んで考えたことと言ったほうがよいだろう。

早坂さんは1969年に宮城県立図書館に司書として採用され、37年勤めて2006年に退職した根っからの司書である。今でも本の虫が図書館に勤めるケースは少なくないだろうが、まず司書職採用が減っているから司書で勤め上げられる人がかなり減っている。まして公務員改革で法的な根拠のない専門的な職種は減らす方向にあるから、全国的に見てこういう働き方がかなり制限されることは間違いない。司書採用の人もどこかで管理職になるために他の部門に移ることを余儀なくされることもあり、そういう人はいずれ図書館に戻ってくるとしても、図書館だけにいる専任司書といえる人はほんとうに少なくなった。

そういう彼女がご自分がやられてきたことを振り返りながらも、それを近代日本の歴史的文脈のなかに位置づけた書物論、図書館論になっている本である。その期間は1970年代から1990年代という公立図書館の現代的発展期にぴたり重なっている。この時期の県立図書館で何があったのか。本書はかつて図書館にあって今はないものの話しから始まっている。製本、古書筆写、目録カード、図書台帳、押印・背ラベル、請求記号付与、マイクロフィルム撮影といったものが挙げられている。もちろんこのなかで目録カード、図書台帳、押印・背ラベル、請求記号付与は現在は図書館システム上での作業に置き換わっていて仕事そのものがなくなったわけではないが、MARCとシステム導入によって図書館員が資料そのものに向き合う機会はだいぶ減っている。製本、古書筆写、マイクロフィルム撮影もなくなったわけではないだろうが、図書館員自体がやることは稀だろう。外注するなり、デジタル複写で代替するなりの方法が採用される。

彼女が図書館員であった時代は図書館システム導入を進めそれによって仕事が軽減化された時代であった。彼女自身もシステム設計にも関わり、その移行の過程を直接知っている。と同時に、図書館員が資料そのものを直接手に取り検討する過程がなくなっていった状況についてもご存じであり、それに伴う図書館界の変貌に対して批判的であることも確かだ。だから、本書は図書館員がいかに資料に向き合うべきなのかを訴える後身への伝言となっている。

そのなかでは、たとえば、彼女が先輩から口酸っぱいほど言われたこととして、宮城県立図書館の蔵書が空襲で焼かれたことに対する責任ということがある。戦前の宮城県図書館は全館レンガ造り三階建ての書庫に13万冊の貴重な蔵書が置かれていた。そのなかには古典として養賢堂(仙台藩の藩校)本や藩から県庁に引き継ぎ移管された本などの貴重書が多数あったのだが、そのうち5千冊だけは疎開させたが残りは1945年7月10日の仙台空襲で全焼した。それはもちろん米軍の非軍事施設を対象にした無差別攻撃という文明に対する罪をまず第一に非難しなければならない。しかし、戦後の図書館員はむしろアメリカから恩恵を受けた面が強いからそのことについては忘れ、自らが救出できなかったことに対して後悔の念を強くもっていたという。それだけ管理する資料に対して強い責任感をもっていたからだ。

彼女がご自分の研究テーマとして、仙台藩の青柳文庫をはじめとして個人文庫に関心を寄せるのも、それぞれの文庫に収められた資料は単なる印刷本の集合体ではなくて集められた来歴とその後使用履歴が負荷され、全体として知的な営みがあることの重要性を感じているからである。青柳文庫は、仙台出身の商人青柳文蔵が、仙台藩に書籍3千部1万冊と文庫開設資金1000両を献上し、それを広く活用させるために藩の医学校があった場所に公開の文庫として設けたもので、明治以前に日本にあった公共図書館的機関として重要なものであった。

自らの研究テーマをもって研究することで資料への関心が深まるというのはかつての図書館員にとって普通のことだったが、これに対して1970年代以降の図書館員たちは批判的だった。最近でこそようやく郷土資料や地域資料に関心が向き、また、近世の文庫や戦前の図書館にも眼を向け始めているが、あまりにも高度成長以降の機能主義的図書館論に惑わされてきたのではないか。その機能主義にシステム化が加わると、周りの者からは図書館員の仕事は矮小なものとしてしか映らない。だから、何よりも資料の収集、保存、提供の一連の過程で資料に対峙することが重要である。この本から資料の専門家であることの重要性というメッセージを読み取ることができた。ここで資料というのは、デジタル化とまったく矛盾しない。デジタル化以前と以後、あるいはボーンデジタルも含めた資料(すなわちコンテンツ)そのものに向かい合わなければ専門職とは言えないだろうと思う。

全体としては日本の図書館に巣くうアンチインテレクチュアリズムに対する警告と受け止めた。先に書いたような専門職司書が減った理由が、日本社会全体がとくに新自由主義を背景にこのアンチインテレクチャリズムに走ったことにあり、図書館員も遺憾ながらそれに乗ってしまったのだろう。このテーマは私も別の関心から強い危機感をもっている。そのことについてまた書きたい。


2022-05-13

世界の図書館写真集

本日(2022年5月13日)の朝日新聞(東京版)朝刊の1面の下、いわゆる三八広告の一番右側に柏書房の広告があり、2冊の新刊書の1冊がリチャード・オヴェンデン著『攻撃される知識の歴史』という本だった。この本の副題は「なぜ図書館とアーカイブは破壊され続けるのか」である。そういえば最近他にも、ロバート・ベヴァン 著『なぜ人類は戦争で文化破壊を繰り返すのか』(原書房)という本が出ている。明らかに、今ロシアによるウクライナ侵略で起きていることの裏側で知識、文化破壊が行われていることに対する警鐘であろう。



オヴェンデンという著者にはあまりなじみがないが、英国オックスフォード大学の中央図書館であるボドリアン図書館の館長である。大図書館の館長は専門職でないことも多いが、この人は英国の複数の図書館に勤めてからボドリアン図書館に移ったきっすいの専門職図書館員である。書物の書誌学的な研究があるようだ。

類書としてフェルナンド・バエス著『書物の破壊の世界史』(紀伊國屋書店)という本があった。700ページもある大冊である。この本の帯に「50世紀以上も前から書物は破壊され続けている」という文言があり、はっとさせられた。西洋の歴史は古代オリエントから始まっているとされるが、要するに考古学や歴史学の対象として証拠となるものによって展開されるので、証拠となる書物が破壊されていることにも敏感になるわけである。書物の破壊は逆に言えば書物が残されたこととの対比で語られる。だからこそ図書館が果たす役割が重視されるのである。バエスの著書は図書館もまた歴史的には書物を破壊する側にも廻っていたことを明らかにしている。

書物の保存と書物の破壊は相互関係の下で語られるべきなのだ。ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』はアリストテレス『詩学』の第二部は失われたものとされていたのに修道院の図書館が密かに隠していたことをテーマとするフィクションである。中世のキリスト教世界ではその教えに反する書物は外に出せないからで、それは実際にあったことだ。つまり、書物を世に送ることと隠すことの両方が可能な図書館という西洋思想史の陰の側面が浮かび上がる。

私はかつて『場所としての図書館・空間としての図書館』という本を出して、欧米の図書館が都市や大学における知的インフラとして重視されてきたことについて、現地を訪ねて見たり話しを聞いたりして確認してきたことをもとに論じたことがある。この本ではまずアメリカのワシントンDCがアメリカ人にとっての重要な聖地として存在し、そこで記念碑、博物館、文書館、図書館の役割が重要であると述べた。連邦議会図書館(LC)のジェファソン館中央の閲覧室を取り巻くベランダに知のさまざまな領域を代表する16人の賢者の彫像が置かれていて閲覧者を見守っているといった具合である。ここには、アメリカの知の構成が古代ギリシアから始まる西洋的な知の系譜をそのまま取り入れていることがはっきりと分かる。

日本で入手できる図書館建築写真集


ここでは、西洋的な知の系譜を図書館がどのように扱ってきたのかをひと目で分かる図書館写真集を紹介したい。ひとまずは破壊よりも継承の方に目を向けるということだ。破壊の現場を写真にはしにくいが、継承の現場は写真になる。そしてこれがすばらしい現場になっており、日本で翻訳出版されているものも少なくないのである。また写真集なので写真の質が高いこと、印刷製本などの美的な部分も含めて優れていることなどについてコメントしておく。サイズの小さい順から並べる。最後に大きさの相互の関係を示しておこう。

最初は、『世界の美しい図書館』(パイインターナショナル, 2014)という本である。小さい本だし装幀は簡易なもので、その分価格は1800円となっていてお手軽に図書館写真を楽しめる。日本の編集プロダクションで写真とその解説をアレンジして編集したもののようで、特定の著者はクレジットされていない。

世界の夢の図書館』(X-Knowledge, 2014)こちらも編集プロダクションで制作した写真集で上のものよりは上製本でサイズもずっと大きな版である。帯の「死ぬまでに行きたい!美しすぎる知の遺産」というキャッチコピーが示すようにややコンシューマー志向。ヨーロッパだけでなく、南北アメリカ、アジアにまで目配りしており、世界の有名図書館はカバーされているといえるだろう。


ギョーム・ド・ロビエ写真、ジャック・ボセ著『世界図書館遺産:壮麗なるクラシックライブラリー23選』(創元社, 2018)はもともとはフランスで出た本の日本語版である。写真家の名前がクレジットされているように、専門の写真家が撮った写真が豪勢で、3ページ分の横長の折込になった写真が数枚入っている。上製本である。収録されている図書館はアメリカの3館を除くとヨーロッパのものであり、それも大図書館は避けてどちらかというと小規模だが歴史があったり様式として重要だったりというものが選ばれている。通好みの写真集といえる。同じ本の英語版はもう1サイズ大きい。


ジェームズ・W・P・キャンベル著、ウィル・プライス写真『美しい知の遺産 世界の図書館』(河出書房新社, 2018)は、図書館史と図書館写真集を合体させた大型本でその意味で豪華な内容をもつ欲張りな本である。これが1万円弱なのは高くないと感じた。一点一点の図書館の写真が図書館の通史のなかに位置づけられているのでたいへん勉強になる。この本が最後に取り上げている図書館が電子図書館とかではなくて、中国の建築家李晓东の籬苑書屋という枯れ枝が外壁一面に貼り付られた籬(まがき)となった読書室であるのは何やら意味ありげである。


さらに大型本がある。Massimo Listri. The World’s Most Beautiful Libraries, Taschen, 2019. 縦46cm、横32cm、厚さ8.2cm、総560ページ、重さ7kgという大きさの超豪華本である。扱われている図書館は他の本に収録されているものが多いが、大きさからくる迫力は他の追随をゆるさない。価格は200USドルだそうだ。

あまりの大きさに取っ手付きの丈夫なダンボールの箱に入っている。



大きさを比べてみよう。こんなに違っている。



それにしてもここで紹介されている図書館は日本で図書館と呼ばれている機能的な建物とはかなり違ったものである。どの表紙カバーを見ても同じような意匠であることに気づくが、ゴシックとかバロック、ロココとかの美的建築的伝統様式の建物と内装のなかに書物を恭しくあるいは仰々しく配置することが、西洋の図書館の共通した前駆的なかたちである。何よりものとしての書物の存在自体を愛でて、そこに淫するがごとき経験が図書館と親しむ前提にあるのだ。そのあたりはボルヘスとかエーコあたりを読むとよく分かる。先の本『攻撃される知識の歴史』も著者オヴェンデンによるそうした書物への愛を横溢させており、それがなければライブラリアンはただの資料や情報の管理者になりさがってしまうだろう。西洋において図書館が知のインフラたりうるのはそうした思想的前提があるからだが、日本や中国では必ずしもそうではなかった。武雄のTSUTAYA図書館を皮切りに、その思想のイミテーションが流行ったのはご愛嬌だが、先の籬苑書屋のような施設が西洋から見てある種の理念型と通じているとすれば、再度、原点を探り直す必要があるのだろう。










2022-05-02

SLIL(スリル: School Library for Inquiry Learning)について

SLILという研究グループが立ち上がっていて、私はその顧問ということになっているので、この場で少し説明させていただきたい。まずSLILという不思議な名称はSchool Library for Inquiry Learningの略称である。あえて日本語に訳すと「探究学習のための学校図書館」となる。このグループのメンバーは昨年11月23日「国際バカロレアと学校図書館」の公開シンポジウムの運営に関わったメンバーである。メンバーの自己紹介がアップされているので参照していただきたい。

学校図書館の役割が読書資料の提供という従来型のものにとどまらず、教育課程に直接関わることが重要であることは常々多くの関係者が述べていることである。しかしながら、それがどのように実現されるのかと考えてると困難な面が多かった。そうなった理由として、司書教諭と学校司書という法的な資格の問題、養成課程の問題、教育職と事務職の関係の問題、正規職員と非正規職員の問題など人的な側面が語られることが多い。だが、別の立場からすればそれは逆で教育課程に関わらない仕事は学校のなかでは重視されないということになる。このあたりの政策論については、近々、論文を学会誌に掲載予定であり、出たらまた報告したい。

だから、図書館の仕事のどの部分が教育課程に関わるのかの見極めが重要である。それもこの数年が重要だと思う。なぜなら、次の学習指導要領改訂を睨むときに今こういうことができるという実績を上げることが大事だからだ。こういう問題意識のもとで、ここ何年か国際バカロレアという学校図書館を教育課程に組み込んだカリキュラムのことに取り組んだ。それについては、別の記事を参照していただきたい(2021-09-03, 2021-09-23, 2021-10-12)。去年の11月23日開催のシンポジウムの報告や科研の報告をしなくてはならないと思いながらできていないのでこれから行うことにしたい。

ここではこのシンポジウム開催を元にして始まったSLILの研究会が、学校図書館や教育現場の方も含めて、探究学習とは何か、学校図書館はどのように関われるのかについて議論の場にすることについて紹介してみたい。探究学習そのものが新しい学習指導要領では重視されているがその理解は人によってさまざまであり、学習者主体の学習ということでの共通理解はあってもそれ以上は、協同学習に重きを置く人、ディスカッションや発表に重きを置く人、教室外の学びに重きを置く人などいろんな方法がある。そのなかで学校図書館を学びの場にする探究学習とは何をすることなのかについて、本格的に研究してみようというものである。

5月22日に予定している第一回のワークショップは、シンポジウムでも講演者として登場したダッタ・シャミ岡山理科大学教授をファシリテータとしてオンラインで開催する。ダッタ先生は日本の国際バカロレア教育自体において主導的な役割を果たしている方であり、日本国際バカロレア学会副会長をお務めである。インドの出身と伺っているが日本語も堪能な方である。日本の学校の事情にも通じたこの方から国際水準で進められている探究学習の方法を伺い、参加者が互いに経験と意見を交換しながら日本の学校図書館の場で探究学習の推進に貢献することについて議論できれば目的を達成することになる。いろいろと言われていてもなかなか進められない探究学習についての疑問を出し合い、いいアイディアの交換につながることを期待している。

そしてそういうやりとりが学校図書館の新しい側面を引き出し、ノウハウの蓄積が行われ、それが学校図書館の評価の向上に結びつくだろう。蓄積されたノウハウは研究によって抽出されて学校図書館員養成に反映され、それが次の政策的課題につながる。こうした循環を望んでいる。スタッフで議論したときに、参加者は別に学校図書館関係者に限らず、教員、そして大学生でも、あるいは中学生、高校生でもいいのではないかとした。皆さんのまわりで探究学習に熱心に取り組んでいる生徒さんがいれば声をかけていただきたい。この場に学習者の生の声が反映されれば大いに刺激になるだろう。







2022-03-07

月刊『みすず』最近読んだ本

恒例の月刊『みすず』2022年1月/2月号「最近読んだ本」への寄稿です。 


根本彰(図書館情報学、教育学)

1 辻本雅史『江戶の学びと思想家たち』岩波書店、2021(岩波新書) 

本書はこれまでの近世思想史を踏まえ、ここ 30年ばかりで急速に展開した近世の教育文化史研究の成果を展望しつつ、日本特有の身体的学びとメディアの型の関係を論じているところが興味深い。素読において声に出して表現する知の働きが、出版というメディアを経由し幕末の私塾の講義、会業、そして近代の学校の授業においてどのように身体化するのかが述べられている。⻄洋近代の書物の取り扱いと日本近代の書物の取り扱いの違いがどこからくるのかを考察するためのヒントが得られるように思う。

2 野間秀樹『言語この希望に満ちたもの―TVAnet 時代を生きる』北海道大学出版会, 2021

 同じ著者の『言語存在論』(東京大学出版会, 2018)を読んでいる最中に、その実践編であるこの本が出たので先にこちらを読み了えた。まず主体の意があって言語が発せられるのではなく、言語とは主体と主体のやりとりの過程であり結果そのもので、その言語場でのやり取りが意味や情報とされるものなのだというように従来の言語論を逆転させている。言語場は、対面の話し言葉と切り離されて、テクスト(T)、音声(A)、視覚(V)のネットワーク(TVAnet)として独り歩きするようになった。この捉え方によって、言語論と情報論を統一的に扱うための契機が生まれている。著者自身による表紙や標題紙のデザインや巻末に付けられた詳細な事項索引、本当に図が縮小されて載っている図版索引は、モノとしての書物を通じた情報アクセスという場を扱う図書館情報学の立場からも興味深い。

3 メグ・レタ・ジョーンズ(石井夏生利監訳 加藤尚徳ほか訳)『Ctrl+Z―忘れられる権利』勁草書房, 2021

言語場の議論に加えるべきものがあるとすればそれは時間軸である。人間の記憶、集団内の慣習を超え言葉が一旦外部に出たとき、記録や情報が蓄積され必要に応じて参照されうる。歴史やジャーナリズム、学術はこれによって成立するが、そうした言語場での個人情報の扱いは難しい。とくに蓄積された 情報がネット社会において随意に呼び出せるようになるとき、過去のものをどのように扱うかという問 題が生じる。これがネット事業者へ特定個人情報の消去を求める「忘れる」ことを要求する「忘れられる権利」である。これを認めるか否かを論じる場は、ネット空間そのものではなくそのための法学的な 議論の場(法廷の場およびアカデミックな場)である。本書は、検索エンジン事業者は過去データの管理者なのか、グローバルな事業者の地理的な適用範囲をどう捉えるか、さらに事業者の個人情報管理責任の範囲と要求者がネットからの個人情報削除を要求する権利の範囲とをどのようにとらえるかというような複雑な問題場を理解するのに好適な本である。

4 松永昌三ほか編『情報文化』朝倉書店, 2020(郷土史大系―地域の視点からみるテーマ別日本史) 

この大部の歴史書シリーズの出版は、20 世紀後半に郷土史→地方史→地域史というように名辞の変遷があった領域が再度、郷土史へと回帰したことを示しているようにも見える。ここには、住んでいる人たちのヴァナキュラーな価値を重視する姿勢が前面に出されている。このシリーズに本巻『情報文化』および『宗教・教育・芸能・地域文化』(吉原健一郎ほか編, 2020)のような言語場を取り上げる巻が入 ったことは注目すべきである。

新著『知の図書館情報学―ドキュメント・アーカイブ・レファレンスの本質』(11月1 日追加修正)

10月30日付けで表記の本が丸善出版から刊行されました。11月1日には店頭に並べられたようです。また, 丸善出版のページ や Amazon では一部のページの見本を見ることができます。Amazonではさらに,「はじめに」「目次」「第一章の途中まで」を読むことができます。 本書の目...