飯田一史『いま、子どもの本が売れる理由』(筑摩選書, 2020年7月刊)に目を通した。読んだとは言えないのは、この本の第1章「子どもの読書環境はいかに形成されてきたか」が目当てで、あとの章はマンガ雑誌が売れている理由や『おしりたんてい』をはじめとするヒット本の分析に充てられているので走り読みしたからだ。それでも1章と「おわりに」は読む価値があると感じた。これまで、出版流通やベストセラーについて書かれた本で図書館が言及されるとすれば、それは図書館での貸出しが作家、出版社、書店などの関係者から問題視されている文脈でのことが多かった。大量の複本貸出が売り上げを損ねているというたぐいのものである。それがこの本はおそらく初めて、子どもの本というジャンルの話しではあるが、図書館(というより公費)が重要な市場を形成する要因となっていることについて論じたものだ。
子どもたちの読書量は増えているのか
本書の帯には「直近20年間で14歳以下人口は約200万人減ったが、児童書は市場規模を堅持、本を読まない子どもは減少し、小学生の読書冊数は倍増!「子どもの本離れ」はいかにして終わったのか?」とある。本離れが終わったというのが初耳なのでこれはどういうことかと思いながら読み始めた。
p11にあるグラフから14歳以下人口が1998年に1920万人だったのが2019年に1520万人であることが読み取れるので、実際の減少はその倍の400万人である。(これは間違い?)同じグラフから、児童書販売額が1998年の1400億円から2001年に1800億円と急に増え、その後は市場規模を維持して2019年に1750億円ということが分かる。p13のグラフ(これと次のグラフは全国SLAの学校読書調査からとったもの)が示す子どもたちの不読者率(5月1か月で1冊も本を読まなかった子どもの割合)は小学生が1998年の15.6%から2019年の6.8%と下がり、中学生に至っては1998年の47.9%から2019年の12.5%へと大幅に下がっている。また、p12のグラフからは、1998年の小学生の5月1か月の書籍の読書冊数が6.3冊だったのが2019年には11.3冊に上がり、中学生は1.8冊から4.7冊へといずれも大幅に増えている。子どもたちの読書について数値上はこの20年間に大幅な増加傾向を示している。
ということで、子どもの数が大幅に減少しているのに、児童書販売額は倍以上になり子どもの読書冊数も延びているというたいへんめでたい状況が示されている。ただし統計値による議論の根拠が怪しいということはありうる。たとえば販売額にコミックが含まれかなりの割合になるはずだが、学校での読書ではコミックは推奨されていないはずだから、これらのマクロなデータでどこまでのことが言えるのか。しかしここで論じたいのは、それでも子どもの読書量はこの20年間で増えているとして、これを手放しで喜んでいいのだろうかということである。
この本の第2章以降では、子どもたちがどのような本を好んで読んでいるのかについて、詳細な分析が行われている。そこで描かれているのは、子どもの本の造り手が子どもたちのニーズをいかに把握しながら商品づくりをしているのかということだ。『コロコロコミック』と『少年ジャンプ』との棲み分けの話しや大ベストセラー『おしりたんてい』がなぜ売れたのか、『かいけつゾロリ』の著者が本を読まない子にどのように読んでもらうような仕掛けをしているのか、子どもの目線から「悪い大人をやっつける」宗田理『ぼくら』シリーズが累計2000万部を売った理由、といったように展開されている。そこで取り上げられているのはマンガ雑誌、絵本、コミック、男子向け・女子向けのジュブナイル本など多様であるが、なるほど、子どもたちの日常生活のストレス解消や身近なところで満たされない夢を追うことなど、明確に存在しているニーズに対応しようと子どもたちが読みたい本を供給していることが分かる。
読書推進の行政的働きかけ
他方、第1章の後半で強調されているのは、学校図書館行政の仕掛けである。学校図書館は戦後教育改革で一時的に注目されたがその後はあまり光が当たらない存在だった。しかし、世紀の変わり目に政治的働きかけから子ども読書活動推進法(2001)ができて、それ以来、国の資金が自治体行政に入ったことにより公立図書館や学校図書館での児童書購入が増え、また、ブックスタート、朝の読書や読書のアニマシオンが行われ、子ども読書へのインセンティブが強まった。とくに朝の読書は学校の生活時間に読書の時間が組み込まれている訳だから、その効果はきわめて高い。職員配置がなかった学校図書館にも複数校配置の非正規職員にせよ人的サービスが始まった。これらの仕掛けが相まって子どもたちは本を読むようになった。要するに、学校図書館が整備され、さらに学校教育の枠組みのなかで朝読のような読書推進の時間が設けられたことが、子どもたちの読書意欲を高めていることは確かだ。子どもの本が売れた理由は公的な財政支援の効果が大きいということを示している。
ただ、先に挙げたような本の購入に公費が充てられているのだとすれば、それでいいのだろうかという疑問が沸いてくる。二つの論点がある。ひとつは、児童書市場と大人書籍市場とに分けて考えたときに児童書市場だけが政策的に支えられている状況が望ましいのかということがある。他方では図書館に当てられた公費が出版市場に負の影響を与えているという主張もあるように、大人書籍の市場関係者から異論はないのだろうかという疑問である。もう一つはそれと関わるが、こうした本は短期的な読書量を増やすのに貢献しているのだろうが、本当に読書振興につながっているのかという疑問である。こうした本を読んだ子どもたちが成長し大人になっても本を読み続け、出版市場を支える人になるのだろうか。
子どもの本が売れているといっても、売れているのは子どものニーズに寄り添う娯楽的な本が中心であり、公費投入によって結果的に推進されることになるのはどちらかというと消費的な読書である。それでも、こうした子どもの読書行為が将来の出版市場の買い手を育成することにつながっているなら正当化されるかもしれないが、読書習慣の育成につながるのかどうかはかなり怪しいのではないだろうか。そもそも子ども読書推進の動きは、子どもたちがゲームやスマホに浸かっているよりも、どんな本であれ読書する行為そのものを無条件に肯定する考え方が背後にあるように思える。
ところが、著者は、2010年代になって一般家庭での児童書購入の割合が増えていると言う。それは教育改革によって学校図書館が調べ学習や総合学習の場に転換しつつあり、それにともなって学校図書館の資料購入が読み物中心から調べるための資料にシフトしつつあり、その分、家庭での購入に廻ったからだという。(p.128-130)学校図書館の本の貸出しの統計データはつくられていないし、ここで購入資料が調べ学習や総合学習用にシフトしているというのも特定の事例に基づく論なので、どうも根拠がはっきりせず、著者の推測によるとしか言えない。
だが、学習指導要領で探究学習が明示されつつあり、学校図書館が学校図書館法で規定する本来のかたちであれば、読書振興だけでなくて教科の学習を支援することが必要であり、そちらの方向に進むことは自然である。本書で著者は、どちらかというと子どもの本離れが解消されつつあることと、本の造り手が子どもの視点を重視しているという点を強調している。だが、その裏でこのような移行が進行していることをも示してくれている。また、最初に書いたように、この本が出版市場における公費による支援や図書館市場、学校市場の存在を明確に示し、児童書出版ではそれがかなり大きいことを示唆したことは重要な指摘だと思う。
高校以降の読書
小中学校の「読書量」が増えているというのは確認できたが、高校、大学、そして大人にそれがつながっていない。先ほどの2019年学校読書調査で5月の1ヶ月で一冊も本を読まなかった不読者の率は高校生だと55.3%である。過半数は不読者ということになる。平均読書冊数も1.4冊であり、これらの数値は1998年とあまり変わっていない。また、全国大学生協連が実施した2019年の「学生生活実態調査」で、大学生の48.1%が1ヶ月の読書時間が0分で、平均読書時間は30分という数字が公表されている。高校が受験その他で忙しく読書の余裕がないとはよく聞く話しだが、大学生になっても変化はない。小中生の読書とのギャップはあまりにも大きい。さらに2019年(平成30年)の文化庁「国語に関する世論調査」は16歳以上の男女に対して読書についても尋ねているが、回答者の47.3%は1ヶ月に1冊も読まないと回答している。これらの統計は、高校以降の人たちの半数は読書をしないことを示している。
実は、読書をしない回答者が半数という読書に関する大学生の状況は1998年の中学生の状況に近い。一番いいのは、大学受験と読書を結びつけるようなプログラムがもっと豊富にあるべきだということである。高校で始まる「総合的探究の時間」はそれを可能にするものになるのだろうか。しかしながら、やはり大学がもっと「知の在り方」をきちんと教育する場であることが求められているのではないか。教養科目や一般教育科目が軽視され、専門科目の下請け的な位置づけになっている今の大学の現状では、読書と知、そして専門教育が結びつけられていない。大学教員に、大学が総合的な知を育成する場という意識があまりないのが最大の問題であると思う。
大学図書館に対して資料費や職員配置のための財政補助を行い、カリキュラムに教養書や学術書を読むための枠を設けることを積極的に行ったり、ビブリオバトルや作家や著作者の講演会他のイベントを行うなどの積極策をとれば効果があることは確かだろう。実は、アメリカの大学は1960年代に大学進学率が50%を超えて大衆化が進行したときに、政府の資金により大学図書館を整備し、授業で大量の文献を読ませる方法を積極的に導入した。研究図書館と別に学部生図書館(Undergraduate Library)を設置したところも多く、大学の授業はともかく書物や論文を読むことを中心にすることが改めて確認された。
日本でも国が子ども読書振興にそれほどまでにこだわるなら、それを高校や大学まで継続するためのビジョンをもつべきではないだろうか。大学は国がカリキュラムや大学生に読ませるべき書籍の内容に口を出すのは拒否するだろうが、読書振興を名目に補助金を出すことは歓迎だろう。私は電子書籍の導入やネット環境の整備にもましてこういうことの方が大学生の学習意欲向上と環境整備に効果があると考える。
『教育改革のための学校図書館』を書いた私としては、本を読む機会が与えられればいいというだけの考え方には与したくない。図書館、学校図書館は出版市場という民間セクターに公的資金が導入されている場であり、その意味で知の公共性に関わっている。