2020-12-22

博士論文(「教育改革のための学校図書館」)について

本年2月に慶應義塾大学から「教育改革のための学校図書館」の研究業績により博士(図書館・情報学)の学位を頂戴した。その経緯について書いておきたい。

私たちの世代の文系の研究者は、大学院博士課程を単位取得退学のまま就職し、そのまま定年近くまで博士の学位なしの人が多い。当時、文科系では、博士はある分野に長期間携わって一定の成果を上げた人のための名誉的な称号であるという見方が支配的で、若いうちにとることは一部の分野(心理学、社会学、経済学などの実証科学的分野)を除くとあまり考えられていなかった。だから、外国の研究者人と交流して博士号がないというと少し肩身が狭い思いをしながらそのような事情を話さざるをえないことも何回かあった。私自身は、一定の研究分野でじっくりと研究を継続することができず次々といろんなことに手を出して中途半端にしたまま違うことに手を染めることを繰り返してきたので、博士号をとることもないだろうと思っていた。ところが、一昨年から昨年にかけて『教育改革のための学校図書館』(東京大学出版会)をまとめてみて、ひとつの手応えを感じたことと、もう学究生活も最後になることだからもし学位につながるならチャレンジしてみようかという山気が生じたことで、博士号の請求手続きをしてみた。

もう一つラッキーだったのは、慶應の大学院文学研究科では論文博士を認めていて、それも刊行済みのものが審査対象になることを知ったことである。これがお隣の社会学研究科だとそうはいかず、論文博士でも基本的には博士課程に在籍していたことが要求される。実は、最初、社会学研究科にある教育学専攻に論文を提出しようかと思って相談したらこの理由のために門前払いだった。そのために文学研究科に提出することにした。

著書を準備する過程で一つの手応えを感じたというのは、この本は全体はいくつかのパートに分かれているが、重要なのは最初の部分で、占領期の教育改革時に学校図書館がどのような位置づけにあったのかを明らかにしたことである。すでに、中村百合子『占領下日本の「学校図書館改革」』と今井福司『占領期の日本の学校図書館』の2冊の先行研究が出ているところに加えて、あらためて占領期の学校図書館政策の全体像を整理し、とくに教育行政と教育学界における教育改革の議論との関係についてクリアにしてみた。

占領期教育改革が占領軍の民間教育情報局(CIE)主導で始まり、コアカリキュラムなどアメリカ流の教育方法や教育課程を導入して始まったばかりのときに、冷戦体制による「逆コース」によってそうした試行は断絶し、かつてのものに戻っていった。この状況において、学校図書館は当初、新教育を支える一つの制度的な手段と考えられ具体的な導入が文部省内で検討されていたし、学校図書館法によってすべての学校に図書館が義務設置された。けれども結局のところ法的にはあくまでも「設備」扱いであり人の手当てができなかったことがあとあとまで尾を引いたと言える。このあたりを明確に描き、それがその後の教育改革とどのような関係にあるのかについて描こうとした。ここの部分を描くことで、日本の教育制度は上からの改革に従うだけで、天皇制を傘にした軍国主義だろうが、CIEによる米国民主主義改革だろうが、55年体制以降の自民党一党支配による保守的な政治体制だろうが、自縄自縛になっていて自主的に動けないことが明らかになったと思われる。学校図書館は、本来、学習者の自主性を前提とした教育方法の下でしか生かされないから、これが義務設置されたことで日本の「上からの教育システム」に突き刺さった棘となったことを確認できたことが大きいと考えている。

現在、博士論文は機関リポジトリで公開することになっている。慶應の場合はKOARAというリポジトリで管理されている。ここには通常は論文の本文が掲載されているのだが、すでに公刊されているものについては「要約」を提出することで代えられる。「要旨」以外にもう少し詳しい「要約」があるのはそういう理由である。



「審査報告」で指摘されている本論文の3つの「限界」(下線部)について応答しておこう。

1..学校図書館に配置される専⾨職の職務内容についての検討はほとんどなされていない点である。いくつかの国内外の事例研究も提⽰されているが、それぞれの学校において、配置されている専⾨職がどのような仕事をいかに⾏なっているのかについて、体系的な分析は⾏われていない。また国外の事例研究も印象論を超えたものではないことは否めない。特にフランスが、どのような経緯を辿って新たに学校図書館を制度として導⼊したのかについては、今後の研究が待たれる。また、体系的な事例研究を踏まえ、異なる専⾨職の職務の組み合わせ⽅のパターンを学校規模などに応じて整理されることも今後の研究に待たれる。

本論文は、占領期からしばらくの時期に形成されようとしたが実現されなかった日本の学校図書館モデルをまず記述し(第1部)、それが戦後の教育状況のなかでその後どのように扱われたのか(第2部)、モデル形成において参照していたアメリカの学校図書館及びそれとは別の政策動向から展開したフランスの学校図書館はどういうものであるのか(第3部)、モデルを実現させるための議論の動向と課題(第4部)を明らかにしたものである。本論文が政策動向とそれをもたらした要因をマクロに分析することを主たる目的としていたため、審査委員会で指摘されている専門職の職務問題の内実にまで踏み込まなかったというのがひとまずの回答である。第2部、第4部の立論の根拠として、学校図書館で何が行われているのかについて体系的分析を行えればそれに越したことはないが、いずれもそのときどきの現場報告や評論的な言説に基づいて論を進めた。専門職についての先行研究は比較的最近のものはあるが、20世紀にはあまり行われていない。外国の事例については、アメリカとフランスを参照する根拠が何であるのかについては個別には記したが、十分には伝わらなかったのかもしれない。フランスを参照することの意義に関しては、確かに20世紀末と日本と同時期にあったフランスの教育改革においてなぜ学校図書館を含めることになったのかを明らかにできれば説得力を増したであろう。

2. 占領期とその直後については教育改⾰と学校図書館の関係について詳細に検討しているが、80 年代以降については記述が粗くなっている点である。臨教審は⼤きな分岐点であったはずだが、その中でも学校図書館の位置づけに進展がほとんどなかっ た原因の分析などがなされていない。また、いわゆるゆとり教育を導⼊した教育改⾰の下では、図書館の活⽤を展開する機会であったはずであるが、どうしてそのような機会とはならなかったのかの分析も明確にはなされていない。戦前の、⼤正・昭和初期の新教育運動における学校図書館の流れがいかに戦後反映されたのかについての研究も待たれる。

第2部の後半以降の議論が粗くなっているというのは確かにそうかもしれない。これは同時代史をやるときの問題であり、研究の蓄積がないために論点が明確になっておらず、論点づくりそのものを試行錯誤的にやらざるをえないし、それゆえ何をもって一次資料とすべきかも明確ではないからである。論点が明確になれば資料の探索や関係者へのオーラルヒストリーを行うところだが、全体像を明らかにすることを優先したためにこうなった。ゆとり教育導入下で学校図書館が生かされなかったということなどはその典型であるが、ゆとりが週5日制の導入や授業時間の短縮、そして教育方法の改善などを意味するときに、それがすぐさま学校図書館に結びつくということは学校教育の世界ではありそうもない。それくらい、教育課程に学校図書館を組み込むことは学校教育では異質なことなのである。そのことは強調したつもりであるが、個別に論じているので粗くなっているというのはその通りだろう。異質性を明確にすることはその後も続けている。臨教審の考え方が実を結んだとすれば、それは文字・活字文化振興法や子ども読書推進法だろう。図書館は読書推進の場としての認識はされていても教育課程や教育方法と関わりあうという考え方はほとんどなかったと考えられる。また新教育運動との関係についても少し言及したが、明治末からある新教育との関係の整理は今後の課題だろう。

3. 系統主義から経験主義さらには構築主義への変化という、教育が依って立つ 考え方の変化を説明する枠組みに基づいた全体を通しての説明は非常に明快であるが、 日本の、80 年代以降の教育政策と実践についての説明枠組みとしてはやや粗いものと なってしまっていることは否めない。論文中には、系統主義への揺り戻しがあっても、 実際には経験主義や構築主義への流れが確実にあることが繰り返し指摘されている。とすれば、日本における経験主義への変化をさらに繊細に捉える説明の枠組みが編み出されたとしたら、日本における経験主義の定着の兆しとその動きの特徴を描き出すことが 可能になるのではないだろうか。

そのとおりだと考えているが、少し言い訳させていただきたい。今回、論文を展開するために教育学(教育方法学やカリキュラム論)で、こうした議論がどうなっているのかをレビューしてみた。しかしながら、教育史的に戦後、系統主義から経験主義の導入、そして系統主義への揺り戻しが議論されていたが、1980年代以降の構成主義(構築主義)への展開について頼りになるような先行研究はあまりなかった。教育学の世界は教授者と学習者の行動や関係を心理学や認知科学、社会学などの方法で切り取って記述する研究は多数あるが、こうした大きな理論的枠組みで議論することがあまり行われていない。頼りになる研究がないので、自分で仮説的に議論を提示する必要があった。とくに、構成主義への展開の動機付けとしては、OECDのPISAを典型として国際的な教育政策の動向が影響していることについては述べておいた。日本の教育学者およびそれと密接な関わりをもつ教育諸学(教育社会学や学校教育学)の関係者は、自らが依って立つ基盤がどのように形成されているのかを無視して政策的な議論をしているように見える。今後は教育学研究者とも協同しながらこうした研究を進めていくつもりであり、すでに国際バカロレアを対象にした研究を開始しているところである。

粗くなった部分についてはマクロな見方を好む個人的資質にもよる。どちらかというと、日本の学校図書館の問題点を明らかにするとか、学校図書館職員が働きやすい場にするというよりは学校図書館という素材を分析することで、日本の教育の問題点を析出することに重きが置かれていたことは否定できない。この論文は、おおざっぱに戦後日本の教育における学校図書館の位置づけを学校教育における異質な存在として位置づけようとしたものである。そしてこれは今後、日本の教育文化の深層構造解明という課題に取り組むための出発点であると考えている。

先に学校図書館は法によって義務設置されたことによって日本の学校社会において突き刺さった棘であると書いた。ずっと放置されてきた棘はやがてじくじく膿を出してくる(比喩として言っているので関係者には失礼だがお許しいただきたい)。新しい学習指導要領は「探究学習」を前面に出しているが、ここでも学校図書館はそれほどの位置づけはない。しかしながら、著作権の権利制限の議論において著作権法31条の「図書館等」にずっと位置づけがなかった学校図書館を入れるかどうかの議論があったということはけっこう大きな変化ではないだろうか。ブログの他の項目で書いているように、探究学習は学習の基本であり、そこでは学校図書館(的な仕組み)は不可欠である。今、それを国際バカロレアを中心に見ようとしている。今後、徐々に変わっていくものと考える。本論文が、膿を出し切って学校現場に本当に定着するための力になるものと信じている。

最後に、本論文の主査を務めて下さった池谷ひとみ教授をはじめ、審査委員の倉田敬子教授、外部から加わって下さった山本正身教授(教育学専攻)、 堀川照代教授(⻘山女子短期大学)には年末のお忙しいときに面倒な論文をていねいに読んでくださり、貴重なご意見をいただいたことに対して心より御礼を申し上げたいと思う。

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