『パブリッシャーズ・レビュー』という東京大学出版会・白水社・みすず書房が順番で編集していたPR紙が最終号だそうだ。今回最終号という報道を見て、初めてこれが東京大学出版会が5月・11月、白水社が1月・4月・7月・10月、みすず書房が3月・6月・9月・12月を担当して発行してきたということを知った。紙での出版にこだわってきた人文系の出版社もプロモーション手段としてのDMというのはもう使わないということだろう。
その12月15日発行の最終90号に私が書いた本の出版予告が掲載されている。発行日は1月中旬の予定である。ちょうど1ヶ月前になったところで広報が始まっている。アマゾンをみたらやはり予告が出されていた。
根本彰著『アーカイブの思想—言葉を知に変える仕組み』みすず書房, 2021年1月中旬刊行予定
そこには「日本ではアーカイブが必須の社会基盤とみなされていないのではないか。西洋社会と比較しつつ、これからの図書館が向かうべき道を照らす。」という文言が書かれていた。『パブリッシャーズ・レビュー』の方はもっと長い紹介文であるが趣旨は同じである。著者としては、これは執筆の趣旨と少しずれているのではないかと編集の方をやりとりをしているところだ。確かに広い意味では図書館論であるが、残念ながら「図書館が向かうべき道を照らす」ものと主張すると図書館関係者の期待には沿えそうもない。ほとんどの部分が西洋思想史をベースにした文化論・教育論であって、それに照らして日本の近代化を論じているからだ。要するにこの本は図書館も含めた文化の知識伝達機能を「アーカイブ」と名付けて、その発展が西洋思想の展開に基づいていることを主張しているのである。私が前から主張しているように、日本の教育がかたちだけ西洋的な学校制度を取り入れたが中身と方法が西洋のものとかなり異なったものとなった理由を解明し、それが近代日本の図書館の発展にとってマイナスに働いた事情を明らかにしたものである。
目次
第1講 方法的前提
用語の整理
〈文書〉と言語論的転回
文化翻訳論
日本文化の三層性
言語の透明性と構築性
第2講 西洋思想の言語論的系譜
プラトンとイソクラテスのパイデイア
ロゴスとしてのアリストテレスの著作群
12世紀ルネサンス
ルネサンス
フマニタス(人文主義)と近代科学
近代後期におけるロゴス
パイデイアのその後
第3講 書き言葉と書物のテクノロジー
書物と文書・記録との違い
書物のテクノロジー
古代・中世の書物
グーテンベルクの活版印刷術
第4講 図書館と人文主義的伝統
アレクサンドリア図書館とは何か
中世から書物の共和国へ
読者の誕生
修道院と読書
コレクションとミュージアム
学術知の成立
第5講 記憶と記録の操作術
記憶術とは何か
レファレンス書の完成
書誌と分類
書物の共和国の図書館
第6講 知の公共性と協同性
教養とは何か
研究型大学と大学図書館
都市に埋め込まれた知
公共図書館の制度化
図書館専門職の誕生
知の大衆化と図書館サービス
第7講 カリキュラムと学び
バカロレアの哲学問題
パイデイアの世紀的展開
媒介される知と行動に移される知
学校改革のための図書館的知
国際バカロレアにおける学校図書館
第8講 書誌コントロールとレファレンスの思想
書誌とドキュメンテーション
FRBRモデル
分類法と主題
知的コンテンツのメタデータ
書誌コントロールという課題
レファレンスとレファレンスサービス
第9講 日本のアーカイブ思想
江戸のリテラシー
会読の重要性
書物のアーカイブ戦略
近代世界システムにおける明治維新
殖産興業と学術知
博覧会、博物館、図書館
近代の学校教育制度
江戸から明治へのアーカイブ戦略
教養主義と「買って」読むこと
近代日本の知の在り方
第10講 ネット社会のアーカイブ戦略
テキストとマルチメディア
カノン(正典)とは何か
育たなかったアーカイブ装置
国立国会図書館と憲政資料室
アーカイブの活かし方
エピローグ
カノンとフーガ
独学と在野の知
あとがき
索引
本書執筆の経緯について書いておきたい。2020年春にCOVID-19が世界を危機に陥れた。私は3月に大学を退職予定で最終講義を兼ねた公開シンポジウムを予定していた。これについてはブログでも案内し、多数の参加希望者があった。これが開催できなくなったことは学究生活を終える私個人にとってはもちろんのこと、ここで予定していた重要な問題提起ができなくなったことについての学術的な損失という意味でも悔しく思っている。今ならオンライン開催も可能だろうが、それはまたの機会ということになった。
4月から同じところで非常勤講師として学部の「図書館基礎」という授業を継続する予定にしていたのだが、これがオンラインでやってほしいということである。それも教材をデポジットする方法でやることが推奨されていた。そこで一計を案じたのが、この際、自分が考えている図書館論を書いて学生に読んでもらってコメントをもらい、それに対して筆者としての応答をするという方法で授業を進めることであった。そうして書いたのがこの本である。第1講から始まって第10講まであるのは授業の10回分であることを示している。1週間に1講分の原稿を書くのはかなりハードだったが、これまで考えてきたりしてきたことなので、こういう機会に一気に書き下ろすというのは楽しい作業でもあった。また、こういうときにしかできないことだということも感じた。こういうときというのは、退職後で自分の時間をフルに使えることや、パンデミックの危機的状況のなかで緊張感をもって書くこと、また、読者が想定されて(待って?)いるということである。3ヶ月でほぼ書き終えて、その後、手を入れて原稿とした。という背景のなかで書いたものなので、かなりいろんな思いが詰め込まれていて読みにくいと感じることもあるかもしれない。しかしながら、この危機下に何者かを残すことができたという安堵感は残っている。
追記
本書に帯する書評についてブログで補記しています。
オダメモリー 『アーカイブの思想』の書評(1) 2021-04-28
オダメモリー 『アーカイブの思想』の書評(2) 2021-09-04
オダメモリー 『アーカイブの思想』の書評(3) 2021-09-04
私が図書館学を学んだ時には、図書館サービス論や概論が中心で、図書館史も学びましたが高校から大学教養課程のようでした。本当は本書のような西欧の知や言語、哲学から図書館を考える時期にきているように思います。目次を眺めるだけでも興味を持てました。ユヴァル・ノハ・ハラリは、書字をもつようになることでサピエンスは他の種と異なり大規模に協力する社会を創るようになったと言います。日本文明は、中国文明から文字を取り込んで、「ひらがな」「カタカナ」の改善も施し、西欧文明との衝撃を準備しました。近代図書館が日本に入ってまだ短いですから、西欧図書館に改善を加えて行くことができるかもしれません。本書のテーマが、これからの図書館基礎としてふさわしいものになると思います。
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