本日のプログラムについては夫の子安宣邦さんのブログにあるので参照いただきたい。http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/
登壇者のお話しによると、子安さんは最後のお仕事である『日本のシュタイナー学校が始まった日』(精巧舎出版)が刊行される直前の6月10日に倒れて、3週間ほどの集中治療室での治療のあと7月2日未明に亡くなった。最後のこの本にかけた執念はすごいものがあったということだが、それで無理がたたった部分もあったのではないかということだった。
ここでは子安美知子さんの業績やシュタイナー教育あるいはエンデについて語ろうとは思わない。今日あったことを淡々と語ることにしたい。前半が子安さんの薫陶を受けた人たちの話しで、後半が宣邦さんと娘の子安ふみさんのお話し、そして、彼女が出演したNHKのドキュメンタリーの短縮版の上映であった。
今日の会は早稲田大学でやったので、前半は彼女の教え子たちが登壇することになったのだろう。前半の話しの最初の二人は彼女の下でドイツ語を学びそれを活かした仕事についたひとたちであった。後の二人はドイツ語を学ぶだけでなくさらに、その後にそれぞれエンデそして、シュタイナー教育との関係に関わることになった人たちだった。今日初めて知ったこととして、子安さんが早稲田の言語文化研究所のドイツ語を担当していて、そこに来た若い学生たちがその後、彼女がエンデやシュタイナー教育に関わる際の大きな力となっていったということである。学生時代にドイツ語を学んだことが単に言葉を学ぶのにとどまらず、一生涯、ドイツとの関係で仕事をし続けることなったことについて、それぞれの話者が自分たちの生い立ちを含めて熱くあるいは淡々と語ってくれた。
日本のシュタイナー学校について語る鈴木一博氏
シュタイナー思想は日本のアカデミズムや教育の現場でまだ異端的な扱いしか受けていないのは、日本社会の根源的なところに作用するパワーを秘めているからで、子安さんも含め本日登場の人たちは何らかの意味でその一端に触れて、魅せられたのではないかと思う。子安さんはその紹介者そして実践者として、後半生のすべてを費やした。今日参加者した人たちの多くはそれに連なる人たちだったと思われる。
彼女がやりかけたことはあまりにも大きく、それは短期的に実現することは難しかった部分もあった。ご本人が「終活」とおっしゃっていたさきほどの本は、その関係者の貴重な証言集である。新しい組織を立ち上げることの困難さが生々しく伝わってくる。
だが、世代交代のなかで着実に次の担い手に引き継がれつつある。本日はそのような継承の儀式でもあった。今日、最後に登壇した子安ふみさんは、ほとんど日本人と思えない話しぶりで意外な感じをもったが、彼女こそが実践的後継者になるのではないかとの予感ももった。それは、あの追悼の場に娘として登壇しながら、何度も「母親に反発を感じて」という発言があったことから伺われる。彼女流の追悼の仕方ではなかったのかと思われるのだ。
*2020年12月19日追記
たまたま、子安宣邦氏の著書『日本近代思想批判—国知の成立』『漢字論』を読みながら、この方は今どうしているのだろうと思って検索をかけてみたら、同氏のTwitterおよびブログでお元気で講演や執筆活動を続けておられることことを知った。また、ブログにおいてこの追悼会のために用意された文章がアップされていることも分かった。それが「2017年08月01日「偲ぶ会」で話すに及ばなかった私の話」である。私の文章と前後してアップされていたので、存在に気づかなかったのであるが、二人の思想家の魂のふれあいを感じさせる文章でありリンクしておきたい。