2018-01-27

公開ワークショップ「 図書館はオープンガバメントに貢献できるか?」開催予定

次のイベントを開催します。無料で誰でも参加できます。 


*会場が同じ建物の1階から3階に変更になっています。(2/1)
*公式のサイトができました。同じものですが、そちらを参照してください 。http://user.keio.ac.jp/~lis_m/  (2/1)
*会場の都合で参加者の人数を先着150人までとさせていただきます。(2/11)

 

公開ワークショップ

図書館はオープンガバメントに貢献できるか?

ー行政情報提供と行政支援ー


日時:2018年3月25日(日)13時〜16時(開場12時30分)
場所:慶應義塾大学三田キャンパス第1校舎131-B教室
     https://www.keio.ac.jp/ja/maps/mita.html 
(キャンパスマップの9番の建物、3階)
参加:無料

図書館が行政資料や行政情報を提供する必要性は以前から言われているが、実施は容易ではない。とくに、ICT環境のもとでオープンガバメントあるいはオープンデータが叫ばれている今日、図書館はそれらに対応できるかどうかが問われる。また図書館界では、行政支援サービスの必要性も言われてきたところではあるが、本格的実施は一部の自治体に限られているようだ。

このワークショップでは、1980年代からこの問題に取り組んできた基調報告者が、日野市市政図書室調査や行政支援サービス調査を踏まえて、図書館における行政との関係について述べる。講演の豊田氏は静岡市御幸町図書館でのビジネス支援サービスの経験と田原市図書館での行政・議会支援サービスの経験から、図書館と行政との関係についてお話しする。コメンテータの伊藤氏は、図書館での勤務経験をもつ行政職員として、この問題をどのように考えるかについて語る。後半では、参加者の経験を持ち寄って、問題を整理し、克服するための方法を皆で考えることにする。


<プログラム>       

基調報告:根本 彰(慶應義塾大学文学部教授)

講演:豊田高広(愛知県田原市図書館長)

コメンテータ:    伊藤丈晃(東京都小平市企画政策部秘書広報課) 

               <休憩>                    

    議論  (休憩時間にご意見を書いていただきます)   

司会:松本直樹(慶應義塾大学文学部准教授)
        
  問い合わせ:anemoto@keio.jp  (根本まで)

本ワークショップは慶應義塾大学学事振興資金にて実施します。

<補足>
オープンガバメントとオープンデータ
デジタルネットワークを用いて政府機関の透明性を高め、情報やデータを市民に提供して政府機能への参加を推進する考え方である。オープンガバメントはオバマ前米国大統領が就任当初に提唱して話題になった。日本では経済産業省が音頭を取って推進しようとしたが、トランプ政権に代わってからこの用語はあまり使われなくなっている。オープンデータは、政府機関のデータに限らず、さまざまな機関がデータをネットで相互に交換できるようにする考え方であるが、とくに「官民データ活用推進基本法」(平成28年法律第103号)が制定されて、中央政府、地方公共団体が積極的に機関内のデータを公開していく方針が示されている。

参照:政府CIOポータル「オープンデータ」
https://cio.go.jp/policy-opendata 

このワークショップでは、ビッグデータ時代のための使い勝手のよい データの公開促進という立場ではなく、政府・自治体の透明性や行政の効率性を進展させ、市民の政府・自治体への情報アクセスと職員の職務情報へのアクセスを向上させるのに、図書館がもつ資料や情報・データを収集し、蓄積し、提供する機能の再評価が有効であるととらえる立場に立つ。従来から図書館は、地方行政資料を収集してきたし、近年ではボーンデジタルの行政情報を収集しているところも増えている。日野市の市政図書室や鳥取県県庁内図書室を始め、庁内に図書館機能が組み込まれているところもある。また、地方自治法で議会図書室の設置が規定され、庁内に行政資料室が設置されている自治体も少なくない。オープンガバメント、オープンデータ時代において、これらが果たす図書館的機能について考えてみたい。

 <想定している参加者>
図書館関係者:地域行政資料担当、課題解決支援担当、レファレンス担当など
自治体関係者:情報システム、広報、情報公開、行政資料室、議会事務局担当者など
それ以外:地域情報、行政情報、オープンガバメントに関心をもつ市民の方

<参考文献>
全国公共図書館協議会『公立図書館における地域資料サービスに関する実態調査報告書』2016年度
全国公共図書館協議会『公立図書館における課題解決支援サービスに関する報告書』2015年度

日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会編 『情報公開制度と図書館の自由』 (図書館と自由 第8集) 日本図書館協会, 1987.

片山善博・糸賀雅児『地方自治と図書館:「知の地域づくり」を地方再生の切り札に』勁草書房, 2016.

根本彰『続・情報基盤としての図書館』勁草書房, 2004
根本彰「政府情報の提供体制と図書館:その法的根拠の検討」 『図書館研究シリーズ』 no.37, 2002. p.1-33.
三多摩郷土資料研究会編 『地域資料入門』 日本図書館協会, 1999. (共著)

豊田高広「成熟期にして転換期 : 田原市図書館の実践」『図書館界』vol. 64, no.3, 2012,
p. 206-211
竹内比呂也, 豊田高広, 平野雅彦著『図書館はまちの真ん中-静岡市立御幸町図書館の挑戦』 勁草書房 2007
豊田高広「私の「図書館経営学」事始」『現代の図書館』 vol.39, no.2, 2001, p.78-82
   

                          

2018-01-14

新土浦市立図書館に行ってみる

昨年12月に開館したのは知っていたがまだ訪れていなかった新土浦市立図書館に行ってみた。アルカス土浦という名前の複合ビルの中心的施設で、土浦駅前の空洞化現象に対する活性化策としてつくられた。

最近のこうした事例では指定管理制度を採用する自治体も増えているのだが、ここはそうせずに、直営の図書館として開館した。そのあたりの覚悟のほどと、どの程度のできばえかを確認しに行ったのだ。

結論から言うと、けっこういいのかもというところだ。日曜日の午前中であったが、すでにかなりの利用者が来ていた。家族連れも多い。車で行ったのだが、駐車場が同じビルにあって2時間までは無料で駐車できる。駐車券のチェックしてもらう際に前にいた家族連れが2時間でなくもっと長くしてほしい、2時間なんてあっという間に過ぎてしまうからと職員に話していた。駅ビルの駐車場の台数はそれほどなく、あとはちょっと歩くことになるが駅の東西の市営駐車場に入れればもっと長く停められるらしい。

施設は5200㎡あるということで、3層の館内も吹き抜けをつくってゆったりした感じとなっていた。入った階(2階)が雑誌と児童コーナー、その上がメインの書架と閲覧席があるところであり、一番上の階はロフトと呼ばれる自由に使えるスペースと自習室がある。こういう施設が、ある程度自習に対応せざるをえないことは確かで、予約制の自習スペースもかなりとってあった。

この図書館の特徴はあくまでも図書館の基本に徹することだと理解した。要するに資料提供機能である。資料の最大収容冊数は全自動書庫も含めて56万冊という。この図書館は歴史があって資料の蓄積がある。とくに4階のメインのフロアにはこの図書館の基本資料20万冊近くが並んでいるし、雑誌のタイトル数もかなり多い。地域資料のコーナーをじっくり見たが、歴史的な資料を中心に、以前だったら書架にしまわれていたものが開架で自由に手に取れるようになっている。600席ある座席数も魅力の一つだ。

全体に新しい本が多いので、自分の関心がある書架を見るのが楽しい。この規模の図書館の書架をざっとながめると、何か新しい発見があるのはうれしいものだ。今日もみているうちに、これは使えるというアイディアが浮かんできて、メモをとった。

資料提供は単に資料を並べて利用できるというだけでは完結しない。その中身とそれをどのように見せるのかが重要だ。ちょうど、児童コーナーにあるミニシアターで子どものための読み聞かせや紙芝居、お話し会が開かれようとしていた。けっこう親子づれが入っていて待っていた。

実は先日、10年ぶりくらいにつくば市立中央図書館に行った。いつも近くのつくば駅に出入りしているのに、わざわざ図書館に行きたいという気にはならない。しかし今度できた土浦市立ならまた行ってみたいと思う。なぜかというと、空間の広さと資料の多さにほかならない。たぶん土浦はつくばの2倍以上の広さと資料数があるだろう。もちろん筑波大学中央図書館と比べたら少ないのだが、そもそも大学図書館と公共図書館のコレクションはカバー範囲が違うし、それ以上に、大きすぎる蔵書は一望することができない。知の遠近法が働くためのちょうどいい大きさがあるのだろう。その意味で、ここは知的好奇心を掻き立てるものがある。それが継続的に更新されながら維持されることが必要だ。

新土浦市立図書館の館長は公募で選考されて着任した人で、もともとは大手広告会社に勤めていたという。今の図書館はどこも居心地の良さをもたらす環境づくりを重視している。ここもその意味で空間作りと対人サービスを重視しているのだろう。今のところ、基本的なサービス体制は提供されていると思う。今後は、これをベースにいかに展開して、単に市民の憩いの場にとどまらない、直営図書館ならではのサービスができるかだろう。展示企画、講演会、地域資料、デジタルアーカイブ等のこの地域特有のものをうまく表現できるといい。また、市民の課題解決支援サービスも次のテーマになる。

土浦駅とペデストリアンデッキでつながれけっこう人の行き来があるように見えた。今のうちは、物珍しさと使い勝手の良さで来館してくれる。しかし、地方都市でここにわざわざ来たいと思わせる要因が何なのかを見きわめる必要があるだろう。


2017-12-16

講演会「小田氏と忍性- 鎌倉期筑波山麓の仏教 -」

12月17日(日)につくば市役所会議室で、糸賀茂男氏(常磐大学名誉教授)の「小田氏と忍性」という題目の講演会があった。行ってみると、驚いたことに部屋がいっぱいになっていて参加者は230人ということだ。ほとんどが高齢者で、この地の歴史に関心をもつ人が多いことを知らされた。

講演では、まず小田氏の歴史が語られた。小田氏は桓武平氏の系譜に連なるが、初代の八田知家が源頼朝の信任が篤くて常陸国の守護職に任じられるという話しから始まる。もともとは宇都宮の出ということだ。糸賀氏は、この時点ではまだ小田氏は小田の場所にはいなかったという説のようだ。そして、小田氏は3代までで系譜が一旦とぎれ、4代目とされる小田時知は陸奥国仙台の近郊小田郷の小田家から来たという。ここで常陸小田氏が守護職として小田館(城)をつくり、その後15代の氏治まで400年ほどここに居た。しかし守護職だった時期は5代目の宗知までとされている。

さて、忍性(1217年〜1303年)は奈良の西大寺の僧であり、一度は鎌倉に使わされ、再度建長4年(1252年)東国に来たときにさらに、宝篋山の東面の三村山極楽寺に入りそれから10年間滞在した。何のために滞在したのか、また北条氏との関係はどうだったのか、あたりが中心的な議論だったはずだが、それらには概略触れられるだけで講演は終わった。用意されていた資料はきわめて詳細な3枚の年表と小田氏の家譜ほかのものから成っていて、氏曰く、準備した資料の10分の1程度しか話せなかったという。しかしながら、最後のまとめと終わってからの聴衆3人からのきわめて適切な質問とその応答により、おっしゃりたいことの概要は伝わった。

まず、当時の西大寺は東大寺に比べて勢力が弱く、忍性はその師叡尊によって東国との関係をつくって同寺の再興をはかるための任務をもって東国に派遣されたという見方をとる。筑波の地元では、忍性はここを拠点に民衆への布教と貧民やハンセン病などの弱者救済を行った人物として知られている。そうした善行を率先して行ったことは確かだろうが、彼は全国で布教活動をしていて、ここは通過地点にすぎない。糸賀氏は、忍性が小田を去るときに人夫80人に「聖教・道具」を持たせて鎌倉に移動したという記録があることに注目し、叡尊から与えられた彼の特別の任務とは、北関東の武士団から経典やその解説書、他に文化的な資料を集め、鎌倉に移してそこを拠点にした布教活動を行うことにあったのではないかという。また、北関東にはそれだけ豊富な文物と文化的伝統がすでにあったということが強調された。

質疑では、そのような豊かな伝統があった茨城県に中世のすぐれた文化財的なものがなぜないのか、そういうものがあれば都道府県別の人気ランキングで最下位ということはないのではないかという、もっともな質問があった。これについて糸賀氏は、それは徳川政権によってもたらされたという説を話された。一つは東国武士団の再興を絶つために徹底的にそういうものを破壊したということ、また、利根川水域は江戸期には新しい開拓地として大々的に開発されたことにより破壊されたという。確かに、小田氏の館跡もかなりの程度開墾されていて地面の下を掘り起こさないと出てこない。

これはなるほどと目をみはらされた。現在、戊辰戦争や明治維新が明治政府による勝者史観で語られてきたことについての見直しがおこなわれている。同様に中世の在り方についてもさまざまな見直しがある。この「東国武士団」がどういう存在だったのかもその一つである。糸賀氏は筑波山の麓の生まれで一貫して地元の歴史を見続けることで、大きな歴史評価の再編に参加されているのであろう。今日の講演は残りの10分の9を含めてぜひ著書としてまとめていただきたいと思った。

とくに、なぜ小田という場所がそうした拠点に選ばれたのかについては十分に窺うことができなかった。神戸、鎌倉が船による交易の場であったことや忍性が小田に来るときに鹿島神宮に詣でたこと(仏教僧と神社の関係についてはよくわからなかったが、神仏混淆がすでにあったのだろう)が引き合いに出されていたが、つながりはあまり理解できなかった。時代は若干下るが、北畠親房が小田城に滞在して『神皇正統記』を書いたきっかけが奥羽に向かっていた船団が嵐にあって小田氏を頼ってきたと説明されているが、これも、海路で近畿圏とつながっていたことを示している。小田が地政学的にどういう位置なのかに、以前から関心があったが、もう少しそれらについて勉強してみたい。

聴衆が多数で熱心、かつレベルが高いことに驚かされた。外は寒いのに、エアコンは冷房が付いていた。ということで、2時間くらいだったがきわめて密度の濃い議論が行われたことを記しておく。

学校図書館シンポジウム『学校図書館員の将来像:求められるコンピテンシー』の報告

12月3日(日)に、青山学院大学総合研究棟で

『学校図書館員の将来像:求められるコンピテンシー』

という研究集会があった。プログラムについてはこちらを参照のこと。パネリストとして登壇したので報告する。

プログラムのなかでメインの講演者米国ウェイン州立大学のヘルミナ・アンゲレスク教授は、筑波大学に客員教授として滞在している方だが、共産制下のルーマニアで若い時期を過ごし、チャウシェスク政権崩壊後にアメリカに渡りそのまま図書館情報学研究者になった人だという。図書館専門誌Library Trendsの特集「ポスト共産主義世界の図書館:中央・東ヨーロッパ及びロシアにおける四半世紀」の編集者を務めたりしている。

この人の大学があるミシガン州のデトロイト界隈の図書館の事情について話してくれたのだが、rust beltの一画であり雇用事情は厳しいということだ。私が今から30年前に近隣のアナーバーに滞在していたときはまだこのあたりの地域は希望に満ちていた。今では、学校司書の配置が一人が2校を掛け持ちということも一般的だそうだ。それなら、日本と同じに聞こえる。しかし基本的に学校司書はAASLの認定を受けた学校司書資格をもっていてフルタイム雇用の人たちだ。そこを分かった上で話しを聞かないととんでもない誤解をすることになる。やはりアメリカはprofessionalismの国であり、大学院の課程認定をしているAASLを傘下に置くALAはかなり政治的に強力であり、本部はシカゴにあるが首都ワシントンに事務所を置いて政治活動をしているという話しもあった。

私は、日本の登壇者の最後に概略次のような話しをした。注1)

今の大学入試改革=学習指導要領改訂は、図書館職にとってその位置づけを明確にするチャンスである。なぜなら、グローバライゼーション、デジタルネットワーク社会においては日本人ひとりひとりが知的に独立すること注2)が求められているからであり、そのことは文部科学省も理解はしていて、その仕掛けは1980年代から指導要領の改訂として行われていた。しかし今回は大学入試と組み合わされているところが新しい。日本の教育は高大接続がネックだった。入試改革は教育評価の改革である。センター入試を含めて大学入試が細かい知識を問う問題を出すことで、指導要領改訂の趣旨が徹底しないどころか元のものに戻す役割を果たしていた。大学は本来学問研究の府であるはずなのに、そこにうまく接続できない問題をかかえていたわけである。しかしながら、今回は入試を変えることをともなうことで大きく変化する可能性をもつ。

今回の指導要領改訂では、「アクティブ・ラーニング(主体的、対話的で深い学習)」をスローガンとしている。ここにおいて学校図書館は重要な役割を果たす。また、カリキュラム・マネジメントを教育委員会、学校、教員レベルで実施することを提案していて、これは指導要領の規制緩和とともとれる動きである。こういうことで、学校図書館の機能を教育課程と連動させ、それを担当する職員を「(学校内)情報メディア専門職」と位置づけることを提案する。具体的には、通常の図書館的な仕事の他に、次のことを担当するものとする。

1) 読書教育の担当者
2) 各教科における探究型学習の支援
3) 総合的な学習の時間等の横断的な学習活動の支援
4) 教科教員と連携して情報メディア教材(コンテンツ)を整備し活用できるようにする
5) 学校内での教室外学習の整備
6) 情報メディア教育を推進する担当者

これを実現するために、学校図書館関係者・研究者に加えて、学校教育研究者、教育行政担当者とのコラボレーションを行いつつ、政策的な議論を行い、実際に働きかけを行う。

以上である。現状を無視した乱暴な意見のように受け止められたと思う。質疑のなかで、学校のおそらく司書教諭として務めておられる方から、今現在でも忙しいのにこれ以上そのような仕事が増えたらとてもこなしきれないという感想が寄せられた。しかしながら、これは制度全体を大きく変えて専任の「情報メディア専門職」を配置することを想定しての話しである。

私の資料の最初にある「図書館の二重の中抜き構造の始まり」というのは、大学図書館においてデジタルネットワークで資料が提供できる体制が整えば、図書館そのものは「自習室」と「閉架書庫」によって構成されるものになるという話しであり、これを書いた方は、図書館員の必要性があるとすれば、所属大学での研究教育上発生したり流通したりするデータや情報の管理以外にないとしている。これはまったくそのとおりだと思うが、これは大学図書館だけでなく、公共図書館でも学校図書館でも早かれ遅かれ課題になるはずである。

実は日本の学校図書館は、戦後まもなく、この中抜き制度的構造を強いられてきた。それを何とかやりくりして今に至っているのだが、現在はこれを動かすチャンスでもある。ALAがさまざまな政治的働きをしているという話しを聞きながら、日本では何ができるのかと考えてみたものである。このくらいのことを視野において置かなければ、今のラジカル変動する社会状況に対応できないということである。

注1) 資料はここを参照。
注2)「ひとりひとりが知的に独立すること」これは私の近著のテーマである。『情報リテラシーのための図書館:教育制度と図書館の改革』(みすず書房) を参照のこと。


2017-11-25

『情報リテラシーのための図書館ー日本の教育制度と図書館の改革』(続報)



『情報リテラシーのための図書館ー日本の教育制度と図書館の改革』(みすず書房)が刊行される。11月24日に見本刷りが出て、本日入手した。左はたぶんネットで最初に公開する表紙の写真である。



 12月1日発行となっていて、店頭には12月2日頃に並ぶ予定だ。すでにamazonでも予告されている。TRCの新刊急行ベルにも入っていると聞いた。


本書は私がこれまで出してきた図書館情報学本あるいは図書館本と共通のテーマを持ちながらも違っている点がいくつかある。

第1に、タイトルに情報リテラシーを掲げている点である。関係者には周知のように、日本で使われる情報リテラシーは国際的な用語としてのinformation literacyとかなり違っている。日本的な情報リテラシー理解は、ICTのシステム操作スキルを中心にとらえているのに対して、国際的な理解では情報コンテンツへのアクセスを中心にとらえるものである。この本は国際的な理解を積極的に採用し、それに基づいて情報リテラシーを論じている。国際的な理解はもともとACRLというアメリカの大学図書館関係団体での議論が中心だったものである。それ自体が現在揺れているところはあり、両者の理解は相互に近づいていてメディア情報リテラシーと呼ばれることもある。また、近年、市民リテラシーとか高次リテラシーなどと呼ばれるようになっているあたりの事情についても触れた。

第2に、情報コンテンツへのアクセスを教育改革の課題と関わらせて論じたことである。これは2020年の大学入試改革や学習指導要領改訂の課題と密接に関わっている。それは大きく言えば、学校教育における「知の解放」である。東アジア的な「習得型学習」「詰め込み教育」は学力向上あるいは学力保持の決め手と考えている人もまだいるが、文科省も含めてすでに舵は切られていて、新しいタイプの学習方法を取り入れそれを評価する方向に進み始めている。その際に、情報コンテンツを自在に使いこなす学習者の育成が重要なテーマとなる。こうした教育改革の課題自体を論じている。

第3に、実はこの教育改革が、戦後改革どころか明治維新に遡ってとらえるべき歴史的改革でもあることを論じている。本書の第4章では歴史的に遡り、江戸期の教育がきわめて自由奔放で効果的であったことを取り上げた。第5章では、それが明治以降の「上からの近代化」を国是としたことで、教育の目的も方法も限定され、情報コンテンツへのアクセスが著しく制限されたことを述べている。図書館の整備よりも学校教育が優先されてきたことを批判的にとらえる視点を強調している。

第4に、図書館改革については職員問題を中心に論じている。戦後改革において図書館の位置づけが中途半端だったことにより、司書も司書教諭も専門職としてきわめて不完全なままに大学での養成が行われてきた。さらに、近年、学校司書という新しい資格が加わることになった。教育改革における「知の解放」の決め手が情報リテラシーにあるとしたら、それを推進できる専門的なライブラリアンの存在は欠かせない。そのことを6章、7章で論じた。


以上のことをご理解いただくために本書の本文の一部をここに示すことにしたい。
お見せするのは、次の項目からなる「本文見本」である。
「はじめに」
「目次」
「引用/参照文献一覧」
「索引」

根本彰『情報リテラシーのための図書館ー日本の教育制度と図書館の改革』(みすず書房 2017年12月刊)

どうぞ手にとってご覧いただければ幸いである。




2017-10-27

「書籍のナショナルアーカイブ」の研究会報告

昨晩、表記の研究会を三田キャンパスで開催した。著作権法の第一人者松田政行弁護士をお呼びして、最近の著作権法と著作物の利用の問題について伺った。

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慶應義塾大学文学研究科・三田図書館・情報学会共催 公開研究会

「書籍のナショナルアーカイブについて考える」

日時:20171026日(木)午後630分〜830分(開場:午後6時10分)
場所:慶應義塾大学三田キャンパス 南校舎 475教室
参加:無料。事前申込み制

開催の趣旨:
 2016年に、Google Books裁判がGoogle社側の勝訴をもって終了した。英語書籍の電子化とそれに対する検索サービス提供が米国著作権法におけるフェアユースの範囲にあることが法的に認定され、同社は今後とも電子書籍流通の重要な担い手であり続けることになった。他方、この間にわが国では「長尾構想」を基に著作権法を改正し、国立国会図書館に著作物のデジタルコレクションをつくることによって、その一部をインターネット公開したり全国の図書館に送信可能にしたりするための制度的基盤がつくられている。
 これらの事態がもつ意味、そして今後の書籍流通あるいは図書館の在り方に与える影響について、『Google Books裁判資料の分析とその評価:ナショナルアーカイブはどう創られるか』(商事法務, 2016)の著者である松田政行弁護士をお招きして一緒に考えてみたい。

  <プログラム>
司会:松本直樹(慶應義塾大学文学部准教授)

630分〜650分 講師紹介と最近の状況についてのまとめ
 根本 彰(慶應義塾大学文学部教授)

650分〜750分 講演「電子書籍流通のための情報基盤書籍のナショナルアーカイブをめぐって」松田政行氏(弁護士、森・濱田松本法律事務所シニアカウンセル)

750分〜830分 議論 
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この間の経緯、背景、考え方についてはまた報告する機会をつくるつもりだが、これを開催するきっかけは、松田政行編著・増田雅史著『Google Books裁判資料の分析とその評価:ナショナルアーカイブはどう創られるか』(商事法務, 2016)という本をたまたま手にとったことにある。この本の重要性については、『日本図書館情報学会誌』のvol.63, no.3(Sep 2017)に書評として掲載してもらったのでそちらを参照されたい。

要約すると、2005年のGoogle Books裁判以降の動きを追うことによって、Googleのビジネス戦略とそれがアメリカの連邦レベルの司法によって修正されながらも認定される過程を描いている。またそれが「書籍のナショナルアーカイブ」をつくることにあたると述べている。そして、Google一社が英語圏の書籍アーカイブを手中に納めているのに対して、日本国政府は(いつの間にか)国立国会図書館がこれをつくることを可能にする著作権法改正を行ったという。

昨夜のお話しは、その後の動きについて触れる場面もあって、今、これがリアルタイムで動いていることを肌で感じるものだった。ヒントとしては、一つは内閣府知的財産戦略推進事務局が「デジタル・アーカイブジャパン推進委員会」で検討している「デジタルアーカイブに関する取り組みについて」という報告にある。国の機関が実施しているデジタルアーカイブのプロジェクトに対して、横断的に検索をかける「ジャパンサーチ」という検索の窓口を国立国会図書館が中心になって立ち上げることが想定されている。

もう一つは、アメリカ著作権法の重要な要素としてフェアユースと言う考え方があるが、それを日本でも導入しようというもので、「権利制限規定の柔軟性」と呼ばれて現在準備中ということである。詳しくは、文化審議会著作権分科会につくられた作業部会の報告書「著作権法における権利制限規定の柔軟性が及ぼす効果と影響等について」に出ている。もしこれが実現すると、日本でもデジタル化とそれに対する検索データベースの作成が許諾なしで可能になり、Google Booksと類似のサービスが民間事業者によって実施されることもありうるということだ。

これら二つの動きは密接にリンクしている。私も、この問題に首を突っ込んでいろいろ調べてみて、最初の長尾構想(国立国会図書館がデジタル化を行い、図書館や民間の「電子出版物流通センター」がデジタルデータの提供や流通を担う分担方式)とは少し異なったかたちで国が動き始めていることに気づくようになった。しかし、10年前、Google Book Searchのときにはあんなに大騒ぎしたのに、今回は表面下で人知れず進んでいる。こうした事情の全体像を理解することがたいへんなことはあるが、もう一つはさまざまな利権がからんでいるためにマスメディアが報道を控えているのだろう。彼らも利害関係者であるからだ。

ともかく、以上のことをここに書いておくことで今後の考察のスタートとしよう。これは、これまで紙ベースで動いていたものが、デジタルネットワークに移行するという大きな転換点に私たちが今いることを示している。そして、一方でGoogle一社で書籍のデジタルアーカイブを運用することの危険性を意識するべきであるが、他方、日本でも、これが誰の手でどのようにつくられるのかということについて私たちは関心を持ち続ける必要がある。

2017-10-22

「図書館での文庫本の貸出」について

10月13日の全国図書館大会第21分科会「出版と図書館」については、当事者でもあるので発言しておきたい。

このとき、みすず書房持谷寿夫氏、文藝春秋松井清人氏、岩波書店岡本厚氏とともに登壇した。資料としては、http://jla-conf.info/103th_tokyo/index.php/subcommittee/section21のページに原稿があるのでご覧いただきたい。この資料は、大会の前にここにアップされており、前日12日の朝日新聞東京版の朝刊社会面(日経が夕刊)にこれを紹介する記事が出た。朝日の記事は「文庫本「図書館貸し出し中止を」 文芸春秋社長が要請へ」というものである。これをきっかけにして、マスメディアでの取材の事前申込みがあったといい、行ってみるとNHKとTBSのカメラが入り、他に数社の新聞社から記者が来ているのが分かった。

当日のNHK総合の午後7時と11時のニュースで放映され、TBSニュースでも放映された。新聞も、東京新聞、読売新聞、毎日新聞で記事になっているのを確認している。このなかでは、NHKが、この分科会の紹介だけでなくて、図書館での取材も行った上でニュースとして報道したのが目に付いた。いずれの報道も松井氏の発言を中心に、出版不況で本の売れ行きが落ちているなかで、文芸書出版社が文庫本の提供制限を図書館員に説いたという論調だった。

このとき私は基本的に出版界と図書館界とをつなげ両立を模索する方向の発言が求められていると考えそのように述べた。このときは、「遅延的文化作用」という言葉を使って、図書館は出版社の市場を奪うような書籍の提供の仕方はしていないはずだと強調した。

ただ、そのことからすると松井氏の発言は意外な側面をもっていたことも事実だ。文芸書を出す出版社にとって、文庫本は初期の単行書を十分に売り切った後に出す廉価版であり、あまり採算は問題にしていないと考えていたのに、それが重要な収益源だというからだ。図書館の遅延的作用が出版社の販売戦略とぶつかっているように見えるわけで、従来とは構図が変化してきている。それだけ、出版は追い詰められているのだろう。また、それに寄り掛かって文庫本をたくさん提供している図書館があるとすれば、それはそれで危機を共有していることになる。

松井氏の発言のなかで印象的だったのは、「本を借りるのではなく買う習慣をもってほしい」と繰り返していた点である。私はこれで、彼の真意が理解できた。もともと日本人にとっては本は買うものであったから、買うのではなく借りる人が増えているとすれば、図書館が借りる習慣をつくりだしたからだ。だから、私が出版界と図書館界の協調をと発言した部分について、彼は出版流通における公と私の境を少し前のものに戻して、借りると買うとの境界の見直しに協力してほしいと具体的にコメントしたのだ。これは、出版社の経済行為としての出版活動なしで図書館の資料提供は成り立たないから、まず出版社の経営の安定に協力してほしいということだ。これはこれでそこにいた人たちに訴える力はあったと思う。その場でアンケート調査が行われたがそこでは、松井氏に反発する発言はあまりなかったようだ。

けれども、ちょっと意地の悪い見方をすると、今回の件はニュースがどのように構築されるのかを知るのによい体験だった。そもそも、分科会の前日に朝日と日経がリーク的な報道をしている。そして、多くのメディアが入り、報道をした。松井氏は開口一番、前日あった新聞報道は自分の本意とすることを伝えていないと発言した。しかしながら、実際の話はやはり文庫本を図書館では積極的に提供するのを控えてほしいという内容だった。ただし、朝日の報道では「貸出中止」とあったが、そのときの発言はそこまで踏み込んだ強い要請ではなかったと思う。

マスメディア(ここには当然出版社も新聞社も含まれる)によって「出版社 vs. 図書館」という構図がつくられて耳目を集めた。私には、2年前の新潮社社長佐藤隆信氏の「貸出猶予」の発言と同様に、松井氏が集まった図書館員を相手にあえて悪ぶってみせることによって、多数のメディアを呼び寄せ、文芸書出版の危機とそれを救うための手立てを世間に訴えたように見えた。図書館大会の場はその出汁に使われているのだ。

SNSでは松井氏の発言に対する批判が強いようだが、それは物事の表面だけをみた判断だ。それだけ出版界は追い込まれていてなりふり構っていられない部分があるのだ。真の問題は、特定ジャンルの出版社の危機というより書籍文化全体の危機がある点だろう。読み手が減っているのは、少子高齢化が大きな原因である。活字世代がそのまま歳をとっていて、文庫本の買い手もその図書館での借り手も中高年層が中心である。彼らの一部が借りることをやめて買うことにしたところで、それほど大きな影響はないだろう。だが問題なのは、次の世代の読み手が十分に育つことを妨げている状況がある点である。読書推進を唱えても読むのはせいぜい小学生までで、それ以上の世代に読む習慣が必ずしもできていないことが最大の問題ではないのか。今の中高年の後の世代が買い手であると同時に借り手でもある読者に育つのかどうかが問われている。

分科会では、児童書出版と図書館の関係が一つのよきモデルだと発言しておいた。図書館では児童書を複本で提供するのは当たり前のように行われているが、そのことを出版社や児童作家が批判したりすることはない。図書館が読者を育成し本の買い手を生み出し、それが次の世代の読者に引き継がれている。だが、児童書が売れ借りられ、読まれても、それがそのまま継続して大人の書籍の読み手になるまで導くものになっているのかといえばなってはいないことが問題なのである。

ともかく今回の分科会への参加は私にとって、出版と図書館の関係を考えるだけでなく、メディアの在り方を考えるのにもよい機会になった。だが、図書館という領域がこのように注目され取り上げられる存在になったのだということも事実であった。そのことについてもまた考えてみたい。



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