2017-12-16

講演会「小田氏と忍性- 鎌倉期筑波山麓の仏教 -」

12月17日(日)につくば市役所会議室で、糸賀茂男氏(常磐大学名誉教授)の「小田氏と忍性」という題目の講演会があった。行ってみると、驚いたことに部屋がいっぱいになっていて参加者は230人ということだ。ほとんどが高齢者で、この地の歴史に関心をもつ人が多いことを知らされた。

講演では、まず小田氏の歴史が語られた。小田氏は桓武平氏の系譜に連なるが、初代の八田知家が源頼朝の信任が篤くて常陸国の守護職に任じられるという話しから始まる。もともとは宇都宮の出ということだ。糸賀氏は、この時点ではまだ小田氏は小田の場所にはいなかったという説のようだ。そして、小田氏は3代までで系譜が一旦とぎれ、4代目とされる小田時知は陸奥国仙台の近郊小田郷の小田家から来たという。ここで常陸小田氏が守護職として小田館(城)をつくり、その後15代の氏治まで400年ほどここに居た。しかし守護職だった時期は5代目の宗知までとされている。

さて、忍性(1217年〜1303年)は奈良の西大寺の僧であり、一度は鎌倉に使わされ、再度建長4年(1252年)東国に来たときにさらに、宝篋山の東面の三村山極楽寺に入りそれから10年間滞在した。何のために滞在したのか、また北条氏との関係はどうだったのか、あたりが中心的な議論だったはずだが、それらには概略触れられるだけで講演は終わった。用意されていた資料はきわめて詳細な3枚の年表と小田氏の家譜ほかのものから成っていて、氏曰く、準備した資料の10分の1程度しか話せなかったという。しかしながら、最後のまとめと終わってからの聴衆3人からのきわめて適切な質問とその応答により、おっしゃりたいことの概要は伝わった。

まず、当時の西大寺は東大寺に比べて勢力が弱く、忍性はその師叡尊によって東国との関係をつくって同寺の再興をはかるための任務をもって東国に派遣されたという見方をとる。筑波の地元では、忍性はここを拠点に民衆への布教と貧民やハンセン病などの弱者救済を行った人物として知られている。そうした善行を率先して行ったことは確かだろうが、彼は全国で布教活動をしていて、ここは通過地点にすぎない。糸賀氏は、忍性が小田を去るときに人夫80人に「聖教・道具」を持たせて鎌倉に移動したという記録があることに注目し、叡尊から与えられた彼の特別の任務とは、北関東の武士団から経典やその解説書、他に文化的な資料を集め、鎌倉に移してそこを拠点にした布教活動を行うことにあったのではないかという。また、北関東にはそれだけ豊富な文物と文化的伝統がすでにあったということが強調された。

質疑では、そのような豊かな伝統があった茨城県に中世のすぐれた文化財的なものがなぜないのか、そういうものがあれば都道府県別の人気ランキングで最下位ということはないのではないかという、もっともな質問があった。これについて糸賀氏は、それは徳川政権によってもたらされたという説を話された。一つは東国武士団の再興を絶つために徹底的にそういうものを破壊したということ、また、利根川水域は江戸期には新しい開拓地として大々的に開発されたことにより破壊されたという。確かに、小田氏の館跡もかなりの程度開墾されていて地面の下を掘り起こさないと出てこない。

これはなるほどと目をみはらされた。現在、戊辰戦争や明治維新が明治政府による勝者史観で語られてきたことについての見直しがおこなわれている。同様に中世の在り方についてもさまざまな見直しがある。この「東国武士団」がどういう存在だったのかもその一つである。糸賀氏は筑波山の麓の生まれで一貫して地元の歴史を見続けることで、大きな歴史評価の再編に参加されているのであろう。今日の講演は残りの10分の9を含めてぜひ著書としてまとめていただきたいと思った。

とくに、なぜ小田という場所がそうした拠点に選ばれたのかについては十分に窺うことができなかった。神戸、鎌倉が船による交易の場であったことや忍性が小田に来るときに鹿島神宮に詣でたこと(仏教僧と神社の関係についてはよくわからなかったが、神仏混淆がすでにあったのだろう)が引き合いに出されていたが、つながりはあまり理解できなかった。時代は若干下るが、北畠親房が小田城に滞在して『神皇正統記』を書いたきっかけが奥羽に向かっていた船団が嵐にあって小田氏を頼ってきたと説明されているが、これも、海路で近畿圏とつながっていたことを示している。小田が地政学的にどういう位置なのかに、以前から関心があったが、もう少しそれらについて勉強してみたい。

聴衆が多数で熱心、かつレベルが高いことに驚かされた。外は寒いのに、エアコンは冷房が付いていた。ということで、2時間くらいだったがきわめて密度の濃い議論が行われたことを記しておく。

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