2025-12-31

汐﨑順子『子どもと本をつなぐ:子ども文庫と私立図書館』(玉川大学出版部, 2025)について

 汐﨑順子さんから『子どもと本をつなぐ:子ども文庫と私立図書館』(玉川大学出版部, 2025)をいただいた。本書の基になった著者の博士論文(「子ども文庫が生まれる理由、続ける力、支える仕組み」)の審査に当たったこともあり、本書について思うことを書いてみたい。

 子ども文庫は文庫の一種である。そこでまず文庫について考えてみる。

 文庫を「ふみくら」と呼べばあくまでも私的に本を集める営為によって結果的につくられたもののことで、通常は文筆家や研究者、文化人と呼ばれる業績があった人が亡くなった後に、残された蔵書ほかの資料類を一括して保存・運用されたものを指すことが多い。文庫はその蔵書を故人の著作活動を研究するために公開し、また、故人の活動を顕彰する目的で展示物として公開する場合もある。文庫は公的な図書館に組み替えられたり、吸収されたりする例も少なくないが、文庫が図書館に入った時点でそれは文庫でなくなり、図書館の(特別)コレクションになる。

 とすると、私蔵書と文庫と図書館は区別されるべきものだ。私蔵書は当該所有者が活動中、まったく個人的なものであるから、外部に公開されることは例外的な場合にしかない。これが文庫になると、当該故人の手を離れて遺族や関係者によって運用され、それが外部に開かれるがそれはあくまでも故人の業績との関係においてである。これが図書館に入るともうそれは全体のコレクションの一部であり、当該故人との関係はその人を研究する人が現れたときやその人を偲んで特別展をやるときに意識されるのみである。

 では子ども文庫はどうであろうか。文庫は個人蔵書として始まるがまもなく読み手である子どもは成長して絵本を読まなくなるから、通常は私蔵書のままで終わるのであるが、親がこれを用いて継続して近所の子どもたちに提供しようという意思があったときに子ども文庫が始まる。その担い手は一般の市民であり、それが置かれる場も個人宅やせいぜい公民館等の公共施設の一角という点で日常的なものである。また、蔵書そのものがもつ固有の価値よりも、それを集め子どもたちに媒介する読み聞かせなどの行為が重要である。

 本書は、子ども文庫を対象にその生まれる理由、継続していく原動力、そしてこれを背後から支える仕組みについて明らかにした。子ども文庫の存在はかつて世界にも類を見ないとされた。これがいかなる意味で他の文庫とも図書館とも異なる独自の存在意義をもつのか、また現在に至るまで、継続してきたのかが本書によって解明された。

 本書の意義は第一に、子ども文庫が読書運動とも図書館運動とも異なる、「文庫運動」であることを解明した点である。この運動の中心的担い手は家庭の主婦であり、そうしたひとたちのまったくボランタリーな活動によって、自分の子どものみならず近隣の子どもたちを対象に日本の豊かなオーラルカルチャーを伝達する場として子ども文庫を運営した。この運動がめざすものは、本自体は伝達行為のツールにすぎず、よい本を読ませるよりも、本を媒介とした母親と子どものコミュニケーションの場の提供と子どもたちの読書習慣を身につけるカルチャーの普及にあり、実際にそのように展開した。

 第二に、子ども文庫の活動は個人レベルの活動に終わらずに、時間的空間的に拡がっていった様子を記述して示したことにある。近隣の子どもたちに向けた家庭文庫は複数のものが合併したり、地域的な広がりをみせて地域文庫となったりした。ひとつの文庫が次の世代に継承される例もすくなくなかった。また、これを背後から支えるための組織的活動として東京子ども図書館ほかのものを生み出した。また、全国各地で図書館設置運動の原動力となった。さらには、慣れ親しんだ絵本・児童書をもって子どもに接する文庫活動で培われたノウハウはのちに、公共図書館の児童サービスの方法を確立する際の基本的な要素を提供した。制度的には作家や児童書出版社、図書館関係者を結束させる力となり、子ども読書活動推進法につながる動きの原動力となった。

 第三に、そうした子ども文庫運動の複合的な動きの分析を通じて、これが子どもたちに対する豊かな言語文化、身体文化を提供するノウハウを世代的に継承させる役割を果たした様子を明らかにしていったことが挙げられる。通常の文庫が個人蔵書から始まり亡くなってからその人を偲び顕彰しあるいは研究する、あくまでも個人ベースのものであったのに対して、こちらは同時代的に外に向けて開放され、そのノウハウは友人関係や地域関係を通じて拡がっていく性質をもっていた。子ども文庫は単に個人蔵書を運営するノウハウではなく、そこには念入りに選択された蔵書の存在を前提として、これを子育てを豊かにするためのさまざまな活動に結びつけることで、同時に担い手が社会的な自己実現を図るための運動として機能したことが明らかになった。著者は、結論部分で日本が経済的に豊かな時代にあって、高等教育を受けた女性たちが日本の言語文化に基づく子育ての伝統を無意識のうちに継承・発展させた運動であったことを示唆している。

 なお、本書の第3部で、著者は基になった博士論文の記述に加えて、岩手県陸前高田市において東日本大震災後に3つの子ども文庫が活動したことについて述べている。同館は大きな被害に合って、図書館は働いていた職員や利用していた人も含めて津波に飲まれて全壊した。その復興過程で全国から図書館、出版関係者がボランティアで支援を行ったが、そのなかに子どもたちに本を届けたり、地域復興の支援をするための活動が含まれていたことを記述している。

                                

 評者は著者の観点からは少々離れて、本書を通じて感じたことを次のようにまとめてみる。

 まず、歴史的には文庫はあくまでも男性社会のカルチャーだったが、それを家庭文庫、地域文庫として女性が運営することは女性の社会進出に関わっている。これについては、社会学的観点あるいはフェミニズム的観点での研究も可能だろう。考えてみると、子ども文庫は要するに子育て体験の、ある特定部分のネットワーク的共有ということになる。これは、母→子→孫という縦の時間軸的系列と「ご近所」や「友人」「地域コミュニティ」等々の関係で拡がる横の地域的つながりがありえる。子育てのノウハウの相互交換と地域的継承というなかに、子どもにとっての読書経験が重要という部分があり、これが文庫という形をとり、それは世代を超えて次の世代につながっていったと考えられる。

 これは子ども文庫が、図書館のような公的領域の制度と異なる私的領域の核心にかかわっている部分にも関わる。一般に、母子関係のなかで言葉を介したものがベースになって「母語」が生まれるとされる。今、乳幼児のオノマトペ(喃語)が言葉の獲得そして知的発達密接な関連をもつことが議論されている。絵本はこれを媒介するツールである。おもちゃやテレビやビデオ、ましてゲームやスマホではなく、絵本は絵という直截的な視覚情報を読み手が言葉で媒介する際に、読み手と聞き手が経験をそのまま共有できるものである。そこに次の段階の関係が生まれる余地が生じる。

 本書は、子ども文庫が母親たちの絵本・児童書の選択・収集・読み聞かせから始まり運動として社会的に広まったことのもつ意義を解明している。著者は禁欲的に子ども文庫の在り方とその広がり方を記述することに限定しており、最初からその社会的意義を声高に解釈するようなことはしていない。子ども文庫活動がもつ教育心理学的な意義を検討したものでもないが、それでも、運動が継承と拡がりをもち、図書館の児童サービスにもつながっていったもっとも基本的な理由にこうした女性たちの無意識の行動があったことを示唆している。次のより分析的な研究のための枠組みの提供と論点の整理をしたことが最大の貢献である。



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