2024-10-20

『人工知能とライブラリアンシップ』の概要紹介

別ページで公開したマーティン・フリッケ『人工知能とライブラリアンシップ』の概要を紹介します。この本は,最新の生成AIの技術的知識を,きわめて高い水準を保ちながら分かりやすく解説し,それが図書館員の仕事とどのような関係になるのかを説明したものです。生成AIは大規模言語モデルを用いて,従来の情報検索や全文検索とは異なる知への新しいアプローチを提供していて話題を集めています。図書館員の仕事も文献の蓄積に対してアクセスすることを支援するものですから,この技術をうまく使うことで大きな力となるはずです。

しかしながら,そこには気をつけなければならない多数の問題があります。それを著者はていねいに記述していきます。全部で15章の本文に付録と用語集,文献一覧を含み,A4判で400ページ近くになる大著です。簡単に読みこなすことは難しいように思われるかもしれません。

全体としては,本文の1章から5章までは生成AIの技術的解説とその特性についての説明,6章から9章は生成AIがはらむ倫理的問題点とそれがライブラリアンシップとどのような関係になるのかの解説,そして10章から15章がライブラリアンシップにとって生成AIをどのように使いこなすべきなのかの話しです。とくに図書館関係の方は10章〜15章を先に目を通すと読みやすいかもしれません。お急ぎの方は,図書館員の役割を概説している10章と将来展望を述べている15章だけでも読むと,著者が図書館にどのような希望を込めているのかがわかります。



<目次>

第1章  知的背景
第2章  チャットボット
第3章  言語モデル
第4章  大規模言語モデル
第5章  大規模マルチモーダルモデル
第6章  評価と将来
第7章  バイアスと不公平
第8章  機械学習とライブラリアンシップにおけるバイアス
第9章  自然言語処理(NLP)はライブラリアンシップに何をもたらすだろうか?
第10章  図書館員にとってどんな機会になるか?
第11章  シナジストとしての図書館員
第12章  セントリーとしての図書館員
第13章  エデュケーターとしての図書館員
第14章  マネジャーとしての図書館員
第15章  アストロノートとしての図書館員


第1章 知的背景 

今起こっているAIについての技術的進展の最先端がどのようなものであり,そこで使われている技術の概要についての紹介。とくにライブラリアンシップにとって重要なテキストやそこへのアクセス問題(テキスト読み上げや機械翻訳,情報検索,アーカイブなど)と今の技術がどのような関係にあるのかについて記述している。また,AIの本質が機械学習にあること,そして,そこで学習のための「教師」がテキストによるトレーニングセットで構成されること,テキスト作成のためのOCR技術の重要性が解説される。教師あり,教師なしなどの組み合わせでトレーニングされ,さらに次の段階として自己教育が可能になる。これが,機械学習のポイントである。

第2章 チャットボット

コンピュータ画面でAIと対話しながら情報を得たり,何らかの指示を出したりするチャットボットの仕組みについての解説。こうしたシステムも初期のプログラム化されたエキスパートシステムから現在の深層学習に変わって大きく進化した。機械との対話が自然であるかどうかを見分けるためのチューリングテストにパスするようなものが現れている。深層学習による機械学習を理解するためには,テキストに現れていない意味(含意)を理解できるようにする必要があることが述べられる。

第3章 言語モデル

ここでは,言語学習がどのように行われるのかについての基本的な理論の解説を行っている。テキストを構成する文字の並びから次の文字を予想するために,確率的に言語のつながりを計算する手法である隠れマルコフモデルという考え方を導入する。シャノンは,英語の文字のシーケンスの確率に着目した。これによってサンプルデータからの学習の方法(ベイビーGPT)が示される。その方法が実際の大規模データで長期間をかけ,評価とフィードバックを含めて実行されてできたものがGPT等の大規模言語モデルである。学習の方法としてベクトルで表現した単語の「埋め込み」を行いそれを修正しながら学習していく。このようにして言語モデルから出力される文は知識や真実と乖離していることも多いが,それらに対して,教師あり学習の微調整や人間の評価者による強化学習によって知識や意味の要素を加えていくプロセスとしてInstructGPTがある。

第4章 大規模言語モデル

こうした言語モデルを大規模に高速に実行する方法について詳細に述べているのが,この章である。ここでは,効果的に言語を処理するために注目すべき語やシーケンスに重み付けをするためのアテンションや並列処理を可能にするトランスフォーマーといった最近開発された技術について解説される。さらに,大規模言語モデルの自己監督機能を使用してモデルを事前トレーニングし,次に微調整を施してモデルを下流のタスクに適したものにしていく過程を繰り返したものが基盤モデルと呼ばれる。基盤モデルはテキストだけでなく,音声,画像,映像などのマルチモーダルなドキュメントを同時に扱うことも可能になっている。こうして現れたのがGPT-3,GPT-3.5,GPT-4などの生成AIである。これらの多くはチャットボットのようなエージェント(質問応答形式)で提供されている。具体的な例として,本(AIと研究図書館のライブラリアンシップ)のアウトラインをつくっているプロセスを示している。こういうLLMの仕組みの解説から,問題点として,幻覚(ハルシネ—ション),フェイク,知財,プライバシー,チョムスキー理論との関係,サイバーセキュリティ,透明性の欠如,環境コスト,推論に弱いなどの問題点を指摘している。

第5章 大規模マルチモーダルモデル

画像や音声,映像を解析して対話的に応答できるLMMはLLMの一種と考えることができる。画像内のテキストや数値を読む,ただし,これを使う際には,マルチモーダルであることによるプライバシーやステレオタイプ,障害者への配慮などの安全面の配慮事項がありうる。LMMを使って説明したり,推論したりする例が多数紹介されている。ルネサンスの絵画を見ての美術史の解説,科学的知識と組み合わせての教育指導案,寿司の作り方の手順の写真から作成順序を推論,外的世界との関係ではロボットに買い物の指示をする事例など。これうして,現実世界とマルチモーダルな関係でつながる可能性が高まった。2024年になると,GPT-4 ターボ(OpenAI),Gemini(Google),Claude(Anthropic)など各社がLMMの拡張版を一斉に発表した。これによってできることはたくさんある。たとえば,スマホで撮影した画像からテキストを抽出すること,二つの画像の違いを見分けること,医療用画像の説明,画像の生成,画像の分類やラベル付け,情報検索の拡張といったものだ。

第6章 評価と将来

AI は主に信頼性とアラインメントの概念を使用して評価する。信頼性は一貫していることであり,アラインメントはモデルの予測や動作が,期待される,望ましい,または意図された結果とぴたりと一致することだ。LMM で何ができるかを理解する方法の 1 つは,一般的なベンチマークを見ることで,ここでは評価のためのツールとしてMT-Bench ,Chatbot Arena,A12 Reasoning Challenge,MMLU などがあり,それぞれの特徴が説明される。さらにコンピュータ コードの作成に特化したベンチマークとしていくつかを紹介している。「汎用人工知能(AGI)」を評価するための ARC-AGIベンチマークというものもある。最後に,カーツワイルの「シンギュラリティ」が起こるかどうかについて,アッシェンブレンナーが行った今後10年の予測記事の紹介があり,2027 年頃までに AGI が登場し,その1年後くらいにそれらを遙かに上回る人工超知能(ASI)が現れる可能性がある。これを最初に手に入れた者に決定的な軍事的および政治的優位性をもたらす可能性がある。AGIからASIへの飛躍の鍵は重み付けにあるので,セキュリティがきわめて重要である。

第7章 バイアスと不公平

ここからは,AIがもたらす倫理的問題について突っ込んだ議論がある。まず,機械学習におけるバイアスとは,事前に設定された変数間の重み付けのことであり,それ自体には倫理的社会的問題は存在しない。また予測バイアスという用語が使われるがそれは予測値と実質値との偏差という意味だ。明らかなバイアス表現は対応すれば排除できるが,自然言語に含まれるバイアスの多くはバイアスと気づかれないままに機械学習の基になっている。また,アルゴリズムは中立的用語でそれ自体にバイアスはない。バイアスをもたらすものがあるとすれば,ソフトウェアの仕様である。ただし,コンピュータの学習や予測は自己監督によることで非経験的であり,それはさらに深層学習で行われることによって「バイアス」が生じることは防げない。機械学習のバイアスに対して知識をもつことが必要で,ここでは分配的正義の意味での公平性について,住宅ローン審査のシステムにおける閾値の設定問題を挙げて論じる。また,ジェンダーバイアス除去,顔認識の拡がりにおけるパノプティコン状況の成立,図書館の蔵書分類問題などについて論じる。AIに含まれる誤報,スパム,フィッシング,法的および行政的プロセスの悪用,不正な学術論文執筆,バイアスなどについてそれが起こる理由を推測できることが大事だ。スマホを使うすべての人はプログラマーであり,図書館員は「情報リテラシー」の専門家である。

第8章  機械学習とライブラリアンシップにおけるバイアス

大規模言語処理に伴うバイアス問題をさらに分析する。とくに,どのようなシステムの動作が,誰に対して,なぜ有害であるか,これらの記述の根底にある規範的推論がどのように行われるのか。機械学習,バイアス,ライブラリアンシップに交差するところがあることを理解する。次に,検索エンジンの特性がバイアスを生み出す問題として,システムがもつステミング,オートコンプリートなどのキーワード修正機能があり,個々のユーザーの個々の検索機会によって作動の仕方が変わることが論じられる。ソーシャルメディアは1日24時間休みなく偽情報,誤情報,虚偽情報を大量に生み出しているが,これらは機械学習が翻訳や文章書き換えなどによってさらに強化しており,学習成果としてバイアスが紛れ込む。ライブラリアンシップの情報組織化において,「文献的根拠(literary warrant)」という概念が疑われて,かつてのツールのバイアスが問われるようになり,LCSH等のバイアスが問題になった。また,文献がネット上に無数にあるときに,「ユーザー的根拠」なのか「文化的根拠」なのかが問われるようになった。機械学習によってこれらの一部を技術的に解決することが可能である。分類という行為は二分する結果をもたらすことで責任を伴う。分類や件名標目,メタデータの選択はすべてある種の文化的行為であるが,どの文化的背景に基づくかの闘争があった。今,それが無秩序に拡がるLMMがツールとなったときに,図書館員が行ってきた議論や積み重ねてきた倫理的判断は役に立つはずである。

第9章 自然言語処理(NLP)はライブラリアンシップに何をもたらすだろうか?

自然言語処理についての技術的解説をすることによって,テキストをいじってLLMを構築する際にどのようなことが起こるのかを理解する。まず前処理を行って,テキストから余分なものを削除し分割したり正規化したりして,処理の最小単位であるトークン化する。その文字列から数値のベクトル (つまりリスト) を生成する。情報検索はクエリの文字列のベクトルとテキストの文字列のベクトルがどの程度類似しているかを評価して行う。類似するが異なる語でも埋め込まれたベクトルは類似性が高いことから検索が可能になる。単語だけでなく,チャンク(章,ページ,段落,文)でも同じことが可能である。また,検索だけでなく,テキストとテキストを対応させる処理(分類,レコメンド,トピックの抽出,固有名の処理)などでも同様であるから,図書館で行っている知的な処理(書架分類,書誌分類,統制語彙,索引法,自動索引,抄録,抜粋,キーフレーズ,キーワード,要約)のほとんどに適用可能である。これらについて一つ一つ解説している。ここで説明されたNLPの技術は,プログラマー (または図書館技術サービス部門) が大規模言語モデル (LLM) を使用し,公開アプリケーション プログラミング インターフェイス (API) を持つものを使用する適切なソフトウェアを作成することで利用可能である。

第10章 図書館員にとってどんな機会になるか?

エドワード・ファイゲンバウム (「エキスパート システムの父」) が,未来の図書館がAI を知識サーバーとして書物と書物が対話することを述べている。これはライブラリアンシップを考えるヒントになる。今,大量のボーンデジタルデータが生み出されビッグデータが問題になっているが,これらを扱えるのはLMMを使いこなすライブラリアンシップである。そのために,図書館員の役割を「シナジスト(相乗効果の仕掛け人)」「セントリー(監視者)」「エデュケーター(教育者)」「マネージャー(管理者)」「アストロノート(宇宙飛行士)」という5つのカテゴリーに分けて次章以降の各章で特性を検討する。ここでは頭出しで,たとえばシナジストは,AIはOCRや翻訳などによって情報アクセスを以前より容易にし知的自由を高める。スマホは情報へのアクセス機会をいっそう向上させる。ユーザーとリソースの仲介においても検索のレコメンドをしてくれる等々である。つまり,AIをライブラリアンシップにうまく組み込むことによって,AIの能力をライブラリアンシップの手法で向上させられるという役割である。セントリー(監視者)は,AIがもたらす進歩につきものの問題,とくに倫理的問題をチェックする役割である。エデュケーター(教育者)は,情報リテラシーやデータリテラシーへの対応である。マネージャーは図書館運営においてAIをうまく取り入れることである。アストロノート(宇宙飛行士)は,図書館が知識の宝庫であることでAIを駆使した知識の創造などに関わるということを言っている。

第11章 シナジストとしての図書館員

図書館における知的自由には,特権(自由権)と請求権的な側面がある。両方の意味での知的自由を保証しようとする。図書館員が多言語環境や古い活字本や手書きの本,オーディオ資料の文字変換,手話からテキストへの変換,翻訳等々を処理しなければならないときに,OCRや文字認識,音声認識,映像処理,翻訳のプログラムが何をしているのかを理解することが重要である。また,ユーザーとリソースをつなぐために知っておくべきことがある。たとえば検索エンジンのPageRankや機械学習が何をしているのか,商用情報検索システムがクエリとその応答とどう関係づけられているのか。個人情報と結びつけることで,レコメンドが可能になる。目録作成,分類,検索ツールについては,従来,ユーザーが仕組みを理解した上で使うという前提をやめて,機械学習がそのギャップを埋めてくれることを前提としたサービスに切り替える。そのために,機械学習のトレーニングにこうした分野の専門家がフィードバックを提供する。また,書誌作成,目録維持,引用・参照の分析,書評執筆,事典の編纂,チャットボットによるレファレンスサービス,パスファインダーなどにおいて,機械学習を用いたライブラリアンシップの向上が可能である。図書館が蓄積しているデータやノウハウがトレーニングデータの提供やキュレーションに貢献する。社会認識論に関わることとして,ファクトチェック,認知バイアスの軽減,真実主義のチェックなどに図書館員のノウハウは貢献する。

第12章 セントリーとしての図書館員

セントリーとは監視員という意味である。機械学習において,カスタマイズ,フィルター,レコメンドなどの機能は結果として検閲的に働くことがありうる。個人情報についても,パーソナライズのサービスが個人情報の目的外使用とバランスをとる必要がある。図書館員は知的自由を主張してきたが,アルゴリズムによるキュレーションを用いることで機械学習のバイアスやパターナリズムなどの意図せざる働きに対する歯止めになる可能性をもつ。それは,社会認識論的にも重要である。LLMがもたらす失業問題について,定型的な反復作業の自動化が進み,労働者はより複雑で価値の高い作業に取り組めるようになるというのが標準的な議論だが,失業がないという意味ではない。アセモグルは短期的には「そこそこの自動化」にとどまり,労働者の地位は下がるかもしれないが生産性の大きな向上にはつながらないと主張している。

第13章 エデュケーターとしての図書館員

情報消費者のためのAIリテラシーの中身は,アルゴリズムとその仕組み,AIツール(例えば第5章で述べたもの)とそれらが提供する情報についての批判的理解,バイアス,プライバシー,顔認識技術,研究ガイダンス,社会認識論といったものだ。研究ガイダンスとしては(図書館員は,機械学習ツールを使用してデータを分析する研究者を指導できる。これには,使用する適切なアルゴリズムに関するアドバイスの提供,結果の解釈の支援,研究が倫理的に実施されていることの確認などが含まれる。学習はよりパーソナライズされるようになり,個々の学生,講師,グループやクラスの学習データと分析が必要になり,図書館の利用データもその一部になる。大学図書館にAIラボをつくり,学生とインストラクターに新しいコンピューティング スキルを学ぶ機会を提供する事例が紹介される。個人情報の扱いは問題になる。研究面では,学術論文をフィルタリングし,評価し,発信するアルゴリズムが学術論文やジャーナルに取って代わりつつある。最後に,EUの「一般データ保護規則(GDPR)」22条では,プロファイリングを含む自動化された個人意思決定について,個人データを使用する際の注意の必要性と,下された個々の決定の説明の必要性を強調している。きわめて重要だ。特定の大企業がLMMをつくって世界中からデータを集めると様々な局面での意思決定に影響を及ぼす。説明可能な人工知能 (Explainable Artificial Intelligence: XAI) についての研究分野があるが,ブラックボックス化したAIの中身を見えるようにする努力が必要だ。

第14章 マネジャーとしての図書館員

図書館員の関わる情報マネジメントにおいて,過去の使用パターンと傾向を入力とし,需要とニーズを予測する予測分析や,ユーザーの個人データないし集団データによる行動分析,ユーザーが教育や学習の目的でどのようなリソースを使用し,どのように使用しているかに関するデータによるラーニング アナリティクスなどがある。これらをAIを用いて分析することで,エビデンスに基づくマネジメントが可能になる。こうしたことに対する忌避感やAIに対する恐れがあるようだ。しかしAI を,バイアス,誤用,差別のリスクと戦う積極的なプレーヤーとして受け入れる 図書館が情報マネジメントの分野で人工知能アプリケーションの実装に積極的な役割を果たせば,プログラマーがアルゴリズムに最適なデータを見つけるのを支援できる。

第15章: アストロノートとしての図書館員

ライブラリアンシップや情報キュレーション分野で,現代の機械学習が既存のものより際立った優位性を持つ可能性がある 3 つの分野は,データの視覚化,チャットボット,テキスト データ マイニングを含む情報発見だ。最後に,1986年のドン・スワンソン論文「未発見の公共知識」は,ライブラリアンシップが新しい創造的な領域を開拓する可能性を示した。それは,研究領域で未発見の2つの領域をつなぐためのデータマイニングの手法を提案するものであり,実際に,医学領域でその分野が開拓された。また,その手法は「文献に基づく発見Literature-Based Discovery」ないし「(テキストに基づく情報学Text Based Informatic」と呼ばれる。これは哲学者カール・ポパーの客観的知識論における「世界3」の開拓という意味合いもある。

付録A ライブラリアンシップの理論的背景
図書館情報学の知識組織論的な理論的背景について概説している。扱うのは,概念,分類,統制語彙,シソーラス,オントロジー,認識論などである。

付録B 大規模言語モデル(LLM) の操作
少し技術的な運用面に踏み込んで,Chat GPTなどのLLMと呼ばれるものの利用の仕方について解説している。

付録C 2つの重要な方法論的ポイント
主として統計学的な分析をするときの方法論的概念として,「偽陽性と偽陰性」と「 ベースレートの誤謬」について改めて詳しく解説している。

付録D 因果関係図
因果関係を→を用いて図示する手法についての解説である。

付録E ナレッジグラフ
人物,場所,物,日付などのオブジェクト間の関係をリンクで図示するナレッジグラフは情報発見のツールとして用いられる。

用語集
本文で出てきた重要な用語を解説している。

Bibliography
引用・参照されている文献一覧

マーティン・フリッケ『人工知能とライブラリアンシップ』の公開

マーティン・フリッケ著(根本彰訳)『人工知能とライブラリアンシップ』

本書はMartin Frické, Artificial Intelligence and Librarianship: Notes for Teaching, 3rd Edition(SoftOption ® Ltd,.2024年8月)の全訳である。次をクリックすればダウンロードできる。

『人工知能とライブラリアンシップ』第3版 日本語訳1.01版(PDF)

本文冒頭の「著者のメモ」で述べられているように,この領域は急速に展開している。著者は今後も本書を改訂し続ける可能性があるが,本書の本質的な部分は変わらないと思われるので,この版を翻訳した。

原著は次のページに置いてある。

https://softoption.us/AIandLibrarianship

https://open.umn.edu/opentextbooks/textbooks/artificial-intelligence-and-librarianship

本書冒頭(「タイトルページ裏」)で,著者は本書をCC BY 4.0でオープン化することを宣言している。著者の意図に配慮し,日本語版も同様の方法で公開することにした。著者のページでも,この日本語訳へのリンクが張られている。

本書の概要についてはブログの別ページに置いてある。

2024-10-20『人工知能とライブラリアンシップ』の概要紹介

また,翻訳の経緯・著者紹介について以下で紹介する。

2024-10-23 ライブラリアンシップとは何か:生成AIと図書館(1)

2024-10-25 なぜこの本を翻訳したのか:生成AIと図書館(2)




2024-07-30

知識組織論研究会(KORG_J)について

 IEKO(知識組織論百科事典)の関連項目を読む公開読書会である知識組織論研究会(KORG_J)を当面2年間3ヶ月に一回開催することにしました。



知識組織論とは何か

知識組織論(Knowledge organization)とはさまざまな解釈が可能な用語です。哲学的立場からすればこれは哲学自体が担っているということになります。あるいは哲学的立場と社会学的立場をルーツにもつ社会認識論(Social Epistemology)こそが知識組織論であるという考え方もあります。もっと実学的な分野としてはナレッジマネジメントという経営学の分野があり,経営組織において情報や知識をどのように組織化するかが以前から述べられてきました。

日本の図書館情報学の文脈では知識資源組織化とか情報資源組織化という用語が用いられていました。目録法,分類法,件名法といったものです。「資源」がついているのは知識そのものを扱うのでなくて,知識はその担体(容れ物,メディア)の属性としてあり,知識そのものよりも担体を扱うことにしているというのが通常の扱いです。ただし,日本で一般的には知識資源のメタデータや情報システムにおける扱いが中心であり,知識と知識資源との関係を議論することは久しく行われていませんでした。つまり,どのような分類法が望ましいのか,メタデータは知識資源のどのような属性を取り扱っているのかといった理論的部分です。これは欧米でも基本的にはそうでした。

しかしながら,オトレ,ラ・フォンテーヌの国際十進分類法(UDC)やランガナータンのコロン分類法など,分類法には知識を多面的にとらえて表現する方法の開発の試みがありました。20世紀中頃からイギリスの分類論の研究グループ(Classification Research Group: CRG)もまた,知の属性を扱う方法としての分類法に焦点を当てて議論していました。ファセット分類法はその成果であり,知識の属性を多面的に扱ってそれらを組み合わせて表現する方法です。国際知識組織論学会(International Society for Knowledge Organization)は,ヨーロッパにあったそれらの流れを汲んで,1989年に成立した学会で,図書館情報学的なものを中心にしながらも,哲学や心理学などの知識を扱ってきた領域と知識の開発を行ってきた主題領域と関わりながら,知識組織化システムを開発しようとしている学会です。現在,事務局はカナダのトロントにあり,世界的な展開が行われています。

この学会の特徴は,情報システム開発に対する技術的関心の基盤に,知識資源組織化で培ってきた図書館情報学での議論の蓄積に加えて,20世紀を通じて知識組織論の基礎理論が構築されつつあり,それらを重視していること,さらに,個々の領域に特有の知識獲得の方法や知識共有の構造があるとの前提をミックスして議論しようとしているところにあります。とくに知識組織論の基礎理論とは,テキストを中心とする知識の担体は何らかの知を表現するものであり,知は人間の営みですから人文・社会科学的な基盤についての関心がもたれてきたということです。また,これらの観点や方法を総合化しようという志向性もあります。それは,知識の総合化も知識組織論の重要なテーマであるからです。

研究会の進め方

日本での知識組織論は図書館実務を志向するか,でなければ工学的な関心が中心で,こうしたものの基礎理論についての関心が弱かったし,研究も限られていました。そこで,日本の知識組織論を強化するためには,ISKOが行ってきた知識の総合化の営みを参考にするのがよいと考え,この研究会を立ち上げました。知識組織論事典(IEKO)はまさにこれを把握するのに最適なツールです。

すでにHPをつくり広報を開始しました。https://sites.google.com/view/korgj

この2年間に次の予定で研究会を実施します。

第1回 (2024年9月14日)Library and information science(Birger Hjørland)(報告者:根本彰)図書館情報学
第2回 (2024年12月14日)Knowledge Organization(Birger Hjørland)(報告者:根本彰)知識組織論
第3回 (2025年3月8日)Indexing: concepts and theory(Birger Hjørland)(報告者:橋詰秋子)索引:概念と理論
第4回 (2025年6月14日)Document theory (Michael Buckland) (報告者:大沼太兵衛)ドキュメント理論
第5回 (2025年9月13日)Subject (of documents)(Birger Hjørland)(報告者:塩崎亮)(ドキュメントの)主題
第6回 (2025年12月13日)Metadata(Matthew Mayernik)(報告者: )メタデータ
第7回 (2026年3月14日)Ontologies (as knowledge organization systems)(Maria Teresa Biagetti)(報告者:)(知識組織論としての)オントロジー
第8回 (2026年6月13日)Automatic subject indexing of text (Koraljka Golub) (報告者:)テキストからの主題索引の自動生成


前半にはこのツールの編集長であるデンマークの情報学者ビアウア・ヤアラン*が執筆した項目を読んで,知識組織論とは何かを話します。後半では,主題とかメタデータ,オントロジー,テキストから主題の自動生成といった応用的なテーマを扱います。

HPに参加方法が書いてあります。オープンな組織運営を目指しています。基本的にネット上でやりとりをし,会への参加・不参加も自由です。次のようなことに関心がある方に一度参加してみることをお勧めします。

・図書館情報学って何なのか。図書館実務と政治的なことにばかり関心が向いているようにも見えるのだが

・図書館が扱う図書や雑誌はなぜ特別扱いされるのか。しかし,今後,ネットに飲み込まれてしまうのではないか

・資料の組織化を図書館システムとMARCで済ませているのはおかしいのではないか

・一般にマルチメディアに対する関心は高いが,書かれたもの(テキスト,文字情報)の扱いには問題があるのではないか

・データ,情報,知識といった概念の違いはどこにあるのか。そこにはどのような認識論的あるいは社会的な過程が介在するのか

*注 ヤアランはすでに70代後半の研究者で,ボーデン,ロビンソン『図書館情報学概論』(近々,第二版の日本語訳が刊行予定)で紹介されるまで,日本ではほとんど知られていませんでした。単著を書かない主義のようです。ただ,IEKOに彼が20本ほどの項目(というよりも論文)を書いているのをつなぐと彼の思想の全体像が分かるようにしているようです。つまりオープンサイエンスを志向しているのですね。これは潔いだけでなく,今後の学術コミュニケーションの一つの方向を示しているようにも思えます。


FAQs

Q: 図書館情報学を学んだことがありませんが,ついていけますか

A: 図書館情報学の専門用語が出てくることは確かですから,ある程度は参加者が自分で調べたりする必要があります。しかし,ここで読むものは,通常の図書館情報学ではなくて,その原理論に遡ろうというものなので,そういうところに知的関心があれば大丈夫だと思います。


Q: 生成AIについて学べますか?

A: この研究会では学べません。なぜなら,それらのツールは集めたデータの処理と提示の方法が隠されているからです。知識組織論は知識の組織化がオープンな環境にあることが前提です。ただし,生成AIについてIEKOで新項が書かれる可能性はあるので,それが出たら取り上げることは可能です。

Q: 英語文献を読むのはしんどいのですが

A: 英語ツールを読む以上,ある程度の英語の読解力は必要です。実はAI発展のおかげで,英語の専門論文を読むのはだいぶんと楽になっています。Google Chrome他のブラウザで英語の本文に即座に日本語訳を付けてくれるので日本語文献のように読めます(ここに解説あり)。専門文献ほど用語が一意に決まる可能性が高いからです。もちろん,誤訳や多義的用語の訳がおかしいところはありますが,IEKOを使ってみての私の感覚でも7〜8割くらいは正しい訳を出してくれています。






2024-07-17

『図書館教育論』の刊行(付き・人名索引ファイル,詳細目次)

2019年の『教育改革としての学校図書館』(東京大学出版会)の続篇として,『図書館教育論』(東京大学出版会)がこの8月(奥付の日付は8月23日)に刊行されました。

「主体的・対話的で深い学び」=探究学習の原形はすでに戦後間もない時期の学校図書館の運営法の議論のなかに含まれていた。本書では学校図書館を探究学習に活かすための示唆や教育課程に取り入れることの可能性を戦後の図書館教育実践を辿ることで浮かび上がらせる。

これがうたい文句です。学校図書館は,司書教諭と学校司書という2種類の職員体制。司書教諭の多くは教員の充て職であり時間調整もなく機能しにくい,学校司書は養成体制すら正式には決まっておらず,多くは非正規職員で,それも一人の職員が複数校勤務というような状況。こうした職員体制の問題点が当の関係者だけでなく,大手マスコミ,SNSでも指摘されています。この状況の根本的な見直しをするには,なぜこのような捻れたものになったのかについての理解なしに不可能です,



本書は前書よりも踏み込んで,戦後教育改革において学校図書館を活かそうとする探究的な学習への仕掛けがあったのにも関わらず,昭和33年公示の学習指導要領の前後にそうした経験主義的な教育の営みがつぶされた過程を明らかにします。教育史ではコア・カリキュラム運動が戦後教育改革の申し子として語られますが,図書館教育というもう一つの核があったことがすっぽり抜けていました。図書館教育は学校図書館の場を舞台にして教育課程全体を経験主義的な(ジョン・デューイ的な!)ものに作り替えることを意図していました。それは日本の教育が国が決めた教育課程と教科書によって統制されていることに対して,学ぶこと,知ることはもっと自由でよい,それには学ぶための環境を整備し学ぶ方法を学ばせることを宣言したものでした。

これまで1948年の『学校図書館の手引』の作成とその伝達講習会によって戦後学校図書館行政が始まり,学校関係者の働き掛けで学校図書館法がつくられたというストーリーで語られてきました。そうした運動的側面は無視できませんが,文部省が教育課程に学校図書館を組み込み学び方を学ぶための図書館教育というもう一つの仕掛けがあったことは忘れられていました。本書はそれが文部省や各地の教育委員会が設定した実験学校で実施された経緯とそこでどのような教育課程がつくられ試されたのかについて詳細に明らかにします。また,これの中心になった文部省の担当官深川恒喜の思想や行動を分析して,これがどのような性格のものだったのかを明らかにします。

しかしながら,図書館教育はうまくいきませんでした。それは教育史の流れとしては,冷戦の始まりとともに教育課程が経験主義教育から系統主義への転換があり,とくに1958年告示の学習指導要領においてそれが明確になったことがあります。しかしながらこの指導要領においては学校図書館を教育課程において位置付けることも行っていて,1950年代から1960年にかけて図書館教育はまだ学校においても継続実施されていました。本書では,この戦後教育改革の過程を記述し、文部省だけでなく,日教組,帝大系大学教育学部,新制大学の教職課程,そして教育系諸学会が挙げてねじ曲げた経緯を「教権」という用語を使って描きます。教員が教育課程を取り仕切る考え方がこの時期につくられた結果,学校における司書教諭や学校司書のような教員と見なされにくい職員の位置付けが曖昧にされたことがあります。

また,本書は,近年の一連の教育課程,教員処遇の見直しは,1946年に始まり1950年代に頓挫した戦後教育改革が,実は現在も続いていることの確認でもあります。学校図書館関係者は自らが戦後教育改革の正統であることをもっと誇ってよいと考えます。本書は戦後の教育課程行政,そして教育学に対する(弁証法的意味での)アンチテーゼであり,学校教育関係者はこの挑戦に答える義務があると考えます。

このブログで報告したものをまとめて考察し直したということもできます。次のところをご覧下さい。


索引が事項索引のみとなっています。
人名索引は次のファイルとして置いてありますので,これをB5判でプリントアウトして二つ折りにして挟み込むとちょうどよい大きさになりますので,お使いください。(8月26日追加)

『図書館教育論』人名索引ファイル












また,目次も全体的なものと詳細目次の2種類を挙げておきます。


詳細目次

第Ⅰ部 学校図書館問題とは何か

第1章 学校図書館をとらえる視座

1 デューイの学校モデルを起点として
探究と図書館
教育DX,探究学習,学校図書館
探究学習のモデル
2 図書館教育をとらえる視点
これまでの学校図書館史研究
本書の概要

第2章 戦後学校図書館政策のマクロ分析

1 政策論の必要性
2 先行研究の確認と研究方法
        先行研究
        研究方法
3 第一期(戦後教育改革期、1947-1958年)
        問題の流れ—『学校図書館の手引』と学校図書館運動
        政策の流れ—文部省内の議論
        政治の流れ—学校図書館法成立まで
4 第二期(日本型教育システム期、1958—1987年)
        問題の流れ—学校図書館の職員問題
        政策の流れ—学校図書館行政の進み方
        政治の流れ—法改正の挫折
5 第三期(二一世紀型教育改革期、1987年—現在)
        問題の流れ—新自由主義における教育の見直し
        政策の流れ—読書推進の政策展開
        政治の流れ—二度の学校図書館法改正
6 学校図書館政策の窓はどのように開くのか

第II部 図書館教育という課題

第3章 戦後新教育における初期図書館教育モデル

1 戦前の図書館教育
2 戦後図書館教育のきっかけ
        『学校図書館の手引』(1948年11月)
        「学校図書館基準案」(1949年8月)
3 東京学芸大学附属小学校(世田谷校)(1948一1949年)
実験学校としての師範括弧ク附属校
図書館教育の位置付け
4 図書館教育論の拡がり
        雑誌『図書教育』における議論(1950年6月)
        天理学園図書館研究会(1950年2月)
        全国SLA図書館教育カリキュラム(案)(1956年3月)
5 阪本一郎と図書館教育研究会
図書館教育研究会の図書館教育
        図書館教育と読書指導との関係
        『読書指導ハンドブック』(1956年10月)
6 『学校図書館運営の手びき』(一九五九年一月)
7 図書館教育と読書指導の関係

第4章 図書館教育の実際

1 新教育カリキュラムとコア・カリキュラム運動
アメリカのカリキュラムの紹介
コア・カリキュラムとは何か
資料単元と学校図書館
2 図書館教育実践の準備過程
3 甲府市立南中学校の図書館教育(1949-1952年)
        山梨県内新制中学校の実験学校
        甲府市立南中学校の図書館教育
        山梨県内の図書館教育
4 東京都港区立氷川小学校の図書館教育(1953—1954年)
        氷川小学校と久米井束
        氷川小学校の図書館教育
        専任司書教諭としての増村王子
5 川崎市立富士見中学校の図書館教育(1952―1955年)
        新制中学校の学校図書館
        実験学校における読書指導
        教科学習と学校図書館利用
        幻の図書館教育モデル
6 栃木県立栃木女子高等学校の図書館教育(1955-1956年)

第5章 図書館教育の帰結

1 一九五〇年代の図書館教育
        図書館教育実践が示唆するもの
        図書館事務簡素化の試み−豊島区仰高小学校(1957-1958年)
        1958年学習指導要領前後の政策
2 資料センター論と読書指導
        資料センター論と大田区立田園調布小学校(1962-1953年)
        横浜市立本町小学校の読書指導(1963-1964年)
3 「教科と学校図書館の結びつきをはばむもの」

第III部 図書館教育が実現されるには

第6章 文部省初代学校図書館担当深川恒喜の図書館認識

1 分析の視点
2 宗務官時代と宗教観
3 学校図書館担当時代
       『学校図書館の手引』の編集
        学校図書館担当者としての問題意識
        学校図書館振興の方法
        アメリカ視察旅行
        学校図書館運動と地方教育委員会との連携
        学校図書館法の成立
        日本的学校図書館の始まり
        経験の実験室
4 道徳教育調査官時代
学習指導要領改定と教科調査官への配置換え
学校図書館に対する考え方
教材センターについて
道徳教育調査官として
5 「図書館教育の復権」
深川の事績のまとめ
深川の図書館観
後継者井沢純の思想
示唆するもの

第7章 二一世紀の教育課程につなぐために

1 担い手の問題
県教委専任司書教諭制度の挫折
沖縄の学校図書館
山形県鶴岡市の図書館活用教育
岡山県岡山市の学校司書配置
千葉県市川市の学校図書館政策
2 探究学習のための学校図書館は可能か
図書館教育の教育課程上の意義
教権の桎梏
教育DXの問題
3 リテラシーからメディア情報リテラシーへ
図書館教育の復権
リテラシーとコンピテンシー
4 学校図書館のリーダーシップ論
学校図書館の担い手問題再考
チーム学校の一員としての学校司書
学校図書館指導者の重要性

補論 学習リソース拠点の提言

あとがき

文献一覧

索引



2024-06-20

北海道置戸町からみる図書館経営問題

地域アーカイブ研究を始めたときから,北海道の町立図書館を対象にすることは決めていた。ナショナル・アーカイブと地域アーカイブの思想史的な問題は別に論じることにして,ここでは,地域アーカイブとは当該地域のアイデンティティ形成において一定の役割を果たす機関やメディアなどの仕組みないしその作用と大雑把に定義しておく。ここにはひろくみれば,自治体の役所や商工会,学校,地域メディア,出版,図書館,博物館・資料館,文書館などから,今なら,SNSやブログ,動画プラットフォームなどまでも含むことになる。

とくに図書館活動の観点からは,次の4つのポイントを抑えておく必要がある。もっとも基本的な「地域資料・郷土資料の収集・保存・提供」はもちろん,「自治体行政との関係」は図書館とその行財政上の基盤であることと行政に対するシンクタンク機能を提供するものと考えられる。さらにアーカイブ機能の柱となる「自治体史編纂,歴史資料保存との関係」,そして図書館と並んでアーカイブ機能を果たす「博物館・美術館・公民館活動との関係」といった項目を見ておく必要がある。

また,北海道をなぜ選択するのかについては,すでに,昨年の日高地域の町立図書館訪問の報告で書いておいたのでそちらを参照していただきたい。そのなかでも置戸町立図書館について少しだけ触れているが,これまでも何度か北海道を訪ねてたまたま通りかかった町の図書館をいくつか見て上記の地域アーカイブ活動という意味で優れているところが多いと感じた。それなら,北海道町立図書館が注目される原点とも言うべき置戸町がどうなっているのかをみたいと感じた。

置戸町の概要

置戸という町の概要を見ておくと,北海道北東部の町で,北見市からはオホーツク海と反対の山側に車で30分ほど進むと到着する。すでに廃線になった旧国鉄網走本線(池北線)の駅が開通した1910年代から開発が進み,徐々に人口が増え,戦後間もない1955年頃には林業や木材加工業で賑わっていた。当時、1万2千人ほどあった人口は現在では2700人あまりで,典型的な過疎の町ということができる。主産業であった林業,林産工業がエゾマツ,トドマツの原生林の伐採や台風による風倒木による原価高騰,安価な輸入材の増加等で成り立たなくなっていったことが大きい。現在は畑作の農業や乳牛の牧畜業が主たる産業である。

次に,置戸の中心市街の地図を見ていただきたい。赤で囲んだ施設が図書館である。東西に流れる川の北側にできた中心市街は,コミュニティホール(旧JR置戸駅)を真ん中にして南北に二分される。これはかつてJR池北線が町を分けていたからである。北側は商業生活エリアでスーパーやガソリンスタンド,病院,郵便局,町役場などがある。これに対して南側は広大な公共施設エリアである。地図で青色で示されている地域福祉センター,中央公民館,スポーツセンター,町立図書館,森林工芸館,若者交流センター,子どもセンター(認定こども園)などがある。最初,ここを見たときにとくに公民館,スポーツセンター,図書館にかけて,広大な敷地に大きな施設がいくつも建っているので驚いた。後で聞いて分かったのは,駅の南側はかつては林産工場と貯木場となっていたエリアで,山から切り出された木材がここに集められ,加工され駅に運ばれて輸送されたということであるが,その工場はすでになくなり,とくに広大な貯木エリアがこうした公共施設に利用されているということである。「置戸町住生活基本計画」(平成30年 置戸町 p.15)に次の地図と公共施設の写真があったのでご覧頂きたい。



置戸町にはこの中心部以外に3つの地区がある。人口の分布も分散的であるから,各地区には役場の支所や公民館が置かれている。それなのにこれだけの施設がここに集まっていることも事実である。郷土資料館という博物館相当施設は町役場の側に建っている。建物は最初の中央公民館だったところで,ここには現在学芸員が配置されていて,デジタル郷土資料を図書館との共同で作成している。

公共施設については,ハコモノ行政として批判的に語られることがあるが,中身を伴って適切に機能しているなら,むしろ本来の住民福祉に資する役割を果たしていることになる。だから,これらはいったいどうしてつくることができたのか,本当に機能しているのか,また人口減,少子高齢化が続くなかで今後の見通しはどうなのかというのが,重要な問いということになる。

置戸町立図書館の現在

現在の置戸町立図書館は2005年1月に,置戸町生涯学習情報センターとして開館した。それが図書館HPにある下記の写真で示されるものである。設計者は三上設計事務所の益子一彦氏である。見てのとおり,現代図書館建築としてもすぐれたもので,日本図書館協会図書館建築賞も受賞している。蔵書数は12万2千冊,1階建て床面積1,397平米,建築面積1,786平米で町立図書館としては大きな規模を誇る。

開館時には生涯学習情報センターの名称で新館オープンさせるために,それまであった図書館条例を廃止したという。これは新図書館を建設するにあたり,総務省の過疎対策事業債を利用したからである。建設準備の時点でそのメニューに図書館が入っていなかったために,この名称にして申請したということである。その後,この制度のメニューに図書館も加わったこともあり,2015年に図書館条例を復活させ,現在は置戸町立図書館になっている。




年間の図書購入冊数は3933冊,図書購入費(視聴覚資料込み)は699万円,雑誌・新聞購入費が107万円で合計800万円ほどが資料購入費である。次は児童書コーナーで基本的なものが揃っている使いやすい書架である。


移動図書館やまびこ号が月に2回廻って,町内の公民館,住民センター,児童福祉施設,高齢者施設で資料貸出を行う。普段は,図書館の側に置かれていて,こちらも利用可能である。



職員体制であるが,現在,兼任の図書館長以外に業務係長(司書)1名,業務係員1名,会計年度任用職員5人の体制で運用している。また図書館協議会が置かれ委員が8名任命されている。置戸町が1976年に日図協の統計で住民一人あたりの貸出冊数が全国一になり,その後も高位が続いていたことが,図問研の調査や日図協の調査のきっかけになった。その頃に比べて人口が半数以下になっている現在どうなっているのかというと,2022年の数字で言うと一人当たりの貸出数は14冊で,日本の公立図書館では最上位が維持されている。人口に対する町内登録者の登録率は45.7%となっている(町外者も含めた登録者の人口比率は59.8% )。

2日間滞在して来館の様子を見ていたが,直接の来館者は必ずしも多くはなかった。『令和5年度置戸町図書館要覧』には,本館利用の来館者数は一日平均43人という数値が掲載されている。貸出が多い理由は,貸出の住民登録率が高いこと,移動図書館によって利用可能になっていること,一人当たりの一回の貸出数が多いことが指摘できる。つまり,貸出と全域サービスの原則がひとまず確認できる。(参考文献:「取り組む 図書館運営地域一体となって〜置戸から始まった北見地域の図書館づくり〜」『開発こうほう(一般財団法人北海道開発協会)』536号 2008年3月 https://www.hkk.or.jp/kouhou/file/no536mar_case-3.pdf

地域的な資料を見ておくと,開架の一角にはこのような置戸の歴史を学べるコーナーがあって,関連の地域資料が置かれている。


平面図に「準開架」と書かれたエリアがあるが,ここはオープンになっている書庫で,新聞・雑誌のバックナンバー,全集,参考図書,郷土資料が置かれている。令和5年度の『図書館要覧』によると,郷土資料3587冊,北海道関係資料2081冊となっている。行政資料としては,町役場の事務報告,予算書,会計報告書,広報誌,計画書,学校要覧などが置かれている。地元の新聞記事のスクラップは継続して作成されている。商工会や町内の民間団体の年史や記念誌などが入っているようだが,中央公民館には町民の文化活動のアウトプットの資料類が集められているとも聞いた。




社会教育をベースにした図書館活動

今回,訪問するに当たって改めて図書館問題研究会編著『まちの図書館:北海道のある自治体の実践』(日本図書館協会, 1981)を読んだ。この本により,「置戸」は図書館界において全国区の知名度を得ることになった。入念な事前準備を行い,置戸町での観察や聴き取りを行った上で,図書館活動の歴史と実態を記述し,その意味で小さな自治体での図書館サービスの可能性を十全に表現していると感じた。『まちの図書館』がその後のJLAの町村図書館振興につながる契機になったことも理解できた。JLAの町村図書館活動振興方策検討臨時委員会(長い組織名!)は,図問研の置戸調査のすぐ後の1982年から,全国の町村図書館の現地調査を行い,その結果をもって同委員会著『町村の図書館:そのつくり方と活かし方』(日本図書館協会, 1986)が刊行されている。

だからこそ,『まちの図書館』の最後に,小さな自治体でも『市民の図書館』(1970)で提示されている「貸出,児童サービス,全域サービス」を実施すればこのレベルのサービスが可能になると結論づけていることが気になった。そのことを主張するためには,これ以外の要素はないのか,小さな自治体でこのレベルのサービスがなぜ可能だったのかの考察が必要だが,それが十分ではないと感じたからである。このあとに述べるように,置戸の図書館活動はすべてが社会教育行政をベースにしている。『まちの図書館』では社会教育は図書館活動の前段階にあたり,社会教育の発展を基にして図書館が独自の発達を遂げたと見ている。その見方が必ずしも正しくないことは,行ってみて理解できた。以下,置戸の図書館の発展を先ほどの地域アーカイブの4つの項目の視点を加えながら見ておくが,それは,図書館が資料提供という単一機能では説明できない複合的な作用をもつと考えるからである。(参考:今西輝代教「置戸町図書館の資料とデジタルアーカイブ」蛭田廣一編『地域資料サービスの展開』(JLA図書館実践シリーズ45)日本図書館協会, 2021)

図書館員も含めた戦後の教育関係者は忘れがちだが,戦前の文部省においては学校教育行政と社会教育行政はその覇権を競っていた。というのは,義務教育は初等教育(尋常小学校,国民学校)のみで通常はその高等科まで受けると,多くの人は十代中頃には家業の手伝いなり丁稚奉公や見習い工として使われるなりで,学校から離れることになったからである。そうした青年たちの学習に対応する社会教育施設としての公民館や図書館・図書室は数多くつくられ,またそれらを支える地域教育会が官製でつくられ,地域青年会,青年団,婦人会がそれに連なった。満州事変(1931)以降の昭和戦前期に,それらは国家的な思想統制の道具となっていったのだが,その点ばかりを強調するのも偏った見方になる。地域の祭り,芸能,音楽,演劇,スポーツ,読書などを通じた活動は,上級学校に進まなかった大多数の青年たちにとって数少ない息抜きと交流,そして学びの場だった。盛り場などが少ない農村部においてはとくにそうである。また地区ごとに公民館がつくられその一角に図書室が置かれたところもあった。

敗戦と占領を経て,新憲法の下で戦後教育体制がつくられる。支配する理念が天皇制的原理から西洋的な国民主権に変わり,新たに義務教育が前期中等教育までとなったが,教育の仕組みに大きな変化はなかった。戦後の社会教育行政の方針について,文部省の社会教育課長寺中作雄が推進した「寺中構想」(『公民館の建設-新しい町村の文化施設』1946)が有名である。これは,公民館は社会教育、社交娯楽、自治振興、産業振興、青年育成を目的とし,地域の中心に置かれるべきだとするものである。これに対して,戦前からの社会教育行政を引き継ぐものだと図書館関係者は反発した。彼らは文部省が1954年社会教育法を図書館や博物館を含めた総合的な社会教育行政とすることを意図したものであったのを批判し,その結果、図書館法,博物館法が単独法になったことも知られている。

置戸で社会教育をベースにした町づくりが始まるのもその時期である。置戸町(1950年に町政施行)は,林業で発達し,戦後間もない時期に選択した町づくりの方針が社会教育であった。これは地域の青年会,婦人会に集まった人たちから自然に上がってきた。文部省の寺中構想の考え方をそのままに,社会教育法成立後,すぐに公民館設置条例をつくり,まもなく置戸町を構成する主要地域に公民館を設置した。公民館では青年弁論大会,村民運動会,生活学校,演劇活動などが行われた。そのなかで,公民館に集まった青年たちのなかで,新しい時代の地域づくりのために読書会を開き,公民館に本を持ち寄り図書室をつくる動きがあった。町政に移行した直後の町長選挙で当選したのは,このときに参加していた青年の一人であり,その後、学習活動や文化活動を基盤に据えた町政を実施することが始まった。

公民館図書室はあくまでもスタートラインであって,まもなく図書館法制定直後に図書館設置条例をつくり,ここを町立図書館とすることになった。1964年に文部省農村モデル図書館補助事業を利用して独立館を建設した。建設費総額1800万円のうち,国と北海道が4分の1ずつ,あと起債が4分の1で残りの4分の1が町費だったということである(「置戸の歴史を語る収録 高橋和夫 第2回」『置戸町立図書館館報』27号, 2018, p35)。 

つまり,置戸では,新しい時代に向けての町づくりと社会教育,そして図書館が連動していたことが特徴である。そして,そのことは現在に至るまで一貫している。これは,事前に関連文献を読み,町に3日間滞在してじっくりと観察し,関係者と話しをすることで確認することができた。何よりもそのことは,町の中心に充実した公民館,図書館,スポーツセンター(社会体育施設)などの社会教育関係の施設があることから分かる。また,置戸町・置戸町教育委員会『置戸町社会教育50年のあゆみ』(2000)というB5判364ページある分厚い冊子が出され,「社会教育の町置戸」が自己証明的に宣言されている。通常,社会教育は教育行政の一部であるから,自治体史ないしせいぜいが自治体教育史の一部に位置付けられて描かれるだけであるのに,これだけの規模の冊子が編集・執筆されることは異例のことである。町がこの分野に力を入れてきたことを示す。

とくに社会教育と図書館の専門職員について述べておこう。社会教育法では社会教育主事,公民館主事補,公民館主事という専門職員の養成および配置についての規定がある。図書館法では司書,司書補の配置について規定している。学校教育と違い,施設自体もその専門職員も設置,配置は義務ではなく自治体ないし教育委員会の裁量に委ねられている。置戸の場合、最初から社会教育主事,司書(補)を配置する方針をとった。公民館と図書館の設置条例制定直後1954年に,北海道庁網走支庁から資格をもつ社会教育主事を呼び,また,図書館にはかつて読書会活動をして他村の職員をしていた司書補資格をもつ職員に入ってもらった。いずれも専門職を入れる伝統はその後も続いている。一時は4地域の公民館すべてに専任社会教育主事が配置されたという。

現在の図書館サービスの基礎をつくった澤田正春も,北海道大学で社会教育を学び社会教育主事の資格をもって置戸の職員になった人である。1963年に同町職員となり,新館建設時に図書館担当になってから講習で司書資格をとった。同年は『中小レポート』が刊行された年である。彼は司書としてこの図書館を率いて,自動車図書館や中央図書館,公民館図書室を通じてサービスを実践したが,その手がかりは同書であったと述べている。また,1970年の『市民の図書館』も読み,1972年には日本図書館協会からの推薦でブリティッシュカウンシルの基金で英国での図書館視察と研修を経験している。その意味で,日本図書館協会の資料提供と貸出を中心とする図書館サービスの考え方を学んでいた人だった。実際,それらを実施した結果が1970年代に住民一人当たりの資料貸出が日本一を記録して注目されている。

彼は,『まちの図書館』に「<特論>置戸町立図書館からの発言」という文章を寄せ,置戸のサービスは『中小レポート』や『市民の図書館』で示された方針と基本的には一致していて,特段の秘訣はないと発言している。また,1974年に北海道公共図書館協会は彼を中心としたチームで『小図書館の運営』を刊行した。これにより,置戸のやり方が道内の町村図書館に普及し,なかには1970年代から1980年代にかけて,住民一人当たりの貸出数で置戸を上回る実績を上げたところがいくつも出てきたと述べている。彼が述べる置戸町立図書館の特徴は,住民の暮らしに寄り添って,資料提供を忠実にやってきたことによるということである。だが,今回訪問してみて,それだけではないと感じた。澤田の発言は図問研や日図協に対するリップサービスであり,本心は少し違っていたと思われる。

置戸町立図書館が町村図書館のモデルとなりうる理由

置戸が人口がどんどん減っている自治体であるにもかかわわらず,これだけの図書館を維持できている理由を考えてみたい。まず単純な理由としては人口が減っても,総貸出冊数が人口減に対応して減るだけなら,一人当たりの貸出冊数が維持できていると考えることができる。その意味で,現行で一人当たりの貸出し数が14冊ということで,この図書館は(北欧のデンマークやフィンランドなどと似て)地域に完全に根付いた図書館となっていると考えられる。ただし,全体としては貸出冊数が減少していることも確かだから,現状を維持できている要因は別にあると考えられる。それが,第一に社会教育的基盤の存在,第二にそれがもたらす効率的な図書館運営効果,第三に地域意識の集約的提示である。

第一の社会教育的基盤については,これまでにも触れてきたが,澤田氏も現在の司書である森田氏も社会教育を学んだ人であることが重要である。社会教育主事は先ほどの寺中構想にあったように,戦後まもなくは農村地域において地域づくりの中心になることが目指されていた。公民館は人々が地域活動やサークル活動,地域学習などをする場であり,社会教育主事は地域に入っていって,そうした青年たちや住民と濃密に接触して,場合によっては地域づくりを直接サポートする役割を果たすものと考えられていた。実際にこうした考え方を学んだ上で図書館を担当した職員は,司書であると同時に社会教育主事と同様の問題意識をもち地域の問題に取り組む。個々の住民の資料要求だけでなく,地域のイベントや産業振興,行政や学校との連携など,図書館界ではずっと後になって課題解決支援と呼ばれるようになるサービスをいち早くてがける。もちろんその方法は資料を介するわけであるが,地域へのアンテナの張り方が司書とは異なっている。(参考:森田はるみ「地域課題に挑戦する公民館・図書館〜北海道置戸町の場合」小林文人『これからの公民館ー新しい時代への挑戦』国土社, 1999)

このことはもちろん人口数千人の町だから可能だということも言えるだろう。もしかしたら住民一人一人の顔と名前を覚えられるかもしれないくらいの職員と住民の距離の近さがある。町村図書館が公立図書館サービスのモデルとなるとしたら,この点に求められるだろう。これがその10倍(場合によっては100倍)の人口が対象となる市立図書館との違いである。だが,寺中構想と中小レポートが合体したところに生まれるこうした町村モデルがあっても,小規模自治体が多数あるなかで社会教育的な仕掛けをしてきたところは多くない。置戸(ないし周辺のオホーツク地域の町村)の図書館はそうした稀有な例である。

第二に,これによって図書館の効果がより効率的に生みだされる。通常,日本で図書館が地域の課題解決やローカルな情報を提供してくれる場だという理解はほとんどなかった。図書館はあくまでも全国的に流通する出版物を閲覧したり借りたりする場であるというのが一般的な理解である。ところが社会教育と資料提供が組み合わされれば,これが課題解決や地域情報提供の場になる。そのことは公民館を中心とする社会教育から出発して図書館の効果を確認した置戸町の執行部にアピールしたということが言える。そのことは,『置戸町立図書館館報』の27号(2018)に掲載されている,町のウォッチャー高橋和夫氏のインタビューや『同』28号(条例制定70周年記念)(2020)に再掲載の新旧の町長,教育長,館長,図書館協議会委員長9人による座談会(1983年当時)にはっきりと現れている。

とくに後者の座談会は『館報』(9号 1984)掲載のもので,当時の館長澤田が司会をして時系列的な図書館史に現れない図書館設置の事情や当事者の声が赤裸々に伝えられている。社会教育的図書館運営が町の執行部から信頼を得ていた事情がよく分かるものとなっている。次の図書館(生涯学習情報センター)の新館建設につながっていくのもそうした実績があったからだろう。

なお,ここではあまり分析する余裕はないが,図書館のみならず,公民館やスポーツ施設,福祉施設,集会施設などの公共施設がこの地域に集中しているのも同様の理由によると推測できる。過疎地域で,国や都道府県の財政支援に依存する部分が大きいことは全国的な傾向である。これは補助金,地方債,地方交付税の三点セットと言われる。図書館関連の補助金や交付金については,小泉公乃による紹介記事(「公立図書館における補助金・交付金の活用」『カレントアウェアネス』(349),  2021, CA2003, p. 5-8. https://current.ndl.go.jp/ca2003)にあるので参照されたい。

これまで見てきたように,置戸町立図書館については文部省農村モデル図書館整備補助事業,総務省の過疎対策事業債を利用して資金を得て施設をつくった。この記事には,置戸町議会が過疎法における補助対象に図書館を含めるよう政府に要請するなど、図書館復活に向けた活動を展開したことが法改正につながったことに言及している。

他の施設も同様であるが,ここはより積極的に社会教育ないし生涯学習,住民福祉を前面に出して,そうした資金獲得を行ってきた。林業をベースにした町の産業構造が大きく変貌する1980年代以降に,空いたスペースにそうした住民サービスのための施設を建てた。多くの自治体ではそれらの運営がとくに人件費の負担の大きさから指定管理に切り替えることをしてきた。しかしながら,置戸は直営でこれを切り盛りしてきたのは,ひとえに財政負担に見合った効果があると評価されてきたからである。もしかすると町立図書館で指定管理を選ぶところが相対的に少ないのは同様の事情によるのかもしれない。

第三に,その効果の重要な構成要素に地域意識の集約的提示がある。人口2700人の町で蔵書12万冊,職員7人の図書館を運営することの意義は,住民が自らの便益,あるいは福利のために利用することに基づくが,自治体経営論的な視点で見るといかにも効率が悪いという見方も可能である。たとえば,今では車で30分走ると北見市中央図書館がかなり大きな施設と蔵書を周辺の町村にも提供しているから,ここを利用することで住民の図書館要求に応えるという選択も可能である。しかしながら,そうはしなかったからこそこれまでこの図書館が維持されてきたことを見てきた。その場合に,この図書館が地域意識の集約化を代表する場として明示的暗示的に位置付けられてきたのではないか,というのが今回訪問しての最終結論である。

このことを当初,「開拓者意識」という言葉で表現しようと考えていた。明治以降,こうした北海道の自治体において,とくに鉄道が開通して以降に,いろんな地域から人々が入ってきて定着するにあたって,ここを自らの定住地とすると決めた人がいた。それらの人々によって,当該地域の自治意識やコミュニティ意識がつくられる。何よりも,道外なら近世までのムラ社会で,土地とイエを前提とした既存の秩序が支配するのに対して,北海道はすべてを自らつくる必要がある。そのことを開拓者意識と呼ぼうと考えた。だが,開拓者という用語は曖昧で誤解を生みかねない。今回,いくつかの町を訪問して耳にした言葉に,この辺りは明治以降の歴史しかないからこそ,しっかりと歴史を書くことができるというのがあった。北海道開拓の歴史をひもとき,自らの地域の歴史を跡付けようとする考え方はかなり以前からあるようだ。実際,どこの市町村でもかなりしっかりした自治体史が刊行されている。

置戸の場合も同様であるが,ここがそういう意味での歴史意識を積極的に位置付けることができているのは,図書館の地域をベースにした活動と先ほども出てきた高橋和夫氏の存在が大きい。高橋氏は戦後間もない時期の青年読書会に参加し,公民館運動や図書館運動に住民として関わってきた人である。長らく図書館協議会委員を務めた。彼は『置戸タイムス』という週刊新聞を1951年から現在に至るまで出し続け,その意味で置戸の生き字引と呼ばれるような人である。『置戸町史』上下巻,『置戸町議会史』,『置戸町社会教育50年のあゆみ』などの町の正史に当たるものも彼の執筆によるところが大きいとされる。『置戸タイムス』は現在デジタル化され,その一部は置戸町郷土資料デジタルアーカイブで読むことができる。https://adeac.jp/oketo-lib/top/

つまりこういうことである。置戸は戦後間もない時期に公民館に集まった青年たちの新しい時代に対する希望と自治意識が,その後の社会教育行政の重視につながった。社会教育をベースにした図書館は結果として住民一人当たりの貸出数が日本一につながった。だが,それを支えた背景としては社会教育的な働き掛けが常にあったことと共に,地域意識を醸成する作用としてのジャーナリズム(置戸タイムス)とそれを歴史につなげる正史刊行があった。それらはこの高橋氏個人の力で支えられてきた。そして,彼がこの仕事をする際の拠点として図書館の郷土資料の蓄積があったと考えられる。なお,高橋氏が担った地域ジャーナリズムと郷土史は私が考える地域アーカイブの重要な柱となる。図書館はこうした地域的アイデンティティを構築するのに欠くことができないインフラとなるのである。

おわりに

置戸町の図書館はやはり人を得たことで成立した。それは初期の公民館に集まって学ぼうとした青年たち,そこから出てきた町長や教育長などの町の執行部,外部から入った社会教育系の専門職員,そして,地元出身で地域のことを記録しながら後世に伝えようとする高橋氏,こうした人たちのリーダーシップが働いて,あれだけの図書館が今に至るまで維持されてきたのだと考える。

ただし,そうした青年たちも多くは高齢化し,すでに鬼籍に入った人たちも少なくない。現在に至るまで,図書館(あるいは「地域アーカイブの思想」)を維持しようという力は働き続けていると考えられるが,それを妨げる要因(町の財政問題,人口減,高齢化,少子化,都市の吸引力,インターネットなど)も押し寄せている。町民の図書館登録率は下がり気味であり,社会教育や地域アーカイブを通じて醸成された地域意識は徐々に下がりつつあるのかもしれない。

図書館政策を考える素材として置戸町立図書館はたいへん興味深く,その在り方については他自治体にとっても参考になることが多い。それは戦後民主主義において住民が主役の地域づくりの仕掛けとして社会教育や図書館があったことを忠実に実行してきたことがある。さらには小さな町だから,それが確認しやすいということもある。

最初の方で述べたように,1970年代80年代に図問研,日図協が行った置戸町立図書館の調査とその活かし方については,不十分なところがあった。それは,地域のインフラとしての社会教育や郷土資料などのアーカイブ機能を軽視したところに見られる。1950年代から60年代にかけての時期に,公民館から図書館につながる行政が行われた例は『中小レポート』では報告されているが,『市民の図書館』が出ると社会教育から離脱する動きになった。また,21世紀になってから,文部科学省は図書館政策において地域の課題解決支援を言い始めたが,それがちぐはぐなのは,社会教育や地域郷土の意識形成に関わる領域を抜きにしたからだと思われる。社会教育から生涯学習への動きそのものが,新自由主義的な動きを反映しているから当然とも言える。こうした図書館政策史の評価と再構築については今後の課題としたい。


謝辞

訪問の際に,置戸町立図書館業務係長森田はるみさんには最初から相談に乗っていただき,資料の提供,さまざなアドヴァイス,関係者へのアポイントメントなどの点でたいへんお世話になった。彼女の真摯な姿勢にいろいろと学ぶことが多かった。同館の業務係安藤光希さん,他のスタッフの皆さんにも合わせて御礼申し上げる。また,図書館協議会委員長堺敦子さん,前図書館長今西輝代教さん,オケクラフトセンター森林工芸館長小野寺孝弘さん,郷土資料館学芸員池田一登さんからは貴重なお話しを伺った。さらに,訓子府町図書館前館長山田洋通さん,北見市立中央図書館奉仕係長川畑恵美さんにも,周辺の図書館行政についてお話しを伺った。本当にありがたく,ここころより御礼申し上げたい。しかしながら,ここでの論理展開と主張はまったく私個人のものである。








2024-06-18

ポール・オトレとは何ものか? 新刊書『世界目録をつくろうとした男:奇才ポール・オトレと情報化時代の誕生』について

まず,ポール・オトレの肖像写真が載せられている表紙カバーを見ていただきたい。アメリカのジャーナリストであるアレックス・ライトが2014年にオックスフォード大学出版局から出したCataloging the World: the Birth of the Infomation Ageの翻訳書である。翻訳はプロの翻訳者を得て読みやすい本になった。私はこのなかで解説を担当した。昔,オトレについて少し書いたことがあるからだが,本書が日本でも紹介されることには大きな意義があると考えている。


実は,本文の「はじめに」「第1章 バベルの図書館」の一部,「おわりに」「解説」「索引」「文献一覧」がアマゾン(PCウェブ版のみ)の「サンプル」ページで読めるようになっている。出版社の大盤振る舞いなのだが,逆に言うとこのくらい情報を出さないと,これまで,日本の国際関係論とか情報社会論,メディア論などの領域でほとんど扱われていなかった人物であり,また20世紀前半のヨーロッパ大陸中央部というなじみのない舞台なので,理解されにくいと考えられたのかと思う。ぜひ,現在読める部分にお目通しいただきたい。

本文サンプル(ただし,PCブラウザでアクセスしてください)

私が書いた解説も全部が読めるので,ここでは解説をさらに補う形で本書のエッセンス部分を紹介しておきたい。

「奇才オトレ」は何をした人か

この本の冒頭では,第2次大戦が始まってナチスがベルギーを占領したときに,ブリュッセルの世界宮殿(パレ・モンディアル)と呼ばれる建物にくたびれた格好の老人がいて,ここの資料だけは世界の宝だから,保護させてくれと頼んだが,まもなくそこにあった資料類(図書,雑誌,カード目録,博物館資料,マイクロフィルムなど)の多くは撤去され,多くは廃棄されたという逸話が語られる。つまり,壮大なビジョンの下にさまざまな活動をしたオトレだが,その夢は実現しなかったことが最初に描かれている。

そこにあったモノこそ,ドキュメンテーション運動の原資にあたるもので,もともとは書籍や雑誌記事の目録カードを分類順に排列したものから始まる。つまりそれらはメタデータの集まりであったが,オトレと盟友ラ・フォンテーヌは,これをUDC(国際十進分類法)によって分類記号を付けたことが重要である。これによって,近い主題のものが近いところに並べられることで主題検索が可能になる。ただしこれだけなら,前身にあたるデューイ十進分類法(DDC)と同じであるわけだが,アメリカの公共図書館向けの分類法と違い,UDCは国際性と学術性を重視したことと,記号の組み合わせを柔軟にすることによって複雑な概念を一つのメタデータで表現できるようにした。

下記のカードボックスは「世界書誌目録(RBU)」の歴史の部分で,カードがUDCの9類で(補記:各国の歴史は94で始まる)ここはフランス44(補記:UDCでは94(44)),イタリア45(同:94(45))のカテゴリーの下で時系列に排列されていることを示す。その下の写真の中央の男性はオトレの秘書で,実際の作業は多数の女性が担っていたことが分かる。右手に見えるカードケースには最大で1600万枚の目録カードがUDC排列で並んでいたと言われる。

https://www.spiegel.de/international/world/internet-visionary-paul-otlet-networked-knowledge-decades-before-google-a-775951.html#fotostrecke-0dcb0a14-0001-0002-0000-000000070716


https://www.inverse.com/article/7549-the-first-internet-hero-was-paul-otlet-and-his-steampunk-wikipedia

これにより,UDCは学術的,専門的分野で世界的に使われることになり,現在ドキュメンテーションというと専門領域のものとされる考え方は最初から備わっていた。だが,オトレらの卓見は,専門領域が個別に存在するだけではなく,それらをつなぐ原理としてUDCを設計し,ドキュメンテーションはそうした領域を超えた知を実現することを目指したところにこそある。また,オトレらは目録カードの集合体では結局のところは知への手がかりしか与えられないことから,知そのものを提供できるようにするということでマイクロ資料に着目し,メタデータとマイクロ資料をつなげることで効率的な情報検索と情報提供ができると考えた。さらには,当時現れ始めた視聴覚資料や通信技術との関係にも目を向ける。写真,映画,ラジオ,電話,そしてテレビもまたドキュメンテーションの対象となる。これらのメディアが相互に結びつくことや,それらを用いて遠隔で会議をすることも想定していた。そうした構想が分かる図が次のものである。


ここまでは図書館情報学の教科書にも出てくる話しであるが,彼らは第一次大戦までのベルエポックから第2次大戦までの時期に,世界平和をこうした知的交流によって実現することを提唱し,各国の類似の関心をもつ人たちと交流することでこの運動を拡げていこうとする。博物館展示の改革者パトリック・ゲデス,美術家ヘンドリック・アンデルセン,,パトロンとしてのベルギー国王レオポルド2世,建築家ル・コルビュジエ,視覚言語による展示の工夫を提案したオットー・ノイラート,「橋」による学術協力活動を提唱したヴィルヘルム・オストヴァルド,機械式検索システムを工夫したエマヌエル・ゴルトベルク,「世界の頭脳」を提唱した作家H・G・ウェルズらである。これらの人たちが,束の間の戦間期に19世紀的なアイディアを極限まで繋いで拡張しようとするオトレと出会い,互いに刺戟を与え合いながら活動したことが語られる。これは,ドキュメンテーション活動が知的,学術的な拡がりだけでなく,さらにそれが社会的国際的な志向性を強めていったことを示している。

オトレのドキュメンテーションの構想は,目録カードおよびマイクロ資料,マルチメディア資料による世界知へのアクセス状況がつくられ,次の段階には,それが媒介となって世界の知識人や研究者らが互いに知を共有してより高い知を生み出し,さらにそれが世界平和へとつながっていくというものであった。これは,このブログでもかつて触れた,彼の主著『ドキュメンテーション概論』に描かれた図で示されている。再度掲げると次のものである。本書のカバーを外すと表紙に当たるところに,この図の右側の部分が描かれている。

オトレのドキュメンテーションのアイディア

しかしながら,最初に示したようにこの構想はうまくいかなかった。その理由は明らかである。時代がすでにヨーロッパの知識人が交流することで物事が解決するようなものでなくなっていた。実際に,オトレらもアプローチを試みた国際連盟は国家を単位に国家を超えた政治組織をつくることを目標としていたが,まもなく第2次大戦が起こることを防げなかったように,事態はヨーロッパという枠で解決できなくなっていた。また,著者が実証主義(positivism)と呼んでオトレの思想の根幹にあるとするオーギュスト・コントの思想は,人類が形而上学や神学的なものから合理的で科学的なものを基にした社会の形成に移行するという啓蒙主義的なものであった。しかしながら,20世紀にはその啓蒙主義が破綻して,合理主義・科学主義が大量破壊と殺戮につながったわけであり,その意味でもオトレらの理想は時代遅れのものであった。

「情報化時代の誕生」

だが,著者はそのことを主張したあとでも,本書の副題に「情報化時代の誕生」とあるように,実証主義における技術論,それも情報技術論に多大な貢献をしたことを主張する。このことを考えるためには,西洋社会におけるデジタル技術がコンピュータ以前からあったことを指摘しておかなくてはならない。もっとも分かりやすい例だとタイプライターがある。今のノートPCの原形になったのはワープロ専用機と考える人が多いだろうが,さらに遡るとタイプライターという機械があった。西洋ではタイプライター技術は18世紀に遡るが,一般的に用いられるようになったのは19世紀末になってからで,アルファベットが26に数字が10,あといくつかの記号が40くらいのキーで表現できるキーボード(シフト切り替えで大文字,小文字他を切り替える)は現在のデジタル入力でも使われている(QWERTY排列)。つまり,キーによる情報入力はデジタル技術のはるか前から使われていたのである。

米国、レミントン社(E. Remington and Sons)のタイプライター(1907年)

もう一つ別の例を挙げれば,折りたたみの楽譜を用いた手回しオルガンがある。次の写真は,ヨーロッパ近代において用いられていた手回しオルガンとその楽譜である。国立民族学博物館に展示されている。これは大きなものだがもっとポータブルなタイプのものもある。シート楽譜には穴が空いていて,これを機械に装着して裏のハンドルを手回しすると右から左にシートが送られ,基本的に穴が空いているところで音を鳴らす仕組みである。ストリートオルガンの演奏(国立民族学博物館)がyouTubeにあるのでごらんいただきたい。シート楽譜を変えることで違った曲の演奏が可能であるし,自作もできる。だから,これは楽譜が演奏のプログラムとコンテンツを兼ねているということができる。こういうものを自作する人もいるようで仕組みを知りたい人はこちらをみてほしい。

大型手回しオルガン アムステルダム オランダ

手回しオルガンのシート楽譜

以上の二種類の機械は情報の入力・出力を容易にし,さらには蓄積することを容易にするものである。また,筆と紙での筆写とか,弦楽器での演奏といったものが徹底的にアナログなものであるのに対して,限定された数のキーボードや,鍵盤楽器や管楽器が有限の範囲での音を出す原理がデジタル的であることにも気づく。そして,タイプライターが電動化され,後にはワードプロセッサ,パーソナルコンピュータにつながるように,これらはデジタル情報機器の前身とも言えるものである。

オトレはそうした文化的伝統のなかに生まれ,先ほどの図にあったように知をカタログ化することが集合的な知をもたらし,それが何らかの社会的作用につながると考えたわけだが,カタログ化された知をどのように活かすかについてもさまざまな試みをした。そして,それは20世紀後半になって実際にコンピュータの出現によって徐々に実現化していくことになる。本書の11章と12章では,パーソナルコンピュータの原型となったMemexを提唱したヴァネヴァー・ブッシュ,国防総省のDARPAで情報システム開発に関わり未来の図書館を構想したJ.C.R.リックライダー,現在のユーザーインタフェースの基礎技術を開発したダグラス・エンゲルバート,インターネット上の分散的な接続原理をワールド・ワイド・ウェブとして開発したティム・バーナーズ=リー,ドキュメント間のつながりをハイパーテキストとして開発したテッド・ネルソンなどの業績を検討している。これらはインターネットを実現するための要素技術であるが,いずれもオトレの影が宿していることを検証している。

とくに,第2次大戦直後に発表されたヴァンネヴァー・ブッシュが「考えるままに」という題名の記事で示したMemexは,パーソナルコンピュータを先取りしたものとして知られているが,そこで描かれた図(本書p292)がオトレがモンドテクと呼んで未来の個人ベースの図書館だとした図(本書p271)とよく似ていることを示している。


https://filiph.net/text/memex-is-already-here,-it%27s-just-not-evenly-distributed.html



https://www.mondotheque.be/wiki/index.php?title=Introduction

確かに机をベースにしてそこで個人の情報処理をする機械という意味では似ているが,よく見るとだいぶ違う。Memexは電気信号を用いた回路とマイクロフィルムを組み合わせたものであることが分かるし,得られた情報は机上のタブレットのようなものに光学的に表示されるが,モンドテクの場合は,机の下の書籍,雑誌,地図,ファイル資料,模型,ラジオ,テレビ,電話などの資料・メディアが置かれ,右側に見えるカード目録で検索する。検索されたものをこの机の上に出して使う。これらは,知の蓄積,検索,表示といったことをコンパクトなサイズで行うことを意図している点で共通するが,仕組みは違っている。Memexの図の机の中にはマイクロフィルムを検索する装置であるラピッド・セレクターが置かれている。これは,マイクロフィルムの側面に先ほどのオルガンのシート楽譜のようなパンチを空けて,それを手がかりに検索できるようにしたものである。つまり,オトレのカード目録はブッシュでは電気式のものに代わっている。

ハイパーリンクの予見

戦時期をはさんで情報技術に大きな展開があったと考えられるだろう。もう一つの古くからあるデジタル技術のモールス信号をめぐって軍事情報の暗号化とその解読技術の発展によって情報の扱いがアナログからデジタルへという展開がはっきりと現れた。また,パンチ穴を利用した検索の工夫も古くからあるが,20世紀初頭にハーマン・ホレリスによる移民の統計データを検索するのに用いたことが知られている。しかしながら,その後軍事技術としてノイマン型コンピュータENIACが開発されて,2進法によるデジタル情報処理が可能になった。これは,高速の計算を可能にするだけでなく,1バイト(=8bit)が1文字を表す基本単位として,文字データ処理を可能にし,それはその後の情報処理,知識処理までも可能にするものとなった。そのときに,パンチカードはプログラムやデータ入力のためのツールとして用いられる。ブッシュのラピッドセレクターは,当時,国立農学図書館の職員だったR. R. ショーが検索装置としての実用性を高めようとしたことにつながり,その後はデジタルコンピュータに移行する。

これら二つの図の間にはデジタル技術の発達があったことはいうまでもない.が,著者はオトレがそうしたデジタルコンピュータ技術の発展をあたかも予想していたようなさまざまなアイディアがあったことを強調している。オトレはムンダネウムをさまざまな機会に提案し,また図示して見せてくれた。たとえば1937年に作成された「ムンダネウムを構成するもの Species mundaneum」と名付けられた図では,さまざまな要素が上段の真ん中に置かれたムンダネウムとリンクされている様子が描かれている。たとえば,左上は世界都市,右上はインターナショナリズム,降りてきて人々の日常生活や精神生活,メディアとの関係など,さまざまな要素が描かれている。これらを繋ぐための仕掛け全体がムンダネウムだという。,

https://monoskop.org/Paul_Otlet#/media/File:Otlet_Paul_1937_Species_Mundaneum.jpg
著者は,この図は引き合いに出していないが,彼の思想としては,「人間は原子や電子といった部品の集合体でしかなく,それらが組み合わさることで,独立し自律した自分という幻想が生まれる。」「社会も「知識の集合体」であり,知恵の集まりという善なるものに貢献するために,独立して機能する自律的な知識基礎となる,これを実現するためにオトレが望んだのが,だれでも使用でき,社会全体で情報を収集,作成,配信できる「知識機械」だ。」(本書, p278)と述べる。

著者は,20世紀後半に現れた情報化時代のイメージのなかで,オトレの思想に一番近いのがテッド・ネルソンが1981年に発表したザナドゥXanaduという構想だという言う。これはその後,ハイパーリンクシステムの基になったとも言われている。ザナドゥは世界規模のネットワークで膨大な数のユーザーが同時に接続でき,世界に蓄積された文字,画像,データを集積するためのものと述べられている。(本書, p.302)それを図示したものが下の図だ。著者は,オトレとネルソンはきわめて理想主義的なアイディアをどんどん出すユートピア的熱意をもつところが似ているだけでなく,熱しやすく自らの道に障害となるものに対して異常なまでの執念で打開しようとするところにも共通点があると述べている。ネルソンの案は現実的にはティム・バーナーズ=リーのハイパーリンクシステムによって実現されたと言われる。

https://museumofmediahistory.com/xanadu

まとめ

以上のように,本書は,ポール・オトレが20世紀前半に知のネットワーク構想をカード目録の作成から始めて,それが現在のハイパーリンクによるネットワークの出現にまで結びついていることを物語ってくれている。これまでも,Memex以降の情報技術の展開をまとめ,情報化時代の出現の歴史を語ったものはあったが,この本はそれがさらに半世紀遡った構想の実現にあったということを明確に主張している。今日,図書館情報学で使われるドキュメンテーションという用語には,文献資料の処理という意味に限定されずに,そこから情報や知識を取り出してさらに何らかの知的活動なり社会的な活動なりに結びつけるところまでも含むというメッセージが込められている。

私は解説の最後で,日本語が2バイト文字でしか表現できないことの困難性について触れた。コンピュータの仕組みそのものがアルファアベットを使うところに最適化して現れたことは言うまでもない。しかしそれだけでなく,西洋近代では機械による情報処理がすでに行われていたことが,コンピュータを単なるデータ処理の機械にとどめず,情報処理,そして本書が扱っているような知識処理への発展につながっている。この部分は図書館情報学の役割と密接に関わるものであり,本書がオトレの業績やそれが情報化時代を切り開く役割をしたしたことを紹介する動機ともなったものである。

2024-04-22

探究を世界知につなげる:教育学と図書館情報学のあいだ(2024年6月18日一部修正・注付与)

表題の論文が5月中旬に出版されることになっている。それに参加した感想をここに残しておこう。それは今までにない学術コミュニケーションの経験であったからである。

大学を退職したあとのここ数年間で,かつてならできないような発想で新しいものをやってみようと思った。といってもまったく新しいというのは難しいが,少し角度を変えるとか切り口を変えることならできそうだ。その前にやっていた学校図書館研究とアーカイブ思想研究を発展させるとどこかでつながるのではないか。

出版の経緯

ということで,京大にいた川崎良孝氏にお誘いを受けて,「相関図書館学方法論研究会」のシリーズ本《図書館・文化・社会》の第9巻『図書館思想の進展と図書館情報学の射程』(2024年4月刊行,松籟社)に論文「探究を世界知につなげる:教育学と図書館情報学のあいだ」の執筆をした。これはおもしろい経験だった。というのは,以前からこのシリーズが気になっていたからである。何人かの研究会メンバーがオリジナルな論文を発表するものだが,関心があったのはなぜこの形式をとるかということである。

それは2点ある。一つは学術論文の発信の仕方に関してである。通常なら,査読誌に書くべきものなのだろうが,それが単行書の論集本として刊行されている。なぜこの形式をとるのか。やってみて思ったのは,すでに査読誌には何本も書いており,今更そういうものに書く動機付けがそれほどない中堅・ベテランの研究者にとってはこの形式は悪くないということである。シリーズの趣旨の枠内で好きなテーマで書くことができる。それもページ数の制限はゆるやかである。人文社会系の場合には査読誌が要求する制限は少しく厳しく感じ,思ったことが表現できないもどかしさがある。

しかしながら,そうしたある意味で人文系研究者のわがままのままに書いた論文を複数掲載した論集を商業出版社から出版することが可能なのかというのが第二の関心である。これについては,川崎氏の創意と工夫,そしてご好意に感謝せざるを得ない。【以下は筆者の個人的見解によるのであり,本当のところは不明のところもある。】これが松籟社という商業出版社から比較的安価で出版できている理由は,編集プロセスを執筆者の自己編集と当該研究会メンバープラスボランティアのサポートによると考えられる。安価というのは,今回の巻は,A5判233ページの上製本で税抜きで2800円という定価になっている。税込みでも3000円ちょっとというのは,今の学術書のマーケティングを考えると3〜4割程度安いと思われる。

一定のフォーマットが指示されて,それに合わせてMSWordで原稿を書いた。提出にあたっては出版された版面と形式的に同等のものが要求された。もちろんWordなので,編集過程のどこかで印刷のための変換が行われているわけだが,通常,編集者が行うフォントや文字・数字などの形式面の修正をできるだけしないようにという事前の配慮が徹底していた。このことは今後の出版を考えるのに重要である。というのは,従来,人文社会系においては,原稿はかなり乱暴に書いて,校正時に直すというような(悪しき)習慣があった。たぶん手書きのときの慣習がそのまま残されていたものと思われるが,これは編集者にとってかなりの負担になっていたことは確かである。逆に言えば,完成稿に近いものを提出すればそうした余分な作業が省けるわけである。もちろん,最初から完璧な原稿を出すことは難しく,校正の過程でこちらも幾分かの修正を行ったし,川崎氏を通じて抄録や索引の作成や著者紹介執筆の依頼があった。だが筆者の過去の経験から言っても,相対的に編集の手間は少なくて済んでいたものと思われる。つまり,この出版物には編集費の部分が極力抑えられていることが出版できている要因であるし,価格が低く抑えられている理由でもある。

ということで図書出版が難しくなっていると言われるなかで,こういう手法で学術出版が可能なのだということを知った次第である。ただし,これは要するに同人雑誌を商業図書として出版するということであるから,可能にするための条件はそれなりに厳しいだろう。まずは,論文の質ということである。これが学術的にも商業的にも一定レベルを超える質的条件を備えている必要がある。質的条件についてそれが何なのかは書いた当事者であるし,今のところはコメントできない。商業的条件で編集費用の低減については上に書いたとおりだが,たぶん,これが図書館関係書であることから一定数の図書館で購入してもらえそうということも大きいようにも思われる。質にも関わるが,先に述べた執筆の要件を満たすことができる書き手が揃うことも重要な要件だろう。要するに,編集の手間を減らすためには最初から編集のある部分を執筆者が担うことが必要となる。

論文について

学校図書館研究とアーカイブ思想研究をつなぐという構想は自然に出てきたものである。もともとルーツは一緒であり,表現の局面が違っていただけである。今回は,戦後新教育における学校図書館の位置付けをジョン・デューイの探究思想に求め,それが,政治思想史や教育思想においては,西洋のアーカイブ思想におけるクリティックや文献学という形をとると説明されていたものに対して,図書館情報学的な研究の蓄積を対置させて論じた。抄録と目次を示しておく。

【抄録】
学校図書館を理論的制度的に位置付ける作業の一環として、学校図書館が知を媒介する作用をもつことを示す(図書館)情報学的な理論装置を検討した。その際に、ジョン・デューイの道具主義的教育論の基底にある探究(inquiry)概念が世界知(accumulated wisdom of the world)への志向性をもっていることに着目し、それを,レリヴァンス(relevance),データ・情報・知識・知恵のヒエラルキー(DIKWピラミッド)、ドキュメントと書物の関係、読者反応理論とメタファーとしての知、客観的知識論とドメイン分析、社会認識論(social epistemology)の6種類の理論装置から検討する方法をとった。最終的には、ドメインとしての学校における知識組織のあり方を分析することにより、世界知への方向付けをもったカリキュラム構築の一助になることを述べた。(本書 p222-223.)
 
【目次】
はじめに
1. デューイから始める学校図書館
1.1『学校と社会』の学校図書館
1.2 図書室が学習の場とされる理由
2.学習者と世界知をつなぐ
2.1 探究と世界知
2.2 系統主義の教育学
2.3 21世紀の教育課程の課題
3 図書館情報学のアプローチ
3.1 方法的概念としてのレリヴァンス
3.2 データ,情報,知識,知恵
3.3 ドキュメント
3.4 読者反応理論と知のメタファー
3.5 客観的知識とドメイン分析
3.6 社会認識論の可能性
4.探究を解明するための知識組織論
おわりに 

これ以上は,読んでいただくほかないが,「探究」と「世界知」をつなぐ道具立てについて,20世紀後半から21世紀にかけて欧米で議論されてきた6種類の理論装置を用いて説明している。これらは,日本では散発的に紹介されたにすぎず,それも関心をもった研究者が一時的に論じただけである。全体像および現在の理論水準についてはまったく議論されたことはなかった。本稿では,そうしたものについて,筆者の目から見て使えそうなものを整理して提示することにした。

筆者がアカデミアに入ってすぐに惹かれた書誌コントロールの理論家にジェシー・シェラやパトリック・ウィルソンがいたが,今回関連してドン・スワンソンの業績もまたその系列でとらえ,全体像を把握しただけでなく,そうした議論が現在の社会認識論につながることについても見通しを得た。また,米国の情報学とヨーロッパのドキュメンテーションをつなぐ理論家として知られるマイケル・バックランド,生涯を通じてレリヴァンス論を柱に情報学を追求してきたテフコ・サラセヴィック,論理学的思考を導入することで図書館情報学の可能性を拡張しようとしているマーティン・フリッケ,そして,デンマークで多様な情報学ツールを一つのステージで整理しようとするビアウア・ヤアラン(注)らが学術的基盤をしっかりとつくってきたことが現在の情報学進展のバネになっていることを理解できた。さらには,図書館情報学が,スティーヴ・フラーらの社会認識論やルチアーノ・フロリディの情報哲学,ルイーズ・ローゼンブラットの読者反応理論などと関連していることや,より基盤的な分野として,カール・ポパーの客観的知識論,ジョン・デューイの教育哲学やアルフレッド・シュッツの現象学的社会学とのつながりがあることを確認できた。

ここで紹介した理論装置は(図書館)情報学という領域がもつ可能性を示すものであるが,実は多くが筆者よりもさらに年長の研究者によって展開されたものだ。特に,20世紀後半から21世紀早々の時期に活躍したバックランド,サラセヴィック,フリッケ,ヤアラン(注)らの知見に啓発されて,知識資源システムという大枠を設定し,ドキュメントやアーカイブ,レファレンス,レリヴァンスといった概念を再検討して,図書館情報学を進展させるための分析ツールとした。そうしたものを日本に紹介することは,本来,筆者を含めた同世代の研究者に要求されたことだったはずだが,ほとんどできていなかった。これはまったく恥ずべきことだったとは思うが,領域が広大で多様な議論が多様な方法をもって論じられていたことに気づくのが遅れ,対応できていなかった。

現在,この論文をさらに展開した形での著書を準備中であり,近い将来刊行される予定である。もとより筆者個人の能力の限界故にできることに限りがある。その意味で,今やっていることは今後の研究者に引き継ぐときに道しるべとなればいいという程度のものとして展開しているのである。

デンマークの情報学者Birger Hjørlandのカナ表記をこれまでの「ビルギャー・ヨーランド」から「ビアウア・ヤアラン」に変更する。これは,デンマーク語に詳しい方複数名に確認して決めたものである。近々,デビッド・ボーデン,リン・ロビンソン『図書館情報学概論』の第二版の翻訳書(勁草書房)がでることになっていて,そこでもこの表記を使うことを訳者塩崎亮さんとも確認し合っている。(2024年6月18日に変更追加)


謝辞

本論文の執筆にあたっては,機会をくださった川崎良孝氏および相関図書館学方法論研究会の皆さんに御礼申し上げたい。



新著『知の図書館情報学―ドキュメント・アーカイブ・レファレンスの本質』(11月1 日追加修正)

10月30日付けで表記の本が丸善出版から刊行されました。11月1日には店頭に並べられたようです。また, 丸善出版のページ や Amazon では一部のページの見本を見ることができます。Amazonではさらに,「はじめに」「目次」「第一章の途中まで」を読むことができます。 本書の目...