2024-03-29

読書アンケート2023:識者が選んだ,この一年の本

昨年まで,月刊『みすず』の1/2月合併号というかたちで出ていた「読書アンケート」が今年から,単行書『読書アンケート2023:識者が選んだ,この一年の本』というかたちでまとめられるようになった。今回は139人が寄稿しているそうだ。私が選んだ本を他の人が選ぶことはこれまでなかったと記憶するが,今回は1の日野さんの情報公開の本を選んでいる人がいた。丘沢静也さんというドイツ文学の方だ。それが読み方が私のと似ていて,この本は何よりも著者が情報公開請求を厭わずに繰り返している様子が描かれ,多くの人が情報公開請求をすればお自ずといろんなものが変わってくるという点を強調している。口先の批判は誰でもできるが,それを汗をかいてするのかどうかが大事だという点は肝に銘じたい。

3月も終わろうとしているので,私が書いたものをここに公開する。


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根本彰(図書館情報学,教育学)


1. 日野行介『情報公開が社会を変える:調査報道記者の公文書道』筑摩書房,  2023 (ちくま新書)

 情報公開制度は20世紀末に地方自治体から始まり,2001年に公文書公開法ができ,2011年に公文書管理法ができて国の制度が整った。この制度により,公的機関が自らの意思決定過程を明らかにして行政手続きの透明度を増すことが期待されたが,実際にはその通りになっていない。長年,新聞社でこの制度を活用して調査報道を行ってきた著者は,これを利用するコツを懇切丁寧に語ってくれる。敷居が高いように見える制度も基本的には使いようであり,多くの人が使って調査や研究を行うことで開かれた政府の実現という当初の目的が実現されるはずだと言う。

 それにしても,著者が苛立ちをもって語る行政の「知らしむべからず」の体質は,個々の担当官の判断を超えて組織に染み付いているもののように思われる。

2. 八鍬友広『読み書きの日本史』岩波書店, 2023 (岩波新書)

 幕末に日本を訪れた西洋人が,江戸市中でふつうの庶民が本を読んでいるのを見て驚いたという手記がたくさん残され,日本人のリテラシーが高いことが言われてきた。しかし,本書は書物にはかな文字による往来物と呼ばれる読み本と,漢字読み下し文(漢文訓読体)のものとがあって両者を区別すべきであるという。つまりリテラシーと社会階層は関連しており,高いリテラシーは前者についてあてはまるが,後者は必ずしもそうではない。これは上記の体質と密接に関わる。

 再編集版として刊行された岡田英弘『漢字とは何か:日本とモンゴルから見る』(藤原書店, 2021)によると,中国の歴代王朝は漢字をもって全土統一を果たしただけで,地方の話し言葉はばらばらだった。東アジアにおいて書き言葉が統治のツールだったことは確かだが,明治の言文一致ナショナリズムはむしろそれを強めたのではないか。書き言葉を操るエリートが国家を運営し,庶民は教科書で与えられた範囲の知の下に日常を生きるという枠組みは,時代を超えて現在に及んでいる。

3. 渡邉雅子『「論理的思考」の文化的基盤:4つの思考表現スタイル』岩波書店, 2023

 21世紀になってから,文部科学省は教育課程に総合的学習の時間や探究学習を取り入れた。「主体的対話的で深い学び」は現行学習指導要領の合い言葉になっている。だが,そこではどのような人間像が想定されているのだろうか。本書は,「論理的に書く」行為が日本,アメリカ,フランス,イランの4カ国でどのように違うのかに焦点を当てた,これまでにない国際比較研究の成果を示してくれている。日本の子どもたちの行為の特徴を挙げれば,感想文や小論文の執筆指導を通じて,社会のなかで間主観的な「共感」を表現することが強調される。これは大正自由教育以来の綴り方や戦後の作文教育から何も変わっていない。日本の国語教育は漢字の読み書きができるところで止まっていて,その先にそれをどのように使うか,使ってどうするのかの議論がないように思える。

4. デニス・ダンカン(小野木明恵訳)『索引 〜の歴史:書物史を変えた大発明』光文社, 2023

 読む行為に解釈の揺れや幅があるのは当たり前である。主体的に学ぶには批判的な読みは避けられないが,学校で「批判」は避けられやすい。本書はイギリスで出た「索引」をテーマにした本であるが,この本から読み取れるのは,索引をつける行為は批評の第一歩だということである。索引は,書物の内容に分け入って言葉を分析し情報を取り出しやすくするためのツールである。索引が必要になるということは,書き言葉の言説空間に参与するのに共感だけではなく,批評・批判の精神を合わせもつべきことを示唆している。

索引作成は索引家(indexer)と呼ばれる専門家が請け負うことが多い。実はかつてイギリスに倣って日本にも日本索引家協会という団体ができていた。1977年に設立され1996年に解散してしまったのだが,少々早まったのではないか。というのは,こういう本の翻訳が出るのは,サーチエンジンや生成AI全盛の時代のアンチテーゼでもあり,今,索引家のような言葉の達人が求められていることを示すのだ。(「TBS系列テレビ番組「プレバト」を見ていて,俳人と索引家の共通点と違いに思いを致した。)


2024-02-21

市川沙央『ハンチバック』と読書のバリアフリー

ふだん小説はほとんど読まない。そんな私が 最近,市川沙央『ハンチバック』という本を読んだ。芥川賞受賞作を受賞後1年以内に購入して読むことなど初めての体験だ。それというのも,この本が身体障害者の読書バリアフリーを一つのテーマにしているという声がさまざまなところから聞こえてきたからだが,もう一つ,かねてより『文藝年鑑』という定期刊行物にこの1年間の「図書館」についての短い報告を書くことになっており,そこにこのことがもつ意味について書いてみたいと考えたからだ。なので,これから書くのは,『文藝年鑑』(6月末刊行予定)で書き足りなかったことを補足するものである。

この物語の主人公は,首や背中に重い障害をもっていて,常に人工呼吸器をつけ痰吸引が必要であることによって車椅子生活を余儀なくされている。その彼女はウェブにポルノ記事を書くことを趣味(生活費の足し?:といっても主人公は親からのかなりの財産を遺贈されており生活に困っていないという設定)とし,他方では,大学通信課程で卒業論文を書いている。この短い小説では,彼女のリアルな生活空間の描写のなかに,彼女が執筆しているハプバ(ハプニングバー)記事や女性向け官能ライトノベルの妄想空間の描写が散りばめられ,最後の部分では両者が同一空間に集約されることになる。そして,市川氏自身がこの主人公と類似の障害をもっていることが同書の奥付にある著者紹介に明記されているし,それはメディアを通じて表出されている。ということは,この小説を手に取った読者は,リアルな著者の人となり,そして著者が描く主人公の言動,さらに,主人公が執筆する記事と少なくとも三重構造を読み解く必要がある。

小説としては,重度の障害をもつ女性の性の(ということは生の)欲望が一つのテーマである。そのことが障害者が生きることにどのような負荷を与え,そのためにどのような過程が語られているのかについてはここでは触れない。だが,著者がそして著者が描く主人公が読んで書く行為を中心に生活が廻っていることは明らかであり,それが性(生)の描写と密接な関係をもつ。読み書くことそのものが生きることに組み込まれるとき,読書のバリアフリーがもう一つの大きなテーマとなる。彼女自身が授賞式の記者会見においてそれを強く訴え掛けた。そしてその重要性は文学関係者にも波紋を呼び起こした。日本ペンクラブでは「読書バリアフリーとは何か―読書を取り巻く「壁」を壊すために」というシンポジウムを開催した。マスメディアでも,たとえば朝日新聞の社説(2023年8月4日付)は,「市川さんの訴えは、本を自由に読めない人々の苦境を厳しく世に問うものだ。多数派は現状で十分でも、一部の人が切実な困難を抱えている場面は読書に限らないだろう。特にデジタル化がバリアフリーの実現に果たす役割は大きい。少数派の人々が置かれた状況に広く考えを巡らせる機会としたい。」とまとめている。そのことに異存はない。

だが,著者が次のように書くとき,バリアフリーというよく使われる表現で済ますことができない,厳しい指摘がそこにあることを感じることができる。

私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、―5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない『本好き』たちの無知な傲慢さを憎んでいた。(市川沙央『ハンチバック』2023, 文藝春秋, p.27)

こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに,紙の匂いが好き,とかページをめくる感触が好き,などと宣(のたま)い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい...出版界は健常者優位主義(マチズモ)ですよ,と私はフォーラムに書き込んだ。(同書, p.34-35)

著者は,授賞式や前後のマスメディアの取材に対して,小説の主人公と類似の障害を自ら晒すことで読書という行為を支えてきた「健常性」が無意識の差別となっていることを訴えた。それは,2019年6月成立の「視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律」(通称「読書バリアフリー法」)が,障害の有無に関わらず、すべての人が読書による文字・活字文化の恩恵を受けられるようにするとしたことへのアンチテーゼでもあった。新法で目標とされる「読書のバリアフリー」は特定のタイプの障害への対応とはなっても,読書行為において生じる多様な障害を救うものとは必ずしもならないからである。

図書館(公立図書館,点字図書館)もかねてより「障害者サービス」を実施することによって自覚的に読書のバリアフリーに取り組んできた。とくに視覚障害者のための点字資料や録音資料,大活字本,拡大読書機の提供や,対面朗読サービス,DAISYやサピエ図書館などの電子的な仕組みを提供してきたが,これらで「健常性」との格差を埋めることはできない。5つの健常性のどれもが当たり前としてきたものの一つか二つに対して手を差し延べるくらいしかできていない。それどころか,著者は主人公に次のように語らせている。

5000円以上する専門書だろうが,新品が流通していれば私は新品の本を買う。図書館の本は汚くて触れないし,そもそも図書館に行く体力もない。(同書, p.43)

図書館の本を利用することはそこに行って手に取って借りてくるという行為を前提としているのに,どちらもできないという。行くことについては何らかの対策はあるだろうが,汚くて触れないということについてはどうしようもないが,これは電子書籍の可能性を訴える伏線でもある。

博物館や図書館や,保存された歴史的建造物が,私は嫌いだ。完成された姿でそこにある古いものが嫌いだ。壊れずに残って古びていくことに価値のあるものたちが嫌いなのだ。生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる,生き抜いた時間の証しとして破壊されていく。そこが健常者のかかる重い死病とは決定的に違うし,多少の時間差があるだけで皆で一様に同じ壊れ方をしていく健常者の老化とも違う。(同書, p.46)

ここに至って,主人公(著者?)が憎んでいるのが,古いものが時間を超える特性をもっており自らの身体が常に壊れやすいことにこれを対置していることが分かる。図書館の本が汚いというのも,古さのマイナス面を象徴的に示そうというものだろう。著者は,その意味で電子書籍は福音であり,だが,文芸でも学術でも多くの著作が電子的に流通していないことを問題だと発言している。(NHK「バリバラ」2023年7月28日 愛と憎しみの読書バリアフリー)その主張は,自身が他方で特定の文芸作品をテーマに学術論文を書いていたことに関わる。彼女にとって,論文を書くに当たり参照すべき資料がすべて電子的に提供されることが必要なのだが,必ずしもそうなっていない。

彼女の訴えの正当性を認めた上で,ここで敢えてこれを拡張する議論をしてみよう。それは,デジタル化が唯一の解決策であるという誤解を避けたいからである。先の5つの読書の健常性である「目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること。」これらを前提とした社会は確かにある種の身体障害をもつ人にとって超えにくいバリアになっている。しかしながら,読書のバリアフリーは電子書籍を整備することで解決するのだろうか。電子書籍化が進まない理由としていくつも挙げることができる。まずは,著作(権)者や出版者が積極的にデジタル化を推進しなければ進まない。また,これを図書館などの公的費用で提供するためには,従来の紙資料が定価販売を前提としていたのに対して,紙資料の2〜3倍の価格設定で提供しなくてはならないが,その財源をどうするのかの議論が不足している。

そうした流通や経済面の問題を解決しなくてはならない。点字図書館も含め図書館が行う障害者サービスは公的仕組みで可能な範囲で実施されている。近年,学術論文のオープン化が進み,国会図書館デジタルコレクションが充実している。これはあらゆる人にとって朗報であり,そうした仕組み外にある比較的新しい本の電子図書館的仕組みや地域資料や郷土資料のデジタル化は図書館の大きな課題になりつつある。

だが読書のバリアフリー問題は,そのような制度や仕組みの問題を超えて,文芸とか学術とかを支える前提に本質的な問いを突きつけ,解決することが要請されているととらえるべきではないか。つまり,バリアーはもっと多様に存在し,その解決法ももっと多様なのではないか。たとえば,ディスクレクシアの人はどうなのか,日本に住んでいる日本語を母語としない人はどうなのか,生まれてまもなくスマホとかタブレットの動画やゲームがお守り役となって育てられた子どもはどうなのか。

要するに現代社会においてリテレートであるために必要な条件は何なのかという問いが浮かび上がってくる。あるいはリテレートであることが本当に必要なのかも含められる。ネットリテラシー,メディアリテラシー,科学リテラシー,医学リテラシー,経済リテラシー等々の重要性が説かれる。しかしそれ以前に,読み書き能力と呼ばれるもともとの意味のリテラシーそのもののとらえ方すら,一様ではなくなっている。

最近,今井むつみ, 秋田喜美著『言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか』 (中公新書)が話題になった。乳児が生まれてまもない時期に発するオノマトペに対して,母親や周囲の人がどのように応えるかが言葉の獲得に大きな影響を与えるという話しである。かつて「文学国語」と「論理国語」を対立的にとらえる議論があった。市川氏の問いかけはすでに一定のリテラシーを獲得した人のものであって,現実にはリテラシー自体の獲得が危うくなっている可能性があるし,その存立基盤である家族や社会,近隣コミュニティがきわめて多様化している。SNSで新しい言語環境がつくられると言われるが,電子書籍を読む行為と紙の本を読む行為は別物であり,その言語環境に本を読むという行為は位置付けられていないのかもしれない。読書のバリアフリーあるいはリテラシーという概念そのものが危うくなっているのではないか。

市川氏の問いかけから発して話しが拡がってしまった。彼女のように作家活動を中心にSNSも自らの発信手段として重視している人が,文学出版における新人の登竜門とされる芥川賞を受賞したことの意味は大きい。これは身体障害者が自らの障害に対するバリアフリーを訴える機会になるだけでなく,著作そのもの表出の仕方を通じて読み書きという行為そのものの現代的意義を考える機会になるのではないかと考える次第である。



2024-01-16

2023年の業績一覧(付:これまでの業績一覧)

2023年(暦年)に、次の文章を公表しました。

[図書]
『図書館情報学事典』(日本図書館情報学会編、編集委員長)丸善,2023.07. 
執筆項目 ①「データ・情報・知識」、②「アーカイブ」、③「レファレンス」、④「図書館情報学」、⑤「J. H. シェラ」、⑥「ポール・オトレ」、⑦「メディアとしての紙」、⑧「文芸共和国」、⑨「普遍図書館の夢」

[図書の一部]
「知は蓄積可能か:アーカイブを考える」『2022年度極東証券講座 文献学の世界 書物と社会の記憶』慶應義塾大学, 2023.05, p.99-115.

「図書館」日本文藝家協会編『文藝年鑑 2023』新潮社, 2023.06, p.61-63.

[学会発表]
「ナショナルアーカイブと地域アーカイブの間:図書館情報学における方法的検討」『日本図書館情報学会研究大会発表論文集』第71回 2023年10月07日 p.17-20.

[論文]
「文部省実験学校における図書館教育」『図書館界』vol.74, no.5, 2023.01,p.252-264.


「地域アーカイブの実践を福島に見る:集合的記憶をさぐるための方法的検討」『日本の科学者』vol.58, no.5, 2023年5月, p.4-10.

「文部省初代学校図書館担当深川恒喜の図書館認識」『図書館文化史研究』第40号, 2023,p.103-146.

「知のメディアとしての書物:アナログ vs.デジタル」『情報の科学と技術』73巻, 10号, 2023年, p.416-422.

[口述]
「日本図書館情報学会オンラインチュートリアル「学校図書館研究への新しい入り方」」日本図書館情報学会, オンライン, 2023年3月18日

SLIL講演会「学校図書館改革を戦略的に考える:探究学習、教育DX、情報リテラシー、読解力...」 2023年3月26日(日)

「アーカイブズ特集を終えて:補足とコメント」(平野泉、富樫幸一と)『日本の科学者』vol.58, no.5, 2023年5月, p.41-49

「図書館が地域アーカイブ機関であること」2023関東地区公共図書館協議会研究発表大会 山梨県立図書館, 2023年6月28日-29日

「北海道のアイデンティティを確認するための地域アーカイブという考え方」第63回(令和5年度)北海道図書館大会 2023年9月7日

「公共図書館の地域資料サービス:日野市立図書館の実践から考える」Jissen Librarianhipの会 特別シンポジウム 2023年9月30日

[その他]
「2022年読書アンケート」『みすず』65巻1号, 2023年1/2月号, p.31-32.

「伝統への真の理解とは」『図書館学教育研究グループ50周年記念誌』日本図書館研究会図書館学教育研究グループ, 2023, p.77.

「書評:W. A. ウィーガンド著 アメリカ公立学校図書館史」『図書館界』vol.75, no.4, 2023, p.269-270.

「日野市立図書館市政図書室とは何か:現代公共図書館論を考えるための一里塚」https://oda-senin.blogspot.com/2023/10/blog-post.html

「資料保存をめぐって今思うこと」『追悼 安江明夫』編集発行 安江いずみ 2023, p.236-238.


2023-11-18

『市民活動資料』収集・整理・活用の現場から(追記11月25日)

 本日、「『市民活動資料』収集・整理・活用の現場から—法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズ、立教大学共生社会研究センター、市民アーカイブ多摩」に行った。一番印象深かったのは、なぜこれらの活動が2000年代に始まったのかという話しである。その後にNPO法人市民科学研究室の人たちとも話したのだが,次のような要因が複合的にからんでいるのではないかということになった。

1)1960年代の高度経済成長期以降の矛盾やそれへの対応を要求する運動が一段落し、当事者が亡くなったり世代交代したりしたこと

2)20世紀のうちは公的セクターがある程度対応したりもしてきた部分がNPMにより成果主義に陥り対応できなくなったこと

3)阪神淡路などの大災害に対するアーカイブ活動が注目されたこと

要するに,これらの資料は20世紀中盤から後半にかけての激動の時代に直接市民が経験したことを発信する行為が記録されたものだったが,作成されてからしばらくはそれぞれの発信元にあったりしたものがまとまってコレクションとなって寄託されたというものだろう。

ここで、2)について書いてみると、1972年に東京都立多摩社会教育会館で開始された市民活動サービスコーナーは2002年に廃止になり、収集されていた資料をどうするかということになった。しばらくの議論のあと,2011〜2012年に法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズに移された。一方,資料収集は市民グループの手で継続されており,それが現在「市民アーカイブ多摩」となっている。

この経緯について今日の議論では、「美濃部から石原へ」という言葉で表現されていた。都政のトップの考え方によって開始されたり廃止されたりした背景はそうである。しかし、そもそもミニコミやチラシ、パンフレットなどの市民活動資料は図書館においても重要な地域資料であるはずなのに、なぜ社会教育という枠内で扱い、図書館が対応できないのかという問題を感じた。本日の議論でも再三、図書館の役割を問う意見があった。

ただ、この場のやりとりを聞いていて、図書館がなぜこの種の資料に積極的でないのかの理由が分かってきた。それは、政治的イシューが背後にあったり、個人情報や人権問題などのセンシティブな情報を含んでいたりして扱いにくいと感じられるからだろう。もちろん、放っておいてひとりでに集まる資料でもないので何らかの働き掛けをしなければならない。その際に,当事者とどのような関係をとりつけるかでも難しい判断を迫られる可能性もある。今回の3つの団体の活動はいずれも過去にどこかで集められた資料を譲り受けたかたちで始まり、新規の資料受入れをしているのは市民アーカイブ多摩だけだった。つまり、ライブラリーよりアーカイブズの性格を強くしているように思われる。これだと、資料収集時の問題は比較的軽減される。収集と公開のあいだの時間的な調整を機関がコントロールできるからだ。

さらに考察を進めると、これらの活動が私立大学だったり、民間の団体だったりによって行われていることをどう考えるかである。都立多摩社会教育会館が「市民活動サービスコーナー」をつくっていた理由は,社会教育法に基づき地方教育委員会が社会教育団体の活動を支援する役割をもっていたことに関わる。そうした団体が発行する資料を集め,それを整理提供することでその団体間の相互交流をはかり,市民の自治意識を高めるというのが目的であった。ところがそこには都政に対する批判的なグループも含まれており,「石原都政」はそうしたところを支援することを避けたというのが言われている理由である。このことは,愛知県であった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由」展で展示物をめぐって,政治的な介入があり,中止に追い込まれたことと密接な関連がある。「アーカイブズ」は原資料であるからそれ自体の政治性がもともと高いのである。(このことについては別に論じたい。)

図書館だと資料収集の中立性というような概念があり,そのあたりのバランスをとろうとする。だから一方的な主張のものは入れないという判断が起こりがちである。しかし,社会教育だとそういうものもそれ自体が学習資料であり,社会教育を推進するものという考え方をしていた。その意味で,社会教育会館の閉館は政治的な決定であった。そして,それを引き受けるのが民間機関になるのは避けがたかった。逆に言うと,図書館はそうした政治的なところに踏み込まれることを避けて,最初から中立の立場を決め込みがちである。それはある種の保守主義であるが,(それこそ「図書館戦争」のような)状況をどこまで想定しているかが問われる。

ただそうした民間の機関は,必ずしも組織的財政的に安定的な基盤にはないことが見て取れた。実際、やりとりのなかからも十年後に存続しているかどうか分からないという声も聞こえてきた。これに対しては、違う論理を対峙させておくべきだろう。欧米のアーカイブズの作り方をみていておもしろいと思ったのは、資料コレクションの一部が市場に出て高く買い取られたり、途中で行方不明になったりしても、数十年後にどこかの図書館,博物館,美術館とか大学のコレクションにきちんと入っていて、だれでもがアクセスできるようになる方向付けがあることだ。このことは「知のアーカイブ、歴史のアーカイブ:ニュートン資料を通してみる」(『アーカイブズ学研究』No. 37, 2022.12. p.4-18.)に書いた。(もう少しでエンバーゴが解除になる。)

以上のことについて日本の安倍=菅=岸田政権の状況下で、今後の見通しを語ることが難しいとは思う。都政も大阪府政も保守派の牙城として運営されている。しかしながら、ことアーカイブ関連については長期的にものごとを考える必要がある。ひとまず,江戸後期以降(あるいは中世以来)の「文明の進歩」については蛇行しながらも続いているという「啓蒙主義」の立場をとりたいと思う。(以上,11月25日に文体を変えた。ご容赦下さい。)

ーーーーーーーー以下,2023年11月25日追記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この会が終わって会場を出たところで手渡されたチラシが,新曜社から『社会運動史研究』というシリーズ本が出ていることを知らせるものだった。それがすでに5号出ていて,各号に「社会運動アーカイブズ インタビュー」が掲載されている。そこにはこのときに登壇した平野泉氏(立教大学共生社会研究センター)のものも掲載されている。前に,公害資料館ネットワークの存在が気になったこともあり,社会運動資料が話題になる背景に何があるのかとも思い,この本を見て,社会運動史アーカイブの議論が活況を呈していることを知った。

各号は次のようになっている。いずれも大野光昭,小杉亮子,松井隆志編,新曜社刊で,

1『運動史とは何か』2019
2『「1968」を編みなおす』2020
3『メディアがひらく運動史』2021
4『越境と連帯』2022
5『直接行動の想像力』2023

編者3人は歴史社会学や社会運動論を専門とする社会学者で,最初の号の編集の意図などを読むと20世紀の1950年代から1970年代くらいまでに世界中を襲った市民運動,労働運動,学生運動などを取り上げて再評価しようとしていると受け取れた。そのなかの各号では次のアーカイブズが紹介され担当者がインタビューに応じている。

1 エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)谷合佳代子氏
アナキズム文献センター 古屋 淳二氏

とくに2号に「1968」が取り挙げられているように,学生運動さらに絞れば日本の全共闘運動が重要な契機として取り上げられるとしている。2号にかつて全共闘の議長を務めた山本義隆氏が寄稿していて,小熊英二氏の『1968』(2009, 新曜社)に対して,事実誤認が多いこと,そしてその誤認が「現場」に踏み込んでいないことから生じていることなどを指摘している(山本義隆「闘争を記憶し記録するということ」)。これは同書の書評でも指摘されていたことである。同書および彼の他の著書も含めて,社会背景や歴史的な文脈を精密にとらえようとしても資料的な限界をいかに超えるかが問われる。あわせて,「運動」にコミットした人が生存中に,アカデミックな総括がどのようにすれば可能なのかが問われているように思われた。その際に,そしてそのために,ここにはその資料を集め保存し提供体制をつくっていくかが重要であるということについて,一貫した視点がある。つまりアーカイブ的な方法である。ここでアーカイブというのは,原資料や当事者の発言も含めてそれをどのように保存し,また,次の世代のリサーチや思想に活かすかということである。

山本氏らは当時の学生運動に関わった人たちから直接,ポスター,ビラやチラシ,機関紙・誌,写真,手紙,日誌,新聞や雑誌の報道記事などを集めた。また,それとは別に1968年10月8日の「羽田闘争」と呼ばれる運動の同様の関係資料を収集した。これは当時の佐藤栄作首相が南ベトナム政府訪問するのを阻止しようと羽田に集まった学生と機動隊が揉みあって,死者が出たという事件である。政府側が学生同士の暴力事件として処理したのに対して,実際には機動隊が警棒で殴ったのが致命傷となったというのが学生側の言い分だった。

こうして集められた資料(多くは手書きかガリ版刷りのもの)から電子コピーをとって整理して製本し資料集とした。東大闘争関係のものは

『東大闘争資料集』全24巻別巻5巻 マイクロフィルム5本, 1994

である。これは国立国会図書館に納本された。

また,マイクロフィルム3本と総目録が東京大学文書館と法政大学大原社会問題研究所,国立歴史民俗博物館に寄贈された。さらに,これらを再度スキャンし,新たな資料(そこには東京大学文学部図書室職員作成の「68年東大問題に関する新聞記事索引」234p.も含まれる)を加えて,2019年に

六八・六九を記録する会編『東大闘争資料集. DVD増補改訂版』

がつくられて配布されている。この資料集には収録件数5400点,総ページ数13000ページの資料が含まれている。

また,羽田闘争については同様に資料を集めさらには当事者からの手記を集めて次の資料集を作成し印刷刊行した。

10・8山﨑博昭プロジェクト編『かつて10・8羽田闘争があった: 山﨑博昭追悼50周年記念』〔記録資料篇〕合同フォレスト,  2018
10・8山﨑博昭プロジェクト編『かつて10・8羽田闘争があった: 山﨑博昭追悼50周年記念』〔寄稿篇〕合同フォレスト,  2017

山本氏の論考によると,こちらの収集資料は国立歴史民俗博物館に寄贈されている。というわけで,このように東大闘争と羽田闘争に関するものについては,アーカイブズとその編集物が配布されて利用可能になっていることが分かる。ただし,東大闘争関係資料で配付されたアーカイブズはあくまでもコピーであって,原資料のコレクションがどうなっているのかについてはこの論考には書かれていなかった。

今,全共闘運動を中心とした1960年代後半の学生運動に関する運動史アーカイブの状況について見てきたが,これらが成立した条件はいくつもありうるだろう。一つは,当時の運動の当事者が積極的に発言し現在でも歴史的社会的意味を問い続けていること,また日本の高等教育の牙城である東京大学での運動であり注目されつづけてきたこと,さらには,先ほどの小熊氏が文献を中心に書いた『1968』に対して,編集委員の一人小杉亮子氏がインタビューによって『東大闘争の語り: 社会運動の予示と戦略 』(新曜社 2018)を書いてさらに方法的に新しいものを提示するということがあった。小杉さんが社会学の雑誌の書評に一連の資料の扱いとインタビューなどの方法についてまとめている論考「書評に応えて : 生活史聞き取りと予示的政治をめぐって」(社会学研究 104, 2020)があるのでリンクしておく。

筆者にとっても,原資料,その編集と資料集の出版,原資料のアーカイブズ,そして,資料集や原資料のメタデータのデータベース化などを考えるためにもさまざまな手がかりを与えてくれるものだった。この文章の前半との関係で言うと,図書館が政治的なものを避けようとすること,そして,政治的なアーカイブズでも資料集なりまとまったコレクションとして整理されることで,公的な機関としても受け入れやすくなることを示唆しているように思われる。





2023-11-15

国の学校図書館図書整備費はなぜ公立小中学校のみが対象なのか

Facebook上でSさんからのご質問があったのでお答えしました。 

Question:

うちの学生からのシンプルな質問です。

文部省(当時)が平成5年に示した「学校図書館図書標準」は公立義務教育諸学校に対してのものだったのだということですが、本来「学校図書館」とは小中高までの図書館を指します。義務教育ではないにせよ、なぜ高校には「学校図書館図書標準」のようなものがないのでしょうか?今後示される予定もないのでしょうか?

シンプルですが、確かになぜ?と言われると答えられません。どなたかわかる方、教えてください!

Answer:

これは,1993年に文部省が「学校図書館図書標準」を定めて「学校図書館の図書整備新5か年計画」を開始したときから,対象は公立の小中学校でした。なぜ高校が入らなかったのかについては,さらに遡って戦後の教育財政制度全体をみる必要があります。もともと,図書費は,義務教育費国庫負担法第3条に規定する教材費の規定と,学校図書館法13条の設備および図書が基準に達していないときに国が経費の2分の1補助するという規定に基づいて国が経費負担をすることになっていました。これがまもなく学校図書館法の規定の適用からはずれ,図書費は1958年から義務教育費国庫負担法のみの規定に基づいて国が補助することになりました。義務教育とあるように小中学校の経費を市町村ではなく国と都道府県が負担することを定めたものです。これに加えて,1985年から,義務教育費国庫負担制度から図書費を含む教材費が外され一般財源化しました。ここから地方交付税交付金のなかに含められ,図書費が交付税措置額どおりに使われていないという問題が生じています。1993年以降は学校図書館図書整備5か年計画によってさらに上乗せした額(現在第6次で単年度480億円)が地方交付税措置となっていますが,市町村のみが対象です。つまり国から市町村への財政措置に図書整備のためのものが含められているということです。

学校図書館法制定後最初の5年間は高校も対象だったはずですが,なにぶん予算が少額ですぐに打ち切られたのでほとんど効果はなかったと思われます。その後は,義務教育費国庫負担法に基づき市町村だけが対象の状態が,今に至るまで続いています。背景には,市町村の財政基盤が弱いので教育の均等化をはかるために,義務教育費を都道府県と国で負担することがありました。戦後のこういう問題を整理した論文(「戦後学校図書館政策のマクロ分析」)を書いたことがあるのでよろしかったどうぞ。また,このあたりは,松本直樹さんの「学校図書館費の負担変更にともなう影響に関する研究」(日本教育情報学会27回年会論文集 106 - 109, 2011)にまとめて書いてあります。

これに限らず,図書館政策について,実践報告を運動論的な観点でまとめるだけでは歯が立たないことは明らかで,このような財政や政策決定についての研究が欠かせません。教育学には,教育哲学や教育史,教育心理学,教育社会学などに加えて,教育行政学や教育法という分野があり,専門の研究者がいます。

2023-11-02

板橋区立中央図書館と区政会議資料の公開

公園と図書館

去る10月24日に横浜のパシフィコ横浜で開かれた図書館総合展でのARGのイベント「図書館×公園」でもっと考えたいことに出るために横浜に向かう途中に,池袋から東武東上線に乗って上板橋駅近くの板橋区立中央図書館に立ち寄った。ここが,最近できた,公園に面した図書館と聞いたからである。

駅から数分で公園に近づくとわあわあというたくさんの子どもたちの声が聞こえるのが新鮮だった。田舎暮らしの身では久しく体験できなかったものである。天気も上々で広い公園で遠足にでも来たのだろう,小学校中学年くらいの子どもたちが百人以上も元気に遊んでいた。近くの幼稚園か保育所の子どもたちも遊んでいる。(子どもを「元気に遊んでいる」と記述するのはステレオタイプかとも思うが,そのように表現せざるをえないような情景だった。)

講演の一角に図書館が建っていた。これも今風の建築でなかなかスマートで気持ちがいい。公園から図書館にすぐ入れて,中に入ると1階は公園側に張り出していて,ガラス越しにすぐ前から芝生が見え自然に公園につながる。

公園と図書館との組み合わせは確かにこういう部分で相性がいい。誰も拒まず何をやっていてもいい空間が連続的につながる。午後に対談したぎふメディアコスモスの吉成信夫氏が言う「図書館は屋根のある公園」という表現も自然に納得させられる。



2階も同じような展望のよいガラス窓が続いていて,そこではけっこう仕事をしている人もいた。窓の外側にはテラス席もあり,こういう晴天の日は気持ちがいい。


ただ,この図書館はメディアコスモスのようなワンフロアで広い空間が拡がるようなつくりではなくて,上に積み上がっている。1階には児童コーナーやおはなしの部屋以外に外国の絵本が揃っている「いたばしボローニャ絵本館」がある。

ボローニャは子どもの本の見本市が開かれるところで,そこから寄贈されたということである。また,1階の公園に面するところにはカフェがあるのはお定まりの構えとも言えるが,妙に嵌まっている。

2階と3階は大人向けの図書館スペースである。ここで目を引いたのは「インデックスコーナー」と天井からの吊りボードに書いてあるところである。図書館でインデックスと言えば「索引」のことだがと思って行ってもそれらしきものはない。そこのスタッフに聞いてみると,資料展示をしているところだと言う。どうもよく理解できないままに行ってみると,秋の食シーズンにちなんだ展示をしているということで,野菜や食品の見本品の展示があり,関連した本が置かれてあった。それにしても「インデックス」という言葉は何に由来するのだろうか。


区政資料コーナー

さて,3階だが,ここには地域行政資料のコーナーがあった。そこで,あまり見たことのない資料を見つけたのでここで報告しておきたい。それは,区政資料のところにあったもので,区役所の会議資料のリストと,会議資料の現物がファイルされたフォルダが並んでいる一画である。次の写真がそれである。


写真の上の段の左側にあるフォルダには次のような会議リストがあった。これは一部で,全部で106の会議がリスト化されている。番号は会議リストの番号と対応している。そして,会議名,設置の法的根拠,主管課,問い合わせ先,年間開催予定回数(開催時期)の情報が書かれている。

さらに下の段からずっと番号がついたファイルフォルダが並んでいる。フォルダには会議資料が綴じられているが,何もないものもあり,これは今年度の会議がまだ開催されていないものを指すらしい。フォルダのトップには,先ほどの会議毎に,資料名称,公表開始日,そして閲覧場所(区政資料室,図書館,主管課)というリストがある。閲覧場所は○がついているところで閲覧できるという意味らしい。

公立図書館で,区役所の会議全体を把握し,その資料を収集しているという例を聞いたことがなかったので,さっそく,そこのレファレンスでどういう性格のものなのか尋ねてみた。いろいろと館内職員のあいだで確認していたが,結局のところは分からないということだった。要するにここは指定管理で運営しているのだが,(分担は不明だが)区の職員も運営に参加しており,この資料についてはその職員に聞かないと分からないということだった。

後日,その職員から連絡があって話して分かったことは,この資料はかなり前からこのようなかたちで図書館で収集し,リストも図書館で作成しているということである。ただし,1年過ぎたら廃棄することになっており,保存資料にはなっていないらしい。こうした活動がどのような経緯で始まったのか,資料収集にあたってどのような連絡や広報をしているのか,作成部局は協力的なのか,保存は原部門でするのだろうが,なぜ図書館でしていないのか,公文書公開制度との関係などの疑問をぶつけたかったが,電話でのやりとりだったので,後日,調査することにした。

ということで,横浜に行く前の回り道だったが,大いなる収穫があった。最近,関西を中心に行政資料や行政情報に対する関心が高まっているように見える。前のブログでも触れたカレントアウェアネス(No.357)の竹田芳則「自治体発行オンライン資料の収集:近年の公立図書館の取り組みを中心に」の記事などである。オープンガバメントに向けての動きとして,図書館としてこういう実践もあるのだということをここに記録しておきたい。







2023-10-02

日野市立図書館市政図書室とは何か―現代公共図書館論を考えるための一里塚

 9月30日(土)に、東京渋谷の実践女子大学でJissen Librarianshipの会 特別シンポジウム 「公共図書館の地域資料サービス:日野市立図書館の実践から考える」が開かれた。これに、元小平市立図書館長蛭田廣一氏、前日野市立図書館長清水ゆかり氏とともに登壇して、私は「日野市立図書館市政図書室の21世紀的意義」と題するお話しをさせていただいた。お二人とも、三多摩地域資料研究会を通じて四半世紀になるお付き合いで、さまざまな刺激を受けて私はこの分野の重要性を問い続けてきた。2018年3月には「図書館はオープンガバメントに貢献できるか」の公開シンポジウムを開き、その報告をブログ上で行っている。

蛭田さんは地域資料関係の本の執筆や講演を続けているこの分野のエクスパートで、地域資料サービスの全体像と小平市立図書館がいろいろと革新的な地域資料サービスを実施してきたことについてのお話しがあった。その本については、ブログの次のところを参照していただきたい。清水さんはこれから話題にする市政図書室で20年間勤務した方だが、お話しは日野市立図書館の歴史と中央図書館や市政図書室他の図書館の地域資料サービス全般だった。そういう展開になることは予想できたので、私は市政図書室に絞った話しをすることに決めていた。ここでも、お二人のお話しから示唆を受けたことも含めて、市政図書室の意義について書いてみたい。

設置の経緯と理念

まず、市政図書室は日野市役所が1977年に移転し建設されたときに、市役所の一角に位置づけられたものである。清水さんのお話しだと、最初は普通の分館をつくりたかったが、スペースとして140平米しか割り当てられなかったので、機能を限定した図書室としたということである。場所は下の写真で黄色の円で示しているところで、市役所の建物の1階の端にあって、市役所と入り口は別である。利用者は地域資料や行政資料を利用しに来る市民、職員、議員以外に予約した資料を取りに来る人や新聞や雑誌を見に来る人も多いということである。


この図書館の写真は同館のHPにある。次はSDGsの案内コーナーである。













この図書室の開設の理念として、これまで、市民、行政、議員三者の情報共有体制をつくることによって、「資料提供」の論理の自治体行政への貫徹ということが言われてきた。後に述べる、第二代目館長の砂川雄一はそのことを明確に述べている。そのことの妥当性とそれがなぜ他の図書館に波及しなかったのかという問題を取り上げることにしたい。この図書館は市役所の一角に拠点を構え、資料として日野市、近隣自治体、東京都、国の資料を階層的に集約することと、とくに市政にかかわる専門資料をしっかり集めることによって、それら三者のための「専門図書館」足り得ることができた。専門図書館はサービス対象を明確に設定することで成立する。ここは、とくに市政に関する専門雑誌のコンテンツシートサービス(「市政調査月報」、これは2018年に終了)、新聞切り抜き速報を市役所内の各課に配布、そしてそのための専門職員体制(正規職員司書3名配置 )を確保した。それは現在でも続いているということである。現在は正規職員3名+嘱託職員1名分(週20時間雇用*2名)の体制で運用している。

地域資料についてのおさらい

さて、地域資料提供の考え方としては、1950年の図書館法3条に、「図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い」「郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード及びフィルムの収集にも十分留意して、図書、記録、視聴覚教育の資料その他必要な資料を収集し、一般公衆の利用に供すること。」が挙げられているのが根拠になる。ここに「郷土資料」という用語が使われているが今なら「地域資料」と呼ぶべきだろう。レコードとかフィルムというような旧メディアしか書かれておらず、図書館法はずっと放っておかれていることがわかる。

また、「地方行政資料」や「記録」が挙げられている。つまり、図書館は地域性を重視して地域の資料を集めて提供するのだが、そこには行政資料や記録(文書)も含まれるということである。文書記録について言えば、今でこそ、公文書管理や情報公開、公文書館設置の条例などもつくられているが、もともと地域に関わる情報を扱う公的機関は図書館しかなかったから、図書館にそうした資料が集められている場合が少なくない。山口県立図書館には、戦前から山口県庁の行政文書や県庁県史編纂所が収集した古文書などが所蔵されていた。1952年に旧長州藩主毛利家から約5万点の藩政文書(毛利家文書)が山口県へ寄託されることとなり、県立図書館で保管されることとなったことをきっかけとして、1959年に図書館にあった文書記録類を分離して山口県文書館とした。これが日本で最初の近代的文書館である。だから、文書や記録類は本来、公文書館を設置してそこで管理すべきなのだが、一般的に基礎自治体で公文書館があるところは限られているから、図書館は周年史で集めた資料の受け皿になっているところがある。蛭田さんに小平の図書館のなかで公文書館的機能を含めて条例制定がなされたという話しを聞いたので最後に触れたい。

さて市政図書室だが、まさに郷土資料・地方行政資料のための図書室としてつくられたものである。それが1970年代後半の現代公共図書館サービスが形成される黎明期につくられたこと、それも、そのサービス体制の原点にある日野市立図書館につくられたことの意義はきわめて重い。公共図書館関係者はそのことについて見てみぬふりをしてきたと思われる。それは、図書館サービスは『市民の図書館』(1970)が設定した貸出サービスによる資料提供というテーゼに縛られて現在に至っているからである。以下、この論考はそのことについて、検討したい。

日野市立図書館の歴史的位置づけ

1963年に、日本図書館協会は『中小都市における公共図書館の運営』(通称「中小レポート」)を刊行する。これが現代的な「資料提供論」の始まりである。これを仕掛けたのは当時の有山崧事務局長であり、その前年に石川県七尾市の図書館員だった前川恒雄を日図協事務局に引き抜き中小レポートのための研究会の事務局を任せた。有山は日野市の旧家の生まれで、戦時中は文部省の嘱託職員で中央図書館制度のお膳立てをした人であるが、戦後は文部省から離れて、逆に地方自治を支える地方図書館の重要性を説く。前川は旧制第四高等学校を卒業し金沢大学工学部を卒業した後に市の職員となった人である。調査対象は地方の「中小都市」で、人口5万人くらいの市立図書館の調査から始まった。中小レポート策定の事実経過についてはWikipediaに概要が示されている。そこに示された中小レポートから市民の図書館への流れはオーソドックスな史観によるものである。中小レポートに示された「資料提供」という考え方はそれ以前の資料保存や勉強部屋、あるいは「文化機関」というような捉え方を批判することで成立した。

中小レポートが発表された翌々年に有山は日野市の市長選挙に自民党推薦の候補として立ち当選した。もともと地元の素封家の生まれであり保守系の地盤から市長になったわけだが、すぐに図書館の設置条例をつくり前川を初代図書館長に据える。つまり、日野市を中小レポートで示された図書館振興策のモデルケースとするという考え方がここにあった。日野市の図書館がBMのひまわり号で団地や学校、幼稚園、公民館などを周り利用者に直接本を届けることからサービスを始め、そうしたサービス拠点ができたところに分館をつくっていったことは伝説的に語られている。ここで重視されたのが資料貸出であり、また子どもに読み聞かせや紙芝居、ストーリーテリングをするような児童サービスである。

そして中小レポートで抽象的に定義された資料提供は、貸出と児童サービスを中心に展開されるという見解が示されたのが、1970年に日図協から刊行された『市民の図書館』という小さな本である。これは前川が大部分を書いたことが分かっている。つまり、これは日野市の初期の図書館サービス実践を基にしたものであった。日野市の図書館サービスは資料貸出の全域サービス網をつくることを目標にしていたが、1973年に中央図書館が開館する。そこでは1階が資料貸出に対応した開架スペースと児童のスペースがあり、2階はレファレンスサービスと地域資料対応の市民資料室が置かれた。ここまでは前川が館長を務めていたわけだから、2階の部分も含めることで資料提供の理念が実現できることだったはずである。

だが、「市民の図書館」で示された貸出、児童サービス、そして全域サービスの考え方が、その後の全国的な図書館サービス展開のなかで基本的な方針とされることになった。なぜそうだったのかについてはいろいろと検討しなければならなかったことがある。1970年代から90年代にかけて地方財政にゆとりがあり、自治体は競って文化会館、ホール、スポーツ施設、図書館、博物館などをつくった。これらは一括してハコモノ行政の対象と考えられた。地方自治法で規定された「公の施設」で、21世紀になると指定管理制度の導入対象となる。これらのなかでも、確かにハコだけのものと図書館や博物館のようにコンテンツをもちそれを管理しなければならないものとの違いがあることは明らかだが、そのあたりの区別は余り明確ではなかった。学校教育法で教員配置等が厳密に規定されている学校と、基本的に任意行政である社会教育施設との違いもあった。ともかく図書館がどんどんつくられる過程で、「市民の図書館」の考え方でいく限りはハコの管理扱いでもよいという考え方が一般的になっていった。

日野では司書系の正規職員が多数働いていて「市民の図書館」が成立するという考え方だったが、それが普及するときに職員問題は曖昧にされた。ただし、児童サービスに関しては日図協、東京子ども図書館、児童図書館研究会などの全国的な組織があって研修が行われていたから、その専門性は一定程度は担保されていたと言える。もうひとつ職員問題を考えるときには1980年代から90年代の普及期が同時に図書館システムの導入期であったことを指摘しておかなければならない。それ以前に図書館員の専門性の柱は目録や分類のスキルということになっていた。印刷カードはあったといっても、個々に資料登録と資料整理をする事を前提に図書館業務は成り立っていたが、図書館システムとMARCの導入以降はそれは徐々に軽減され、現在は全国的に流通している資料を端末で発注すれば、自館システムに登録されてOPACも含めて資料管理ができるようになっている。これは、これから述べる地域資料が疎んじられる理由ともなる。つまり、独自に資料収集をして目録や分類をしなければならない地域資料は、そうした全国的に流通したものをシステム化するタイプの資料管理になじまず、面倒だと感じられるわけである。これは地域資料を考える際の重要なポイントである。

以上のことから分かるように、『市民の図書館』が打ち出した貸出を中心とする図書館サービスは住民からの支持も強く、利用も多い。できるだけ人件費を削って効率的な施設管理を目指す公共経営論的な方針にも合っていたから、どんどん拡がっていった。それは窓口業務も図書館専門職の仕事という『市民の図書館』の考え方とは相容れないものだったが、状況に押し流されていく。地域資料のようなサービスは軽視されていった。

地域資料とは何を指すのか

市役所の一角にある市民と職員と議員のための専門図書館的な図書室が市政図書室である。ここは日野市および周辺自治体、東京都、国の資料と市政に関する専門図書、雑誌を集め公開している。ここで行政資料と一般的に呼ばれているものが何なのかについて考えてみよう。参考になるのが2016年に全国公共図書館協議会が行った地域資料に関する調査である。これは私が主査になって行った全国調査でかなり細かい調査票を用意して回答していただき分析をおこなった。ちょうどオープンデータが話題になった時期だったので、事務局の都立中央図書館の方には無理をいって集めたデータを再度使えるようにオープン化もしていただいた。

そのなかで収集する資料の範囲については、第2章でまとめている。地域資料は把握が困難でグレイなものが多いと言われるが、一般的な図書館資料(図書、雑誌、視聴覚資料)のカテゴリーに入らない形態のもの(ポスター、絵葉書、マイクロ資料、電子資料)については市町村立図書館では収集対象としていないというところが多い(図2.2, 図2.4)。それはご確認いただくことにして、とくに次のグラフに注目しているので抜き出しておく。
















これは「現物資料」とされるもので、古文書・古記録から始まってどちらかというと文書館・公文書館や博物館・美術館が扱うような資料群である。「収集対象としていない」というところやせいぜい「寄贈による収集を中心としている」ところが多いが、このタイプのものでも積極的に収集しているとか、基本的なものを収集しているという回答も少なくない。最後に「行政文書」というカテゴリーがあって、これは他のものよりも収集対象としている図書館が多いことが分かる。ただし、これが何を意味するものとして理解されたかはわからないところもある。つまり、公文書扱いのものなのか、印刷されて配布される行政資料扱いのものなのかという点である。おそらくは両方が含められているのだろうが、少なくとも公文書扱いのものについて「積極的な収集対象としている」ところがこんなにあるはずはないと思われる。





これは具体的に自らの自治体発行資料の収集状況を示したものである。これをみると、自治体史や広報紙・誌、例規集、行政の事務概要、年報、統計書、計画書、議会議事録、調査報告書などは収集されている。それに対して、公報(国の官報に対応するもの)、議案書、予算書・決算書、監査資料などの資料は収集対象としていないとするところも多い。こうしたものは逐次刊行物として発行されるものなので、一回収集対象にすれば毎年(あるいは毎回)収集し、蓄積されることで経年的な市政の状況が把握できることになる。

市政図書室は日野市のものについてはこれらを基本的にすべて集めているだけでなく、周辺自治体、都、国のものもその必要性に応じて収集している。聴衆からの質問のなかに学校資料をどのように集めるかというものがあったのだが、清水さんに伺ったところによると、学校資料について、毎年、春の最初の校長会の場で市政図書室から職員が行って基本的な学校要覧、PTA会報、周年史などを集めるための協力要請を行い、年度末に入ってこないものについては依頼をしているとのことで、こうして市立学校の資料を集めている。*そのようにすることで、網羅的な資料収集が可能になるということだ。

*近年学校の統廃合が増えて学校資料の収集保存が歴史家のあいだで話題になることが多くなっている。地方史研究協議会『学校資料の未来』(岩田書院, 2019)を読むと、歴史家が問題にする学校資料は、教育計画、児童名簿、学習指導案、時間割、学校日誌といったものであって、図書館が集めるものはそうした文書や記録とは異なった印刷配布レベルのものである。

専門図書館としての市政図書室

前にも紹介したことがあるのだが、2017年に日野市の職員を対象にした質問紙調査を行った。これは今回実施された実践女子大学が日野市にもキャンパスがあって日野市役所と密接な連携があるということから、そのルートで特別に調査をさせていただいたものである。繋いで下さった方には御礼申し上げたい。

興味深い結果が選られているので一部を披露する。まず、質問紙は総務部企画経営課を通じて配布し,市のすべての部門の係を単位として原則的に課長、課長補佐、係長、係員1名に対して行った。配布数381通で回収数282通で回収率は74.0%だった。

まず職員が他の自治体や国の行政情報を入手したいときに最初にどうするのかという質問である。次のグラフで明らかなように「インターネットでの利用」が圧倒的に多く、次いで「直接問い合わせる」が多い。このあたりはだいたい予想どおりということになる。あとは「庁内LAN」が続く。部署に備え付けられてものや、市政図書室の利用や私的なものの利用は限られることがわかる。やはりアクセスしやすいものに頼ることになるが、市政図書室の利用も全体としてみれば半数の職員は利用していることが分かる。
















次に市政図書室の利用状況を職位別に見たものである。係員だと「行かない」人が半数近くになるのに対して、係長、課長と職位が上がるとそれが減って利用者が増えていくことが分かる。これは二通りの解釈が可能だろう。一つは年齢が上の課長より若い人ほどネット情報を使うのに慣れていてそちらを使うというという事である。もう一つは、わざわざ市政図書室を利用するのはそれなりに判断を要する場面の多い多い職位が上の人だからというものである。おそらくは両方の要因が絡んでこのような結果になっているものと思われる。















市政図書室が作成している新聞記事のクリッピングサービスである「新聞記事速報」の利用状況を職位別に見たものである。これだと係員も含めて大多数の人が利用していることが、職位が上がるほど利用する割合が上がることも分かる。やはり各課へのデリバリーをしているから読まれるのだろう。














以上のことから、市政図書室は市の職員によってよく利用されていることが分かる。ここが専門図書館的なサービスを提供する特別なところだということは以上のことから言えるだろう。図書館の側から市政にかかわる情報を各課に積極的に提供することによって、各課もまた図書室に資料を提供するという相互関係が生まれるわけである。一般の図書館の地域資料や行政資料サービスはその辺りの相互関係が必ずしもないから、図書館法に基づく任意行政の範囲だと職員が直接利用することはあまりない。そのために,行政資料も集まってこないということになる。

しばらく前に課題解決サービスの一環で行政支援サービスが話題になったことがあるが、一部の自治体を除いてうまくいっていないのはそのことと関わる。図書館サービスの恩恵はこのように踏み込んで行くことによって可能になる。だが、踏み込むサービスということで言えば、日野市がもともと始めたBMによるサービスも、固定した施設に来てもらうのではなく、図書館の側が住民の生活の場に出ていってサービスを行うものだった。その意味では市政図書室もまた、同じ資料提供の論理を追求したものだと言えるだろう。


市政図書室のできるまでの図書館界の議論

前後するが、このような図書室がどのような経緯でできたのかについて図書館関係者がどのように考えていたのかを検討する。ある種の偶然に生じたようでもあるが、中小レポート以来の発展過程で生まれた必然であったという見方も可能かもしれない。しかしながら、図書館政策においてその意味を見通した人は少なかった。後でその数少ない一人、日野市立図書館二代目館長砂川雄一に語ってもらう。

しかしながら、それを述べる前に中小レポート以来の発展過程についてもう少し補足する必要がある。それは、中小レポートが出た歳と同じ1963年から、郷土の資料委員会が日図協の臨時委員会としてつくられ研究活動を行ったことの意義である。これが、地方都市の公立図書館が置かれた状況を基に新しい方向を探るという意味では中小レポートとルーツを共有しながら、向かう方向は一見して逆方向を向いているものと受け止められたことは不幸だったかもしれない。一般に、郷土資料は古文書や古い刊本など歴史的な資料を扱うことを中心にしていると考えられており、中小レポートには、そうした資料の保存や資料解読のようなことをしているから発展はないので、資料は住民のニーズに基づき提供されるべきだという明確なメッセージがあった。別に郷土資料の扱いを否定しているわけではないが、新しい運営方針を意識した図書館員は郷土資料の扱いには批判的だった。*
*そのことを示すのは野田の興風図書館館長佐藤真がその批判に応えて書いた「舌なめずりする図書館員」という文章である。2023年7月14日のブログを参照。

ところが実はこの委員会があえて「郷土の資料」としたのは郷土資料に対して新しい考え方を打ち出したからである。そもそも最初の提案者長野県立図書館長叶沢清介は「郷土の資料」にはいわゆる「郷土史料」に加えて「地方行政史料、農工水産関係等今日的な資料収集を重視する」と述べていた。そして、実際に1965年の研究集会は富山市で地方行政資料をテーマに議論された。この集会をどう評価するかはきわめて重要なポイントとなる。これについて私は若い頃に「戦後公共図書館と地域資料:その歴史的素描」という文章を書いたので図書館で参照されたい。今回書いているものはその意味ではこの文章の続篇という性格もある。(日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会編『情報公開制度と図書館の自由』日本図書館協会刊, 1987, p.62-93)

詳細は省略するが、その前の集会は近世文書の扱いを中心にしていたのに対して、富山では叶沢が挙げた地方行政資料や農工水産関係資料を含めた現代的な資料を図書館がどのように扱うかがテーマだった。そして、議論は行政資料の扱いや行政文書をどうするか、さらには当時富山では神通川流域のイタイイタイ病の患者の存在が大きな社会問題になっていたが、こうしたものも産業資料として扱うべきかということも含めて議論は大きな拡がりをもっていた。そしてそこに集まった図書館員は熱い議論を取り交わした。

しかしながら、郷土の資料委員会は1967年に終了してしまう。それがどのような理由によるのかについては今後の解明に待ちたいが、察するところ、1960年代後半の政治的な主張が声高にされる時代にあって、図書館界のリーダーたちは、政治的な問題に直面しかねない「郷土の資料」を検討し続けるよりも、もっと現実的で効果的な「資料提供論」を選択したのであろう。その際に、彼らの目に日野市立図書館のBMから始めた活動が好ましく映り、これを1970年代以降の基本的な方針に据えたと考えることができる。


砂川雄一メモについて

砂川雄一は「図書館に関する覚え書き」(『図書館研究三多摩』第6号 2012, p.65-81という文章のなかで、市政図書室ができた経緯とこのサービスが広がらない理由について述べている。できた経緯については、清水さんの報告どおり図書館側から希望を出したものということである。彼はこのメモの最初に自ら「市民の図書館」=派であると言っている。つまり自らの活動は「市民の図書館」の延長上にあると宣言している。

市役所の引っ越しにあたり資料の廃棄が予想されるので、新庁舎に移さない文書類はすべて図書館が廃棄のためのチェックを行うことと、部課に分散してあった例規類等は図書室に集中することを交渉して可能にした。また砂川が国立大学図書館にいた人であることが重要で、それまでの公共図書館で行われていたものと異なったものをいくつか仕掛けている。もともと大学図書館で科学技術系の雑誌のコンテンツシートサービスをやっていたがこれを「市政調査月報」として市政図書館ができる前から実施していた。また、新聞記事のクリッピングを編集した「新聞記事速報」は市政図書室になって実施した。網羅的でしっかりしたコレクションをつくり、それを利用者に提供する際のツールを工夫するというところには、貸出を通じての資料提供に加えて次の段階の資料提供の考え方が最初から含まれていたということである。

砂川メモで重要なのは、市政図書室のサービスが他の図書館で拡がらない理由について、5点挙げているところである。第一に、こうした住民と職員と議員が同じ資料をもとに議論するための基盤をつくるという市政図書室の考え方に対して、図書館側が確固とした信念をもてるかという点である。第二に、このサービスは図書館専門職員が図書館サービスとして行うことの重要性を述べている。類似の総務課や広報課にある行政資料室ではだめだということである。第三に、このサービスは為政者や権力者に都合の悪い資料も提供するからその意味での「政治的中立性」が保てるのかという点である。第四に、サービスは議員にも行うわけだが党派を問わずサービスすることが重要だということである。これも政治的中立性の一つであるだろう。第五に、利用者の秘密を守ることを挙げている。

1979年に「図書館の自由の宣言」の改訂があって、図書館にさまざまな政治的行政的な圧力がありうるときに、それにどのように対処するのかを議論した。そしてその延長で「図書館員の倫理綱領」(1980)も出されている。そうした過程を経てきた今から見ると当然のようにも思えるが、先の富山での議論にも現れていたように政治の季節を過ぎたばかりのときにここに挙げたような問題に明確に対応できる考え方がないとこうしたサービスは実施できないというのである。彼は「いろいろな条件と図書館側に確固とした信念、覚悟がないと出来ないのは間違いの無いことである。」(p74)と結んでいる。

これはそんなことは不可能だという反語であるが、ではなぜ日野では可能だったのだろうか。地元の素封家の出で文部省から日本図書館協会事務局長を務め、市長選に出て市長になった有山と、地方の図書館から出発したが類い稀な構想力とリーダーシップで新しい図書館のビジョンを開拓した前川のコンビが(市役所のトップに)いたからこそ、砂川は自らの実務能力を発揮することができたのだろうか。メモではその点については言及を避けている。今後、有山と前川の著作集を読み込み関係者に聞き取りをすることで戦後日本の図書館思想の中核部分に迫ってみたい。

日野市立図書館の発展をどのように評価するか

このシンポジウムでは、「『市民の図書館』の改訂版がなぜ1970年代後半に書かれなかったのか」という問いを掲げておいた。私は『市民の図書館』の考え方が日本の図書館の繁栄をもたらした反面、貸出を中心とするサービスの画一化をもたらしたと考える。とくに公共経営論に切り替わった1990年代以降は、貸出数を経営指標とする状況をもたらし、それは、一方で作家や出版社による図書館の貸出への批判をもたらし、他方では窓口業務は誰でもできるということで非正規職員への切り替えが進んだと考える。何事にも功罪があるから、図書館の数が増え広場としての図書館や交流の場としての図書館として使われていればそれはそれでいいのではないかという見方もありうる。しかし、モデルになった日野市立図書館の現状を考えると、『市民の図書館』も状況に合わせて進化すべきではなかったとも思うのである。

日野市立図書館の発展をみれば、1960年代までのBM・分館時代と1970年代以降のプラス中央館・市政図書室時代に分けられる。『市民の図書館』は1970年に刊行され、基本的にBM・分館時代をモデル化したものだ。1976年に増補版がでているが、貸出を中心としたサービスが発展しており、地域文庫や住民参加の図書館づくりの動きも活発であり、あとは「障害者等へのサービス」という展開があることを述べている。すでにできていた中央図書館のことを入れた記述に改訂できたはずなのに、触れられておらず貸出を中心としたサービスをどのように展開するのかについて述べている。清水さんのお話しの最初に、分館であっても積極的な郷土資料サービスを行っていることが出てくる。なぜこの本は、中央図書館の役割や、レファレンスサービス、郷土資料や行政資料サービスなど日野が1970年代に展開したサービスのことを含めた改訂をしなかったのか。

これについては増補版の「はじめに」に明確に次のように述べている。「「市民の図書館」はこのままでまだ果たさなければならない使命があり」「公共図書館振興の新しいプロジェクトに取り組まなければならない。」これは、日野から始まった貸出と児童サービスを中心としたサービス方針は十分に手応えがあるので、このままこれを全国展開することが重要だとしたことを意味する。この部分を書いているのはこの当時の日図協事務局長叶沢清介である。あの郷土の資料の委員会を立ち上げた人が10年以上ののちにかなりの方針転換を示しているところは興味深い。この委員会が1960年代に終焉を遂げた理由とも関わっているのだろう。

ここまで砂川を中心に描き、初代館長前川恒雄についてはあまり触れなかった。市民の図書館の問題を解く鍵として、前川が地方出身者であったのに、日野の貸出モデルを推進できた理由としてイギリスへの視察があったことが言われる。中小レポートや郷土の資料委員会は基本的に地方の図書館を中心に振興策を検討していたが、前川は当時の図書館先進国イギリスの公立図書館が日常的にどのようなサービスをしているのかを見て、貸出サービスの重要性に気づいた。そのことは彼の『われらの図書館』(筑摩書房, 1987)の最初に出てくる。だが、彼はイギリスの図書館でもレファレンスサービスも郷土資料もサービス体制にしっかりと組み込まれていたことについてすぐには言及しなかった。しばらく貸出でいくことにして、それが現代公共図書館論の基本的テーゼとなった。先ほどの『われらの図書館』にはレファレンスも市政図書室もでてくるのだが、彼の本で一番読まれたのは同じ出版社から出た『移動図書館ひまわり号』(1988)である。一度敷かれたレールが頑健で容易に変更が効かないことを示している。


終わりに

あと4点のことを指摘しておきたい。一つは、日野に図書館が設置された1960年代中頃は日野は東京西部の中小都市(1963年市制施行)にすぎなかったから、中小レポートの考え方を実践するのには適切な場だと考えられても無理はない。しかしながら、1960年に人口4万人だった日野市は1960年代に団地ができはじめ、急激に人口が増え、1970年には9万8千人、1980年に14万5千人となって東京都心への通勤圏になり、完全に都市型の街に変貌した。実際にBMも団地を廻ることがスタートしているが、これは要するに貸出サービスを展開するのに好適の都市環境であった。しかしながら、地方都市や農村地域の町村で同じモデルが適用するのかどうか。日図協は2000年代になって町村図書館には別の考え方が必要とのことからその振興策を進めたが、地方都市では市民の図書館モデルの図書館づくりが進められた。そこで郷土資料は片隅に置かれ、あまり利用もないままに置かれた。レファレンスは貸出サービスの定着を前提とするとされた。しかしながら、それらを振興するための戦略は用意されなかった。

第二に、経済や生活レベルの段階と公共サービスの関係を考えておく必要がある。1960年代以降の高度経済成長、バブル経済、そしてバブル崩壊という経済史的な流れのなかで、先ほどのハコモノ行政も税収増によって可能になった。図書館は市民の要求に応える場であるというときに、学習権とか知る自由というような高邁な理念を持ち出すことが多い。確かに国が貧しかったときには公的費用をそこに充てることに意味があった。しかし、全体に豊かになったときに娯楽的な読み物を無料で大量に貸すことがあるとすれば、それは大衆の欲望に寄り添った無料貸本屋サービスと批判されることも覚悟しなければならない。著作権法38条で著作物(映画以外)の非営利で無料の貸与を認めているが、それは大きくは著作権法の目的である「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与すること」に叶うことが前提である。

第三に、長期的視点に立った職員の育成である。市政図書室タイプの地域行政資料の提供は日野のような特別なところでしか成り立たないのかもしれないが、鳥取県立図書館の県庁内図書室(現在は県議会図書室と併合)や多摩市立図書館行政資料室が市の庁舎内につくられている例がある。都道府県、政令市、中核市などの規模の図書館はそれなりにしっかりとした地域資料(郷土資料)コレクションをつくっている。そのなかで日野の優位は職員を育成するところに現れている。清水さんが議論のなかで、最初に日野に(司書採用で)入ったときに図書館ではなく、総務部門に配属になり数年いたという話しをしていた。その後市政図書室に移って20年そこで働いたということである。これは長期的なビジョンがあって専門的な職員を育てているということである。本来『市民の図書館』改訂版にはそういうことも含めて書くべきではなかったか。増補版の最後に職員の専門性のことが出てくるが、その主張は、司書としての職制をつくることと、特に館長を図書館専門家にすることが中心である。現在、司書採用であってもさまざまな部門を3年くらいで異動することが一般的だという。更なる専門性をもった専門職の育成はどうすれば可能なのだろうか。日図協は地域資料の本を出してくれたが、それ以上、地域資料にコミットするつもりはないようである。今、貸出サービスについて政治的な議論があるわけだが、図書館サービスの意義をどこの場で議論することが可能なのだろうか。もしかしたら、学芸員とかアーキビストの養成や研修プログラムといっしょに考えた方がいいのかもしれない。

第四に、図書館と公文書管理の関係についてである。最初に仄めかしておいたが、図書館と公文書館の関係は難しい。山口県のように図書館から分離したものがあり、図書館と同じ施設に文書館が入っているところがあるが、その連携は必ずしもうまくいっていない。都道府県や政令市を除いた基礎自治体で公文書館をもつところは少ない。先にも見たように、公文書(行政文書)と行政資料の境界は実は曖昧であるし、図書館員の認識も怪しいところがある。境界があいまいだとは言え、原文書と印刷物(あるいは複製物)の違いと言えばかつては理解しやすかった。しかし、今はボーンデジタルの資料がどちらになるのか、そもそもそうした資料はどうなっているのか。かつては紙で入っていたものがデジタルになったら、プリントして紙資料として提供するという話しを聞いていたが、これも移行の対応であるだろう。公文書の管理とボーンデジタルの行政資料のアーカイブは別の概念であり、どの部門がどうするのかという問題は避けられない(最近のカレントアウェアネス(No.357)に竹田芳則「自治体発行オンライン資料の収集:近年の公立図書館の取り組みを中心に」https://current.ndl.go.jp/ca2049があった。参考になる)

先日のシンポジウムの際の講師間の雑談で、蛭田さんから小平市では公文書等の管理に関する条例の規定により、令和4年10月から保存期間を満了した公文書のうち、歴史公文書に該当する公文書の中央図書館への移管及び特定歴史公文書の利用が開始されたということを聞いた。つまり、図書館が公文書館のような役割を果たすという事例である。これについては次のところに情報がある。
小平市立図書館は長年、古文書資料を保存管理してきた実績がある。これが公文書館的な役割と結びついたわけである。*

*ただしこれを近代的公文書館と呼ぶことはできない。公文書館は保存公文書をアーキビストが選定するところからコミットする施設である。小平市も公文書館条例は制定していない。利用は情報公開条例によるとしているので、制度的には公文書管理と情報公開の枠組みで公文書担当部門が歴史公文書を選別し、それを開示する窓口を図書館に置いたことになる。

新著『知の図書館情報学―ドキュメント・アーカイブ・レファレンスの本質』(11月1 日追加修正)

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