10月30日付けで表記の本が丸善出版から刊行されました。11月1日には店頭に並べられたようです。また,丸善出版のページやAmazonでは一部のページの見本を見ることができます。Amazonではさらに,「はじめに」「目次」「第一章の途中まで」を読むことができます。
本書の目次は章タイトルとコラムタイトルしかないあっさりしたものなので,詳細目次を掲げておきます。
==詳細目次=============================
第Ⅰ部 知識資源システムの構成要素と関係
第1章 知識資源システムとはなにか1.1 図書館情報学における知識資源1.2 ⻄洋思想における図書館の位置づけ1.3 日本の近代化と知識の獲得1.4 カノンの変遷とアーカイブ1.5 知識資源システム、情報リテラシー、独学
2.1 知識と知識資源2.2 客観的知識論2.3 データ,情報,知識,知恵2.4 ドキュメント
3.1 他者の言葉を利用する3.2 レファレンスの理論構築に向けてレファレンスとは何か言語・記号のレファレンス分析哲学の指示理論言説と著作のレファレンス3.3 レファレンスツールとレファレンス理論レファレンスツールの類型指示理論の適用書誌的な参照関係の拡張3.4 ネット情報源への展開データベースの可能性と限界ハイパーリンクと Linked Open Data識別コード引用ネットワークインターネット・アーカイビング3.5 レファレンスサービス再考レファレンスの拡張今後のレファレンスサービス3.6 おわりに
迷宮、バベルの図書館夜の書斎とアルシーヴAI 図書館とシュワの墓所
第Ⅱ部 知識資源システムの様態
第4章 知のメディアとしての書物:アナログ vs.デジタル4.1 メディアの身体性4.2 コンテナとコンテンツ4.3 書物はなぜ重要なメディアたり得ているのか文字言語の特性書物の特性4.4 電子書籍としての拡張4.5 制度としての電子書籍ー国立国会図書館の動きオンライン資料納本制度国立国会図書館デジタルコレクション4.6 書物の知的リンク構造について4.7 書物のメディア変遷
5.1 尊徳思想のアーカイブ5.2 ⻄洋人文学における書物の特権性5.3 人文主義における図書館の役割5.4 知のレファレンス:理念と方法5.5 デジタルヒューマニティーズと新文献学(new philology)5.6 おわりに
コラム2「図解・アーカイブの創造性6.1 アーカイブとは何か6.2 アーカイブズとドキュメントとの関係6.3 ニュートン資料に見る知のアーカイブニュートン像の変遷とアーカイブズニュートンが残したものニュートンのアーカイブズドキュメントにみるニュートン研究6.4 ニュートン関係アーカイブの特徴
アーカイブの過程ライブラリーの過程ニュートン研究における創造性
7.1 国立国会図書館を取り上げる理由7.2 ナショナルな知識資源プラットフォームの形成日本全国書誌と NDL サーチ出版流通の情報 DB出版流通と図書館のデータベースCiNii Books とカーリル知識資源プラットフォームの概要7.3 知識資源プラットフォームの拡張Google Books の衝撃デジタル化を睨んだ書籍のナショナルアーカイブ構想NDL のデジタル化戦略オンライン資料の納入と館外送信7.4 知識資源と図書館デジタル環境の知識資源コレクションを知識資源に変える
函館・天理・野田興風舌なめずりする図書館員」戦後図書館の隘路
第Ⅲ部 知識資源システムへの図書館情報学の射程
第8章 書誌コントロール論から社会認識論へ8.1 書誌コントロールとは何か8.2 イーガンとシェラの理論8.3 新しい社会認識論8.4 LIS における社会認識論の展開:ドン・スワンソン8.5 パトリック・ウィルソンの社会認識論8.6 ポストトゥルース時代の社会認識論
第9章 探究を世界知につなげる:図書館教育のレリヴァンス
9.1 デューイと教材,学校図書館9.2 探究と世界知探究とは何か人文主義のクリティックとカリキュラム9.3 関係概念としてのレリヴァンスシュッツのレリヴァンスレリヴァンス概念の展開サラセヴィックのレリヴァンス論9.4 戦後学校図書館政策のドメイン分析ドメイン分析とは何か教育課程と学校図書館の関係図書館教育のレリヴァンス9.5 世界知のためのカリキュラム教権という桎梏探究から世界知へ9.6 おわりに
知の図書館情報学に関する文献案内
あとがき
注・引用文献
索引
執筆の背景
それは何か。一言で言えば、知のコミュニケーションということです。「知」とは「知識」「情報」「データ」などの上位概念と考えていいのですが、図書館情報学はこれらを「資源」と捉えてきました。「知識資源の組織化」とか「情報資源論」などという用語が使われます。では知と知識資源や情報資源はどのように違うのか。知を扱う学問として哲学があります。哲学は、人は世界をどのように見ているのかというように基本的に個人の認識から出発する学問です。哲学では、認識は一人ひとりのものであり、その結果が資源化されて利用されるというような発想にはなりません。ここからわかるように、資源化するためには何らかの別の操作が必要で、図書館ではこれを資料というパッケージとして扱うことが一般的でした。図書や雑誌論文、視聴覚資料といったものです。こうした資料を利用しやすいように分類したり、目録を作成したり、図書館に排架したりするわけです。また、こうした資料を利用者に提供するための方法としてのレファレンスサービスや読書案内、通常の資料では難しい人ためのメディア変換や物理的保存のためのメディア変換といった手法やスキルが図書館情報学の中心でした。そのための方法の開発はすでに1世紀以上の歴史があるわけです。図書館(情報)学は知を図書とか雑誌とか、DVDとかに納められているものをメタデータを操作することによって扱います。直接中身をいじらずにパッケージのラベルを操作することで、知を扱っていることにしていました。
ところが、20世紀末からの情報ネットワーク社会の到来によって、大きく変貌することを余儀なくされます。ネットワークにおいて扱われる知は、パッケージ毎扱うよりも、中身が見える形で扱われるようになります。このブログでも中身そのものが見えます。こうなると、パッケージ操作はいかにも煩わしく、すべての知はネットワーク上で扱う方がよいということになります。実際、今、ネット上で生じているのはそういうことです。まだ紙媒体の図書や雑誌、新聞があります。しかし、これはそうしたものに慣れ親しんできた世代が市場を支えているから出されているのですが、時間の問題だと思われます。(個人的には書物というメディアについて紙媒体の優位性は明らかで、なくなることはないと考えますが、市場で取引される以上、どんどんシェアが小さくなるでしょう。)
図書館情報学はネット社会に入る以前から知を資源として扱う分野でした。それはこの分野が他の関連領域に対してもつ最大の優位性です。しかしながら、この分野は図書館という場における知識資源の扱いばかりしか見てこなかったことも事実でその意味で歯がゆい部分もありました。本書はその意味で、知を資源化したあとの扱いではなく、知とは何か、知を資源化するとはどういうことかも含めて、この分野が他の学術領域とどのような関係になるのかについて考察しようというものです。
この問いに基づき書き進めている最中に、同じような問いを深く広いレベルで議論している一連の論考があることを知り驚きました。それが、本書の「コラム4」で紹介した「知識組織論事典(IEKO)です。その意味では、本書はこの事典で本格的に展開される知識組織論の入門書的な位置づけにもなります。そのこともあり、この事典の読書会を企画して、図書館情報学の基礎理論を皆で学ぼうという「知識組織論研究会(KORG_J)」の呼びかけにもつながりました。
本書は今後の図書館研究、図書館情報学研究の出発点になることを意図しています。SNSでのフェイク情報の存在が大きな問題になったり、AIが実用段階に入ったことからもわかるように、ネットで知が扱われていますが、その知はデータの集合体で構成されています。本書の第2章で次のDIKWピラミッドを扱いますが、これはデータ→情報→知識→知恵という過程で上に行くほど知の行為が精選されて一般化していくという考え方で、もっとも基本的な部分にデータがあります。しかしながら図書館情報学ではこのピラミッドモデルはマーティン・フリッケによって批判されます。今のAIもデータから知識や知恵が生み出されるということからこの考え方を採用しているとも言えますが,どこに問題があるのか、本書とともに考えてみてください。