ヤアランの議論

図書館情報学の理論とはなにか
ドメイン分析
ドメイン専門家の育成
適切に機能する図書館と適切に機能する情報サービスは、すでに表現されているニーズを満たすだけでなく、そもそもこれらのニーズを認識する表現できるようにするプロセスの一部である。理想的には、情報システムは、利用者の情報ニーズに関して能動的に行動するべきであり、つまり、クエリ表現される前にニーズを認識する必要がある。

適切に機能する図書館と適切に機能する情報サービスは、すでに表現されているニーズを満たすだけでなく、そもそもこれらのニーズを認識する表現できるようにするプロセスの一部である。理想的には、情報システムは、利用者の情報ニーズに関して能動的に行動するべきであり、つまり、クエリ表現される前にニーズを認識する必要がある。
この書評は、Amazon.co.jpの当該書のカスタマーズ・レビュー欄に投稿したのだが、投稿後5日ほどになるのにアップされなかったのでこちらにも掲載した。遅れた理由はよく分からないが1週間くらいでようやくアップされていた。こちらの方を少し書き直しているので、同じではない。
中尾茂夫『情報敗戦ー日本近現代史を問いなおす』筑摩書房(筑摩選書) 2025年4月刊
★★★★☆
ポスト団塊世代に属する国際経済学者による近代日本論。評者は、今回、初めて著者の本を手にとった。著者と接触をもったこともない。同年生まれで、同世代の社会科学者の世界と日本への眼差しに親近感を覚えたのが理由である。とくに、かつてウォルフレンの『日本/権力構造の謎』(1990)を読んでこういう外部からの視点が面白かったこともあり、本書もそれが手がかりの一つになっているから期待して読み始めた。
以下、感想を書くが、どうも批判的な調子で展開することが多くなってしまったが、基本的にはたいへん参考になった本として星4つとしている。でなければ、わざわざ書評を書いたりしない。どうも世代的なものなのか、同意できるところが大いにあるはずなのにそれはあえて強調せず批判点ばかりを書き連ねる傾向がある。その点で著者のアプローチと似ているとも感じている。そのことはもしかしたら、本書そのものの評価とも関わっているのかもしれない。
日本へのアプローチについて知日派外国人の論はウォルフレン以外読んでいなかったので、今、インバウンドが大挙押し寄せて日本を気に入る人も多いとされるが、本書を読むとその原型がすでに知識人の論としてあることがわかる。かれらは外からきた内なる批判者になりうる人たちだろう。そして、ふむふむと読みながら、そうした論があくまでも外からの視線として扱われているところに限界もあると感じた。すでに日本は自らの内懐にそうした異論を溜め込み発動させつつあるのではないか。そのことはこれから書くことに関わる。
論旨は明快だが、あまり読みやすい本ではない。繰り返しが多いし、本全体の構成が論理的な展開になっていないからだ。最近このたぐいの、強いて言えば長年書き連ねたブログの文章を寄せ集めたような文体の本が目に付く。それと、Amazonの読者評にもあったが、参照文献の書き方がよくない。本文中の初出に書誌事項があるが、まとまった文献一覧がないので、しばらくするとどの文献を指して論じているのかわからなくなる。また、こうした多数の論者を引用し、多数の論点を扱う本には索引が必要なはずだがない。まことに書き散らしただけで、読者へのサービス精神が欠けたものだ。こうした出版社選書のシリーズは編集者が形式面に手を入れてもっと
読みやすい本にすべきではないか。
とはいえ、内容的にはおもしろく一挙に読んでしまえるような迫力を感じる。要約して言えば、エドワード・サイード、ジャン・ポール・サルトル、ハンナ・アレントらの戦後の代表的知識人の言説を基調にして、イアン・ブルマ、ハリー・ハルトゥーニアン、カレル・ヴァン・ウォルフレン、ターガート・マーフィー、エマニュエル・トッド、ウェンディ・ブラウン、フィリップ・ポンスらの知日派の論を手がかりにし、国内では主に辺見庸と松本清張の論を引き合いにだしながら、日本論、日本人論を論じる。
そこで明らかにされるのは、日本は江戸開府以来、現代に至るまで西洋的な近代化とは別の道を歩んでいて、あくまでもナショナルな秩序意識を保つために、維新以降は神権的な権威主義政治体制を選択し、戦後は「アマテラスのアンクルトムによる代替」(ハルトゥーニアン)によって、アメリカの軍産複合体制への隷属のもとにあることである。「マーフィの言う対米従属構図とは、ワシントン⇒高級キャリア官僚&大手メディア&対米投資に熱心な大手財界人⇒政治家、という明確なフローチャートを提示し、この意思伝達経路に妨害が入るときは、検察と大手メディアの強力な結託でもって、当該者は攻撃され、排除される。」(p.161)だから、日本の論者は「イラク戦争もウクライナ戦争も、それが「ニチベイ」批判だと察した時点で、「言わぬが花」になる。」(p.181)たとえば日米地位協定の存在などの対米従属の深層構造は知られていても、大手マスコミ、社会科学者、思想家、文学者はそれを表立って議論しない。その議論をすることが、大きなタブーに触れることになるかのごとく、いつの間にかないことにされるのだ。そこでは政治も思想も幼児性が際立っていて、自らの主体的な判断や意思決定ができず、国際社会との落差がはなはだしい。
われわれの世代が馴染んできたような戦後進歩主義(丸山眞男や加藤周一など)にも若干は触れているが、思想史としての議論を避けているようで、唯一、明治維新についての羽仁五郎=井上清史観(封建勢力間の権力移譲説)を評価している。戦後改革も敗戦によって支配者が入れ替わっただけだから、日本はいまだ封建的中世から脱していないことを強調しているようだ。
だが、依拠している歴史思想的立場はいささか古く、やはり西洋的な啓蒙思想そのものだろう。帯に「なぜ日本は負け続けてるのか?」とあるが、本書は、欧米の先進国に対して遅れてきた経済大国が今や落ちぶれているというような常識的議論ではなく、それも含めてそもそも「情報戦」において負けているという主張である。ここでいう情報戦は、自らの国際的、歴史的立ち位置を十分に理解した上で適切な判断を下すような政治およびそれを支える官僚機構、そしてそこに影響を与えるジャーナリズムや思想、歴史、社会科学の思考がそろって戦えるはずのものだが、それが不在のままだという。だが、その議論を支える歴史認識の基調は、フランス革命からスタートする西洋の市民社会論である。これは別に日本だけの課題ではないし、手本だったはずのアメリカで、現職大統領が大統領選挙で負けが確定したときに民衆に連邦議会突入を指示するという、フランス革命を念頭においた前代未聞の事件が起こった後では、西洋型市民革命を根拠に政治思想は語れなくなったはずである。(もっとも後世の歴史家はこれをもって新しい革命思想の成功例とするのかもしれないが。)
啓蒙思想自体が有効期限切れになっている。本書ではサイードやアレント、トッドなども引き合いにだして、西洋vs.非西洋の図式を回避しているようだが、整合性のある議論にはなっていない。この本はアメリカだとバイデン政権、日本だと岸田政権の昨年までの状況を踏まえているが、ロシア・ウクライナ戦争、パレスチナ・イスラエル戦争、そして、第二次トランプ政権の誕生過程の思想的意義までを抑えていないので、今、急速にアメリカが国際舞台から撤退し、アメリカの覇権主義が支えていた20世紀の構図が変貌を示している状況に対応できていない。また、アメリカが保守とリベラルが互いの覇権を競っているという図式そのものも、トランプの「ディール政策」以降途絶えてしまっている。思想の全体状況が素朴な保守に回帰し、「未来に過去がやってくる」(辺見庸)事態への警鐘としたいのだろうが、この書き方だと説得力がない。というよりも、むしろ反発を引き出すための議論展開をしているようにしか見えない。
個別には頷ける議論も少なくない。また、全体としても日本が東アジアの島国で中世以降独自の発展を遂げたという認識の枠組み自体は間違いではない。その枠組に適合する内外の議論を整理しようとしている点には敬意を表したい。しかし、今では、江戸期の民衆のリテラシーの高さや知的交流、文芸や芸術表現の研究なども進んできている。知日派の論は基本的にそういう文化的伝統に立脚するものだが、これを西洋的文脈で主体性のなさや国際社会における立ち位置の弱さととるのかどうかだろう。本書の最後のほうで、昨年、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞したことを評価する議論が行われているが、これもとってつけたようだった。繰り返し、日本に彼が描くような歴史的な構図や国際的な位置づけを正確に理解した上で発言できる論者が現れていないことを憂えているように、日本のジャーナリズムや思想状況への批判なのだろう。
最後に冒頭で書いた本書の文体について再論しておこう。本書は、日本人全体が幼児化した情報弱者だと批判しているのだが、それを言うための自らの情報論的立場が不明確であることが気になる。強い弱いは何を基準にしているのか。最初に指摘したように、本書に説得力をもたせるためには論点を整理し、論拠を明確にしながらもっと読みやすい文体と論理構成で表現することに心がけるべきだったろう。そうした工夫を避けているから、Amazonのカスタマーレビューにもあるように、本書自体が日本人の自己表現の幼児性の典型例のようにも見えてしまう。著者が批判するような日本人一般には文字通りの批判をぶつけるのではなく、相手の立場に配慮しつつ論を進めることが必要なのだろう。日本人にとっての論理的文章とは「共感」をベースにしたものであるとしているのは、最近出た渡邉雅子『共感の論理ー日本から始まる教育革命』(岩波新書)である。これを弱者の論理として切り捨ててよいのかが問われている。
私が編集責任者を務めた『図書館情報学事典』(丸善出版, 2023)は初学者や一般の人向けの項目として,図書館映画とか図書館文学に目配りをした。ここでは図書館文学を取り上げる。図書館映画については,つのだ由美こ『読書を最高のエンターテインメントに—本が大好きになる図書館の使い方』(秀和システム, 2025)が手広く紹介してくれている。
『図書館情報学事典』の第10部門第27項(10-27)の「図書館をテーマとする文学」では,ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』,スティーヴン・キング『図書館警察』,リチャード・ブローティガン『愛のゆくえ』,村上春樹『海辺のカフカ』,有川浩『図書館戦争』,門井慶喜『おさがしの本は』が紹介されている。いずれも,図書館というものがもつ何らかの性質の一つの側面を切り取ってそれをモチーフに展開をした作品であり,これらを横断的に批評すれば図書館文学批評とも呼べるような知的空間が浮かび上がるのではないかとも思われた。
この事典を企画していたときには気づかなかったのだが,日比嘉高編『図書館情調ーLibrary & Librarian』(皓星社, 2017)という「図書館文学」のアンソロジー集が出ている。図書館文学を集めるという試みは他には聞いたことがない。最近読んで事典編集時にこの本を知っていたらもう少し別のアプローチがあったかと思うのだが,日本人の図書館理解を解く鍵がここにもあるかもしれないと感じた。この本は全10巻の「紙礫」というテーマ別文学アンソロジーのシリーズの一冊である。他のテーマは,闇市,街娼,人魚,テロル,鰻というように,これまでの文学コレクションではテーマとして取り上げられにくいものといっしょに扱われている。これを読んで触発されたことについて,忘れないうちに書いておきたい。
まず,図書館情調とは何だろうか。「情調」という言葉自体,今となってはあまり聞き慣れない。たとえば小学館『日本国語大辞典』には,「あるものに接したとき、そのものからにじみ出て、人をしみじみと感じさせるようなおもむき」という定義があり,用例として「*それから〔1909〕〈夏目漱石〉五「自分もああ云ふ沈んだ落ち付いた情調(ジャウテウ)に居りたかった」」というのが載っている。「情緒」とも似ているが,情調は「調べ」を含むように,感性をもって包み込むニュアンスがより強い。図書館情調とは,図書館がそれ自体が場でもあるので,そこに居る人々が建物や内装,利用者や図書館員から受け取る感覚や趣きと理解すべきなのだろう。
書名の「図書館情調」は,アンソロジーの冒頭にある萩原朔太郎の同名の短文から取られている。このなかで朔太郎は,独逸式の図書館が世界の思想,科学,哲学,芸術が納められた権威主義的で重々しい場だが,同時に崇高さを感じさせるものであるとし,米国式の図書館は全景がからりと晴れて明るい日光が差しこみ,手頃な小説本や気の利いて面白い「愉快な娯楽」を感じさせるような場であると述べる。一見,ドイツとアメリカの図書館を対比しているようだが実はそうとばかりも言えない。両者においてそれぞれの人々は「彼らの環境と彼らの気分との溶けあった満足を味わっている」としているのに対し,日本の図書館は独逸式図書館を模倣して設計されたが「重鬱で陰気くさいというだけであって,肝心の精神を高翔させる気分がない」というように、批判的に扱われている。西洋がモデルになった日本の近代化というテーマの一面がはっきりと顔を見せている。
現在,図書館が出てくる文学としてよく取り上げられる作品に,村上春樹『ノルウェーの森』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や,有川浩『図書館戦争』がある。村上作品だと,分断された自己意識に何らかの意味を与えるための場として図書館が存在している。描かれる図書館は現実のものではなく,ある種のメタファーである。『図書館戦争』であれば,図書館の自由を守るために武器を取るという行為が強調され一人歩きしているエンターテインメントとして描かれる。これらが与えるものは朔太郎の描く過去の図書館の情調とは異なっている。メタファーとしても現実の延長としても,ネガティブに描かれてはいない。それだけ図書館が変化したことは確かだろう。だが,それらに精神の高翔が感じられるかと言えばそれは違うだろう。朔太郎の時代に作家が図書館に抱いた本来的なイメージと,現代において作家が図書館に重ね合わせるものとは異なっている。それは何だろうか。
本書『図書館情調』で取り上げられる文学作品は大きく「第1部 図書館を使う」「第2部 図書館で働く」「第3部 図書館幻想」に分かれる。このうち第1部と第2部の作品の多くは戦前から戦後間もない時期にかけて発表されたものであり,そこで描かれる上野や日比谷の図書館やそこで働く図書館員は暗く,また貧しい。多くの場合,エリート予備軍たる作家志望者から見て,陰惨でつっけんどんで居心地の悪い場所というのが図書館の描かれ方であった。
菊池寛の「出世」は,自らの若い頃の勉学の思い出を重ね合わせて書いた小編で,彼が中学校を卒業後,上京してから学校以外の勉学の場として図書館があったとして,上野図書館(帝国図書館)以外に日比谷図書館,三田の書庫(慶應義塾図書館)が出てくる。とくに大学を卒業してから職にありつくまでの半年間を「図書館で暮らした」。「その時代の図書館通いは,彼に取っては一番みじめなことだった。」としている。タイトルの「出世」は,そうした図書館通いのあと数年して,上野図書館に行ってみたら,かつて通っていた時代に諍いを起こしたりして顔を見知った下足番の男が,閲覧券売り場の業務をしていることを知り,彼も「出世」したのだと思ったというたわいもない話しである。ここでは,彼自身の職がなかった時代の惨めさを下足番の仕事に重ね合わせてとらえ,その後職を得た自分と「出世」したその男の運命を対応させて喜んでいる。
図書館はその存在自体が社会の進展から取り残された苦学生のたまり場のような場所として描かれていたわけだが,ここには宮本百合子が「図書館」で戦争が終わってから同じ上野図書館を回想するのとも共通するテーマがある。閲覧室に来ている利用者はいずれも無表情で何かを読んでいるが,それは新しい時代に向けての準備の行為であることを示唆している。また,かつての婦人閲覧室が利用者どおしが互いに情報交換するような場としてあったことにも触れている。
これは竹内正一の「世界地図を借る男」に出てくる,毎日世界地図を借りて何かを書いているルンペンのような利用者の男の描き方ともつながる。著者は満州のハルピンの満鉄図書館の館長を務めた人であり,近代的図書館の職員から見た利用者像を示している。この小品でも最後は利用者の男は別の職場で働いていることが明かされて終わるのだが,世界地図を見る男が,朔太郎が言及した精神の高翔に近い位置に居たことが示唆されるのは,この図書館が新開地満州にあったことと関係しているのかもしれない。
「図書館の秋」を書いた小林宏は,栃木県立図書館の司書をしながら日仏図書館学会にかかわり,「文庫クセジュ」のアンドレ・マソン, ポール・サルヴァン著 『図書館』(白水社, 1969)の翻訳をした人として記憶される。彼は1964年にパリに渡り,フランス国立図書館(現リシュリュー館)にあった国立高等図書館学校で研修を受けた。小林は朔太郎的意味での西洋文明における図書館の位置付けを体感する立場にあったはずだが,ここで描かれるフランスの大図書館もまた上野の帝国図書館と似て,無機質な書物の蓄積の場でしかなく,精神の高翔はむしろ,11月の暗いパリの街で,花売り娘から赤い薔薇を買ったことや同じクラスに出席する学生たちと一緒にモンパルナスの劇場で観劇し,その薔薇の花束を女優に渡したことなどからくる。昭和戦前期の知識人予備軍はそうした西洋人たちとのやりとりから隔てられ,かろうじて図書館はそうしたつながりをかろじて感じられる書物の拠点であった。だが,戦後間もない時期でもそれはまだ払拭されていないことを思わせる記述であった。
全体に図書館の描き方は暗いのだが,その暗さは次の何ものかに飛翔するための準備という意味合いがあった。その典型は中野重治「司書の死」である。これが他のものより図書館員に知られているのは,実在の図書館員をモデルにしているからである。その人は戦前に帝国図書館に勤め,占領期に文部省図書館職員養成所の初代所長になった舟木重彦(小説のなかでは高木武夫となっている)である。中野と舟木は旧制高校から東京帝国大学文学部独逸文学科まで同級の仲間であり,ここに語られていることは他の関係者によっても検証されだいたいにおいて正しいということになっている。友の死を悼んでこれを書いたことは確かだろうが,彼の図書館員観は次のようなものである。
大人しい人々,反抗的でない人々,善良でどこかで人間の良さを信じている人々,しかし,消極的なところのある人々,こういう人々が図書館にいるらしかった。考えてみると,高木武夫がその一人でなくはなかった。
これが,中野のような日本共産党(と国際共産主義運動)との確執を武器にしながら文学や政治評論を打ち立てようとした人の口から発せられると,話半分に聞いた方がいいのかもしれない。
だが,一般に図書館員がこのようなステレオタイプで見られるのは別に日本に限らず世界的にある現象だろう。それはおそらくは,図書館員の仕事が外からは理解できない仕組みによって構成されていることが大きい。知識人なら自分の蔵書を自分勝手に置いてそれが一番使い勝手がよいとするのに,なぜ図書館はわざわざ本を分散配置させて,分類や目録によってアクセスするように仕向けるのか。その仕組みの担い手の中心は女性であり,そのジェンダー偏差は図書館のイメージづくりに負の作用をもたらした。メルヴィル・デューイがコロンビア大学に図書館員養成の学校をつくったときの構想が,働く(中産階級出身の)女性の(あり得べき)適性に合わせた職をつくったことにあり,それが世界中に広まったことと関係がある。これについては,20世紀後半のフェミニズム的視点による研究から厳しい批判を浴びた。(注1)
中野は,高木の叔父から,高木がアメリカに特別の使命を帯びて派遣され数ヶ月の滞在ののち,急に帰国することになり,帰りの船で発病して横浜に到着後まもなく亡くなくなったことを知らされたとする。この小説は中野と高木の生前の交流と亡くなった経緯を記述したものであるが,最後に次のように書いている。子供に甘かったマルクスが,二人の娘から好きな仕事は何かと問われて,「本食い虫になることだ」と答えた。
おれも本食い虫になるのが好きだ。[マルクスとは]比べものにならぬが。しかし,それは,質朴,強さ,たたかうこと,ひたむきに結びついていなければならないだろう。司書も図書館員も,これからは一しょに大ごとというわけだろう。これを書いて,司書高木武夫のためにおれは祈ろう。
この文章が『新日本文学』に掲載されたのは1954年8月である。高木の死が朝鮮戦争が勃発した1950年6月のこととし,この後にイデオロギー闘争が始まることを示唆して,このような文章にしたのは中野のフィクションである。実際には舟木は1950年11月にアメリカに発って1951年3月に帰国し,瀕死の状態で横浜港に着きまもなく亡くなった。中野が描きたかった「大人しい」司書ですら急遽帰国して闘おうとした(はず)としたことについて多言は要すまい。
もう一点,マルクスが本の虫だったというのは,彼が大英博物館の閲覧室に籠もって資本論を書いた事実に基づく。この図書館は,大英帝国および資本主義的経済体制についての資料を惜しげもなくすべての人にオープンにした場所であった。そこから資本主義を根底的に批判する書物が書かれたことは皮肉にも思えるが,西洋のアーカイブ思想はそうした自らの基盤を突き崩すようなものを含んでいるから,それは意外でも何でもない。中野がマルクスと「くらべものにならないが」と言っているのは,自らの態度のことだけでなく,日本の図書館にはそれだけの思想もその成果としての理論的蓄積も持ち得ていないことも指しているものと思われる。
これが書かれた時期は日本の図書館界にとっても大きな転換点であった。占領軍の指示により,1948年に国立国会図書館法が制定され,1950年に図書館法,1953年に学校図書館法が成立した。そこには,広義の教育改革としての図書館整備という課題があった。舟木が所長になった図書館職員養成所は,慶應義塾大学に設置されたジャパンライブラリースクール(JLS)とならび,戦後の図書館員養成の強化を担うプロジェクトの一環にあった。慶應とともにJLS設置の候補だった東京大学に,文部省の肝いりで秘かに図書館職員養成所を移すプランがあり,その教官候補として舟木が呼び戻されたことについて,複数の先輩たちの口から伺ったことがある。(注2)
朔太郎あるいは同時代の作家が描いたネガティブな図書館のイメージは,戦後,占領政策に位置付けられることで変化を遂げようとした。そのことについても,ここでは述べない。ひとまずは以前に書いた論文を参照されたい。次に述べようとするのは,そうした現実の図書館とは別の系譜のファンタジー系図書館である。
『図書館情報学事典』には別に「10-25 メタファーとしての図書館」という項目もあって,そこでは,ボルヘス「バベルの図書館」(『伝奇集』),フーコー「幻想の図書館」「ヘテロトピア」,ベンヤミン「蔵書の荷解きをする」,エーコの「迷宮としての図書館」(『薔薇の名前』)について触れられている。これらは現代における代表的な図書館批評であるが,いずれも現実の図書館というよりは,知の蓄積の場としての図書館の表象的作用が扱われる。図書館の書物や雑誌は文や言葉から成り立っている。機能主義的に見れば知識の伝達ととらえる過程も,書き手の表象と読み手の表象が一致するとは限らない。図書館情報学はその伝達を効果的にする機能主義を追求するものであったが,この作用を文学,思想,社会学,歴史学などさまざまな視点から描くこともできることがわかる。挙げられた作品は言語論的転回以降のポストモダン的な立場から書物およびその蓄積の作用を描き出そうとしたものである。
私は事典のこの項目を清水学さんに依頼しておきながら,うかつにも自分でも書いていた。それを転載したのが,当ブログの「2021-09-16 メタファーとしての図書館」である。取り上げた作品は清水さんのものと半分くらい重なっているが,前半で,Human libraryやSeed libraryなど,図書館的手法を取り入れた実際の活動を紹介し,組織における図書館の位置づけを人体や生体の「心臓」とか「尻尾」に喩えるような表現について触れ,また,最後に,宮崎駿の長編コミック「風の谷のナウシカ」(アニメ版とは別物)のラストでAI的な「シュワの墓所」の存在を否定する表現があったことに触れた。文学や思想の立場からは,図書館を知を包含したメディアが蓄積された場としてとらえ,その蓄積が物理的な関係を超えて何らかのシンボリックな相互作用を起こしている様を描くことが多い。
『図書館情調』第3部に収録された宮澤賢治の「図書館幻想」は,「俺」が10階まで上ってようやく「ダルゲ」に会うシーンを切り取った短い文章である。タイトルに図書館とあるから,上ったのは図書館なのだろう。
その天井の高い部屋で会ったダルゲは「灰色で腰には硝子の簔を厚くまとってゐた。」ダルゲは「俄につめたいすきとほった声で」「西ぞらの ちゞれ羊から おれの崇敬は照り返され (天の海と窓の日覆ひ。) おれの崇敬は照り返され」(スペースは改行)と歌う。「おれは空の向ふにある氷河の棒をおもってゐた。」ダルゲはじっと額に手をかざしたまま動かず,おれは叫んだ。「白堊系の砂岩の斜層理について。」ダルゲは振り向いて冷やかに笑った。
ほとんど全文に近い引用である。ダルゲが何であり,ダルゲに何のために会いに来たのか,ダルゲの歌は何を意味するのか,そしてそれに対して「おれ」が叫んだことは何なのか。これだけでは分からないし,なぜ図書館の場が選ばれているのかも不明である。ただし賢治の没後発見された資料をもとに著作集が出されているのだが,中島京子『夢見る帝国図書館』に,この文章を読み解くヒントとして別の断片(「東京ノート」)があることが出てくる。そこでは,「ダルケ」とされ,おそらくは盛岡高等農林時代の同窓で生涯の心の友であった(中島の著書では名前が出てこないが保阪嘉内であることが分かっている)。賢治は彼に憧れたがすれ違うことも多く,そのあたりがこの文章に表現されている。中島は,「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカンパネルラとの関係になぞらえて二人の関係を語った。それらを改めて読むと,「図書館幻想」でダルゲが歌った詩に対して,おれは「氷河の棒」(氷河の堆積物を調べるために突き刺す棒)や「砂岩の斜層理」という科学用語で答えるすれ違いが認められる。こうした関係を描写する場として,図書館が選ばれたのだ。賢治にとっては博物館の方がふさわしかったのかもしれないが。。。
『図書館情調』第1部には中島敦の「文字禍」が含まれる。古代ニネヴェのアッシュールバニパル王の文庫で粘土板に書かれた文字の霊が夜な夜な騒ぎ出すという話しである。最終的には文庫管理者の博士は自家の文庫の粘土板の下敷きになって死んでしまうことになる。粘土板という書物形態はもっとも原初的な物理的メディアであるが,そこに書きつけられた文字たちが蠢くというのは今のネットメディアにもそのまま当てはまりそうな警句を含むものである。一節を引用しておこう。
獅子という字は、本物の獅子の影ではないのか。それで、獅子という字を覚えた猟師は、本物の獅子の代りに獅子の影を狙い、女という字を覚えた男は、本物の女の代りに女の影を抱くようになるのではないか。文字の無かった昔、ピル・ナピシュチムの洪水以前には、歓びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって来た。今は、文字の薄被(ヴェイル)をかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々は知らない。近頃人々は物憶えが悪くなった。これも文字の精の悪戯である。人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚が弱く醜くくなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。
中島のこの物語は, ボルヘスの「バベルの図書館」と並ぶ図書館メタファーの傑作だろう。ただし,「文字」と「図書館」の関係については注意を要する。中島が文字と呼ぶものは今の引用にあったように漢字として表現している。彼は「山月記」や「李陵」のように中国の古典を題材に文学活動をしてきた人であったが,この物語では古代メソポタミアの楔形文字を取り上げている。漢字は音節と意味の対応をもつ表語文字であるが,初期の楔形文字も同様の性質をもつとされている。つまり,一つ一つの文字が何らかの概念を表すことが,この物語の基本的な特性を示している。蠢くのは文字ではなく「語」ということになる。アルファベットのような表音文字をもつ文明だとこのような物語にはしにくい。バベルの図書館は書物自体が多言語で無数の異版をもったかたちで存在していて,決して文字に分解されるものではない。
このような中島の想像力の先に,野生の図書館を描く作家が現れるのは当然のことだろう。20世紀後半以降,日本でも「市民の図書館」が現れる。作家はかつてなら本は買って読むものだといい,自らが図書館の利用者であったことにはあまり触れたがらなかったが,今は図書館も日常化し,作家も利用していることを隠さない。また,自分の本が書店で購入されるのと並んで図書館で借りられることについても率直に吐露する。そういうなかで,図書館に対する作家の想像力は,図書館に納められている書物それ自体が,書いた人のメッセージを超えてみずからを主張し,動きだし,他の書物とともに活動をし始めるものとして展開する。本書に納められた笙野頼子「S倉極楽図書館」は動物の図書館,三崎亜記「図書館」は野生の書物と人間との関係の場として描かれる。
本書は編者のしっかりした解説がつけられていて,周りが何か付け加えられることはあまりない。図書館が文学批評の一つのジャンルとして成立しうることを知っただけでもこれを読んだかいがある。その上で,図書館情報学研究者として付け加えることがあるとすれば,それは西洋の図書館と日本の図書館のギャップというもともとの問題そのものに関することである。
図書館はフーコーが言うところのディスクールを扱うメタディスクールである。そして西洋と日本の図書館の違いを問うことはメタディスクールの在り方そのものを問題にすることである。前半に述べたように,戦前の萩原朔太郎や菊池寛のような文学者はその修業時代に,図書館に西洋文化の香りを嗅ぎつつもそれが制限的にしか得られないことへの不満を自らの生活に重ねて嘆き,図書館を貧しい場として描いた。中野重治のような政治運動の手段として文学をとらえる人は,「大人しい図書館員」に戦後のイデオロギー闘争における行動の場への期待を見たが,それは大いなる錯誤であった。その後の高度経済成長期にフランスに留学した小林宏のように,フランス国立図書館という西洋図書館の核心部分に近づいた人も,翻訳はできてもその本質の部分の把握を避けざるをえず,精神を飛翔させるのは花束だったり友人との交流だった。そのあたりを精算できるようになったのは,20世紀末になって東大駒場に第何世代目かの洋行帰りの人々が教員を務め,西洋文化の本質を明らかにしようとして,表象文化論のコースができてからだと思う。図書館情調の分析的解明が行われるようになったのは,松浦寿輝『知の庭園—19世紀パリの空間装置』の第1部「図書館あるいは知の劇場へ」あたりからである。
そういうなかで,中島敦の「文字禍」は日本人の図書館理解において一頭地を抜いたものだったということができる。そこには,西洋に対するコンプレックスは感じられず,むしろ,自らの拠り所である中国文明と西洋の古代文明とを対比させながら,普遍的な知を追求する姿勢を見せていた。これが書かれたのは1942年という戦時下だった。文字が書庫で蠢くという比喩は,戦時体制下で制限された言論状況において知識人が大政翼賛的な発信をしていたことを指しているという解釈もある。
注
1 ディー・ギャリソン著(田口瑛子訳)『文化の使途—公共図書館・女性・アメリカ社会 1876-1920年』日本図書館研究会, 1996.
2 1950年から1951年にかけて,図書館職員養成所が東京大学に吸収されることが企図され,舟木がその教授候補であったことについては,石山洋の証言が残っている。「石山洋氏インタビュー」日本図書館情報学会50周年記念事業実行委員会編.『日本図書館情報学会 創立50周年記念誌』.愛知,日本図書館情報学会(発行),2003,p.32.その後,このプランは頓挫したが,同大学教育学部に図書館学講座ができて1953年に裏田武夫が講師として赴任した。図書館職員養成所は1964年に図書館短期大学になり,1979年に図書館情報大学になる。
「2025-02-27 国立国会図書館の納本制度について」で国会図書館(以下NDL)の納本制度について述べた。NDLは日本という国を単位とした範囲で刊行される図書や逐次刊行物を中心とする出版物を納本対象としている。これが意味するのは,同館は国レベルの仕事をすることにより,地域レベルで出ているもの(郷土出版物など)や特定組織中心で出ているもの(法人組織,NPO,任意団体),個人出版物については力が入っていないということである。これから述べるように国レベルでも地方レベルでも何が出ているのかの把握が困難なことが多いから,自主的に納入されたものが中心になるし,納入に関して罰則規定(第25条の2)があっても発動されたことがないから,網羅性を期待できない。
以上はデジタルコンテンツがネットワークで流通する以前の状況であったが,21世紀になって電子書籍,電子雑誌がネット上のデータとして流通することになり,同館では対応しようとして,何度かの法改正を行って現行のオンライン出版物の納入制度がつくられている。そこで重要なのは,NDLに収集資料の即時デジタル化が認められる規定(著作権法第31条第6項)が置かれていることである。これは,資料保存を目的とするものであり,とくに戦後の出版事情が悪かった時代に資質が悪く保存に堪えない出版物が多かったことへの対策とされた。しかし同時に,Google Books問題が起きたときに国としてデジタルコンテンツ戦略として位置付けたものでもあった。これにより,同館で絶版等資料をデジタル送信するために同館資料のデジタル化を可能にし,デジタルコレクションの提供の原資ともなっている。私はこれらが可能になったのは,国のICT政策においてデジタルコンテンツ整備が遅れているという認識のもとに,NDLをそのための拠点と位置付ける考え方があったからだととらえている。
その一環で,オンライン資料と名付けられた電子書籍,電子雑誌の納入規定(国立国会図書館法第25条の4第1項)ももうけられている。これも義務的な納入制度であるが,紙の出版物の納入制度より運用が難しいのは,それ自体が不定形なものでありながら外形的にしか定義できないことからである。たとえば,このブログはHTMLフォーマットで書かれているからオンライン資料でないということになるが,書いている本人として外部に公開した文章であり出版に準ずる行為と考えている。このなかには自分で発信したPDFを埋め込むことも多いし,逆にここに書いたものを原稿として図書や雑誌にすることもある。昨年,マーティン・フリッケ『人工知能とライブラリアンシップ』を訳出して公開した。公開したものはオンライン資料としてNDLに納入したが,その解説や意義についての文章も合わせてブログ公開したので,これらも含めてワンセットでとらえられる。
オンライン資料の要件はコンテンツの固定にある。HTMLでは常に編集可能であるから常に変化しうるがそうするとどの時点で収集し保存するのかの判断が必要となる。だから,ネット上にある多数のオンラインジャーナリズムやオンライン小説,SNSでの情報発信はオンライン資料とはならないようだ。しかし,かつて出ていた週刊誌や月刊誌が今,ネット上のサイトに移行しているように見えるが,紙のものは納入されてNDLで永久保存されていたのに,それに対応するデジタルコンテンツを保存の対象にしないでよいのか。つまり,オンライン資料の納入制度の目的「文化財の蓄積及びその利用に資するため」(国立国会図書館法第25条の4第1項)に照らして,これらは文化財ではないのかという疑問である。
このあたりは図書,書物とか書籍と呼ぶものの定義にかかわる。(ちなみに,図書は図書館用語,書物は人文系で用いられる一般的な用語,書籍は出版用語。互いに重なるが同じではない。)出版物には商品としての出版物とそれ以外の出版物がある。商品としての出版物を扱う市場には新刊市場と中古市場がある。同じ商品が新刊市場と中古市場で二重に流通する場合もある。新刊市場の在庫がなくなっても中古市場では販売され続ける場合もある。出版物は誰もが企画,編集,執筆,制作,販売することができるのだが,出版社と呼ばれるそれを専業とする者があり,ふつうはそうした出版社からでるものが全国的に流通する。商品としての出版物以外に,組織内部やその関係者に配布したり,個人で自費出版したりする出版物も多くある。それらは有料で販売される場合もあるし,ISBNやISSNがついて流通される場合もある。
以上のように,出版物は多様な生産と流通の形をもっており,その全容は把握できていない。国立国会図書館の納本制度はこれを把握するために,図書や逐次刊行物が発行されたら納入することを義務づけている。しかし組織出版物や自費出版物を含めたら,原理的に把握は困難であり,したがってすべてのものが納入されないからNDLが作成する全国書誌(NDLサーチ)は網羅的にならない。
出版業界で書籍と言えば,標準図書コード(ISBN)が付与されて,取次を通じて全国の書店の店頭に並ぶものを想定している。しかしながら,そうでないものがいろいろとある。ムックと呼ばれる書籍と雑誌の両方の特徴をもつものがある一方,郷土出版物の一部は全国的に流通させる仕組みはあるが,当該地域の書店店頭に並ぶだけのものも少なくない。要するにISBNは販売する商品として流通させるものでしかなく,価格がついていて販売意図があると見なせる組織出版物,自費出版物なども商業的な販売ルートには載らないことが多い。
かつてブログ「2023-11-18 市民活動資料』収集・整理・活用の現場から」で,運動系資料のコレクションの扱いの難しさについて書いた。それらは一点ごとに図書と呼んでもいいものも含まれる。また,そうした資料がコレクションとしてDVDにまとめられて国会図書館に納入されたケースについても触れた。現在,国会図書館の納入対象資料とされているオンライン資料があるが,その要件は,ISBNかISSN,DOIがついているか,PDFやE-Pub, DAISYでフォーマットされている図書や逐次刊行物相当の資料ということである。この「相当」がくせ者である。NDLのHPにはそれに該当しないものが列挙されており,そこには,「書式、ひな型その他簡易なもの(各種案内、ブログ、ツイッター、商品カタログ、学級通信、日記等)」があって,さらに「簡易なもの」の追加説明として「基本的に会議資料や講演会資料は簡易なものとして扱います。ただし、学会の報告などは学術的なものとして納入対象としています。」とある。NDLは,納入対象資料に入らないものを形式で示し,それ以外は全部対象だとしている。
ここでは次のことが指摘できる。まず,会議資料や講演会資料は簡易なものとして扱うとしているが,学会報告は納入対象としている。つまりアカデミズムの資料を優先すると言うことである。ここには,「納入資料」 vs. 「簡易な資料」という対立軸に「学術的」という言葉を用いて内容の価値判断の要素を加えていることが見てとれる。従来の民間出版物の納本制度の運用にあたり納入しなくとも過料を科していないのは,言論出版の自由という憲法的な原理に基づき,検閲につながるような国の機関による出版物の選別を控えていることを意味する。だから,かつては形式的に網をかけることに終始し,内容的なことを前面に出すことは控えていた。しかしオンライン資料には学術的,これは学術的でないという区別をすることになる。
これにより懸念されるのは,誤情報,偽情報,フェイクのようなコンテンツの公正性や信頼性にかかわることが問題になっている現在,何が学術になるのかの判別が難しくなっていることである。たとえば,学術性を隠れ蓑にして意図的にフェイク情報を流す団体の出版物の納入を拒否できるかという問題がある。NDLが納入を受け入れることが学術性の担保として使われるかもしれない。
すいれん舎 https://suirensha.co.jp/pages/76/
不二出版 https://www.fujishuppan.co.jp/newbooks/
クロスカルチャー出版 http://www.crosscull.com/search/?search_series=16628
ゆまに書房 https://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843370209
図書館市場を想定した大型資料集がこういうかたちで多数販売されていることに意外な感じをもった。先にも述べたように,これらは少数の専門研究者およびその研究室を除けば,図書館が購入することを想定している。しかしながら,これらを購入できる図書館が多いとはいえないし,年年数が減っていっていると思われる。それには,使える資料費に比べて価格が高額だという事情に加えて,こうした資料集が大判で冊数も多いから保存スペースを確保することも難しいという問題もある。
その解決策としては,電子書籍化がある。先ほど挙げたゆまに書房が出している『中曽根政権期 靖国神社公式参拝関係資料』を見ておこう
https://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843370209戦後対アジア外交の転機となった、中曽根首相による靖国神社公式参拝。新たに発見された「靖国懇議事録」から合憲論への道筋を明らかにする。外務省の関連資料も合わせて収録。
これには,電子書籍版があって,KinoDen/Maruzen eBook Libraryを経由で購入するとなっている。価格は,「電子書籍=同時1アクセス:本体143,000円+税╱同時3アクセス:本体286,000円+税」となっているので,同時1アクセスなら紙版と同価格で購入できるようである。これなら,資料購入の資力をもちながら,保存スペースを気にする場合には電子書籍版に魅力があるだろう。紙版にしてもこうした大型書籍だとブラウジング利用はあまり考えられず,資料についてよく知っている利用者が何らかの方法で特定のページを探して参照するものだろうから,電子書籍版と使い勝手に大きな差はない。むしろ,検索のメタデータ付与を工夫すれば,どこからでもアクセスできる点でこの方がいいかもしれない。
ということで,今後,この手の書籍は電子版が中心になる可能性は高いように思われる。そこで気になるのは,NDLへの納本である。民間のオンライン資料は納入の義務がある。例外は紙版が入っていてそれと同じ版面なら納入が免除されるということである。だから同時に両方が出たら,紙版が納入されることになる。だが,今,書いたように電子版が中心になり紙版が出ないときにどうなるかだが,原則的に電子版が納入対象になる。
その例外はリポジトリに収録されて公開される場合である。このリポジトリはJ-Stage(JST)や大学の機関リポジトリが想定されている。つまり,それだけの公益性があるもので半永久的に保存され,オープンアクセス性が保証されるものである。民間のものについては,
営利企業で構成される組織が運営するリポジトリで公開している資料は、要件に合致すると当館が認定した場合は納入義務の対象から除外されます。認定に際しては、当該リポジトリの長期継続性、利用の担保、コンテンツの保全の観点から適否を確認し、コンテンツの散逸防止やメタデータ連携について覚書等により担保します。(https://www.ndl.go.jp/jp/help/online.html#anchor13)
となっている。現在,民間で提供されている有償オンライン資料を扱う機関でこれに該当するものは,「電書連・機関リポジトリ」であり,これは一般社団法人デジタル出版者連盟(電書連)が運営するもので,そのメタデータは,出版情報登録センター(JPRO)の部分集合に対応するとされる。(国内の電子書籍・電子雑誌書誌データ検索の表1-1 https://ndlsearch.ndl.go.jp/bib/help/dom-ebej)KinoDen/Maruzen eBook Libraryで販売される電子書籍はここに含まれるはずなのだが,それは確認できなかった。有償電子書籍の機関リポジトリについては不明な点が多い。
2025年2月27日の第39回納本制度審議会で配布された「有償オンライン資料の把握状況」(資料7 https://www.ndl.go.jp/jp/collect/deposit/council/39noushin_shiryo.pdf)には,JPROに登録された電子書籍(すなわち納入免除)12万点に対して,NDLが収集したもの1400点,同一版面による納入免除1600点という数値が掲載されている。つまり,現在のところ民間の有償オンライン資料の98%はNDLに納入されていないということである。これらは,電書連・機関リポジトリが責任をもって保存することをNDLが承認してこうなっているのだろうが,本当にそれでよいのか疑問なしとしない。NDLの納入と機関リポジトリでは保存に対する責任体制の点で同じではないし,何よりも民間機関のリポジトリへのアクセスは有料である点で,違いがある。JPROのデータベースであるBooks-Proが公開されていないので,電書連リポジトリの実態がつかめないことにも不安がある。今後,電子版のみのオンライン資料が増えたときにこのままでよいのかどうかの検討が必要かもしれない。
オンライン版 内調資料(近代史料データベース)
日本の代表的なインテリジェンス機関である内閣調査室に関する史料群。内調創立時のメンバーであり、後に主幹を. 務めた志垣民郎(1922−2020)の旧蔵資料で構成される。
① 従来の文書管理の考え方では,実務家が自らの活動の記録を残し,そのなかで意図的に残す価値があるとされたものが機関内のコレクションとして保存される。② さらに,外部の研究者などによって整理して公開する価値があるとされるときに,コクレションとしてまとめられて公開の手続きがとられる。文書館や博物館,図書館などに移すときもある。③ コレクションがさらに複製されて多くの人の目に停まる価値があれば出版されることがある。その際に使いやすいように整理されたり,目次や索引がつけられたり,解説が書かれたりする。④ 紙版の出版物はさらにデジタルデータ化されて,メタデータが付与された上で電子書籍として提供される。⑤ さらにデータベース化されて提供される。⑥ OCRによるテキスト化による全文データベースが提供される。
本資料は、志垣が 2020(令和 2)年 5 月に 97 歳で亡くなるまで手元に保管していた内調の資料 377 点と、志垣が小学校 5 年生の頃から書き続けていた日記のうち、内閣総理大臣官房調査室勤務を命じられた 1952 年から国民出版協会会長を退任した 1990 年までの分を整理しデジタル化して公開するものである。(岸俊光「「志垣民郎旧蔵 内調資料」解題」)
先に述べたように、かつて沖縄の歴史資料は図書館を中心にして整備されていた。1990年に大田昌秀が知事に就任して公文書館設置の検討を開始し、1995年に開館したことにより、大きな変化があった。それまで図書館設置の史料編集室が琉球政府文書の管理を行っていたが、これが公文書館に移り、琉球政府文書の管理も公文書館が行うことになった。初期の公文書館の重要な事業に、職員を長期にアメリカに滞在させて、占領統治者だったUSCAR(琉球列島米国民政府)の公文書を連邦政府の公文書館であるNARAから入手するとか、歴代宝案と呼ばれる琉球王朝の外交資料集(原本も写本も沖縄戦や関東大震災で焼失)を中国やタイ王朝のものと対照しながら復元することなどがあった。
沖縄県立公文書館
運営面についてだが,最初は県の直営として始まった同館だったが、現在は指定管理となったことが重要である。開設翌年の1996年から,県がつくった財団法人沖縄県文化振興会(現在は公益財団法人)が基本的な機能を管理運営委託することになり、2007年からはここが指定管理者となった。このあたりの経緯は同館のアーキビストの中心になっていた富永一也氏(当時,沖縄県公文書館資料課主任専門員)がインタビューで詳しい事情を語っている。(「沖縄県公文書館へのインタビュー」『社会科学研究(中京大学)』 32巻1号, 2012. https://www.chukyo-u.ac.jp/research/irss/image/kiyou_60/sado-060132socsci-chukyo.pdf)このなかで富永氏は,「指定管理に移る前に 「指定管理者になったら文書の引き渡しが滞る」 ということを言う人もいたのですが、私は指定管理になる前の年から県文書の受入れを担当していていましたが、そのようなことは一切ないですね。」と話していた。実際にはむしろ、民間団体による運営だったから、専任アーキビストの採用とかアメリカに職員を派遣しての継続的な資料調査とか大胆な方針を立てて進めることができたということも言える。しかしながら,最近になって指定管理者であることが館の方針に重大な影響をもたらすことが起こっている。
今回は2008年訪問以来,2回目の訪問である。事前に質問事項等を送っていたので,すぐに焦点が絞れたやりとりができた。とくに,担当の方から県の公文書管理条例がこの3月に成立して(2026年4月施行),これが大きな転換点になるという話しがあった。この条例によって,従来の公文書館自体が資料の選別機関だった公文書の扱いが,担当部門で選別して保存用とされたものが公文書館に送られる方式に変わるということだ。これは国の制度を含めて日本では一般的とされるやり方だが、本来のアーカイブズの役割を重視しない官優勢の仕組みである。指定管理であることが契約事業者としての位置付けしかないから,意見を挙げにくいことがあってこうなっているようだ。ただ,これにはよい面もあり,従来は知事部局からの公文書しか来ていなかったのに対して,今後は行政委員会の資料や会議資料,外部部局の資料も一律に対象となる。それで,従来は選別されずに資料が年間3000箱来ていたが,今後はそれよりも増えることが予想されているということだ。
こういう選択には理由もあるのだろう。一般的に20世紀末の地方の時代が言われたときに,情報公開条例やオープンガバメントが言われたが,21世紀になると行政組織としてのコンプライアンスやセキュリティ保全,プライバシー保護等々の論理が、オープンにして保存する論理よりも強力に働くようになった。かつて,行政資料を集めて保存提供する図書館もまた広義の情報公開を担う機関との位置付けもあった。しかしながら,行政資料に代わって採用されるオープンデータは行政自らが情報をコントロールするものになり,図書館には行政資料が入りにくくなった。
沖縄においても、失われた歴史を回復するためにアーカイブ機関の役割を強調する考え方は、20世紀のうちは強かったが、徐々に変質せざるをえないことが見て取れた。公文書館ができたときは太田県政のもとで歴史資料を重視する考え方が強かったのに対して,徐々にそれが行政の論理との関係で変化しつつあることを示しているようだ。県の公文書管理条例が施行された後についての問題点は今回訪問した他のアーカイブ機関でも耳にした。
アーカイブズは歴史資料を保持するという機能と行政や組織の行動について監視するための情報公開的な機能の二つをもつ。ここは前者の目的のためにつくられたが,後者についても沖縄特有の人間関係の近さ故にそれも含んできた。しかしながら,情報の扱い方に関する考え方が変わるにつれて,それではすまなくなって公文書管理条例ができたのだろう。それにより,二つの機能にも大きな影響があるだろう。
過去,沖縄県史は1965-1977年に編纂された旧県史と1995年以降に継続刊行されている「資料編」,そして,2000年代になって始まった「図説編」および「各論編」によって出版が続いている。これを見ると,旧県史は,通史から始まって,各論が書かれ,まもなく資料編が出された。本土復帰後は,再度,資料編,図説編,各論編をシリーズで出し続けている。各論編「沖縄戦」や「女性史」など,資料の発掘だけでなく,体験者に対する聴き取り調査の結果を活かした構成になっている。21世紀になってから「各論編」や「図説編」として出ている県史は,県が音頭をとって分野別に共同執筆する沖縄百科事典のようなものだ。
今回、県史編さんの現状について、担当者の方から他の都道府県や市町村との関係を含めて,詳しく伺った。まず,都道府県史については全国の連絡会があるが,その編さんが終わると通常,資料は図書館,文書館に入るか,デジタル化されるかであり,利用できないケースもあるという。現在、県史事務局が継続しているところは8県あり,さらに3〜4県で最近新しい事務局が立ち上がったが,他は中断しているということだ。廃藩置県から100周年で一度ブーム(明治百年)になったが,150年はほとんど県史はつくられていない。それは、100年史を補うためには現代史を書くことになるからである。おそらく次にブームとなるのは200周年の2070年頃かと思われるが、沖縄県が長期的展望をもって各論的な歴史執筆や資料収集編集を継続することで県史編さん業務を行っていることは,特筆すべきことであると感じられた。
沖縄県内で歴史資料をもっているところは平和祈念資料館、公文書館、図書館であるが,失われた資料を補うという意味で,沖縄戦関係は,防衛庁での開示資料(防衛省防衛研究所戦史研究センター史料室)、外交史料館、国立公文書館アジア歴史資料センター(デジタルアーカイブ)のデータ,国会図書館あたりと関係をもっている。
従来の県史、市町村史は歴史学者が近世の庄屋文書などを解読して研究し,それにもとづいて研究者がトップダウン的に書いてきた。また地方史研究協議会がそうした研究者の横のつながりとなっていた。が,沖縄は少し違う。内地で歴史学を学んだ研究者が沖縄に帰ってきてそうした市町村史の編集者を務め,その後大学に転出するという循環があった。前に見た浦添市立図書館長高良倉吉氏もそういう人で館長職の後、琉球大学教授に着任している。その際に編集も継続しているのが特徴だ。他に拠点として那覇市立博物館,宜野湾博物館、名護博物館、具志川市史は史書編纂が継続しているということだ。
県のミュージアムは那覇の副都心的な位置づけのおもろまちというところにある。ここは全体が博物館と美術館に分かれていて,入館料も別々に取る。威容を誇る構えだった。ここはその意味で沖縄的なものとモダニズムが融合した場で圧倒されてしまう。今回は博物館の方だけしかみていないが,なかで歴史だけでなく,考古学,民俗,自然史の部門がそれぞれで展示をしている総合博物館になっている。自己紹介のビデオがある。
ここでうかがったお話しでは,この博物館はもともとは占領初期に沖縄戦の遺品等を米軍が集めて展示施設をつくろうとしたところから始まっている。その後琉球政府の施設となり,復帰後沖縄県の施設になった。ここが教育委員会ではなく,知事部局の下にあることも一つの要因ではある。また,県内では市町村がそれぞれ博物館・資料館をもち,それらが市町村史の拠点になっている例も多いということで,博物館どおしの横の連携は強い。同様に,地方史協議会,図書館協議会があってそれぞれ横にはつながる傾向があるが,歴史を扱うからといってその枠を超えたつながりは学会等の個人的な付き合いしかないそうだ。
国の博物館行政は文化庁が一部京都に移ったことや博物館法改正で変質しつつある。それに合わせて,文化芸術基本法の考え方が入り,文化観光が前面に出やすくなった。もともと博物館には専門研究者としての学芸員が配置されることで,資料調査やキュレーションがしやすい側面はあったが,さらには博物館を教育,地域連携,文化経営などの面でも専門家を育成する方向が打ち出されている。沖縄県立博物館はその意味でも先行するものとなっている。ただし,その側面を強化する際に,沖縄のアイデンティティのような側面は他の機関(沖縄平和祈念資料館や図書館,公文書館)と調整されるのかもしれない。
博物館も確かに歴史だけでもなく多分野にまたがるので内部では逆に学芸員どおしのつながりもつくりにくところがあるのかもしれない。かつて,学芸員は県の教員異動のサイクルに入っていた時期があったが,それだと5年くらいで異動になる。学芸員は5年サイクルくらいで特別展を担当することになるが,これだと一つをやった頃に異動になり,そのノウハウが継承されないという問題があった。最近は教員が忙しくなり,そういう人事は少なくなったという話しである。
沖縄においては沖縄戦で貴重な資料が失われたこともあり,歴史資料に対する意識がきわめて高いが,公文書館と図書館,博物館,平和祈念資料館,文化財課史料編集班などとの機能分担の状況だが,2007年〜2013年に,沖縄で地域史協議会をつくり市町村史編集や公文書館 県立図書館 博物館が連絡会議をつくり、収集対象の調整や住み分けをしようとした。実際には資料ジャンルの強い弱いで自然に棲み分けができている。しかしながら、県史編さん業務について聞いてきたが、歴史資料の収集・保存・提供のような業務は指定管理でよいとしても、歴史書の編纂や執筆刊行は県の直轄業務としているところが、西洋的なアーカイブズよりも東洋的な史書重視の考え方が現れているように思われる。
沖縄の歴史編纂のもう一つの特徴として,字史(あざし)の存在がある。字は集落の単位であるが,戦後の1970年代以降,これを書こうという動きが活発になった。字史が重要なのは字が沖縄人のアイデンティティを構成する重要な要素となっているからである。これは墓を守っている長男や関係の教員や公務員をやっていた人などが担い手となって書かれているという。それだけ,沖縄は現在に至るまで家族や同族に対する意識が強く残っている。県立図書館でやっている移民のルーツ調査もそれがあるからだ。移民も3世,4世の時代になって日本語ができない人が大半になってもその意識が残っているからルーツを探る人たちからの問い合わせが継続しているということである。
このように復帰後ボトムアップ的な歴史編纂が行われているのは,沖縄戦で身近な人が多くなくなったり被害にあったりしていて,その体験や記憶をしっかりと歴史として残しておきたいという考え方があるからだ。沖縄特有のアーカイブとは,もともと家や字を単位とした同族意識が強かったところに,戦争で多くの人がなくなり,また家に伝えられていた資料も失われたことに対する危機感がもたらした部分が大きい。図書館や公文書館はそうした空白を埋めるための機関であり,今でも利用者は多い。実際に,公文書館を訪ねたときに,父親が南方で亡くなったのでそのことについて調査したいという人の話しが聞こえていた。
沖縄の関係者のからの話しで,沖縄の公共施設が沖縄らしさを前面に出した仕掛けをすることが多いは,国の補助金や交付金などが豊富に使われることがあるという。長い占領期間や現在でも基地が本島面積の4分の1を占めることに対する「迷惑料」的な措置として「沖縄振興一括交付金」があり,沖縄らしさを強調することが交付の重要な要素となっているようだ。そういえば,電源交付金と呼ばれた原発設置に対する国から設置自治体への財政措置も類似の性格をもっていた。さらに言えば,東日本大震災後の国の復興計画の筆頭に復興のためのアーカイブを整備することが含まれ,それに基づいて被害があった地域に国の助成金で災害伝承施設が多数建設されているのにも同様の政策の存在がうかがわれる。
歴史を書く態度として,資料を身近なところに蓄積し,歴史を自らの手で書いていくという考え方が一方にあり,他方で,修史事業のために資料収集や編集を行い歴史を書くという考え方があった。前者は西洋思想に基づき,後者は中国的な歴史観に基づくといってよい。日本の歴史思想は両者が入り交じったものであり,沖縄の場合も,琉球王朝以来の伝統と近代歴史学が導入されてからのものがある。両者の関係を意識しつつ地域アーカイブの特性を明らかにすることは,今後の課題である。
<謝辞>
今回,訪問した機関の皆様および直接お話しをうかがった皆様の話しを総合してここに記述した。訪問するにあたっては私の方で一定の仮説にあたる考え方をもっていたが,見学したり,お話しをうかがうことによって修正したり深化させたりといったことが可能になった。ここにお名前を挙げさせていただき,謝意を示したい。沖縄国際大学の山口真也さんには一部の人々への橋渡しをしていただいた。
麻生清香, 天久美鈴, 岩下喜博, 大城健,大城直也, 小野まさ子, 川満ひろみ,新城恵理, 津覇美那子, 遠山亨史, 西山絵里子, 納冨香織,野里純, 原裕昭, 前田勇樹, 望月道浩, 山口真也(以上,敬称略)
沖縄には何度も来ている。前回は琉球大学で学会があった2018年秋に訪問した。そのときは,学会の日程に合わせて研究仲間と数日前に来て,沖縄国際大学の山口真也さんとその学生さんお二人の車2台に分乗して,学校図書館と公共図書館を中心とした訪問をさせていただいた。車で名護まで北上して2校の学校図書館を見学し,そこから恩納村文化情報センターや沖縄市立図書館,那覇市立那覇中学校までを一気に廻るという強行軍だった。本来,沖縄のヴァナキュラーな風土と図書館はあまり組合せがよくないはずなのに,図書館員がいろんな場で活躍し,沖縄から図書館研究者が多く育っている理由がおぼろげながら掴めた気がした。
このとき,沖縄の学校図書館がしっかりした人的配置を伴ってサービスを展開していることは把握できた。それがあったので,その後,『図書館教育論ー学校図書館の苦闘と可能性の歴史』(東京大学出版会, 2024)を書いたときに,沖縄の学校図書館が本土のそれとどう違うのかに触れることができた(p.233-237)。
しかし,地域アーカイブという観点からすると,このときちょうど沖縄県立図書館の移転の時期であり,ここが沖縄の図書館の本拠地であるにもかかわらずその入り口までは行けても中に入れなかったことが悔やまれた。というのは,2008年にNDLの地域資料調査の一環で現地調査を行ったとき,沖縄の県立図書館他の図書館,公文書館を訪ねて報告書を書いたなかに次のように書いた。その後,新設移転した館がどうなったのか気になっていた。(https://current.ndl.go.jp/wp-content/uploads/mig/report/no9/lis_rr_09_rev1.pdf)
[沖縄県立図書館] 1910年の創設時に沖縄学の先駆者伊波普猶が館長を務めたことで知られる。当然、地域資料の蓄積は相当あったはずだが、沖縄戦ですべて失われて、戦後の再出発を余儀なくされている。現在の建物は1983年に建てられた際に、1階は通常の開架スペースで、2階は郷土資料とした。このような構造の図書館は少なくないが、建築構造上2階の隅に追いやられているところが多い。ここは、1階ほどの広さはないにせよ2階を全部郷土資料のためのスペースとしたことで、むしろ積極的に沖縄のアイデンティティを表現する場を確保したというように見える。(p.105)
アイデンティティと書いたが,これはナショナリズムと言った方がよいかもしれない。2015年にヨーロッパに数ヶ月間滞在する機会があり,英国(ブリテン島)を車で一周した。英国といっている国はブリテン島にあるイングランド,スコットランド,ウェールズと北アイルランドを合わせた連合国家である。これらはナショナリティという意味では,サッカーやラグビーで別の国として扱われていることからも分かる。イギリスというとイングランドしか思い浮かべないことも多いが,ケルト系民族が中心のスコットランドとウェールズがあり,そこにもナショナルライブラリーがある。
このときに訪ねたヨーロッパの図書館については『場所としての図書館,空間としての図書館』(学文社, 2015)に書いている。とくに印象に残っているのは,ウェールズ国立図書館(Wales National Library)である。これはアベリストウィスという人口12,000人の大学都市にある図書館であるが,堂々たる新古典様式の建築だった。ウェールズ最大の図書館で、650万冊以上の書籍と定期刊行物を所蔵し、ウェールズ最大のアーカイブ、肖像画、地図、写真のコレクションを誇る。また、ウェールズ関係写本のナショナルコレクション、ウェールズ国立映像・音声アーカイブ、ウェールズで最も包括的な肖像画と地図コレクションも収蔵している。隣のアベリストウィス大学の図書館を兼ねることで建てられたらしいが,ウェールズやケルト系民族関係の資料を網羅的に集め展示,提供しているところが最大の見せ場だった。現在の国家の枠組みと別の論理で,ネーションの歴史・文化の伝統を守ることための機関であることがよく分かった。このことは当然,沖縄にも当てはまるから,新設された県立図書館がどのようなものなのかについて,なみなみならぬ関心をもっていたわけである。
今年の6月上旬にたっぷりと時間をとって,沖縄の地域アーカイブ事情について体感しようと再度来訪した。ここでは,まず公立図書館について書き,その後で公文書館,博物館,歴史編纂について書く予定である。最初に書いておくべきことは,沖縄の地域アーカイブは予想していた以上に堅固であり,また,多様な議論がある領域だった。そのことは次の報告で述べるが,図書館は図書館でそのタフな地域アーカイブの一翼を担っていることは確かであった。
朝9時に,沖縄県立図書館に入る。空港と那覇市やその近郊をつなぐモノレールの駅の側で,那覇市のバスターミナルビルの上の3階から5階を使用した大きな図書館である。
階下はターミナルやオフィスがあるので雰囲気が異なるが,3階まで上がると文化施設らしい落ち着いたデザインとなる。この後は写真撮影のための許可を得て,内部を撮影した。
3階のロビーから入ったところ
フロアの平面図(https://www.library.pref.okinawa.jp/guide/cat11/index.html)
図書館の総床面積は11,510㎡でそのうち3階がエントランス,資料展示スペース,児童資料など,4階がレファレンスやビジネス資料も含めた一般資料,5階が沖縄資料のスペースである。上記の図では5階の一部しか示されていないが,ほぼ4階と同じ面積があり,見えていないスペースは事務室と閉架書庫である。後で書庫にも案内していただいたが,かなりのスペースをとって将来的な資料の蓄積に備えようとしている。
エントランスから入って3階,4階,5階と上がっていった。まず感じたのは,ゆったりとした空間だが,書架周りはけっこう密度が高く様々な仕掛けが施されているということだ。一つは,テーマ展示である。書架の一部にテーマを掲げてそこに特化した資料を平らに並べたり,解説をつけたりするものである。新館に移ってからまだ数年なので,書架に余裕があるから可能なのだろうが,最初から展示スペースがかなり用意されてもいた。「空飛ぶ図書館」(飛行機で離島に資料を運ぶことを言っているようだ),沖縄県の21世紀ビジョン計画,教科書センター,6/4で虫の日の展示(ディーンズ展示コーナー)など。NIE,沖縄JICAとか放送大学,東アジア出版人会議など関連機関との連携展示コーナーもあった。
沖縄21世紀ビジョン基本計画関連の資料展示(3階)
チラシやリーフレットを配るだけでなく,このように大きく見せるのは効果がある。4階のレファレンス展示とか「資料の探しかた」の展示もいい。6月は沖縄戦があった月なので5階ではその方面の展示も充実していた。4階は全体が開架スペースでビジネス資料が別置となっている他は全体がNDCで並んでいる。
データベースコーナー(4階)
レファレンス展示(4階)
ただし,この図書館の資料費は3000万円程度で県立図書館としては必ずしも多くない。その意味は幾様にも考えられるし,この図書館の本質を示していることについては最後に触れたい。少ない資料費をそれをさまざまな工夫で埋めているように思える。むしろ,資料が書庫に入ったり,開架でも大量の本が詰まって全体像が見えない集積になっていると,利用者にとって使えているのかどうかという疑問にもつながる。むしろ,この図書館のように,所蔵資料をさまざまにアレンジして見せることによって,利用者にとっての未知の資料の発見や図書館資料の多様性の表現が可能になるのではないかとも考えられる。これは博物館の手法に近いキュレーションである。
午後に郷土資料の担当者の方と面談していくつかのことをうかがった。先ほど述べたように,全体の資料費が2000万円ほどで,その1割〜1.5割の年間2〜300万円ほどが沖縄資料の購入費である。その際に,沖縄資料の購入としては郷土資料を最優先にして購入し,残りを他の資料購入に充てているということだった。郷土資料の収集にとくに専門の部門があるわけでなくて,資料・情報班が収集,蔵書管理を行い,調査・サービス班がレファレンスや展示などに対応している。沖縄資料は3部収集し,1部は開架用,1部は貸出用,1部は保存用ということだ。県庁資料については県庁内の行政資料センターが受け取った分のうち3部を図書館が受け取ることになっている。デジタル化された資料についてはとくにプリントするようなことも,デジタルのまま収集するということも実施していない。市町村発行の資料もとくに基準を設けて収集しているわけではなくて,送付してくれるものを受け入れているだけだという。(他日,県庁の行政情報センターに立ち寄った。閉館10分前だったが,責任者がいたので概要の話を聞いた。大雑把には情報公開窓口と行政資料の公開を担っている。行政資料は13部を提出してもらい,うち,図書館に3部とか公文書館に2部とか決まっていた。センターの資料保存は5年とか10年と決まっていて終わると廃棄処分になるという。また,行政資料は公文書ではあるが,扱いは他のものとは異なっている。さらには会議資料なども扱いは別の規則がって運用されているということだった。)
最後に県立図書館の保存用書庫を見せてもらった。基本的には開架にでているから書庫は保存用のものと雑誌のバックナンバー,そして貴重資料に限られるようだ。保存用書庫は特別な気体による消火設備になっていて,ここだけは間違いなく保存できるようにする工夫がある。全体として感じられたのは,郷土資料の収集保存提供についてはとくに地域アーカイブとして特別なことをしているというよりは,アーカイブを創っていくことが自然に追求されているということである。
浦添市立図書館があるのは,文化施設が集まっているゾーンで,中央の広場の周りに文化会館,美術館,図書館が配置されている。それらはモダンなものであるが,同一のレンガ色が施され,たおやかな沖縄建築様式を取り入れていて安心感がある。だが,それらのなかでは図書館が一番くすんでいるように見えたのは,ここが一番使われる施設だからか。これらは,1980年代に構想されたときの市長の考え方で進められたそうだ。当時,図書館には博物館的な機能も求められており,今の郷土資料室(沖縄学研究室)の側面には展示用のガラスケースが置かれているが,今は使われておらず敷居で隠されていた。このあたりも,時間の経過とともに役割が少しずつ変化したことを意味している。
沖縄学研究室(図書館HPより)
1980年代末に,沖縄史研究者高良倉吉氏が市史編さんの責任者からここの館長になったときに市史編さんで集めた資料の保存,提供,研究の場として沖縄学研究室ができた。1980年代の県立図書館と同じで,どちらかというと文書館的な性格を強めることになった。ここでは研究紀要(『浦添市立図書館紀要』第1号~15号 1989年12月~2004年3月,その後『浦添市文化部紀要 よのつぢ』第1号~12号 2005年3月~2016年3月に継承)を出して,浦添市史編纂の拠点になっていた。史料の悉皆的な収集をベースにして市史を編纂する方法は「浦添方式」とも呼ばれており,一時期は6人の正規職がいたこともあったという話しだが,現在は調査レファレンス担当の司書がいて,会計年度任用職員として司書資格をもたない2名が専門職員として勤務している。彼らの言によれば,歴史資料整備にまでは現在はなかなか手が回らず,入ってくる資料の整理,レファレンスで手一杯ということだった。資料を見せていただいたが,確かに市史編さんで集まってきた多様な資料,文書資料,他館所蔵資料のコピー,写真,絵図,雑誌,新聞などが蓄積されている。しかしながら,沖縄歴史研究協議会に参加しているが研究的な仕事はなかなかできないということのようだ。
全体としては,こうしたアーカイブ的な仕掛けが40年の歴史の最初の15年くらいは強くあったが,その後は徐々に縮退の方向付けになっていったようだ。これは,初期の理念に基づく歴史資料収集と市史編纂については一応の成果が得られたことが大きいし,首長が変わればこういうものの評価も変わってくることなどによる。全体としては財政が厳しくなっているだけでなく,行政評価が求められるようになり,郷土資料は数値評価にかかりにくいものであり,かつてのような予算がつきにくくなっていることが背景にある。
現在の県立図書館の前身である戦前の沖縄県立図書館の初代館長伊波普猷は,沖縄学の父と呼ばれる人である。その後も二代目館長真境名安興以降五代目館長までの館長はいずれも郷土資料の収集に熱心だった。この場合の郷土資料は古文書や古記録等の一次史料を含んだアーカイブズであった。これは,戦前に沖縄には学術機関がなくて図書館が歴史研究の拠点とされたからである。その目録として,『郷土史料目録』第一版(大正13年),第二版(昭和4年)が作成された。第三版の編集も進んでいたが出されずに終わったが,その草稿が発見され,それらを合わせた目録が法政大学沖縄文化研究所から1982年に刊行された。現在は,NDLデジタルコレクションで見ることができる。所長の外間守善による序文でそのあたりの経緯が分かる。(以上,富島壮英「沖繩県立図書館の沿革と現況 : 郷土資料を中心に」『参考書誌研究』(17), 1979, 国立国会図書館. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3051062 (参照 2025-05-14)等を参照)
しかしながら,蓄積された琉球・沖縄資料は3万冊に及んだとされるが,アジア太平洋戦争では一部が疎開されただけで,ほとんどが沖縄戦で焼失している。これは大きな損失であり,戦後の沖縄の課題の一つは失われた歴史(資料)をどのようにして復興させるかだった。本土復帰の1972年以降,沖縄県が手掛けた重要な事業として沖縄県史の編纂があった。これは現在に到るまで継続されている。一般的に県史や市町村史編纂は,記念出版のような形式をとり,編纂室も臨時的に設置されるところが多いが,沖縄の県史は県の組織としてに専任のスタッフが配置あるされることで継続的な編集体制をとっている。同様の組織は市町村史にも少なくない。県史編集室は,復帰前の1967年に琉球政府立沖縄史料編集所が創設され、復帰とともに沖縄県沖縄史料編集所と改称される。1986年には行政改革により県立図書館に併合され、沖縄県立図書館史料編集室と改組された。その後1995年に沖縄県公文書館の設置に伴い移転するまで,10年ほどは県立図書館に県史編集室が置かれていたのは戦前の伝統を継承したものであり,その後歴史家だった大田昌秀知事が公文書館設置を進めたので県史編纂は図書館からそちらに移った。(県史編纂や公文書館運営については別に述べることにしたい。)
戦前の沖縄県立図書館は焼失してしまったが,その蔵書目録は残されている。それで訪問時に県立図書館内部で蔵書目録掲載資料のどこまでが再現(再取得)できているのか調べたりはしていないかとうかがってみたが,そういう歴史的観点を強く反映した運営ではないようだった。博物館から人事異動で学芸員資格をもった職員が来ているという話しも聞いたが,博物館,公文書館,史料編集班との関係も必要があればやりとりするが,最初から何かの協議をするような関係にはなっていないということだった。
今回,県立図書館と浦添市立図書館を訪問してみて,郷土資料の収集保存提供の意識が強くあることは伺えた。それはこれらの図書館全体から伝わってきた。県立図書館は,戦前に沖縄資料の唯一と言っても良い拠点であり,それが沖縄戦で失われたあともしばらくの間は歴史資料収集と歴史編修の拠点であった。2018年に現在の地に移転したときの設計構想には,それを継承しようとする意欲がみなぎっていることが感じ取れる。その後の図書館活動はそれを想起させ,実際に資料を手に取って利用するのにふさわしい場として機能している。浦添市立図書館の沖縄学研究室も,基礎自治体レベルの郷土資料サービスの可能性を最大限に示す試みであったことは十分に伝わるものだった。だが,両館とも,歴史研究という課題に対してはすでに直接関わるものではなくなっている。
今回,最初の方に書いたウェールズのナショナルライブラリーと同様の位置づけがあるのではないかとの期待をもって訪問したわけだが,同様の意図を感じた。県立図書館の設計思想は3,4階はヤマトンチュ資料,5階はウチナンチュ資料を扱うとしているのは,やはり沖縄のアイデンティティ(敢えて言えばナショナリズム)を強調している。資料担当職員はヤマト(内地)も沖縄も区別せずにローテンションを組んで仕事に当たっているということだった。ただ,歴史研究の場との考え方を前面に出していないのは,おそらくは,戦前の県立図書館が守ってきた歴史資料が失われ,県史編集室や公文書館がそれぞれ独立した機関として活動しているなかで,図書館機能のみとなったものの必然的な結果なのだろう。
アーカイブ機関はそれが唯一無二の「原資料=アーカイブズ」を守る姿勢にあるとき決定的な役割を果たすのかもしれない。それは,かつて当ブログ「三つの私設図書館と「舌なめずりする図書館員」」で書いたように,創始者の設置運営の意思をどれだけ活かそうとするのかということでもある。だが,現在の図書館は歴史というよりも,設置者のアーカイブ思想を継承しつつさまざまなキュレーションを行う場になっているように思われる。
昨年出した『図書館教育論』に対して,2025年度の(公社)全国学校図書館協議会主催の学校図書館賞(論文の部)が授与され,8月8日に授与式と受賞記念の発表会がありました。そのとき作成したスライドを少し編集し,ノートをつけて下記に公表します。
末尾のスライドは,2025年10月25日(土)午後にオンラインでおこなったシンポジウム 「生成AI時代の図書館情報学」 で使用したものである。他の登壇者のものを含めた議論の動画やスライドファイル,質疑応答の概要は 知識組織論研究会のページ で公開されているので,ここでは私が何を主...