昨年出した『図書館教育論』に対して,2025年度の(公社)全国学校図書館協議会主催の学校図書館賞(論文の部)が授与され,8月8日に授与式と受賞記念の発表会がありました。そのとき作成したスライドを少し編集し,ノートをつけて下記に公表します。
2025-08-10
2025-07-30
『知識組織論とはなにか』の訳者解説
すでに出版社のHPやAmazonにも『知識組織論とはなにか』の「訳者解説」が掲載されているので,こちらにも転載しておきたい。
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b10143699.html#support
https://oda-senin.blogspot.com/2025/05/blog-post.html
https://oda-senin.blogspot.com/2025/06/birger-hjrland.html
訳者解説
本書は20世紀末に出た幻の図書館情報学理論書である。ここで本書を発見し訳出した経緯については省略するが,翻訳書として刊行できたことについて,勁草書房の編集,営業の担当の方々の英断あってのことで感謝の言葉を伝えたい。
さて,本訳書のメインタイトルを『知識組織論とはなにか』としたのは,これから解説するように本書が,(広義の)情報学,心理学,哲学,社会学,科学論などの領域にまたがる知識論のなかで,知識組織論という独自の立ち位置を示す意義を検討したものであるからである。また,サブタイトルの『図書館情報学の展開』は,本書が図書館情報学の系譜から新たな段階を示唆する内容をもつことを表現した。
原著タイトルを訳せば,『情報探索と主題表象:情報学への活動理論的アプローチ』となる。これは,20世紀末に英語圏の(図書館)情報学関係者に向けた著書として刊行されたときの著者の意図からつけられたものだが,それから30年近い月日が経った現在,図書館情報学分野の翻訳書として出版する際の意義は少し変わってくる。この間の国際的な図書館情報学の展開と著者のその後の研究活動を対比的に見ながら,本書を今,翻訳紹介する意義について述べておこう。
最初に,著者ビアウア・ヤアランについて紹介する。著者自身が日本語版のための序文を用意してくれ,そこに簡単な経歴と本書を執筆するまでの背景について述べられている。ヤアランは1947年生まれで,コペンハーゲン大学および同大学院で心理学を修めた。同時に王立図書館学校を修了し,同校教員および王立図書館の研究司書として勤めた期間を経て,本書刊行の1997年頃は王立図書館学校人文社会科学情報研究部門(その後,知識組織論部門に名前を変更)に所属していた。王立図書館学校は司書養成の伝統校であったが,1998年に大学と同格の高等教育機関の地位を獲得し,2013年にコペンハーゲン大学と合併し,現在は他の専門と統合されて同大学人文系コミュニケーション部門となっている。現在,ヤアランはその名誉教授である。日本語版序文にあるように,心理学を母体とした図書館情報学への関心は当初からのものであるが,同時に,総合的な人文社会科学にこれを位置付けようという関心はこのような所属組織の変遷を背景にしているのだろう。
次に本書の意義について述べておこう。本書は出たときにすでに20世紀図書館情報学の古典としての位置づけを獲得すべきものだったと評者は考えるが,それは残念ながら果たされなかったように見える。本書は出版後すぐに多数の書評が出るなどこの領域の理論書として注目されたが,いくつかの理由でその後,表面的には忘れ去られたように思われるからである。
その理由の一つに,英語圏が中心となっている図書館情報学の学術領域のなかで,それまでデンマーク語で多くの著作を発表していた著者は,マイノリティとされたのかもしれない。しかし,それ以上に,本書が当時図書館情報学の主流だった情報検索論や計量情報学,情報行動論を,その根底的な認識論や方法論のレベルで批判したことが重要である(例えば,p. 64の注5で展開されている従来の分類論に対する科学哲学的批判や,p. 140-142で展開される実証主義的利用者研究に対する批判を参照されたい。)。また,本書が刊行された頃からインターネットが社会的なインフラとなる動きが明確になり,本格的なグローバルデジタルネット社会への移行が始まったことで,この分野の主たる関心はそうした技術的な展開に注がれたこともある。
だが,著者は本書出版後,活躍の場を国際的な学会に求め,自らの理論を展開し,この分野の国際的有力誌に英語論文を発表する方針に転換した。つまり,技術的インフラの変化を検討するよりも,その根底にある原理を究める方向を選んだわけである。
図書館情報学とは,ドキュメントを組織化して求める人に提示するための一連の仕組みおよび過程の分析のことであるが,ドキュメントが知を媒介することに焦点を当てることで,これは知識の理論と密接な関連をもつ。著者は原著のサブタイトルにあるように,本書を情報学に対する新しい理論的貢献としている。ただし,本文中では図書館情報学の用語もほぼ同じ意味で用いている。英語圏の図書館情報学では,図書館学→図書館情報学→情報学という名称の変化があるとされているが,日本では情報学という表現は限定されたところでしか使われていない。そのため,デビッド・ボーデン,ジェーン・ロビンソン『図書館情報学概論』(塩崎亮訳,田村俊作監訳 第2版2024,勁草書房)の原著タイトルがIntroduction to Information Scienceでありながら,この邦訳タイトルを選ばざるをえなかった。本書の著者ヤアランもまだ情報学の理論的基盤が弱いと感じており,これを同時代のアカデミズムの水準に照らして徹底的に論じて見せようとした。訳者が本書を取り上げたのは,著者の試みが,他に例がない厳密な理論的展開を行っていて,生成AIの時代の情報学を考えるのに大いに貢献すると考えたからである。英語圏での著者のその後の活動を読み解く上でもこの本が基礎にあることは明らかであり,訳出する価値がある。
ここで,本書の論旨について簡単にまとめておこう。第1章では序論の後,本書の構成と内容がきれいに整理されているので,まずここを読むべきである。その後は,2章以降4章までの「主題表象論」の部分と5章から7章までの「情報探索論」の部分とに分けられる。前半では,主題をドキュメントとその利用者との媒介過程ととらえて,ドキュメントの主題の解釈について,合理論,経験論の限界の指摘を経てプラグマティズム哲学にひとまずの足場を求める。後半では,利用者の情報探索について,それまでの図書館情報学が依拠していた方法論的個人主義を批判し,方法論的集合主義を採用して,それを科学コミュニティの発展につなげるための戦略を論じる。
従来の図書館情報学は,「主題」を分類や件名標目,データベースの索引語,図書の巻末索引などによってドキュメントとその利用者とを結びつけるための一連の操作概念と理解してきた。これに対して,著者は英語のsubjectの原義が物事の原材料の意であるギリシア語(本書のp. 123で触れられているように,アリストテレスのヒポケイメノン)に由来し,そこから派生したり,転用されたり,反転したりして,さまざまな意味として現れたとする。これは,日本語でsubjectを主体,主観,主語,主題と訳し分けることが必要になる理由でもあるし,sub-は「下に」を意味する接頭語なのに,日本語だと「主」が付く転倒が起こる理由でもある。著者は,原義に戻るべきことを主張し,ドキュメントの利用者の立場を重視して,知識利用に関わる認識論を検討した結果,利用者がドキュメントを材料として何らかの行動を行うときの目的や予想される結果を基準にし,これを主題と考えるべきだと述べる。だからドキュメントの主題はドキュメント自体に含まれるとも,書いた著者が決めるとも言えず,それを利用する人の目的やその効果を基準に考えるべきだと言う。このプラグマティズム的認識論に基づいた書籍分類の思考実験例が第4章の最後(p. 116以降)にあるので,それをご覧いただければ,著者の意図は理解できよう。
後半では,まず20世紀後半の図書館情報学の主たる関心が図書館や情報システムの利用者行動(情報行動)とその利用に対する計量情報学的評価にあったが,著者は,情報行動論についてはそこで採用される個人を単位とした心理主義(認知主義)の限界,そして計量情報学的方法についてはその実証主義的な方法の限界を指摘する。そこで新たに採用するのが,方法論的集合主義としてのジョン・デューイ=ヴィゴツキーによる活動理論である。プラグマティズムが個人の認識論をベースにするのに対して,活動理論は,集団における個人の関係を対象にした認識論とコミュニケーションをベースにするものであり,科学者コミュニティにおける情報探索を分析するのに使えるとしている。そして,従来から用いられる情報ニーズという概念については,利用者個人が所属するコミュニティのなかで認知的発達を遂げることで明確になるという点で動的なものであり,また,それがコミュニティ自体の知識発達に貢献するものとしている。
さきほど本書が20世紀図書館情報学の古典となるべき著作だったと書いた。本書のもつ意義を改めて指摘しておくと次のようになる。
まず図書館情報学に対して,心理学,認識論や科学論の哲学を中心にした学術的水準での理論的整理と批判を行ったことである。図書館情報学はそもそも図書館で働く職員養成のためのノウハウをカリキュラム化したものから出発したという点で,プロフェッションの学であった。プロフェッションの学は諸学からの知を取り入れるという点で学際的な性格をもつが,他方で,一旦制度的に確立されたプロフェッションは,知識や技術がマニュアル化すると同時に専門知に対する守勢の力が働き,新しい知の導入を妨げる傾向がある。20世紀前半までに確立された知識組織論の原則は目録規則や分類法としてマニュアル化されたのに対して,著者は再度,理論的な批判を行って知識組織論的方法を提案している。また,20世紀後半の図書館情報学主流派が採用した実証主義に対してその認識論的限界を指摘して,自身のプラグマティズムと活動理論に基づく対抗的な考え方を提示している。
ただし,著者の議論は全く単独で行われたのではなくて,20世紀の図書館情報学の理論家の議論を批判的に継承しようとしていることも指摘しておかなければならない。知識組織論については,ランガナータン,ラングリッジ,スワンソン,ヴィッカリー,パトリック・ウィルソン,バックランド,情報検索論についてはクレヴァードン,ハッチンズ,ソーゲル,ランカスター,情報行動論についてはテイラー,ベルキン,イングヴェルセン,クールソーといった人たちの業績について議論の前提として踏まえて,自らの論の展開を行っている。展開の際にミクサとフローマンを重要な導き手としている。以上の論者の主張とそれに対する著者の考え方については巻末索引を用いて確認していただきたい。ちなみに,巻末索引も重要な知識組織化のツールである。
では,彼の議論にどのような新規性があったのかについてであるが,すでに指摘したように,ドキュメント概念の有効性を確認した上で,それを探索(検索)し提示する行為の場を主題探索とし,これを認識論の展開との関係から整理したところにある。その際に,人が情報を求める行為について,ドキュメント中心の合理論や著者や利用者の行動に焦点を当てる経験論の見方よりも,プラグマティズムとそれを展開した活動理論の立場から,著者と利用者がつくるコミュニティの作用を動的にとらえた。原著タイトルにsubject representationとあったが,re-presentationはもともとラテン語から来ていて本来「再現前」と訳すべき概念で,ポストモダニズムや記号学のコンテキストでは「表象」と訳されるのが一般的であるのでそれにならった。本質的なものを再度別の方法で示すという意味をもつが,ヤアランはその方法としてプラグマティズムを選んだということができる。それは,情報学の使命を知的コミュニティに対する支援ととらえているからである。だから,パラダイム論との関係で,個人の知識発達と科学者コミュニティの知識発達とを密接に関わるものとすることで,同一知識ドメインに属する個人と社会とを架橋する科学コミュニケーション論への道を示唆している。
この議論に対して,本書の書評のなかには,ドキュメントとその著者,そしてそれを利用する人との関係に対するそのような見方は図書館情報学に従来からあったもので,ヤアランが言うほどの新規性はないという批判的なものもあった。しかしながら,著者はそれらを人文系アカデミズムで通用する理論として提示したところに価値があったと思われる。図書館情報学コミュニティは,そうした著者の意図を理解して自らの議論のなかに取り込むことができなかったのだろう。しかしながら,著者がジョン・デューイについて,忘れられた時期の後に再評価があったと書いているように,これはどの分野でも起こりうることではある。その分野に革命を起こすような業績の評価はこのようにして進行することについても著者は触れている。
著者は,本書執筆以降,現在にいたるまでJournal of Association for Information Science & Technology(JASIS&T),Journal of Documentation(J.Doc),Knowledge Organization(KO)といった学術誌上で,これまでの議論を批判的に整理しながら,本書の論点をさらに展開しようとしてきた。これらのなかで,最後のKOの発行元は国際知識組織論学会(International Society for Knowledge Organization: ISKO)である。この学会はもともと英国とドイツにあった分類に関する学会のメンバーの発意で,1989年にドイツ語のWissensorganisationの英訳としてのKOを標榜する国際学会になった。会員は図書館情報学の関係者が多いが,認識論,科学哲学や心理学等の分野の人たちも少なくない。そしてヤアランは同学会を主たる活動の場とし,学会が2016年からスタートさせた国際知識組織論事典(ISKO Encyclopedia of Knowledge Organization: IEKO)の編集長となった。これはオープン化されたオンライン専門事典であり,一つの項目が査読付きレビュー論文となっているもので,ヤアラン自身が30項目以上を執筆している。その多くは,本書で扱われた個々の概念をさらに展開する理論的な論考である。彼がIEKOを活動拠点にして,自らの理論を深め拡げるオープンな議論の場をつくろうとしていることについては,IEKOのHP(https://www.isko.org/cyclo/index.html)をご覧いただきたい。
本書で,著者は活動理論の情報学的展開としてドメイン分析という方法を提唱し,その具体的な展開に向けても議論をしている。彼は,IEKOの“Domain analysis”の項目でドメインを「社会的かつ理論的に,存在論的および認識論的コミットメントを共有する人々のグループの知識として定義される知識体系」とし,その際に,哲学者,歴史学者,社会学者は特定のドメイン(たとえば医療)を対象に研究するが,その目的や関心,対象,方法は異なるとする。それに対して情報専門家はドメインに対して理論的アプローチをするが,方法や対象はドメイン内の成員による特有のコミュニケーション行動や情報の共有の仕方などに着目して,それを対象化し,分析し,効果的なツールの作成や介入を行うとしている。彼は,協力者による美術史領域のドメイン分析の結果から,この領域でのパラダイムに対応したKO的な展開を考えるには,美術展に着目することが重要であることを指摘している。このように個々のドメイン内の専門的な主題知識を合わせることで,これまでの汎用的な組織化の手法で対応できないような問題を扱うことができるという。逆に,ドメイン内の人々も当該領域の哲学,社会学,歴史学的研究が自らの活動に貢献するのと同様に,KOの知識をもつことで活動が活性化するはずだと述べる。
最後に,著者の議論が現代のネット利用を前提とした社会においてどのような意味をもつのかについて述べておこう。軍事技術だったインターネットが民生化され,Windows95が出た1995年がネット元年とすれば,本書はその2年後に出た。著者も本書ですでに変化が生じていることに触れている。たとえば複数館の図書館蔵書を横断検索できる総合目録や,書誌データ以外の記述的要素(抄録,目次など)や画像(書影等)を含む検索システム,ドキュメントの全文検索,ドキュメント間のハイパーリンク,そして引用索引データベースなどである。
それから30年の時が過ぎて,ネットでサーチエンジンを使うことはふつうのこととなり,図書館も蔵書やデータベース,電子ジャーナルなどの情報を1つの検索画面で検索できるようにするディスカバリーサービスの導入が進んでいる。さらにそこに生成AIの仕組みが加わることによって,デジタルネットワークそのものが知識組織化の前提となる日がきている。利用者は居ながらにして,主題にアプローチするための近似的方法として,これらを常用する現実が出現している。
今のところ,生成AIにさまざまな弱点があることが指摘されている。基本的な仕組みは,大規模テキストから取り出したトークンやその集合体の相互関係をベクトル空間で表象し,その関係を数値計算によって学習させることで言語表象を可能にするものだが,用いられる言語ベースの規模の大きさと多段階の深層学習というプロセスが加わることで,「意味」を表象するとされる。それは,従来の情報検索システムが語と語とのマッチングによってクエリとの関連を見ていたのに対して,各段に人間の学習に近いものが実現されているとされる。しかしながら幻覚(ハルシネーション),フェイク,知的財産権に関わる問題,プライバシー侵害,サイバーセキュリティ,透明性の欠如,環境コスト,推論に弱いなどの問題点が指摘されている。また,すでにあるテキストやドキュメントの蓄積から学習したものであるという意味で,いかに自然言語に近い表現でそれらしい回答を出しても,それは過去の知の再現ないし寄せ集めでしかない。
ただし,これはまだ発展途上の技術であり,今後技術的な進展と利用者側の情報リテラシーの向上によってそうした問題点を一定程度克服することができる可能性は高い。とすれば,情報探索が過去の知を求めることだとしても,生成AIの適用でかなりのものが解決できることが予想される。プラグマティズムの立場を取る著者にしても,これを否定する理由は存在しないだろう。
ここで,著者がプラグマティズムに基づいて,主題は事後的にしか決まらないと言っていたことを思い出そう(第4章)。また,活動理論に基づき,一定のコミュニティ(ドメイン)においては,情報利用者の知的発達とコミュニティ自体の知識の展開は対応して相互に向上すると言っていたことを思い出そう(第7章)。これらが意味するのは,ドキュメント利用による知識コミュニケーションの支援という情報専門職の活動は能動的媒介行為であり,それがあって始めて知的創造が可能になるということである。それはサーチエンジンや生成AIから受動的に得た擬似的な知識では得られない点である。本書で著者は,知識組織論における個人の認識論とコミュニティの認識論の相互関係に焦点を当てることで,AI的な知の限界を言い当てるとともに,さらにそれを補うことの意義を明確にすることでしか真の知は得られないことを主張している。
本書はかつて非主流的な図書館情報学理論書と見なされたかもしれないが,著者による情報学と認識論,心理学,科学哲学,科学社会学を架橋する試みは,生成AIに隠されがちな知を獲得する人の営為およびその社会システムについての知識哲学として重要な成果を挙げたと考えられる。IEKOを拠点にして著者を中心に進められている知識組織論の理論的言説の蓄積は,新たな情報環境においても有効となるはずで,本書はそれを理解するためのもっとも基本的な書物である。
2025-07-27
索引を翻訳すること:『知識組織論とはなにか』の巻末索引
索引と知識組織論
知識組織論研究会(KORG_J)では組織化の方法として,分類,書誌,索引などを取り上げている。ここに目録がないのは,通常,図書館目録は所蔵している資料の書誌であり,個別項目を排列する原理として分類があり,項目を分析する手法として語(メタデータ)を付与する索引があると理解するからである。
書誌と分類と索引は相互に排他的な概念ではない。たとえば,ある図書館の目録データベースがあるとすると,対象とする資料単位ごとに書誌データがつくられるからこれは書誌である。また,物理的な資料が排列されるために何らかの分類記号をつけるから,そこには分類の概念が存在する。たとえ,自動書庫において資料が物理的な位置は移動単位のボックスとそのなかの相対的な位置として識別されるとしても,そのID記号が(動的にしか決められない場合でも)分類記号ということになる。そして,目録データベースの書誌データにおいて,何を検索語とするかについて編成原理と検索原理から成る索引のシステムが存在する。これは通常は目録規則と呼ばれるものであるが,索引システムに包含されるものである。
知識組織論ではこのように従来の資料組織の考え方を相対化して,より大きな枠組みの下で考察しようとする。多くの人はすでにネット上のサーチエンジン,データベース,生成AIなどのツールをみずからの知識組織化のために使用しているからである。言うまでもないが,こうしたネット上のテクノロジーが現れる以前から,手作りの書誌や,新聞記事のクリッピングやその索引,パスファインダー,文献レビューなどがつくられていたし,百科事典や専門事典の編纂や専門領域のハンドブックや年鑑などで今でも行われている。これらは従来の図書館情報学では資料組織論やレファレンスサービス論のなかで検討されていたが,今では古くなった領域と見なされることも多い。後でも触れるが,日本索引家協会が20世紀末に解散したことはそれを象徴的に示している。
それは図書館情報学が医学や法学などの一部の領域を除いて知の専門領域に踏み込むことを忌避してきたことと関わる。多くの分野を対象にしたデータベースがつくらればそれで足りるという発想は知識組織論的に問題が多い。「神は細部に宿る」という箴言に倣えば「知は細部に宿る」というのが,ビアウア・ヤアランの思想である。そうしたgeneralismは今後の司書養成の本質と関わっている。それらは生成AIに駆逐されてしまうのではないかと。
巻末索引について
さて,ここでは書籍につけられた巻末索引がどのような索引システムであるのかについて考えてみたい。昔からよくある議論として,日本で出る専門書には巻末索引がついていないものが多いというのがある。以前よりも人文社会系の博士論文が出版される機会が増え,その意味で専門書が増えている状況があるなかで,索引がついている書籍は増えているという実感をもっている。だが,多くの思想書,専門書,大学の教科書には索引はついていない。ついていても人名索引,著者索引,作品(書名)索引しかついていない書籍は多い。これらは,固有名詞を抜き出せばよいから,比較的作成は容易である。問題は,事項索引と呼ばれる主題語の索引がつく例が多くないということである。
最近,経験したことを書いておこう。光文社という出版社は文芸書やコミックスなどの出版物も多いが,光文社古典文庫を出していたり,意外に硬派な専門書も出している。ここが2023年秋に『万物の黎明』と『索引〜の歴史』という2冊の翻訳書を出した。前者はグレーバーというたいへんおもしろい着眼点をもつ人類学者の遺稿で,西洋流の啓蒙主義的歴史観を根幹から批判したものとして世界的ベストセラーになった。後者はタイトル通りの地味な本だが,巻末に原著についていた索引を翻訳したものと,本文のテキストからAIが作成した索引と,日本で新たに作成した索引の3つがついていたのが面白かった(それについてはブログの2024-03-29を参照)。そのときに,『万物の黎明』に(原著には浩瀚な索引がついているのに)索引がついていないのはなぜかと編集部にメッセージを送った。あのように大部で,話題が太古から現在の古今東西の事例を検討するような類いの本は索引がなければ読めないと考えたからである。訳者はグレーバーの本の翻訳や紹介を積極的にしている人だから,索引についての見解もぜひ聞いてみたいと思った。だが,返事はなかった。
索引,とくに事項索引はつくるのが難しい。というよりも,これ自体が知識組織論の大きな問題である。目録とか新聞記事や雑誌記事の索引(抄録も含む)と巻末索引では何がどう違うのかといえば,まず,書誌や図書館目録,記事索引は対象がドキュメントという単位を明確にしているが,巻末索引は著作の部分を対象にするというだけで,部分の範囲は不確定で,その部分を広くとるか狭くとるか,部分をどのような言葉で表現するのかも一切は索引作成者に委ねられている。そして,事項索引を作成する作業自体が作成者がどのように対象ドキュメントを読み込み,それを解釈したのかを示すものである。そこが,全集や著作集の索引だと,特定個人の複数著作に対する索引であって,基本的には同じである。図書館目録や記事索引は対象がドキュメント単位であり,その対象の選定や処理方法が最初から標準化されているものとの違いである。書誌は編纂方針が作成者に委ねられているところは索引に近い。
巻末索引は多くの場合,担当編集者が作成するが,著者ないし訳者が作成する場合もある。いずれにしても,この作業は簡単ではないし,作成してもそれ自体が評価されることも多くないから省略されるのだろう。私はここに,日本人が書物に対して分析的に読むことを避ける考え方が表出していると思う。索引は書物を分析的あるいは批判的に読むときに必要なツールである。このことについては別の機会に書いてみたいが,今手元にある人文系の新刊翻訳書を何冊か取り出してみると,哲学書でもしっかりとした事項索引がついているものもあるが,原著にはあるのに訳書で省略しているもの少なくなかった。その必要性と作成のための労力やコストを比較して,つけなくともよいという判断が先に立つのだろう。
『知識組織論とはなにか』の索引
私が最近取り組んだビアウア・ヤアラン著『知識組織論とはなにかー図書館情報学の展開』という翻訳書で,索引にどのように取り組んだのかについて述べてみよう。この本は本ブログの他のところで何度か取り上げたのでここでは全体の内容について取り上げないが,ともかく先に述べた知識組織論の理論書である。知識組織論に索引の理論が含まれることは先に述べたとおりである。そして彼自身が自分で索引を作成しているから,この索引は彼の理論の応用例ということになる。また,それを翻訳という過程を経て他言語に置き換えたことで,この索引作成は彼の理論とその応用を日本の読者に向けてどのように表現するのかを問われるものとなる。本索引は,原著の索引を基にして,日本の読者に合わせて変更を加えたものである。原著には650項目ほどが掲載されているが,本訳書では370項目に絞ってある。副見出しがついている重要項目は,基本的に原著者がつけたものに若干の追加(「ヤアラン」項目の副見出しを含む)をした。本書で展開される主題理論の実践例として利用することができる。
まず,原著の2段組で10ページ分650項目の巻末索引というのは200ページ弱の書籍にしてはずいぶん多い。これは,著者が引用・参照した文献については原則的にすべて(例外はデンマーク語の文献の一部)著者名からの索引が取られているからである。参照文献だけでも19ページで400程度ある。通常は引用文献の著者名が索引の対象になることは多くはないが,著者は誰の論文を引用したのかが本書を読む際に重要な手がかりとなると考えているのだろう。ただ,翻訳でそれをすべて示す必要はないと考えてかなり絞った。
著者名とか図書館名や大学名などの固有名詞は全文検索で引っかかるので扱いやすいことは先に述べた。著者名については単に文献を参照しているだけでなく,当該著者が論じている内容が本文中に存在していることを基準にして絞り込むことができた。その場合に,著者名をカナ表記にするので,カナ表記のラストネームのみを索引語にした(フルネームは原綴りで示してある)。北欧の人のラストネームをカナ表記にすることに苦心したが,最近はそれを可能にするツールがネット上にいくつも存在するので何とかこなした。また,デンマーク人の名前の表記は『デンマーク語固有名詞 カナ表記小辞典』があって助けられた。(ただし,この辞典に合わせるのがいいのかどうかについて悩むところも少なくなかった。というのは,Hjørlandを「ヤアラン」とするのか「ヨーラン」とするのかは微妙なところなのだが,その違いでカナ表記だとかなりの位置の違いが生じてしまうからである。ヘボン式ローマ字のヘボンとオードリー・ヘップバーンのヘップバーンは同じHepburnだと言うと驚く人は多い。このことは原綴りの検索では問題にならないが,異文化間の「翻訳トランスレーション」問題がそこにある。)
ここで述べたいのは事項索引である。著者がその本でどのような用語を使って何を主張しているのか,使用する概念間の関係はどうなっているのか,同義語,類義語をどのように扱っているのか,といったあたりは最初に気をつけなければならないことである。さらに本書が哲学的な議論をしているところが多いので,概念をどのくらいの深さで論じているのかについても用語間の関係を理解する上で無視できない。なぜこれを強調するかというと,著者が索引を作成するときにそのあたりのことを意識しているからである。
原著の索引を基本的には「翻訳」する方針で作成した。これにより,著者の用語間の関係の理解を翻訳する際に行った作業とは別の文脈から再度行うことになる。言い換えると,テキストの直線的な流れの翻訳を行ったあとに索引を翻訳することは,著者が概念間の関係や議論の流れの関係を用語(索引語)で再度確認することである。これが逐語的な翻訳とはまた別の理解を要求する作業だった。具体的には,抽象的な用語を一語一語原著のページにもどって確認し,その対訳語で翻訳を検索する。固有名詞なら原ページにもどらなくともいいが,概念や哲学用語などの場合,どの語が対応しているのか分からない場合もあり,その対照作業はけっこうたいへんだった。これは1週間くらいかかりかなり疲弊した。
たとえば,サンプルページに「意味(meaning)」という索引語がある。この翻訳と原著を並べて表示すると次のようになる。
基本的に対応していることが分かるだろう。この作業を行うためには,まず原著と翻訳書ゲラのテキストファイルで「meaning」と「意味」を検索して,多数あるその用語のうち,ここに示されたページを見て,意味の対応関係がその通りになっていることを確認する必要がある。とくに複数ページにまたがる言葉の場合は最初と最後がどのページにあたるかを見極める必要がある。例にある副見出し「活動理論(in activity theory)」に対応するのは,原文ではp.80-81であるが,翻訳書ではp.99-101と3ページにまたがっている。
こうした作業を行うことで次のようなことが可能になった。
・ 用語の区別と統一 たとえば,information seekingとinformation searchはほぼ同義語として使用しているようだが,information retrievalは類義語ではあるがやはり機械検索を前提としているらしい。なので,前者は「情報探索」で統一し,後者は「情報検索」とする。
・ 用語構造の理解 用語を通じて著者の思想を理解するということで,たとえば,キーワードであるsubject representationは最初は「情報表現」としていた。しかしながら,expressionを使用することもあり,その違いがどこにあるのか最初は分からなかった。しかし区別しているらしいことに気づいたとき,representationは哲学や記号学で「再現前」あるいは「表象」とする用語であり,単なる(外に示すという意味での)表現ではなく,一度表現されたものが再度別の形で立ち現れるという意味であると理解した。それで最終的に「主題表象」という用語を使用した。
・著者の理解の深さを意識しながら用語を選ぶ これは,著者の主題についての考え方と密接な関係がある。先ほどの「主題表現」と「主題表象」もそうした例の一つであるが,これは,著者の思想に寄り添うか, 日本の読者を意識するかという問題でもある。日本の図書館情報学関係の読者を意識するだけなら,表現と表象の区別はそれほど大きな問題にならないだろう。しかしながら,これが一旦哲学や人文学一般の読者の存在を意識すると,それを区別した訳は必須となる。著者はプラグマティズムの立場から,主題は将来的な読者に向けて表象すべきことを主張する。とすると,本書が今の図書館情報学の読者だけでなく,将来的には人文学に通用するレベルで知識組織論を理解する手がかりとするものならば,ここではその区別をしなければならない。
このように索引の翻訳を理解し,それに基づいた作業をすることで,索引についての理解が深まった。たとえば,特定の重要語について,著者が強調したい部分のみの索引となっている。これは,本書では同じ概念が何度も何度も輻湊されて論じられるから繰り返しが多いが,著者はそういう場合にその文脈でもっとも強調したいところのみを索引項目としている。たとえば,「主題表象データ」という索引語は1カ所しか現れていない。この用語は第2章の標題にもあるように何度も使われているが,当該1カ所を見ればこの用語の内容,意義,著者の考えが示されているとということである。他にも,重要語の索引項目は多くはなかった。
場合によっては,当該用語が使われていなくとも,その概念にあてはまる記述があるときにはそのページを索引としている。たとえば,「能動的情報システム(proactive information systems)」は3カ所に索引参照がある。そのうち,「理想的には,情報システムは,利用者の情報ニーズに関して能動的に行動するべきであり」(p.188)とした部分と,「したがって,情報ニーズを経験的に研究する取り組みは,認識論的観点からの問題領域,および専門分野およびその下位分野と傾向の分析によって補完されるべきである。これが,情報システムがニーズに対応して能動的になれる唯一の方法である。」(p.211)の部分では,「能動的」の言葉が使われている。しかしながら,p.204には「能動的」という言葉は出てこない。おそらく索引者は次の部分を「能動的情報システム」としているのだろう。
情報ニーズの概念の最も中心的な部分は,上記のようにドキュメントの適合性基準に関わるが,それ以上のことも含まれる。情報ニーズの研究では,公式および非公式のコミュニケーション,科学会議,専門誌,図書館,データベースなど,情報源と情報チャネルの適合性がしばしば考慮される。私は,この概念の最も中心的な部分は情報に関する適合性基準であると主張するが,情報/ドキュメントへのアクセスを仲介するさまざまな情報チャネルに関する適合性基準も含めよう。情報ニーズの概念をこのように拡張することは望ましい。なぜなら,これは情報専門家にとって最も中心的なものの拡張になるからである。
まとめ
2025-06-29
ビアウア・ヤアラン(Birger Hjørland)の認識論と図書館情報学方法論:知識組織論の可能性
日本図書館情報学会春季研究集会( 5月31日,実践女子大学渋谷キャンパス)で発表したものの予稿集『2025年度日本図書館情報学会春季研究集会発表論文集』が公開されています。
根本彰「ビアウア・ヤアラン(Birger Hjørland)の認識論と図書館情報学方法論—知識組織論の可能性」『2025年度日本図書館情報学会春季研究集会発表論文集』2025年5月31日(土)実践女子大学渋谷キャンパス, 日本図書館情報学会。(ISSN:2188-5982)p.41-44.
https://jslis.jp/wp-content/uploads/2025/06/202505-spring-conference-papers.pdf
このときに使用したパワーポイントのファイルも公開しています。
https://drive.google.com/file/d/1M6hfpeCRWTQb9k2-FVEPUfx1ruM6wyUd/view?usp=drive_link
この発表ですが,ヤアランの研究の全体像をカバーしようとやや欲張って示したので,消化不良の聴衆の方もいっらしゃったかもしれません。用意したnoteを公開することにします。(小さければ拡大可能です。)
なお,彼の著書の原タイトルInformation Seeking and Subject Representation:をこの発表では『情報探索と主題表現』としていましたが,最終的に訳書ではrepresentationを表象とし『情報探索と主題表象』としました。representationは厳密には「再現前」と訳すこともある概念で,表象とすることで主題の現れ方の多面性を強調することにしたものです。
2025-05-06
ビアウア・ヤアランの『知識組織論とはなにか—図書館情報学の展開』日本語版への序文
日本の図書館情報学のための基礎理論を打ち立てることを研究課題と考えて,最近いくつかの活動をしてきた。それぞれについてはブログでも一部は報告している。
- 『図書館情報学事典』における第1部門「図書館情報学基礎論」の編集
- 『知の図書館情報学ードキュメント,アーカイブ,レファレンスの本質』の執筆と刊行
- 知識組織論研究会の組織化
- マーティン・フリッケ『人工知能とライブラリアンシップ』の翻訳とオープンデータ化
これらにはいずれも「知」ないし「知識」が含まれる。『図書館情報学事典』.の最初の項目は「データ・情報・知識」であった。図書館情報学の「図書館」とは,「知」ないし「知識」を含んだコンテンツを管理することで知識の組織化や管理を行っていることを暗黙の前提としていた。しかしながら,哲学の認識論はそうした「知」や「知識」のとらえ方を真っ向から批判するものである。万人に共通するような「知」や「知識」はありうるのかというのが認識論の基本的問いになる。
この問いに対して,真正面から答えようとしているのが知識組織論研究会で読んでいる「国際知識組織論事典」(IEKO)のいくつかの項目である。研究会の編集長を務めているデンマークのビアウア・ヤアラン(Birger Hjørland,)氏はこの事典の項目(といってもひとつひとつがレビュー論文の体裁をとっている)を30以上書いている。とくに,KOのもっとも基本的な項目は彼一人で書いているといってよい。この人については,英米経由で図書館情報学の知識が入ってきた日本ではほとんど知られていなかったが,デビッド・ボーデン,リン・ロビンソン著(塩崎亮訳,田村俊作監訳)『図書館情報学概論』勁草書房,初版(2019),第2版(2024)が刊行されて,このなかで1章を割いて,ヤアランのドメイン分析(domain analysis)が紹介されてから少し知られるようになった。私自身もヤアランについてはこの訳書を通じて初めて知った次第であり,IEKOを見ているうちに,この人がどういう研究者であるのかについて関心をもつようになった。
彼はデンマークの王立図書館情報学校(現在は,コペンハーゲン大学の教育研究組織の一部に位置付けられている)の教授を長らく務めてきた人であり,1997年に次に紹介する英語の単著を書いて,英語圏中心の図書館情報学世界にデビューした。この表現はご本人にとっては不本意かもしれないが,英語圏からはそう見えたのではないかということである。そして,その本を一読して,これは容易ならざる重要な業績であると感じた。翻訳版の解説で本書を「20世紀の図書館情報学の古典となるべき著作だった」と評したくらいである。ただし,過去完了形なのには意味がある。「古典」は出たときにすぐなるわけではないし,一定の時間が過ぎてその重要性が分かってくるものもある。本書もその類いだと思われる。彼がIEKOで執筆している論の原点は,基本的にこの本で展開されている理論をベースにそれをさらに拡張したものであることがすぐに理解できた。その本とは次のものである。本年初めのブログで簡単に言及している。
この本を日本で紹介しておくことが必要だと考えたので,すぐに翻訳作業に入り,また,出版社との交渉も行った。幸いなことにこの領域の専門書を多数手掛けているA出版社(いずれ公表します)が翻訳出版を引き受けてくれた。翻訳書はこの秋に出ることになっている。翻訳書名は『知識組織論とはなにか—図書館情報学の展開』とした。もともとの書名は『情報探索と主題表現—情報学への活動理論的アプローチ』と訳せるが,30年近くの期間を経て日本で出ることを考慮して決めた。
本書については,5月31日に実践女子大学で開催の日本図書館情報学会春季研究集会で概要について報告する予定である。
根本彰「ビアウア・ヤアラン(Birger Hjørland)の認識論と図書館情報学方法論:知識組織論の可能性」https://jslis.jp/wp-content/uploads/2025/05/202505-Spring-research-meeting-abstract-4.pdf
日本語訳を出版するにあたり,著者ヤアラン氏から「日本語版の序文」をいただいたので,冒頭に掲載することになっている。ここでは,著者および翻訳出版社の許可を得て,この序文の訳をここに掲載する。著者自ら,この本に取り組んだ経緯とそのなかで何に力を入れて執筆したのかについて述べている。
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日本語版の序文
私の本の日本語版の出版にあたり,この本のアイデアに影響を与え,そして情報学と知識組織論(Knowledge Organization: KO)における私の仕事に影響を与え続けている個人的な背景について述べておきたい。
私は若い頃から,本,図書館,書誌に興味があった。司書になろうとしたが,高等教育を選んだ当時(1966 年頃),コペンハーゲンの図書館学校では公共図書館の司書しか養成しておらず,研究図書館の司書になるには何らかの専門課程の学位が必要だった。私の関心の先は研究図書館にあったため,心理学を勉強することにした。心理学は,私にとって科学的問題と哲学的問題が一緒にある魅力的なものだった。とはいえ,私は学術的分野に入ったときから,研究司書になることを目指すことに変わりはなかった。
大学での勉強が終わる頃,私はデンマーク国立教育図書館で「ドキュメンタリスト」(今日では「情報専門家」と呼ばれている)の任期付きの職を得て,デンマークの研究コミュニティに新しい電子データベースPsycINFO[心理学データベース]とERIC[教育学データベース]を導入するスカンジナビア全体の実験プロジェクトに参加した。その後,1973 年にコペンハーゲンの王立図書館学校で准教授の職を得て,レファレンス業務とドキュメンテーション,専門書目録,および関連科目を教えた。当時,王立図書館学校(1997 年以降,王立図書館情報学学校(RSLISに改名))は研究図書館を対象とした特別研究プログラムも立ち上げていた。それ以降,研究図書館には 2 種類の司書がいることになった。図書館学校で教育を受けた一般司書と,大学で教育を受けた研究司書(主題専門家)である。
1978 年に,私はコペンハーゲン王立図書館の心理学研究司書として着任した。その職での主な職務は次のとおりだった。
1. 図書館用に外国の心理学の書籍と専門誌を購入すること(デンマークの書籍は図書館のデンマーク部門に法定納本として寄贈された)。
2. 図書館独自の分類システム(UASK[外国部門の体系的な目録])に従って心理学の書籍を分類する。
3. 特に心理学の分野における書籍,記事,情報の検索について利用者を支援する。
4. 特別な任務として,図書館のコンピュータベースのドキュメントおよび情報サービスのコーディネーターとなった。ここには王立図書館の主題専門家が有料で国際データベース検索を提供する部門がある。
1990 年に私は王立図書館学校に戻り,人文社会科学ドキュメンテーションおよび知識組織論(KO)部門の責任者になり,2001 年にはその教授になった。そこでの職務は,社会科学情報に関する研究と教育で,一時期は研究図書館員の専門的トレーニングの責任者も務めた。この主題専門家教育は,制度的/経済的観点から見て,RSLIS(および世界中の同様の機関)の活動においてあまり重要な役割を果たせていなかった。図書館情報学 (LIS) 機関の主な役割は常に,公共図書館司書を教育することだった。これは注目すべき重要な点だ。なぜなら,情報学の分野は,その始まりから科学的および学術的なコミュニケーションと密接に関連していたからである。だから,LIS 職員養成の制度化が情報学の焦点を曖昧なものにしたということができる。
以上のような経歴が背景となっていたので,私が本書を執筆し,その後研究を続ける際に,理論的立場として,次のような諸点を選択することになった。
第1の点として,大規模で野心的な機関としての RSLIS の存在によって,図書館学,ドキュメンテーション,情報分野におけるプロセスとシステムは,常識に基づく実践的な活動だけではなく,図書館情報学 (LIS) の研究に基づくべきものであるという暗黙の見解を抱いたことである。
2点目は,これまでのキャリアを通じて,実践的な問題と理論的な問題を統合してきたことである。さらに,電子書誌データベースを日常的に使用することで,科学コミュニケーションシステムに関する洞察が得られ,分類,索引付け,探索戦略に関する理論的問題を,情報探索に関する私自身の実践的な経験と関連付けて考えることができた。(これは,情報学の研究は情報学者自身にも適用可能であるべきという再帰性の原則に一致している。)
3点目は,主題知識がLISにとって最も重要であるということである。特に次の 3 つの経験があったことでそういう見解にいたった。(a)王立図書館の主題専門家の役割(および,訓練を受けた分野以外でそうした役割を果たそうとする際に直面する困難), (b)RSLISに多くの専門部門が存在すること (例: 科学,社会科学,人文科学,フィクション),(c)主題専門家に対するLIS教育の役割が限られていること。
(a)について。デューイ十進分類法(DDC)などの分類システムを考えると,利用可能な資源がすべての知識分野の最新の分類を提供するにはあまりにも乏しいことは明らかである。王立図書館には,はるかに大規模な専門家チームが揃っていた。たとえば,心理学者の司書はこの分野の発展状況をカバーするし,経済学者も自分の分野をカバーできる。当時,この図書館では,DDCでは図書館の要求を満たすことができないことは明らかになっていた。たとえば,図書館の経済学者は,UASKの分類をJELコード[経済学分類表]を基づいて構築していて(Heikkilä 2022を参照),国際的な主題データベースに接続された分類システムは信頼できる貴重な資源であるというのが主題専門家の一般的な意見だった。この見解は,主題データベースにはその分野を専門とする優れたスタッフを置き,一般的な図書館分類ではなくて最大限の専門文献に基づくべきだという考えからくるものである。
(b)について: RSLISにドキュメンテーションとKOを研究し教育する専門部門が存在したことで,専門的な文献や分類に関する知識を養成する機会が生まれた。これは,司書や情報専門家の実務の基盤としても大いに機能した。これが,こうした人たちがLIS の文献を研究するだけでドメイン固有の知識は不要であると考えるとすれば,それは無知で危険な思い込みに思える。利用者をサポートする司書の能力は,利用者の質問の分野に関する知識に依存する。デンマークだけでなく世界的にも,司書がすべての利用者を支援できるように合理化する傾向がある。短期的には,これによって費用が節約されたが,長期的には,ほとんどの利用者が情報専門家のサポートなしで済ませることを意味する。
(c)について:研究に基づく教育分野としてのLISの重要性は,当然のことながらこの分野が他の分野 (主題知識を含む) に対して貢献する専門的な知識に依存する。当初,LIS 教育が要請された主たる理由は,それが大学教育ではなく中等教育とされたことにある。これは,大卒者の供給が限られており,図書館員の給与コストが大卒者よりも低かったときには重要だった。しかし,状況は変わった。大卒者の供給が増え,LIS 教育は他の大卒者と同じ給与ベースの大学教育になった。重要な問題は,さまざまな主題領域 (たとえば,MEDLINE データベースの索引作成) で LIS の知識を開発してテストすることだが,これはあまり行われていない。したがって,自問すべき重要な問いは,特定の知識領域の専門家が彼または彼女が必要とするドキュメントを識別するのに役立つ知識は何であるかである。この問題を真剣に検討しているLIS専門家は非常に少ないようだ。例外は医療分野で働いている人たちである。
4つ目のポイントは,PsycINFO,ERIC,MEDLINE,Social Science Citation Index などの主題データベースを扱う「ドキュメンタリスト」として仕事をしてみて,伝統的な図書館分類に対してかなり懐疑的な態度をとるようになったことである(DDC についてはHjørland 2025 を参照)。例を挙げてみよう。ある利用者が「代名詞に対する子どもの解釈」に関する文献を求め (1980年頃,つまりGoogle以前)。UASKでは,利用者は子どもの言語や心理言語学に関する何百冊もの本を調べる必要があり,目録には要約や,求められる情報が本に含まれているかどうかの手がかりもなかった (また,本は閉架書架にあり,出納請求があってから 1 日か数日後にしか入手できなかった)。つまり,目録は実際にはこのクエリに関して利用者を支援できなかった。一方,PsycINFOデータベースで検索すると,すぐに要約付きの参考文献セットが提供され,利用者はその中から最も関連性の高いものを選択できる (もちろん,このようなデータベースには「再現率」と「精度」に関するよく知られた問題があるが,私はそれらを図書館サービスの革命的な改善として体験した)。今日,図書館目録はもちろん OPACであり,検索と発注の可能性はいくらか改善されているが,それでも図書館目録と主題データベースの間には非常に大きな違いがある。
5番目の点は最も難しいものだが,本書と私の理論的見解全般にとって最も重要な背景でもある。私がコペンハーゲン大学で心理学を学び始めたとき,米国では行動主義が支配的だったが,当時現象学的心理学が支配的だったコペンハーゲンでは,行動主義はあまり認められていなかった。私が学んでいる間,認知主義,精神分析,人間学的心理学,マルクス主義心理学の諸分野など,他の多くの理論的立場が競合するアプローチとして登場した。ブルーナーが『意味の復権』 (Bruner 1990, p.x-xi) でも述べているように,心理学のさまざまな流派や「パラダイム」はさまざまな哲学体系に深く依存しており,純粋に理論的,経験的に基づいた心理学の存在は幻想であると確信するようになった。これは,心理学の分類やその他の種類の知識組織化システム (KOS) の提供を含む,情報作業のあらゆる側面に重要な意味を持つ。なぜなら,そのような KOS は,必然的に,他の見解を犠牲にして,ある見解 (「パラダイム」) を優先することになるからだ (もちろん,図書館やPsycINFO のようなデータベースの目的は,あらゆる種類の要求を満たすことだが)。
心理学は哲学的見解への依存度が極端に高いように思われるが,これは他の科学が哲学なしでやっていけるかどうかという問題というよりは,程度の問題だと考える。アインシュタイン (Einstein 1949, p. 684) は「認識論のない科学は,考えられうる限りにおいて,原始的で混乱している」と述べた。特に生物系統学においては,種を分類するさまざまな方法がさまざまな認識論に依存していることは明らかである。統計に基づくいくつかの方法は経験論に関係し,論理的区分は合理論に関係し,現代の系統学的方法は歴史主義に基づき,種と人間の活動との関係についての分類はプラグマティズムの認識論を表す。こうした見解は図書館情報学に直接影響する。なぜなら,種に関する書籍やその他の文書は,種自体の分類方法に従って分類されるべきだからである。中立的な分類は存在しない。分類は目的をサポートするために行われるものであり,特定の分類は必然的に,一部のクエリを他の分類よりも適切にサポートすることになる。 (もちろん,化学と物理学の周期律表などの一部の分類は,他の分類に比べてこの議論に対して例外となるが,それでも分類を評価するための最良のアプローチは,その認識論的および形而上学的根拠,ならびに倫理的および政治的含意を明らかにすることであるという考えを取りたい)。
結論として,情報学とは情報資源へのアクセスを最適化することである。情報学は科学哲学,科学社会学,科学的コミュニケーション,概念と用語などを含む広い意味での科学研究の一部となる。さまざまな知識ドメインの情報資源のエクスパートである情報専門家を揃えることは重要だが,同時に,科学研究につながる情報の一般理論プログラムを持つことも同じように重要である。
参考文献
Bruner, Jerome. (1990). Acts of Meaning: Four Lectures on Mind and Culture. Harvard University Press.[『意味の復権: フォークサイコロジーに向けて』新装版, (岡本夏木ほか訳), ミネルヴァ書房, 2016]
Einstein, Albert. (1949). Remarks concerning the essays brought together in this co-operative volume. In P.A. Schlipp (Ed.), Albert Einstein, Philosopher-Scientist. Tudor Publishers, 663–688.
Heikkilä, Jussi T. S. (2022). Journal of Economic Literature Codes Classification System (JEL). Knowledge Organization, 49(5) 352-370. Also available in ISKO Encyclopedia of Knowledge Organization, eds. Birger Hjørland and Claudio Gnoli, https://www.isko.org/cyclo/jel
Hjørland, Birger (2025). Dewey Decimal Classification (DDC). ISKO Encyclopedia of Knowledge Organization, eds. Birger Hjørland and Claudio Gnoli. https://www.isko.org/cyclo/ddc
2025年2月
ビアウア・ヤアラン
(©Birger Hjørland)
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2025-04-10
読書アンケート2024:識者が選んだ,この一年の本(補足)
毎年,みすず書房から『読書アンケート』という冊子が出され,執筆者として参加している。この一年に読んだ本のなかで他の人に紹介したい本を何冊か挙げるものだが,昨年読んだなかから次の3冊を選んだ。同冊子に書けなかったことを補足しながら(最後の段落),再掲しておく。
1. ピーター・バーク『博学者—知の巨人たちの歴史』井山弘幸訳、左右社、二〇二四年
バークはルネサンス史からスタートした文化史の大家であるが、ここ二〇年の文化史、情報史、学問史を包括した「知識史」の業績にも目を瞠るものがある。人文系の研究者なら一度はチャレンジしてみたいと思ってもなかなか到達できない幅広さが持ち味である。本書は、同著『知識の社会史』二巻本の姉妹編ということだが、ここで言及されている五〇〇人の「博学者」は、彼の言う「博学」が、同時代の横断的な知の俯瞰を可能にする思考法や方法を新たに提示した人たちであり、彼自身の博学の賜だったことが分かる。訳書について、カヴァーが表紙全体を覆っていない手法をとることでハードな手触りが楽しめる造本デザインの良さと、索引も含めて原著に忠実に訳されている点についても付け加えておきたい。
2025-04-04
2025-03-31
小田芝桜倶楽部の活動
5年くらい前から,つくば市小田の宝篋山登山口に近いところにある土地をお借りして,芝桜の育成をしている。毎年,3月末から4月にかけて芝桜がきれいに咲く。今年も3月31日現在,下の写真のように咲き出している。今年は暖かい日と寒い日が周期的に交互に来るだけでなく,最低気温が全体に低いので,花の付きが少し遅れているようだが,見頃はあと1〜2週間後になるだろうか。(「宝篋山麓まちあるきMAP」の真ん中あたり。)
今朝は手伝ってくれている人たちといっしょに,雑草取りと若干の苗の植え付けを行った。
なおこれは2019年から2023年8月まで「小田地域まちづくり振興会」がつくば市の支援を受けて行ってきた芝桜育成プロジェクトを引き継いで行っている。昨年は,イノシシによる根の掘り起こしの害がひどかったために,つくば市鳥獣被害防止補助金を受けて,防護柵の整備を行った。さらに今年になって,いばらきコープ生活協同組合環境基金の補助もいただき,さらに花苗の植え付けを行っている。土地を貸して下さる方やボランティアの方々の支援でこれが可能になっている。感謝申し上げたい。
下にこの後の開花状況の写真をアップする。
学校図書館賞受賞発表会「図書館教育の現代的課題」
昨年出した『図書館教育論』に対して,2025年度の(公社)全国学校図書館協議会主催の 学校図書館賞 (論文の部)が授与され,8月8日に授与式と受賞記念の発表会がありました。そのとき作成したスライドを少し編集し,ノートをつけて下記に公表します。
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以前から話題にはなっていたのですが,NHK総合でやっている「時論公論」という解説番組で,タイトルバックの写真が印象的な図書館になっています。NHKの 同番組のHP にもその写真が使われています。(画像は解像度を落として掲載しています) これがどこの図書館なのかというのがクイズです...
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2月27日の国会図書館納本制度審議会の会合で「納本制度の課題ー発足77年後の変化を見ながら-」のお話しをさせていただいた。公式の配布資料(スライドを含む)と議事録は NDLの公式ページ から公開されている。この審議会に10年間参加しての思うこととこの場で十分にお話しできなかったこ...
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マーティン・フリッケ著(根本彰訳)『人工知能とライブラリアンシップ』 本書は Martin Frické, Artificial Intelligence and Librarianship: Notes for Teaching, 3rd Edition(SoftOption ...