2020-03-31

図書館情報学をおもしろがって ー 35年にわたる大学教員生活を終えるにあたって(1)

3月末日をもって,35年にわたる大学教員生活に終止符を打つことになった。本来であれば,3月21日に予定されていた公開シンポジウムの場で「最終講義」と題して語るべきであったことの一部についてここに書きつけておこうと思う。この公開シンポジウムはこの間のコロナウィルス騒ぎ(この騒ぎがもつ意味についてはまた書いてみたいと思う)で延期になった。これが最終講義として実施されることはおそらくはないだろう。

用意したレジュメ(今のところ非公開)の最後の部分に「役に立つ学問とおもしろがる学問」という表題をつけていた。考えてみると,私がやってきた学問は徹底的に自分だけが「おもしろがる学問」だったと思う。逆に言えば,本来,「役に立つ」ことを要請されていたのに,あまりその方面には関心をもてなかったことがある。そのために関係領域の方々には失望の念を与えたことがあったかもしれない。最近出した『レファレンスサービスの射程と展開』で私は2本の論文を書いたが,そのうちの第4章「レファレンス理論でネット情報資源を読み解く」は私がもつ「おもしろがる資質」が前面に出た論文である。たぶんこれを読んでおもしろがってくれる読者が少数であることは覚悟している。

こういうスタンスで書くのはなぜかというと,これは私の母校であると同時に20年間勤めた東京大学教育学部の性格と関わっている。ここは戦後教育改革で設置された「ポツダム学部」と呼ばれたものの一つであり,戦前の皇国史観を支えた師範教育を否定し,戦後民主主義に基づく教育制度を新たに構築するために帝大系大学に設置されたものである。アカデミズムをベースにして教育の営みを批判的に読み解き新しい教育理論を構築することが要請された。「現場」に寄り添った議論を特色としていたが,よく知られているように冷戦体制下においては教育は保守対革新に分かれた政策論が中心になり,ここの教員は日教組に近い立場をとる人が多かった。また,それに対する反発から逆に極端に保守的な議論をする教員もいた。私はそこで前提になっていた教育政策論が結局は教育を政治的道具と位置づけていることの限界を感じる一方で,戦後新教育において確かに図書館は一定の位置づけがあったはずなのに教育政策においてはまったく語られないことに対する絶望的な気持ちもあり,違ったアプローチをとることにした。

図書館情報学はもともと図書館員(司書)を養成するための領域であった。私がここ5年間所属した慶應義塾大学文学部図書館・情報学専攻は,戦後改革の時期の1951年に占領軍の後押しでできたJapan Library Schoolを発展させたものであり,大学で図書館員を養成するための拠点として設置されたものである。それは慶應義塾がもつ本質的に実用主義(プラグマティック)な性格とも合っていた。設置当初から1970年代くらいまではその役割を果たしていたと思われる。当時の企業はここを卒業した学生を図書館や情報の仕事をする専門職として雇用してくれていた。だがそれも高度成長からバブル経済の時期までである。その後,企業に経営の体力がなくなるとそうした雇用はなくなった。戦後社会と図書館員養成との関係については,1979年に開学して2004年に廃止になった国立図書館情報大学の運命といっしょに語らなくてはならないのだが,それもいずれかの機会にということにしておきたい。ともかく,今では慶應の図書館・情報学専攻を卒業して図書館員になる学生は卒業生の1割もおらず,そもそもの設置目的からするとだいぶずれてきている。


私は,これを日本社会において(西欧的な意味での)図書館は必要とされる機関ではなかったと考えている。なぜそうなったのかについてはすでにいろんなところで書いたし,今後はこれを歴史をさかのぼって検討する予定である。ともかく,私はこのような状況そのものを「おもしろがる」ことにしたのである。文科省や東大教育学部を含んだ日本の教育関係者が図書館を無視してきたことは事実であり,そのこと自体が今後の教育政策を考える上で重要なテーマとなるのではないかと考えた。それを追及した『情報リテラシーのための図書館』『教育改革のための学校図書館』の二冊の本は教育学の総本山から離れたことで書くことができた。


教育と図書館との関係を考えるためにはいくつかの媒介項が必要になる。言語,情報,カリキュラム,学習方法,教材・教具,教育評価といったものである。これらの全体の最新の理論研究を見てきて,これが図書館情報学が対象としてしてきたものを別の角度から見ていると考えるようになった。ただし,米国経由で入ってきた日本の図書館情報学と同じように,教育政策の議論でも欠けているように見えるのが,言語と知識との関係の捉え方が欧米と日本とでかなり異なることである。これについて,次のブログで簡単に述べておきたい。

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