2019-03-11

日本人の言語論的基盤を探る本

以下は、雑誌『みすず』2019年1月/2月号に寄稿したものです。

「2018年に読んだ本 根本彰(図書館情報学、教育学)」

 日本人の教育における言語論的基盤を探ろうと考えている。それは日本語の豊かさと脆弱性とが近代社会においてどのように形成されてきたのかをみたいからである。

 最近、公文書の取り扱いがずさんであることが政治問題になりかかりながら、事務当事者の責任に帰することで終わらせることが続いた。そもそも公文書および公文書館という言葉の元になっているarchivesのarchとは筆頭にくるものを意味し、権力の源泉を意味する。だからアーカイブズは、文書を残すことで権力の所在を示すとともに、その責任を確認することを可能にする仕組みでもあった。行政情報公開制度を使って数々のスクープをしてきた毎日新聞記者日下部聡が書いた『武器としての情報公開』(ちくま新書, 2018)が出て、公文書を開示させるジャーナリズムの手法にさまざまな工夫があって、それに基づき実践していることが分かる。

 だが、逆にこうした活動が、行政担当者や政治家にある種の「構え」の姿勢を与え、公文書制度全体に機能不全を起こさせる原因になっているとも言われる。日本で情報公開や公文書保存開示が形式的に制度化されただけで機能していないことについては、松岡資明『公文書問題と日本の病理』(平凡社新書, 2018)で描写されている。本来、アーカイブズの制度は書くことおよび書かれたものとしての文書の位置づけを明確にする思想と制度が確立されなければ成り立たないことを示している。

 日本社会は本気で書かれたものを保持し共有しようとしているのだろうか。それが同様に無視されてきた図書館を研究する私の疑問である。今後、私はそれを明治政府が体制を確立するところまでさかのぼることで明らかにするつもりにしている。そのために参考になるものとして、明治以前がどうであったのかを明らかにする著作の刊行が続いている。『近世蔵書文化論:地域<知>の形成と社会』(勉誠出版, 2017)の著者工藤航平は東京都公文書館の職員である。江戸期に文書を元にした行政・経済システムができ、また出版流通が盛んになり、これが各地域でそれぞれの独自の<知>の形成と共有態勢を促したと言う。江戸期にアーカイブズとライブラリーの仕組みが準備されていたということである。

 近代行政国家における知の編成という課題について考えるときに、公文書管理以外に、法制度、教育制度、学術制度について考察が必要であるだろう。綾井桜子『教養の揺らぎとフランス近代:知の教育をめぐる思想』(勁草書房, 2017)は、フランスでは中等教育から高等教育への接続を中心にして、一貫して学習者が書くことを通じて自らの知の形成をはかる教育思想が存在してきたことを論じている。よく知られたフランスの中等教育における哲学教育が、フランス革命以来の「ものを言う市民」の育成を目的にしており、それはさらには古代ギリシアの市民社会論にさかのぼれることが分かる。アーカイブズやライブラリーが機能するには、同時にそれらを武器として使いこなす市民の育成が必要なのである。

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