2026-03-27
日本の児童図書館と図書館建築:その概念,歴史,デザイン
2026-03-23
地域アーカイブ,ナラティブとしての「国史」,公害資料館と公立図書館
毎年,寄稿している『読書アンケート:識者が選んだ,この一年の本』の2025年版(みすず書房, 2026)に今年も次の文章を書いた。
このところ,地域アーカイブ論という領域を探るため,各地の博物館や資料館,図書館を訪ねて,当該地域の歴史意識がどのような制度的条件によって支えられているのかを見ようとしている。その際に参考にするのは,天野真志・後藤真『地域歴史文化継承ガイドブック』(文学通信,2022)(注)であったり,『<記憶の継承>ミュージアムガイド—災禍の歴史と民族の文化にふれる』(皓星社,2022)であったりする。こうした本が刊行されるのは,歴史が記録された資料の蓄積のみならず,当事者や関係者の記憶や語り,そしてそれらが形成した集合的な記憶形成の作用が重視されつつあるからである。
夏に沖縄を訪ねた。改めて,沖縄戦で資料の多くを失った沖縄の復帰後の最初の事業に県史編纂があって,それは現在に至るまで継続されていることを知った。県史編纂事業には資料を再収集し,図書館や公文書館で管理することだけでなく,編集し,歴史として表現し,体験した人たちの記憶をそのまま記録としてとどめることも含まれている。そうした肉声による証言や語りを含めて編纂される歴史形成の営為は県史のみならず,市町村史,区史のレベルでも行われている。故屋嘉比収(やかびおさむ)の『沖縄戦,米軍占領史を学びなおす—記憶をいかに継承するか』(世織書房, 2009)は,歴史編纂の担い手が当事者に近ければ近いほど,肉声のインパクトが大きく働くが,逆に距離をとることによって得られる遠近法が歴史認識を磨くことを説くものであった。
歴史認識と担い手の問題は,中央と地方との関係を探る歴史学でも自覚的に取り組まれている。宮間純一『明治維新という物語—政府が創る「国史」と地域の「記憶」』(中公新書,2025)は,学校教科書にも描かれる幕末から戊辰戦争を経て新政府の確立までの歴史が、明治政府によってつくりあげられた物語であることを検証する。周防大島,飯能,大館,佐倉で書かれた歴史は,土地の人々の記録や記憶が明治政府の歴史の語りに照らして修正されたり,改変されたりして何度も書き替わってきたものであった。資料の解釈や記憶は,その後の語り(ナラティブ)の作用によって容易に変容してきたことを示している。
現代史においてもこのことは当てはまる。産業化の負の遺産であった公害についての歴史が,歴史家や産業社会,産業経済の研究者によって書かれてきた。被害者・患者,その家族や支援者,加害企業関係者,そして反対運動に関わった研究者のいずれもが世代交代を余儀なくされるような時間の経過を前にして,蓄積されてきた,数々の証言,手記,記録,そしてポスター,ビラやチラシ,機関紙・誌,写真,手紙,新聞や雑誌の報道記事などのアーカイブズ類をどのように継承するかという問題が生じている。それらの資料の一部は水俣市や四日市市のように当該地域で公設の資料館が扱う場合もあるが,公設機関がつくられる経緯からくる制約を抱える場合も少なくない。社会運動あるいは社会問題として取り組み,そうした資料の重要性を知る研究者らが,清水万由子,林美帆,除本理史編『公害の経験を未来につなぐ—教育・フォ—ラム・アーカイブズを通した公害資料館の挑戦』(ナカニシヤ出版, 2023)や清水善仁『公害の記憶をどう伝えるか—「公害アーカイブズ」の視点』(吉川弘文館, 2025)を著して,こうした問題の重要性を訴えている。
そのなかで図書館は,本来,地域で発生するいわゆる郷土資料を扱ってきたはずなのに,こうした資料に対して及び腰であるのは,背後に,資料取扱いの公平性,公正性や個人情報保護などのコンプライアンスと言われる問題が控えていることが見てとれる。だが,それ以前に図書館は,著者,出版社,編集者,および書評メディアにより事前評価された全国レベルで流通する出版物を扱うものと自らを規定してきたことで,可能な価値創造の力を封じ込めてきたのかもしれない。最近,大場博幸が『日本の公立図書館の所蔵—価値・中立性・書籍市場との関係』『図書館の公的供給—使命・利用者・利用料』(樹村房, 2024, 2025)の2冊の著書で図書館の本質と限界を剔抉する知見を私たちの前に示してくれた。中央レベルと地域レベル双方で,知の蓄積と参照を支援するという図書館が果たす機能を再評価する時期にきている。
注
天野真志・後藤真『地域歴史文化継承ガイドブック』(文学通信,2022)は版元が全文のPDFダウンロードを提供してくれている。
https://bungaku-report.com/pres-network.html
2026-03-09
受賞の言葉 二つ
一昨年出した『図書館教育論:学校図書館の苦闘と可能性の歴史』(東京大学出版会)が今年度の学校図書館賞論文賞(全国学校図書館協議会)と日本図書館情報学会賞を受賞したことを報告しておきたい。また,それぞれについて受賞者の言葉を公表しているのでここに再掲しておく。
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『学校図書館』(通号900) 2025年10月 p.52-54.
「図書館教育論」で主張したかったこと 根本彰
このたび,昨年刊行した『図書館教育論—学校図書館の苦闘と可能性の歴史』(東京大学出版会)で学校図書館賞(論文の部)をいただきました。2019年に同じ出版社から『教育改⾰のための学校図書館』を出したのですが,テーマを「図書館教育」に絞り,戦後の流れを書いたのが今回の本です。その本を元にお話しした内容は私のブログ(https://oda-senin.blogspot.com/2025/08/blog-post_10.html)で発信しているので,詳細はそちらをご覧下さい。ここでは,強調したかったことをまとめておきます。
戦後新教育における学校図書館
教育学でジョン・デューイの学校論は古典として扱われます。彼の『学校と社会』(1899)には学校のモデル図が描かれています。その1階は教育課程が⽇常⽣活と関わっていることを⽰します。外部には家庭やコミュニティ,農場などがあり,学校内部にはそれらを体験する実習室があります。2階はアカデミズムをベースにした美術や音楽,理科などの学芸が扱われ,そのための実習室や実験室が⽤意されます。
いずれも子どもたちが生の体験をすることが重視されます。日本で経験主義教育というときに,そうした直接的経験の重要性を言うことが多いのですが,重要なのは,学校の外には大学や研究所,図書館・博物館があり,学校の1階の中⼼に図書室,2階の中⼼に博物室があることです。このことが意味するのは,学校が図書室や博物室を通じて外部の知と常につながりをもっていることです。デューイは「とりわけ他者の経験からくる新しい光,集結された世界の叡智が図書室に象徴されている」 と述べ,とくに,1階の中心にある図書室が子どもたちの日常生活の延長にあって,外部の知とつなげる役割があることを強調しました。これが,学校図書館思想のもっとも基本的なとらえ方です。
デューイの経験主義思想に導かれて,占領下の⽇本で戦後新教育がスタートします。⽂部省は,新しい教育課程を検討するために指定した実験学校20学校のうち,東京学芸⼤学附属世⽥⾕⼩学校を「学校図書館」をテーマとする実験学校としました。指導者は同⼤学教授阪本⼀郎(読書⼼理学)で,「図書館教育」という⽤語はこのときに阪本が提案したものです。ちなみに,図書館教育という言葉は戦前は図書館を通じた教育全般を指し,社会教育が中⼼でした。
阪本⼀郎は,図書館教育が読書指導と図書館利⽤指導が融合したものだとします。そして東京学芸⼤学附属⼩学校の実験学校が終わったあとも,関係者と⼀緒に図書館教育研究会を通じて検討を継続します。彼が作成した「読書能⼒表」(1952)は図書館教育カリキュラムを具体的に⽰すものとして,もっとも体系的なものです(本書p.90-91)。この表をよく⾒ると,現在なら,ここにリテラシー+情報リテラシー教育の基本は押さえられていると考えることができます。
図書館教育は1948年から1953年までに全国に徐々に拡がっていきます。このときの指導者は⽂部省の担当官深川恒喜です。学校図書館をテーマにした実験学校は複数あったのですが,その報告書は,⺠間出版社から出版されました。また,都道府県教育委員会には学校図書館担当指導主事が任命され,指導主事の相互交流が⾏われ,地⽅レベルで推進されました。
教育史で戦後経験主義教育というと,コアカリキュラム運動が取り上げられることが多いのですが,図書館教育はコア・カリキュラムと並んで経験主義教育の両輪となるはずでした。つまり,子どもたちの直接的経験と書物や資料を通じての間接経験がうまく組み合わされて,経験主義教育は完成するはずでした。コア・カリキュラム連盟の機関誌『カリキュラム』では学校図書館をテーマにした特集号が組まれています。また,全国SLAの機関誌『学校図書館』では図書館教育をテーマにした特集が組まれ,また図書館教育カリキュラム委員会が検討したカリキュラム表は『学校図書館』の付録として配布されました。
図書館教育の帰結
とは言え,1950年代後半からは,教育課程が系統主義に転換したことで経験主義教育に対する関心は薄れていきます。また,1953年の学校図書館法で司書教諭の位置付けが中途半端になり,学校図書館に対する人的手当てが現場任せになったこともあって,図書館教育の理念も実践も徐々に衰退せざるを得ませんでした。
とは言え,20世紀末頃から戦後教育に対する再度の⾒直しがはじまります。学習指導要領には「新学力観」「生きる力」「知の総合力」などが明⽰され,全体の時間数を減らすなどの措置が取られます。他方,子どもたちの読解力や国語力低下が指摘され,国の子ども読書活動の推進政策が開始されます。新しい動きに研究者やマスメディアから学力低下の懸念の声が寄せられますが,現在に到るまで,子ども読書活動に対する政策的支援の動きは継続します。
そのなかで2004年に塩⾒昇⽒が「図書館教育の復権」を唱えています(『図書館界』56巻4号)。これは1997年の学校図書館法改正で司書教諭の制度的配置が明確になったことを受けて,新しい教育課程の実施に学校図書館を活用することが不可欠だと述べたものです。これとは異なる流れですが,20世紀末に文部省内に設けられた専門家会議で,司書教諭を情報専門家として位置付け直す考え方がありました(本書p.252)。しかしこの案は実現するに到りませんでした。このように学校図書館を「学習センター」や「情報センター」とする考え方もあったわけですが,学校図書館は全体として「読書センター」の制度化に向けて動いたということができます。その後2014年の学校図書館法改正で学校司書の配置が明記されました。
学校図書館の現状を⾒ておきます。⽂部科学省の令和2年度「学校図書館の現状に関する調査」によると,ほぼすべての学校に学校図書館が配置されています。12学級以上の学校での司書教諭発令も100%近いものがあります。ただし,司書教諭としての週当たりの職務時間は,⼩学校1.8時間,中学校2.4時間,⾼等学校4.8時間とかなり限られています。国の地⽅交付税交付金の算定基礎に学校の図書整備や学校司書配置が書き込まれる財政措置はすでに20年以上続いていて,図書資料の整備や⼈の配置に使われています。ただし学校司書の配置はまだ⼗分ではありません。学校当たりの配置率は7割程度とだいぶ進んできましたが,そのうち常勤職員の配置は,⼩中学校で1〜2%,⾼等学校で52%程度です。
以上により,学校には学校図書館が当たり前のように設置されていて,子どもたちへの資料提供は行われていることが分かります。最低限,教員および児童生徒による管理運営体制はつくられています。サービスを担う学校司書は,小・中学校だと非正規職員が兼務で配置されている場合が多いですが,高等学校だと半数の学校に正規職員が配置されています。これは,戦後のスタート時点からすれば各段の進歩だと言えるでしょう。
地域学習リソース拠点としての学校図書館
しかしながらこれだと図書館教育を前提とした教育活動が可能な態勢になっていません。現在は学校内に子ども向けの公立図書館がある状態であり,教育課程との関係が「読書」でつながっているにすぎないものです。現在の学校図書館は「読書センター」としての位置づけは得ているが,「学習センター」「情報センター」としての位置付けになっていません。高等学校の図書館の半数には正規職員が入っているとすると,もっと教育課程との関係の議論があってもよいと思いますがそうはなっていない。それは,学校の教育課程を担う人が教育職員免許法で規定された教育職員であることが要求されてきたことも一因でした。
今世紀になって子どもたちの不登校やメンタルヘルス問題,教員の過重労働などの傾向がはっきりして,そのあたりの解釈は緩められ,地域全般でさまざまな専門家やボランティアが加わった学校運営が指向されるようになりました。しかしながら,文部科学省でつくられた,教員以外の専門家を含めた「チームとしての学校」で諸課題に対応するという考え方には,当初学校司書も含められていましたが,現在は心理専門職や福祉専門職,そして学校DXを進める要員のための予算化が認められるにとどまっています。これは,2018年の文部科学省の機構改革時に,学校図書館担当部門が初等中教育局から総合教育政策局に移されたことが理由ではないかとの心配の声もあります。
私は地域をベースにした学校図書館の課題として,探究学習や学校DXへの対応のために学校図書館を拡張し,地域学習リソース拠点としてとらえることの可能が高まっていると考えます。それは,地域全体で学校を支えるという考え方こそが,最初のデューイの学校モデルが前提としていたことだからです。公立図書館や博物館の支援や協力関係も含めて,図書館的な外部知を媒介することが拡大されたチーム学校の役割であり学校図書館がそれらを媒介する場とする見方も可能です。
下の図は,各学校に,読書センター,学習センター,情報センターを⼀体的に運用する学校内学習リソース拠点を設け,学校司書,司書教諭,ICT担当の役割を果たすメディア専⾨職が配置されます。また,教育委員会単位で公⽴図書館や⼤学・研究機関,博物館,公⺠館などの機関と連携しながら,地域学習リソース拠点を形成するというものです。
ここでは教育委員会に学校図書館担当の指導主事の配置が想定されています。また,メディア専⾨職の創設を睨んだ司書教諭/学校司書の養成の⾒直しと統合も検討課題です。これを可能にするためには,地域をベースとした図書館教育支援プログラムの実現性の検証と運営の実証的な検討が必要でしょう。
おわりに
子どもたちに対する教育課程は,学校に最初から用意されるかたちで提示される知だけではなく,地域あるいは世界をベースに開かれた知のシステムを通して実施されるべきです。そのためには図書館教育のようなカリキュラムの考え方を基盤にもつことが必要です。現在進行中の教育改革は,さらに戦後教育改革の初期の時代にまで遡って根本的な再検討を行い,当時実現できなかった図書館教育の考え方を復活させることを提案したいと思います。
授賞式でのプレゼンのファイルはブログの次のところにあります。
2025-08-10 学校図書館賞受賞発表会「図書館教育の現代的課題」
2026-02-15
フランスの学校図書館(CDI)と司書教諭(PD)の現在とこれから
2026年2月15日に立教大学にて,公開講演会「リヨン第三大学におけるドキュマンタリスト教員の養成」がありました。https://www.rikkyo.ac.jp/events/2026/02/mknpps000003dgyv.html
アンジェル・スタルデール氏(リヨン第三大学)と中村百合子氏(立教大学)による講演です。まずはいいお話しを伺いました。お二人の講師および主催者の皆様方,すばらしい通訳を務めてくださった方々に感謝申し上げます。参加しての感想を当日中に忘れないように書いておきます。
日本の戦後教育改革時の司書教諭養成がうまくいっていればこうなったのではと思わせるものでした。占領期に学校図書館を教育改革の柱の一つに据えるという動きがあり,当時の文部省もかなり真剣に取り組もうとしたけれども,占領政策の転換によりうまくいきませんでした。このあたりについて詳しくは,私が書いた『教育改革のための学校図書館』『図書館教育論』(いずれも東京大学出版会)を参照してください。
アンジェルさんによるフランスの話しを中心に書いておくと次のようになります。以下,講演だけでなく,終わった後の質疑および懇親会で伺ったことも合わせて,私自身の解釈を含めて記述しています。
1) フランスの図書館はフランスという国の成立(フランス革命の理念)と密接に関わっていること。
国民国家としてのフランスは1789年革命の理念に支えられています。例の「自由,平等,博愛」というやつですね。この理念は革命の主体たる「市民(シトワイアン)」の育成が目標になります。図書館はこの理念を支えるとともに,これが古代ギリシア,ローマ,ヘレニズム(アレキサンドリア図書館!)に発して,ルネサンス以降の近代的な価値を継承する際の重要なアクターとなっていることを示します。もちろん,フランスもたくさんの移民を抱えて,格差が大きくなっていることがあり,アメリカや日本と同様に移民排斥を主張する右派が台頭していることなど,たくさんの問題はあります。しかし,それは理性によって解決できるという考えがどこかにあり,それによって図書館(的なもの)が位置付けられています。
2) 学校図書館(CDI)の制度化は1980年代末期,ミッテラン政権時代の教育改革(ジョスパン改革)の産物であるが,今では学校教育にしっかりと根をおろしていること。
フランスで最初の学校図書館は1862年に設置され,その後,1947年にリセ(高等学校)に教員向けの図書館が設置されました。(これは同時代の日本の学校図書館制度改革でも教員向けの教材センターをつくる考え方があったので,同じ動きであることを示唆します。おそらく,アメリカ進歩主義教育の影響があるのでしょう。)1966年に生徒にとっても資料・情報資源へのアクセスの場となります。そして,1974年にドキュメンテーション情報センター(CDI)が成立し,「学び方を学ぶ」という理念が導入されました。さらに,1989年ジョスパン法による教育改革に位置づけられ,中等教育の学校に日本の司書教諭にあたるドキュマンタリスト教員(PD)の養成が始まります。CDIに「ドキュメンテーション」という言葉が入っていますが,これは,資料を仲介するための専門業務というような意味合いです。
1989年といえば,日本では中曽根内閣の臨教審のあとで,教育の自由化やゆとり教育が仕掛けられた時期で,日仏共通の政策課題も見受けられます。しかし,日本では学校図書館を位置づける考え方はあまりなかったのですが,時代の流れをみれば,そこらあたりから学校図書館法改正が現実のものになるので,同期しているといえるかもしれません。
3) ドキュマンタリスト教員(PD)もそのときに成立したもので,全国でリセ(高校),コレージュ(中学校)に11,000人いて,教員養成課程でしっかりと養成されていること。
フランスのPDは,アメリカのschool librarianと違い,教員養成系の大学に位置づけられています。そうしたPDが全国の中学校,高校にほぼ1学校に一人ずつ配置されています。教員養成系高等教育機関での学校図書館職員養成はフランス特有です。(ただし,今日,ポルトガルやブラジル,カナダのアルバータ州でもそうした事例があることを伺いました(須永和之さん,中村百合子さんからの情報))PDは,日本の戦後教育改革時に廃案になった「幻の学校図書館法」(1953年3月)で想定されていたものとよく似たものです。日本でも専任の司書教諭が法制化された可能性もあったのですが,もし実現されていればこうなったのではないかと思われるものです。
4) 今年の9月以降に,教員養成課程の制度改革があるが現行のものは維持されること。
フランスもまた中央集権的な政府をもちます。そして昨年,急に教員養成課程の制度改革が上から降ってきました。これは教員のなり手不足への対策ということです。(このあたりは日本と同じ状況です。)これまでは大学院における教員養成だったものが,どんな領域を専攻しても学士号取得者が採用対象となり,採用後に現場にいながら修士課程で学ぶのに変わるというものです。これは日本の教職大学院と似ていますが,日本の場合は教員免許をとって教員採用試験を受けて入った現職者が対象であるのに対して,フランスの新しい制度は資格なしに採用した上で修士課程で教育について学んで資格を付与するものです。養成課程全体も構造的な見直しをするようです。
新しい養成制度において,PDの養成も継続されます。PDの役割は,「読書振興の担い手,メディア・情報教育の推進者,情報文化の仲介者,情報活用能力の育成を担う教育者」というものです。そこで強調されるのは,PDが教科教員との協働により探究学習を推進することです。そのあたりの詳しいお話しも伺いましたが,いずれ主催者より資料と報告が出ると思います。
5) 今要請される学校教育の在り方(自らの判断ができる市民の育成)にとって,CDIやPDは大いなる力となること。
CDIやPDの政策的位置づけについて,個人的にアンジェルさんに伺いました。生成AI時代において必要とされるのは,フェイク情報のなかで自ら判断できる市民を育成するという課題について,これに応えるのはCDIとPDであるといういう揺るがない信念がありました。EU諸国で,16歳未満の子どもたちがSNSを使うことを禁止する法的措置が進められています。今日のお話しは,ヨーロッパでは子どもたちに無制限の情報シャワーを浴びせることへの危機感が強く,その対策として図書館や学校図書館,その専門職員の役割が大きいとされていることを強く感じさせるものでした。つまり,情報メディアリテラシー教育の担当者というものです。
また,フランスと日本でまったく違うように見えながらも,長期的視点に立てば,日本はフランスの後を追いかけているようにも思えてきます。今,日本でも探究学習が具体的なものとして実施されるようになっています。フランスでも探究学習が重視されるのはそれほど昔ではありません。何が違うのかというと,教育における「自由」とはなにかの捉え方でしょうね。
日本の学習指導要領は教員がやるべきことを列挙し,改革を進めるほどどんどん増えていくので教員にも子どもたちにも負担感が増します。探究学習も教員の負担が増えることが問題になっています。これまでやっていなかったことをやるのだから当然でしょう。教員が何らかの準備をすることは必要でしょうが,それの専門家として図書館員がいるという協働の仕組みをつくらないと負担感は変わらないでしょう。また,子どもたちが学ぶことを「負担」と感じるというところで自由が抑圧されています。
しかしながら,フランスの場合にはCDIを通じた探究的な学びは自由な学びの方法を獲得するための手段ととらえられているようです。日本でも,デジタル環境については同様の問題を抱えているので,探究学習と学校図書館をうまく結びつけることが重要でしょう。学びの場を広げ,多様な進路選択を可能にする方向での政策の検討は行われていますが,さらに学びの方法の部分で「自由」を位置付けることが課題だと思いました。
日本の児童図書館と図書館建築:その概念,歴史,デザイン
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