2018-06-19

『情報リテラシーのための図書館』の書評

『情報リテラシーのための図書館:教育制度と図書館の改革』(みすず書房, 2017.12)を刊行したことについては、すでにこのブログで書いた。『情報リテラシーのための図書館ー日本の教育制度と図書館の改革』(続報)

ここでは今の時点で確認した書評数点について、著者の立場から応答しておきたい。今後、図書館関係の雑誌等にも掲載されるのだろうが(すでに『専門図書館』には掲載されている)、むしろ図書館関係者以外の読み手によって本書がどう読まれたのかを確認することができて興味深い。


◯「図書新聞」2018年1月1日号(3333号)
宇宙への想像力の扉を開ける知の技法
情報リテラシーの装置としての図書館を論じる
評者:新庄孝幸(ノンフィクションライター)
https://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun/3333.html

本書は昨年12月1日頃に市場に出回った。それが「図書新聞」の12月23日発売の号に掲載されたので驚いた。こんなに短時間で載るとはさすがに専門書評紙だと思ったし、これなら他の新聞書評も期待できるかとも思った。(しかし四大紙では取り上げられなかったが。)この新年特集号の最後の紙面は図書館関係書がまとめて取り上げられていたのだが、この書評は急遽、出たばかりの本に対して書評を短時間で執筆してもらってこの特集に突っ込んだのではないかと推測される。というのは、すぐ下に大串夏身さんの『図書館のこれまでとこれから』の書評が窮屈そうに置かれているからである。申し訳ない。

書評については、著者としてとくに言うことはない。情報リテラシーという概念の可能性と図書館ができることについてしっかりと読まれ書き込まれているものだった。これを書かれたライターは奈良県中西部の出身ということで、本書が、そこが舞台となった日本映画「天使のいる図書館」(2017、ウエダアツシ監督)に言及しているところから論を始めている。途中で情報リテラシーを「天使の羽」と見立てる比喩があるが、著者にはそこまで書くことはできなかったので、一本取られたという感じである。


◯愛媛新聞 1月22日 佐賀新聞 2月11日 ほか(共同通信配信)
評者:山口裕之(徳島大学准教授)
「知識 成長に生かす教育支援」

大学関係者による教育改革の視点よりの書評である。本書で引用した「事実→情報→理解→知識→知恵」という情報リテラシーの認知プロセスはけっこう多くの読者の目を引いたようで、他でも言及されている。ポストトゥルース的状況のなかで学習者(これはあらゆる人に当てはまる)は自分でこの認知プロセスを鍛えることでしか、確かなことに行きつけないし、そのためには情報リテラシーを身につけることが必要だというメッセージを理解していただけた。

◯honz
評者:山本 尚毅 3月26日
「図書館の隠れたポテンシャル」を引き出す4冊
http://honz.jp/articles/-/44675

これはオンラインの書評ページであり、4点の図書館関係本が書評されている。本書以外は、アンニョリ『知の広場』、田中あずさ『サブジェクト・ライブラリアン』、ミヌーイ『シリアの秘密図書館』でたいへん目配りのよい(というのは自己満足の表現でもあるが)並びになっている。

ここの書評では日本の図書館制度が置かれた歴史的事情について触れている。それは、知の閉塞というものであり、このことが本書の主張の中心部分になっていることを読みとり、それが昨今の教育改革によって解決される可能性があると論じたことを紹介している。


◯『出版ニュース』2018年3月中旬号
評者:塩見昇(大阪教育大学名誉教授)

同じ分野の先達による書評である。個人的にも親しくさせていただいている。書評は忠実に本書の内容を要約してくれているが、筆致にやや突き放した感じがある。その理由は2点あると受け止めた。

一つは、本書にとくに新しい知見はないということである。評者は同業者の立場から研究的な新しい知見を期待したのかもしれないが、本書はそれは意図していない。むしろ図書館で言われてきたこととその外側で言われてきたことのギャップを埋めることが目的でこれを書いた。そのために、ここで取り上げた図書館、読書・リテラシー、教育課程・教育方法学、江戸時代の教育史いずれの部分も、それぞれの専門家から見たらとくに目新しいことはないと見えるかもしれない。

もう一つは、書評の最後で、戦前から総合学習の元になった実践はあったことに本書が言及していないと指摘していることである。教育実践史でも、戦後新教育は大正自由教育のベースがあったから可能になったと言われているし、塩見氏自身が『日本学校図書館史』でそれを取り上げて、学校図書館も成城小学校の実践や戸塚廉の図書館教育など、戦前にも実践があったことを書かれている。確かにそうしたものはあったのだが、本書で強調しているのはそれらはやはりまったく例外的なものであり、制度化されなかったということである。ルーツを探れば歴史的に遡ることはできようが、それがあったこととそれが機能していたことは別である。なので、氏の指摘は当たっていないと受け止めている。

ただ、学校図書館を教育改革の歴史に位置づける努力をすることは重要であり、筆者自身は次のプロジェクトとしてこれを行うつもりにしていて、すでに8割方の原稿はできている。それは、戦後の学校図書館はあくまでも占領軍の政策として入ってきたと見るものであり、戦前と戦後の連続と断絶も一つのテーマとすることになる。


◯「日本教育新聞」2018年 6月11日号18面 批判的思考育む装置として
評者:大久保俊輝(文教大学非常勤講師)
http://www.kyoiku-press.com/modules/smartsection/item.php?itemid=71186

待望の教育関係者による書評である。本書は副題にあるように教育改革をテーマにしているつもりである。上に書いたように、本書の個々の章に特段目新しいことはない。しかしながらまったく別個の文脈で議論されていたことをつなげてみるとまったく新しいことが見えてくるというのが、本書を書いてみての偽らざる気持ちである。それを、当の教育関係者がどのように読んでくれるのかは気になっていたことであった。

評者は校長をしていた方のようだ。冒頭、「校長にはぜひとも読んで貰いたい内容に満ちあふれている」としている。かつて学校教育において「批判」は禁句だったのに、この評では本書が前面に出している「批判的思考」の考え方を支持してくれている。また、「知は知を呼ぶ」を箴言として引用し、「これまでの学校教育は知の呼び声を聞かないふりをして続けられていた」と続けている。この部分は、私がこの本を書くときの一貫した方法論を示した部分であった。それはマングェルの「夜の図書館」やフーコーの「幻想の図書館」に触発されてのものであった。知を学習指導要領や検定教科書、そして暗記型のペーパーテストで狭いところに閉じ込め、それが再現できることが知の獲得であるという考え方を捨てることによって初めて、図書館は評価されるものになる。そのことを評価する教育者がいることに私は安堵した。


◯Amazonや書評サイトhonto、読書メーター、ブックログ、ブログにも匿名の評がある。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07DTNBKFS/ref=dp_kinw_strp_1

https://honto.jp/netstore/pd-book_28725259.html

https://bookmeter.com/books/12427720

https://booklog.jp/item/1/4622086506

http://yo-shi.cocolog-nifty.com/honyomi/2018/04/post-80ba.html


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