次のような文章を送って、朝日新聞(東京版)2018年10月4日朝刊13面に掲載してもらった。
教育への関心の一環である。この問題提起についてはいろいろな意見があると思われる。たとえば、統制主義的と呼んでいるものが何を意味しているのか。たとえば、外国では子どもの送り迎えは親がするのが一般的で、日本のようにぞろぞろと集団登校するようなことはないが、ランドセルを背負うことと集団登下校の行動は対応している。日本の集団主義は子どもの安全とか親の負担の軽減といった部分に貢献しているのであり、一概に否定できないのではないかという意見がありうるだろう。
人によっては、ランドセル批判と二宮金次郎像のイメージを重ねるのもどうかという意見をもつかもしれない。金次郎像は日本人の勤勉さの表現であり、それ自体は問題ないのではというものだ。このあたりは、教育をめぐる政治イデオロギーとかかわる。戦前に金次郎が国家に忠誠を誓う臣民教育の手段に使われたことは明らかであり、現在でも同様の主張は少なからずある。
私は、一概に集団主義がいけないと考えてはいない。日本人が常に近隣や同年齢の同質的他者とともに生きる道を選択し、集団主義がさまざまなところでの成功を導いたことも確かであるからだ。また、ランドセルのような背中で背負う荷物入れは便利だとも思う。だが、ここで批判しているのは、そうした19世紀から20世紀中期までに確立された慣習をいつまでも保持して、形式に流れる日本の学校教育制度全般である。ランドセルはそのシンボルに使わせていただいた。教育改革に関してはまた論じてみたい。
2018-10-04
2018-06-23
つくば市北部10校の廃校とその跡地利用
つくば市北部地区の学校廃止
つくば市の筑波地区はつくば市北部にあたり、合併前を示す下の地図では筑波町に当たる地域である。図の「センター地区」につくばエクスプレスつくば駅があって、そこから南西の方向に向けて沿線開発が進んだ。筑波地区は筑波山を含む農山村地域で、南側と違って過疎化と少子高齢化が進んでいる。このようにつくば市は落差が極端に現れているところである。その筑波地区の小学校・中学校を大胆に統廃合するプランが時間をかけて進んでいたが、今年の3月で完了し、その閉校式が2月24日にいっせいにあった。それは、茨城新聞でも報道されている。
過疎地域の小規模校を10校を合併して、中心地北条地区に施設一体型小中一貫校の「秀峰筑波義務教育学校」が開校し、個々の学校に通っていた子どもたちは毎日スクールバスで通学している。ここでこの措置についての是非は問わない。論じたいのは、廃校跡地利用についてである。今日の午前中に「筑波地区学校跡地に関する利活用ニーズ調査結果の地元説明会」が筑波交流センターであり、出席したので報告しておきたい。
説明会と議論
交流センターでの説明会は100人近くの人が来ていたが、多くは中高年の男性であった。区長やPTA会長を昔やっていた人、今やっている人が参加しているようだ。行政からの説明は、個々の学校の状況(都市計画法と土地所有の権利関係、耐震性、面積、平面図、校舎と室内運動場等)と、公募した民間事業者の提案、庁舎内の各部局の提案、そして市民から寄せられた提案を集計したものが報告された。校庭も含めてかなり広い土地と校舎があるが、新しい施設をつくるのが難しい市街化調整区域にある学校が多く、校舎については耐震基準を満たしていないものが少し含まれていた。
提案は、スポーツ施設や高齢者福祉施設、農業施設などが多く、市街化調整区域にあることもあって新しい商業施設を建てることが難しいらしく、資材置き場の提案や総務課からの文書倉庫の提案などもあった。担当の都市建設部の態度は、地域の意向を大事にしながらも、積極的な提案を募るというもので、市として跡地利用として包括的な提案があるわけでもなくて、個別の対応をするということのようだ。出席者より、子どもたちが集まって遊べる施設がほしいとか、大人の集会施設がほしい、高齢者福祉施設がほしいといった要望の声があった。また、住民のまちづくりの活動に対応したすすめ方をしてほしいという声もあった。
発言
私は次のような発言をした。明治の学制発布時には、将来の日本国を背負う世代を育成するということで学校建設のために施設や土地を供出し、その後、時間をかけて今の学校が建設されてきた。学校、とくに小学校は百数十年間にわたりそれぞれの地域にとってきわめて重要な施設であった。今、それが一斉に廃校になるということは重大な転換があったことを示している。学校という共通の目的のためにつくられた施設が今提案があったものだと、ばらばらの対応で転用されるように見える。ある学校は老人福祉施設になり、ある学校はスポーツ施設になり、ある学校は資材置き場になるという。それでいいのか。これを進めるのに市として包括的な活用プランの考えはないのか、伺いたいというものである。それに対して、説明した都市建設部の次長からは、市街化区域と市街化調整区域の違いや個々の学校による置かれた事情の違いがあって、できるだけ地域の要望に沿った活用をはかることを予定しているという回答だった。
この場は説明会で議論するところではないのでそれ以上発言することは控えた。しかし、私の発言はその後のいくつかの発言を引き出したらしく、考え方に賛同するという意見がいくつか寄せられた。そのなかでは、日本全体で廃校跡地の利用についての事例があるはずだからそれらを調査した上で提案すべきではないかとか、一度に10校も統合されて廃校になるケースは少ないのだからそれはもっと注目されてもいいのではないかとか、学識経験者や市民を含めた計画委員会をつくったらどうかという意見があった。私は、さらに、瀬戸内海の直島が銅の精錬所跡や山間部全体を美術館として観光開発で成功した例(ベネッセが開発)があるように、条件の示し方によっては大手の民間事業者が10校の一斎利用の新しいプランを提案する可能性もありうるのではないかという発言を追加した。
その後考えたこと
全国の廃校利用についての情報を集めてみた。文科省は「みんなの廃校プロジェクト」というのをやっていて、廃校利用で成果を上げた事例を紹介したり、廃校情報をリスト化して利用提案を呼びかけたりしている。リストを見ると数百校が再利用の提案を待っているという状況のようだ。一般的な需給関係を考えれば民間事業者からのいい提案がくるような状況には見えない。ただ、首都圏に隣接している地域であること、筑波山という観光地を控えていること、10校が一斉に利用可能なこと、筑波研究学園都市という国際的な都市の一部であることなどの点で有利な点がある。まず、文科省のページなどを参考にして精査して、市できちんとしたプランを打ち出すべきではないか。
その場合、検討にあたっての一定程度のガイドラインを設けるべきだと考える。たとえば決定には地域住民の合意を前提とし、地域福祉(広義)に貢献し、住民の日常生活を豊かにするものであることなどの条件をつけることである。また、どのようなスケジュールで検討しているのかがよくわからないところがある。いい提案がすぐに得られない場合には何年でも寝かせておいてじっくりと検討することが可能なのかどうかということである。
私はこのブログを始めてまもなく、「「緑と城の小田郷学」プロジェクト案」というのを提案した。住んでいる小田地区の今後を考えての提案だが、それは廃校になった小田小学校跡地の利用を前提としていた。そのなかで「りんりんロードの拠点休憩所づくり」というのがある。この地域は昔、関東鉄道筑波線の鉄道で結ばれていた地域でそこは今サイクリングロードとなっている。今日の報告会でも、土浦市が駅にサイクルステーションをつくり自転車を観光の目玉にしようとしているのと、今回の廃校跡地利用を結びつけられないのかと発言しようかと思ったが、結局、それには触れなかった。今回の動きでこうしたものをきちんと詰めなくてはならないと思っている。自治体単独で考えるのではなくて、地域共同も必要だろう。
つくば市の筑波地区はつくば市北部にあたり、合併前を示す下の地図では筑波町に当たる地域である。図の「センター地区」につくばエクスプレスつくば駅があって、そこから南西の方向に向けて沿線開発が進んだ。筑波地区は筑波山を含む農山村地域で、南側と違って過疎化と少子高齢化が進んでいる。このようにつくば市は落差が極端に現れているところである。その筑波地区の小学校・中学校を大胆に統廃合するプランが時間をかけて進んでいたが、今年の3月で完了し、その閉校式が2月24日にいっせいにあった。それは、茨城新聞でも報道されている。
過疎地域の小規模校を10校を合併して、中心地北条地区に施設一体型小中一貫校の「秀峰筑波義務教育学校」が開校し、個々の学校に通っていた子どもたちは毎日スクールバスで通学している。ここでこの措置についての是非は問わない。論じたいのは、廃校跡地利用についてである。今日の午前中に「筑波地区学校跡地に関する利活用ニーズ調査結果の地元説明会」が筑波交流センターであり、出席したので報告しておきたい。
説明会と議論
交流センターでの説明会は100人近くの人が来ていたが、多くは中高年の男性であった。区長やPTA会長を昔やっていた人、今やっている人が参加しているようだ。行政からの説明は、個々の学校の状況(都市計画法と土地所有の権利関係、耐震性、面積、平面図、校舎と室内運動場等)と、公募した民間事業者の提案、庁舎内の各部局の提案、そして市民から寄せられた提案を集計したものが報告された。校庭も含めてかなり広い土地と校舎があるが、新しい施設をつくるのが難しい市街化調整区域にある学校が多く、校舎については耐震基準を満たしていないものが少し含まれていた。
提案は、スポーツ施設や高齢者福祉施設、農業施設などが多く、市街化調整区域にあることもあって新しい商業施設を建てることが難しいらしく、資材置き場の提案や総務課からの文書倉庫の提案などもあった。担当の都市建設部の態度は、地域の意向を大事にしながらも、積極的な提案を募るというもので、市として跡地利用として包括的な提案があるわけでもなくて、個別の対応をするということのようだ。出席者より、子どもたちが集まって遊べる施設がほしいとか、大人の集会施設がほしい、高齢者福祉施設がほしいといった要望の声があった。また、住民のまちづくりの活動に対応したすすめ方をしてほしいという声もあった。
発言
私は次のような発言をした。明治の学制発布時には、将来の日本国を背負う世代を育成するということで学校建設のために施設や土地を供出し、その後、時間をかけて今の学校が建設されてきた。学校、とくに小学校は百数十年間にわたりそれぞれの地域にとってきわめて重要な施設であった。今、それが一斉に廃校になるということは重大な転換があったことを示している。学校という共通の目的のためにつくられた施設が今提案があったものだと、ばらばらの対応で転用されるように見える。ある学校は老人福祉施設になり、ある学校はスポーツ施設になり、ある学校は資材置き場になるという。それでいいのか。これを進めるのに市として包括的な活用プランの考えはないのか、伺いたいというものである。それに対して、説明した都市建設部の次長からは、市街化区域と市街化調整区域の違いや個々の学校による置かれた事情の違いがあって、できるだけ地域の要望に沿った活用をはかることを予定しているという回答だった。
この場は説明会で議論するところではないのでそれ以上発言することは控えた。しかし、私の発言はその後のいくつかの発言を引き出したらしく、考え方に賛同するという意見がいくつか寄せられた。そのなかでは、日本全体で廃校跡地の利用についての事例があるはずだからそれらを調査した上で提案すべきではないかとか、一度に10校も統合されて廃校になるケースは少ないのだからそれはもっと注目されてもいいのではないかとか、学識経験者や市民を含めた計画委員会をつくったらどうかという意見があった。私は、さらに、瀬戸内海の直島が銅の精錬所跡や山間部全体を美術館として観光開発で成功した例(ベネッセが開発)があるように、条件の示し方によっては大手の民間事業者が10校の一斎利用の新しいプランを提案する可能性もありうるのではないかという発言を追加した。
その後考えたこと
全国の廃校利用についての情報を集めてみた。文科省は「みんなの廃校プロジェクト」というのをやっていて、廃校利用で成果を上げた事例を紹介したり、廃校情報をリスト化して利用提案を呼びかけたりしている。リストを見ると数百校が再利用の提案を待っているという状況のようだ。一般的な需給関係を考えれば民間事業者からのいい提案がくるような状況には見えない。ただ、首都圏に隣接している地域であること、筑波山という観光地を控えていること、10校が一斉に利用可能なこと、筑波研究学園都市という国際的な都市の一部であることなどの点で有利な点がある。まず、文科省のページなどを参考にして精査して、市できちんとしたプランを打ち出すべきではないか。
その場合、検討にあたっての一定程度のガイドラインを設けるべきだと考える。たとえば決定には地域住民の合意を前提とし、地域福祉(広義)に貢献し、住民の日常生活を豊かにするものであることなどの条件をつけることである。また、どのようなスケジュールで検討しているのかがよくわからないところがある。いい提案がすぐに得られない場合には何年でも寝かせておいてじっくりと検討することが可能なのかどうかということである。
私はこのブログを始めてまもなく、「「緑と城の小田郷学」プロジェクト案」というのを提案した。住んでいる小田地区の今後を考えての提案だが、それは廃校になった小田小学校跡地の利用を前提としていた。そのなかで「りんりんロードの拠点休憩所づくり」というのがある。この地域は昔、関東鉄道筑波線の鉄道で結ばれていた地域でそこは今サイクリングロードとなっている。今日の報告会でも、土浦市が駅にサイクルステーションをつくり自転車を観光の目玉にしようとしているのと、今回の廃校跡地利用を結びつけられないのかと発言しようかと思ったが、結局、それには触れなかった。今回の動きでこうしたものをきちんと詰めなくてはならないと思っている。自治体単独で考えるのではなくて、地域共同も必要だろう。
2018-06-19
『情報リテラシーのための図書館』の書評
『情報リテラシーのための図書館:教育制度と図書館の改革』(みすず書房, 2017.12)を刊行したことについては、すでにこのブログで書いた。『情報リテラシーのための図書館ー日本の教育制度と図書館の改革』(続報)
ここでは今の時点で確認した書評数点について、著者の立場から応答しておきたい。今後、図書館関係の雑誌等にも掲載されるのだろうが(すでに『専門図書館』には掲載されている)、むしろ図書館関係者以外の読み手によって本書がどう読まれたのかを確認することができて興味深い。
◯「図書新聞」2018年1月1日号(3333号)
宇宙への想像力の扉を開ける知の技法
情報リテラシーの装置としての図書館を論じる
評者:新庄孝幸(ノンフィクションライター)
https://www1.e-hon.ne.jp/ content/toshoshimbun/3333.html
本書は昨年12月1日頃に市場に出回った。それが「図書新聞」の12月23日発売の号に掲載されたので驚いた。こんなに短時間で載るとはさすがに専門書評紙だと思ったし、これなら他の新聞書評も期待できるかとも思った。(しかし四大紙では取り上げられなかったが。)この新年特集号の最後の紙面は図書館関係書がまとめて取り上げられていたのだが、この書評は急遽、出たばかりの本に対して書評を短時間で執筆してもらってこの特集に突っ込んだのではないかと推測される。というのは、すぐ下に大串夏身さんの『図書館のこれまでとこれから』の書評が窮屈そうに置かれているからである。申し訳ない。
書評については、著者としてとくに言うことはない。情報リテラシーという概念の可能性と図書館ができることについてしっかりと読まれ書き込まれているものだった。これを書かれたライターは奈良県中西部の出身ということで、本書が、そこが舞台となった日本映画「天使のいる図書館」(2017、ウエダアツシ監督)に言及しているところから論を始めている。途中で情報リテラシーを「天使の羽」と見立てる比喩があるが、著者にはそこまで書くことはできなかったので、一本取られたという感じである。
◯愛媛新聞 1月22日 佐賀新聞 2月11日 ほか(共同通信配信)
評者:山口裕之(徳島大学准教授)
「知識 成長に生かす教育支援」
大学関係者による教育改革の視点よりの書評である。本書で引用した「事実→情報→理解→知識→知恵」という情報リテラシーの認知プロセスはけっこう多くの読者の目を引いたようで、他でも言及されている。ポストトゥルース的状況のなかで学習者(これはあらゆる人に当てはまる)は自分でこの認知プロセスを鍛えることでしか、確かなことに行きつけないし、そのためには情報リテラシーを身につけることが必要だというメッセージを理解していただけた。
◯honz
評者:山本 尚毅 3月26日
「図書館の隠れたポテンシャル」を引き出す4冊
http://honz.jp/articles/-/ 44675
これはオンラインの書評ページであり、4点の図書館関係本が書評されている。本書以外は、アンニョリ『知の広場』、田中あずさ『サブジェクト・ライブラリアン』、ミヌーイ『シリアの秘密図書館』でたいへん目配りのよい(というのは自己満足の表現でもあるが)並びになっている。
ここの書評では日本の図書館制度が置かれた歴史的事情について触れている。それは、知の閉塞というものであり、このことが本書の主張の中心部分になっていることを読みとり、それが昨今の教育改革によって解決される可能性があると論じたことを紹介している。
◯『出版ニュース』2018年3月中旬号
評者:塩見昇(大阪教育大学名誉教授)
同じ分野の先達による書評である。個人的にも親しくさせていただいている。書評は忠実に本書の内容を要約してくれているが、筆致にやや突き放した感じがある。その理由は2点あると受け止めた。
一つは、本書にとくに新しい知見はないということである。評者は同業者の立場から研究的な新しい知見を期待したのかもしれないが、本書はそれは意図していない。むしろ図書館で言われてきたこととその外側で言われてきたことのギャップを埋めることが目的でこれを書いた。そのために、ここで取り上げた図書館、読書・リテラシー、教育課程・教育方法学、江戸時代の教育史いずれの部分も、それぞれの専門家から見たらとくに目新しいことはないと見えるかもしれない。
もう一つは、書評の最後で、戦前から総合学習の元になった実践はあったことに本書が言及していないと指摘していることである。教育実践史でも、戦後新教育は大正自由教育のベースがあったから可能になったと言われているし、塩見氏自身が『日本学校図書館史』でそれを取り上げて、学校図書館も成城小学校の実践や戸塚廉の図書館教育など、戦前にも実践があったことを書かれている。確かにそうしたものはあったのだが、本書で強調しているのはそれらはやはりまったく例外的なものであり、制度化されなかったということである。ルーツを探れば歴史的に遡ることはできようが、それがあったこととそれが機能していたことは別である。なので、氏の指摘は当たっていないと受け止めている。
ただ、学校図書館を教育改革の歴史に位置づける努力をすることは重要であり、筆者自身は次のプロジェクトとしてこれを行うつもりにしていて、すでに8割方の原稿はできている。それは、戦後の学校図書館はあくまでも占領軍の政策として入ってきたと見るものであり、戦前と戦後の連続と断絶も一つのテーマとすることになる。
◯「日本教育新聞」2018年 6月11日号18面 批判的思考育む装置として
評者:大久保俊輝(文教大学非常勤講師)
http://www.kyoiku-press.com/ modules/smartsection/item.php? itemid=71186
待望の教育関係者による書評である。本書は副題にあるように教育改革をテーマにしているつもりである。上に書いたように、本書の個々の章に特段目新しいことはない。しかしながらまったく別個の文脈で議論されていたことをつなげてみるとまったく新しいことが見えてくるというのが、本書を書いてみての偽らざる気持ちである。それを、当の教育関係者がどのように読んでくれるのかは気になっていたことであった。
評者は校長をしていた方のようだ。冒頭、「校長にはぜひとも読んで貰いたい内容に満ちあふれている」としている。かつて学校教育において「批判」は禁句だったのに、この評では本書が前面に出している「批判的思考」の考え方を支持してくれている。また、「知は知を呼ぶ」を箴言として引用し、「これまでの学校教育は知の呼び声を聞かないふりをして続けられていた」と続けている。この部分は、私がこの本を書くときの一貫した方法論を示した部分であった。それはマングェルの「夜の図書館」やフーコーの「幻想の図書館」に触発されてのものであった。知を学習指導要領や検定教科書、そして暗記型のペーパーテストで狭いところに閉じ込め、それが再現できることが知の獲得であるという考え方を捨てることによって初めて、図書館は評価されるものになる。そのことを評価する教育者がいることに私は安堵した。
◯Amazonや書評サイトhonto、読書メーター、ブックログ、ブログにも匿名の評がある。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07DTNBKFS/ref=dp_kinw_strp_1
https://honto.jp/netstore/pd-book_28725259.html
https://bookmeter.com/books/12427720
https://booklog.jp/item/1/4622086506
http://yo-shi.cocolog-nifty. com/honyomi/2018/04/post-80ba. html
ここでは今の時点で確認した書評数点について、著者の立場から応答しておきたい。今後、図書館関係の雑誌等にも掲載されるのだろうが(すでに『専門図書館』には掲載されている)、むしろ図書館関係者以外の読み手によって本書がどう読まれたのかを確認することができて興味深い。
◯「図書新聞」2018年1月1日号(3333号)
宇宙への想像力の扉を開ける知の技法
情報リテラシーの装置としての図書館を論じる
評者:新庄孝幸(ノンフィクションライター)
https://www1.e-hon.ne.jp/
本書は昨年12月1日頃に市場に出回った。それが「図書新聞」の12月23日発売の号に掲載されたので驚いた。こんなに短時間で載るとはさすがに専門書評紙だと思ったし、これなら他の新聞書評も期待できるかとも思った。(しかし四大紙では取り上げられなかったが。)この新年特集号の最後の紙面は図書館関係書がまとめて取り上げられていたのだが、この書評は急遽、出たばかりの本に対して書評を短時間で執筆してもらってこの特集に突っ込んだのではないかと推測される。というのは、すぐ下に大串夏身さんの『図書館のこれまでとこれから』の書評が窮屈そうに置かれているからである。申し訳ない。
書評については、著者としてとくに言うことはない。情報リテラシーという概念の可能性と図書館ができることについてしっかりと読まれ書き込まれているものだった。これを書かれたライターは奈良県中西部の出身ということで、本書が、そこが舞台となった日本映画「天使のいる図書館」(2017、ウエダアツシ監督)に言及しているところから論を始めている。途中で情報リテラシーを「天使の羽」と見立てる比喩があるが、著者にはそこまで書くことはできなかったので、一本取られたという感じである。
◯愛媛新聞 1月22日 佐賀新聞 2月11日 ほか(共同通信配信)
評者:山口裕之(徳島大学准教授)
「知識 成長に生かす教育支援」
大学関係者による教育改革の視点よりの書評である。本書で引用した「事実→情報→理解→知識→知恵」という情報リテラシーの認知プロセスはけっこう多くの読者の目を引いたようで、他でも言及されている。ポストトゥルース的状況のなかで学習者(これはあらゆる人に当てはまる)は自分でこの認知プロセスを鍛えることでしか、確かなことに行きつけないし、そのためには情報リテラシーを身につけることが必要だというメッセージを理解していただけた。
◯honz
評者:山本 尚毅 3月26日
「図書館の隠れたポテンシャル」を引き出す4冊
http://honz.jp/articles/-/
これはオンラインの書評ページであり、4点の図書館関係本が書評されている。本書以外は、アンニョリ『知の広場』、田中あずさ『サブジェクト・ライブラリアン』、ミヌーイ『シリアの秘密図書館』でたいへん目配りのよい(というのは自己満足の表現でもあるが)並びになっている。
ここの書評では日本の図書館制度が置かれた歴史的事情について触れている。それは、知の閉塞というものであり、このことが本書の主張の中心部分になっていることを読みとり、それが昨今の教育改革によって解決される可能性があると論じたことを紹介している。
◯『出版ニュース』2018年3月中旬号
評者:塩見昇(大阪教育大学名誉教授)
同じ分野の先達による書評である。個人的にも親しくさせていただいている。書評は忠実に本書の内容を要約してくれているが、筆致にやや突き放した感じがある。その理由は2点あると受け止めた。
一つは、本書にとくに新しい知見はないということである。評者は同業者の立場から研究的な新しい知見を期待したのかもしれないが、本書はそれは意図していない。むしろ図書館で言われてきたこととその外側で言われてきたことのギャップを埋めることが目的でこれを書いた。そのために、ここで取り上げた図書館、読書・リテラシー、教育課程・教育方法学、江戸時代の教育史いずれの部分も、それぞれの専門家から見たらとくに目新しいことはないと見えるかもしれない。
もう一つは、書評の最後で、戦前から総合学習の元になった実践はあったことに本書が言及していないと指摘していることである。教育実践史でも、戦後新教育は大正自由教育のベースがあったから可能になったと言われているし、塩見氏自身が『日本学校図書館史』でそれを取り上げて、学校図書館も成城小学校の実践や戸塚廉の図書館教育など、戦前にも実践があったことを書かれている。確かにそうしたものはあったのだが、本書で強調しているのはそれらはやはりまったく例外的なものであり、制度化されなかったということである。ルーツを探れば歴史的に遡ることはできようが、それがあったこととそれが機能していたことは別である。なので、氏の指摘は当たっていないと受け止めている。
ただ、学校図書館を教育改革の歴史に位置づける努力をすることは重要であり、筆者自身は次のプロジェクトとしてこれを行うつもりにしていて、すでに8割方の原稿はできている。それは、戦後の学校図書館はあくまでも占領軍の政策として入ってきたと見るものであり、戦前と戦後の連続と断絶も一つのテーマとすることになる。
◯「日本教育新聞」2018年 6月11日号18面 批判的思考育む装置として
評者:大久保俊輝(文教大学非常勤講師)
http://www.kyoiku-press.com/
待望の教育関係者による書評である。本書は副題にあるように教育改革をテーマにしているつもりである。上に書いたように、本書の個々の章に特段目新しいことはない。しかしながらまったく別個の文脈で議論されていたことをつなげてみるとまったく新しいことが見えてくるというのが、本書を書いてみての偽らざる気持ちである。それを、当の教育関係者がどのように読んでくれるのかは気になっていたことであった。
評者は校長をしていた方のようだ。冒頭、「校長にはぜひとも読んで貰いたい内容に満ちあふれている」としている。かつて学校教育において「批判」は禁句だったのに、この評では本書が前面に出している「批判的思考」の考え方を支持してくれている。また、「知は知を呼ぶ」を箴言として引用し、「これまでの学校教育は知の呼び声を聞かないふりをして続けられていた」と続けている。この部分は、私がこの本を書くときの一貫した方法論を示した部分であった。それはマングェルの「夜の図書館」やフーコーの「幻想の図書館」に触発されてのものであった。知を学習指導要領や検定教科書、そして暗記型のペーパーテストで狭いところに閉じ込め、それが再現できることが知の獲得であるという考え方を捨てることによって初めて、図書館は評価されるものになる。そのことを評価する教育者がいることに私は安堵した。
◯Amazonや書評サイトhonto、読書メーター、ブックログ、ブログにも匿名の評がある。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07DTNBKFS/ref=dp_kinw_strp_1
https://honto.jp/netstore/pd-book_28725259.html
https://bookmeter.com/books/12427720
https://booklog.jp/item/1/4622086506
http://yo-shi.cocolog-nifty.
2018-06-05
米国大学図書館のサブジェクト・ライブラリアン
田中あずさ著『サブジェクト・ライブラリアン:海の向こうアメリカの学術図書館の仕事』(笠間書院, 2017.12)を読んだ。アメリカの専門職図書館員制度については、これまでもたくさんの報告があるが、本書は現職にある人がその職の実態を生々しく伝えてくれる本である。私も含めて日本の図書館界ではアメリカの図書館員養成制度が有力なモデルだったのだが、それが実際にどのように動いているのかが分かるという意味で、これまでなかった情報を提供してくれる本である。
著者はワシントン大学(シアトル校)のアジア図書館でサブジェクト・ライブラリアンをしている人である。 ライブラリアンは図書館における資料の管理や利用者サービス、データベース管理などをしている人というのが一般的なイメージであるが、サブジェクト・ライブラリアンはとくに専門的な分野に特化してそうしたサービスを行っている職員である。とくに専門主題や言語、資料のタイプなど特定の領域のコレクションをつくり、そこの専門研究者であるクライアントにサービスをする人のことである。彼女は、この図書館で日本語資料および韓国語資料を担当している。
本書によると、この大学には部局図書館が法学図書館、数学図書館など10館以上あり、そこにサブジェクト・ライブラリアンが70人以上配置されていて、160の学術分野に対応しているという。アジア図書館は部局図書館の一つで、中国語、韓国語、日本語のコレクションを対象にしている。それぞれの言語に対応して、資料収集担当者、目録担当者、そしてパブリックサービスの担当者がいて総計14人の専門職スタッフがいる。著者はそのなかで、パブリックサービスを担当する日本語研究専門のサブジェクト・ライブラリアンであるが、同時に韓国語資料についても担当しているらしい。サブジェクト・ライブラリアンの仕事は、それぞれの学問領域のコレクション構築、予算管理、レファレンス対応、図書館ワークショップの開催、教員との連携、各国からの来客の対応とされている。
私がこの本で学んだこととして、サブジェクト・ライブラリアンには一定の範囲の選書権限があるということと、一定の研究休暇をとることが認められているということがある。選書権限は、図書館が学部に所属しているのではなくて独立の予算が与えられており、教員が選書するのではなく一定の予算のもとにライブラリアンが選定することができるということである。もちろんコレクション構築の方針や選書基準にしたがうのではあるが、当該分野の資料はこの人に任せるとされているという意味である。だから選書ができることがサブジェクト・ライブラリアンの重要な要件であり、その権限がJob descriptionに規定されているということになる。日本ではこのあたりがあいまいで、研究資料は教員が選び、教育資料は図書館員が選ぶとしても、教員の研究予算と区別する予算枠が小さく、予算枠の使い方が個人ベースでなく集団的に選書することが一般的である。アメリカの大学図書館専門職が個人ベースであることは、研究休暇があることと表裏の関係にある。つまり専門職として研鑽を積むことにより、独立した選書権限が認められているということになる。こうした明確な仕事内容の明記とそれにともなう責任が表裏の関係にあることが指摘できる。
本書はサブジェクト・ライブラリアンにかぎらず、アメリカの大学におけるライブラリアンがどのようなものであるかを理解するのによい本である。このなかには、アメリカの図書館員が女性が多く、専門職と言っても給与は安くあまり尊敬されていない実態も書かれている。とは言え、日本ではアメリカ的な意味での専門職待遇の図書館員がかなり限定されていることを考えるとたいへんに参考になる。
アメリカの大学では、インターネットを通じてオンラインジャーナルや電子書籍、商用データベースにエンドユーザーが直接アクセスできるようになったので、サブジェクトライブラリアンの職が急激に減りつつあるという話しがある。だがそれはたぶん理系の分野の話しであるだろう。本書にもそのことが少し出てくる。しかし、人文社会系はそうはいかないだろう。何よりもこの分野では、図書館は研究情報に加えて研究対象の一次情報を提供する場である。この本が描き出しているように、人文社会系分野の資料の在り方はきわめて多様であり、さらに多言語的であるからだ。それも専門性が高まれば高まるほど、扱いにくいものが対象になる。また、専門性というのはその職場のクライアントの個別性と対応しているので、その意味でも理系のように当該領域のデータやレポート類と世界的なジャーナルにアクセスできればOKというわけにはいかない。
日本の図書館員の養成制度の理想的モデルはアメリカの専門職図書館員制度にあった。私が所属する慶應義塾大学文学部図書館・情報学専攻は1951年の発足当初はJapan Library Schoolと呼ばれアメリカから教員が来てアメリカ流の教育方法で始まった。それはしばらく続き、図書館界にも幾多の人材を送り出したが、今では学部の図書館・情報学専攻の学生で図書館現場に就職する人は毎年数名程度に限定されている。これは、職の募集そのものが少ない上に、民間での就職が先に始まり、こうした公的組織の求人はどうしても遅くなるから、安全側をとりたい学生の希望とずれているからである。アメリカと日本とでは違うと言ったらそれまでなのだが、図書館のような知的インフラをどのようにつくろうとするのかという基本的姿勢に関わる問題を内包しているように思う。
追記(これはfacebookに書いたもの):ここに一つ書き忘れたことがあります。それは笠間書院という文学・歴史学系の出版社がこの本を出したことの意味ですね。アメリカのこうした人文社会系の研究環境が日本ではほとんど知られていなかったということです。日本では人文系の研究者も出版関係者も資料を研究者自身が抱え込むことを常態にしていましたが、図書館とか文書館、博物館による総合的な資料利用環境を考えるべきときだと思います。それは国家的にデジタルアーカイブをつくる前提条件のはずです。
著者はワシントン大学(シアトル校)のアジア図書館でサブジェクト・ライブラリアンをしている人である。 ライブラリアンは図書館における資料の管理や利用者サービス、データベース管理などをしている人というのが一般的なイメージであるが、サブジェクト・ライブラリアンはとくに専門的な分野に特化してそうしたサービスを行っている職員である。とくに専門主題や言語、資料のタイプなど特定の領域のコレクションをつくり、そこの専門研究者であるクライアントにサービスをする人のことである。彼女は、この図書館で日本語資料および韓国語資料を担当している。
本書によると、この大学には部局図書館が法学図書館、数学図書館など10館以上あり、そこにサブジェクト・ライブラリアンが70人以上配置されていて、160の学術分野に対応しているという。アジア図書館は部局図書館の一つで、中国語、韓国語、日本語のコレクションを対象にしている。それぞれの言語に対応して、資料収集担当者、目録担当者、そしてパブリックサービスの担当者がいて総計14人の専門職スタッフがいる。著者はそのなかで、パブリックサービスを担当する日本語研究専門のサブジェクト・ライブラリアンであるが、同時に韓国語資料についても担当しているらしい。サブジェクト・ライブラリアンの仕事は、それぞれの学問領域のコレクション構築、予算管理、レファレンス対応、図書館ワークショップの開催、教員との連携、各国からの来客の対応とされている。
私がこの本で学んだこととして、サブジェクト・ライブラリアンには一定の範囲の選書権限があるということと、一定の研究休暇をとることが認められているということがある。選書権限は、図書館が学部に所属しているのではなくて独立の予算が与えられており、教員が選書するのではなく一定の予算のもとにライブラリアンが選定することができるということである。もちろんコレクション構築の方針や選書基準にしたがうのではあるが、当該分野の資料はこの人に任せるとされているという意味である。だから選書ができることがサブジェクト・ライブラリアンの重要な要件であり、その権限がJob descriptionに規定されているということになる。日本ではこのあたりがあいまいで、研究資料は教員が選び、教育資料は図書館員が選ぶとしても、教員の研究予算と区別する予算枠が小さく、予算枠の使い方が個人ベースでなく集団的に選書することが一般的である。アメリカの大学図書館専門職が個人ベースであることは、研究休暇があることと表裏の関係にある。つまり専門職として研鑽を積むことにより、独立した選書権限が認められているということになる。こうした明確な仕事内容の明記とそれにともなう責任が表裏の関係にあることが指摘できる。
本書はサブジェクト・ライブラリアンにかぎらず、アメリカの大学におけるライブラリアンがどのようなものであるかを理解するのによい本である。このなかには、アメリカの図書館員が女性が多く、専門職と言っても給与は安くあまり尊敬されていない実態も書かれている。とは言え、日本ではアメリカ的な意味での専門職待遇の図書館員がかなり限定されていることを考えるとたいへんに参考になる。
アメリカの大学では、インターネットを通じてオンラインジャーナルや電子書籍、商用データベースにエンドユーザーが直接アクセスできるようになったので、サブジェクトライブラリアンの職が急激に減りつつあるという話しがある。だがそれはたぶん理系の分野の話しであるだろう。本書にもそのことが少し出てくる。しかし、人文社会系はそうはいかないだろう。何よりもこの分野では、図書館は研究情報に加えて研究対象の一次情報を提供する場である。この本が描き出しているように、人文社会系分野の資料の在り方はきわめて多様であり、さらに多言語的であるからだ。それも専門性が高まれば高まるほど、扱いにくいものが対象になる。また、専門性というのはその職場のクライアントの個別性と対応しているので、その意味でも理系のように当該領域のデータやレポート類と世界的なジャーナルにアクセスできればOKというわけにはいかない。
日本の図書館員の養成制度の理想的モデルはアメリカの専門職図書館員制度にあった。私が所属する慶應義塾大学文学部図書館・情報学専攻は1951年の発足当初はJapan Library Schoolと呼ばれアメリカから教員が来てアメリカ流の教育方法で始まった。それはしばらく続き、図書館界にも幾多の人材を送り出したが、今では学部の図書館・情報学専攻の学生で図書館現場に就職する人は毎年数名程度に限定されている。これは、職の募集そのものが少ない上に、民間での就職が先に始まり、こうした公的組織の求人はどうしても遅くなるから、安全側をとりたい学生の希望とずれているからである。アメリカと日本とでは違うと言ったらそれまでなのだが、図書館のような知的インフラをどのようにつくろうとするのかという基本的姿勢に関わる問題を内包しているように思う。
追記(これはfacebookに書いたもの):ここに一つ書き忘れたことがあります。それは笠間書院という文学・歴史学系の出版社がこの本を出したことの意味ですね。アメリカのこうした人文社会系の研究環境が日本ではほとんど知られていなかったということです。日本では人文系の研究者も出版関係者も資料を研究者自身が抱え込むことを常態にしていましたが、図書館とか文書館、博物館による総合的な資料利用環境を考えるべきときだと思います。それは国家的にデジタルアーカイブをつくる前提条件のはずです。
追記2(2020年10月20日):著者と連絡がとれ、現職はJapanese Studies Librarianで韓国は職務範囲に入っていないとのことです。
新治地区のコミュニティセンター
最近、土浦市の施設に行くことが増えている。昔、子どもたちが小さかったときには亀城公園プラザのホールで楽器の演奏会が毎年あってそこに通うことが多かったが、その後は土浦にまで脚を伸ばすことはなくっていた。小田に移り住むようになってあらためて土浦との縁が出てきた。というのは、つくば市小田地区は江戸時代は土浦藩小田村だったところであり、また、現在は国道125号線で小田と土浦は結ばれているからだ。さらには、昔、筑波鉄道筑波線という気動車が土浦と岩瀬駅を結んで走っていて、その途中に常陸小田という駅もあった。今は、小田城の史跡公園になっている。
鉄道は1980年代末に廃線となり軌道は撤去されたが、その跡はサイクリングロードとなっていて、快適なサイクリングが楽しめる。今は霞ヶ浦から筑波山までまっすぐに続いているので、何も考えないで自転車を走らせるのにいい。家からこのロードで自転車を走らせて30分ほど行って125号線に入るとまもなくJA新治が見えてくる。ここはJAの直売所で野菜類を安く買うことができる。
新治という地名は、日本書紀に、日本武尊が蝦夷を制定して「新治(にいばり) 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と詠み、それに家来が答えて「かがなべて 夜には九夜 日には十日」と唱和したというのが出てくる。今は分からないが、私が高校の頃はこの一節が国語の教科書に出ていたから今でも覚えている。これは甲府で読んだ連歌とされるものであるが、この歌に出てくる新治の地がここである。この地は蝦夷征伐の最前線だったのだ。その新治は周りの町村が土浦市に統合されても新治村であり続けたのだが、 平成の大合併で土浦との合併を余儀なくされたようだ。
JA新治からちょっと東に入ったところに、土浦市の新治コミュニティセンターの建物がある。前からJAにはときどき行っていたので建物は目についていたが、なかに入ったことはなかったのだが、先日入ってみた。コミュニティセンターってなんだろうと素朴な疑問が沸いたからである。そこはけっこうしっかりとした公共施設で、なか には公民館を中心として図書館もあった。しかしこれが、公民館とも図書館とも表示がないので中に入らないとわからないのである。JAに来る人は多いのに、 あそこの存在に気づいている人はそんなに多くないのではないか。なんだかもったいないと感じた。
中は必要最小限の公共図書館の機能と公民館の機能が存在していた。ときどきここに行くものとしてはありがたい。また、土浦市は他市の市民にも貸出しをしてくれるのもありがたい。しかし、地元の人達のニーズにどの程度、見合ったものになっているのかはまだよくわからない。だが、想像するに地元の住民が直接、要求したというよりは、おそらくは合併の「褒美」がこのコミュニティセンターなのだろう。合併特例債でつくったことはここの職員の方に聞いて確認した。
こういう施設こそは地域住民の文化的な発展のために利用すべきではないのか。地元で地域的アイデンティティを主張する動きがあるのかどうかはよくはわからない。たとえば、合併関係の行政資料をきちんと後世に残すための拠点として機能すべきではないのか。とくに、公民館との併設であるから、双方のノウハウを駆使して、そうした当地にとって不可欠な資料(今のはやりの用語で言えばオーセンティックな資料)とそれに関わる解説や展示などのサービスがあってしかるべきではないだろうか。
土浦市図書館では郷土資料を重視しているのはありがたい。だが、これまで、地域資料や郷土資料というと、市の中心館が担うという考えが強かったが、ここのように合併して編入された地域では、また独自の地域資料サービスがあってよいと感じる。
鉄道は1980年代末に廃線となり軌道は撤去されたが、その跡はサイクリングロードとなっていて、快適なサイクリングが楽しめる。今は霞ヶ浦から筑波山までまっすぐに続いているので、何も考えないで自転車を走らせるのにいい。家からこのロードで自転車を走らせて30分ほど行って125号線に入るとまもなくJA新治が見えてくる。ここはJAの直売所で野菜類を安く買うことができる。
新治という地名は、日本書紀に、日本武尊が蝦夷を制定して「新治(にいばり) 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と詠み、それに家来が答えて「かがなべて 夜には九夜 日には十日」と唱和したというのが出てくる。今は分からないが、私が高校の頃はこの一節が国語の教科書に出ていたから今でも覚えている。これは甲府で読んだ連歌とされるものであるが、この歌に出てくる新治の地がここである。この地は蝦夷征伐の最前線だったのだ。その新治は周りの町村が土浦市に統合されても新治村であり続けたのだが、 平成の大合併で土浦との合併を余儀なくされたようだ。
JA新治からちょっと東に入ったところに、土浦市の新治コミュニティセンターの建物がある。前からJAにはときどき行っていたので建物は目についていたが、なかに入ったことはなかったのだが、先日入ってみた。コミュニティセンターってなんだろうと素朴な疑問が沸いたからである。そこはけっこうしっかりとした公共施設で、なか には公民館を中心として図書館もあった。しかしこれが、公民館とも図書館とも表示がないので中に入らないとわからないのである。JAに来る人は多いのに、 あそこの存在に気づいている人はそんなに多くないのではないか。なんだかもったいないと感じた。
中は必要最小限の公共図書館の機能と公民館の機能が存在していた。ときどきここに行くものとしてはありがたい。また、土浦市は他市の市民にも貸出しをしてくれるのもありがたい。しかし、地元の人達のニーズにどの程度、見合ったものになっているのかはまだよくわからない。だが、想像するに地元の住民が直接、要求したというよりは、おそらくは合併の「褒美」がこのコミュニティセンターなのだろう。合併特例債でつくったことはここの職員の方に聞いて確認した。
こういう施設こそは地域住民の文化的な発展のために利用すべきではないのか。地元で地域的アイデンティティを主張する動きがあるのかどうかはよくはわからない。たとえば、合併関係の行政資料をきちんと後世に残すための拠点として機能すべきではないのか。とくに、公民館との併設であるから、双方のノウハウを駆使して、そうした当地にとって不可欠な資料(今のはやりの用語で言えばオーセンティックな資料)とそれに関わる解説や展示などのサービスがあってしかるべきではないだろうか。
土浦市図書館では郷土資料を重視しているのはありがたい。だが、これまで、地域資料や郷土資料というと、市の中心館が担うという考えが強かったが、ここのように合併して編入された地域では、また独自の地域資料サービスがあってよいと感じる。
2018-04-20
「図書館はオープンガバメントに貢献できるか」報告(3)
「報告」(2)に書いたことが、今回の集会の背景である。私の個人的な思いから開かせていただいた。要するに、オープンガバメントという理念を図書館関係者がどれほど意識しまた実践しているのかを確認したいということである。ワークショップという形式を標榜して出席者に質問や意見を書いていただきたいというところが重要であり、それについては実際にさまざまな書き込みが40件以上得られた。これをHPに出したところから、次の過程が始まる。ワークショップという意味では非常に不十分なものに終わったことは率直にお詫びしたい。だが、参加者の多くはこの問題には解決策が用意されているのではなくて、これから皆でつくっていくべき性質のものであることをご理解いただいたのではないかと思う。
豊田さんが「これは行政支援ではありません」というタイトルでした講演がいみじくも示しているように、図書館が実施するサービスは公費で実施するものである限り、すべてが行政支援の性格をもっている。日野市の市政図書室の担当者は、うちでは行政支援サービスはしていませんと明言されているのだが、これが意味することは、日野市の図書館が「資料提供」モデルを提示したことに市政図書室のサービスも含まれているのであり、そこでは市民も行政職員も議員も等しく利用者として扱うのだということだ。つまり広義の資料提供は必然的に行政資料サービスや行政支援を含むのだということだろう。
私が残念に思うのは、日野市は「市民の図書館」モデルの原点にある図書館であり、市政図書室までつくってモデルが完成したはずなのだが、市民の図書館とは貸出を中心とするサービスなのだという誤解を与えてすでに40年の月日が過ぎていることである。それはもちろん日野市立図書館の責任ではない。日野市は貸出だけでなくレファレンスサービス、地域資料サービスも十全以上に実施している。
私が自著で何度も書いてきたように、資料提供論の原点となった『市民の図書館』(日本図書館協会 1970)は、日野が移動図書館と地域図書館だけでサービスをしていたものをベースに書かれている。その後、中央図書館(1973)ができ、また、市政図書室(1977)ができて、日野市立図書館サービスの全体像が完成した。しかし、それを踏まえての「資料提供論改訂版」は示されなかったのである。1980年代には前川恒雄『われらの図書館』、竹内紀𠮷『図書館の街浦安』が読まれて「資料提供論」が定着したと思われるが、そこで示される図書館論は貸出を中心とした資料提供論の枠を出ることはできなかった。 貸出を中心とすることは、図書館を地域社会に定着させるための戦略だったという解釈も成り立つのだが、それなら状況に合わせての戦略変更があってしかるべきだった。21世紀になって、文科省が「これからの図書館像」(2006)や「図書館の設置及び運営の基準」(2012)を出して新しいタイプの図書館運営モデルを出した。しかし、出た時点で貸出図書館モデルはすでに日本社会の深いところに染み込んでしまっていて、容易に変更できないものになっている。
先に触れた情報公開と図書館の関係の議論の根底には、日野が市政図書室を設置したことのインパクトがあった。つまり、地域行政資料を集め、行政職員の身近なところで行政支援的なサービスをすることが図書館の自然な発展であったということである。市政図書室は正規職員が3人ついてサービスを実施している。当該自治体、周辺自治体、都道府県までを含んだ行政資料の収集と蓄積・保存、行政職員に対する積極的な予約、貸出、配送、専門性を生かしたレファレンスサービス、新聞記事の切り抜きの各課への配送、新聞記事見出しのデータベース化とそのインターネット配信などが行われている。日野市職員の意識調査を実施したところ、予想以上に利用があることがわかった。その結果の一部は、当日配付資料に掲載しているが、本格的には別のかたちで公表する予定にしている。
日野は特別だという声もある。市政図書室が可能だったのは、初代市長有山崧氏がいたからだとか、できた当時、前川恒雄氏が助役をやっていたとかいうことである。政治あるいは行政の判断が大きな力をもつことは確かだろうが、その二人は日野市立図書館、ひいては「資料提供論」の産みの親なのだから、その延長で市政図書室を他でもまねてもよかったのになぜできなかったのか。逆に言うと、日野市であのような実践を可能にした力が何であったのかについてもっと研究が必要だし、それがその後図書館の世界ではうまく拡がらなかったのがなぜなのかももっと研究すべきであるだろう。
今回、日野市を調査して、図書館がネット時代においても重要な役割を果たすのは、資料や情報をストックする機能にあることを痛感した。当日報告したように、調査によって職位が上の職員ほど市政図書室を利用していることが示されていた。これが年配の人ほどネットではなくて紙資料に頼るからだという見方もあるがそうではない。課長クラスの人はネットを使うのは当たり前で、それで不足するものを市政図書室で補っている。何が不足するかと言えば、過去の資料であり、時系列的な蓄積であり、また、日野を中心に多摩地域、東京都、関東一円というように同心円状に拡がる地域的な資料情報の構造である。市政図書室のサービスはそうしたローカルな情報ニーズに対応したサービスをしている。これらはグローバルなネットでは決して実現できない。もちろん、庁内イントラネットなどで実現することは可能であるが、そうしたものを企画するのが図書館のはずである。
行政情報の扱いと行政支援はこのように相互にかかわる。日野にこだわってきたのは、現代公共図書館サービスの出発点である図書館がすでに1970年代にそのような仕掛けをしていることにもっと気づくべきだと思うからだ。足下を見よと。
私は近年、「情報リテラシー」とか「学校図書館」とか「書籍のナショナルアーカイブ」とかについて発言してきた。「行政情報」「行政支援」とかなり違うものを扱っているように見えるかもしれない。だが、自分としては一貫したテーマを追求しているつもりである。それは、「情報共有体制」をどのようにつくるかということである。国レベルでも地域レベルでも組織レベルでも情報の発生は同じ構造に基づいており、その構造に対して情報共有の仕組みをつくるのが「図書館」(これは制度的な図書館に限らない)であり、それを使いこなすためには人は情報リテラシーをもつ必要があるということだ。
豊田さんが「これは行政支援ではありません」というタイトルでした講演がいみじくも示しているように、図書館が実施するサービスは公費で実施するものである限り、すべてが行政支援の性格をもっている。日野市の市政図書室の担当者は、うちでは行政支援サービスはしていませんと明言されているのだが、これが意味することは、日野市の図書館が「資料提供」モデルを提示したことに市政図書室のサービスも含まれているのであり、そこでは市民も行政職員も議員も等しく利用者として扱うのだということだ。つまり広義の資料提供は必然的に行政資料サービスや行政支援を含むのだということだろう。
私が残念に思うのは、日野市は「市民の図書館」モデルの原点にある図書館であり、市政図書室までつくってモデルが完成したはずなのだが、市民の図書館とは貸出を中心とするサービスなのだという誤解を与えてすでに40年の月日が過ぎていることである。それはもちろん日野市立図書館の責任ではない。日野市は貸出だけでなくレファレンスサービス、地域資料サービスも十全以上に実施している。
私が自著で何度も書いてきたように、資料提供論の原点となった『市民の図書館』(日本図書館協会 1970)は、日野が移動図書館と地域図書館だけでサービスをしていたものをベースに書かれている。その後、中央図書館(1973)ができ、また、市政図書室(1977)ができて、日野市立図書館サービスの全体像が完成した。しかし、それを踏まえての「資料提供論改訂版」は示されなかったのである。1980年代には前川恒雄『われらの図書館』、竹内紀𠮷『図書館の街浦安』が読まれて「資料提供論」が定着したと思われるが、そこで示される図書館論は貸出を中心とした資料提供論の枠を出ることはできなかった。 貸出を中心とすることは、図書館を地域社会に定着させるための戦略だったという解釈も成り立つのだが、それなら状況に合わせての戦略変更があってしかるべきだった。21世紀になって、文科省が「これからの図書館像」(2006)や「図書館の設置及び運営の基準」(2012)を出して新しいタイプの図書館運営モデルを出した。しかし、出た時点で貸出図書館モデルはすでに日本社会の深いところに染み込んでしまっていて、容易に変更できないものになっている。
先に触れた情報公開と図書館の関係の議論の根底には、日野が市政図書室を設置したことのインパクトがあった。つまり、地域行政資料を集め、行政職員の身近なところで行政支援的なサービスをすることが図書館の自然な発展であったということである。市政図書室は正規職員が3人ついてサービスを実施している。当該自治体、周辺自治体、都道府県までを含んだ行政資料の収集と蓄積・保存、行政職員に対する積極的な予約、貸出、配送、専門性を生かしたレファレンスサービス、新聞記事の切り抜きの各課への配送、新聞記事見出しのデータベース化とそのインターネット配信などが行われている。日野市職員の意識調査を実施したところ、予想以上に利用があることがわかった。その結果の一部は、当日配付資料に掲載しているが、本格的には別のかたちで公表する予定にしている。
日野は特別だという声もある。市政図書室が可能だったのは、初代市長有山崧氏がいたからだとか、できた当時、前川恒雄氏が助役をやっていたとかいうことである。政治あるいは行政の判断が大きな力をもつことは確かだろうが、その二人は日野市立図書館、ひいては「資料提供論」の産みの親なのだから、その延長で市政図書室を他でもまねてもよかったのになぜできなかったのか。逆に言うと、日野市であのような実践を可能にした力が何であったのかについてもっと研究が必要だし、それがその後図書館の世界ではうまく拡がらなかったのがなぜなのかももっと研究すべきであるだろう。
今回、日野市を調査して、図書館がネット時代においても重要な役割を果たすのは、資料や情報をストックする機能にあることを痛感した。当日報告したように、調査によって職位が上の職員ほど市政図書室を利用していることが示されていた。これが年配の人ほどネットではなくて紙資料に頼るからだという見方もあるがそうではない。課長クラスの人はネットを使うのは当たり前で、それで不足するものを市政図書室で補っている。何が不足するかと言えば、過去の資料であり、時系列的な蓄積であり、また、日野を中心に多摩地域、東京都、関東一円というように同心円状に拡がる地域的な資料情報の構造である。市政図書室のサービスはそうしたローカルな情報ニーズに対応したサービスをしている。これらはグローバルなネットでは決して実現できない。もちろん、庁内イントラネットなどで実現することは可能であるが、そうしたものを企画するのが図書館のはずである。
行政情報の扱いと行政支援はこのように相互にかかわる。日野にこだわってきたのは、現代公共図書館サービスの出発点である図書館がすでに1970年代にそのような仕掛けをしていることにもっと気づくべきだと思うからだ。足下を見よと。
私は近年、「情報リテラシー」とか「学校図書館」とか「書籍のナショナルアーカイブ」とかについて発言してきた。「行政情報」「行政支援」とかなり違うものを扱っているように見えるかもしれない。だが、自分としては一貫したテーマを追求しているつもりである。それは、「情報共有体制」をどのようにつくるかということである。国レベルでも地域レベルでも組織レベルでも情報の発生は同じ構造に基づいており、その構造に対して情報共有の仕組みをつくるのが「図書館」(これは制度的な図書館に限らない)であり、それを使いこなすためには人は情報リテラシーをもつ必要があるということだ。
「図書館はオープンガバメントに貢献できるか」報告(2)
まだ大学院生および助手だった30年以上前の1980年代の中頃に、私は日本図書館協会の図書館の自由に関する調査委員会の委員を数年務めていた。そこで関西の石塚栄二さん(大阪府立図書館、帝塚山大学)、塩見昇さん(大阪市立図書館、大阪教育大学)たちと知り合う機会があった。当時は「図書館の自由に関する宣言1979年」が出たあとで、解説が出たり「シリーズ図書館の自由」も出ていたので、「図書館の自由」がどういう理念に基づいているのかを勉強した。また、『図書館員の倫理綱領』が出て、単に自由を主張するのでなくて、それを実現するためにひとりひとりの図書館員の社会的責任を明確にしようとする考え方に触れた。日本的な図書館環境のなかで、アメリカ図書館協会と同様に「宣言」と「綱領」を示して社会的な主張をするところに新しい可能性を見たが、同時に、その危うさも感じていた。
当時、『図書館雑誌』(1980年3月号)で 「行政資料の流通と図書館」という特集が組まれて、情報公開の議論を先導していた青山学院大学法学部の清水英夫さんが「 図書館と情報公開 」という文章を書いた。また、石塚栄二さんが法律誌『ジュリスト』(1981年6月)に「情報公開と図書館--図書館の自由に関する宣言との関係において」という論文を発表した。今よりも法学分野と図書館分野は相互の結びつきがあったと言えるだろう。私は、図書館が地域社会で果たす多方面の役割を実現する制度に関心があったのでこの問題を自分で考えてみようと思い、石塚さんや塩見さんたちと相談して、「シリーズ図書館の自由」の一冊として『情報公開制度と図書館の自由』(日本図書館協会, 1987)という論集を出すことにして、編集の中心になり、そこで、行政資料提供と図書館の関係についての論考を書いたり、各地の実践報告を紹介したりした。地域社会の新しい動きに図書館員が敏感に反応して、行政資料提供の実践が行われていた。この時代は、ようやく公立図書館の運営方針が明確になって「市民の図書館」の実現を目指していた時期であり、図書館にさまざまな期待をもつことができた。
私はこの頃、一方では国立国会図書館の機能のなかでも納本制度に基づく全国書誌作成機能が重要だと考えていた。全国書誌はひとつの国で発生する図書や雑誌などの資料を「すべて」記録する機能であり、納本制度はそのために出版者に出版物の納入を義務づける制度である。出版者には政府や地方自治体も含まれる。だから国会図書館は政府刊行物や自治体の行政資料を収集していることになる。図書館法には、政府刊行物や行政資料を図書館を通じて国民に提供することが書いてある。他方、情報公開制度というのは、公文書レベルの情報の開示請求を制度化するもので、1980年代前半に自治体が条例を制定し始め、2001年になってようやく国が「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」を制定した。
行政刊行物や行政資料と公文書がどのような関係になるのかというと、実はこれがかなりあいまいである。公式報告の私の資料に引用したように、「行政文書」の法律上の定義は次のようになっている。「行政文書とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。
一 官報、白書、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数の者に販売することを目的として発行されるもの 」(以下略)」
森友・加計問題で、この定義における「当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているもの」とあることが、さまざまな解釈の余地を与えている。行政職員が機関のアドレスでやりとりするメールは「組織的に用いるもの」なのか、また、「当該行政機関が保有する」ための文書管理の内規をそれぞれの行政部門がつくることによって文書の廃棄が恣意的に行われのではないかといったことである。だがここでは、除かれるものが「販売することを目的として発行されるもの」とあることによって、行政刊行物で販売されないものは行政文書扱いされていることに注意を払うべきだろう。
というのは、たとえば国立国会図書館法24条においては「国の諸機関により又は国の諸機関のため、次の各号のいずれかに該当する出版物(機密扱いのもの及び書式、ひな形その他簡易なものを除く。以下同じ。)が発行されたときは、当該機関は、公用又は外国政府出版物との交換その他の国際的交換の用に供するために、館長の定めるところにより、三十部以下の部数を直ちに国立国会図書館に納入しなければならない。」となっており、出版物全体が納本の対象になっていて、決して販売目的のものだけに限定していない。つまり、国会図書館の納本対象政府刊行物は、行政情報公開法でいう公文書だということになる。行政情報の問題の難しさは、情報公開法の問題と同質であって、法的には公開するしないの判断は行政担当者に委ねられているところにある。昔から図書館関係者には「灰色文献(gray literature)」として知られている問題である。これは国レベルの法的規定だが、地方公共団体においても状況は同じである。
20世紀の自治体情報公開制度の議論においては、政府や自治体は公文書については公文書開示請求制度によって公開するが、公文書とならない印刷物資料は図書館や行政資料室などが行政情報提供制度によって任意に公開することによって分担すればよいという議論が行われた。図書館はこの行政情報提供制度を担うと考えれば、法律や行政の専門家と図書館関係者が共通の場で議論が可能である。私はこの部分に期待することがあった。つまり、情報公開が前提となる自治体行政においては、図書館は行政情報提供を担う機関として役所の各課と交渉し、これを蓄積し市民に提供する役割を果たすという考え方である。先に触れた『情報公開制度と図書館の自由』はこれを実施するための手引き書として作成したものである。
だが、事態は必ずしもそのようには進まなかった。1980年代から90年代には多数の新しい図書館ができたが、そこで実施されるサービスは、市民が求める本屋で買える本を提供することを中心とするものであり、それ以外の資料は後回しにされることが多かった。「市民が求める資料を提供する」というキャッチフレーズが使われたが、そうすると地域資料や行政資料の位置づけは低下してしまう。それらは、商業出版物のように資料リストがあってそこから選択できる類いのものではなくて、資料の存在そのものを突き止めるところから始めなくてはならない。行政資料や地域資料はその図書館だけが集められる唯一性の高い資料だということは分かっていても、実際にはそれを集めるためのノウハウの蓄積は十分ではなかった。また、「市民のニーズが強いから」という理由で貸出中心の図書館運営方針が選択され、こうしたサービスは後回しにされた。
私は、どんな地域の公共図書館においても通常の「資料提供」業務を超えて専門性が必要となるサービスとして、児童サービスと地域資料サービスがあると考えていた。児童サービスについては、日本図書館協会児童青少年委員会、児童図書館問題研究会や東京子ども図書館、国立国際子ども図書館などの研修会などでノウハウの交換と蓄積が行われていたのに、行政資料や地域資料については1960年代に日本図書館協会郷土の資料委員会が時限付きで置かれていただけで、全国的な研究団体や研修についての動きがないのはなぜなのかについても疑問が大きかった。
図書館の自由に関する調査委員会は図書館のもつ本質的理念的立場から、行政資料に取り組んだが、その後、これを展開することはできなかった。私は、東京都多摩地区の図書館員たちとこの問題に取り組んで、図書館協会から『地域資料入門』(1999)を出すことができたが、その後は散発的にかかわっただけである。
今回、行政情報提供について行政学とか地方自治、自治体経営などでどのように議論されているのかを調べてみた。30年前にあれだけ情報公開や行政情報提供が論じられていたのにほとんど見られなくなっている。今は、情報公開、情報システム、ネットを使った広報がそれぞれ別々に議論されているだけである。昔、清水英夫さんや堀部政男さんのような人が熱心に市民自治のための行政情報共有の考え方を説いていたのだが、それに当たる議論がどこに行ったのかなくなっているように見える。おそらくは、ネット社会のインパクトが大きくて多くの情報がネットを通じて提供されているように見えていること、そして、NPM的な状況においては行政情報を開示するよりも経営評価が中心になり、経営にかかわる情報は出さざるをえないが評価に不利になりそうな情報は隠しがちなこと、といった理由があるように思われる。
残念ではあるが、これが実態だろう。だからこそ図書館がオープンガバメントに貢献するべきなのであるが、それができるかといえば難しいという状況があるのだ。
当時、『図書館雑誌』(1980年3月号)で 「行政資料の流通と図書館」という特集が組まれて、情報公開の議論を先導していた青山学院大学法学部の清水英夫さんが「 図書館と情報公開 」という文章を書いた。また、石塚栄二さんが法律誌『ジュリスト』(1981年6月)に「情報公開と図書館--図書館の自由に関する宣言との関係において」という論文を発表した。今よりも法学分野と図書館分野は相互の結びつきがあったと言えるだろう。私は、図書館が地域社会で果たす多方面の役割を実現する制度に関心があったのでこの問題を自分で考えてみようと思い、石塚さんや塩見さんたちと相談して、「シリーズ図書館の自由」の一冊として『情報公開制度と図書館の自由』(日本図書館協会, 1987)という論集を出すことにして、編集の中心になり、そこで、行政資料提供と図書館の関係についての論考を書いたり、各地の実践報告を紹介したりした。地域社会の新しい動きに図書館員が敏感に反応して、行政資料提供の実践が行われていた。この時代は、ようやく公立図書館の運営方針が明確になって「市民の図書館」の実現を目指していた時期であり、図書館にさまざまな期待をもつことができた。
私はこの頃、一方では国立国会図書館の機能のなかでも納本制度に基づく全国書誌作成機能が重要だと考えていた。全国書誌はひとつの国で発生する図書や雑誌などの資料を「すべて」記録する機能であり、納本制度はそのために出版者に出版物の納入を義務づける制度である。出版者には政府や地方自治体も含まれる。だから国会図書館は政府刊行物や自治体の行政資料を収集していることになる。図書館法には、政府刊行物や行政資料を図書館を通じて国民に提供することが書いてある。他方、情報公開制度というのは、公文書レベルの情報の開示請求を制度化するもので、1980年代前半に自治体が条例を制定し始め、2001年になってようやく国が「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」を制定した。
行政刊行物や行政資料と公文書がどのような関係になるのかというと、実はこれがかなりあいまいである。公式報告の私の資料に引用したように、「行政文書」の法律上の定義は次のようになっている。「行政文書とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。
一 官報、白書、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数の者に販売することを目的として発行されるもの 」(以下略)」
森友・加計問題で、この定義における「当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているもの」とあることが、さまざまな解釈の余地を与えている。行政職員が機関のアドレスでやりとりするメールは「組織的に用いるもの」なのか、また、「当該行政機関が保有する」ための文書管理の内規をそれぞれの行政部門がつくることによって文書の廃棄が恣意的に行われのではないかといったことである。だがここでは、除かれるものが「販売することを目的として発行されるもの」とあることによって、行政刊行物で販売されないものは行政文書扱いされていることに注意を払うべきだろう。
というのは、たとえば国立国会図書館法24条においては「国の諸機関により又は国の諸機関のため、次の各号のいずれかに該当する出版物(機密扱いのもの及び書式、ひな形その他簡易なものを除く。以下同じ。)が発行されたときは、当該機関は、公用又は外国政府出版物との交換その他の国際的交換の用に供するために、館長の定めるところにより、三十部以下の部数を直ちに国立国会図書館に納入しなければならない。」となっており、出版物全体が納本の対象になっていて、決して販売目的のものだけに限定していない。つまり、国会図書館の納本対象政府刊行物は、行政情報公開法でいう公文書だということになる。行政情報の問題の難しさは、情報公開法の問題と同質であって、法的には公開するしないの判断は行政担当者に委ねられているところにある。昔から図書館関係者には「灰色文献(gray literature)」として知られている問題である。これは国レベルの法的規定だが、地方公共団体においても状況は同じである。
20世紀の自治体情報公開制度の議論においては、政府や自治体は公文書については公文書開示請求制度によって公開するが、公文書とならない印刷物資料は図書館や行政資料室などが行政情報提供制度によって任意に公開することによって分担すればよいという議論が行われた。図書館はこの行政情報提供制度を担うと考えれば、法律や行政の専門家と図書館関係者が共通の場で議論が可能である。私はこの部分に期待することがあった。つまり、情報公開が前提となる自治体行政においては、図書館は行政情報提供を担う機関として役所の各課と交渉し、これを蓄積し市民に提供する役割を果たすという考え方である。先に触れた『情報公開制度と図書館の自由』はこれを実施するための手引き書として作成したものである。
だが、事態は必ずしもそのようには進まなかった。1980年代から90年代には多数の新しい図書館ができたが、そこで実施されるサービスは、市民が求める本屋で買える本を提供することを中心とするものであり、それ以外の資料は後回しにされることが多かった。「市民が求める資料を提供する」というキャッチフレーズが使われたが、そうすると地域資料や行政資料の位置づけは低下してしまう。それらは、商業出版物のように資料リストがあってそこから選択できる類いのものではなくて、資料の存在そのものを突き止めるところから始めなくてはならない。行政資料や地域資料はその図書館だけが集められる唯一性の高い資料だということは分かっていても、実際にはそれを集めるためのノウハウの蓄積は十分ではなかった。また、「市民のニーズが強いから」という理由で貸出中心の図書館運営方針が選択され、こうしたサービスは後回しにされた。
私は、どんな地域の公共図書館においても通常の「資料提供」業務を超えて専門性が必要となるサービスとして、児童サービスと地域資料サービスがあると考えていた。児童サービスについては、日本図書館協会児童青少年委員会、児童図書館問題研究会や東京子ども図書館、国立国際子ども図書館などの研修会などでノウハウの交換と蓄積が行われていたのに、行政資料や地域資料については1960年代に日本図書館協会郷土の資料委員会が時限付きで置かれていただけで、全国的な研究団体や研修についての動きがないのはなぜなのかについても疑問が大きかった。
図書館の自由に関する調査委員会は図書館のもつ本質的理念的立場から、行政資料に取り組んだが、その後、これを展開することはできなかった。私は、東京都多摩地区の図書館員たちとこの問題に取り組んで、図書館協会から『地域資料入門』(1999)を出すことができたが、その後は散発的にかかわっただけである。
今回、行政情報提供について行政学とか地方自治、自治体経営などでどのように議論されているのかを調べてみた。30年前にあれだけ情報公開や行政情報提供が論じられていたのにほとんど見られなくなっている。今は、情報公開、情報システム、ネットを使った広報がそれぞれ別々に議論されているだけである。昔、清水英夫さんや堀部政男さんのような人が熱心に市民自治のための行政情報共有の考え方を説いていたのだが、それに当たる議論がどこに行ったのかなくなっているように見える。おそらくは、ネット社会のインパクトが大きくて多くの情報がネットを通じて提供されているように見えていること、そして、NPM的な状況においては行政情報を開示するよりも経営評価が中心になり、経営にかかわる情報は出さざるをえないが評価に不利になりそうな情報は隠しがちなこと、といった理由があるように思われる。
残念ではあるが、これが実態だろう。だからこそ図書館がオープンガバメントに貢献するべきなのであるが、それができるかといえば難しいという状況があるのだ。
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