2019-12-27

私見:公開シンポジウム「教育改革のための学校図書館」

11月30日(土)に慶應義塾大学三田キャンパスで、公開シンポジウム「教育改革のための学校図書館」が開催された。これについて主催者として報告しておきたい。

まずは、登壇していただいた4名のコメンテーター、司会の河西由美子さん、事務的なことを一切していただいた吉澤小百合さんをはじめとしてスタッフの方に感謝申し上げたい。当日の来場者は81名だった。当初は90名が座れる教室だったが、そこに50名以上入るとけっこう息詰まる感じになることは経験しているので、ずっと大きな部屋に移ったのだったがそれは正解だった。

正式の報告については同じブログで公開しているので、ここでは私の立場からの報告をしておきたい。まず、テーマの説明に拙著のタイトルが挙げてあるように、当初、拙著の合評会というような性格のものにしたいと考えていた。それは私自身が『情報リテラシーのための図書館』と『教育改革のための学校図書館』と2冊の本を書いて、いちおうの区切りをつけて次の課題に移るときに、ここ数年でやったことについて外部評価的なものがあった方がいいと感じたからである。

それをコメンテーターにお願いしたつもりではあったが、本書についての批評的な発言はほとんどなかった。むしろ、本書で記述されていることを出発点にして学校図書館について議論するというような感じに展開した。公開の場での批評というのは昔あったものだが、今はあまりはやらないということがひとつはあるだろうが、もう一つには、本書がきわめて多面的なことを述べているので個々の部分についてのコメントはできても全体を評価することは難しいということはあったかと思われる。とくにコメンテータ個々の持ち時間が15分しかなかったから、十分な議論することは難しかった。その点で、溝上慎一さんにはせっかくスライドを20枚以上ご用意いただいたのだが、かなりはしょって話されたのはもったいなかった。別の機会にゆっくりとお話しいただければと思っている。

コメンテーターは、学校図書館に近いところで活動している稲井達也さんと高橋恵美子さん、そこから少し遠い教育畑の研究者である勝野正章さんと溝上慎一さんの二つのグループに分けられる。学校図書館関係者からはそれぞれのお立場からの率直な現状認識と今後の在り方へのお話しがあった。また、教育学に関わるお二人からは教育現場の困難さが指摘され、しかしながら改革が必要であり学校図書館は重要な場となるというコメントがあった。

多くの参加者は教育学のお二人が何を発言するのかに期待と不安とをもっていたと思われる。だが、あまり踏み込んだ話しがあったわけではなかった。また、その後の質疑応答においてもどちらかというと一般的な議論で終わった。だが、一回だけ緊張が走った場面があった。それは、学校図書館がどのように情報リテラシー教育に関わるべきかという質問が溝上さんに振られたときである。いきなりだったこともあり、少し間を措いてから、ご自分が前に所属していた大学で図書館職員が行っていた情報リテラシー教育の実効性に対して疑問が発せられた。せっかく情報リテラシー教育に熱心に取り組んでいるが、それは学生にとって学習効果はあまりないと理解しているように聞こえた。ただ、それ以上の議論はなく終了した。

教育と図書館が交わる部分をどのように教育者がとらえているかがちらりと見えた瞬間だった。もちろん個別のケースに基づくものではあるが、このような見方は比較的図書館に理解がある教育者からも寄せられることがある。

司会の河西さんがアメリカの例を出していた。アメリカの大学は日本よりはるかに図書館員を専門職として位置づけしてきたが、それでも情報リテラシー教育の在り方については、今もって議論は継続されている。拙著で触れた教育の構成主義を前提とした図書館サービスとは、要するに、教育の場は学習者が自分で学ぶことで成立し、その際に学びの素材を入手することについては教員だけでなく図書館員が関与することが当然のものとなっている考え方に基づく。そうした構成主義を前提とした制度化をしてきたアメリカの大学図書館ですら、情報リテラシーの概念を巡って教育と情報利用のあいだでどのように線引きするかについての長い論争があることは上岡真紀子さんが一連の論文で紹介している。

おそらくは探究的学習と図書館を安易に結びつけることはやめた方がいいのだろう。確かに、図書館を使った学習、図書館の資料やデータベースを使った学習、ネット上の学習資源に対して組織的にアクセして探索する学習など図書館員の手法に近い部分を生かした学習はある。しかし、探究的学習は、図書館関係者のいう文献資料による調べ学習だけでなく、いわゆるアクティブラーニングということになるときわめて多様なものを含み、他方では本格的な学術研究に近いものまできわめて多様なものを含むことが知られている。学習者が自分で知の構築をすることについて、ヴィゴツキー、ピアジェ、ブルーナーをはじめとして、認知科学や教育心理学をベースにしたアクティブラーニングやメタ認知、学習共同体等々の研究の蓄積がある。図書館が関わる学習が多様な探究的学習の一部にすぎないのか、それとももっとも基本的なものであるといってよいのか、そのあたりを教育学的な知見も交えてもっと追求する必要があると感じた。

なお本シンポジウムは、日本学術振興会科学研究費補助金19K12721に基づいて実施したものである。そのテーマは「「知の理論(TOK)」に基づく学校図書館モデル構築の研究」というものである。私の発言のなかでも、国際バカロレア(IB)を採用した学校では探究的学習が中心であると述べた。そして、IB校では図書館の整備は必須の事項となっている。そのなかでTOKは高等学校レベルのIBの中心科目である。つまり、図書館を用いるIBのカリキュラムの中心科目を見ることで、IBでは図書館をどのように位置づけようとしているのかを明らかにしたいというのがこの研究の目的である。いずれ成果が出たらまた報告したい。、

2 件のコメント:

  1. 公開シンポジウム開催とその記録の配付、ありがとうございます。ちょうど年末の休みでしたので、早速、読ませていただきました。学校図書館の処遇改善等は、実践の積み重ねが大事になることは、シンポジウムにて発言があったとおりと考えます。処遇改善がなければ、さらに実践も進みません。一つでも実践を発表し、多くの人の手で理論化されることも大事です。根本様の御著書は、確かな理論化を与えるものであり、現場では、さらに理論を基に方向性を得て実践が進むものと考えます。私は、情報リテラシー、探究を、今回のシンポジウムでは発言がありませんでしたが、「学び方の学び」、「読書のアニマシオン」と親和的に見ています。詳細に述べることはできませんが、コメンテータの皆様からも、多くの学びをいただきました。年明けには、近くの市の学校図書館担当者の皆さんにお話できる機会がありますので、お話する参考とさせていただきます。シンポジウムの関係者の方に御礼申し上げます。なお、滋賀県にも長浜市の高校がIBをされるようですので、訪問したいと願っています。

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  2. 追伸です
    3月1日に読書のアニマシオンの研修会を企画しています。自身も実践しながら学んでいますが、資料の提示(ブックトークなど)から3人、4人のグループになっていだだき、対話的に異なる意見、考えを相互的に組み立て発表するワークをします。IBにも同じ様式が見られますので、フランスに源流のある読書のアニマシオンを初等中等教育から体験することは、根本様の言われる知識構成主義モデルの教育方法と相性が良いように思います。

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