正解主義への傾斜を憂える
今、大学受験シーズンのまっただ中にいる。そこでは、受験生はその結果によって4月以降の身の振り方が決定される。当の受験生もその保護者も、甘んじてそれに参加することを余儀なくされていることからくるぴりぴりとした感覚がただよってくる。2020年入試改革をめぐる議論も盛んだが、そんなものはどこかに行ってしまったように年中行事が繰り返されている。
私は今、進行中の教育改革と一見すると逆行するような動きが見られるのが気になっている。以下、拙著『情報リテラシーのための図書館』(みすず書房)に書いたものの延長上で論じてみたい。
大阪大学、次いで京都大学で、昨年度実施した入試問題に誤りがあったことが報道された。センター入試ではムーミンの故郷をめぐって出題ミスではないかとの指摘もあった。もちろん、問題に誤りがあってはならないし、誤りに対して適切な処置をとるべきとの意見にも異存はない。しかしながら、「ポスト真実」が問題にされる時代だからこそ、「正解」の存在を前提に瑕疵をあれこれ指摘する風潮には釈然としないものを感じる。
何よりも試験問題を作成している大学教員は、教員である前に研究者であって、正解がない世界を日夜探究している人たちだ。科学理論はとりあえず多くの研究者が認めたものを「真理」としているのにすぎない。だから、真理は更新されうる(これはトマス・クーンのパラダイム論に基づく)。そういうところに参加している人たちにとって、正解のある問題をつくること自体が不得手である。
自然科学ですらそうなのだから、人文社会科学が関わる領域において唯一の正解が想定されることはありえない。今回の教育改革は高大接続を前面にだして、中等教育までの学びと高等教育の学びを連続させることを究極の目標にしている。そのため、一人一人の学習者が自ら「正解のない問題」を解決する力を養うことが今回の教育改革の目標となったし、それを問うための入試は、「思考力・判断力・表現力」を総合的に試すものにするものに変えていくという合意があったはずである。なので、今の時点で、一つの正解をめぐってこれほど大きな問題になるのは意外であった。
日本人の試験へのこだわりは明治初年に遡ることができる。斉藤利彦『試験と競争の学校史』(講談社学術文庫)を読むと、明治5年の学制発布後まもなくの時点で、地域を問わず全国で試験による統制方法が採用されていたことが分かる。明治政府は四民平等の原理のもとで、国づくりの基本原則として富国強兵と殖産興業、そしてその手段としての国民皆学を掲げた。これはまたたくまに全国に行き渡った。福沢諭吉『学問のすすめ』が読まれ、自発的な学びが奨励されたとしても、学校での学びを進める力となったのは、試験による競争原理であった。それ以前の身分制から脱することができた民衆にとって、学ぶことは立身出世の道とされるようになった。
こうして日本の近代社会では、学ぶこと、そして知識を身につけることよりも、その結果としての学歴および学校歴が重視されることが当たり前のようになった。また、試験とセットになった、唯一の正しさを追求する競争的正解主義は、官僚主義的な組織原理と密接な関わりをもつ。東大法科が文系エリートが選ぶ場であったのは、国家官僚と司法が国を統制する原理をつくっていたからである。企業も終身雇用を前提として人を取り、そこでは組織人としての規律が要求された。
だが、これらが経済大国日本をつくりあげる原動力になってきたことは確かであるが、今になって社会の至る所で軋轢と窮屈さとをもたらしていることは言うまでもない。だからこそ、今時の教育改革はこの原理の見直しを国家的に進めるものと理解できる。
しかしながら学ぶことが目的になるのではなく、社会的地位確保の手段とする傾向は、今に至るまで、受験偏差値によって序列化された大学リストが作成されてメディアを通じて共有され、それが大学選びの際に重視されていることに現れている。大学教育に携わるものとしては、そんなリストに基づき予備校等で無理やり引き伸ばされた学生の「学力」など、信用できないと常日頃感じているのであるが。
入試ミスの指摘の多くは受験産業から寄せられたものであった。試験問題の間違いなどこれまでいくらでもあったはずなのに、今の時点でこれだけ大問題になったのは、正解主義を志向する人たちが少なからずいることを示している。
今、私たちは、正解主義的組織原理に揺さぶりをかけることで、明治国家建設、そして、戦後改革に並ぶ大きな社会的実験を行う時期にいる。これにより、私たちは自ら誤りを修正しながら進んでいくことのできる人材を育成する方向への切り替えを試みているのである。ささいなことに足をとられて大きな歴史の流れを見失うことのないようにしたい。
(「入試出題ミスについて考える(2)」に続く)
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