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2022-10-25

計量経済学的手法による図書館貸出の影響分析

 図書館での資料貸出について、2017年にレビューしたあとに無視できない学術研究が出ている。まず川口康平(香港科技大商学院経済学部)と金澤匡剛(東京大学大学院経済学研究科)による英文の論文(1)とそれを図書館関係者向けに分かりやすく説明した講演(2)があり、さらに大場博幸(日本大学文理学部)が別の視点から行った研究(3)である。簡単に言えば、川口・金澤両氏の論文は図書館での貸出は書店の売り上げに影響があることを実証したというものであるが、大場氏は古書(新古書も含む)の市場を考えに入れるべきであるとして古書市場と図書館サービスの関係について研究している。(1)と(3)はそれぞれ学会誌に掲載された査読論文であり、学会レベルで正しさが主張されているということができる。(2)の講演は図書館関係者向けのものでもあるので、売り上げに影響があっても図書館がもつ他の効果を考慮して公共貸与権の導入を考えるべきではないかという提案になっている。

3. 大場博幸「図書館所蔵は古書市場に影響するか:発行 12 年後の新書の古書価格と図書館所蔵数との関係」『日本図書館情報学会誌』64(3), 2018.


金澤・川口論文の主張

論文(3)が(1)の成果を次のように要約してくれている。

 以上の結果をもとに,著者らは公共図書館によるクラウンディングアウト効果を見積もっている。その値は,Benchmark 群の売上上位 1/6 に入るタイトルならば 15%程度,Bestsellers 群ならば 43%~ 46%程度にものぼるという。もし調査期間中に図書館にサンプル書籍群が一冊も所蔵されていなければ,書籍の売上は 8%~ 13.5%上昇すると見込まれている。2016 年のベストセラーならば56.8%上昇する。公共投資によって民間の経済活動が圧迫されているわけである。これを理由に,公共貸与権の導入が提案されている。ただし,需要の多い書籍の損失を十分補填しようとすると,需要の少ない書籍には過分で適切でない額となってしまうことが懸念されている。

Benchmark 群というのは調査時点の2017 年 2 月に新刊として入手可能であった書籍のうち層化抽出されたもの300点のリストで、これは入手可能出版物のサンプル書籍群リストということになる。ここには出てきていないがNew群というリストがあり、2017 年 2 月に発行された書籍のうちランダムサンプリングされた新刊書150 点のリストである。これは最新刊の出版物である。そして、 Bestsellers 群は紀伊國屋書店における 2014 年,2015 年,2016 年のそれぞれの年間売上上位となるベストセラー150 点のリストである。この3つのリストに対して、Benchmark 群は 2017 年 4 月から3ヶ月間,New 群と Bestsellers 群は 2017 年2 月から6ヶ月間、日本全国の市区町村毎の図書館の所蔵データと書店の売上冊数のデータを取得して、分析したものである。

まずクラウンディングアウト(Crowding Out)効果とは、「政府が資金需要のために国債の大量発行、減税などで、公共事業の拡充など財政政策(政府貯蓄の減少)を行った場合、実質利子率の上昇を招いてしまい、利子率が上昇すると、投資が減ってしまうため、結果的に民間の資金調達が圧迫されてしまう現象のこと」(証券用語集)とされる。要するに政府の資金が市場に入ったときに民間経済に負の影響が現れることを言う。だから、ここでは図書館が市場にある図書を購入してそれを公共サービスに使用したときに書籍市場に負の影響を与えることを指すことになる。

上記の要約を言い換えると、一般書のなかでも売り上げ上位に入る本なら負の影響が15%程度であるが、これがベストセラーだと45%前後になると言っている。また、サンプル書籍群が一冊も所蔵されていなければ,書籍の売上は 8%~13.5%上昇し、2016 年のベストセラーならば56.8%上昇するとしている。これは無視できない大きな影響を示していることになる。ただし、サンプル書籍群とはその時点で入手可能な本のリストだから、それが所蔵されていないという仮定は、入手できない古い本だけの蔵書なら市場に影響しないと言っているに等しい。図書館は市場から書籍という財を購入してサービスをするものであるからその仮定は無意味なものである。それは調査者も意識していて、だからこそ公共貸与権のような制度の検討を要請して、市場介入の負の影響と公共サービスの正の効果との関係を検討すべきだと言っている。

その後、論文執筆者の一人川口康平氏が図書館大会で発表しているものの要約が次のものである。

・ 2017年の市区町村・月・書籍レベルの書店売上、図書館蔵書データを用いて、図書館蔵書の書店売上に対する平均的因果効果を推定した。
・ある市区町村で図書館蔵書が一冊増えると、書籍の売上は平均して毎月0.12冊ほど減る。
・その効果は人気の書籍ほど高く、上位1/6以外の書籍についてはそうした効果はほとんどない。
・図書館蔵書全体の存在による書籍の逸失売上は17.5%ほど。
・ただし、図書館蔵書が書店売上を奪うとしても、そのことが直ちに公共貸与権の必要性を導くわけではない。

ここでも図書館貸出が書店売り上げに与える影響はあると述べている。それは人気の書籍ほど高いが他の書籍ではほとんどないということと、影響があるからといって公共貸与権にすぐに結びつくわけではないと言っているところが、図書館員相手の議論で少し主張を和らげていることが分かる。また、図書館蔵書の逸失利益が17.5%というのは上の数値と一致していないので計算根拠が違うのかもしれない。

大場論文による新たな主張

大場氏は上記論文では、書店売り上げに影響を与える外部要因として図書館との関係のみをみているが、他に古書市場の存在が重要であるとして、サンプルとして2004 年の 4 月から 6 月にかけて発行された 234 点の教養新書を取り上げ,図書館における所蔵数の違いが古書価格の差と関連があるか否かを調べた。古書価格を従属変数とし、独立変数にはAmazonのランキング順位(古書の需要指数)、公共図書館の所蔵冊数などを用いて重回帰分析を行った結果、図書館所蔵数単独での価格への影響はプラスとなることが明らかになった。また所蔵も需要もともに多い書籍については価格へのマイナスの影響がある可能性も観察されたとしている。つまり、図書館所蔵数が多いと教養新書の中古市場価格は上がるが、一部、需要が多く図書館でも所蔵している書籍については図書館所蔵が中古市場価格を下げる効果があったということである。

著者はこの結果について「こうした図書館所蔵の影響をどう評価すべきだろうか。全体としてはプラスとマイナスを相殺してもなおプラスとなるのだから,過大に考えるべきではないというスタンスはありうる。一方で,タイトル間の違いを軽視すべきではなく,所蔵が無ければもっと利益を得られたはずのタイトル(古書の場合はそのようなタイトルを供給できた古書店)に対する損害を深刻に考えるべきであるというスタンスもありうる。その評価についてはさらに議論が必要だろう。」としている。また、新刊書市場と古書市場との関係についてはこの論文では取り扱っていないが、著者の予想としては、新刊書として売れる本ほど古書(新古書)の供給が増えるが需要の伸びが上回るので新刊市場が喰われる結果になる。さらに、図書館の資料提供をここに導入すると、ベストセラー類については古書価格は高騰するが図書館の資料提供は一時的な占有に過ぎない(所有できない)から、新刊書、古書、図書館利用のどれが好まれるかについては今後の研究に待つということで終わっている。

大場氏の研究姿勢は慎重であり信頼できる。とくに最後の点についてはぜひ研究を進めていただきたいと思う。ただ教養新書、それもかなり古いものをサンプルにしたのがよかったのかどうかという気はする。まず、図書館で新書や文庫のような本は10年も過ぎると廃棄対象になる可能性が高い。さらに10数年前なら教養新書は市場でも図書館でも一定の位置付けがあったが、その後、多数の出版社が新書を出して新書は廉価版書籍の代名詞となる動きのなかで教養新書も消耗品扱いされるケースが増えてきた。ただ古書市場、図書館の間でこうした変化のダイナミクスがどのように影響するかはよく分からない。日本の出版慣行でハードカバーで出たものが文庫本になるような形態の変化があるので文芸書などを取り上げにくかったのだろうが、新書は新書で変化があり扱いにくいところがあると思われる。

氏の指摘で重要なのは、図書館の資料利用が一時的占有に過ぎないことをどのようにとらえるかということがある。さらに、金澤・川口論文で主張されていたクラウディングアウトという概念は単に図書館が書籍市場に負の影響を与えるだけでなく、「図書館が消費者の余暇を奪ってしまうことによって,小売書店やブックレンタル,喫茶店や娯楽施設などにも経済的にマイナスの影響を与えるかもしれない。本研究で採りあげた古書市場もそうである。」と述べている。民間でできることを公共機関がやっているととらえる負の効果を考慮する視点が提示される。ただ川口氏が図書館サービスが経済効果だけでなく、その教育的文化的な効果も含めて評価すべきだと言っていることも含め、総合的な検討が必要だと考える。

おわりに

図書館と書店の代替性だけでなく(新)古書店との3つのセクターの代替性が問題になった。最近はメルカリのようなエンドコンシューマーどうしの売買も活発に行われている。ここに電子書籍のサブスクリプションサービスも絡むとかなり複雑な状況を呈していることになる。購入(所有)vs.借用(返却)、新本vs.中古本(借用本)、紙vs.電子、有料vs.無料、市場vs.公共サービスといった考察の軸が存在している。今後もここで紹介したような計量的な方法による実証研究をより精緻にして積み重ねることが必要であるだろう。


追記(2022年11月2日)

第70回日本図書館情報学会研究大会(10月29日〜30日, 東北学院大学)で大場博幸氏が「新刊書籍市場と古書市場と図書館所蔵の関係」の発表を行った。予稿集冊子(発表論文集)掲載の論文と別に、その場で追加データ(取次からの書店売り上げデータ)を加えた分析結果が発表され、資料が配付されている。その内容は、図書館貸出と古書店の販売価格、書店売り上げ(POSデータ)の相互関係を分析するもので、図書館の新刊書の所蔵および貸出は書店の売り上げに負の影響を与えているというものである。口頭発表であり、今後、論文としてまとめられると思われるが、今までの研究よりも実態に近い分析を行っていると考えられるのでその発表を待ちたい。

追記(2023年9月30日)

上記の口頭発表が2023年6月に論文として発表され、それについて大場氏による解説・補足が9月28日に行われた。そのことについてブログで追記した。


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