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2025-08-22

沖縄のアーカイブ機関訪問(1)—図書館

沖縄の図書館を訪ねる理由

沖縄には何度も来ている。前回は琉球大学で学会があった2018年秋に訪問した。そのときは,学会の日程に合わせて研究仲間と数日前に来て,沖縄国際大学の山口真也さんとその学生さんお二人の車2台に分乗して,学校図書館と公共図書館を中心とした訪問をさせていただいた。車で名護まで北上して2校の学校図書館を見学し,そこから恩納村文化情報センターや沖縄市立図書館,那覇市立那覇中学校までを一気に廻るという強行軍だった。本来,沖縄のヴァナキュラーな風土と図書館はあまり組合せがよくないはずなのに,図書館員がいろんな場で活躍し,沖縄から図書館研究者が多く育っている理由がおぼろげながら掴めた気がした。

このとき,沖縄の学校図書館がしっかりした人的配置を伴ってサービスを展開していることは把握できた。それがあったので,その後,『図書館教育論ー学校図書館の苦闘と可能性の歴史』(東京大学出版会, 2024)を書いたときに,沖縄の学校図書館が本土のそれとどう違うのかに触れることができた(p.233-237)。

しかし,地域アーカイブというテーマからすると,このときちょうど沖縄県立図書館の移転の時期であり,ここが沖縄の図書館の本拠地であるにもかかわらずその入り口までは行けても中に入れなかったことが悔やまれた。というのは,2008年にNDLの地域資料調査の一環で現地調査を行ったとき,沖縄の県立図書館他の図書館,公文書館を訪ねて報告書を書いたなかに次のように書いた。その後,新設移転した館がどうなったのか気になっていた。(https://current.ndl.go.jp/wp-content/uploads/mig/report/no9/lis_rr_09_rev1.pdf)

[沖縄県立図書館] 1910年の創設時に沖縄学の先駆者伊波普猶が館長を務めたことで知られる。当然、地域資料の蓄積は相当あったはずだが、沖縄戦ですべて失われて、戦後の再出発を余儀なくされている。現在の建物は1983年に建てられた際に、1階は通常の開架スペースで、2階は郷土資料とした。このような構造の図書館は少なくないが、建築構造上2階の隅に追いやられているところが多い。ここは、1階ほどの広さはないにせよ2階を全部郷土資料のためのスペースとしたことで、むしろ積極的に沖縄のアイデンティティを表現する場を確保したというように見える。(p.105)

アイデンティティと書いたが,これはナショナリズムと言った方がよいかもしれない。2015年にヨーロッパに数ヶ月間滞在する機会があり,英国(ブリテン島)を車で一周した。英国といっている国はブリテン島にあるイングランド,スコットランド,ウェールズと北アイルランドを合わせた連合国家である。これらはナショナリティという意味では,サッカーやラグビーで別の国として扱われていることからも分かる。イギリスというとイングランドしか思い浮かべないことも多いが,ケルト系民族が中心のスコットランドとウェールズがあり,そこにもナショナルライブラリーがある。

このときに訪ねたヨーロッパの図書館については『場所としての図書館,空間としての図書館』(学文社, 2015)に書いている。とくに印象に残っているのは,ウェールズ国立図書館(Wales National Library)である。これはアベリストウィスという人口12,000人の大学都市にある図書館であるが,堂々たる新古典様式の建築だった。ウェールズ最大の図書館で、650万冊以上の書籍と定期刊行物を所蔵し、ウェールズ最大のアーカイブ、肖像画、地図、写真のコレクションを誇る。また、ウェールズ関係写本のナショナルコレクション、ウェールズ国立映像・音声アーカイブ、ウェールズで最も包括的な肖像画と地図コレクションも収蔵している。隣のアベリストウィス大学の図書館を兼ねることで建てられたらしいが,ウェールズやケルト系民族関係の資料を網羅的に集め展示,提供しているところが最大の見せ場だった。現在の国家の枠組みと別の論理で,ネーションの歴史・文化の伝統を守ることための機関であることがよく分かった。このことは当然,沖縄にも当てはまるから,新設された県立図書館がどのようなものなのかについて,なみなみならぬ関心をもっていたわけである。

今年の6月上旬にたっぷりと時間をとって,沖縄の地域アーカイブ事情について体感しようと再度来訪した。ここでは,まず公立図書館について書き,その後で公文書館,博物館,歴史編纂について書く予定である。最初に書いておくべきことは,沖縄の地域アーカイブは予想していた以上に堅固であり,また,多様な議論がある領域だった。そのことは次の報告で述べるが,図書館は図書館でそのタフな地域アーカイブの一翼を担っていることは確かであった。

沖縄県立図書館 3階, 4階

朝9時に,沖縄県立図書館に入る。空港と那覇市やその近郊をつなぐモノレールの駅の側で,那覇市のバスターミナルビルの上の3階から5階を使用した大きな図書館である。

階下はターミナルやオフィスがあるので雰囲気が異なるが,3階まで上がると文化施設らしい落ち着いたデザインとなる。この後は写真撮影のための許可を得て,内部を撮影した。

   エントランス(3階)




3階のロビーから入ったところ



フロアの平面図(https://www.library.pref.okinawa.jp/guide/cat11/index.html

図書館の総床面積は11,510㎡でそのうち3階がエントランス,資料展示スペース,児童資料など,4階がレファレンスやビジネス資料も含めた一般資料,5階が沖縄資料のスペースである。上記の図では5階の一部しか示されていないが,ほぼ4階と同じ面積があり,見えていないスペースは事務室と閉架書庫である。後で書庫にも案内していただいたが,かなりのスペースをとって将来的な資料の蓄積に備えようとしている。

エントランスから入って3階,4階,5階と上がっていった。まず感じたのは,ゆったりとした空間だが,書架周りはけっこう密度が高く様々な仕掛けが施されているということだ。一つは,テーマ展示である。書架の一部にテーマを掲げてそこに特化した資料を平らに並べたり,解説をつけたりするものである。新館に移ってからまだ数年なので,書架に余裕があるから可能なのだろうが,最初から展示スペースがかなり用意されてもいた。「空飛ぶ図書館」(飛行機で離島に資料を運ぶことを言っているようだ),沖縄県の21世紀ビジョン計画,教科書センター,6/4で虫の日の展示(ディーンズ展示コーナー)など。NIE,沖縄JICAとか放送大学,東アジア出版人会議など関連機関との連携展示コーナーもあった。







フロアに入ったところ





沖縄21世紀ビジョン基本計画関連の資料展示(3階)






学校図書館支援コーナー(3階)








JICA沖縄コーナー(3階)




チラシやリーフレットを配るだけでなく,このように大きく見せるのは効果がある。4階のレファレンス展示とか「資料の探しかた」の展示もいい。6月は沖縄戦があった月なので5階ではその方面の展示も充実していた。4階は全体が開架スペースでビジネス資料が別置となっている他は全体がNDCで並んでいる。





データベースコーナー(4階)





レファレンス展示(4階)



ただし,この図書館の資料費は2000万円程度で県立図書館としては必ずしも多くない。その意味は幾様にも考えられるし,この図書館の本質を示していることについては最後に触れたい。少ない資料費をそれをさまざまな工夫で埋めているように思える。むしろ,資料が書庫に入ったり,開架でも大量の本が詰まって全体像が見えない集積になっていると,利用者にとって使えているのかどうかという疑問にもつながる。むしろ,この図書館のように,所蔵資料をさまざまにアレンジして見せることによって,利用者にとっての未知の資料の発見や図書館資料の多様性の表現が可能になるのではないかとも考えられる。これは博物館の手法に近いキュレーションである。

沖縄資料(5階)


5階の沖縄資料は地域で発生する資料を蓄積してキュレーションを行う手法がみごとだった。地域資料の多くは購入費用がかからない資料だと思われるが,ていねいに収集しようとしなければ集まらないという意味で労働集約的サービスが必要になる。この図書館の要覧(令和5年度版)によると,正規職員29名のうち,資料班の12名は,「図書館資料の収集・整理・保存」,「郷土資料関係レファレンス」「5階閲覧室の運営」を担当することになっている。つまりそれだけ人手をかけて沖縄資料に力を入れてきたということを意味する。

5階は貸出資料スペースと開架の閲覧資料室とに分かれている。貸出スペースに2カ所の特別展示のスペース(4段書架2連がワンセットとなり3セットで空間を取り巻いている)があり、「沖縄戦」と「戦争関連展示2025」をやっていた。毎年どこでも夏は戦争=平和展示のシーズンだが、沖縄はとくに6月が沖縄戦があったときなので力が入っている。県立図書館では沖縄戦の展示だけでなく,現在起こっている戦争までの関連資料を並べることで,強いメッセージ性を感じた。移民資料コーナーや「私のルーツを探る」というのはここが力を入れているもので,沖縄から海外に移住した人たちの歴史とそのルーツ探しの支援をするというものだ。

 
沖縄戦の展示(5階)

移民資料コーナー(5階)

移民資料コーナー(5階)

 
沖縄資料開架閲覧室(5階)

ここで発見した郷土資料のなかに,前の県立図書館建設にあたっての「設計競技作品集」があった。これを見ると,県からの提案書にはあまり郷土資料に力を入れている様子はなかった。2000平米のオープンスペースのうち郷土資料は230平米,図書2万冊,20席となっており,最初の当選案では一階の奥が郷土資料で2階は閉架書庫になっていた。しかし完成したものでは2階に郷土資料を移している。これは実際の設計において変更があったことを示している。旧館をみて,NDL調査で来たときに驚いたのだが,現在の新館は5階が4300㎡で開架だけでも3000㎡近くはありそうだから,その思想をそのまま引き継ぎ,拡張しているように思われる。

午後に郷土資料の担当者の方と面談していくつかのことをうかがった。先ほど述べたように,全体の資料費が2000万円ほどで,その1割〜1.5割の年間2〜300万円ほどが沖縄資料の購入費である。その際に,沖縄資料の購入としては郷土資料を最優先にして購入し,残りを他の資料購入に充てているということだった。郷土資料の収集にとくに専門の部門があるわけでなくて,資料・情報班が収集,蔵書管理を行い,調査・サービス班がレファレンスや展示などに対応するということだ。沖縄資料は3部収集し,1部は開架用,1部は貸出用,1部は保存用ということだ。県庁資料については県庁内の行政資料センターが受け取った分のうち3部を図書館が受け取ることになっている。デジタル化された資料についてはとくにプリントするようなことも,デジタルのまま収集するということも実施していない。市町村発行の資料もとくに基準を設けて収集しているわけではなくて,送付してくれるものを受け入れているだけだという。(他日,県庁の行政情報センターに立ち寄った。閉館10分前だったが,責任者がいたので概要の話を聞いた。大雑把には情報公開窓口と行政資料の公開を担っている。行政資料は13部を提出してもらい,うち,図書館に3部とか公文書館に2部とか決まっていた。センターの資料保存は5年とか10年と決まっていて終わると廃棄処分になるという。また,行政資料は公文書ではあるが,扱いは他のものとは異なっている。さらには会議資料なども扱いは別の規則がって運用されているということだった。

最後に保存用書庫を見せてもらった。基本的には開架にでているから書庫は保存用のものと雑誌のバックナンバー,そして貴重資料に限られるようだ。保存用書庫は特別な気体による消火設備になっていて,ここだけは間違いなく保存できるようにする工夫がある。全体として感じられたのは,郷土資料の収集保存提供についてはとくに地域アーカイブとして特別なことをしているというよりは,アーカイブを創っていくことが自然に追求されているということである。

浦添市立図書館沖縄学研究室

 浦添市立図書館があるのは,文化施設が集まっているゾーンで,中央の広場の周りに文化会館,美術館,図書館が配置されている。それらはモダンなものであるが,同一のレンガ色が施され,たおやかな沖縄建築様式を取り入れていて安心感がある。だが,それらのなかでは図書館が一番くすんでいるように見えたのは,ここが一番使われる施設だからか。これは,1980年代にこれらが構想されたときの市長の考え方で進められたそうだ。当時,図書館には博物館的な機能も求められており,今の郷土資料室(沖縄学研究室)の側面には展示用のガラスケースが置かれているが,今は使われておらず敷居で隠されていた。このあたりも,時間の経過とともに役割が少しずつ変化したことを意味している。










浦添市立図書館





沖縄学研究室(図書館HPより)



1980年代末に,沖縄史研究者高良倉吉氏が市史編さんの責任者からここの館長になったときに市史編さんで集めた資料の保存,提供,研究の場として沖縄学研究室ができた。1980年代の県立図書館と同じで,どちらかというと文書館的な性格を強めることになった。ここでは研究紀要(『浦添市立図書館紀要』第1号~15号 1989年12月~2004年3月,その後『浦添市文化部紀要 よのつぢ』第1号~12号 2005年3月~2016年3月に継承)を出して,浦添市史編纂の拠点になっていた。史料の悉皆的な収集をベースにして市史を編纂する方法は「浦添方式」とも呼ばれており,一時期は6人の正規職がいたこともあったという話しだが,現在は調査レファレンス担当の司書がいて,会計年度任用職員として司書資格をもたない2名が専門職員として勤務している。彼らの言によれば,歴史資料整備にまでは現在はなかなか手が回らず,入ってくる資料の整理,レファレンスで手一杯ということだった。資料を見せていただいたが,確かに市史編さんで集まってきた多様な資料,文書資料,他館所蔵資料のコピー,写真,絵図,雑誌,新聞などが蓄積されている。しかしながら,沖縄歴史研究協議会に参加しているが研究的な仕事はなかなかできないということのようだ。

全体としては,こうしたアーカイブ的な仕掛けが40年の歴史の最初の15年くらいは強くあったが,その後は徐々に縮退の方向付けになっていったようだ。これは,初期の理念に基づく歴史資料収集と市史編纂については一応の成果が得られたことが大きいし,首長が変わればこういうものの評価も変わってくることなどによる。全体としては財政が厳しくなっているだけでなく,行政評価が求められるようになり,郷土資料は数値評価にかかりにくいものであり,かつてのような予算がつきにくくなっていることが背景にある。

沖縄アーカイブの場としての沖縄の公立図書館

現在の県立図書館の前身である戦前の沖縄県立図書館の初代館長伊波普猷は,沖縄学の父と呼ばれる人である。その後も二代目館長真境名安興以降五代目館長までの館長はいずれも郷土資料の収集に熱心だった。この場合の郷土資料は古文書や古記録等の一次史料を含んだアーカイブズであった。これは,戦前に沖縄には学術機関がなくて図書館が歴史研究の拠点とされたからである。その目録として,『郷土史料目録』第一版(大正13年),第二版(昭和4年)が作成された。第三版の編集も進んでいたが出されずに終わったが,その草稿が発見され,それらを合わせた目録が法政大学沖縄文化研究所から1982年に刊行された。現在は,NDLデジタルコレクションで見ることができる。所長の外間守善による序文でそのあたりの経緯が分かる。(以上,富島壮英「沖繩県立図書館の沿革と現況 : 郷土資料を中心に」『参考書誌研究』(17), 1979, 国立国会図書館. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3051062 (参照 2025-05-14)等を参照)

しかしながら,蓄積された琉球・沖縄資料は3万冊に及んだとされるが,アジア太平洋戦争では一部が疎開されただけで,ほとんどが沖縄戦で焼失している。これは大きな損失であり,戦後の沖縄の課題の一つは失われた歴史(資料)をどのようにして復興させるかだった。本土復帰の1972年以降,沖縄県が手掛けた重要な事業として沖縄県史の編纂があった。これは現在に到るまで継続されている。一般的に県史や市町村史は記念出版のような形式をとり,編纂室も臨時的に設置されなものが多いが,沖縄の県史は県の組織としてに専任のスタッフが配置あるされることで継続的な編集体制をとっている。同様の組織は市町村史にも少なくない。県史編集室は,復帰前の1967年に琉球政府立沖縄史料編集所が創設され、復帰とともに沖縄県沖縄史料編集所と改称される。1986年には行政改革により県立図書館に併合され、沖縄県立図書館史料編集室と改組された。その後1995年に沖縄県公文書館の設置に伴い移転するまで,10年ほどは県立図書館に県史編集室が置かれていたのは戦前の伝統を継承したものであり,その後歴史家だった大田昌秀知事が公文書館設置を進めたので県史編纂は図書館からそちらに移った。(県史編纂や公文書館運営については別に述べることにしたい。

戦前の沖縄県立図書館は焼失してしまったが,その蔵書目録は残されている。それで訪問時に県立図書館内部で蔵書目録掲載資料のどこまでが再現(再取得)できているのか調べたりはしていないかとうかがってみたが,そういう歴史的観点を強く反映した運営ではないようだった。博物館から人事異動で学芸員資格をもった職員が来ているという話しも聞いたが,博物館,公文書館,史料編集班との関係も必要があればやりとりするが,最初から何かの協議をするような関係にはなっていないということだった。

今回,県立図書館と浦添市立図書館を訪問してみて,郷土資料の収集保存提供の意識が強くあることは伺えた。それはこれらの図書館全体から伝わってきた。県立図書館は,戦前に沖縄資料の唯一と言っても良い拠点であり,それが沖縄戦で失われたあともしばらくの間は歴史資料収集と歴史編修の拠点であった。2018年に現在の地に移転したときの設計構想には,それを継承しようとする意欲がみなぎっていることが感じ取れる。その後の図書館活動はそれを想起させ,実際に資料を手に取って利用するのにふさわしい場として機能している。浦添市立図書館の沖縄学研究室も,基礎自治体レベルの郷土資料サービスの可能性を最大限に示す試みであったことは十分に伝わるものだった。だが,両館とも,歴史研究という課題に対してはすでに過去のもののとなっている。

今回,最初の方に書いたウェールズのナショナルライブラリーと同様の位置づけがあるのではないかとの期待をもって訪問したわけだが,同様の意図を感じた。県立図書館の設計思想は3,4階はヤマトンチュ資料,5階はウチナンチュ資料を扱うとしているのは,やはり沖縄のアイデンティティ(敢えて言えばナショナリズム)を強調している。資料担当職員はヤマト(内地)も沖縄も区別せずにローテンションを組んで仕事に当たっているということだった。ただ,歴史研究の場との考え方を前面に出していないのは,おそらくは,戦前の県立図書館が守ってきた歴史資料が失われ,県史編集室や公文書館がそれぞれ独立した機関として活動しているなかで,図書館機能のみとなったものの必然的な結果なのだろう。

アーカイブ機関はそれが唯一無二の「原資料=アーカイブズ」を守る姿勢にあるとき決定的な役割を果たすのかもしれない。それは,かつて当ブログ「三つの私設図書館と「舌なめずりする図書館員」」で書いたように,創始者の設置運営の意思をどれだけ活かそうとするのかということでもある。だが,現在の図書館は歴史というよりも,設置者のアーカイブ思想を継承しつつさまざまなキュレーションを行う場になっているように思われる。

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