2023年3月18日(土)午後に表記のイベントのチューターを務めた。オンラインチュートリアルというのは初めてで、何をするのがよいのかよく分からないところがあった。要するに学術的な新しい課題やツールなどについて当該コミュニティにおいて啓発する役割を担うものと理解した。学校図書館というテーマは別に新しくもないものだが、最近、戦後学校図書館史のマクロ分析とか戦後教育改革期の図書館教育といった今までやられていない方法やテーマを取り上げたので、お鉢が廻ってきたということなのだろう。
学会員限定の40人弱の参加者を相手にお話しし討論を進めるという方法を選択した。パワーポイントのファイルを公開するので参照されたい。話しのなかで強調したことは次のことである。
話しの概要
1)日本は行政国家であり、行政が仕掛けてそこに政治的な力が働いて新しい政策が生まれる。このときに新しい政策課題がどのように生まれるかといえば、学術的な研究によって明確なエビデンスが提示されることが重要である。そのエビデンスの一部が学識経験者によって行政的課題として伝わる。
2) 学校図書館はGHQ/CIEによって指示されたことによって始まる、占領政策の落とし子であり、文部(科学)省の主流の教育政策のなかでは周辺的なところに置かれた。また系統主義に転換した1958年以降、教育学の課題としても傍系のものとなった。だから教育関係者を通じての学校図書館の位置づけは弱いものにとどまった。
3)学校図書館政策は大きく言うと戦後に2回の大きな動きを経験している。1回目は占領期にGHQ/CIEによる指示で文部省が担当官を置いて政策の検討をした時期で、これが学校図書館設置運動として展開して、議員立法による学校図書館法制定に繋がった事である。このときの論点は学校施設(設備)としての学校図書館を設置することであった。学校への義務設置となるほかいくつかの法的な根拠ゆえに文部(科学)省も無視できなかった部分もあり、それが次の期の改革にもつながった。
4) 2度目の動きは20世紀末に読書力=読解力低下という現象に反応した児童書出版社、作家、そして文教族の政治家によって、読書センターとしての学校図書館の制度的な根拠を明確にすることで、大きくは文字活字文化振興の流れのなかで、学校図書館図書整備の地方財政措置が始まりすでに30年の実績がある。また、これに伴い、司書教諭配置、学校司書配置が制度化された。
5) こうして、読書センターとしての学校図書館の位置づけは制度化されたといえるが、次の課題としては、教育課程や教育方法の変革期であることにどのように対応するかということがある。そのために読書センターだけでなく、学習センター、情報センターがらみの実績とエビデンスを示すことが必要である。
6) 学校図書館の役割は1958年学習指導要領以前に取り組まれていた教育課程、教育方法と対応する。たとえばコア・カリキュラムや図書館教育、視聴覚教育といったものである。そして、これらの課題の背後にジョン・デューイ以来の経験主義がある。教育学は20世紀後半のデューイ・ルネサンスにより再度、経験主義的な教育課程の見直しが進められているところである。
7) 学校図書館を通じた探究学習については実践、研究いずれについても教育学では十分に知られていないが、これらは再度評価される可能性がある。それは、国際バカロレアにおける学校図書館の位置付けや日本の探究学習の実践において京都の堀川高校他で学校図書館が明確に位置付けられていたことに現れている。だから、学校図書館研究についてはこうした探究学習で学校図書館を用いることの意義がエビデンスとともに示されることが課題となる。
質疑応答
以上の話しをして、質疑応答を行った。質問者のお名前を省略して概要について記述する。
1)学校図書館もデジタル化の波が避けられないとき、電子教材や電子教科書のような領域をどう考えればよいか。
(回答)これまで図書館サービスは資料をいかに利用者に提供するのかについて工夫をこらしてきたが、資料そのものやコンテンツについては手を付けないという考え方が強かった。しかしこれまでも、専門図書館などでは利用者を特定化したコンテンツの作成も併せて行ってきたことがある。デジタル時代にはこれをもっと柔軟に行ってもよいと考える。学校図書館も教員や研究者、著作者などと連携して教材や資料づくりが可能になる。
2)最近、文科省の専門家会議でギフテッドな子どもたちへの対策のひとつとして、学校図書館をラーニングコモンズとするという考え方が示されたことをどう考えるか。
(回答)学校図書館が総合教育政策局の地域教育推進課に移されたことの意味はそのあたりにもあるのだろう。つまり教育を学校や教室の閉じた場で推進するのではなく、地域や社会のなかで推進する。その際に、学校図書館をコモンズとする位置づけを得ることは望ましいと思われる。
(ただし、その後「審議のまとめ」をみた限りでは、「特異な才能のある児童生徒は、普段過ごす教室には居づらい場合があり、一時的に空き教室や学校図書館などで、安心して過ごせるようにすることが考えられる。」程度のことしか書かれていなかった。引き合いに出されたことは以前よりの進歩と見なされるのかもしれない。)
3)配布資料において、「学校図書館学」という言葉が2回出てきているが、これがどのような内容をもったものなのか。とくに教育学と併記させているスライド10のあたり。
(回答)「学校図書館学?」というようにクエスチョンマーク付きで使ったのはやや否定的なニュアンスを含んでいる。それは、司書教諭養成のための領域で研究が十分に深まっているように見えないからだ。他方、教育学はこの資料にあるように、教育の哲学から始まって領域が細かく分かれていて○○教育学がたくさんある。また、とくに教育課程との関係では、教科教育に関わる学会がたくさんある。これらは、戦後の教育改革で最終的に獲得された教育学の領域であり、ある意味ではきわめてポリティカルにそれぞれの領域を拡げようとしている。だから、教職課程の科目や教科はなくならない。教育学から見ると学校図書館に関わる領域はその一つにすぎない。もちろん、研究の厚みや研究者の数を比較しても大きな格差があることは確かである。私が今日の話しで強調したかったのは、長期的な議論をするときに、その領域の理論的な重要性を主張できなければならず、とくに教育学との関係を明確にすることは必須と考える。
感想
a)11枚目「日本で必要なのはなぜアメリカの学校で図書館員を受け入れたのかについての研究。教育課程、教育方法との関係」
b)14枚目「義務教育(初等学校、前期中等教育)と高等学校は異なる」
c)16枚目「アングロサクソン系の専門職団体(ALA、AASL、CILIPなど)はカルチャーが異なると考えるべきであり、これを目指すのは現実的ではない」
d)27枚目「② 教育情報メディア・コンテンツを地域で共有する基盤づくり(レファレンスツールのサブスクリプション)」
これまで、学校図書館という一枚岩の現場について校種も職員構成も役割も腑分けせずに、アメリカの学校図書館制度などをモデルとして専門職の確立を目指すような研究態度に対するアンチテーゼとしては意味があったのかと考える。もう一度、戦後の初心に還って学校図書館の本質を見極める時期にきている。3月25日のSLILの講演会ではそのあたりについてお話ししてみたい。
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