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2026-02-15

フランスの学校図書館(CDI)と司書教諭(PD)の現在とこれから

 2026年2月15日に立教大学にて,公開講演会「リヨン第三大学におけるドキュマンタリスト教員の養成」がありました。https://www.rikkyo.ac.jp/events/2026/02/mknpps000003dgyv.html

アンジェル・スタルデール氏(リヨン第三大学)と中村百合子氏(立教大学)による講演です。まずはいいお話しを伺いました。お二人の講師および主催者の皆様方,すばらしい通訳を務めてくださった方々に感謝申し上げます。参加しての感想を当日中に忘れないように書いておきます。

日本の戦後教育改革時の司書教諭養成がうまくいっていればこうなったのではと思わせるものでした。占領期に学校図書館を教育改革の柱の一つに据えるという動きがあり,当時の文部省もかなり真剣に取り組もうとしたけれども,占領政策の転換によりうまくいきませんでした。このあたりについて詳しくは,私が書いた『教育改革のための学校図書館』『図書館教育論』(いずれも東京大学出版会)を参照してください。

アンジェルさんによるフランスの話しを中心に書いておくと次のようになります。以下,講演だけでなく,終わった後の質疑および懇親会で伺ったことも合わせて,私自身の解釈を含めて記述しています。

1) フランスの図書館はフランスという国の成立(フランス革命の理念)と密接に関わっていること。

国民国家としてのフランスは1789年革命の理念に支えられています。例の「自由,平等,博愛」というやつですね。この理念は革命の主体たる「市民(シトワイアン)」の育成が目標になります。図書館はこの理念を支えるとともに,これが古代ギリシア,ローマ,ヘレニズム(アレキサンドリア図書館!)に発して,ルネサンス以降の近代的な価値を継承する際の重要なアクターとなっていることを示します。もちろん,フランスもたくさんの移民を抱えて,格差が大きくなっていることがあり,アメリカや日本と同様に移民排斥を主張する右派が台頭していることなど,たくさんの問題はあります。しかし,それは理性によって解決できるという考えがどこかにあり,それによって図書館(的なもの)が位置付けられています。

2) 学校図書館(CDI)の制度化は1980年代末期,ミッテラン政権時代の教育改革(ジョスパン改革)の産物であるが,今では学校教育にしっかりと根をおろしていること。

フランスで最初の学校図書館は1862年に設置され,その後,1947年にリセ(高等学校)に教員向けの図書館が設置されました。(これは同時代の日本の学校図書館制度改革でも教員向けの教材センターをつくる考え方があったので,同じ動きであることを示唆します。おそらく,アメリカ進歩主義教育の影響があるのでしょう。)1966年に生徒にとっても資料・情報資源へのアクセスの場となります。そして,1974年にドキュメンテーション情報センター(CDI)が成立し,「学び方を学ぶ」という理念が導入されました。さらに,1989年ジョスパン法による教育改革に位置づけられ,中等教育の学校に日本の司書教諭にあたるドキュマンタリスト教員(PD)の養成が始まります。CDIに「ドキュメンテーション」という言葉が入っていますが,これは,資料を仲介するための専門業務というような意味合いです。

1989年といえば,日本では中曽根内閣の臨教審のあとで,教育の自由化やゆとり教育が仕掛けられた時期で,日仏共通の政策課題も見受けられます。しかし,日本では学校図書館を位置づける考え方はあまりなかったのですが,時代の流れをみれば,そこらあたりから学校図書館法改正が現実のものになるので,同期しているといえるかもしれません。

3) ドキュマンタリスト教員(PD)もそのときに成立したもので,全国でリセ(高校),コレージュ(中学校)に11,000人いて,教員養成課程でしっかりと養成されていること。

フランスのPDは,アメリカのschool librarianと違い,教員養成系の大学に位置づけられています。そうしたPDが全国の中学校,高校にほぼ1学校に一人ずつ配置されています。教員養成系高等教育機関での学校図書館職員養成はフランス特有です。(ただし,今日,ポルトガルやブラジル,カナダのアルバータ州でもそうした事例があることを伺いました(須永和之さん,中村百合子さんからの情報))PDは,日本の戦後教育改革時に廃案になった「幻の学校図書館法」(1953年3月)で想定されていたものとよく似たものです。日本でも専任の司書教諭が法制化された可能性もあったのですが,もし実現されていればこうなったのではないかと思われるものです。

4) 今年の9月以降に,教員養成課程の制度改革があるが現行のものは維持されること。

フランスもまた中央集権的な政府をもちます。そして昨年,急に教員養成課程の制度改革が上から降ってきました。これは教員のなり手不足への対策ということです。(このあたりは日本と同じ状況です。)これまでは大学院における教員養成だったものが,どんな領域を専攻しても学士号取得者が採用対象となり,採用後に現場にいながら修士課程で学ぶのに変わるというものです。これは日本の教職大学院と似ていますが,日本の場合は教員免許をとって教員採用試験を受けて入った現職者が対象であるのに対して,フランスの新しい制度は資格なしに採用した上で修士課程で教育について学んで資格を付与するものです。養成課程全体も構造的な見直しをするようです。

新しい養成制度において,PDの養成も継続されます。PDの役割は,「読書振興の担い手,メディア・情報教育の推進者,情報文化の仲介者,情報活用能力の育成を担う教育者」というものです。そこで強調されるのは,PDが教科教員との協働により探究学習を推進することです。そのあたりの詳しいお話しも伺いましたが,いずれ主催者より資料と報告が出ると思います。

5) 今要請される学校教育の在り方(自らの判断ができる市民の育成)にとって,CDIやPDは大いなる力となること。

CDIやPDの政策的位置づけについて,個人的にアンジェルさんに伺いました。生成AI時代において必要とされるのは,フェイク情報のなかで自ら判断できる市民を育成するという課題について,これに応えるのはCDIとPDであるといういう揺るがない信念がありました。EU諸国で,16歳未満の子どもたちがSNSを使うことを禁止する法的措置が進められています。今日のお話しは,ヨーロッパでは子どもたちに無制限の情報シャワーを浴びせることへの危機感が強く,その対策として図書館や学校図書館,その専門職員の役割が大きいとされていることを強く感じさせるものでした。つまり,情報メディアリテラシー教育の担当者というものです。

また,フランスと日本でまったく違うように見えながらも,長期的視点に立てば,日本はフランスの後を追いかけているようにも思えてきます。今,日本でも探究学習が具体的なものとして実施されるようになっています。フランスでも探究学習が重視されるのはそれほど昔ではありません。何が違うのかというと,教育における「自由」とはなにかの捉え方でしょうね。

日本の学習指導要領は教員がやるべきことを列挙し,改革を進めるほどどんどん増えていくので教員にも子どもたちにも負担感が増します。探究学習も教員の負担が増えることが問題になっています。これまでやっていなかったことをやるのだから当然でしょう。教員が何らかの準備をすることは必要でしょうが,それの専門家として図書館員がいるという協働の仕組みをつくらないと負担感は変わらないでしょう。また,子どもたちが学ぶことを「負担」と感じるというところで自由が抑圧されています。

しかしながら,フランスの場合にはCDIを通じた探究的な学びは自由な学びの方法を獲得するための手段ととらえられているようです。日本でも,デジタル環境については同様の問題を抱えているので,探究学習と学校図書館をうまく結びつけることが重要でしょう。学びの場を広げ,多様な進路選択を可能にする方向での政策の検討は行われていますが,さらに学びの方法の部分で「自由」を位置付けることが課題だと思いました。