ページ

2023-11-18

『市民活動資料』収集・整理・活用の現場から(追記11月25日)

 本日、「『市民活動資料』収集・整理・活用の現場から—法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズ、立教大学共生社会研究センター、市民アーカイブ多摩」に行った。一番印象深かったのは、なぜこれらの活動が2000年代に始まったのかという話しである。その後にNPO法人市民科学研究室の人たちとも話したのだが,次のような要因が複合的にからんでいるのではないかということになった。

1)1960年代の高度経済成長期以降の矛盾やそれへの対応を要求する運動が一段落し、当事者が亡くなったり世代交代したりしたこと

2)20世紀のうちは公的セクターがある程度対応したりもしてきた部分がNPMにより成果主義に陥り対応できなくなったこと

3)阪神淡路などの大災害に対するアーカイブ活動が注目されたこと

要するに,これらの資料は20世紀中盤から後半にかけての激動の時代に直接市民が経験したことを発信する行為が記録されたものだったが,作成されてからしばらくはそれぞれの発信元にあったりしたものがまとまってコレクションとなって寄託されたというものだろう。

ここで、2)について書いてみると、1972年に東京都立多摩社会教育会館で開始された市民活動サービスコーナーは2002年に廃止になり、収集されていた資料をどうするかということになった。しばらくの議論のあと,2011〜2012年に法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズに移された。一方,資料収集は市民グループの手で継続されており,それが現在「市民アーカイブ多摩」となっている。

この経緯について今日の議論では、「美濃部から石原へ」という言葉で表現されていた。都政のトップの考え方によって開始されたり廃止されたりした背景はそうである。しかし、そもそもミニコミやチラシ、パンフレットなどの市民活動資料は図書館においても重要な地域資料であるはずなのに、なぜ社会教育という枠内で扱い、図書館が対応できないのかという問題を感じた。本日の議論でも再三、図書館の役割を問う意見があった。

ただ、この場のやりとりを聞いていて、図書館がなぜこの種の資料に積極的でないのかの理由が分かってきた。それは、政治的イシューが背後にあったり、個人情報や人権問題などのセンシティブな情報を含んでいたりして扱いにくいと感じられるからだろう。もちろん、放っておいてひとりでに集まる資料でもないので何らかの働き掛けをしなければならない。その際に,当事者とどのような関係をとりつけるかでも難しい判断を迫られる可能性もある。今回の3つの団体の活動はいずれも過去にどこかで集められた資料を譲り受けたかたちで始まり、新規の資料受入れをしているのは市民アーカイブ多摩だけだった。つまり、ライブラリーよりアーカイブズの性格を強くしているように思われる。これだと、資料収集時の問題は比較的軽減される。収集と公開のあいだの時間的な調整を機関がコントロールできるからだ。

さらに考察を進めると、これらの活動が私立大学だったり、民間の団体だったりによって行われていることをどう考えるかである。都立多摩社会教育会館が「市民活動サービスコーナー」をつくっていた理由は,社会教育法に基づき地方教育委員会が社会教育団体の活動を支援する役割をもっていたことに関わる。そうした団体が発行する資料を集め,それを整理提供することでその団体間の相互交流をはかり,市民の自治意識を高めるというのが目的であった。ところがそこには都政に対する批判的なグループも含まれており,「石原都政」はそうしたところを支援することを避けたというのが言われている理由である。このことは,愛知県であった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由」展で展示物をめぐって,政治的な介入があり,中止に追い込まれたことと密接な関連がある。「アーカイブズ」は原資料であるからそれ自体の政治性がもともと高いのである。(このことについては別に論じたい。)

図書館だと資料収集の中立性というような概念があり,そのあたりのバランスをとろうとする。だから一方的な主張のものは入れないという判断が起こりがちである。しかし,社会教育だとそういうものもそれ自体が学習資料であり,社会教育を推進するものという考え方をしていた。その意味で,社会教育会館の閉館は政治的な決定であった。そして,それを引き受けるのが民間機関になるのは避けがたかった。逆に言うと,図書館はそうした政治的なところに踏み込まれることを避けて,最初から中立の立場を決め込みがちである。それはある種の保守主義であるが,(それこそ「図書館戦争」のような)状況をどこまで想定しているかが問われる。

ただそうした民間の機関は,必ずしも組織的財政的に安定的な基盤にはないことが見て取れた。実際、やりとりのなかからも十年後に存続しているかどうか分からないという声も聞こえてきた。これに対しては、違う論理を対峙させておくべきだろう。欧米のアーカイブズの作り方をみていておもしろいと思ったのは、資料コレクションの一部が市場に出て高く買い取られたり、途中で行方不明になったりしても、数十年後にどこかの図書館,博物館,美術館とか大学のコレクションにきちんと入っていて、だれでもがアクセスできるようになる方向付けがあることだ。このことは「知のアーカイブ、歴史のアーカイブ:ニュートン資料を通してみる」(『アーカイブズ学研究』No. 37, 2022.12. p.4-18.)に書いた。(もう少しでエンバーゴが解除になる。)

以上のことについて日本の安倍=菅=岸田政権の状況下で、今後の見通しを語ることが難しいとは思う。都政も大阪府政も保守派の牙城として運営されている。しかしながら、ことアーカイブ関連については長期的にものごとを考える必要がある。ひとまず,江戸後期以降(あるいは中世以来)の「文明の進歩」については蛇行しながらも続いているという「啓蒙主義」の立場をとりたいと思う。(以上,11月25日に文体を変えた。ご容赦下さい。)

ーーーーーーーー以下,2023年11月25日追記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この会が終わって会場を出たところで手渡されたチラシが,新曜社から『社会運動史研究』というシリーズ本が出ていることを知らせるものだった。それがすでに5号出ていて,各号に「社会運動アーカイブズ インタビュー」が掲載されている。そこにはこのときに登壇した平野泉氏(立教大学共生社会研究センター)のものも掲載されている。前に,公害資料館ネットワークの存在が気になったこともあり,社会運動資料が話題になる背景に何があるのかとも思い,この本を見て,社会運動史アーカイブの議論が活況を呈していることを知った。

各号は次のようになっている。いずれも大野光昭,小杉亮子,松井隆志編,新曜社刊で,

1『運動史とは何か』2019
2『「1968」を編みなおす』2020
3『メディアがひらく運動史』2021
4『越境と連帯』2022
5『直接行動の想像力』2023

編者3人は歴史社会学や社会運動論を専門とする社会学者で,最初の号の編集の意図などを読むと20世紀の1950年代から1970年代くらいまでに世界中を襲った市民運動,労働運動,学生運動などを取り上げて再評価しようとしていると受け取れた。そのなかの各号では次のアーカイブズが紹介され担当者がインタビューに応じている。

1 エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)谷合佳代子氏
アナキズム文献センター 古屋 淳二氏

とくに2号に「1968」が取り挙げられているように,学生運動さらに絞れば日本の全共闘運動が重要な契機として取り上げられるとしている。2号にかつて全共闘の議長を務めた山本義隆氏が寄稿していて,小熊英二氏の『1968』(2009, 新曜社)に対して,事実誤認が多いこと,そしてその誤認が「現場」に踏み込んでいないことから生じていることなどを指摘している(山本義隆「闘争を記憶し記録するということ」)。これは同書の書評でも指摘されていたことである。同書および彼の他の著書も含めて,社会背景や歴史的な文脈を精密にとらえようとしても資料的な限界をいかに超えるかが問われる。あわせて,「運動」にコミットした人が生存中に,アカデミックな総括がどのようにすれば可能なのかが問われているように思われた。その際に,そしてそのために,ここにはその資料を集め保存し提供体制をつくっていくかが重要であるということについて,一貫した視点がある。つまりアーカイブ的な方法である。ここでアーカイブというのは,原資料や当事者の発言も含めてそれをどのように保存し,また,次の世代のリサーチや思想に活かすかということである。

山本氏らは当時の学生運動に関わった人たちから直接,ポスター,ビラやチラシ,機関紙・誌,写真,手紙,日誌,新聞や雑誌の報道記事などを集めた。また,それとは別に1968年10月8日の「羽田闘争」と呼ばれる運動の同様の関係資料を収集した。これは当時の佐藤栄作首相が南ベトナム政府訪問するのを阻止しようと羽田に集まった学生と機動隊が揉みあって,死者が出たという事件である。政府側が学生同士の暴力事件として処理したのに対して,実際には機動隊が警棒で殴ったのが致命傷となったというのが学生側の言い分だった。

こうして集められた資料(多くは手書きかガリ版刷りのもの)から電子コピーをとって整理して製本し資料集とした。東大闘争関係のものは

『東大闘争資料集』全24巻別巻5巻 マイクロフィルム5本, 1994

である。これは国立国会図書館に納本された。

また,マイクロフィルム3本と総目録が東京大学文書館と法政大学大原社会問題研究所,国立歴史民俗博物館に寄贈された。さらに,これらを再度スキャンし,新たな資料(そこには東京大学文学部図書室職員作成の「68年東大問題に関する新聞記事索引」234p.も含まれる)を加えて,2019年に

六八・六九を記録する会編『東大闘争資料集. DVD増補改訂版』

がつくられて配布されている。この資料集には収録件数5400点,総ページ数13000ページの資料が含まれている。

また,羽田闘争については同様に資料を集めさらには当事者からの手記を集めて次の資料集を作成し印刷刊行した。

10・8山﨑博昭プロジェクト編『かつて10・8羽田闘争があった: 山﨑博昭追悼50周年記念』〔記録資料篇〕合同フォレスト,  2018
10・8山﨑博昭プロジェクト編『かつて10・8羽田闘争があった: 山﨑博昭追悼50周年記念』〔寄稿篇〕合同フォレスト,  2017

山本氏の論考によると,こちらの収集資料は国立歴史民俗博物館に寄贈されている。というわけで,このように東大闘争と羽田闘争に関するものについては,アーカイブズとその編集物が配布されて利用可能になっていることが分かる。ただし,東大闘争関係資料で配付されたアーカイブズはあくまでもコピーであって,原資料のコレクションがどうなっているのかについてはこの論考には書かれていなかった。

今,全共闘運動を中心とした1960年代後半の学生運動に関する運動史アーカイブの状況について見てきたが,これらが成立した条件はいくつもありうるだろう。一つは,当時の運動の当事者が積極的に発言し現在でも歴史的社会的意味を問い続けていること,また日本の高等教育の牙城である東京大学での運動であり注目されつづけてきたこと,さらには,先ほどの小熊氏が文献を中心に書いた『1968』に対して,編集委員の一人小杉亮子氏がインタビューによって『東大闘争の語り: 社会運動の予示と戦略 』(新曜社 2018)を書いてさらに方法的に新しいものを提示するということがあった。小杉さんが社会学の雑誌の書評に一連の資料の扱いとインタビューなどの方法についてまとめている論考「書評に応えて : 生活史聞き取りと予示的政治をめぐって」(社会学研究 104, 2020)があるのでリンクしておく。

筆者にとっても,原資料,その編集と資料集の出版,原資料のアーカイブズ,そして,資料集や原資料のメタデータのデータベース化などを考えるためにもさまざまな手がかりを与えてくれるものだった。この文章の前半との関係で言うと,図書館が政治的なものを避けようとすること,そして,政治的なアーカイブズでも資料集なりまとまったコレクションとして整理されることで,公的な機関としても受け入れやすくなることを示唆しているように思われる。





2023-11-15

国の学校図書館図書整備費はなぜ公立小中学校のみが対象なのか

Facebook上でSさんからのご質問があったのでお答えしました。 

Question:

うちの学生からのシンプルな質問です。

文部省(当時)が平成5年に示した「学校図書館図書標準」は公立義務教育諸学校に対してのものだったのだということですが、本来「学校図書館」とは小中高までの図書館を指します。義務教育ではないにせよ、なぜ高校には「学校図書館図書標準」のようなものがないのでしょうか?今後示される予定もないのでしょうか?

シンプルですが、確かになぜ?と言われると答えられません。どなたかわかる方、教えてください!

Answer:

これは,1993年に文部省が「学校図書館図書標準」を定めて「学校図書館の図書整備新5か年計画」を開始したときから,対象は公立の小中学校でした。なぜ高校が入らなかったのかについては,さらに遡って戦後の教育財政制度全体をみる必要があります。もともと,図書費は,義務教育費国庫負担法第3条に規定する教材費の規定と,学校図書館法13条の設備および図書が基準に達していないときに国が経費の2分の1補助するという規定に基づいて国が経費負担をすることになっていました。これがまもなく学校図書館法の規定の適用からはずれ,図書費は1958年から義務教育費国庫負担法のみの規定に基づいて国が補助することになりました。義務教育とあるように小中学校の経費を市町村ではなく国と都道府県が負担することを定めたものです。これに加えて,1985年から,義務教育費国庫負担制度から図書費を含む教材費が外され一般財源化しました。ここから地方交付税交付金のなかに含められ,図書費が交付税措置額どおりに使われていないという問題が生じています。1993年以降は学校図書館図書整備5か年計画によってさらに上乗せした額(現在第6次で単年度480億円)が地方交付税措置となっていますが,市町村のみが対象です。つまり国から市町村への財政措置に図書整備のためのものが含められているということです。

学校図書館法制定後最初の5年間は高校も対象だったはずですが,なにぶん予算が少額ですぐに打ち切られたのでほとんど効果はなかったと思われます。その後は,義務教育費国庫負担法に基づき市町村だけが対象の状態が,今に至るまで続いています。背景には,市町村の財政基盤が弱いので教育の均等化をはかるために,義務教育費を都道府県と国で負担することがありました。戦後のこういう問題を整理した論文(「戦後学校図書館政策のマクロ分析」)を書いたことがあるのでよろしかったどうぞ。また,このあたりは,松本直樹さんの「学校図書館費の負担変更にともなう影響に関する研究」(日本教育情報学会27回年会論文集 106 - 109, 2011)にまとめて書いてあります。

これに限らず,図書館政策について,実践報告を運動論的な観点でまとめるだけでは歯が立たないことは明らかで,このような財政や政策決定についての研究が欠かせません。教育学には,教育哲学や教育史,教育心理学,教育社会学などに加えて,教育行政学や教育法という分野があり,専門の研究者がいます。

2023-11-02

板橋区立中央図書館と区政会議資料の公開

公園と図書館

去る10月24日に横浜のパシフィコ横浜で開かれた図書館総合展でのARGのイベント「図書館×公園」でもっと考えたいことに出るために横浜に向かう途中に,池袋から東武東上線に乗って上板橋駅近くの板橋区立中央図書館に立ち寄った。ここが,最近できた,公園に面した図書館と聞いたからである。

駅から数分で公園に近づくとわあわあというたくさんの子どもたちの声が聞こえるのが新鮮だった。田舎暮らしの身では久しく体験できなかったものである。天気も上々で広い公園で遠足にでも来たのだろう,小学校中学年くらいの子どもたちが百人以上も元気に遊んでいた。近くの幼稚園か保育所の子どもたちも遊んでいる。(子どもを「元気に遊んでいる」と記述するのはステレオタイプかとも思うが,そのように表現せざるをえないような情景だった。)

講演の一角に図書館が建っていた。これも今風の建築でなかなかスマートで気持ちがいい。公園から図書館にすぐ入れて,中に入ると1階は公園側に張り出していて,ガラス越しにすぐ前から芝生が見え自然に公園につながる。

公園と図書館との組み合わせは確かにこういう部分で相性がいい。誰も拒まず何をやっていてもいい空間が連続的につながる。午後に対談したぎふメディアコスモスの吉成信夫氏が言う「図書館は屋根のある公園」という表現も自然に納得させられる。



2階も同じような展望のよいガラス窓が続いていて,そこではけっこう仕事をしている人もいた。窓の外側にはテラス席もあり,こういう晴天の日は気持ちがいい。


ただ,この図書館はメディアコスモスのようなワンフロアで広い空間が拡がるようなつくりではなくて,上に積み上がっている。1階には児童コーナーやおはなしの部屋以外に外国の絵本が揃っている「いたばしボローニャ絵本館」がある。

ボローニャは子どもの本の見本市が開かれるところで,そこから寄贈されたということである。また,1階の公園に面するところにはカフェがあるのはお定まりの構えとも言えるが,妙に嵌まっている。

2階と3階は大人向けの図書館スペースである。ここで目を引いたのは「インデックスコーナー」と天井からの吊りボードに書いてあるところである。図書館でインデックスと言えば「索引」のことだがと思って行ってもそれらしきものはない。そこのスタッフに聞いてみると,資料展示をしているところだと言う。どうもよく理解できないままに行ってみると,秋の食シーズンにちなんだ展示をしているということで,野菜や食品の見本品の展示があり,関連した本が置かれてあった。それにしても「インデックス」という言葉は何に由来するのだろうか。


区政資料コーナー

さて,3階だが,ここには地域行政資料のコーナーがあった。そこで,あまり見たことのない資料を見つけたのでここで報告しておきたい。それは,区政資料のところにあったもので,区役所の会議資料のリストと,会議資料の現物がファイルされたフォルダが並んでいる一画である。次の写真がそれである。


写真の上の段の左側にあるフォルダには次のような会議リストがあった。これは一部で,全部で106の会議がリスト化されている。番号は会議リストの番号と対応している。そして,会議名,設置の法的根拠,主管課,問い合わせ先,年間開催予定回数(開催時期)の情報が書かれている。

さらに下の段からずっと番号がついたファイルフォルダが並んでいる。フォルダには会議資料が綴じられているが,何もないものもあり,これは今年度の会議がまだ開催されていないものを指すらしい。フォルダのトップには,先ほどの会議毎に,資料名称,公表開始日,そして閲覧場所(区政資料室,図書館,主管課)というリストがある。閲覧場所は○がついているところで閲覧できるという意味らしい。

公立図書館で,区役所の会議全体を把握し,その資料を収集しているという例を聞いたことがなかったので,さっそく,そこのレファレンスでどういう性格のものなのか尋ねてみた。いろいろと館内職員のあいだで確認していたが,結局のところは分からないということだった。要するにここは指定管理で運営しているのだが,(分担は不明だが)区の職員も運営に参加しており,この資料についてはその職員に聞かないと分からないということだった。

後日,その職員から連絡があって話して分かったことは,この資料はかなり前からこのようなかたちで図書館で収集し,リストも図書館で作成しているということである。ただし,1年過ぎたら廃棄することになっており,保存資料にはなっていないらしい。こうした活動がどのような経緯で始まったのか,資料収集にあたってどのような連絡や広報をしているのか,作成部局は協力的なのか,保存は原部門でするのだろうが,なぜ図書館でしていないのか,公文書公開制度との関係などの疑問をぶつけたかったが,電話でのやりとりだったので,後日,調査することにした。

ということで,横浜に行く前の回り道だったが,大いなる収穫があった。最近,関西を中心に行政資料や行政情報に対する関心が高まっているように見える。前のブログでも触れたカレントアウェアネス(No.357)の竹田芳則「自治体発行オンライン資料の収集:近年の公立図書館の取り組みを中心に」の記事などである。オープンガバメントに向けての動きとして,図書館としてこういう実践もあるのだということをここに記録しておきたい。