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2023-09-29

計量経済学的手法による図書館貸出の影響分析(大場博幸論文について)

9月28日夕方に専修大学で日本出版学会出版産業研究部会主催の大場博幸氏(日本大学文理学部)の「公共図書館の所蔵および貸出は新刊書籍の売上にどの程度影響するか:解説と補足」と題するセミナーが開かれて出席した。これは、『日本図書館情報学会誌』掲載の同氏の論文を元にするもので、すでにそれについてはこのブログで触れたが論文自体についてはコメントしていなかった。論文はまだエンバーゴ期間中であって、会員であるか、図書館に行かないと読めない。


大場氏の論文は、ある程度こうした計量的な分析に慣れていないとなかなか読みこなすのは難しいものだが、私も含めて一般の人にも分かりやすい解説がされていてありがたかった。約1時間の解説はいずれ動画として公開されるそうなので、そうなったらリンクしておく。(追記:オープン動画ではなく登録者だけだそうだ。登録は29日20時現在可能)

この論文は、2019年の春に刊行されたノンフィクションとビジネス分野の一般書籍600タイトルについて、2020年3月までの10ヶ月間の売上部数に対して図書館の所蔵、貸出、古書の供給数と価格、書店の委託期間になっているか、電子書籍になっているかといった要因がどのように影響しているのかをパネルデータをとって分析してみようというものである。パネルデータというのは、それぞれの変数が月ごとに変動するのでその動きのデータも含めて分析対象とするものである。とくに図書館の所蔵、貸出の動きをみるためには他の変数を統制する必要があるが、そのあたりを厳密にやろうとしている。最終的には売上部数を目的変数、それ以外の要因を説明変数として、固定効果モデルによる回帰分析を行った。大場氏は先行研究に対してそのあたりをきちんとやったことにより、いままで以上に精緻な分析ができたと考えている。

その結果であるが、抄録によれば、「平均値を基準としたとき、前月の所蔵1冊の増加につき月平均で0.06冊の新刊売上部数の減少、前月の貸出1冊の増加につき月平均で0.08冊の減少という推計値が得られた」としている。また、需要の減少(需要はAmazonの「売れ筋ランキング」の数値を処理して使用している)、古書供給の増加(これもAmazonの「中古品」の出品データを使用している)も新刊売上にマイナスの影響をしているとしている。そして、抄録では「需要の高いタイトルに対する図書館による特別な影響は観察されなかった」という結論を出している。

今回の氏自身の発表では論文の結論について若干の「補足」があった。これについては、会場ではPPTだけで資料配付がなかったので、詳細についてはこのビデオが公開されるのを待つほかないが、聞き取って理解したところを書いておく。それは、売上部数を基準にして分類して分析してみると、売上上位(ベストセラーや準ベストセラー)については売上下位のものに比べて上記の減少値が大きく、それなりに影響があるというものである。出版売上全体と図書館所蔵や貸出全体とを対応させれば影響は小さくとも、ある特別な出版物についてはそうではないということになる。

今、出版ー図書館問題については政治的な動きもあるなかで、なかなかインパクトがある結果が出ていると思われる。ここでは次のように考えてみたい。

1)  大場氏が、売上データ、図書館貸出、古書や電子書籍について得られるだけのデータを集め、パネルデータとして統制を加えながら厳密に分析しようとしたことはたいへん大きな意義があると考える。この分析手法が公開されたことで、今まで曖昧にされていたことについて実証的に分析がしやすくなった。今後は、この方法についてさらにデータを増やすなり、変数を増やすなりのことをすることが可能になった。

2)  そのことを認めた上で、この論文の分析をもって出版の売上と図書館の所蔵や貸出との関係がわかったということにはならないのではないかと考える。あえて言えば、図書館に入りそうな本について「全体として影響は小さい(売上減の原因とは言えない)」ということである。そもそも、売上の影響について、新たに1単位の蔵書なり貸出数が増えるとどれだけの売上の変化(増減)があるかという数値が用いられているが、影響があるなしの判断をするための閾値については不明である。売上上位の書籍の影響の数値も示されていたが、それがどのくらいだと大きいと言えるのかについては、今後、実証値とそれに対する議論が積み重ねられて判断すべきことである。

3) また、ここで用いた600点の出版物はノンフィクションとビジネス書ということだが、それ自体出版物全体の典型的なサンプルと言えるかどうか分からないからである。最初から、図書館に入りそうもないものは除かれているのは、欠落値を減らすというテクニカルな理由によるという説明があった。学習参考書とかコミックとかは街の書店にとっては重要な販売物だが、これらはほとんど図書館に入っていないから、これを対象に入れると影響はもっと小さい方向に振れるはずである。

4) ところが、今回補足されたベストセラー的なものだと図書館の所蔵や貸出の影響は大きくなるという。つまり、出版物はきわめて多様であり、その性格を細かくみて別々に検討しないといけないのではないかと思われる。大場氏もそのことに気づいているから、今回の補足となったのだろう。とくに,ここにはとくに議論があるフィクション(小説類)が除かれている。小説を取り出して同じように入れたら別の結果が示される可能性がある。

5) やっかいなのは、ずっとある作家や一部の文芸書出版社からの主張は、プロの作家の生計やそうした出版社の経営への影響に対する関心から来ているのだが、それが一人歩きして出版と図書館の関係を一般化して議論される傾向をもたらしている点である。書店関係者から図書館が売上減の原因だという指摘はあまり聞いたことがないのだが、今回の政治的な動きにはそれも含められている。議論は適切な手法で得られたデータをもとに行うべきで、出版物を特性によってセグメント化して分析した実証データを示すことが必要である。

6) 昨日の質疑(これは動画に入らない予定)の際に、某出版社の方から自社の出版物の売上げのかなりの割合を図書館が購入しているので経営が成り立っているとの発言があった。このことの重要性について、会場での発言でもあり私も以前から重要視している。つまり、出版と図書館の関係について、図書館が出版市場で果たしている役割を考えるなら、買い手としての図書館の位置付けも含めて議論する必要があるのではということである。

ということで、昨夜参加してみての感想としては、大場氏の研究はこれからの出版ー図書館関係研究の一里塚となることが予想されること、と同時に、今回、出版学会と図書館情報学会の双方の会員が集まったことをきっかけとして、両方の当事者も含めた議論を進めるよい機会となったのではないかというところである。また、出版社や取次、小売店、図書館が相互にデータを出し合って共同研究を進めることも重要ではないかと考える次第である。

追記:この論文や議論を含めて,大場氏のこの方面の研究成果をまとめた書籍が出版された。また,先の論文のエンバーゴは解けて閲覧可能である。(2024年8月31日)









2023-09-02

北海道の図書館アーカイブ探究の旅(9月8日追加)

 研究者は研究費がないと研究できないかといえばそんなことはないのだが、研究費がつけばそれが何らかの研究意欲を加速することになる。2022年度から日本学術振興会科学研究費に基づく5年計画の研究「マージナルな歴史的記憶を負荷された地域アーカイブ研究」22K12717)を始めている。昨年度は福島をフィールドにして最初の研究調査を始めた。また、研究方法についてはまったく新しいものを提案することもあり、次の3つの論文発表や講演を行ったり、これから行う予定である。

「地域アーカイブの実践を福島に見る: 集合的記憶をさぐるための方法的検討」『日本の科学者』vol.58, no.5, 2023年5月, p.4-10.

「図書館が地域アーカイブ機関であること」2023関東地区公共図書館協議会研究発表大会, 2023年6月28日.

「ナショナルアーカイブと地域アーカイブの間:図書館情報学概念の整理」日本図書館情報学会 2023年研究大会(愛知淑徳大学) 2023年10月7日−8日.

この研究では、福島、北海道、沖縄という日本という国家においてまったく異なる地域性をもったところを扱う。そのなかで2年目に北海道を扱うのはたまたま北海道図書館大会の基調講演を依頼されたことが一つの理由である。

「北海道のアイデンティティを確認するための地域アーカイブという考え方」第 63 回(令和 5 年度)北海道図書館大会, 2023 年9月7日

すでに、今年の5月に函館を訪ねて北海道が幕末から開拓地として発展を遂げていたことやそのなかで私立(市立)函館図書館をつくった岡田健蔵の思想や行動について着目し、もう一度評価しようとしている。そのことはこのブログの次のところで部分的に触れた。

2023-07-14 三つの私設図書館と「舌なめずりする図書館員」https://oda-senin.blogspot.com/2023/07/blog-post.html

今回、北海道図書館大会での講演の3日前から北海道に行ってまず町立図書館の位置づけについてそのパイオニアや現在の運営者にお話を伺う予定にしている。なぜ、町立図書館かといえば、3年前に道東を巡る旅をしたときに小規模の図書館でも図書館として実現すべき体制が整えられていることを感じ取ったからである。それはなにかといえば、自治の核となる資料の収集である。通常図書館資料とされる一般的な文芸書や教養書、児童書といったものに加えて、行政資料や地域資料、当該自治体が抱える問題に関わる課題的な資料である。要するに、地方自治体としての自治とアイデンティティを実現しようとするときの情報源を提示するのが図書館であるという思想が共有されていると感じ取った。これは単なる仮説に過ぎず今後証明していく必要があると考えている。だが、実際に見聞きしたもの以外に、かつて1980年代に図書館問題研究会が置戸町立図書館を調査したときに明らかにした、図書館行政と社会教育行政が一体となって住民意識を反映しつつ逆に住民意識に働きかけるような図書館サービスが現在どうなっているのかという問題意識がある。

今回は、日高地方のいくつかの町立図書館に行ってそのあたりの意識がどうなっているのかを探ろうと考えている。北海道における開拓者意識というのは21世紀になった現在すでに幻想でしかないのかもしれない。だが、今回の研究テーマは21世紀になったからこそ、20世紀までの国家的アイデンティティと異なる新しい何者がかが発生していることも期待してものである。北海道については、何よりも「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(2019、アイヌ民族支援法)が重要である。北海道が内地と違うマージナリティをもつ意義の一つはアイヌという多民族と対峙してきたことがある。そして、20世紀中庸以降の世界的な多民族共生の動きがこのような形をとり、白老町にはウポポイ(民族共生象徴空間)という国の施設ができた。前回行ったときに内地ではほとんど感じたことのない複数民族性の言説が至る所で見聞きできた。これが、今回の図書館サービス研究と深層で結びつくものがあるという期待がある。

今回、町立図書館以外に北海道立図書館と同立文書館、そして北海道大学附属図書館北方資料を訪問する予定にしている。これは、北海道アーカイブという意味では本流であり、これらもまたどのような表現となっているのかを見るのが楽しみである。

ここではこれからの予定を書き込んだが、今後実際に体験したものも報告する予定である。

==========<以下、9月8日追加>==========

先の予告を書いてから1週間ほどになる。その間、北海道の日高地域の町立図書館4館を訪問した。また、後半は札幌(近郊)にある北海道アーカイブの根幹にかかわる4コレクションを訪ねた。ここではそれらについて報告しておこう。

日高地域の町立図書館について

まず日高とは苫小牧から南に伸びる地域で最先端は襟裳岬である。先端部分は日勝半島というのは今回初めて聞いた。日高山脈の西側が日高、東側が十勝で両方が交わる地点ということだろう。えりも町まではとても遠く車で一日がかりになる。今回訪れたのは浦河町立図書館、新ひだか町立静内図書館、新冠町のレ・コード館図書プラザ(ここだけは図書館法上の図書館になっていない)、そして日高町立門別図書館であった。初日に浦河町まで行って戻ってくるというコースである。










今回、北海道の町立図書館を積極的に訪問しようとしたのは、以前から町立図書館にこそ図書館の真髄が盛り込まれているようにも思えていたからである。どんな組織でも規模が大きくなればなるほど、仕事を分担してローテーションをつくり、合法性と効率性を追求することになる。図書館も自治体の組織であるからこうした性格を免れない。そこでの管理責任者は全体を見て合法的効率的に運営できる人である。図書館現場で他から廻ってきた行政職館長が図書館の仕事を知らないのに責任者が務まるはずはないとも言われるが、そんなことはない。マックスウェーバーのいう官僚制に近い組織では、別に個々の仕事を知らなくとも全体を管理できればよいということになる。図書館職が専門職というのは戦後改革で最初から失敗しているので、アメリカなどをみてALAが専門職の大元になるような幻想はもう見ない方がよい。ただ、規模が大きくなるほど、分業制やローテンションによる形骸化が生じる方が問題だろう。小規模図書館はそれを免れる可能性があるというのが私自身の以前からの考えだ。

北海道日高の図書館の特徴はどこも人口が数千人から1万人ちょっとの小さな町だが、司書系の正規職員が1〜3名ほど配置されている。町の図書館が少ない職員でどれだけのことができるのかと言えば、もちろん個々に違うが、今回訪問した図書館は基本的なサービスはすべて実施している。貸出用の資料や児童書については言うまでもなく、この地域が日高馬の産地であり、とくに中央で活躍するサラブレッドを輩出する地域であるので、それが前面に出たコレクションがある。また、地域資料にはかなりの力を入れている。ここを見ていると、図書館のサービスの原型がそのまま保持されているような気がする。

人口1万2千人の日高町は行政職の館長のほかに司書の正規が職員が3人がいて他にも会計年度任用職員が配置されている。人口12万人の自治体に正規司書が30人配置されることがないことを考えてみるとよい。なぜこれが可能になっているのかと考えてみると、日高には中心的な都市がないことが重要なのではないか。都市図書館が貸出業務を中心に拡大していくと効率化原理が働き、貸出業務は指定管理や委託でよいということになる。そもそも中心都市があると合併によって統合される可能性が強いし、周辺の自治体も図書館業務とはそのようなものだと考えがちである。ところが、ここは同じような規模の町立が並んでいて、それぞれが基本的業務を進めている。それがこの地域の図書館水準を形成する。個々の町の市民や為政者も図書館とはこのようなものだと了解している。

地方交付税のことも含めて考えると自治体行政を進めるための適正規模があるのだろう。もしかしたら図書館行政のためにはこの程度の自治体の規模がよいのかもしれない。その意味で『中小レポート』(1964)以前の図書館の原型を保った希有な例なのかもしれない。今回、最初は置戸町立図書館のことが念頭にあった。『まちの図書館』(1981)で知られたところであるが、人口がどんどん減っているという。そういうところでどのような図書館サービスができているのか。それを明らかにするのは次の課題ということにする。

*今回の日高をめぐるツアーには元函館市立図書館長、石狩市立図書館長の丹羽秀人さんの全面的な支援をいただいた。丹羽さんが過去つくってきた人的ネットワークがうまく作動していろんな話しを聞くことができた。心より感謝申し上げる。

北海道のアーカイブ資料について

道立図書館北方資料室、道立文書館、北海道大学附属図書館北方資料、北大法学部附属スラブ・ユーラシア研究所を訪ねた。旧称で略称であるスラブ研は日本におけるエリアスタディーズの拠点の一つである。エリアスタディーズは外国地域研究と訳せるだろうが、軍事、外交、国際関係などの視点から主に刊行物資料を集めてそれらを分析する。日本ではJETROアジア経済研究所の図書館がよく知られている。アジ研はアジアといいながら世界の開発途上地域の資料を扱っている。他方、スラブ研は1953年に(旧)ソ連と東欧地域の研究拠点として発足したが、ソ連崩壊後、東欧諸国をスラブ圏という名称でくくるのは難しくなり、現在の名称になっているという。これ一つをとっても、対象をどのように表現するのかが重要であることがわかる。旧知の兎内勇津流氏に久しぶりにお会いしていろんな資料を見せていただいた。

スラブ研以外の機関はそれぞれの経緯で北海道やその周辺地域について貴重な一次資料的資料をもっている。以前に函館市立中央図書館を訪問したが、ここは岡田健蔵による北方資料のコレクションが有名である。今回、まず道立の2機関を訪ねた。道立図書館の北方資料室がまずあって、その後、文書館が移ってきて同じ所でサービスを行っている。閲覧室は一つの空間を二つに分けており、カウンターも書庫も半分ずつ使うという形をとっている。来館者は事前にそれぞれのHP等で何があるのかを把握して閲覧申請することになる。というのは、多くの資料は書庫にしまわれてあるからだ。貴重な一次資料だとこのような扱いをすることは当然なのではあるが、こうした資料には地図、写真、系図等の巻物、写本等々の資料もあってこれらも扱いは慎重である。さらには、刊行物の多くもしまわれている。これは北大の北方資料も同様である。

図書館サイドから見ると、こういう資料の扱いは保存と利用の間のジレンマに悩むものである。これを利用者サイドからすれば、よほどの研究経験がないとどういう資料があるのかをOPACや資料DBなどを見ても判断できないことが多い。だから利用者が少ないのだ。少ないのは仕方ないとしていることが多いがそれはおかしいのではないか。学習指導要領で探究学習が言及され、探究は学習課題になっている。今後、子どもたちが「探究者」として成長して常に専門資料を使うことが(理念的には)想定されている。

図書館がその状況に対応するための解決策の一つはデジタル化なのだろうが、これらの機関ではそれほど進んでいない。また、図書館と文書館の間の関係も微妙であって、双方にあってもいいと思われる資料が他方の機関に置かれたりしている。これらの調整の話し合いもあったようだが、文書館といっても仕事をするための図書資料は必要だし、図書館が歴史的経緯からさまざまな文書資料をもっていることも事実でそれらは動かしにくいとされている。とりあえずできそうなことは、書庫内のツアーを頻繁に催すことや展示によって補うこと、OPACとは別にパスファインダー等でテーマ別の関連資料を報知すること、資料利用の講習会を開催することなどだろうか。また、かつては長期間担当する専門の職員がいたが、今はローテーションで異動することが一般的である。しかしながら、こうした専門コレクションは専門知識がなければいいサービスができないのは当然であるだろう。サービスの相手は専門家なのである。できるだけ長く担当できるような人事的な配慮が必要だ。さらには、これらの機関の横の関係もまた重要である。場合によっては博物館も含めていいだろうが、MLAの横の連携はあまりないように見受けられた。

というわけで、大きな組織でのアーカイブ資料の扱いはあいかわらず如何にしまい込むかにあるように見受けられた。デジタルアーカイブの掛け声はどこに言ったのか。また、デジタルアーカイブ以前にやるべきことがいろいろとあるようにも思われた。最後に、申し上げたいのは「図書館員は専門家たるべし」ということである。「専門職」ではない。「自ら何の専門があるのかを主張できない専門職はありえない」ということである。なお、業務としてそれを行っている個々の方の責任ではないのでここは一般論として申し上げていることをお断りしておきたい。

このことは今回の講演のテーマとも響き合う。アーカイブとしての図書館利用は創造性につながる。図書館員はその手伝いをすることになっているのだが、なかなかそうできない状況がある。それは、専門性や資料囲い込みなどのことで創造性への過程がうまくつながっていないからだ。このことについては講演の報告ということでいずれ公開したい。

ちなみに、最初に述べた日高地域の町立図書館の職員の専門性は明らかに当該地域にある。地域をアーカイブする仕事をしているのである。逆に言えば、多くの図書館は地域を越えた日本の出版文化に奉仕しているのかもしれないが、地域性があまり感じられない。地域資料を集めれば地域の図書館というわけではない。